はてなキーワード: ADHDとは
現在21歳女だけど、産むべきなのか、産まないべきなのかずっと考えてる。
正直子供は嫌いだし、子どもを見るたびこんな相手できる気がしないと思う。それは高校生の頃からだし、泣き声や高い声も得意ではない。(得意ではないからと言って邪魔だとか攻撃的な気持ちはないです。)
トロッコ問題でよく小さな子どもと地位のある大人どちらを助けるかの選択があるが、子どもを選ぶ理由が理解できない。
お腹を痛めて産んだ子だから、、が理解できない。(鼻からスイカを出すぐらい痛い思いして産んだ子供が引きこもり、犯罪者になったら恨まないのか?と思います。)
血の繋がった家族とはいえ他人の人生に責任を持てるほど自分は出来た人間なのかと思う。
自分の顔についてよく悩んでいる。子供も同じ悩みになってほしくない。
また、生きるって何だろう。といつも考えていて、死にたくなるときもあれば、生きているメリットってないよな。と思ってる。そんな人生、子供にも味わえと言うのは苦しい。
頭も別にいい方ではない。ADHDを数人に疑われてるからそれが遺伝しないか怖い。
気分の浮き沈みがある。ヒス構文などバカにされてるが笑い事じゃないぐらい自分も毒親になりそうだと思っている。
、、
大学も卒業して、就職する季節が近いため将来のシミュレーションをしていて、結婚はしたいと思ってる。結婚に付きまとうのが子供だと思う。
親や祖母に孫が見せられること。
産めなくなってから子供を生めばよかったと思ったときの保険になること。
ぐらいかも。
でもそのメリットすべてが自分のためで子を産むって親のエゴなんだな。と感じる。(他の人は子供にも素敵な人生を歩んでほしいとか子供のために産んでると思ってるから自分の話です。)
親のエゴってとても苦しい。でも他人に流されて産んでしまいそう。そして後悔して、21歳のときにこんなこと書いたな、って思い出すのかな。と思ったり、40歳になり、ひとりぼっちもしくは旦那さんとふたりで寂しくなるのか。それとも二人の生活で満足できるのか、、。
なんかこれ書いてるうちに子供を産むべきか産まないべきかの話より、自分の人生について話してしまいそうなのでもうやめる。
自分はいつも人の言ったことしかできなくて自分で選択したこと、あるのかなぁ。
将来の私が後悔してない道を選んでることを願ってます。
https://nazology.net/archives/134954
インセルのグループは精神的に非常に問題を抱えていること、認知に歪みがあること、被害者意識が強いこと、自閉症スペクトラム障害(ASD)の発生率が高いことが明らかになりました。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
独身である主な理由としては、恋愛のスキルが低い、外見が良くない、社交的でない、恥ずかしがり屋という4つの点が多く挙げられました。
いろいろ説明されているけど「ASDはインセルになりやすい」に集約できるのでは?
世の中にはイケメンではないし金持ちでもない男性がモテているケースもあるけど、そういう男性の性質ってASDの対極みたいな、高いソフトスキルの持ち主だし。
コミュニケーションで人を楽しませたり癒したりするのが上手い人気者タイプというのかな。こういう男性、ADHDにはいるけど、ASDには一人もいないんだよね。
ASDって自閉だから、コミュニケーションで基本的に人を傷つける。それも他人に興味があって意図的に傷つけようとしているんじゃなく、
他人に興味がなく、自分の都合しか考えられないような自閉的な脳のつくりに生まれてきているから、後天的に改善される可能性がない。
