はてなキーワード: スクリーンとは
//ダイアログクラスにメンバ変数を定義 std::auto_ptr<CBitmap> m_pbmp; //bitmapを設定するメンバ関数 void C*****Dlg::Set*****Bitmap() { CDC* pDC = GetDC(); CDC memdc; memdc.CreateCompatibleDC(pDC); m_pbmp.reset(new CBitmap()); CBitmap&amp; bmp = *m_pbmp; bmp.CreateCompatibleBitmap(pDC, width, height); CBitmap* old = memdc.SelectObject(&amp;bmp); memdc.FillSolidRect(0,0,width,height, color); memdc.SelectObject(old); ((CStatic*)GetDlgItem(IDC_STAIC_*********))->SetBitmap(bmp); }
スクリーンと同じデバイスコンテキストとビットマップを作成し単色で描画している。描画し終わった後のSelectObjectを忘れてはいけない。
CStatic::SetBitmapに渡した後も実際に描画されるまでCBitmapの寿命を保証しなければならない。
そのためメンバ変数にCBitmapを持たせるがCBitmapが再利用を考慮していないという驚くべき仕様なので仕方なくauto_ptrでラップしている。
いい加減MFC滅びてくれないかな。抽象度が低すぎる。こんな記事自分のブログに書きたくないよ。
さらにVisualStudio 2005のauto_ptrのバグを見つけた operator = にポインタを渡すとおかしくなる。これは本来コンパイルエラーになるべきで代わりにresetメンバ関数を使用するべきだ。
修正するには<memory>ヘッダのauto_ptr_refのコンストラクタのひとつ上の行(642行目)に private: template<class T> friend class auto_ptr; を挿入する。
私はどっちかというとWindowsが好きだしMicrosoftが好きな方だ。だがWindows8、お前は駄目だ。
そりゃiPadが売れまくって羨ましいのは分かるし、MSがいくらタブレットOSを作っても誰も見向きもしなかったのは事実だ。だからといって、WindowsをタブレットOSにするのは暴挙としか言いようがない。
そもそもiPadが売れてWindowsのシェアが落ちているとしても、それは単にこれまでPCとは無縁だった層が新たにiPadを使うようになり、これまでのWindowsユーザーがiPadを追加購入しただけで、Windowsユーザーそのものが減ってるわけではないはずだ。iPadで仕事はできないからね。逆にiPadで仕事をするとニュースになるくらいだ。世の中の多くの人間がWindowsを使っている、あるいは嫌々使っている、あるいは使わされている理由、そしてそんなWindowsユーザーがWindowsに何を求めているのか、Microsoftは理解してるんだろうか? してるけど無視してるんだろうか?
世の中のほとんどのWindowsユーザーがWindowsを使う目的は、仕事でワードとエクセルとインターネットをするためだ(あとエロゲをするためだ)。ワードを開いて文書を書きつつ、分からない点をIEで調べ、Outlookで連絡メールを送る、そんなのがほとんどでしょ。画面の綺麗さなんぞぶっちゃけどうでもいい。むしろ殺風景な方が仕事してる感じがしていいじゃないか?
なのにあのMetro UIってなんだよ。あんな原色のオモチャみたいなインターフェースで仕事ができるかっての。アプリが一つだけしか開けない、それでどうやって調べものをしつつ文書作成ができるというのか。Windowsの"s"の文字が泣くよ。でかいモニタに一つのアプリを表示して、他の情報が見たければ切り替えろ(これ「スナップ」とか言ったっけ?そういえば訳語が思いつかないから一般ユーザーに丸投げしてたね。訳語すらすぐには思いつかないような操作がどうして直感的操作として受け入れられようか)とか、冗談もほどほどにしてほしい。
ああいうUIが生きるのは、解像度が限られた端末だけだよ。なぜ広々としたモニタを無駄遣いするのか。それが気に入らないならクラシックデスクトップを使え?何がクラシックだよ現役選手をいきなり骨董品扱いすんな。
それにオフィスにはタッチパネルディスプレイなんてないよ。入力はキーボードとマウスだ。一度あのMetro UIをマウスで操作してみてほしい。悲しくなるから。だだっぴろい画面の上、マウスを端から端まで動かして、点在するばかでかいボタンをぽちぽちと押す作業のむなしさ。メニューを出すにはマウスポインタを画面の端にくっつけて。ああ、マルチモニタ環境やリモートデスクトップ越しで死ぬほどやりづらいけど気にするな。スタートスクリーンのスクロールはホイールでできるよ、ただし横スクロールなのに縦に回す必要があるけどな。どや、マウスでの操作もばっちりやろ?
Win8が出ればタッチパネルディスプレイが普及するなんて寝言も聞きたくない。仮にそうなったとして、MSは我々にそんな苦行を強いるんですか?試しに目の前のディスプレイを指でなぞってみてください。3分で腕が痛くなるから。ジョブズもそう言ってたのにねえ。タッチパネルが実用的なのは携帯端末、タブレット端末、要するに本体を手に持って使うデバイスだけです。
WindowsにiPad的機能は誰も求めてないんだよ。iPad機能を求めてるWindowsユーザーはiPadを買うから。今目の前にあるデスクトップやノートPCでiPadみたいなことをしようなんて誰も望んでない。いくらシェアがどうあっても、MSはタブレットOSとデスクトップOSを完全に別物として出すべきだ。両者の操作体系は相容れないものだ。だいたいWin8のあの中途半端な融合具合を見ればそれは明らかであるが。タブレットOSとデスクトップOSが融合して嬉しいのは、スレートPC形態にもなるがキーボードを展開するとノートPC形態になるゲテモノPCだけ。そんなのがPCの主流になるという寝言もまた聞きたくない。
まだMetro機能を完全にオフにするモード(今のところレジストリの設定で可能ではある)がデフォルトなら許せるけども、そんな状態で発売されるはずがない。そんなことをするくらいなら最初からタブレットエディションを別に出している。なのでユーザーがMetro UIが統合されたWindowsを使いづらそうに使う光景が目に見える。自分でカスタマイズしてオフにすればいいじゃんという発想はPCに詳しい人のもの。ほとんどの人は与えられた状態をあるがままに受け入れ、そんなカスタマイズとは無縁ですよ。
それにスタートメニューを廃止した理由が「スタートメニューを誰も使ってなかったから」といけしゃあしゃあと抜かすところがまた癇に障る。なんでスタートメニューを誰も使わなかったのか、そしてどうすればスタートメニューが使われるようになるのか。考えもしないのか無視しているのか…。Windows用の人気ランチャの一つや二つ、触ってみればわかることなので無視してると考えるのが妥当でしょう。あるいはスタートスクリーンをごり押しするための言い訳。
スタートスクリーンで従来のアプリを選んでクラシックデスクトップで実行できるでしょ、とMSは言いたいんだろうけども、アプリを起動するたびにいちいち全画面がMetro Style Appとかいうオモチャみたいなガジェットで覆い尽くされると、それだけで思考が中断させられる。従来アプリのメニューが階層化されずフラットに展開されるので探して選択するのが大変とか、その辺は今後改善されるかもしれないけどあんまり期待しないほうがいいだろうね。
これはエクスプローラもそうで、「ツールバーやメニューバーを誰も使ってなかったから」という理由でリボンインターフェースを採用とか、なぜ使われないのか理由を全然分析できてない。ファイルをマウスで選択して、さあ移動しよう、という段階で、一度それは置いといてメニューをクリックしに行くのは不自然な動作だから誰もしないんだよ。そのままドラッグ&ドロップ、あるいは右クリックメニューで操作を選ぶのは自然だし不要なマウスの移動もしなくてすむから皆そうしてる。あるいはキーボードショートカットを使ってる。だからリボンなんてつけてもやっぱり誰も使わないのが目に見えてる。それどころかリボンUIは縦の幅を食うので、昨今の横に広いディスプレイと相性が悪いということも考慮してないのか無視しているのか…。
シェアの数字にこだわるあまり、ユーザー完全無視。いやまあそれでもWin8は売れるんだけど。そりゃお店でパソコン買ったらWindows入ってる世の中だからね。企業だってコストを考えれば今更LinuxやMacに総入れ替えなんてできないが、XPのサポートが切れるから嫌でもWin8を導入せざるを得ない。MSは分かっててそれをやってるからなお腹立たしい。PC初心者やWindowsを嫌々使ってるユーザーをこれ以上苦しめないでほしいものだ。
私は従来モードの設定(製品版で封印されてたらキレるな間違いなく)で使うからいいとしても、そういったユーザーをサポートするのも私なんだよ…。彼らは「できるWindows8」とか「わかるWindows8」とかに載ってるのと違う画面にされることを望まないんだよ…。
こちらに書くのが流行りのようなので、こちらに書く。単に外向けのブログがないだけなので、他意はない。
RubyKaigi 2011が終わった。まずはRubyのパパを始めとするRuby開発者のみなさん、そして参加者のみなさんに御礼を言いたい。何はともあれRubyKaigiは、Ruby開発者同士、Ruby開発者と利用者、Ruby利用者同士のコミュニケーションの場所であった。RubyKaigiは、主催者が企画した講演を参加者に聞かせるだけという、一方向な関係の場ではない。会期中に開かれる講演は撒き餌とか出しみたいなもので、それだけが主眼ではない。それよりも、そこで交わされる会話や議論が貴重で、それこそ、場を提供するスタッフたちが目指していたものなのだ。
そういった意味でも、RubyKaigi 2011は成功だった。重要な決定がなされたり、こうした機会がなければ決して会うことのない人たちが出会ったり、久しぶりの友人と再開したり、そういう場面を会場でいくつも見かけた。RubyKaigiであるからこそ出会った人が、RubyKaigiだからこその会話や議論をしていた。このような参加者同士のコミュニケーションがメッシュ状に展開され、構築されるトポロジーこそが、まさにコミュニティなのだろう。
角谷さんの講演は、そういった気分をよく表現していた。コミュニティは目に見えないものなので、これであると指し示すことができない。とはいえ、私たち個々のコミュニケーションから成り立っているということも事実である。だから、コミュニティを主語にしようとすると、それを構成する個々人のコミュニケーションへの構えを話すことになる。(この落差が誤解の元なのだが、それは別の話であるのでここには書かない。)
私がみなさんにお伝えしたいのは、RubyKaigiが現前してみせたコミュニティは、あなたのコミュニケーションへの構えに過ぎないということだ。RubyKaigiという奇跡的な場は終わる。でも、悲しまないで欲しい。あなたが感じたコミュニティの情熱は、あなたに内在している。なぜなら、コミュニティとは、あなたとあなた以外の人の間のコミュニケーションなのだから。
◆
最後に、実行委員や当日スタッフの皆さんにも最大限の感謝を贈りたい。それから、少しばかりスポットが当たることが少ない人を紹介させて欲しい。
まずは、高橋さんを紹介したい。高橋さんがRubyKaigiの方向性を決め、責任を担う。これがどんなに難しいことか、イベントを主催したことのある人間でしか分からないかもしれない。しかし、彼は最初から最後まで(最後と決めることも含めて)この難しい仕事を全うした。心から賞賛を送りたい。
そして、レオさん。彼はRubyKaigiを国際化した立役者だ。日本の開発者と海外の開発者を結び付け、国際的な輪を広げた。講演のスクリーンでの翻訳だけではなく、日本の開発者に海外の開発者を紹介したり、言語的な障壁を取り除くことに貢献した。彼の成し遂げた事は本当に大きいと思う。
あずみさんはずっと会計を担当してくれた。とても信頼できる人で、仕事が忙しい中でも手間を惜しむことなく、面倒で難しい仕事を丁寧に根気良くしてくれた。とても負担をかけてしまっていたので、ご迷惑をおかけしたのではないかと、ずっと心配をしていた。
他にも紹介したい人はいっぱいいるが、書きかけてあまりにも個人的なメッセージになってしまったことに気付いたので、割愛したい。もしも御縁がありましたなら、いつの日か、また、お目にかかりましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイトの感想も翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディア・プラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。
urlは以下の通り。
http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform
7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャル・アイドルの米国デビューを見に行った。彼女は市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。
初音ミクはアニメ・エキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスのノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。
ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバーをクローズアップした映像がスクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして、初音ミクです」。そしてバンド(ギター、ベース、キーボード、ドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女に拍手を送り続けた。
「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性が友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治とポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。
誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバターが存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。
大衆文化は政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界、クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術(ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラ)からなるメディア・プラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。
ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエア・パッケージの声として作られた。ボーカロイドはガレージバンド[音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業、クリプトン・フューチャー・エンターテインメント[ママ]が2007年、漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長、体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp
重要なことに、クリプトンは画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクターが彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?
ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオをオンライン投稿した。以来、日本の動画シェアサイト、ニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントがスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。
今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本のカラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンライン・サイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月、東京・池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループがボーカロイド関連の音楽、ポスター、DVD、イラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。
こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグ・ビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAはProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲームを作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルス・デビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義の世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。
ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入と商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。
だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間のセレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界に存在しているのではない。このウィキ=セレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間のセレブを白物家電のように見せてしまう。
この事実は民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。
クリプトン社長の伊藤博之は2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造性です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツを作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作者グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。
大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化は政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデルも提供してくれる。
アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティーを創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミク現象の持つCGM的側面については、外国人の感想でもしばしば言及されている。しかし、ワールドイズマインならぬWorld is Hers(世界は彼女のもの)と題された以下の感想ほど、このテーマを正面から丁寧に描いたものはない。CGMこそ「クリプトンが世界にもたらした最大の贈り物」との指摘はとても重要だろう。伊藤社長が主役を演じる世にも珍しい感想、という面からも一読の価値はある。
urlは以下の通り。
伊藤博之は自ら説明しようとしていた。
「ヴァーチャル・アイドル」初音ミクを生み出した企業、クリプトン・フューチャー・メディアのCEOとして、伊藤は人で溢れる大衆文化のバンドワゴンの運転席に座っている。そして誰もが興奮しすぎる前に、彼は人々にこのバンドワゴンが何であるか理解させたいと望んでいた。
「初音ミクは[一つの]ソフトウエアです」と彼は言う。「YAMAHAが開発したボーカロイド技術を使ったものです。[ボーカロイドは]歌声を作り出すエンジンで、我々はYAMAHAからその技術に基づく製品を開発するライセンスを得ました」
言い換えれば、ミクのファンであると公言することは、KorgのTritonキーボードあるいはフェンダー・ストラトキャスター・ギターのファンであるのと似ているのだ。君が応援するのは楽器――PCにインストールしなきゃならないうえに箱にはアニメ風のイラストが描かれているが、でもやはりそれは楽器だ。おまけにボーカロイドというブランドネーム自体はミクや彼女の華やかな友人たちに帰するものというより、むしろ彼らを動かす音声合成エンジンを指している。文字通りに取れば、「ボーカロイドのファン」であるとは、特定ブランドのギター弦のファンであるのと同じである。
だが誰がそんな言葉遊びを気にするだろうか? どんな新興サブカルチャーでも、言葉に独自の意味が付きまとうのは普通である。今日では「ボーカロイド」はそのイノベーションから花開いた仮想世界全体を示す言葉となっている。ボーカロイドとは作曲家がそのソフトを使って自宅スタジオで作り出した無限のレパートリーを持つ曲のことである。ボーカロイドとはそれぞれの曲に対応する画像と動画のギャラリーである。ボーカロイドとはそれらの画像から生まれたあらゆるミームや粗筋である。ボーカロイドとはそれぞれ特有のボイスバンクを象徴するキャラクター群のことである。そして誰であれアニメ・エキスポに参加した者ならこう言うだろう。ボーカロイドとはそれらキャラのあらゆるバリエーションを含む姿にドレスアップしたファン層である。
これこそがクリプトンのマーケディング・ディレクター、佐々木渉すらも驚かせた口コミ波及効果だ。彼は「ユーチューブやニコニコのような動画シェアサイトを通じて[ボーカロイドが]利用されるやり方」に驚いたと話す。「これらのサイトを使って、本当に口コミで仲間の間に広がっていきます。本当に過去に例を見ない[方法で]様々な国で人気を得ています」。つまり、本流エンターテインメントの大半が今なお企業の重苦しい手によって運営されている一方、自力推進型であるボーカロイドの本質はあらゆるものをひっくり返したのだ。
「ある意味、こんな現象相手に取り組む最良の手法を見つけるためもがき続けてきました」と佐々木は話す。「ファンからのフィードバックを得るのが最良だと我々は信じてきました……いかに物事に対処するか、ファン層にとって最もよいことのためにどうするかを。急いで金儲けしようとは思っていません」
クリプトンは、当時まだMP3ですら未発達の技術であり、ユーチューブ誕生に10年も先行し、そしてあらゆるものを可愛いアニメ少女に擬人化するアイデアがまだ急増していない1995年に設立された。「我々の目的はそもそもボーカロイドを仕事にすることでも、[音声合成]ソフトを作ることでもありませんでした」と伊藤は話す。「クリプトンは音全般――音と関係するソフト全てを取り扱う企業として設立されました」
もし伊藤を冗談めかして「ミクのお父さん」と呼ぶのなら、彼女の祖父母は最初のボーカロイドエンジンを2003年に発表したYAMAHAの面々となるだろう。「そうした技術が存在することは知っていましたし、それを使って何かできることがあるんじゃないかと思っていました」と、伊藤は当時について話す。「我々は既にYAMAHAと係わり合いをもっていましたので、彼らと連絡を取りそこから製品を作り出すことができました」
だが、あたかも完成された合成音声で歌う天使の形でミクが天から降臨してきた訳ではない。彼女の根っこは、伊藤の説明によればとても粗末な形式の音声技術にまで遡ることができる。「日本では[音声合成]ソフトは結構一般的で、例えば駅などで使われています。そこでは列車の到着がアナウンスされたり、あるいは[乗車している場合]駅名が呼ばれたりします。自動応答システムを使う電話はボーカロイドによって動いています」(想像してほしい、ミクの親戚の一人がカスタマーサービス用の電話回線で働く恐ろしいロボ電話であるという事実を)
「当初[合成された]歌声を使うソフトは存在しませんでした」と伊藤は続ける。「そうしたソフトにどの程度の需要があるのか、私には確信が持てませんでした。というか、はっきり言うなら、PCに歌わせることができるソフトを作るのにどんなメリットがあるのか分かりませんでした」
この疑念こそが伊藤に次の手を講じさせた――それは最終的にはクリプトンの歴史で最も賢い一手となった。「2004年、私は最初の[ボーカロイド]ソフト、Meikoを作り、それに漫画風のキャラを付けました。ある人格が歌う[のを真似る]ソフトは人間にとって必要不可欠なものではなかったから、そうしたのです。人々にアピールし人々から愛されるようになるためには人間味を持たせる必要があると考え、そのための最適な手段が漫画風キャラのようなものでした。このソフトは結構いい成功を収め、そしてもちろん初音ミクの構想へとつながりました」
そしてその次に起きたことは誰もが知っている。
おそらく伊藤博之が成功した秘密は、クリプトン創業者である彼が音楽、サウンドエンジニアではなく、ソフト開発者ですらなく、何よりビジネスパーソンだった点にあるのだろう。伊藤は、あなたはミュージシャンではないのかと質問されると笑い(彼はミュージシャンではない)、自身が経済を専攻したことを認めた。「音楽とは無関係です」と彼は言う。「ボーカロイドのマーケティングに成功するうえで、私は自分が学んだスキルのいくつかを使ったと思います」
アニメ・エキスポ1日目のキーノート講演で、初音ミクとボーカロイド・カルトについてスライドショーを使った改まったプレゼンを始める際に、伊藤はビジネスマンとしての本領を発揮した。彼はまず自分が誰で彼の企業が何をしているかについて慣例となっている概要報告を行い、それから公式にクリプトンが制作しているボーカロイド「キャラクター」(あるいは、厳密に正確さを期するならソフトウエア・パッケージというべきか)の一覧を示した。
2007年8月31日に生まれた永遠の16歳、初音ミクは、今ではショーの目玉に位置している。人気で彼女に次ぐのは鏡音の双子、リンとレンであり、彼ら独特の黄色い装飾と少年/少女のペアは、ミクの緑と灰色と同じくらいコスプレ業界では至る所で見かける。だが音楽制作者の視点から見ると最も用途の広い声は2009年の製品である巡音ルカのもので、より深い音域と日本語及び英語で「歌う」能力を誇っている。何人かのファンは昔ながらのMeikoとKaitoの旗を掲げている。その声は旧世代のボーカロイド技術の上に構築されているが、今なおクリプトン・ファミリーの中心メンバーである。
クリプトン以外のボーカロイド・キャラもサブカルチャーの世界に入ってきている。たとえば声優中島愛のボイスサンプルに基づき、マクロスFのランカ・リーをモデルとしたMegpoidや、J-rockのスーパースター、Gacktの声を使ったGackpoidなどがそうだ。より進取の気性に富んだ人々はUtauloid(日本語の言葉『歌う』から来ている)と呼ばれるオープンソースの音声合成エンジンまでも開発しており、その中で最も有名なのはピンクの巻き毛をした重音テトだ。
音楽ソフトウエア・パッケージについて、それがまるで本物の人間であるかのように語るのは最初は奇妙に感じられるだろう。しかし伊藤が最初に作り出した時に予想したように、それこそがこのソフトをかくも魅力的にしている正体なのだ。これらのキャラがもたらした創造性は、伊藤がプレゼンで誇らしげに見せびらかした数字によれば、ユーチューブで36万6000件、ニコニコで9万2600件に及ぶボーカロイド関連動画へと結実した。
そしてこの成長するメタ=ジャンルからあふれ出したマルチメディアコンテンツもある。クリプトンが運営するウェブサイトPiapro(『ピア・プロダクション』の省略形)には、ボーカロイドに触発された45万を超えるテキスト、音楽、及び画像の創作物がある。さらに注目に値するのはクリエーターたちがどのように相互に刺激しあっているかだ。コンテンツを共有するポリシーの下、あるPiaproユーザーが音楽を制作すれば、別の誰かがそれを聞いて付随するイラストを描き、さらに別の人がその構想に従って短いアニメ動画を作成する。そこでは、サイトのルールに従い創始者を適切にクレジットに載せることだけが重要だ。
何人かのボーカロイドファンはアートの世界の彼方まで行ってしまい、エンジニアリングの成果をもたらした。最もよく知られているのは3DアニメーションプログラムのMikuMikuDanceで、初音ミクのキャラクターモデルを――実際にはどんなキャラクターモデルでも――特定の歌に合わせてリップシンクし踊らせることができる。より繊細な対象を扱っているのがVocaListnerで、本物の人間の歌手によるインプットを分析し、ボーカロイドプログラムのセッティングを自動的にその声にあわせて調整する。思いつきに過ぎない想像の飛躍ですら現実化し得る。初音ミクの動画「Innocence」で取り上げられた「Ano Gakki」(『あの楽器』)というニックネームで呼ばれている奇妙な見かけのタッチパネル式キーボードも、実際に使える楽器として再現された(それほど野心的でないバージョンならスマホ用アプリとしてダウンロードできる)。
これら全てが意味しているのは、ほぼ完全にファンによって運行される賑やかで創造性に富む生態系が存在するということだ。究極的にはそれこそクリプトンが世界にもたらした最大の贈り物だろう。初音ミクやボーカロイド・ソフトそのものではなく、それらが使われる方法こそがそうなのだ。企業という大領主によってではなく、消費者によって作られた完全なエンターテインメント形式。企業は僅かな道具と規則を与えるだけで、後は椅子に深く腰掛けて次に何が起きるかを見守っている。
それでもなお、ボーカロイド体験を活気づけるため企業が提供するイベントは多数ある。今年はアニメ・エキスポが日本以外では初となる「ボーカロイドのライブ・コンサート」ミクノポリスのホストを務めた。それはステージ上の綺麗なスクリーンに投影するCGIアニメーションでしかない(ほかならない)が、いい視野角と健全な猜疑心の保留があればそのイリュージョンはなお印象的になる。さらに感動的なのは、セットリストにある全ての曲が明らかにファンの作ったもの――クリプトンの地下室であくせく働かされるソングライターが大量生産した製品ではなく、本物のミュージシャンがボーカロイドという媒体を通じて自らを表現したものである点だ。
だがコンサートはどのような限界が残されているかも暴露した。ミクの魔法は左右双方40度以上の角度では働かなくなった。調整の効かないボーカルは、時に楽器の生演奏の下で迷子になっていた。そして音声合成技術のあらゆるイノベーションをもってしても、より繊細な耳にはなおミクが絞め殺されるようなロボットじみた変な声をしているように感じられた。でも、日本では生身のアイドルについてどう言われていると思う? 「アイドルは不完全であってこそふさわしい」。不完全さこそがミクをこれほど魅力的にしている。誰もが進行中の仕事に関与できるからだ。
どんな未来があるか、誰に分かるだろう? クリプトンは既に英語版の初音ミク・ソフトが開発途上にあることを約束しているし、日本では新しい改良されたボーカロイド・エンジンが開発中だ。それはつまり、韓国語ですら歌えるボイスバンクを含んだ新たなキャラの登場を意味している。クリプトンのオリジナル・ボーカロイド製品は、その声に新たな音色をもたらす追加物「アペンド」によって進化を続けている。そしてどこかで我々の誰にも知られていないマッドな天才が、ボーカロイドの世界を永遠に変えてしまうようなアイデアにおそらく取り組んでいる。
多くの人が知っているように、「初音ミク」という名は「未来の最初の音」をもじったものだ。だがボーカロイド文化が広がるにつれ、この名前はますます不正確になっている。彼女はもはや未来の音ではない。彼女はまさに今の音である。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人の感想。ミクノポリスを見た人は全てがボーカロイドを熱狂的に支持していた訳ではなかったようだ。あまりボーカロイドに詳しくない客もいたようだし、知識はあっても特にボーカロイドのファンではないという人も。以下の感想は「ファンではない」人物が書いたもの。コンサートを見てその心境にどんな変化が起きたのかを記している。
urlは以下の通り。
http://www.originalsoundversion.com/anime-expo-2011-hatsune-miku-mikunopolis-concert/
http://www.originalsoundversion.com/wp-content/uploads/2011/07/mikunopolis2011.jpg
アニメ・エキスポ終了から数日しか経っていないにもかかわらず、かのヴァーチャル・アイドルが西洋世界にどれほどの影響を与えたかは明白だ。クリプトンが開発したボーカロイド・ソフト初音ミクは、彼女の魅惑的な声を使った多数のアーティスト、各種フィギュア製品、及び最初の国際的体験として彼女をロサンゼルスへ連れてくるきっかけとなった日本でのコンサートと伴に、スーパースターの座へ登りつめた。
コンサートチケットは4日[ママ]で売り切れ、誰もがこの画期的なコンサートについて予想していたようにロサンゼルスのノキア・シアターはネギの形をしたケミカルライトで埋まった。私はこのコンサートに参加する機会を得た。ファンではない人間として、果たしてこのコンサートが初音ミクと彼女のヴァーチャル歌姫の仲間たちに対する私の見解を変えるかどうかに私はもちろん興味を持っていた。
コンサートはそれほどのものだったのか? 今や私は転向したのか?
