もしなかったら、そもそも成績をつけることもできない。
悲鳴の種類は皆同じだと考えているのが凄いなあこの人は。って思った。
初カキコ…ども… 俺みたいな『真空パック AV』でGoogle検索している腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は岡村のラジオの書き起こしを見て、呟くんすわ
タクシー配車アプリ「JapanTaxi」について、乗務員視点でどうなのか書いていく。東京(特に日本交通グループ)の話が中心なので、他の地域の方には申し訳ない。
anond:20180927184434 に書いたことは説明を省略しているので、こちらもどうぞ。
アプリ配車のシステムはお客様・乗務員いずれの視点からも導入当初より改善された。一方で、不心得な利用者には冷たくなった。
「全国タクシー(後のJapanTaxi)」が登場した当初は、お客様が配車を注文した後、【①アプリのサーバー】【②各社の配車サーバー】【③タクシーの車載器】、の順に情報が送られ、配車が行われていた。ただしこれではお客様にご迷惑をおかけするだけでなく、乗務員から無線室への苦情も多く寄せられる状況が続いていた。問題点は以下の通り。
この方式はタクシー車両ごとの設備改修を行う必要がないという利点こそあったが、トータルで見るとデメリットの方が大きかった。これらは労働組合がたびたび改善の要求を出していた。それだけでなく、旧来のシステムにアプリ配車まで対応させるというやり方では、後発のMOVやDiDiなどと競争できなかった。
そこで、アプリのサーバーと各車両が直接つながった、アプリ配車専用のシステム(を搭載したタブレット)が導入されることになる。ただしMOVやDiDiはこの時点で既にこの方式を導入しており、JapanTaxiは国内では先発だったのに結局出遅れたことになる。もっと言うと、Uberはアメリカで事業を開始した当初からこの方式だった。
アプリ加盟会社で1つのシステムを汎用的に利用でき、迅速に配車を決定できるというメリットがある。
2019年の1月に「JapanTaxi Driver's(以下ドライバーズ)」という乗務員向けのシステムが開発され、1年ほどかけて都内の日本交通グループ全車両に導入された。帝都自動車やイースタンモータース、また他県事業者などといった従来からのJapanTaxi加盟社でも導入が進んでいる。これで、注文から配車成立までを同じJapanTaxiサーバーで行う(=各社の無線システムを通さず各車両に直接配車要請を行う)こととなり、先述した問題はかなり軽減された。(同時にGPS取得精度も改善され、逆から呼ばれることは少なくなった)
導入はJapanTaxi㈱が予めアプリをインストールしたAndroidタブレットを加盟各社に販売するという方式で、DiDi等も同じである。
JapanTaxiはUber方式では出遅れたが、後発の利を生かして「複数台に配車要請を行う」というシステムを取った。いずれの方式でも、コンピューターが最適と判断した1台を決めて配車要請を行うことには変わりないが、実際はその判断が正しくないこともあり、何らかの理由で配車要請が無視されることがある。こうなると、車両決定までの時間が延び、お客様にご迷惑をおかけしてしまう。何台かに配車要請をすればどれか1台は受けてくれる=お客様視点での成立率はほぼ100%になる…という具合である。
これまでは【配車要請→了解→迎車進行】という流れだったが、ドライバーズの場合は【配車要請→了解→当選→迎車進行】となった。
車種よって違うが、ジャパンタクシーの場合は運転手から見て左に通常のカーナビ、右にドライバーズが設置されている。普段は通常のカーナビだが、配車要請が届くと通知音が鳴り、画面に大きく「了解」ボタンが表示される。ただし先述の通り複数台に同じ配車要請が届くため、一番早く了解ボタンを押した人が配車成立(=当選)となる。了解しても当選しなければお客様の情報は確認できない。ドライバーズに送られてくるのはアプリからの即時注文のみで、電話注文や時間指定予約などは従来の配車システムで届く。
無視してもペナルティはないため、渋滞していたり右左折の途中でお迎えに上がれなさそうなときは他の車に任せるつもりで気軽に無視できるようになり、乗務員、お客様共に負担は軽減された(と思われる)。ちなみに当選数にかかわらず了解数が多いとインセンティブがあるが、割愛。
通知が届くのは、5~7分以内にお迎えに上がれそうな車のうち4台前後だが、繁華街など車両密度が高い地域では早押しに関係なく一番近い車に決まると噂されている。周辺台数が極端に少ないと、アプリ注文でも従来の配車システム(=乗務員は原則無視できない)に回される。ドライバーズ経由で配車要請がかかっても全員無視すると、お客様にはもう一度アプリを操作して頂く必要がある。
