はてなキーワード: 関東とは
私、九州出身なんだけど、上下関係しっかりしてる文化があって後輩は先輩を敬い、先輩は後輩の面倒をちゃんと見るんだ!私は東京にでちゃったけど今でも地元の子達と仲良いし、後輩も可愛がってる。ちなみに私は後輩からも好かれてる。それは先輩を立てることを知ってるから後輩としても一目置かれてた!!!え!関東ってそういう文化ないのー?私、後輩ちゃんたち可愛くて仕方ないよー!もっと積極的に関わらないとー!
とか言ってたあの子。
地元のつながりも含め、自分は顔が広いから東京の遊び方も知ってる風を吹かせ遊び優先で研究室を時々ズル休みした結果、真面目に研究室通ってたコミュ障に頼れる先輩の座を奪われて裏で文句言ってるのウケるな。コミュ障が教授に雑務依頼される(後輩や新入生の対応)のはさらにあり得ないらしい。
「私の方が向いてるんじゃない?私に相談してくれたら〜」って本人たちの前で言ってるけど、依頼されたことないってさらに文句言ってる。そりゃ、次の日研究室の行事あるってわかってるのに前日遊び回って体調不良になるの繰り返してるから頼みづらいよ。
最近は研究室のメンバーで地元の後輩たちと同じような関係築こうとしてるみたいだけど、後輩たち全員関東圏出身だからそんな文化持ち出されても誰もついていけないことにいつ気づくんだろうなーって思って見てる。
大阪に出張言行ってくら寿司寄ったんだけど、普通の味噌汁がなくて赤だしの味噌汁しかなかった
そうか? 「ゆう/いう」「いった」「いわない」「いえば」 が関東あたりじゃ普通だろ。
例えば「いわんこっちゃない」とか「そういえば」とは言うけど、「ゆわんこっちゃない」「そうゆえば」は無いと思うぞ。
ではなぜ「いう」だけが「ゆう」になりやすいかと言うと、それは単に後続の母音 u に同化しているということだと思う。iu だからね。こういうのは日本語に限ったことではなくて多くの言語に頻繁に見られる現象。(同化現象 assimilation)
ではなぜ昔はこうならなかったかと言うと、「言う」が「いう iu」ではなくて「いふ iφu」だったから、i の直後にu が来ていたわけではなかったから。で、多分 φ が脱落して「いう iu」になってから「ゆう」化が起こり出したのだと思う。
このように考えると、もし関西で「ゆう」化がよく進んでいるとすれば、それは多分 φ の脱落(つまり「いふ」が「いう」になった)時期が早かったからではなかろうか。というような推測も成り立つかも知れない。
さっき久しぶりに昔のインスタアカウントを開いた。
私と同い年なのに子供がいたり、大学に行ったり就職してる人もいた。
ちょっと私と彼女たちを振り返ると私と彼女たちはカープ女子と呼ばれる広島東洋カープの女性ファンだった。
東京ドームや神宮、ハマスタ果てはナゴヤドームまで一緒に行くような私にとっては親友だった
ドームの飯は不味いからと一緒にまるごとソーセージを持ち込んだこともあった
当時は関東に来るほぼ全ての試合を観戦し、カープが負けた時は隣の知らない外野のおじさんとか友達とかと緒方や畝の采配について文句を言ったりした
そんな日々がずっと続くと思ってた
私も高校に進学したし全員時間が合わなくなったといえばそうだと思う
でもあんだけ熱中してたから何年経っても全員一生カープ女子であり続けると思ってた
でも違ってある1人は野球始めて見た!とWBCの写真を上げていた
その瞬間あーあと心の中で何かが崩れる音がした強いカープはいないし、カープ女子ももう居ないんだなと落胆した自分もいたし不思議と納得した自分もいた
アホなりに3年間と浪人の1年間カープのそばに居たいがために大学受験を頑張った私もカープ女子ではなくもうカープファンなんだろうなと遠征先の名古屋駅前で少し悲しくなった。
・20代後半男
会社の別部署の同期に告白して先月末振られた。後になってから気づいて後悔したことを吐き出す。