ヴァーチャル歌手によるこのコンサートはどんなものだと思う? ステージの真ん中に置かれた3Dに見えるような投影スクリーンを使い、聴衆の前で歌い踊ることで初音ミクは命を得た。コンサートに参加した誰にとっても障害だったのは与えられた席の角度で、左側に座っている連中はミクが右側に動くと徐々に姿を消すように見え、劇場の右側に座っている連中には左側へ動くと同じように見えた。私は、エントリー画像に載っているチケットが示すのとは違って中央左側の最前列に座っていたため、少しだけそうした現象に気づいた。もちろん私は曲を聴くために行ったので、そのことについて余り深く考えなかった。
さて、では生きていない=ライブでない[non-live]声のコンサートは面白くなり得るのか? そうした問いは、予め録音した声を使い、歌手が声を切らすことなく踊りながらステージを行ったり来たりするコンサートについて、確かにちらほら耳にする。先行した日本でのコンサート同様、ミクノポリス・コンサートも演奏に生のバンドを使った。それに加え、弦楽器楽団も活用した。バンドの演奏は驚くばかりによく、単によくできたホログラフィーのお披露目を見るレベルを超えるうえでの助けとなっていた。
曲の多くは過去のコンサートでも使われ、SEGAのゲームProject DIVAシリーズに採用されているスタンダード曲だった。このコンサートは初音ミクのものではあったが、いくつかの歌は鏡音リンとレンの双子、及び巡音ルカを含む他のボーカロイド殿堂キャラが演じていた。自分はボーカロイド曲のファンに分類できないと思っているにもかかわらず、私は音楽に乗って足を踏み鳴らし手を叩くのを止められなかった。キャラと音楽の魅力が、おそらくコンサートで使われた技術によってさらに拡大されていた。
他に重箱の隅をつつくとすれば、伴奏が大きすぎてボーカルを押し流す場面があったことか。とはいえライブ・コンサートでは滅多に見られない訳ではない問題だし、私が見回したたびに確認した聴衆の熱狂から判断するにどちらかといえば些細な問題だろう。
他の記事が間違いなく言及するであろう個別の歌に焦点を合わせるより、コンサートは確実に見て楽しいものだったこと述べてこの記事を締めくくるとしよう。ディスプレーに映るキャッチーなポップ・ミュージックを楽しめる人なら、このコンサートをさらに満喫できるだろう。バンドの名演奏と一緒に流れる初音ミクのヴァーチャル・ボーカルは、音楽のレベルとしても間違いなく成功していた。
コンサートを聴きそびれた人には、このコンサートのDVD/BDが発売されるとの噂があることをお伝えしよう。この話と、英語版のボーカロイドソフト発売の話を並べれば、世の中のファンを興奮させるには充分だろう。果たしてこれは音楽の未来像なのか? 今はまだ分からない……
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブを受けた感想の多くは、初音ミク現象や初音ミクの海外進出などについて触れるのが主眼であり、ライブ自体への言及は意外と少ない。その中でも以下のエントリーはライブそのものに焦点を当て、その演出や音楽、聴衆の反応を報告している。既に日本からの参加者による様々なリポートが出ているが、外国人が見たミクノポリスを外国人向けにどう紹介しているかを知るという意味でも興味深いものである。
urlは以下の通り。
http://blog.animeinstrumentality.net/2011/07/anime-expo-2011-detox-and-brief-thoughts/
アニメ・エキスポ2011に関する私の第一報で言及したように、今年のミクノポリス・コンサートほど私を大混乱に陥れたイベントはなかった。ミクノポリス・コンサートは私の通常の経験領域を遥かに超えたものであり、そこから出てきた私の脳裏には回答よりも疑問の方がたくさんあった。まず、歌声合成を売り物にした演出の構想そのものが既に危険に満ちている。たとえ選曲が拙くなかったとしても、技術的な問題によってコンサート自体が台無しになるか、あるいは馬鹿げた振り付けによって、どんなボーカロイドのコンサートも決して完全にはなり得ないのではないか?
こうした質問に回答するうえで最も適切な人間とはいえない私は、おそらく聴衆の反応という意見に従った方がいいのだろう。私が見た限り、聴衆は完全に夢中になっていた。全体の意見はおそらく熱狂的な「イエス!」だろう。私が最初にいた見晴らしのいい張り出し席からは、聴衆が心から公演に参加し、そうすることによって彼ら自身の刻印をボーカロイド現象全体に刻み付けているのを見ることができた。コンサートの間、彼らはケミカルライトを爆発的なロックの時は熱狂的に、もっと優雅な曲の時はゆるやかに、あるいはミクや彼女の仲間たちが登場した時にはリズムなど気にもかけず興奮して動かしていた。
で、私は? どういうわけか私はヴァーチャル・ディーヴァという観念を完全に受け入れるための心理的ハードルを突破できなかった。他の多くのコンサートが有しているある種の感情一体化と同じものがミクノポリス・コンサートになかったのが問題の一部にある。と言うのはつまり、私が思うにこのコンサートに人々が参加し楽しんだ理由は一つだけではないのだ。
そこにいた人々はテクノロジーを目撃したのか? ミクと仲間たちが投影スクリーンを通じて生命を得るのを見るのは、一種のどえらい光学的な楽しみとして間違いなく極めてスリリングだった。聴衆に一息つくほんの僅かな余裕しか残さずに一つの曲から次へと素早く遷移したのは、目もくらむような効果をもたらした。ボーカロイド・キャラは、時に特定のキャラに対応した色の光の塊から実体化することで、興奮を高めた。例えばピンク色の光が巡音ルカのステージ登場の先触れとなったように。キャラの髪の毛や衣服が、彼らがステージで踊るたびにどれほど見事に揺れていたかに言及することなしに、技術面での議論を終えることはできない。中でも衣服は、懇願するような「炉心融解」の際にリンが身に着けていた黒と白のドレスや、「moon」でのミクの優雅な服装を含め、極めて魅力的だった。彼女らの服と髪はどれもキャラの動きと一緒に跳ね、揺らぎ、羽ばたき、その見栄え全てをまるで生きているかのように仕立てていた。もしテクノロジーの展示が目的なら、ミクノポリスは確かにこれらの高い期待に答えることで成功したと言えるだろう。
人々は単にミクと仲間たちを見に来たのか? それはおそらく最も説明力に乏しい説だろう。ミク自身は、その上にファンたちが彼らの(Kylaranが書いたヴァーチャル・ディーヴァから引用するなら)「歌や動画という形式の小さな物語を書き込み、それが回りまわって単なるキャラを超えた生命を彼女にもたらす」ための一片の白紙に過ぎない。ミクと友人たちが、いかに彼らの人格の多くをクラウドソーシングと数百ものその解釈から効果的に得ているかを見れば、何人かのファンは単に彼らの最も好きなボーカロイド・キャラに属するある特定の性質を見せる特定の歌を聴くために参加していることも充分にあり得るだろう。
だが私にとっては、焦点はもっぱら音楽にあった。つまり私がミクノポリスで主に注目したのは、たまたま情報伝達手段としてボーカロイドを使った作曲家たちのショーケースとしての音楽祭という側面だった。そしてこれまた、いかに多数の調べるべき曲があったことか! ミクノポリス・コンサートは23の楽曲[ママ]を含んでおり(文末にセットリストあり)、例えば古典的なryo(supercell)の歌「ワールドイズマイン」から、不明瞭な英語で歌われたwowakaの「ワールズエンド・ダンスホール」のような最近の曲まであった。ボーカロイドが人間を上回っている切れ味という点から、例えば「裏表ラバーズ」やcosMo(暴走P)の「初音ミクの消失」といった、どちらの歌も呼び物となっているミクが歌詞を速射砲のように歌う部分があり、どの人間にとっても明瞭に発音するには速すぎるため単なる人間には歌うことができないような曲の演奏を見るのも、一層興味深い。
しかしボーカロイドがステージ中央に陣取り注目を集めている一方、ミクと仲間たちを囲む人的要素の方が遥かに興味深いことに私は気づいた。コンサートの前に聴衆はダンスロイドによる型通りの演目を見たのだが、ボーカロイド現象が単にボーカロイド曲に合わせて踊るのが好きなだけのファングループを発生させたという事実に私は魅了された。彼女らが音楽に同期して動くやり方は、リズムとメロディーの視覚的側面をもたらし、歌を単なる聴覚上のものにとどまらずより多くのレベル全体にかかわるものとして表現している点で、実に楽しかった。彼女たちがコンサートの残り時間においてステージ近くにいなかったのは残念だった。人間のダンサーとミクが並んで演じる場面を見たかったのに。
ステージ上にいた人間の演奏家たちもまた素晴らしかった。ミクはエレキギター、ベース、パーカッション、キーボード、及び弦楽器の奏者たちを紹介するために時間を割いた。特にエレキギターはソロ演奏を通じてかなり目立っており、コンサートのボーカル部分からは失われていた名人芸の要素をもたらしていた。彼のリフは「StargazeR」の間奏において活力を高めるハイオクとなり、彼が見せるテクに私はずっと夢中になった。だが何より私が印象を受けたのは弦楽器とキーボードの編入だった。特に彼らが締めの「ハジメテノオト」で表現した驚くほど崇高なメロディーは、ボーカロイドの過去を作り上げてきた感情をもたらしながら、一方でその希望と楽観に満ちたやさしい音によって未来への道案内も務めていた。
そもそもこれほど多くのファンをノキア・シアターに連れてくるのに、唯一の尊大な理由があったとは思えない。テクノロジーの融合、キャラ/人格、そして丸見えになった音楽、さらにはその全ての体験が極めて刺激的だった。ボーカロイド技術はまだ音楽業界を支配するには程遠いし、そして現時点でのその化身は、まだ音楽の心臓部に横たわっている本物の人間ならではのある種感情的表現に取って代わる能力を持たない。これら全てを踏まえると、ボーカロイドはこれまでも、そして今のところなお、単に物珍しい存在にとどまっている。だが私は変化の地鳴りを感じている。予め歌声を調整された歌手の蔓延は、我々がヴァーチャル・アイドル界に後数歩まで迫っていることを意味しているのだろう。変化の風が人間の歌手を完全に吹き払ってしまうのか、誰にも分からないが、現時点で私はまだ人間の歌手が負ける方に賭ける準備はできていない。少なくとも今のところは。
1. Project Diva desu
2. ワールドイズマイン
3. えれくとりっく・えんじぇぅ
4. 恋スルVOC@LOID
6. ぽっぴっぽー
8. 裏表ラバーズ
9. パズル
11. 1/6
13. 初音ミクの消失
14. 右肩の蝶
15. 炉心融解
16. Just Be Friends
17. ワールズエンド・ダンスホール
18. from Y to Y
19. サイハテ
21. SPiCa
22. 愛言葉
24. ハジメテノオト
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初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
今回はアニメ・エキスポ関連サイト、INSIDE AXに載っていたエントリーを紹介する。サイトがサイトだけにミクノポリスだけでなくアニメ・エキスポ全体に目配りしている、というかむしろミクノポリスよりその前に開かれた2つのパネル、「ミク・キーノート」と「ミク・カンファレンス」に関する記述の方がずっと長い。パネルの内容に関心がある人には参考となるだろう。また、コンサートで席の位置が残念だった人の感想という意味でも興味深い。
urlは以下の通り。
http://inside.anime-expo.org/ax-scoop/2011-07/ax11-mikunopolis-impressions/
ヴァーチャル・アイドル初音ミクは今年、ロサンゼルスのアニメ・エキスポ[AX]2011で米国デビューを果たした。私たちAX関係者も多くの皆さん同様、彼女がノキア・シアターで演奏を行い、彼女の製作者であるクリプトン・フューチャー・メディアとボーカロイド楽曲Pの小林オニキスがパネルを主催するという話に興奮した。私は前に初音ミクの歌う曲を少しだけ聴いたことがあったが、決して特別な印象は受けなかった。でも、ミク・キーノートとカンファレンスを聞いた結果、当初考えていたよりも多くのものをこのヴァーチャル・アイドルに見いだしたことに私は心地よい驚きを覚えた。