何としてでも無線を取りたいがあまりに、ドライバーズタブレットに連打器を付けて早押しに勝とうとする人まで出て来たが、正式に禁止された。(連打器=もともとスマホゲームでズルするために使うもので、SMATCH http://www.zaurus.jp/special/smatch/ が有名。)
事故ったとか、目の前に手を挙げている人がいるとかの他にも、色々ある。(注:アプリ注文も電話注文も「無線」です)
とはいえ、繁華街の無線は長距離利用も少なくないし、会社の方針を尊重する聖人、蓼食う虫になる人、クレーム万歳な人、色々いる。時間帯やその時その時で判断は変わってくる。私も歌舞伎町絡み以外は基本的に全て了解している。
以前の記事でも槍玉に挙げた「必着スマホ配車」は値上がりした。従来、時間を指定して注文する場合、追加料金はアプリ予約が420円(即時注文と同じ金額)、電話予約が840円となっていたが、今年の4月からアプリ予約でも840円となった。
アプリ予約が嫌われていた理由は以前も挙げたとおりだが、要は1乗車にかかる時間に対して営業収入が低く、かなり効率が悪かった。時間指定予約は20~30分前から車を拘束するのと、JapanTaxiアプリでは日本交通しか受け付けていなかったため(他社は合意が得られなかった)、朝は車が足りなくなることが多かった。しかも迎車料金込みで1500円を下回る利用も相当数あり、会社としても結構な損害になっていた。更に、これが嫌で朝は無線を無視する乗務員も多くなるという悪循環に陥っていた。
アプリ予約を840円にすることにより、即時注文への誘導を図る狙いがあったと思われる。即時注文であれば1乗車の拘束時間が減り、日本交通以外の車も呼べるため、キャパに余裕が出る。また、ある程度拘束時間に見合う金額となるため、無線を無視する人も減ると思われる。
もう一つは、お客様が予定時刻に現れなかった場合、これまでは連絡が取れなくても20分までは待つということになっていたが、これが10分に変更された。この話はJapanTaxiというより日本交通だけの話になるため、割愛。
これといったオチはない。
タクシーアプリも人口に膾炙してきたのか、導入当初のようなトラブルは減った。また、アプリの利用者は明らかに増えており、無理に都心の繁華街に居座らずとも、流しでは確実に乗らない郊外でも十分仕事が成り立つようになった。都心での営業が確かに最も儲かるが、狂客との遭遇、空車同士の競い合いも多く、心身がすり減らされる。かといってそれを避ければ生活が傾く訳だが、郊外におけるアプリ配車がその間のちょうどよい落とし所となってくれた。特に今般のコロナ騒ぎでも収入の下げ幅を抑えられているのは、郊外でアプリを利用してくださるお客様のおかげである。
こういうやり方はベテラン乗務員には嫌われがちだが、わざわざ港区に行って週一で癇癪持ちにエンカウントするのは私には無理なのでこうしている。このやり方を続けるには、お客様にまたJapanTaxiを利用していただく必要があるが、私に出来ることといえば、積極的に了解して配車不成立を減らし、お客様に不便な経験をさせないことと、そして接客や地理知識を磨くことである。これらの循環でお客様に喜んでいただければ私も安心するし、心身共に健康な状態でこの仕事を続けることができる。(了)
植松の意見には正直同意する部分がある、って意見は事実上封殺され、「気持ちはわからなくもないが植松という『特殊なやべー奴』がやらかしたやべー事件」という論調がギリギリとなっている。だってそういわないと『特殊なやべー奴』の一味だとレッテル張りされるからな。
障碍者にも人権がある、これはとても当たり前のことだ、反論の余地はない。ニートにもKKOにも医療従事者にも風俗従事者にも芸人にも人権はある。ごく当たり前だ。「権利の範囲」についてはもめるところではあるが、ここではそこは論点にしない。ここでやるには不毛すぎる。
俺がまずいなと思ってるのは、植松の意見に蓋をして「障碍者に価値がないなんておかしい!」とキレイゴトをまといすべて植松に背負ってもらおうとしているこの状況だ。テロリストは世界を変えなかったという名言があるが、学びは必要だ。
俺が問題だと思う根源の思考は、「人間に価値がある」って考えだ。人間がいると、何が良いのだろうか?人間は自然を破壊するから無価値だとか、そういう話ではない。それでいうならこの地球だって、あったからと言って何がうれしいのだろうか?
