子どもが、上手に絵を描いたり、歌を歌ったりすると
「良くできたね」「上手だね」って褒める。
”今までできなかったのに、できるようになったんだ!”という驚きのような感情がそう言わせる。
なので「褒めてよ」と言われて褒めるのは、本当に褒めていないし、そうも思っていない。
”今褒めたら喜びそうだ”と思って褒めるときの気持ちは、仕事の得意先に対して気を遣いながらしゃべっている感覚に似ている。
気の置けない仲の人にまで、そこまで気を遣ってしゃべりたくはない、という思いが、いっそう褒めにくくしている。
で、ほったらかしにしていると、たまにケンカになってこれまた憂鬱な気分になる。
なんで、そんなに褒めてもらいたいんだろうか。
■2014/05/02追記
「褒めてよ」と言ってくるのは、子どもではなく嫁です。
単純に子供を喜ばせるのは嬉しくないの?
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「本物みたいに描けて良くできたね」「音程があってて大きな声が出せてうまく歌えたね」 理由をつけてほめないとほめるのは続かない。 ほめられる基準がわからないと子供の心は崩壊...
やってることに詳しいプロとかなら、そういう褒め方すべきだけど、素人が変に具体的に褒めて間違った癖つけてもアレなので「頑張ってチャレンジして、偉いね」が一番汎用的だとは...
人間は他人が褒めたことは繰り返して、嫌がったり叱った事は繰り返さないようにする機能があるからだよ。 褒めもしかられもしないと、どうすべきか判断に困る。 相手にその行為を繰...