ADHDの不注意改善に使うような薬もないしね。ASDは打つ手がないんだよ。
ASDだからコミュニケーションで人を傷つけるけど、表層的なスペックが高いから人が寄ってくる。
容姿が悪くて低学歴のASDは、人生の早期にいじめ・不登校・引きこもりなどの挫折に至るんだけど、
高学歴でイケメンのASDは、容姿と知能のパワーで乗り切って、一部上場企業に就職できたり結婚できたりするんだよね。
ただ、ASDの本人が苦しんで退職してしまったり、離婚になってしまうケースも多いのだけど。
容姿が悪くて低学歴のASDが、高学歴イケメン金持ちASDが結婚できているのを見て、
「女は男の金と容姿だけを見ている」って思いこんでしまうのも仕方ない。
ASDには世界がそのように見えてしまうだろうと思う。だってソフトスキルが理解できないのだもの。
薬もないし治療もないし、「金」や「イケメン」などのカードを切れない生まれだったら、人生が終わってしまう酷いデバフ要素がASDだよね。
ADHDには美容整形したりファッションに浪費したりと、人からどう見られるかを過剰に気にするタイプも多いのだけど、
ASDについては「身だしなみ崩壊」レベルで無頓着な人が多い。だから後天的に容姿レベルを上げるのも「脳」のほうの問題のせいで難しくて詰んでる。
が主に挙げられてると思っている
前者は最近はASDとADHD、その併発型で分けられる事は大分増えたけれど、その内部ではやっぱり相変わらず一括りにされている感じ。
ADHDと一括りにされる中でも、その症状って多岐に渡るし、それらが併存している人もあれば一部しか当てはまらない人だっているじゃん。
全部を「発達障害」に括るじゃなくて、例えば不注意症とか感覚過敏症とか多動症とかに分類するんじゃ駄目だったんだろうか。
自分の場合、不注意や感覚過敏はあっても、物静かでおとなしくて多動傾向は全然ないので、ADHDと括られるには違和感あるんだよなー
私は子供の時から授業中の他の生徒達のお喋りが本当に駄目で、テストの成績は良かったけれど学校の人間関係は全く上手く行っていなかったし
その後就職してからも同様の状態で、周りがうるさすぎて耐えられず首になる事を繰り返している
で、小中学校時代に授業中に騒いでいたようなクラスメイトが、普通に仕事して家庭を築いて成功しているものだから物凄くやるせない。
で、後者も前者にある意味連動していて、「発達障害」に括られる特徴が発現するか否かって、やっぱり環境に依るところが大きいとしか思えないんだよ
全部が全部先天的だなんて思えない
スケジュールに余裕がなくマルチタスクを強いられる職場だったらミスが増えたり
オープンオフィスだと聴覚過敏で苦しむけれど個室なら快適だったり
https://ynu-syukatu.doorblog.jp/archives/41998866.html
大学3年生で就活できそうになくて多分死ぬと思うけど、なんか救いが欲しいから調べたら出てきた掲示板について。この掲示板が世論とは言わないけど「就活うまくいかない = 社会のお荷物扱いの不良品 = さっさと死ぬべき人間」とか「就職すらできないような人間は淘汰されるべき」とか(まとめサイトのコメント)にいいねが結構ついてて辛辣(といっても社会の一般認識?)だなぁと思う一方で「そう言うやつはどの道死ぬ」とかは確かに打たれ弱いし結構ありそうな話で納得が言ったり、掲示板にもあるように多分どこかでプライドを捨てきれないから死ぬっていう手段が出てくるんだろうと思う。ちなワシはASDとADHD併発してる上に対人恐怖症とうつ持ちの社会不適合者やけど、どこかでフリーターとかニートになる事に対して嫌だなぁと思ってる辺り色んな意味で死んだ方がいい人間なんだとは思う。どうしたらいいんだろう?