人間に価値があると仮定したとき、じゃあその価値とは何を源泉としているのか?という話になる。だって価値があるなら、その価値ってなに?となるだろう。そうしたとき、「人の役に立つ」とか「人に好かれる」とか、そういうことが上がるだろう。自然を守るとかでもいい。でもそうすると、それに該当しないものは価値がないのか?という話になる。「価値があるから価値があるんだ」みたいな進次郎理論や、「いや誰もが何かしら価値のある行動をしている」という根拠薄弱な謎理論しかなくなるのではないか。その謎理論で納得できない場合、植松の思考に至ることがそんなに不自然で特殊なことだろうか?実際に手を動かすまで行くのは確かに少ないだろう。しかしそれは彼が『特殊なやべー奴』だったからか?彼と全く同じ経緯を辿る人間が、同じ行動に至ることはないのだろうか?その解明のために犯罪心理学者がいる。さっさと殺せという意見は感情としてとても分かるんだが、植松は植松だったから『特殊なやべー奴』だったから殺したのか、誰でもそうなり得ることだったのか、それってとても大事なことなんだ。対策の出発点になる。
人間に等しく価値があるとするのであれば、そうでなく、もう「無価値」だと言ってしまった方が良い。「価値」という言葉は、何かと比べることをどうしても誘発するだろ。ビルゲイツと高架橋の下にいる名もなきホームレスを同価値とは言えないだろう。そのうえで、人間には生存本能や欲求がある。それを満たしてくれる人間は「金」によって得をし、それによって本人もそのほかの人よりも「楽しく」「気持ちよく」生きることができる。無価値ではあるけど、人生には差がある。これは問題ないはずだ。ただその差を得るための努力の総数をすべて均一にすることは不可能だし、あまりにもひどい差で生存本能や欲求を過度に制限される場合、こういう者は救う必要がある。これは一種の保険だ。誰もが後天的に障碍を持つ可能性はある。そういう時に自分の生存本能や欲求を過度に制限されないために、そういう仕組みを作っておくことは必要なのである。プラスの差をたくさん作れる者から、マイナスの差をたくさん抱える者に分け与えることで、全体の生存本能や欲求を調整する。人間は誰もが無価値だけど、生存本能や欲求は現実としてあるので、最低限はみんなで守りましょうね、という理屈だ。感情としてかわいそうだからとかを乗せてもいいけど、それは悪い差別につながる思想だと俺は考えているのでお勧めはしない。
別に誰かを尊敬してもいい。たくさん尊敬されてもいい。しかし人間は無価値だ。その人はたまたま今の人間界で「合致」した人、もしくは努力した人で、そういう人たちが「得」をするのは何もおかしなことではない。しかしそれが人間の価値につながるものではない。誤解しないでほしいのは、「敏腕政治家が不倫したから価値があると思ったけど人としての価値はないね」とか「金で人の価値が決まるわけではない」とか「清い心の人は価値がある」とかいう話ではない。そもそも人間だれしもに価値がない。そういう話。
ニヒリズムとかではない。人間に「価値」を付けると、どこかで植松の意見には到達してしまうし、それは実際に同意の声が一定あった現実がある。キレイゴトでなく存在した。存在したものをしないというのは賛同しかねる。
不正に得をする奴を糾弾していいし、ありがとうと思っていいし、アイツ役に立たねーなと思ってもいい(倫理は置いて)。生存本能を脅かす戦争は愚かな行為だというのも全くおかしくない。でも、人間は等しく無価値だ。無価値だけど人間として生存本能があるから助け合って生きていきましょうね、と、そういう話。
無価値だから殺していいよ、ではない。なぜなら人間には生存本能や欲求があるから。あるものをないとするのは間違いだし、自分もだれしもいつ人に「提供」できなくなるかわからないのだから。
初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
ゲーム用にFacebookアカウントを適当な名前で作ろうとして、規約違反で停止されてしまった