①食事には他意は無い
同じ食べ物が好きで5回くらい二人で食べに行っていた。女の子から誘われて言ったこともあった。
しかし私と行きたいわけではなく、単純に美味しい物を食べたかったことや都内からは若干離れており遊ぶ場所が少ない、女子の同期がわずか等の理由だったと思われる。環境がそうさせたのであって、食事程度でそこに他意は無かった。間隔も1~3カ月程度に一度であり月数回とかでは無い、食事に行った時の会話もたわいの無い話ばかりで、恋愛の話は無かった。
彼女の行きたいお店の近くに行くことになった。お店の近くには遊園地とかもあるしついでにどこか行きたいねというlineが来た。
遊園地に行きたいと解釈してしまい日中に行くことになった。遊園地に行く=相手も好意があるとそこで勘違いしてしまった。
遊園地に一緒に行くのは、私にとっては特別なことであったが、当たり前だが人によっては違うことでもある。
それからおそらく日光なら日光東照宮といったように、メジャーな場所を文面上に上げただけでそもそも行きたい場所ではなかった可能性もある。
直接言われたわけではないlineの文面をそのまま解釈してしまったのもよろしくない。文面も遊園地ではなく、遊園地とかどこかであった。
遊園地に行った後、夜にごはんを食べて告白した。挙動不審な告白になった。
彼女からしてみればもらい事故で加害者側が勝手に怪我をして、後気味が悪いような感じだと思われる。それならまだましかもしれないが。
本来なら告白する前にすこしづつ好意を表したり、恋愛の話をしたりするが、非モテの私はあきらめてというより自分可愛さに逃げてしまっていた。
断られた後から本当に好きな人なら恥ずかしくても好意を表すのを怠るべきではなかった思った。しかし、そもそも恋愛から逃げていた自分が、相手も同じコミュニティいる人間であるのに突撃するとどうなるのか想像せずにいたことに気づいた。
相手のことを本当に好きで考えていたら踏みとどまるべきであった。
とりあえず不倫報道から現知事の黒岩は落選して欲しいんだけど、他の3人がどれもどうだよ、という感じだ…。
選挙公報を見た感じで、まず加藤さんは消えた。んで次に消えたのが岸さん。もし直近に共産党の除名騒動が無かったら、まだ残ってたかもしれないけど、今の志位体制だと、どうにも支持しづらい。
んで残ったおおつさん。どうやらNHK党から変わった女子48党の党首。NHK党の活動自体は応援したかったんだけど、なんというか立花孝志が好きになれないというか、信じきれなくて、支持できなかった。
でもこれなら立花孝志に嫌がらせ目的の一石二鳥になるから、まぁギリギリ投票してもいいかな…。第一目的は、黒岩を落としたい(少なくとも謝罪だけで禊ぎをで終了させない)だし。
せめて、もうちょっと実績のある人が出馬してくれてたら、素直にその人に投票したのに…。なんで関東の県知事の選挙が、こんなに人材に恵まれていなさそうなメンツなんだ。
※※このお話は知的障碍者の方への差別を助長してしまうかもしれない内容になっています。
ですが、そういう内容であるがゆえに、今まで誰にも言えずにいました。
相当前の話なのでほぼそのままではありますが、一応フェイクを要所で入れています。
あまり読ませようと書いている文章ではないので、ポエムだと思って読み流してください。
当時うちがあったのは関東の片田舎。住宅地であったその周辺には昔、少し有名な知的障碍者の人がいた。
出歩くのが好きな方なようで、小学生だった私も登下校の時にほぼ毎日レベルでよく見かけていた。
電柱の影や、建物の隙間などに隠れて(?)いることが多く、たまに「いー!!」と声を出しながら走って移動していた。
「いー!」と言っている様子から、みんなからは「いっくん」と呼ばれ親しまれていた。
