イミフはアフィ貼ってないぞ
地方と東京だと圧倒的に東京の方が変な子供が多いことに気づいた
東京の子は金切り声で大騒ぎする(親が注意してもやめない)けど、地方に行くとそうでもない
東京の方が多そうな事象としては保育園のストレスとかを親にぶつけてるとか、東京の方が高齢出産多いから障害児が多いとか?と考えたけどそれなら政令市レベルでも同様だろうしなぁ
人口密度が高すぎると悪影響なのかね
同じ学校の年上のヲタクな彼女が時々家に泊まってて、ほどなく別れたけど
その彼女が置いてったパソコンのブックマークに残ってて、時々見始めたのが最初だった。
VIPってクソほど面白い連中がいる場所なんだって思ったし、VIPPERに混ざりたくて2ちゃんによく行くようになった。
もみあげには神懸かったネタスレが毎度毎度まとめられてて、その後嫌儲ができる切欠ごろのコピペブログ騒動でも、VIP内に一定のもみあげフォロワーがいて、ニュー速VIPブログなんかに比べて比較的叩かれてなかった記憶がある。
その頃のコピペブログっつったら、イミフ、アルファルファ、もみあげが俺の中でメインだった。
2010年頃までネットの世界のトピックになるようなことは、ほとんどもみあげから得ていたし
クソみたいにつまらんもみあがり高校とかのコメント覧で管理人を叩くのも、あのときは楽しかった。
クソコイが出来てからはクソコイのほうが面白く感じて、週一は見てたと思う。
何回か更新がへる時期を経て、俺もまとめブログヲチからしばらく離れたりしてた。
時々持て余したヒマを埋める時間に、またたまに見るようになった。
それ以前からネットでは中韓へのアンチ色が強い記事がコピペに限らず多く見かける感じだったけど
まぁご多分に漏れず、くらいの感じで、もみあげもそういうスレをまとめたりしてた。
あんまり偏った記事は為にはならんけど、韓国叩きくらいまでは普通にエンタメ的に楽しんでたと思う。
それ自体の善し悪しは、しらんけど。
どっかからか、その叩きの矛先は女叩きになってった。
その根幹はまん呼びが流行った5ちゃんだったんだろうし、その呼び方だけ考えれば同性愛サロンからなんJが面白おかしく引用しただけなんだろうし
女あるあるくらいで楽しめるものもあったから、気にならないケースもあった。
でも最近はさすがにひどすぎる。
このサイトが一定のPVを稼いでるとしたら、社会的損失だと考えるようになるくらい、偏った意見ばかりまとめるようになってしまって
本当に悲しいというか、むなしい気持ちが大きい。
世の中、多くの情報は娯楽と同化して、お金をかけずに得られるようになった。
そんな中で、誰かが気持ちよく読めることに特化した記事が生まれるのは、経済構造からしてやむないかもしれないし
そういう偏向的なメディアは、形はどうあれ昔から存在し続けている。
だが、かつて単純に娯楽だったその場所が、誰かのイデオロギーに支配されてしまった、と感じるような経験はしたくなかった。
でも、それすらも世の中において当然に起こることなのかもしれない。
俺は別に、懐古的にもみあげが昔のような在り方を取り戻すべきとは思わないけど
何かに染まってしまった娯楽なら、もうメディアとしての意義を果たすべく育つか
でなければ滅びて欲しい。
どちらかと言えば、ほかの偏向的なまとめブログも含めて、後者を期待する気持ちが強い。
俺のインターネット歴なんて、別に誰に誇るものでも、得意げに語るものでもないけど
インターネットという大きな枠自体は、社会的に必要であってほしい。
とにかく、俺は二度ともみあげを見ないだろうし、今何となくアクセスしてる人がもしいたら、何のために、誰のために娯楽であり情報を受け入れるのか考えて欲しい。
怪しまれてるのでは
うーん…
子育て・教育に関して中国と比べて中国の方がいいなんて「お前まじか…」って感想です
中国で働いてる方、生活してる方ってまぁ民主的な目線をしっかり持って育ってるから