[アニメ・エキスポ]初日、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長と福岡俊弘(Tokyo Kawaii Magazine編集長)が主催するミク・キーノートが開かれた。伊藤はまずクリプトン・フューチャー・メディアの簡単な概要を説明し、Tokyo Kawaii Magazineが作った初音ミクとハローキティのコラボレーション(ミクキティ)を含むミクに関する少しばかりの告知を行った。ボーカロイド作品の歴史も簡単に論じられ、なぜソフトウエアのためにキャラが導入されたかも説明された。おそらくパネルで最も面白かったのは、ボーカロイド曲制作者の公式コミュニティーであるウェブサイト・ピアプロを巡る議論だろう。利用者は音楽をアップロードでき、しばしば音楽業界外部の様々な企業、例えばファッションブランドなどとコラボレートしている。伊藤は、ミクの人気がボーカロイド曲の作り手及び絵画や音楽ビデオなどの制作を助ける献身的なアーティストによって駆り立てられていると明かした。感染力のあるミク曲のビデオは、ミク人気の中心的役割を果たしている。初音ミクの製作者[伊藤社長]は多大な努力を払ってファンが何を必要としているかに耳を傾けており、ボーカロイド曲をリコメンドするMikubook(7月1日から始まったが、現時点ではベータ版である)という新たなサービスの開始も発表した。利用者はフェイスブックやツイッターからログインできる(ざっとサイトを見たけどとても素晴らしい! 今も文章をタイプしながらそのサイトの曲を聞いている)。伊藤はまた同じ声優[歌手の間違いか]を使った多数のデータベースを持つKaitoアペンドの計画も明らかにした。最後に、ボーカロイド・ソフト初音ミクを使いたいと望んでいる人のため、クリプトン・メディアの素晴らしい人々が英語版作成に力を注いでいる。伊藤はクリプトンの将来の目標は他の言語へ拡大することだと指摘した。
ボーカロイドのファンはアニメ・エキスポ2011で、1つではなく2つのパネルを味わうことができた! 2日目に開かれた2番目のパネルは、小林オニキスとクリプトン・フューチャー・メディアのマーケティング・ディレクター佐々木渉が参加したミク・カンファレンスだった。2人は小林がどうやって彼のヒットソング、サイハテを制作したのかと、初音ミク英語版に対する人々の関心度合いについて話した。佐々木は、ミク英語版で英語ボーカロイドソフトの品質を高めるためより多くの音素パターンを録音していること、及びもし販売が好調なら将来はアペンドソフトの追加も考慮することを明らかにした。一つ明らかになった特に興味深い事実は、ボーカロイドソフトには性別の設定はなく、企業の作ったキャラが女性だと認識されているに過ぎない点だ[つまり初音ミクは実は男の娘かもしれないってことですね、わかりたくないです]。
2日目はまたミク・コンサートの日でもあった。言うまでもなくノキア・シアターは取り囲む長蛇の列でいっぱいになり、ダニー・チューの紹介が始まってもなお人々は入場中だった。わけてもケミカルライトはあらゆる場所で見かけた。ミクノポリスのセットリストは、その大半が日本の39sコンサートと同じだった。ただリンとレンのペアは1曲だけ。残念ながら私は遥か左側、巨大なスクリーンの真下にある一階席に座ることになった。ミクが見えたのは彼女がずっと左に寄った時だけで、彼女が右側へ行くと姿が消えてしまった。中央か、おそらくはそこから少し外れたところに座った人は、ミクを見る最高の視点を得られただろう。私はミクを見るためテレビスクリーンに頼らざるを得なかった(おかげで首が痛くなった)。テレビスクリーンが常に100%、ミクに焦点を合わせられた訳ではなかったのは残念だった(でも映像に焦点を合わせるのがとても難しかったのは理解できる)。ありがたいことに弦楽器とバンドによる素晴らしいライブの眺めは堪能できた。音楽は最高で、演奏もよかった。ミクに遅れずについていった演奏家たちには当然ながら拍手を送りたい。端的に言えば、1時間15分のコンサートはファンとイベント主催者の協力によって活力と興奮に満ちたものになった。簡単には忘れられないコンサートになったのは間違いない。
ボーカロイドに満ち溢れた2日間の体験を終え、バーチャル・アイドルのミクについての認識と理解をもたらした祝宴の後、私は午前3時にベッドに倒れ伏した。驚くべき量のコンサート計画、及びボーカロイド作品と連携したクリプトン・フューチャー・メディアと他の企業による多大な努力が、ミクの米国デビューを成功に導いた。ミクがまたいつか訪れることを期待しよう!
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
twitterで虚構新聞ネタが話題になってて、ちょっと思い出したことがあるから書く。
就活していたころ大学内で合同説明会が開催されてて、読売新聞のブースがあったから冷やかし程度に覗いてみた。
頭の弱そうな女社員が何故か虚構新聞のページをスクリーンに映しながら説明していた。
「ネットはデマばかりです。いくらインターネットの新メディアが出てきても紙の新聞がなくなることは無いですぅ」
みたいなことを滔々と述べてた。
新聞社がなくならいことはあっても紙の新聞が消滅する可能性はあるし、虚構新聞を題材にしてネット情報の信頼性に
ついて語るのは違うだろうよと思っていた。「虚構」ってデカデカとついてるし。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクのLAコンサート、外国人感想その4。今回は初音ミクという存在についてかなり真正面から書いたものを紹介する。筆者はコンサートだけでなくアニメ・エキスポで行われたいくつかのパネルにも参加したようで、日本から行った関係者の発言も引用しながら初音ミクとそれを取り巻く現象に関する考察を述べている。これを読めば「初音ミクとは何か」について一通りもっともらしい話ができる程度の情報が盛り込まれた、なかなかいいまとめだ。
urlは以下の通り。
ヴァーチャル・ディーヴァ(仮想の歌姫)になるということは、正確にはどういう意味を持つのだろうか? 初音ミクの人気について真に理解できるようになる前に、彼女が正確には何者なのかを確認するのがおそらくは最適だ。しかしながらこのテーマは思いのほか扱いが難しい。最も簡明な言い方をすれば、彼女は明らかにセガとヤマハによって発展してきた音楽制作ソフトのために藤田咲の声を録音しデジタル化した商品のパッケージ用にデザインされたキャラクターだ。だが同時に、彼女が本当の意味では存在していないという主題もそこにある。我々がミクの歌について話している時、我々は厳密に言えば生きていないものに対して隠喩を使っている。思うに初音ミクとは我々が理解しているより遥かに複雑なものなのだ。
アニメ・エキスポ2011は間違いなくミクの全てを取り上げていた。ミクノポリスは、それがノキア・シアターで行われ、かつ売り切れた唯一のものであった点だけを見ても、明らかに週末最大のイベントだった。他のゲスト――クリプトン・メディアの伊藤博之と佐々木渉、ダンスロイド、及び小林オニキス――はミク登場のおまけとして呼び寄せられた。アニメ・エキスポがコンベンション全体のテーマに「ファンの年」を選んだのは、ただのお遊びではない。結局のところボーカロイドは、ヤマハの剣持秀紀マネジャーがコンベンション3日目のパネルMirai no Neiroで言及したように、ファン、製作者、及び消費者の間にある障壁を切り裂いている。
ミクがいくらか人間っぽい性質を備えているのは明らかだが、同時に彼女の存在はメカニカル(機械的)かつヴァーチャル(仮想的)でもある。歌姫という用語は、技術的な能力をほのめかしているのみならず、高い人気という意味も示唆している。だがミクの人気はピンポイントで捉えるのは難しい。小林オニキスがアニメ・エキスポ2011の2日目にミク・カンファレンスのパネルで発言した内容によれば、彼女の成功は3つの要素に拠っているという。ミク自身、制作過程での自由さ、そして世界規模のインターネットだ。私がオニキスの判断に異論を唱えないのは確かだが、彼の指摘した3つの点をさらに分析すれば初音ミクの存在について興味深い事実が判明すると思う。
トヨタの初音ミク・カローラCMを巡る謎がついに明かされた時、トヨタが特にアニメ・エキスポを念頭に置いて若い客に対する濃密な市場調査を行ったことが判明した。トヨタはアニメ・エキスポ2011に2台のitasha(アニメやゲームのキャラを描いた車)、スタッフチーム一そろい、車の前でミクのコスプレをする可愛い女性、そして小さなカローラの絵の上で可愛らしく微笑む子供のようなミクを描いた何千枚ものポスターを持ち込んだ。ミクはただソフトに特色を出すため作られたキャラに過ぎないという事実にもかかわらず、彼女は自動車企業の公式看板娘となるのに充分なほど人気があった。アメリカにおける市場性の存在にはかなりの疑問があったものの、この宣伝活動はミクにとって大きな一歩だった。
初音ミクの生まれは、実際にはどこの馬の骨とも分からないものだ。彼女は、自身が市場に出ることとなった新しいVocaloid2シリーズの、箱に描かれたイラストとしてその生を始めた。つまるところ、それが彼女の全てだ。だが、日本中の製作者たちが楽しく、突飛で、面白い歌を書き、彼女を描いたり動かしたりすることで彼女に性格を付け加え始めたため、彼女はすぐ自らの命を手に入れた。最終的に彼女のイメージにはネギが伴うようになった。
これがなぜ重要なのか? ミクが東方シリーズに出てくるキャラとどれほど似ているかについては、おそらく指摘する必要もあるまい。ゲームに出てくるキャラの多くが極めて限られた背景情報しか持たず、それゆえにキャラの性格をさらに発展させるため製作者とは無関係にファンダム自体が自由に想像をめぐらせる余地があるという事実に、東方厨の一部は対応してきた。同じようにミクの仕様に存在する欠落は、歌やビデオという形式をまとった小さな物語の発生を許し、それが巡り巡って単なるキャラを超えた命の有り様をを彼女にもたらした。彼女は利用者が作り出す製品の力に具象化された肖像であり、概念だ。
そのインターフェイスは、比較的直感的に使える。音楽用語を使う代わりにこのソフトは、メロディーを生み出すためピアノの音程と一致したいくつかの棒の上に長い音符を置く。ピッチとテンポは製作者の目的に合うように変更でき、ビブラートと発音も自由に変えられる。完全な楽曲を作るため、ドラム、ピアノ、ギターなど追加の伴奏も付け加えられる。
ヤマハの音声技術開発チームを率いた剣持秀紀によれば、初音ミクは作曲家と歌手にとって伝統的に必要なものを補完する革命的なソフトの顔を務めたからこそ、ヴァーチャル・ディーヴァなのだという。ミクは、かつてデジタル楽器がやったのと同じように音楽世界のあり方を変えたソフトだと、彼は主張する。それが楽譜制作だけでなく、自然言語における発話パターンの複雑さまでまねしようと試みていることを踏まえるなら、おそらくそれ以上のものと言える。
剣持はプレゼンの際に彼の議論の核心を効果的に実証してみせた。まず彼は、人間の耳とって自然な音をボーカロイドに生み出させるのが、どれほど困難かを説明した。次に英語のボーカロイドソフトSweet Annを使い、極めて短時間でハッピー・バースデーのメロディーを生み出してみせた。そしてボーカロイドは単純に人間の声をコピーしようとしているものではなく、その特別な性質故にある意味で音楽の未来を示しているのだと強調した。極めて広範囲なジャンルにふさわしいものにするため、ライブラリを変更することができる。人間の耳が言葉を理解できないほど速いレートで音を生み出すのも可能だ。どんな歌手より長く引き伸ばして歌うこともできる。最も有名な初音ミク曲の一つ、初音ミクの消失を見るだけでいい。ボーカロイド史の比較的初期段階からソフトが持つこれらの側面を製作者が上手く利用していたのは明らかだ。つまりボーカロイドは、その人間に似たヴォーカルと同じくらい、その機械的側面も売り物になっていたのである。
プロの音楽家とアマチュアの双方に販売されることで、ボーカロイドは間違いなく伝統的に音楽に存在した境界線を壊し、比較的音楽知識の乏しい者たちが数千から数百万ものビューを稼ぐ歌を作り出すのを可能にした。アーティストだけでなく、ネットに詳しい個人がよく知っている視聴者に合わせた歌を作ることもできるようになった。
ニコニコ動画が日本におけるボーカロイド活動の主要拠点であることは否定できない。この動画シェアサイトには、他の種の動画ランキングに加えて人気のあるボーカロイド曲のランキングもある。つまりミクの成功は、彼女自身と製作者あるいはソフトの能力だけではなく、日本のユーザーが新たに作られた歌に関する集計された情報を見つけるのが容易である点にも依存している。
ミクの人気は彼女の声だけにとどまらない。ボーカロイド・コミュニティーから抱き合わせでニコニコ上に出てきた他のコミュニティー、例えば「Utattemita」(歌ってみた)、あるいは「Odottemita」(踊ってみた)などは、それらの人気故に今やニコニコのメーンページにある案内バーにそれ自体のカテゴリーを載せるまでに至っている。国境を越えたアニメ及びゲーム・コミュニティーへのウイルスのようなミクの拡散は、製作者及びファンの双方で似ている情報拡散能力に頼っている。
最初の質問に戻ろう:ヴァーチャル・ディーヴァとはつまり何か?