俺はASD/ADHD(不注意優勢型)のハイブリッドだが、明示だろうが黙示だろうが納得できないルールに従うのは難しい。
無意味だと思うルールに従うのが苦痛でバイトを二度辞めた。定型発達者が無意識にこなす「とりあえず従う」がとにかくド下手なのだ。
幼稚園の頃、よその教室に出入りする際は「失礼します」「失礼しました」と言う規則があった。
しかし俺は納得できなかった。
以上の理由からいつもルールを無視して教室移動していたが、ある日先生にバレて廊下に出され、「言うまで入れない」と命じられた。そして授業が終わるまで、ひとり外で泣き続けた。
現在はこの手の日常マナー問題は「犬が尻を嗅ぎ合うようなもので、集団に馴染む意思を表す記号である」と解釈することでクリアしている。
それはそうと、未だ解せないのが外食時にテーブルで「いただきます」「ごちそうさま」を言う人。あれは何なんだ。
スタッフへの感謝ならレジカウンターで直接言えばいい。食材への感謝というが、死骸に手を合わせて何が伝わるというのだ。プレデターに「血肉になってくれてありがとう」とか言われて喜ぶ人がいるだろうか。そんなんええから殺さんでくれと思うのが生き物として自然だろう。食卓でマスターベーションをするな。
「残すと食材に失礼」という謎の負い目もそう。獲って殺した時点で失礼もクソもない。
「米粒残すな農家に失礼」もわからない。稲刈りの時期は田の周りに獲り溢した米が点々と落ちている。米に神が宿るならまず農協にクレームを入れろ。
俺は味覚・嗅覚・触覚が過敏で手先も不器用なため、食事関係の苦手がとても多い。そのため食事教の教義に従わないと無条件で人格否定してくる人間全般に激しい怒りを抱いている。何が「育ちが悪い」だ、死ね。
少し話が逸れた。
インターネットには我こそは発達障害者の代表でございという顔で障害特性を語る当事者が多く本当に辟易する。発達障害はスペクトラム、千差万別、100人いれば100通りの特性がある。傾向こそあれ白と黒に分別できるものではない。
作業所に通っていた時期があるが、知的障害の有無を問わず誰一人として「同じだ」と感じる人はいなかったし、むしろ相入れない人の方が多かった。
だからさぁ、断定調の方がバズりを狙えるのはわかるんだけど、他の当事者が誤解されかねないんで止めてくれませんかね。anond:20230930021538もそうだけど。俺あんたらと全然違うよ。
発達障害の人は非凡な才能があり、それをいかして仕事をしているというキラキラしたストーリーを見かける。
私はまったくそういうのがない、何も取り柄がない普通の発達障害。そして、障害の程度が中途半端すぎて障害年金も障害者雇用も福祉サービスも引っかからないので、普通の人より出来ない健常者として生きていかないといけない。そんな中途半端な障害者の紹介がないので、人生のロールモデルがいなくてこの先どうしていけばいいのか悩んでいる。50年近く生きていき、理解ある彼君は一度もいたことがないため、お一人様の老後を過ごすことは決まっている。
私が間違えたのは、診断を受けたことと、それに起因して自分が出来ない人と思いこんでしまったことではないかと思っている。
大学時代に違和感があって発達障害の診断を受け、知り合いのつてで就職した。事務アシスタントと清掃の仕事だが、簡単な仕事だけを行っていた。ここは障害をオープンにして就職したので、一応の障害の配慮はあった。
しかし、配慮しすぎたのか、簡単な仕事をずっと続けることになった。変化がよくないということで新しい仕事であったり、スキルの獲得ということがなかった。なので、15年間同じ職場にいたのだが、スキルの獲得もなく、キャリアアップとは程遠く、昇給も賞与も手当も一切ない状態だった。
給与は上がらないのか?という相談をしたことがあったが、「時給換算をするとパートの時給を上回るのでこれ以上は上がらない」というよく分からない回答をされて、それ以上何も言えなかった。というか、私はもしかしてパート職員だったのか?という疑問が今でも残る。
経済状態がギリギリすぎて、二次障害の鬱が悪化した(後にこの鬱は双極性障害の鬱であったことが分かったのだが、15年の勤務のうちに鬱だと思っていた二次障害は双極性障害になっていた)。経済的安定を図るために手帳を取得して、障害者控除と障害年金を取ることを主治医から提案された。
手帳を取得し、年金を申請したが年金は落ちた。たぶん、不登校であったり、休職をした期間がないからではないだろうかと予測される。年金申請時の私の状態は、仕事は辛うじて行っていたのだが、自宅では寝たきりで生活はほぼ出来てなかった。食事や身辺の清潔さを保つことができず、帰ってきて布団の中に入ってそのまま動けなくなっていた。
当時、私が住んでいた県は精神障害の人への年金支給がとても厳しい所だった。それもあるかもしれない。