「ウチの子はどこで教育受けても大丈夫でござい」って思ってるのかもだけど
どんだけ家庭が民主的でも
嫁の妊娠前後に上海移住の話を進めておりちょうど一年前までは現地での出産も視野にいれていたのだが
あいにく分娩予約が取れなかったことと、現地駐在の長い知人たちの反対にあい出産後に改めて移住することとなった
反対の理由の8割が「産院のサービスが比較にならないほど低い」ということだ。
「最悪のケースを想定しろ、やつらは必ずその斜め上をいく」
というのが20人中20人から受けた共通するアドバイスで、とうぜん家内もある程度の覚悟はしていたものの
それでも不十分なのだろうと思い至り東京での出産に切り替える運びとなった。
一方でもうひとつ予想外だったのは、日本での出産を薦めたすべての人たちが
と話していたことだった。
この点についてはなかなか疑問を拭えなかった。
なぜならここでは都心主要駅ですらホームと改札階の間にエレベーターがなく、トイレでおむつの交換台を見かけたこともない。
一級都市の、比較的外国人に対してオープンな上海ですら明らかに育児に対してのインフラ設計が不十分なのだ。
歩道はガタガタでベビーカーも押しずらいこの町で子育てがしやすいなんて(笑)、と嫁と話していたものの
次女が8か月になり移住して12か月が過ぎたいま、彼らの意図が良く理解できる。
エレベーターのないホームでは駅員ではない行きずりの人たちがベビーカーを運んでくれる
満員電車に乗ってもスペースを確保してくれる
子供が裸足でいると目の前からすごい勢いで走ってきたおじさんが靴下を履かせなさいと注意してくれる(足を温めないと風邪をひくという迷信?があるらしい)
こんなハートウォーミングな事象が「たまにある」のが日本だが、
この件
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180813120212
その点については正しい。
すべての親も理解していることだが子供の泣き叫ぶ声は例外なく迷惑なのだ。
そして親が子供の躾や面倒を「完璧こなせていない」」ことも許容しがたい要素なのだろう。
ただ、この「迷惑」や「不完全」を許容できない体質が今の日本人の病理だ
電気自動車メーカーのテスラが日本でModel Sの販売を開始した直後、よくオーナーズミーティングを開催していた。
当初のテスラはカーナビが無い、スーパーチャージャーの設置が遅れる、日本語入力に対応してないなど
高級車にしては完璧からは程遠い状態でそんな中開催されたオーナーズミーティングでは
当然のように、あれがダメだ、これがダメだ、なぜこんなことができない、ここはおかしいという話を
わざわざ全国各地から集まったオーナーたちがグチグチ言い合う会になってしまいお世辞にも気持ちのいい場とはいえない雰囲気だった。
そんな中、隣に座っていたインド人がぼそっと
「僕はこの車のこういう所が好きだ」
と呟いた。
すると少し離れたところに座っていたイタリア人が
「xxが素晴らしいよね、いままでにない体験だ」
と便乗してたたみかけた。
そこからは外国人たちが中心になってテスラの良いところを語り合う場になり
序盤に文句を言っていた日本人たちが少しバツが悪そうに発言を潜めてしまったのを今でも思い出す。
少し話が飛んでしまったが、
経済的に中国が成長したといわれている中、ぼくは現時点で日本が技術・サービス・文化、あらゆる側面で負けているととても思えない
去年流行った「深圳スゲー」ブームも実態を知らない一見様の盛り上がりでしかなく
依然中国の産業は「小さく、速く作る」ことの循環の上にしかない。
ただ、この「小さく、速く作る」サイクルが異常なまでに速い。
エラーもたくさん起こる
日本なら低評価コメントが荒れ狂い袋叩きに会うだろう、アプリばかりだが
「こんな所が好きだ」の一言が寄せられてクリエイティブはサイクルする。
新規市場において日本が中国に対して劣っている"ように見える"のは、現時点で一点、寛容性の欠如に他ならない。