もう1〜2年前のことだ
何度やってもアカウントは停止されたと出て、削除もできない
メールアドレスは無料でとったものだし諦めるが、携帯番号は解放してほしい 実名アカウントの方で必要になった時に使えなくなる
なんとかアカウントを完全削除したいと検索しまくるも結局出来ず、だった
が、先ほどスマホから実名で新しいアカウントを携帯番号で作ったところ、さくっと登録できてしまった
お?と思いつつ、停止されたメールアドレスも合わせて登録しようとしてみた が、こちらは停止されていると出て登録できなかった
同様の新規メルアドと同じ携帯番号で、前回ダメで今回通った、というと
実名でない入力だとFacebookはどこからか判断したということだよなあ
贅沢というより、無関心だしどーでもいいと思っている人が、特に企業トップや60歳以上の人に極めて多く存在する。
へーただ醤油塗っただけで金取るとは生意気なと思いながら試しに買ってきたのだがまあ減らない
めっちゃ入ってる感があるな
アラサーに足を踏み入れようとしていた数年前のこと、元友達であるマウンティング女を含めた小学校時代の同級生たちとよく遊んでいた。
当時の元友達は、仕事は契約社員でそこそこに頑張るに留めて実家で何不自由なく暮らし、プライベートでは旅行に行きまくり彼氏とも同棲目前の関係で、公私ともに順調そのものだった。
こちらとしては特にやっかむ気持ちもなく自然に接していたのだが、会話の中でどうも引っかかるようなことを言われることが次第に増えていった。
彼女はいつも私と二人きりになると、一緒に集まっていたプライベートが上手くいっていない同級生たちのことをこき下ろすような口ぶりになった。
例えば、婚活を頑張っているが結果が振るわない子や彼氏と不仲に陥っている子を指して、「あの子たちと私ではステージが違うからねw」と言ったり。
きっと当時の元友達は、彼氏から結婚を視野に入れた同棲話を持ちかけられていたことが余程嬉しかったのだと思う。
ちなみに彼女が小馬鹿にするようなニュアンスでそう話していた聞き手である当時の私には彼氏さえいなかった(笑)
私が猫を飼えば「またしばらくは彼氏できないねw」と笑い、ちょっとした身だしなみの抜けを目ざとく見つけると「そんなんじゃ彼氏できた時困るよ~」などなど、今思えば私自身ずいぶん彼女にマウント張られてたんだなあと思うようなことを言われてきた。
他にも実家の貧富の差や、学歴、容姿、スタイル、友達の数等々いろんなことでチクチク言われた。
他人にマウントを取るだけならまだしも、元友達は自己肯定感が異様に強く、いつも自信満々で且つ他人の批判を絶対に受け入れない女だった。
職場にTPOを考えない派手な格好で行って指摘されれば「きれいな子が華やかな恰好しているのが気に食わないんだと思う」と言ったり、カフェで大声で喋っていて注意されると「若い子の声は響くからねってお母さんも言ってた」と言ったり、自分の話ばかりで人の話を聞かないことを女友達に面と向かって指摘されると「あの子は私が男の子と遊んで楽しそうにしてるのが気に食わないんだと思う」などと、何の臆面もなく言うのだ。
あまりにもサラッと言われたので当時は聞き流していたが、今書いていて改めてすげーなと思う。
とにかく何でも「自分に対する批判=自分への嫉妬」と捉える女だった。
さらには、元友達の行動の動機のほとんどは損得勘定によるものだった。
友達が多いことがステイタスなので無節操に交友関係を広げるが、いざ結婚式等の冠婚葬祭に招かれると掌を返して厳しい取捨選択をする。
なんでも「私は友達が多いから自分の式の時に呼んでもいいと思える子の式にしか参列しない」らしい。
とかくお祝事に関してはシビアで、自分に戻ってくるアテが無い限り友人たちに何かしてあげるのは嫌なのだそうだ(アラサーのくせいに誕生日プレゼントを500円以内で済ませようとしたこともあったな)。
近しい友人たちのうち、彼女に結婚式の出席を断られた子が私の知る限りで3人いるが、そのいずれにもご祝儀だけでも渡すかお祝いのプレゼントだけでもするといったようなアフターフォローさえしないばかりか、出欠の返事をすっぽかす非礼ぶりだった。