手帳を取得したことにより、障害者控除を受けることで住民税の非課税世帯になった。非課税世帯になっても私の手取りは12万円程度だったので、一週間で使えるお金は4000円程度しかなく、この経済問題が私の鬱の悪化を加速していたように思う。この時の私は貧困妄想が過度に酷く、いかに迷惑をかけずき死ねるのをずっと考えていた。アパートの廊下は壁際しか歩けず(気をつけないと無意識に外側へ踏み出しそうになる衝動を抑えていた)、ベランダ側の窓は閉め切っていた。
ここまでしても15年も同じ所にいたのは、自分はここ以外では働けない、ほかの職場は障害に理解してもらえず、さらに精神的に悪くなると思い込んでいたのと、職場の人に思いこまされていたということがある。
友人が転職をしたことで、転職の仕方が分かった。転職サービスに登録したが、全てに断られた。何もスキルがなく、無駄に15年を過ごしていたので当たり前だと思う。障害者用の転職サービスにも登録したが、ここもすべてお断りをされた。中途障害の人を求めているのではないかと気がついて、絶望したことをおぼえている。
転職活動を2年以上して、在庫管理の仕事へ転職する事ができた。障害はクローズドで健常者のふりをして転職をした。初めて、手取りが20万以上になって、あんなに酷かった鬱が和らいで安定したことに驚いた。
結局この仕事は2年ほど働いて、さらに健常者として転職した。今度は清掃がメインとなる仕事であるが、新卒から約18年ほどで初めて定期昇給、退職金、通勤手当、確定拠出年金がある仕事に就くことができた。前職より手取りは少し減ったが、昇給があるという安定感が今の精神的安定に少し役立ってる。
私みたいに中途半端な障害程度な人は健常者の振りして普通のまともな企業に新卒で入って、スキルを獲得するのがよいと思う。それか、診断が在学中にでたら、就労移行支援を受けて、大企業の障害者雇用に潜り込むのが一番よいように思う。
私のようになにも取り柄のない発達障害は本当に中途半端すぎて生きにくい。なので、新卒カードを無駄なく使わないと、私のように無駄に若い時を過ごしてしまうことになる。
この増田にASDだけが発達障害だと思うなよ的トラバがちょいちょいあるのに具体例が上がってないからでしゃばってADHD(注意欠陥優勢)語りするね。
まず最大の違いとして、ADHDの発達障害当事者は黙示のルールをだいたいは察知できる。ADHDはとにかく情報が大好きで情報でパズルすることがもっと大好きなので、”明示のルールの上では違反だけど、情報を繋ぎ合わせて考えると違反してもしょうがないところがある“黙示ならいくらでも飲む。パチンコがどうして三店方式を採用してるのか分かるし、学校にスマホを持ってきている友達を見ても「お母さんが車で送り迎えしてるから」みたいな事情を把握できれば放っておく。そもそも不良だったとしても怒りを抱けないので放っておく。これはASDとの大きな違い。
ADHDは相手の感情をなんとなく察知したり、頭が良いほうなら定型発達みたいに話すこともできる。そのうえで他人との接触をどうでもいいと思っている関係上ほとんど反発しないので、感情面においては、いわゆる発達障害特有の焦燥は生じにくい。ここでは話が逸れるので扱わないが、基本的にADHDの”つらさ“は身体面に集中している。
ADHDは自分の意志や感情を抱くことがなにより苦手なので、それを逆手にとって穏やかに振る舞うことができる。ADHDは喋るのもとろいのであんまりとげとげしいことは言わない。ADHDはぼんやり生きているので発言はいつも的を外しているし、言いたいことの7割くらいはそれを口に出す前に他のことに興味が移動するから、”“言いにくいことをついスパッと言ってしまって気まずい空気になる”“みたいなイベントはADHDにはめったに起こらない。
とにかくADHDが最も苦手としているのは、周囲に馴染むことではなく、情報に付随する情動やライブ感みたいなものを持続させること。ADHDはマホちゃんのスカートを見て「似合ってない」「ダサい」みたいなことを思えない。ああ、知らない形のスカートだ。初めて見たな。それだけ。
定型発達やほかの発達傾向のみんなが生のまま摂取できる情報を、ADHDはそのまま手に入れることができない。ADHDが知覚したものはすべて脳みそを通って漂白され、俯瞰的な情報としてだけ記憶に残る。なのでADHDは自我が希薄で、強い感情を抱くのがあんまり得意ではなく、いつもヘラヘラして見える。
ゆえに”黙示のルールの察知“こそできるものの、ASD増田と同じように「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」ルールには従えない。ADHDには人を嘲る方法が分からないし、それを娯楽とできないので従うメリットがない。なのでこの辺は表面上同じ感じになる。
