はてなキーワード: BLとは
他の人はどうか知らんけど私は100%性欲でBL見てるよエロが無いBLはほぼ読まんしそれをなんか無駄に否定すっからお互いムキになるんじゃないのかな男女でエロい話すればいいのに
ちょうどおーぷんで相談スレが立っていたので、自分なりにそれぞれのサイトを考えてみる。
アルファポリス→編集部が評価してくれるシステムある。読者人数は多めだが
ある程度のクオリティが絵かストーリーのどちらかに求められる。
新都社→マルチポスト禁止のため新都社にしか載せられない。クオリティ低いものでも読まれる。
コメント率は最も高いが読者は減り気味。
しかしFAやコラボ文化があり、作者同士の交流ができるシステム。
まんがおきばという派生サイトならマルチ可のため一考の価値あり。
Pixiv→女さん向け短めエモい漫画専用。BLもまあまあ強いがその分競争率も高く読まれない。一次創作ではブクマ0が大半な上
講評システムもない。二次創作で倉庫的に使う人も読まれづらいのは認めてる。
マンガボックス→最も読者数が多い。ここでアクセス跳ね上がる人も。クオリティは有名投稿サイトより問わない。
ジャンプルーキー→ジャンプっぽくない作品でも普通に載っているが、アクセス数を伸ばすのもかなり大変。作品が多い分層は厚いので読者としては楽しい。ありがたい。さすが少年漫画の看板である。
LINE漫画、コミコ→インディーズ投稿はほぼ読まれない。縦読み漫画が描けないときつい。横読みとちがってコマ割りが大胆だったり演出過多な分、作業コストが跳ね上がるのが縦読みである。ウェブトゥーンは分業前提であるのを思い出させてくれる。ジャンルは女向け強し。
個人的にはアルファポリス中心のマルチ投稿がいいと思うが、新都社のコメント率の高さや読者間で共有される強みも捨てがたい。画力かストーリー力の高い人なら人気作家への道も開けそうだ。なんだかんだ言っても企業勢ではなく、個人が毎月サーバー代一万円を支払ってくれる、愛着あるサイト。末永く続いてほしいものだ。
昨日Pixivで適当にザッピングしている時、明らかにレズ、BLモノに対してブックマークを避ける傾向があることに気がついた。
昨日これに気付いたのはレズものを見た後だったが、思い返してみると確かにレズ描写が入った時に少なからず嫌悪感を抱いたのだ。
自分は男でヘテロの傾向にあり、二次元創作物においてはノーマル、レズ、BLなども普通に読めるので、差別的傾向は少ないほうかなと思っていた。
レズ、BLも愛の一つのあり方を描いているにすぎない。にも関わらず、自分がその描写に対して嫌悪感を感じてブックマークを避けていることに驚いたのだ。
なるほど、自分はそういった作品を読めるものの、内心では抵抗を感じているのだろうな。これが潜在的差別意識なのかな。と思った。
だがよく考えてたらこれは差別じゃない。誰にでも好き嫌い(嗜好の違い)があって、そこから大きく外れていれれば「嫌悪感」は誰だって持つ。
差別的というのは、その嫌悪感を言葉であったり、態度であったりを表に出すか、出さないかだと思っている。
そもそも本音と建前というものをそもそも全員が持っているし、その本音に侮蔑的要素を加えると差別になる。
例えばまぶたが一重の人から告白をされて断る時、侮蔑的要素が言葉の中に入ればそれは嗜好を通り越して差別になりえる。
「本来なら」お断りだけで済んだものを、「必要のない侮蔑」を受けているのだ。
差別:「一重の人は無理なんです。気持ち悪いし。」 際どい:「ごめんなさい。一重の人とは付き合えないんです。」 好みの問題:「ごめんなさい。二重の人が好きなんです。」
まあ、本来は理由を言う必要が無いのだが今回は例として特に思いつかなかったので。
立ち返って、自分はどうしてレズ描写に嫌悪感を感じたのだろう。
自分は別にこういう描写があったからって怒ったり貶したり攻撃的になったりはしない。むしろ読める方だ。
さっき整理したように差別意識というよりは、好みの問題で嫌悪感を抱いたのだ。
ではどうして?