ミクの「仮想性」は要するにオニキスの言う1番目と3番目の要素に起因する。彼女は世界中の数百数千という人々の想像力に根っこを持ち、一方で彼女の側は人間としてのどのような制約も持たない、骨格だけのキャラだ。同時に、インターネットにおけるファンに基礎を置いて成長するボーカロイド・コミュニティーには、それを統制する法的な枠も基盤も僅かしかないという事実故に、彼女は著作権問題からも比較的影響を受けない。実際、利用者が生み出しファンが作り出す素材に対して日本企業が示す寛大さは、英語を使うユーチューブ・コミュニティーが慣れ親しんでいるものに比べれば衝撃的なほどに大甘だ。技術的にも、誰もが歌わせることのできるミクの束縛のない能力は、有名になるためどんな歌姫にも必要とされる人気と広い支持とを提供する。
理論的にはミクのスターダムへの道は、彼女が完全に作り上げられたキャラではなく、その中身が欠落しているという点にある。オタクの行動様式とポストモダンにおける消費パターンに関する東浩紀の著作から引くなら、ソフトの利用者が作り出した歌と動画に描かれた個人的で小さな物語を生み出すためのデータベースとしてボーカロイドと初音ミクが使われている。同時に人間の声を合成することで達成された技術的偉業が、音楽産業内における伝統的役割に新たな裂け目をもたらした。あらゆる種類の消費者、製作者、ファン、音楽家、個人的技術者が、あたかも300年前にルソーが思い描いた政府のように有機的なコミュニティーへと参加している。
初音ミクとは2つの面を持つ現象だと私は主張する。ミク自身は、情報的に遍在する世界の中にいる個人たちの行動様式に根ざしており、世界的コミュニティー総体の想像力によって生み出されている。一方、ソフトは技術的革新による製品で、それは技術がミクの成長にどれほどの役目を果たしているかを過小評価するのが間違いであろうと言えるほど、過去にあった境界を超越してのけた。
ミクノポリスの会場で照明が落とされ、初音ミクが最初にステージに姿を現した時、聴衆の中で数千のファンが上げた叫びを誤解することは不可能だ。堅実で具現的な光学的幻想を生み出すスクリーンに投影され、ミクはボーカロイド商品の箱を彩る二次元画像という起源から、サイエンスフィクションのポップスターへと素早く進化する。来るべき年月におけるボーカロイド発展への将来性を踏まえるなら、Mirai no Neiroパネルこそまさに新たな造語にふさわしい:「未来の音色」
The Nihon ReviewとAnime Instrumentalityはアニメ・エキスポにおけるミク関連のリポートを協力して提供する。コンサートそのものに対する詳細な報告は、Anime Instrumentalityに掲載されているzzeroparticleのエントリーをご覧いただきたい。
使用画像はPixivにある。この画像がコミケット80で使われたことについて、Moccyにお祝いを申し上げる。
http://www.pixiv.net/member.php?id=191242
この週末にアイデアを論じるという楽しみを分かち合った数十人、同僚のライターであるShinmaruとEternal、同じくAlex Leavittと、そして日本へ戻ったミクノポリス/未来の音色のスタッフに、心からの感謝を。
http://dph.ninja-x.jp/index.html
ミクについてよく知らない人へ、ネット上には利用できる多数の英語資料がある。おそらく外国のコミュニティーを本当に制限している唯一の問題はニコニコ動画への簡単なアクセスができない点であろうが、十二分な興味を持っていくらか賢い検索をユーチューブで行えば、ニコに投稿されたほとんど全てを見つけだせる。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクのLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話(ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。
http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite
ボカレタリア(ボカロ階級)革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級である。アニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!
さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧なホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女はスクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロス・プラスのシャロンには及ばなかった。シャロンはステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。
初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元の人間、つまり役者/歌手が偶像(アイドル)の役を演じていた。偶像が彼女に憑依した時、彼女はアイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの[俳優の語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本で最初のアイドルはウズメちゃんだな。彼女は最初のエンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto
最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり、最初の文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイドの降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまった。コンピューターが女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha
http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito
http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu
http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A
http://www.imdb.com/title/tt0258153/
ボーカロイドは演じる際に三次元の人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性のシャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。
アイドルってのは架空のキャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間がアイドルを演じるってことは、つまりアナログのアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空の人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドのアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。
そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。
もしスティービー・ワンダーが音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的で陳腐なシンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。
http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4
これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンはプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから。労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハト・フライ。労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。
一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロの作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドルに自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報にアクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルにアクセスできるようにしたんだ。
ミクノポリスはフリッツ・ラングの映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラングの予言は成就せり。それこそがミクノポリスであーる!
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
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前回は初音ミクのLAコンサート、Mikunopolisに関する外国人の感想「Promise Of Rebirth」を翻訳してみたんだが、読み返してみると随分と難解で堅苦しい。逐語訳だとどうにも冴えないようだ。こりゃいっそ正確さは犠牲にして、分かり易さを最優先にもっとフリーダムに翻訳してみてもいいかもしれん。参考文献は水戸黄門の主題歌、つまり七五調で。
+++++以下翻訳+++++
するのは遥か 未来だと 思ったことも ありました
ミンメイだけが きっとこの 場面飾るに ふさわしい
そんな土曜の 夜の夢 思い返して 考えた
分かっているね お客さん DVDを チェック済み
青緑した 髪の毛が 繰り出す歌に 大興奮
ディラッド板に 弱点も あるけどそれも ご愛嬌
振り返る過去 幼い日 親に連れられ 見に行った
音に合わせた 光の線 まばゆく輝き 描き出す
それは発展 そしてまた 深い分裂 もたらした
好きなヤツらは 言われたよ 「お前ら音楽 分かってない」
人工的な 音なんぞ 芸術の名に 値せず
確かにそういう 面もある でも無視しては いけないよ
そして続いた 分裂は 未来に影響 及ぼした
音とつながり 融合し 未来の夢を 見せていた
それを知るため アイドルを きっちり考え 煮詰めよう
ショーは続くよ 華やかに 魅せる衣装の 早変り
再生求め 長き時 待ち望んでた この世代
ついに始まる 約束の 憧れ実る 新たな夜
イヴよシャロンよ レイ・トーエイ 君らの歌が もうそこに……
+++++翻訳終了+++++
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初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想を外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。
なお原文のurlは以下の通り。
http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth
+++++以下無断翻訳+++++
メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメ・エキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画[シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンのほとんど遺伝的に接続された精神[小説『あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界のデジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスのノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線から、ケミカルライトやネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。
いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要なリトマス試験紙だ。このショーを準備する時間がほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入の製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。
既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルにケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンのハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオとシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ、鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。
こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシング・パーソンズやトーマス・ドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的なものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートとアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。
なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワーク、デペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフト・セルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽の自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューターと故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間の努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来の音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギターの黒田晃年、ベースの田中晋吾、ドラムの折田新、キーボードの安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。
誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。
さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本のアイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽のスーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想的シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。
考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソンの言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔いで仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンドが彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。
そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。
イヴ、シャロン、レイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……
+++++無断翻訳終了+++++
言うまでもないがシャロンはマクロスプラスのシャロン・アップル、レイはギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル、投影麗(Rei Toei)である。
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
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初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
(前回分)
http://anond.hatelabo.jp/20110705094529
【ミクノポリス】初音ミクLIVE総合 part30【ミクパ】
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1309836019/
7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:37:56.37 ID:SUU0mdjm0 [1/14] (PC)
11 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:42:21.10 ID:SUU0mdjm0 [2/14] (PC)
>>9(席はどこらへんだった?)
3階席前列の隅っこ。ミクさん豆粒大w
14 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:47:24.34 ID:SUU0mdjm0 [3/14] (PC)
映像は角度によって消えるし、ステージ上のライトが強烈な逆光w
ステージ左右の巨大スクリーンで、十分フォローできてましたけどね
17 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:50:29.98 ID:SUU0mdjm0 [4/14] (PC)
>>12(3階席で、音はどうでした?周りはスタンディングしてた?)
ライブも幾つか行ったことがあるけど、あんなの日本じゃ絶対無理w
22 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:55:18.30 ID:SUU0mdjm0 [5/14] (PC)
>>12
あと、3階席は座ってる奴が多かった。席の段差が急で
立つ必要がなかったのと、立ったら下へ落っこちそうな
気がするほど、高さがあったからだと思う
27 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 14:59:33.24 ID:SUU0mdjm0 [6/14] (PC)
>>13(じゃあオーロラビジョンが役に立ったんだね。カメラワークに不満等はなかった?)
カメラワークも絶品。あのまま売ってほしいくらいw
見られて、
それはそれで面白かったw
31 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:06:24.00 ID:SUU0mdjm0 [7/14] (PC)
>>23(みくずきん出てきた時周りの反応どうだった?)
周りの反応は、記憶が飛んでてよく覚えてないw
ただ、曲が始まったたびに絶叫が轟いてたのは覚えてるw
34 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:11:47.74 ID:SUU0mdjm0 [8/14] (PC)
>>25(これって3階ですか?>つべのCAM動画。削除済みのためリンク省略)
角度的には2階だと思う
でもやっぱ、録画と録音じゃ、あの迫力は再現できないわ
42 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:17:02.53 ID:SUU0mdjm0 [9/14] (PC)
>>26(メリケン娘お持ち帰りできた?)
英語がカタコトなんで、向こうが何言ってるか分からんから無理w
野郎ばっかだったけどなw
夜に出歩けば違ったんだろうが、会場からちょっと外れたら
もうスラムだったんで、宿でおとなしくしてたよ
47 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:25:13.24 ID:SUU0mdjm0 [10/14] (PC)
あれがないと3階はきつかったかも
演出も決まってたと思うよ
>>38(音圧が体を震わせる感じですか?)
音圧というより衝撃波だな
身体中の水分が揺さぶられるの
52 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:33:24.41 ID:SUU0mdjm0 [11/14] (PC)
>>41(3Fだとストリングス部隊の音はどうだった?)
でも最後のアレは大反則だw
>>43(野郎ばっか? 女性客少なかった?)
男女半々、みんな若かった
よそ者が踏み込んだら無事では帰ってこれない
通りを境にビルがいきなりボロくなるんで分かる
55 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:36:42.93 ID:SUU0mdjm0 [12/14] (PC)
>>49(タイムシフト動画見たならどの辺が実際と異なるかよかったら教えてよ。)
あ、あとな、現地のタクシーの運ちゃんに地震では世話になったって
お礼言ったら、握手されたよw
58 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 15:39:43.75 ID:SUU0mdjm0 [13/14] (PC)
>>53(ニコ生で観客が盛り上がってないのかと思っちゃったんだけど実際どうなの?)
とりあえずこれで落ちる
現地の盛り上がりは、ものすごかった!
144 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 17:29:11.45 ID:SUU0mdjm0 [14/14] (PC)
>>129(前列VIP席が最後には盛り上がってたって本当? オッサン連中があれ見て楽しめるとは思えん)
ほとんど立ち上がってたよ
278 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 20:12:56.10 ID:B0B5C98Z0 [1/3] (PC)
部屋に戻ってきた
すまんがニコ生は見るのをやめた、あの体験を上書きしたくない
素直にBlu-rayを待つことにした
285 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 20:28:28.32 ID:B0B5C98Z0 [2/3] (PC)
>>281(現地とニコ生で音がどれだけ違うのか興味深かったんだが)
音の概念が違う
298 名前:7[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 20:43:29.40 ID:B0B5C98Z0 [3/3] (PC)
>>286
クラシックなら原音そのままだから、話せばまだ分かってもらえるかも
今回のは、全部の音をそのまま増幅してたんだ
バスドラ×2をドカドカ連打された感じかな?