ほぼ毎日レベルで見かけていたこともあり、私たちにとっては日常の風景であった。
からかう子すらもはやいなかった。たとえ事情を知らない子がたまにいて、ついからかってしまっても、周りの友人が注意し謝罪するような雰囲気があった。
ある日、私たちが通っていた小学校にいっくんの兄と名乗る人が来た。
いっくんの兄と名乗るその人は、重々しい空気の体育館に児童が集まるやいなや泣き顔で
いわく、いっくんが私たちの学校の児童からからかいや暴力を受けているというのである。
それも一度や二度ではなく、自分は非常に頭にきていること、加害者を同じ目に遭わせてやりたいと、大の大人が泣きながら怒鳴る姿は数十年経った今も忘れられない。
いっくんのお兄さんが他の職員に制止されながら帰っていったあと、体育館は異常に静まり返っていた。
突然のことであったし、小学生にとっては迫力がすごく、かなり怖かった。
確かにいっくんがいくら親しまれていたといっても、一部には石を投げるなどのいたずらをした人もいたようだ。
ともあれ、そのようなこともあり、より一層いっくんにはみんな優しくした。
その集会が行なわれる少し前、いつものようにいっくんを道で見かけた。
いつも通り、電柱の影に隠れて周りやこちらをじっ……と見ている。
私はその時たまたま一人だったが、こちらもいつも通り横を歩きすれ違った。
「さちーーー!!!」
さち、私の名前だ。
繰り返し、繰り返し。
聞き間違い?早口に「いーー!」と言っているのがたまたまそう聞こえるだけ?
混乱し、足が止まった。
バチっと目が合えば、いっくんはそれまで居た電柱の影から勢いよく飛び出し、突然走ってどこかへいった。
自分より大きい生き物が突然予想していない動きをするというのは、いざ目の当たりにするとかなりビビる。
こっちに来たらどうしよう、逃げたい、そう思っても体が固まって動かなかった。
確かに登下校の時、いっくんの前で友人たちと呼びあっていたけれど。
あの集会で、お兄さんが言っていた。
「○○(いっくん)は普通の、君たちとなんら変わらない俺の大切な弟だ。」と。
―――――ちがうよ、こっちに移動しようと走ってただけだよ。
気のせい。
気のせいだよ。
ほんとに?
何年も、ずっと続いてるのに?
横を通ったその時、また「さちさちさちさちさちーーー!!!」と叫ばれた。
母は笑いながら「名前呼ばれてるみたいに聞こえるわねぇ」と言った。
私は「早口で何言ってるか分からないけど、びっくりするよね~」と笑いながら返した。
正直、今真剣にこのことに向き合うと「気持ち悪かったな」と思う。怖かった。
本当に言い方が悪いのは分かった上で書くと、言葉が通じるかわからない相手に、名前を叫ばれ、待ち伏せされ、追いかけられるのはひたすら気持ち悪かった。
でも差別はいけないことだから。あの人は知的障碍者で仕方がないから、これは気持ち悪がってはいけないし、何も悪いことはされていないんだ。
当時は本気でそう思い込んでいた。気持ち悪いと思うことすらできなかった。怖いとか避けたいとか、感じさせてもらえなかった。
本音をいえば今現在も、知的障碍者の方とはなるべくフラットに接しようとはしているものの、心の底の抵抗感がすさまじい。
できるだけ関わらずに生きていけるなら、その方がいいとまで思ってしまっている自分もいる。
大人になり、「そういう被害」もあると知った今、それでも誰にも打ち明けられないけれど
せめて自分の中でだけでもあの頃の自分を救ってあげたいと思い、匿名の海に流すに至った次第。
これを読んだ諸氏は賢いから、きっとこれは質の悪いフィクションだと笑い飛ばしてページを閉じてくれるだろう。
私視点だけで怖かった、嫌悪感がひどかったということばかり書いていたからなんとなくひとりよがり感が強いかもしれないけれど、
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。