本来自分が知っている情報には存在しない描写を、性を交えて描き出されると少なからず嫌悪感を抱いていたのだ。
原作でホモセクシャルであることを描写されていないのに、仲が良いというだけでその延長の行き着く先まで行くと嫌悪感が生まれていたのだ。
「なるほど、これが解釈違いか」と理解したと同時に、これこそが「性的消費」なのかもしれないと思った。
「性的消費」「性的搾取」という言葉は昨今多く使われているにも関わらず人によって定義が曖昧で、もやもやしていたのだが、思わぬところでほんの少しだけ理解できたかもしれない。
まあ、ここで消費されてるのは「非実在青少年」であり「原作」なので、原作者が問題にしない限りどうでもいいんですが。
思い返してみると、自分が嫌悪感を抱かずに読めているのは、一次創作か原作を全く知らない二次創作に限っていた。
だから「自分は読める」ので「フラットである」という思い込みから今までこの僅かな違いに気づけなかったんだなあ。と思った。
おわり。
当然のことながら、Jさんに重用された男は
Jさんの好みの反応を返した男であろう
気に入られたいがために不自然に媚びた反応をするような男は重用されることはない
Jさんの愛撫に身も心も溶かされ、心酔し、Jさんが布団に入ってくる日を待ち焦がれ、
Jさんの耳元で愛の言葉を囁きJさんをメスイキさせながら中出しできるような男だったはずだ
私は決して許されるべきではないと思う
ここ最近話題になった、特に時間をかけずともキーワードをいくつか指定するだけでそれなりに見られる絵が自動生成できるってやつ
海外では特に保守的な層から規制論が上がってる(けど、ほとんど無視されてる)っぽい
向こうは日本の美少女キャラに抵抗感を覚える人というのは日本以上に相当いて、そういう人達が
「このままでは全世界のアニメが日本風の絵柄で埋め尽くされてしまう」
「ディズニーが『萌え』に侵略されるのも時間の問題。これは絶対に阻止しなければならない」
みたいな事をしきりに騒いでる
これ実は20年くらい前にも同じようなことが言われていて、日本の漫画やアニメがP2Pファイル共有ソフトや海賊版で海外に大量に出回った時も言われてた事なんだよね
当時も「これは21世紀の静かなる文化侵略だ」と散々な言われようだったけど、結局ろくに取り締まられる事もないまま、そういった非合法な海賊版コンテンツをこっそり楽しんできた層が順当に20年歳をとって社会で一定の地位につき始めた頃に、日本の各社が合法なビジネスとして世界に打って出て「収穫」に勤しんでいるのが現状なわけで
アメリカ南部の超保守的な家庭の子供が日本の漫画やアニメにハマってしまってBLとか百合とかいったジャンルに嫌悪感を示さなくなった、みたいな「被害報告」があがってたりするの、日本人としては何とも微妙な気持ちになる
なんか腐女子さんすげぇって思ったのは、俺はナルトとか医龍とかブラックジャックとかを男読者向けの作品だっつってんのに
主人公が自分の苦しい生い立ちや立場を、ライバルに当てはめた時に「アイツも俺と同じだ」ということに気が付く。そしてライバル側も同様に。
同じことで苦しんでいる同士の者だけど、同時にいまの立場として相手を認める訳にはいかない。
という、相手を分かるけど分かりえうことは許されないという苦しさ哀しさ というのは割と王道の仕掛けだと思う。
シグルイなんかもコレを主軸に描いてる。
たまーに自分のセクシャリティがグレー過ぎる気がしてならない。
男女どちらも好きで、同じだけ嫌いだ。
そしてどちらかと言えば男性が苦手でもある。
それでいて男女どちらも好きになったことがある。
女性とは機会がなかった。
モテなかったのもあるし、同性相手が見つかるようなコミュニティにも所属していないし…
まぁモテないのは男女どちらに対してもそうなんだけども。
それに他人を好きになった経験は数回あっただけで、セクシャリティを確定させるほどの経験は無いかな。
これまで夢中になって追いかけた芸能人(アイドル、俳優、ミュージシャン問わず)って、恐らく同性しかいない。
競馬好きだから、武豊を始めとして男性騎手は好きだけど、そこに恋愛感情とかそれに近いモノは絡んでない。
世の中、LGBTQだとかって言ってセクシャリティが分けられたりラベルが付けられているが、どれもピンと来ない。