どんな分野でも同じことだが、急成長というのはストロングを伸ばすことであり、ウィークを潰すことでは起こりえない。
それこそ子供の泣き声すら許容できないほどに。
みんなうっすらと気付いているのだが、これからはそれではいけない
みたいな軽やかさから世界的なブランドが生まれているのが事実だ
昨日見に行った映画は総製作費200万円らしいけど最高に面白かった。
ファミレスで1000円払ったら子供はうるさかったけどハンバーグがうまかった、とか
そんな心構えでいよう
<追記>
思わず長文になったけどタイムリーな話だし書きたくなった。勘弁して。
なるべくしっかりした作りのマンションを選んだつもりだったけど
意外に天井・床が薄かったのか上の階の、おそらく子供のものと思われる足音がすごいのなんのって。
「ドスドス」っていう普通に歩く音じゃなくて「ドダダダダダダ!!!」みたいな。
どうやったらそんなリズムで音でんの?みたいな。しかもそれが20分とか30分とか続くんだよ。
さすがにイライラして仕事にも集中できないし、ハズレ部屋引いたなー、とか
もっとよく下調べしときゃよかったとか、最悪もう一回引っ越すかまで考えてた。
そんな中、数週間くらい経ったかな。イライラもそろそろピークで
もう数日も騒音が続くようなら管理会社にクレーム入れようと思ってた頃
長年の友人で、下世話な言いまわしになるが世間一般的には立派と言われるような職に就いており
俺にとっても常識があって信頼できる夫婦。子供が3人。たしか4歳・2歳・1歳ぐらいの構成だったと思う。
もちろんそのときも連れてきた。
そしたらもう、すごいのなんのって。
うちの新居はリビングに2部屋隣接している構造で、仕切りを開けると結構な広さになる。
奇声を上げながら延々と同じ場所を3人で走り回る。
マジで延々。すげぇ体力。
友人夫婦は要所要所で「ほら!静かにして!」とか「ちゃんと座りなさい!」とか注意・叱責し
おやつやオモチャを与えてみたりテレビで好きな動画を再生してみたりするも、5分と持たずまた暴れだす。
せっかく会いに来たのに、効果のない叱責をずーっと続けるのも不毛。大人の体力も持たない。
途中からは「うるさくてごめんねぇ…」「いいよいいよ苦笑」というやり取りをしながら、半ば放置。
2時間くらい放置してたら子供たちは疲れ切ったのか3人とも汗だくで爆睡。
奥さんが「寝顔はかわいいんだけどね…」とやつれた顔で言っていた。
子供3人もいれば当たり前だが、普段の生活も相当ハードらしい。
「噂には聞いてたけど、たしかにこれは制御不能だわ。大変だろうな」くらいのものだった。
いままであまり子供に接したことがなかったので面食らったものの
何か考え方が劇的に変わったというような実感はもちろんなかった。
それ以降、上の階の騒音が気にならなくなった。
マジだ。信じてくれと言うしかないが創作ではないです。マジなのです。
もちろん聞こえる。聞こえるんだけど「嫌悪感」がない。
特にイライラしない。仕事も別に支障なく進む。問題ない。ホントに不思議な感覚だ。
大半の人には理解されないんじゃなかろうか。「はぁ?」って言われると思う。
以前までの俺は、
「上の階の親は騒音を出すことを、悪びれもせず、開き直って、子供を走らせている」
もしくは
「下の階に騒音が発生していることに気付いていない」
この2つのどちらかだと思っていた。しかし友人夫婦の子供たちを見てからは、
「上の階の親も、騒音に気付きながら罪悪感を持ち、対策を努力しながらも
と考えるようになった。走り回る子供たちの足音のリズムが騒音と同じだった。
上の階の、顔を会わせたこともない人と、やつれた顔で謝罪する友人夫婦が重なった。
こちらの受け取り方が大きく変わった。
状況をイメージする材料が揃い、許せるか、許せないか、が180度変わった。
皆さんはこんなことはよくあるのだろうか?少なくとも自分にとっては結構な衝撃があった。
正直、お恥ずかしい話だと思っている。