んで20Hz以下の帯域も拾ってたね、ありゃあ、、、
336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:17:20.79 ID:N5KR9J2C0 [6/9] (PC)
>>303(ツアー組って出発時トラぶってたけど結局なんか補償してくれたん?)
今の所無いね
>>302(LAまでの公式ツアー珍道中聞かせてくらさい)
こっちはデトロイト~ソルトレイク乗換組だから大して面白い事は無いよ
↓
・代理店に問い合わせたら集合場所で待っていて下さいとの事。三々五々ツアー客が集まってくる中、代理店の人が来るが、
現在代替便を手配中の説明。暫くお待ちくださいとの事なのでDIVAしたり、2chしたりして暇つぶす人多数。
↓
・夜中の0時過ぎに漸く代替便が決まる。LA直行組、サンフランシスコ乗換組、ポートランド乗換組が翌日出発
デトロイト乗換組、デトロイト+ソルトレイク乗換組が翌々日出発の旨言い渡される。
↓
日本時間7/2の早朝、品プリより羽田へ護送されチェックインするが、本来3枚出てくるチケットが2枚しか出てこない
2枚目には「seat request」の文字が。
つまりデトロイトからソルトレイクまでの便の座席がどこか確定していないので、デトロイト空港の案内窓口で再度発券してもらってくれと
↓
・乗った飛行機は日本路線なのにろくに日本語離せないCAばっかりだったが、席が39列だったので少しだけデルタを許す。
↓
・デトロイトには無事到着、現地の日本語判る白人の可愛いメガネっ子にツアーガイドが問い合わせるが、
↓
ソルトレイク組はなかなか集まらなくてガイドさん冷や冷や。最後の一人が現れたのは
我々が搭乗しようかってギリギリの時間。チケットの再発行はまあスムーズ。
↓
デトロイト出発がいきなり30分位遅れる(理由は不明)
↓
ソルトレイク到着、また一人行方不明。 先行っているだろ、集まれと言われた場所にいなかったら知らん
↓
LA到着、ひとりの荷物がなかなか出てこなくてロストバゲージかと思われたが、別窓口から何故か出てきた。
と言う感じ。
帰りは帰りでまたseatrequestだったし、本来隣同士になるべき人(ダンスロイドの二人とか)も
バラバラに座席が割り振られていたので、搭乗してから交換しましょうという事に。
長文スマソ
362 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:41:19.48 ID:N5KR9J2C0 [7/9] (PC)
>>345(羽田の2人の女子って話あったけどダンスロイドさんだったの?)
どうもそうだったみたい。
よくあれだけ場を盛り上げたと思うよ。
なんかAX会場内ミクポリブースでダンスロイドのサイン会やっていたけど
結構人が並んでいた。
419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 22:33:48.09 ID:N5KR9J2C0 [8/9] (PC)
>>395(ノキア入場のボディチェックで入場遅れたみたいな話も聞かせてくださいな)
金属探知機で検査はしたけど、爆発物や銃器の検査でカメラチェックじゃなかったよ。
入場口少なくて日本に比べて列作らないから入るまで確かにカオスだったけど、
本番開始直前にトイレに行った時はほとんどノキア内には入っていたような感じ。
むしろ物販に行列が出来ていたからそいつらが遅れて入ってきたんじゃ?
サイリウムはノキア内物販ブースでしか売っていなかったからね。
459 名前:sage[] 投稿日:2011/07/05(火) 23:13:52.33 ID:pGsHWyuP0 [1/2] (PC)
会場で配ってたポスターが可愛すぎて生きているのが辛い
481 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 23:34:44.79 ID:I1njdupf0 (PC)
現地で配っていた(?)TOYOTAのポスターが最高すぎてうらやましい
531 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 00:17:24.30 ID:k8fdj1mz0 [1/3] (PC)
>>477
公式組みは、Original Pantry Cafeで打ち上げでしたか、私は開演前の夕方に
同所で食事を取りました。ボリューム満点でお腹いっぱいになりました。
>>515(ルカ登場時ニコでは盛り上がってないように見えたが実際どう?)
ルカさんの登場時も、すごく盛り上がってましたよ。
587 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 01:02:21.33 ID:k8fdj1mz0 [2/3] (PC)
>>567(fromYtoYで客席から『未来(((みらーい)))』『願い(((ねがーい)))』って合いの手がちゃんとできてたみたい)
私は1階の左後ろの席に居たけど、「みらい」「願い」は、けっこうみんな
合わせて歌ってて、ちょっと感動した。
また、炉心の時のHEY!HEY!HEY!の掛け声もすごくて、みなさん、感謝祭BD
見てるんだなぁと思った。
570 名前:現地組 ◆ZlFmy0tLzs [sage] 投稿日:2011/07/06(水) 00:49:23.23 ID:WKricoiF0 (PC)
現地組から言わしてもらえば合いの手はよく聞こえなかった
会場が広すぎるせいなのか
感謝祭のおまいらがすごすぎるのか
593 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 01:06:10.11 ID:k8fdj1mz0 [3/3] (PC)
>>590(リンレン登場のときはニコ生でもすごい歓声というか絶叫が聞こえてきたんだが会場はどうだった?)
たぶん、一番盛り上がった瞬間だったと思うよ。
すごい盛り上がりで、自分も興奮したもん。
780 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 12:12:40.55 ID:RNjze4iC0 (PC)
北米アキバ系情報サイト Bunka extendのレポがあがったよ。
http://www.bunkaextend.com/ax2011_07.html
■ID:X1spn02l0氏>ミクシにて感想執筆
949 名前:y1[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 16:26:26.98 ID:X1spn02l0 [3/7] (PC)
>>946
了解しました。一応日記は全体公開なので、適当に見てください。
あと、コンサート内容だけじゃなくて今回のツアーに関しての全てを日記にしていくので、かなり長くなります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1746675238&owner_id=23294829
(以下編集者抜粋)
・ミクポリ公式ツアーの様子(デルタ航空のトラブルから現地まで~かなり詳細なAX見物記)
・ミクポリレポート
・ぽっぴっぽーで激盛り上がり
・リンレン大歓声、ルカ登場JBFでVIP席の人までが立ち上がる
・本当に一部、ごく僅かの人間はそれでも座っていたが、冷静に評価をしているという感じ
・コンサート終了後、物販コーナーが混雑。初音ミクがどんなものなのか解らずに参加していた層が結構いたようで、パンフとうちわにみんな群がる。
(ミクシにて更新中)
■ID:n8pl5NA20氏>自ブログにて記事執筆 ※ツアー組で開演前に迷子になって話題になってた御仁らしい
999 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/07/06(水) 16:56:22.01 ID:n8pl5NA20 (PC)
俺もレポ書いといたよ
(以下編集者抜粋)
・会場内の様子など
・間近に見た本物のミクさん
ニート擁護をするつもりはないけれど、「街」の魅力がなくなってるとは思う。
通りがかった客をターゲットにしてるだけで、わざわざ出かけてくる客をターゲットにしてないでしょ。
たとえばさ、わざわざ映画みるか?
もちろん劇場のスクリーンのほうがずっと大きいけれど、家庭用テレビが大画面化してきてる。
レンタルしたくなったら郵便受けに届く時代に電車代払って、入場料払う?
レンタルショップにいくらでも作品があって、見きれないでしょ。
マイナーな作品も、流通コストが下がれば主戦場は映画館からVシネマに移るんだろう。
非日常を演出できてないし、諦めてるんだよ。
僕は中学一年生、まだ12歳だった。いいことばかりではなかったはずだが、今振り返ってみると、毎日笑ってばかりいたことだけが思い出される。部活に熱中し、友達にも恵まれ、告白なんてできなかったけれど、小さな恋もしていた。楽しい日々だった。未来のことなんて考えもしなかったけれど、ただ明日も、その次の日も、今日のように、昨日のように、笑って生きていくのだと思っていた。
夏休みに入る前の週くらいに、小学校一年生の従姉妹がやってきて、夏の間中、うちに滞在することになった。
小さな従妹ははにかみ屋で、しばらくはもじもじしていたけれど、すぐにうちにも馴染んで、僕のことを「お兄ちゃん」と呼んで、まとわりつくようになった。僕の両親も、姉も、従妹を可愛がり、相手をしてやったが、そういう点では一番邪険な僕に特になついていたのが不思議だった。僕もそう意地悪な少年ではなかったと思うけれど、少年は少年なりに忙しかった。部活もあれば男同士の付き合いもあり、そうそう従妹の相手をしているわけにはいかなかった。
夏のある日、ふと空いた一日に、だらだらと寝転がってテレビでも見ていたら、暇ならば従妹を映画につれていけと母が僕に命じた。従妹は最近、公開されたばかりのアニメ映画「となりのトトロ」を見に行きたいのだという。たまたま僕以外の人の手がふさがっていて、まあ僕としても、いつもいつも愛想よく従妹に付き合っていたわけではないから、罪滅ぼしの気持ちもあって、従妹と二人、映画館に出かけた。
まだ、ジブリ映画が国民的な動員力を獲得する前のことだ。映画館はわりあい空いていて、お菓子を食べながら僕と従妹はトトロを見た。
ラピュタは好きだったが、トトロは子供向けだなあとその時の僕は思った。その一年か二年前に、休日の父をせかせて、ラピュタを見に行った僕だったのに、もうそろそろアニメの魔法を心からは信じないようになっていた。従妹の表情はスクリーンの変化に合わせてめまぐるしく変わり、どちらかというとそちらを見ていた方が面白かった。
トトロを見終わって、僕は従妹に聞いた。
「もう一本あるんだって。えーと、ひたれるの墓?暗そうな映画だなあ。どうする?もう帰る?」
「ううん、みたい。みていっていいでしょ?」
それは僕くらいの年齢の男の子と従妹くらいの年齢の女の子の話だった。作画が公開に間に合わなかったらしく、一部が描線のまま映し出されていた。普通に考えればジブリの黒歴史と言うか、前代未聞の汚点(なにしろ未完成品を映画館にかけておかねをとったのだから)と言ってもいいと思うのだが、そんなことは気にならないくらいに僕はその映画に引きずり込まれていた。
誰が想像するだろう。トトロの次に上映される映画が、あんな作品だなんて。
今この歳になって考える。なぜジブリはあの時、あの作品を作ったのだろうかと。ああいうテイストの作品はその後はジブリは作っていない。安心安全のジブリブランドだ。他のジブリの映画の好き嫌いを僕は即座に言える。一番好きなのはラピュタだ。でも火垂るの墓は。好きなのか嫌いなのか分からない。二度と見たいとは思わない。でも、場面の細部まで、あの夏のあの映画館のように、今でも頭の中で上映できる。
とにかく、火垂るの墓を見終わった後、僕たちは疲れ切っていた。そのまま映画館の座席にうずくまっていたかったけれど、そうもいかなかったので、僕は従妹をおぶって、またバスに乗って家に帰った。帰ってすぐに、飯も食べずに僕は寝た。
8月も終わるころに、従妹の父、つまり叔父が死んだ。末期のガンだった。叔母が看病に専念するため、従妹をうちに預けていたことをその時になって僕は初めて知ったが(叔父が入院していたのは知っていたがそんなに悪いとは聞いていなかった)、従妹は知っていたのだろうか。
葬儀の際中、従妹は僕を隣に置き、ずっと手を握っていた。たったふたりきりで生きようと思ったあの少年と女の子のように。
先日、三十路のその従妹がようやく結婚した。もう結婚しないのかと思っていたが、どこからか朴訥な年下の青年を見つけてきて、あれよというまに披露宴を開いていた。花嫁衣裳を盗み見に行った時、何を思ったか、僕の手を握って、従妹が言った。
「ねえ、お兄ちゃん、あの時、手を握ってくれていてありがとう」
あの時ってどの時?と僕は疑問に思ったが、野暮なことは言わずにうなづいていた。分かったふりをするのがいいことは人生にはいくらでもある。もちろん僕は彼女に幸せになって欲しいと思ったけれども、先のことはわからない。けれども生きていればとにかく人生は続いてゆく。それはどうであれ、おしまいになるよりはいいことなんだろう。
記憶はただ頭の中にだけあるのではない。夏のにおい。まぶたに焼付くような熱い色。いつか彼女は、夏の日に夕焼けを見ると、彼女をおぶったあの夏の僕の背中を思い出すと言った。体温や匂い。いろいろを。その中に彼女は、小さな女の子だった時の、あの日々の思い出を縫い付けている。笑ったり、泣いたり、どうしようもなくてたちすくんで、ただそばの人の手を握ったりしたあの日々のことを。
趣旨は、yutakiokaは別に悪い人間じゃないよ、ただただ、人より優れていることを求め、ずいぶんと頭がいいけれど、その頭がいいことを力に変えることが出来ず、特別な人間になれないことを悩むという、どこまでもありふれた普通の子供だよって流れです。
掘り下げが足りない人が出す結論は大体「相手の自意識過剰」になるという俺の持論がまた立証されてしまった。
ひとつ言っておくと、自分の頭でちゃんと論理を手放さずに考えて続けられる人は、そう簡単には循環論法には陥らない。
なる場合でも、大きな円を描く。その円の大きさがその人の思考力であると思う。
逆に自意識過剰、などという根拠がない仮定を使って空白を埋めることで循環論法を作り出す人間は思考能力が全くないのと同じ。
童貞disねたは煽りなんだけど、それに脊髄反射して感情的に反応しちゃってる人を見ると、ああだから童貞なのかと極めて納得がいく。
別にその人の事を言ってるわけじゃないのに反応してるというのはかなり自意識過剰だと思う。
うん、前から思っていたけれど彼には思考の発展性が全くない。
「なぜ童貞は自意識過剰なのか」という問いに対して「自意識過剰な人間は嫌われるから誰にも相手にされないから」。
では「なぜ自意識過剰な人は嫌われるのか」「なぜ自意識過剰ではいけないのか」「自意識過剰とはなにか」という問いがない。
逆のことがすべてカチッとはまっちゃってて議論の余地がない。
「自意識過剰はいけないこと」「自意識過剰は女に相手にされない」「誰かに相手にされているから自分は自意識過剰ではない」。
何から何までお約束で出来上がってしまっていて、そのお約束を超えるともう会話ができない。思考もできない。
もちろん頑張ってたくさんのお約束を頭に詰め込んだ努力は評価したいのだが、それに思考が固定されるならまだ無知な方がいい。
よく知らないけどこの人、「なぜ」という問いが1段階で終わっちゃう人なのだと思う。
その問いに対する答えも、自分で考えたというよりは、他人が出した答えを拾ってくるやり方なのだな。
そして、教科書に答えがのってないものについてなにか自分なりに考えようとすると極めてチープな「自意識過剰」とかそういう意味を成さない言葉に落ち着いてしまう。
この人、なにか「自分の手でつかんだ」という実感のあるモノってあるのだろうか。
「だからあなたも生き抜いてという言葉」の方があなたの「死ね屑」よりも暴力的と言うことですか?