そうやって育ってきたし、そうやって納得してきたし、そういうモノだと思ってきたし、今更になって自分が男だなんて少しも思わない。
ただ、どことなく"女なら女性的であること"を強いられている気がして、少し疲れることがあるのは事実。
女だけど、女の子らしくいるのは苦手だ。
まぁ見た目は芋っぽい。無駄に幼顔なので余計に芋だ。
この話、何言ってる(書いてる)のか自分でも分からなくなるから内容が滅茶苦茶だね。
あと恋愛至上主義みたいな世の中というか、そういう感覚も苦手で、恋愛感情や性欲が絡まない人間関係が一番好きだ。
恋愛至上主義に則って、自分も……と思ったことがあるけど難しかった。
それなりに動いていると、好いてきてくれる男性はいたし付き合ったりしたけど、なんかやっぱり関係を築いて継続させるのが上手くいかなかった。
それに「彼氏いないの?」「好きな人いないの?」という手の質問がずっと苦手。
何か試されてるような気がする。
それでいて自分が関係せず、登場しない人の恋愛話を聞くのは嫌いじゃない。たまに理解しかねることもあるけど(笑)
だから恋愛モノのドラマとか漫画もよく見るし好きだけど、自分が登場しないからこそ良い。
ラブソングもたまに意味が分からないけど、普通に聴くし感動したりもするけど、自分がそこに存在しないから好きなんだと思う。
"作品"として受け止められる。
そういう世界は現にあるし、そういう世界(同性愛)のコミュニティに一時期所属してみたこともある(結局はそこも恋愛至上主義なので難しくて抜けたけど)。
自分さえ登場しなければ、BLだろうが百合だろうが、男女だろうが妄想も楽しい。
次期に32歳になるが、結婚もせずに年老いていくんだろうと違和感なく思う。
分からないけど。
おわり。
某バスケマンガのBL二次がわんさか流れてくるんだが。困惑。すぐ終わるだろうと楽観してたのに、全く衰える気配がない。
自分は所謂公式カプ勢。繋がってる垢の中にこんなにもBL好きがいたことに驚いてる。カプの有無は置いておいて、自分も二次をやってるんだから同じ穴の狢とはいえ正直に言うと気持ちが悪い…。原作の時代的に再燃!という人も一杯いて、まさか貴方まで…。ということがよくある。
コンサバは「こうしなさいああしなさい、これがあなたの為よ、これがお国のためよ、これが正しいのよ」と伝統的な価値観を子に刷り込んでいこうという思想
現代の創作はそういう流れに抗い、若者が自分たちで価値観を形成していく、若者が主役になる冒険活劇になる
これがリベラル的ってこと
コンサバな創作はどういうものかっていうと、中国共産党がゲーム規制でやろうとした内容が分かりやすい
ゲームは精神的アヘンだとしたり、男の娘やBLはダメ、男は男らしく、女は女らしく節度をもった格好で、未成年は時間制限、エログロホラーや政治的なものもダメ、欧米の文字や表現より漢字使え、そういう表現規制や消費スタイルを指定していく考え方に与するのがコンサバって思想
換言すると傲慢な統治者の思想だな、民は愚かだからキツく縛ってやるのが愛なのだというパターナリズムに極めて近くなる構造をコンサバは持っている
現代の創作でコンサバ寄りの「○○ならこうあるべき」を描いてるのはほんと古臭いか胡散臭い人が書いてる(例えばゴーマニズムとかそれ系の)主張が強い系しかなく、むしろ現代の漫画アニメゲームは「○○でもいいんじゃないか」「こういう在り方もあるのか」と思わせるリベラルな作品ばかりだ
もちろん現代でも家族愛、女性を守る、地元を愛するみたいなコンサバ寄りの発想を美しく描いて作品テーマに織り込んでるのは多いけど、教条的にしてなければ保守臭さはでずに全体としては新旧の価値観の調和をめざすって意味でリベラルな作品になる
自分のことをオタクと言っていいか正直分からないが、今はもう解散してしまったとあるグループが大好きだった。
そのグループはアーティストなので、そのグループが作る音楽はもちろんのこと、パフォーマンスも、人間性やキャラクターも好きで解散してからも元メンバーの活動を追いかけている。
ただ、純粋にそのグループとメンバーを応援していたわけでもない。
ストレートに言ってしまえば、その様は百合にしか見えなかった。
そのグループを知る少し前から私は百合に目覚めてしまっていたので、最初はもちろん音楽から入ったのに、テレビやラジオ、ライブ、雑誌のインタビュー、彼女らの公式サイトの日記を見ていたら、もう百合にしか見えなくなったのだ。