今まで自分は、イメージや感情に流されず、事実から冷静に物事を判断していると思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、ちょっとした感情の差に振り回され考え方をゆがめてしまう
さて、結論として勘違いして欲しくないんだが、子供の騒音を許せと言うつもりはない。
たしかに子育ては大変だが、状況によってはクレームをつけなければいけない場合もある。
タイトルにしといてなんだが、寛容不寛容みたいな合言葉だけでは解決しない複雑な問題だろう。
ましてや「俺みたいな考えをしろ!」などと押し付けているつもりもない。くれぐれも。
俺のケースは一般化できるものじゃないと思うし、正しいかどうかもわからない。
こういうことがあったと報告したかっただけだ。
ただ、一つ悲しいのは、議論が噛み合わず、嫌悪が増幅されること。
例えば、以前の俺と現在の俺が別の人格で、上の階の騒音について議論したとすると
「なんて我儘な奴だ。全体のことを考えていない。あいつは頭が悪い」って
両方が言う。間違いない。両方自分なのに。
ブコメやTwitterの様々な議論を見て、もちろん建設的な話をしてる人もいるんだけど
一部、お互いのポジションに対して嫌悪を助長するようなことがあれば
今よりもっと、子供に不寛容な人を許せなくなるんじゃないかと思う。
それはそれはちょっと悲しいことですね。
先日友人と二人で行き付けの居酒屋でご飯を食べていたら、隣の男二人組が相席を求めてきた。一人は塚本高史のようなチャラ男のイケメンで、もう一人はドランクドラゴンの塚地のような不細工な男性だった。暇だったのと、ご飯代を出してくれると言うので話しに乗ることにした。二人組は33歳。私達よりも9歳年上だった。
チャラ男は見た目通りチャラかった。塚地似はそんなチャラ男のチャラいエピソードと自分のモテなさの比較で笑いを取っていた。そして、今まで自分が女性にどんな酷い目にあってきたか話すので、同情してしまい、いい人だと思った。
飲み会が終わり、LINEとFacebookを交換し店を出た。家に帰るとLINEが来てて、チャラ男からはまたご飯行こうとシンプルなお誘いメッセージ。塚地似からは私の容姿を大げさに褒めるメッセージと一緒に今日の楽しさの感謝のメッセージがつらつらと書かれていた。何回かLINEを往復したが、塚地似からは誠実でまめで優しく情熱的なメッセージが何通も届いた。うっかりときめいてしまいご飯に行く約束をした。
ある日、一人でその居酒屋にご飯を食べに行った。大将とは顔見知りでカウンター席で話していた。チャラ男と塚地似も常連らしく、大将にこの間のことをからかわれた。そして、塚地似には気をつけろ。といった。
塚地似は女癖が悪く、出会った女にまめに誠実そうに口説き、何回かセックスした後に捨てるという事を繰り返しているらしい。女は最初の誠実さと酷い仕打ちに耐えられず、高確率でメンヘラ化するらしい。それだけならまだしも、3ヶ月前に上司の娘と結婚したばかりだという。それなのに、女癖は治るどころか酷くなっているらしい。
話しを聞いて引っ掛かりそうになった自分に情けなくなったし、塚地似に猛烈に腹がたった。不細工なのに調子に乗っているからだ。不細工から誠実さを抜けば不細工が残るだけ。誠実で真面目であるからこそ不細工にも恋愛を享受できる権利が与えられるのではないか。と思った。
大将いわく、チャラ男の方は彼女がいないときは色んな女の子に手をだすが、彼女がいるときは一途だそうだ。
イケメンはチャラくても良い。イケメンなのだから。遊ばれたって顔がよければ納得できる。
誠実なフリした不細工は許せない。性欲が有り余った不細工は一人の女で我慢できないのなら24時間オナニーしていればいい。
もう二度と不細工な男の誘いには乗らないと決めた。誠実そうでまめな不細工は遊んでいるし、誠実でもまめでもない不細工には存在価値など無い。