これによって軋轢が生じにくいのは、ADHDがあまりにもぼんやりしているせいで、こういうときに意固地になるような真面目ちゃんではなく、打っても響かないうすのろとして認識されるからである。
大元の増田の一番の違和感はここだった。とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃうのは”発達“の悪癖ではなく、とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃう定型発達の未熟さである。ADHDは他者に干渉しないので、萎びた観葉植物くらいどうでもいい穏やかでのっそり動く謎の生き物でしかない。
まともな人生を送りたい場合は障壁になることもあるが、素の性格に関わらず偏屈者ではなくまぬけとして認識されやすいのはADHDの大きな強みでもあるので、とにかくここが気になった。
ADHDはマホちゃんにあのスカートが似合わないことにも、周りのみんなが「いっしょになって嗤え」と要請していることにも気づかないが、情報の追加には敏感なので他の子がまずしないような服装であることには気づく。
ADHDは頭の中でとりとめもない情報同士を接続させることに人生のほとんどを費やしているので、”誰も履いていないようなフリフリのスカート“はファッションアイテムではなく”はじめて見る物体“であり、他の情報と接続されるのを待っている新しい情報である。すてきな新しい情報。マホちゃんに似合うかどうかは分からないしどうでもいい。そんなことより既知の情報とスカートを繋げるべく「プリキュアがあんなスカートを履いていたな」とか「ああいう鳥がいた気がするな。なんて鳥だったかな?図書室で図鑑が見たいな」みたいなことを考えはじめ、ADHDの知覚範囲からマホちゃんはいなくなる。
なのでマホちゃんに声もかけないし、マホちゃんがお友達にべったりな性質の子でない限り、高校生になる頃にはマホちゃんとは疎遠になる。
ADHDは来るもの拒まず去るもの追わずなので環境によっては知り合いを多く得られるが、人間関係を維持できないので竹馬の友はいない。
ADHDは人の話を最後までうんうんと聞き、口答えせず、ゆっくりと動き、細かいことを気にしないので、中高年や高齢者の相手をするのが得意である。なのでパートのおばさんから無視されることはあんまりない。
ただ、ADHDの動作は何もかもがとろくさく、仕事中にどうでもいい物事に気を取られるので怒られることは多いかもしれない。
ADHDは美術部には入ると思う。ADHDは自分以外の人間たちもみな、たくさんの情報を頭に流し込まれると幸せになると思い込んでいるので、自分の頭の中に入っている情報をいろんな形で出力して見せびらかすのが大好きである。というかそれ以外にまともなコミニュケーションが取れないので、ADHDにとっては、文章をしたためたり絵を描いたりすることは定型発達における世間話や歓談に相当する。
ADHDは先生のことを好きにならない。ADHDにとって全ての人間は情報の塊であり、有用な情報がたくさん詰まっている先生のことは心から慕うだろうが、それは人間への好意ではなく、使いやすい辞書とか見やすいwikiとかに対する信頼と同じ感情である。ADHDは強い感情を安定させることが苦手なので、恋愛感情が発生するまでテンションを上げ続けることができない。
ADHDは具体的でないアポを全て忘れるので、社交辞令で飲み会に誘われたことをそもそも覚えていない。ADHDは人間とのコミュニケーションを情報として知覚できないので、具体的なアポであってもたまに忘れる。
ADHDは交友関係を維持する努力ができないので、大人になったADHDのスマホにマホちゃんの連絡先が入っている可能性は限りなく低い。ADHDにとって他者との繋がりは最も価値の低い情報なので、スマホを新調するさい電話帳の引き継ぎを忘れるかめんどくさくて移さないに決まっている。もし奇跡的に連絡先が入っていても連絡する理由が分からないので、マホちゃんに電話する代わりにTwitterで久しぶりにたずねた地元のラーメン屋にかんするツイートをする。
ADHDに友達はいない。好きな人もいない。ADHDは悲しくない。ADHDの感情はいつでも「眠い」一択である。いろんな情報が絶えず頭に流れ込んでさえいれば幸せなので、ADHDは人間を欲しがらない。
まぁでもADHDはADHDなので職場で気にかけてくれるパートのおばちゃんは存在しているはずである。同世代の知人はいない。
ADHDはADHDの特性それ自体も情報だと思っているので、いろいろ調べたりする。そうしてこういう場をめざとく発見してはADHDの情報を見せびらかす。
たぶん多動が強い人はまたちょっと違うんだろうな。
おわり