もちろん、実際はそうではない。
そこの分別はついてる。
元メンバーは今や全員既婚者だし、当時からファンタジーだとかもう一つの世界線として楽しんでいた。
正直に言えば、音楽でも百合でも楽しめて、どちらも最高なのだから、このグループって奇跡か何かじゃないのか?とか、私って凄くお得な性癖持ちだ!なんて結構な具合に舞い上がっていたところもある。
それに2ch(正しくはPINK板)にも専用スレがあって、百合SSが幾つも投稿されていたし、何なら自らSSの投稿も数回した。
百合作品を通じて一時期は同い年の友人もできた(今は連絡取れないが)。
その友人らとは純粋に音楽やライブパフォーマンスの感想と、百合フィルターを通してメンバーを見ての萌えポイントなんかもよく話していた。
凄く楽しかった。
友人らもSSを書いていて、私より数段は構成やストーリーが上手くてSS職人の域だったりで、とにかくオタクとして楽しい日々があった。
でもグループもそれなりに活動期間が長くなると色々あって、グループの体制変更や諸事情あっての活動休止などが起きて、そのショックから2chの百合スレは廃れて落ちた。
私も活動休止の影響があって百合観点でのオタク活動からは離れてしまい、ただの音楽ファンになった。
それでも彼女らグループの音楽やパフォーマンスは素晴らしかったので満足だった。
ここまで来ると、なんとなく何てグループなのか分かる人には分かるかもしれないが、グループ名は伏せておいて欲しい。
時が流れて、最近になって私は「BLも好きだし、断トツでBLの方が先に触れたのに、百合の方がとびきり好きだよなぁ」と自らの性癖を顧みていたんだが
そこで「あのグループの百合が何より好きだった。」と急に思い出した。たまにグループの音楽は聴くのに何故か百合のことだけ忘れていた。
百合作品は好きなくせにあまり普段触れない(BLももちろん)けれど、友人らがオタク気質でBLネタをたまにTwitterでつぶやくのでそれを見て自らを顧みたら、奥底に仕舞い込んでいた百合萌え魂(何ソレ)に再び火が点いてしまった。
懐かしくなって、落ちた2chの百合スレを頑張って探した。それは過去ログにキチンと残っていた。
私が大好きで悶えた、職人によるSS作品も自分で書いた拙いSS作品もそこにはあった。
懐かしさと嬉しさと湧き上がる百合萌え具合から、机に頭を打ちつけてしまいそうなのを幾度と堪えて(オタク仕草が過ぎる)、過去ログを読み耽った。
いや、だった。
そのうちにグループに色々が色々あって、突然終焉を迎えたこのグループの百合に、百合としての"終わり"をちゃんと設けたいと思ってしまった。
だからファンタジーとして、でも事実を含めながら終わらせようと思った。
動機から何から私の勝手100%ではあるが、百合スレが半端な状態で終わっていたのが何故か居た堪れなくなった。
起承転結を作り、キャラクターの性格をキチンと含ませて、現実とファンタジーと幾らかの私の願望を織り交ぜて……
っで、なんか一日で出来てしまった。
あの頃はいくら考えても萌えネタをSSに落とし込めなかったのに…なんと呆気ないことか。
とは言え内容がストーリーとして辻褄が合うように出来ているかは、自分では分からない。
でもとりあえずは納得いく形にはなったので、満足している。
そして出来上がると今度は欲が出てきて、公開する場が欲しくなる。
ただ、扱っているのは実在する人物なので、大っぴらにネットに載せるわけにもいかない。
なのでブログを開設することにした。
というか、開設した。
SS公開はパスワードを設定して、安易に人の目に晒されないようにする。
ただここにURLも検索ワードもパスワードも書かないし、そもそもまだ書き上げたSSは投稿すらしていない。
まぁ近いうちに昔百合スレに投稿したSSから投稿しようと思う(過去作は3本しか無いが)。
もしこの記事を読んで、何のグループか分かった人の中に百合スレの住民がいたのなら、SSが投稿されていたスレタイをヒントに頑張ってブログに辿り着いてくれたら嬉しい。
Twitterのフォロワーには、元メンバーを純粋に応援する人や私が百合オタクだなんてこと知らない人、知らなくていい人がいて、この一連の個人的な出来事を書けないので、ここに書いてしまった。
これはインターネットやSNSに毒されると、何処かに投稿して報告したくなってしまうオタクの性だ。