思い込みですね。
最後に余談。この人がtwitterというメディアを選択している理由について推測する。
twitterで人間について語るとか無理とは言わないが、それでもイロイロ制約がかかっておすすめできないと思う。
無理やり語ろうとするとテストの答案しか作れなくなる。 例えば彼の「答案」を見てみるとこんな感じ。
自己否定ナルシズムの極地は自殺。ドストエフスキーは「悪霊」で、キリーロフの自殺という形でそれを示している、あの自殺理論で語られている「神」はもちろん「存在」の隠喩。存在の不安という問いに対して、実存的に思考したキルケゴールとドストエフスキーが異なる解を与えているのが興味深い。
とか
存在の耐えられない「軽さ」から逃れるために国家と自らの存在を同一化して存在意義を個人ではなくて国家の権威や伝統に求めるというのは、存在の「重さ」を得るための一つの方法ではある。ただそれが「自由からの逃走」である、というアイロニカルな視点がほしい。
しかも教科書のまえがき部分であって、帯の部分でありWikipediaでも読める部分。
そこから先が大事であり、さらにそこから自分の意見をもつことが大事。なのに、これが結論。笑える。
でもこれは本人の資質の問題ではない。こうなってしまうのは、140字制限だと、引用だけで記述が限界であり、引用ですら140字となるとかなり制限がかかってしまう。
しかし、本人はずっとそのtwitter「でこそ」こういう話を続けていきたいように見える。
となると、この人は「なぜ自分はtwitterを選択しているか」「自分は何に依存しているか」について自覚があるのだろうか。
私は別に自分が論理的な人間だとは思っていないし、論理的でなければいけないという縛りを自分にも他人にも課すつもりはないので
露骨に話をすっ飛ばして結論だけ書く。相手の主観を勝手に推測もしまくる。いちいち検証するだけの価値のある人物ではないわけだしね。
私には、この人がtwitterに求めているのは「教科書の知識の共有」「教科書的お約束の確認」であって、それ以上でも以下でもないと見える。
最初から思考する気などない。むしろ本業である思考の場で戦うことがどん詰まりであるからこそ、
下々の場に降りて行って、自己を確認せずにはおれない、テクノクラートのなりそこねというのが彼のイメージである。
そして、この人物に共感する人間が多いということは、それだけ「報われない文系エリートが多い」ということをも意味する。
せっかく勉強して、知識も蓄えて、いい大学にいった、留学もした。でもそれは社会的には何一つ報われることがない。
普通なら下々の人間など気にせず一心不乱に上を目指しているであろうはずのエリート候補生が、在学途中から下を向いて過ごしている。
この人は童貞ではないかもしれない。客観的に見たらエリートかもしれない、でも、主観では負け組である。実存を失っている。
しかし、この人は教科書にしたがって生きているのに、教科書にはどこにも「負け犬として実存を保つ方法」が載ってない。
だから彼は自分の実存を得るために、こういうちゃちなゲームを始め、いつまでも続けなければいけない。
彼はよくある普通の一学生である。特別ではない。本当に平凡な小市民にすぎない。
本来は普通に大学に行って、普通に彼女ができて、普通にセックスして、普通に就職して、普通に家庭を持って、普通に老いて、普通に死ぬ。
その程度がお似合いの少人物である。そして、その事実こそが、彼にとって絶対に認められないことなのだ。
彼は普段のツイートから見るに、多分日本の教授には優越感か同程度の知的レベルにあるという自覚を持っている。
それでも大した思い上がりなのだが、その思い上がりを持ってすらなお満たされないのだ。そのくらい彼は自己の尊厳に飢えている。
彼は、自己イメージを損なうよりは、ドヤ顔のアイコンをさらし、他人を挑発することで「嫌われ」「叩かれ」ることで自分は特別な存在だと思っていたいのだ。
こういう奇特な行いも、まったくもってオリジナルではなく、アイデンティティクライシスに陥った人間を救う手段としてのSMは
自らを鞭打つ修道女の例からアラビアのロレンスの虚言までいくらでも例がある。
彼はもはや、自らが見下している無知な人間に嘲られ、叩かれることでしか、もはや自分の本当の居場所を確信できない。
何があったか知らないが、そのくらいかつての彼の自己プライドは高く、そして、それに見合った実体をついぞ得ることがなかった。
日本では誰よりも賢く、知識もある特別な人間だったのに、向こうに行ったら普通の人であることに変身させられてしまった。
しかし今更それを認めることは出来ない。追い詰められた彼が取った手段が今の有様、ということです。苦悩だねー。青春だねー。毎日吐いてるかー?
でもね、こういうのって今やふつうなんだよ。昔なら特別な人間のイメージだったかもしれないけど今じゃこういう行動をとることそのものが平凡の証だよ。
最初見た時から、ああーこういう奴よくいるわー2年前にみたわーって思ってた。 かわいそうだなーって思ってた。かまってらんねーと思ってた。
でも、いい加減うざい。 さすがに自分がかまってちゃんである自覚がないのはtwitterへの依存が強すぎるだと思ったので、指摘しておく。
これは彼が実際にどうであるかは全く関係がない。むしろ事実と違うほうが効果的だと思ってる。私の目的は彼を理解することじゃなく、彼が他の人にやってることをそのまんま彼自身に返すことだからね。もちろん私は自覚してやってるよ。それこそわざとらしいくらいにねちねちと、いやらしく、冗長なくらい、お涙たっぷりのベタベタなストーリーとして彼を「理解」してあげる。そしてこの気持ち悪さを是非体感してもらいたい。彼と彼の取り巻きがやってることがどれほど他人にとって気持ち悪いか、ってのを自覚してもらえればいい。
彼がやってるのは、他人を対象化するという遊びなんだよね。正常な人間であれば小学生低学年くらいで卒業する遊び。
自分が特別でありたいと信じるあまりに、他人を過剰に普通とか普通以下に押し込めようとする幼稚な差別行為。
2それに反論も許さず
これが対象化される側からしたらどれほど不愉快かは、年がら年中オタとかはてな村とか言われてる人間にはよくわかるよね。
個であることを圧殺され、ただ一括りの集団としてしか認識されないのだから。
もっとも、これを2ちゃんでいうならともかく、twitterでリプライをつけて言っちゃうあたり、むしろ彼の対人認知能力の低さが忍ばれるけどね。
要するに彼は、テレビのワイドショーを全部自分の脳内でやってしまってる。
テレビで毎日のように繰り広げられているコメンテーターの批評の劣化版をやってる。
検事と裁判官と手抜きした弁護士のセットをすべて自分でやるという脳内裁判ごっこ。
それをひとり寂しくやっている。いや、今では同じような寂しい人間が寄り集まってプチテレビ局、プチワイドショーになってるか。
みんな、力の感覚が欲しいんだね。よっぽど現実で報われてないと感じてるんだろう。
でも、力の感覚をどうやって得るかって時に、まだ社会人になって仕事もしたことがないガキなので、そのモデルをテレビくらいしか持ってない。
部活(特に体育会系)とかで皆と一緒に頑張って何かを成し遂げたことがあるなら話は別だが、
どう考えてもこの人、万年部屋に閉じこもって本読んでた口だろう。要するにそっちの方法で自己実現ができない。
多分彼らはテレビのコンテンツの内容は見下してるだろう。それでいてテレビのワイドショーで好き勝手語ってる奴らに憧れずには居られないわけ。
彼のイメージでは、彼自身はテレビの司会者であり出演者、賛同者が共演者で、オタクとか童貞はスクリーンの向こうのトピックに過ぎないのだよね。
テレビの司会者が、スクリーンの向こうのトピックから話しかけられることはないはずなのよ。
だから、相手には反論も許さない。彼自身について評価することも許さない。他人に自分を解釈する自由を与えたくない。自分はそうするけど相手には許さない。もし許してしまうと、自分がそうしたであると同じように、自分が好き勝手に解釈され、じぶんがコレだと思っていたアイデンティティが溶けてしまうから。だから、話を聞けない。聞いてしまったら彼の幻想が壊れてしまうから。そういう状態なわけですよ。
彼は自分には他人を裁く特権があると、信じてなくてはいけない。しかしその反撃に常に怯えている。
これが、ネタとして薄められ、表に出すことが出来ない真性の厨二病、真性のディスコミュニケーションというやつです。
そんな彼でも、就職とかして、自分が特別でないことを理解し、自分を集団の中で活かす道を見つけられればこういう幼稚なテレビのマネッコはすぐ卒業できる。
でも、今自分がやってることの恥ずかしさに気づけなかったら、何時まで経ってもアマチュアのテレビワイドショーごっこを続けることになるかもしれない。
なまじ頭がいいし、同士が多いものだから、それで結構充足感得られちゃうのが危険なんだよね。
他人に妥協するって事に耐えられなくなっちゃうかもしれない。個人的にはそのほうがおいし・・・いやいや、なんとか抜けだして欲しいものです。
まずは、ご冥福をお祈りします。
鍵っ子歴12年になりますが、出崎監督の名前を見ると、感慨深いものがありますね。
というわけで評価してみます。
さて、表題における二作品ですが、正直私自身の評価はそんなに高くないです。両方とも70点ぐらいかな。
当時の2ちゃんねるのスレも、「まあ金返せとは言わんけど…」的な評価が多かったです。太鼓とかツッコミどころはありましたが。
で、私が評価したいポイントですが「原作を知らない一般人が迷い込んだ場合も、70点ぐらいの点数がつく」って所です。
映画ってのは、わざわざ金払って見るものの割に、何も知らない人がフラっと観に来るの場合が意外とある、ってのがテレビとの違いです。
そういう人達にも映画代分ぐらいの、70点ぐらいの満足を与えられるってのは、なかなかできるもんじゃないと思いますね。
正直、このAirもCLANNADもかなりアクの強い原作です。原作を友人に勧ようとも思わないです。
でも、CLANNAD観に行った後、これなら大丈夫かなと思って、原作を知らない友人と観に行った結果「結構感動した」と言う評価でした。
あのアクの強いCLANNADがです。いあまあ、我々鍵っ子にとって、あのアクの強さが病みつきなんですが。
そして、アクの強いもんなだけに、映画という短時間の枠内で一般人でも観られる内容にすると、普通だったら原作大崩壊してしまうところです。記憶にありますよね。アレとか。
ところが、マニアでもだいたい70点をつけられたのは、どうしてか。
分析するにマニアがスクリーンで観たかった要所要所をちゃんと映像にしたからだと思います。
この作業、おそらくアニメに限らず映画化で、一番の悩みどころであり、一歩間違うと映画が失敗してしまう所です。
安定してこの作業ができる人材ってのが、いかに貴重だったか、って事が言いたい。
はっきり言って、アニメ映画って観点でもAirよりCLANNADよりおもしろい作品は山ほどあります。
けど、それらの映画、何も知らない友人と観に行って、お互いそこそこ納得して帰れるかって言ったら、疑問符だと思います。
損をする人を最小限に抑え、安定した仕事ができる。プロフェッショナルという言葉がこれほどふさわしい人もそうはいないと思いました。
ようやく、原発事故も収束の兆しが見えてきたのだろうか。ぼくの知り合いでも東京から脱出した人も多くいて、感受性が強いというのはたいへんだなぁ、と冷静を装っている。このへんはもはや「誰をどれくらい信じるのか」というイデオロギーにも似た問題であり、ぼく自身としては「さすがに東京で死人が出るほどの事態になれば政府も『逃げろ』って言うでしょ、常識的に考えて」と思っているので、自宅で淡々と週明けの仕事を待っているという状態だ。ガソリンがないので週末の日課になっていた映画のレイトショーにも行けない。そもそも上映しているのかどうかも知らないけれど。