特にここ1~2年の彼女のこうした行動は、もう自棄になっているんじゃないかと思うくらいひどかった。
そうして、当然私に彼氏ができた時も結婚する時も大した感慨もなさそうな反応だった。
ちょうど別の子の妊娠報告と重なったので、ひとまとめにして「おめでとー!」の一言のみで済ませ、その後集まってお祝いしようという話の流れには「私は最近海外旅行から戻ったばかりで金欠だからパス!」とのこと(笑)
散々周囲の共通の友人たちに対する失礼な態度を見せつけられてきたので別に傷つかなかったけど、もし彼女がこの先もこういうスタンスを改める気がないのなら、きっと苦労することになるだろうなとふと思った。
そもそも、自信満々のわりに顔はいとうあさこの若い頃を小奇麗にした感じなので特段美人ではないし、スタイルも抜群じゃないし、料理もできないし、仕事も非正規雇用だし、第一性格が悪い。
だからこそそれなりにちやほやされる時代にさっさと結婚すれば良かったのに、同棲までした彼氏には散々わがまま言って振り回した挙句、たった数か月で浮気されてフラれて実家に出戻ってきてしまった。
その後できた彼氏もイケメンで女の扱いは上手いが婚歴がない(結婚願望はある)アラフォー経営者という怪しい男で、遠距離恋愛をしていたがなかなか連絡が取れなかったり向こうのタイミングで急に会いに来たり旅費自腹で会いに行かされたりなどしていて、結局数か月間都合の良い女扱いをされただけでフラれていた。
このあたりでもうヤバいことに気づけば良いものの、彼女はまだまだ自分はイケてると思っているようで、今もインスタにバンバン遊び呆けている写真をアップする日々を送っているようだ(最近では飼い犬とキメ顔で映っているステイホーム写真にすり替わったらしい)。
とはいえ今年30歳。
周りの友達はどんどん結婚したりキャリアを積んだり、そうでなくても年相応に充実して地に足着けた生活を送っている子がほとんどなのにもかかわらず、彼女の過ごし方は大学生や新卒そこそこの若い頃と何一つ変わらない。
実家で家族とぬくぬく暮らし、家事もせず、仕事もお小遣い稼ぎ程度だろう。
今年の正月に夫と一緒に帰省した時に、地元で元友達とその家族が一緒に歩いているところに出くわした。
その時の彼女のひきつった笑顔と、さっさと立ち去りたそうにしていた様子は忘れない。
傷つきはしないが、彼女を特別敵視したつもりも嫌われるようなことをした記憶もない自分が何故こんな態度を取られるのかよくわからなかった。
彼女にとっては、いつからか私との友情は私を下に見ることができる状況でのみ成立するものになっていたのだろうか。
結婚報告した時の元友達の態度で「もうここで関係は終わりだな(向こうもそうしたいと思ってるんだな)」と思っていたので、その場は適当に挨拶だけして別れた。その後、一切連絡も取っていない。
彼女のような成長のない人間は、今後どんなふうに歳を取っていくんだろう。
自分の生き生きした若さに多大なる自信があって、それだけを頼りに生きてきた人は、この先の人生をどうシフトしていくんだろう。
特定の相手と深い関係を結ぶのも難しい質だろうし、許される限りずっと実家で子供の頃と同じように過ごすんだろうか。
余計なお世話だとも思うけど、正月に地元ですれ違った時、バリバリにオシャレしてお父さんお母さんと歩いている元友達を見て「この子の時間は止まってるんだな」と思ったのだ。
あくまで今までの彼女の生き方の総括を見た結果の感想であって、別に30過ぎて実家の両親と過ごすことが悪いと思ってるわけではない。
ただ、私は夫と一緒に帰省して、実家の両親に挨拶して義両親の家にも行って色々と気苦労も多かったけど、目先の楽しいことばかり消費して何も成長せず時間が止まっている彼女よりはずっと良いと思った。
例えば受講者の三分の一とLine で共謀しながら戦えばオケ。
何の対策もしていない残り三分の二の受講者を出し抜くことができるはず。カルテルカルテル。
楽勝A評価。
どんな授業か全然知らずに書いているけど。