気持ちが悪いと笑ってくれ。
それじゃ、気が済んだオタクは巣に帰るよ。
そもそも映画館がくそ遠い&しかも上映時間が観に行ける時間帯とずれていたので。
映画の評判やネタバレを回避出来る範囲で読めたレビューから、ある程度の重さは覚悟していたけど、思いもよらない方向性で辛かった。だってこれおそらく完全なフィクションではなく著者の本当の懺悔じゃん……。
過去に自分を馬鹿にし虐めた同級生に復讐するかのように都会でイケイケな暮らしぶりをしていた主人公・浩輔。彼が出会い恋に落ちたのは、ちょっと訳ありで美しく純真な好青年の龍太。実は龍太は病身の母親を養う為に売春をしていたのだ。
という、あらすじだけ書くと陳腐なBL小説のような感じだし、受けの方の性別を女性に変えると更によくある話って感じだ。だが、浩輔と龍太の出会いと恋は物語の序章に過ぎなかったのだ。
浩輔はよかれと思って、悪くいえば自己満足で、龍太に救いの手を差し伸べる。そして龍太の母親も交えて家族のように過ごし幸せな時間を共有することになる。ところが、それが結果として龍太を追い詰める事になってしまい彼の早すぎる死を招く事になってしまったのだ。
文中では浩輔の懺悔が切々と語られるけど、俯瞰してみれば浩輔だけでなく龍太も龍太の母もそれぞれのエゴや愛で行動しており、誰が悪いって話でもない。
著者本人であろう浩輔は等身大の人間として描かれている一方で、彼の恋人の龍太という人物は、美しい過去の思い出として徹底的に純真無垢な存在として描かれている。
けれども、私が思うには、龍太の死は浩輔のエゴのみが引き起こしたんじゃなくて、龍太自身のエゴというか、自分の意思で・望みであえて命を縮める方へ邁進してしまったのではないだろうか。
「恋人」という肩書きに龍太は囚われてしまったのではないかと。浩輔が龍太とその母親に金銭的な援助をしてくれた、それをビジネスと割り切って、浩輔のことをビジネスパートナーくらいに思っていたら起きなかったであろう悲劇。恋人だから、出来る事なら対等になりたい、正面から向き合いたいって思うあまりに背伸びをし過ぎてしまったのだろう。けれど、そうして頑張ったお陰で得た幸せというのが、彼にはあったんじゃないかなあ。
男女の愛人関係にもあり得る話のようでいて、男同士の恋愛だったから起きた悲劇のようにも思える。対等でありたい相手が手の届かない高みにいる事に、女だったらそこまでプライドが傷つけられはしないのではないだろうか。女ならば社会的に男と圧倒的な差があるのは自明の事として渋々でも受け入れられたかもしれない。
なんて。浩輔が悪いんじゃなくてこれはどうしようもない事だったんだよ、と、作者にとってはミリも慰めにはならないだろう事を考えた。
浩輔と龍太との出会いと死別までは三年の年月があるけれど、その蜜月の描写はあまり多くない。ページ数でいえば龍太が死んでからのエピソードが全体の四割くらいを占めていたりする。一人の人間が死んだくらいで世界は終わらないし残された人達にも容赦なく明日はやってくる。
しかも、龍太は人知れずあっさりと死んでしまうけど、その死をすぐには受け入れられず、でも受け入れるしかない浩輔の悲歎に暮れるシーンがけっこうな分量があって物凄くしんどかった。非常にリアルな心理描写なので、読んでいて自分が今まさに体験しているような気分になった。この場面、作者はどんな気持ちで書き綴ったんだろう。過去のこととして他人事のように冷静な目で書いたりとか……私だったら無理かな、つらい……。
龍太が死んで後の話。龍太の母親と浩輔とで残された者同士で実の親子のように孝行したり心を支えたりっていう話は、エピローグでもおまけでもなくむしろ本題かなっていうくらいのものだった。だからといって龍太の存在が軽い訳じゃなくて……浩輔が龍太に援助を申し出たモチベーションになったのが浩輔自身の母への思いで。それを龍太の母親が汲み取ってくれて、浩輔がこの親子を救ったと同時に浩輔もまた彼らに救われていたのだと。
だが同時に明るみになる残酷な現実というのもあって、龍太の母親は息子を喪って始めて生活保護を受けられるようになり、無料で治療を受けられるようになったという。なまじ側に扶けてくれる人がいると社会福祉は遠ざかりがち。浩輔にしろ龍太にしろしなくていい努力をしてしまったともいえるのだけど、そうしたからこそ得られた愛と幸せがあったわけで。