それまで意識していなかったけれど、震災当日にほうほうのていで帰宅してからというもの、ぼくはテレビに釘付けだった。通勤中はラジオとTwitterで常に情報を入れていたし、寝室でもUstreamでNHKとTBSを2窓で開いていつの間にか眠りにつくという有様だったのだが、今日、それが途切れたとき、猛烈に不安になった。終わってしまう、と思った。
ぼくは完全に、震災報道中毒になっていた。不安と恐怖を摂取することに慣れてしまい、あまつさえ快楽さえ覚えていたのかもしれない。以前は震度3などという地震がくれば文字通り震え上がっていたぼくだが、毎晩余震に揺すられるうちに「今回は警報が間に合ったな、今回は外れだな」などと緊急速報を値踏みしたりしている。
ネット上にはさまざまな情報が流れている。政府の中途半端な情報開示に憤る人、独自の論で不安をあおる人、美談に触れて涙する人。そうした人々を追いかけ、共感したり、ひとり嘲笑したりしている。
思えば911のときも3日間くらいテレビに貼り付いたが、あのときはすぐに日常に戻ることができた。言うまでもなく、それは対岸の火事だったからだ。
今回、東京は絶妙な距離感にある。最悪の事態が発生すれば、ぼくの日常が吹き飛ぶかもしれない。幸い今のところ身近な人に具体的な被害が出ていないこともあって、この事態がたまらなくスリリングなのである。
仙台空港が飲み込まれていく、あの壮絶な津波の映像が、スペクタクルのプロローグでしかなかったなんて、あのとき誰が思っただろう。
「町は壊滅しています」「死者・行方不明者が1万人を越えることが確実と見られます」なんと魅惑的なセリフなのだろう。
新幹線で数時間の土地で原発が爆発するなんて、誰が想像しただろう。
そのスリルに拍車をかけるのが、計画停電だ。信号機が消え、交差点を徐行するバスやタクシーの緊張感たるや、まるっきりスクリーンの中だ。エレベーターが止まって自室の7階まで階段で上がる経験なんて、もう二度とできないかもしれない。うきうきしてしまう。
今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんななかで、いったいいつまで被害者の冥福を祈ったり、知らない土地の復興を祈ったりすればいいというのだ。原発の処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていうじゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか。
冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。
都会の港にいた
馬車があって、これに乗るの? でもここ海だよって尋ねたら
馬も泳げるんだよって誰かが言った
馬がどぼんと海に飛び込んでゆったり泳ぎだしたのを見て
へえ、本当に泳げるんだと感心してたら
じゃあ、花火を見に行こうかって言われた
いつの間にか馬は水陸両用の荷台を引っ張ってて
半分まだ夕暮れで半分はもう夜になった海の上を静かに滑り出してた
チャポチャポ水の音がして、ようやく動いているのに気付く
馬車(って呼ぶのかな)は、空が明るく光っている方へ向かっていて
なんでもう日も暮れるのにこんなに明るいんだろうって思ったら、虹が掛かってた
ああきれいな虹だなあと思って見上げると
てっぺんの方の形がなんだか崩れて、もやがかかったような光と影
不思議な虹だなあと呟くと、あれはオーロラだよと誰かが教えてくれた
これは絶対見逃したくないだろうから早く妻に知らせないとと、妻の携帯に電話をかけた
そのとき、夕焼けで明るい場所だけが野外映画館のスクリーンみたく浮き上がって見えた
オーロラの淡い光に向かって、鮮やかな赤いラインが描かれていて、
その先に目をやると人工衛星が飛んでいた
初音ミクの感謝祭動画は引き続きYouTubeで広く見られている。中でも最も注目度の高いWorld is Mineの動画が遂にYouTubeのVocaloid関連動画でトップの再生数を達成した。
http://www.youtube.com/watch?v=DTXO7KGHtjI
アップされてから5ヶ月で460万再生を既に超えている。これまでトップだった裏表ラバーズは440万強であり、完全に抜き去った。
http://www.youtube.com/watch?v=loSbbj9s4Ug
http://www.youtube.com/watch?v=u_gBSWE_KYE
という訳で引き続き感謝祭についての評価は高いようだ。
一方、今年のミクパは色々な意味で波紋を呼んでいる。海外でも長々とした感想がアップされ、様々なコメントが付けられている。
http://www.vocaloidism.com/2011/03/10/mikupa/
コメント欄にある「ミクパのいい点、悪い点」がシンプルにまとまっているので紹介しよう。いい点は2つ。(1)ゲームから引っ張り出したものとは異なるダンスの振り付け(2)涙を流す場面や翼など、沢山のエフェクト。
一方、悪い点は6つもある。(1)バンドやPとボカロ間のやりとりなし(2)あのでかい黒い箱はなんじゃい、わしの透過スクリーンはどこへ行ったんじゃい(3)歌とモデルが吹き替えみたいに合ってなかったし(4)ボカロ聞きにきたのに最初に出てきたのは人間、確かに歌は上手かったんだけどねえ(5)おまけにいい曲を軒並みメドレーにしやがって(6)最後にあのファッキンな30分を返せ。
昨夜は万人にとって楽しい集まりがあって、それは東京の大学に進学した上京組を集めての、ささやかな飲み会があった。
高校時代にぜんぜん話したことないやつと、まるで以前から親友だったかのように話したりする不思議な顔合わせである。
僕は目当ての顔を見つける。宙に浮かんばかりの嬉しさが襲う。だって、Yちゃんがそこにいるんだもの。
Yちゃん。僕が高1の秋からずっと思いを寄せ続けている女の子。
もちろん、恋心は現在進行形だし、布団に入ってさて寝ようってときに必ず彼女の顔が思い浮かぶ。
そんな彼女と僕の関係は、心のなかじゃ「Yちゃん、Yちゃん」言うくせに、実際に口に出すとなると名字にさん付けしてしまう、まあ、要するにただ3年間同じ空気を吸っていただけだ。
二人の関係性は変わらないが、僕の内面は変わった。女子への苦手意識がなくなったのだ。といっても「女友達」ができる程度の変化だけど。
だから、僕はすぐさま彼女の隣の席を確保するという積極性を出せたのさ。飲み会って厄介なもので、間に一人いただけでも、会話が困難になってしまう。
相変わらず可愛いなあ、Yちゃんは。制服着てなくてもすごく可愛いよ。今、この地球上にいる人間のなかでいちばん可愛いよ。そう、とにかく可愛いんだ。
Yちゃんは文学と美術が好きで、その辺の文化系女子と比べて、いつも一歩先を行っていた。ありていにいえば「センスがいい」ってやつ。
ファッションは地味だけど、その地味さがプラスに働き、身長の低さも相まって、奇跡的な可愛さを形成しているんだよ。
「私は恋愛に消極的です」みたいな雰囲気も出していて、僕が彼女を口説けるようになるまで待っててくれるんじゃないか、そんな空気を僕は感じとっていた。
今日の夜はその第一歩さ。僕はそう思っていたね。確信に近かった。
でもさ……僕が一歩階段を上ったら、センスのいい彼女は二歩も三歩も上っているに、決まってるじゃないか。
誰かが聞いた。誰が言ったかなんて覚えてないよ。僕は彼女しか見てなかったんだから。
「うん!」
満面の笑顔ってやつを、僕はその瞬間、初めて見たのかもしれない。とにかく顔の筋肉という筋肉が、嬉しさを表現しているんだ。まいったね、ほんと。
「おお、その反応は、ひょっとして彼氏とかできた?」
女が言った。たいしたことない女さ。たまたま仲良くなった男とセックスを繰り返して、妊娠させてしまった相手と結婚するような、そんなどこにでもいる空疎な女だよ。まあ、でも、30人中29人を幸せにするって考えたら、価値のある女なのかもしれない。
「わかる?」
彼女が答えた。
「え~、いつごろ付き合いだしたの?」
「夏ぐらいから……」
正直、この辺の会話は何も覚えちゃいない。だって、胸が痛かったんだ。目の前にいる彼女がまるで映画のスクリーンを見ているかのように、別世界の人間に思えてくる。彼氏がいるだって? 半年も付き合っている? 嘘だ嘘だ嘘だ。
もちろん、嘘じゃなかった。彼女の笑顔を見ればわかる。僕の意識はどんどん遠のいていって、ただ相槌を打つだけの生きものになっていく。彼女が彼氏の話をすればするほど、僕のチンコは柔らかくなっていった。
結局、彼女とは連絡先を交換しなかったし、まともな対話すらしなかった。だってできるかい? 処女喪失したての女の子と、楽しくおしゃべりだなんて。
家に帰り、布団に入ると、いつものように彼女の姿が頭に浮かんだ。一つだけ違ったのは、僕が勃起をしなかったってこと。がまん汁の代わりに涙が溢れだしてくる。それはフィニッシュを迎えることなく、ただただ流れ続けた。
ねえ、僕はどうしたらいいんだろう?
たいてい一度は言われたことがあるんじゃないでしょうか。
音楽に特に興味の無い人が「ライブなんて全部一緒」と考えるのは間違ってはいないと思う。
でもね、ほんとは違うんだよ。
基本的にイベントってのは生ものなんだ。
具体的に何が違うか、自己満足だけど、自分なりにまとめてみた。
セットリスト=曲目のこと。通称セトリ。
自分の好きなバンドは、ツアーをやるときは基本的に2種類のセトリを作って回してることが多い。
たまにライブではなかなか聴けないレア曲をやったりもするので、
それが聴けた時は泣いてしまうくらい嬉しい。(ていうか泣く)
自分が行ってないどこか他の会場で突発的にレア曲をやった、なんて聞いた日には
次のライブでやってくれる確証なんて一切なくても、ライブがどうしても待ち遠しくてしょうがなくなる。
会場によって音の質も違う。
あのライブハウスは音がいいとか、あそこは音が割れるから嫌い、とかの好き嫌いも人によってはある。
あと小さなライブハウスと大きなホールだと、当然ながらステージへの距離も違う。
キャパ500人弱のライブハウスだと目と鼻の先に好きなバンドが居る。
それこそ最前列だと触れちゃう距離だ。
その代わりモッシュ(押しくらまんじゅう)の餌食になるのでアザが出来たりする事も多々。
何千人も入る大きなホールだとステージ上のセットが豪華になったりする。
雰囲気を出すためにスモークが焚かれたり、ステージの後ろの巨大なスクリーンに映像が流れたり、
ステージからの距離はちょっと遠いけど、その分遠くから見てる人も楽しませようという気合いが伝わってくる。
当たり前だけど、バンドも人がやってることだから、バンドマンの体調・精神状態でパフォーマンスも変わる。
ツアーの初めの方には無かったアンコールが最後の方では定番になってたり、
MCの内容が変わっていったり…。
他にも、機材の調子が悪くて音が出なくなったりすることもある。
機材トラブルはバンド側としては困ることだけど、そういうのを共有するのも結構面白いよ。
首都圏はノリがいいとか、地方は大人しい人が多いとか、バンドの出身県はいつもアツイだとか。
ノリがいいと言っても、悪ノリする人やダイブする人も居たりするので、ノリがいいのが全部いいって訳でもない。
観客のノリとバンドのノリがぴったり合ってる、もしくは相乗効果でどんどん盛り上がっていくライブはすごく楽しい。
手拍子が揃ったり、一部合唱になる部分で間違えずに歌えたりすると観客なりにも達成感がある。
それでバンド側が気分良くして、会場全体で盛り上がれたら、そのライブは間違いなく忘れられない良いライブになるはず。
いろいろ書き連ねたけど、結局のところ最後は「好きだから」っていうのが強いと思う。
例えば「遠距離恋愛中の恋人と年1回会うだけで満足か?」っていうのと同じ。
どうしようもなく好きだから、何度でもライブが観たいし、CDも欲しいし、ライブDVDやグッズも買うんだ。
ライブが終わって、もう次の日には次の公演が楽しみでしょうがなくなるんだ。
好きなバンドを追いかけるよ。
好きなものを好きだと言い続けるよ。