普段上から目線でブコメしてるくせに、自分のブログに上から目線で批判されたブコメついたら発狂するやつなんなん
人にされて嫌なことはしちゃいけないとか、やっていいのはやられる覚悟があるやつだけだとかあるじゃん
やりっ放ししたいんだったら増田に書こうや
まず俺からな
この灯籠は触ると不幸になるやら、取り壊そうとした事業者に不幸が降りかかったやらで明らかに交通の邪魔になる場所に不自然に設置されていた。多分、ググると出て来る。
これは呪いの灯籠を実際に触った友人の話。
彼はオカルト否定派で、毎日灯籠に触れていた。アホだと思うだろ?オカルトなんて存在しないから触れると言っていた。
でも不思議と彼には不幸が起こらなかった。
そんな奴がいると触発されてみんなで触ろうと言い出す奴がいるわけだ。
でも俺はオカルト肯定派でビビリだからその友人とあとの仲間3人が触るなか、絶対触らんぞ!と言って触るのを拒否したわけだ。
で、仲間三人は1人は家が火事して、右手が3年間使えなくなる火傷を負い、もう1人は母親が自殺をして、もう1人はトラックにおかまを掘られて命より大切と豪語してたランエボが一発廃車した、が本人は打撲程度で済んだけどな。
流石に笑えなくないよな?
俺は触らなくてよかったなって今でも思ってるよ。
そして、それから4年たち、その灯籠はついに取り壊されたんだ。
今のところ事業者になにも不幸は起きてないという話だ。
でも、そういうわけにはいかない。
毎日触れてた友人は触れられなくなってから、勤めていた会社が業績不振で転職を余儀なくされ、婚約相手が大病になり婚約破棄、可愛がっていたペットの猫が車に跳ねられたわけさ。
俺は今でも思うんだけどさ、仲間の三人にかけられた呪いってさ、実は灯籠が友人の不幸を吸い取り、他の人に与えたんじゃないかって。
1歳になったばかりの子を育てているけど、増田と同じ気持ちになること多い〜
仲の良い描写はデレステではちょこちょこあるがモバマスでは一度も絡んではいない(ユニットがない)。
加えて橘ありすは文香だけでなく「みんなの妹分」的に色々な所で登場している。
その上で「ありふみのせいで」というのであれば、二次創作の見過ぎだ。
そろそろ30になる今日このごろ。大人になって初めて恋をしてしまった。
最後に恋をしていたのは、小学4年生のころ。毎日暇さえあれば、好きな子のことを考えていた。何度か一緒に遊んだこともある。最終的には何もなく、僕が転校したので、それで終わった。
思春期に僕を待っていたのは、恋ではなく、ワキガだった。内気ではあるものの、それなりに楽しく過ごしていたつもりだったが、ある時「お前ワキガだもんな」と言った友達がいた。周りにいた他の友達が一斉に黙った。ワキガという言葉は知らなかったが、なにか良くない意味であることは分かった。またシチュエーションから、それがワキに関することであり、ニオイに関することであることも察せられた。その時急に思い出されたのが、中学入学と同時に母から渡されたエイトフォーのスプレー缶だった。よく分からないものの答えが、頭の中で繋がって、僕は戦慄した。
目立っていじめられることはなかったが、一部にはワキガだのくさいだの言って笑う人たちがいた。悔しいが仕方がない。内気な僕では、道化になることもできなかった。
はたして僕はワキガのことが嫌いになった。この日本では、ワキガというのは異常な体質であって、嘲笑され、疎まれ蔑まされることはあっても、褒められることはない。そんな僕を好きになる人があるわけがないし、ワキガであることを隠し通せるものでもない。鼻の利かない人をなんとかつかまえたとしても、生まれてくる子供は50%、あるいは75%の確率で憎むべきワキガだ。
畢竟僕は世間一般でいう生きている意味がない。誰のことも好きにならないし、誰からも好きになられない。唯一僕を好きでいる人は両親くらいだろう。だから彼らが死んでしまうまでは生きていようと思った。
社会人になって、まずワキガの手術を受けた。というのも、ワキガのニオイのもとであるアポクリン腺は、成長期に増えるものであるから、あまり早くに手術を受けても、結局増えてしまう。ある程度成長してから摘むのが良い。これはなかなか素敵な手術で、皮膚の隙間にメスを入れて、アポクリン腺を除去する。傷は目立たないという人もいるが、普通に色素沈着するので、今でもありありと手術したことがわかる。麻酔が切れるととても痛かったが、保険適用の手術なので、両脇で5万程度しかかからない。ワキガ手術には保険が適用される。それが日本人のためになるからだ。
おかげさまで、今では人間のような顔をして生きている。しかし遺伝子自体はワキガであり、また、ワキガ体質であれば、ワキ以外にも全身にアポクリン腺はあるので、たとえば胸や陰部からは、いまだにワキガのニオイがする。
結局僕はワキガであり、日本の社会通念上必要に迫られてケアを行っただけであり、人間のように誰かを好きになったり、好きになられたりすることはない。
そう信じてここまで生きてきたが、ここにきて様相が変わってきた。不覚にも人を好きになってしまった。これといった理由はない。普通に可愛いなと思っていたら、いつのまにかいつもその人のことを考えるようになってしまった。
こう言うのはなんだが、その人は僕より10以上年上で、そうなると自然、子供が難しい年頃である。すると、この人と結婚した場合、自然な形で僕は自分の遺伝子を後世に残さずに済む。大変失礼な話だが、これに気づいてからますます好きになってしまった。まるで僕のための人のような気がしてくる。
まあまあ、そうはいっても、と冷静な僕が口を挟む。僕のことを忘れたわけではあるまい。まず鏡を見てみろ。パサパサの髪質、すぐ脂の浮いてくる顔、じっとりとした一重まぶた、人参のように膨らんだ鼻、飛び出た頬骨、厚い下唇、白い斑点のついた歯、笑うとむき出しになる歯茎、削れてなくなってしまったかのような顎、いびつに大きい頭、対して華奢な肩幅、平均に満たない身長、曲がった背筋、不格好なO脚。お前はこいつと一緒にいたいだろうか? うーむ。いや、人間中身だ。そう、中身といえば、地方Fラン大学部卒の学力で、テレビを見ないから芸能・社会情勢に疎く、気の利いたことも言えず、頭の回転は遅く、嫌なことがあるとつい表情に出てしまうし、心に余裕がなくなってくると人にやさしくもできない。六畳の部屋に一人暮らし、何をしているのか知らないが、預金残高は200万しかない。おまけにワキガだ。手術で人間のフリをしているが、こいつに子供を産ませると、体感としてはほとんどワキガが生まれてくると思っていいだろう。子供には罪がないのに、不憫だね。
僕がもし会社の新商品で、これをお客さんに売らないといけないなら、まず、普通の方法では売れない。何か特典をつけてそっちで買ってもらうか、本来とは違う用途で活路を見出すしかない。はっきりいって、こんなものは売り物にならない。
これが僕の理性であるが、恋とは面白いもので、もやもやした気持ちは理性では抑えきれないようだ。仕事中も、家に帰ってからも、好きな人のことが気になって、本当に迷惑している。
にっちもさっちもいかないので、僕は市場原理に任せてみることにした。先述したように、僕の考えでは、市場には僕のニーズはまったくない。ただ、何らかの理由で誰かが欲しがれば、その商品には値が付く。じゃあそれでいいじゃないか。価値は僕が決めるのでなく、市場が決めるのだ。
そういうわけで、近い内に職場でこっそりと連絡先を聞き出す。頭の足りない僕が一生懸命考えた自然な方法でだ。そして食事に誘って、その食事中にデートの約束を取り付ける。これだけのことだ。僕がするのは湖面に石を投げ入れるようなもの。なにか新しい波が起こるかもしれないし、そっと静寂を取り戻すのかもしれない。うまくいって欲しい気もするが、すぐに拒絶してほしくもある。うまくいってしまったときに、ごみ商品を掴んでしまったお客さんを相手に、僕は商品の瑕疵を最後まで隠し通せるだろうか。