はてなキーワード: 認知とは
っていうキュレーションサイトが「わかりません」で終わっていたので改めて書く。
カルピス軍団の由来は「カルピス」とTwitter上で名乗っていたアカウント。
垣鍔はTwitter開始当初は本名アカウントで、同期の弁護士らと和やかなやりとりをしていた。
しかし次第にTwitterの闇に染まり、女叩きを繰り返すよくある感じになり、そのまま本名を使うのはまずいと感じたのか名前を変更。
正反対のリベラル的な弁護士中川卓に反感を抱き、中川が「アンバサ」と名乗っていたので、対抗して同じ乳製品の「カルピス」を名乗るように。
プロフィールも、アンバサのをもじって揶揄したような文章にしていた。
しかし後から名前を変えたところで、過去に同期弁護士に普通に垣鍔さんと呼ばれていたのも、スクリーンネームの変更履歴も確認できる状態だった。
垣鍔晶はフェミ全般を嫌い、有名フェミの女の唇を拡大した顔写真を自分のアイコンにしていた。
また、仁藤夢乃を嫌い、「ビキニでも着てろ」「ビキニ着たら吐きそう」とセクハラ揶揄し、「仁藤は朝鮮人」「半島顔」と人種差別も混じえたレッテル貼りで中傷をしていた。
Colabo問題が発生するや否や、「仁藤が嫌いなので無料で請け負う」と暇空にリプを飛ばし、そのまま暇空の弁護士に。
暇空が仁藤の顔写真を無断使用した裁判で担当弁護士を務め、敗訴した。
裁判官は「あなたには著作権のことを理解するのは難しかったかもしれませんね」と判決で述べた。
司法試験に受かったのも遅く、大して実績のない垣鍔が何故暇空に選ばれたのか掘られるうちに中傷アカウントカルピスが発見される。
垣鍔がmixiなどで祖父の代から三代目弁護士であることを自慢してまわっていたことや、祖父や父は検事になれたが自分は受からなかったことから歪んだことなども判明。
暇空ウォッチ用アカウントたちが垣鍔を揶揄して「カルピス」を名乗るように。
「垣鍔カルピス晶」といったような名前のアカウントに対して、暇空が垣鍔部分は隠してカルピスカスピス連呼するから余計面白がられカルピスが増殖。
自分の弁護士の恥部を晒されないよう、暇空は彼らを「カルピス軍団」と呼び、カルピス軍団と話した者はブロックすると「カルピス軍団対話罪」を発令。
しかし無視できずに暇空自身がしょっちゅうカルピスカスピス言い続けるためあまり効果はない。
カルピス軍団の一人が「数学教師の免許を持っている」と雑談していたことを理由に、暇空は「あいつは、数学が得意だとインタビューで言っていた某弁護士だ」などと認知プロファイリングしているが、法学部生が数学教諭免許を取るのは難しい。
推しはごく一部から人気あるけど世間的には全く認知されていない
だから自分は下手なりに推しのファンアートを描いたり推しへの応援コメントは欠かさなかったしあらゆる方法でお金を落とした数字1のオタク
理由は本当にくだらないんだけど
推しのファンが徐々に増えて、その新規ファンへの福利厚生が増える一方で自分のような古参は「存在して当然」かのように見向きもされなくなったから
そりゃ新規ファンとの交流は大切にした方がいいし、育てるべきだと思う
だけど、こっちだって応援の声に応えて欲しい赤ちゃんな気持ちもある
弟が生まれて親からの愛を奪われた兄の気持ちに近いかもしれない
なんだかしんどい
このまま推し応援アカウント消したら少しは気にかけてくれるかなと思っても「どうせ数字1だから気づくわけないじゃん」と冷静な自分が打ち消してくる
推しへの愛は無限にあると思ってたけど、もう自分がいなくなってもいいじゃんと…
急に創作熱が冷めた話するね、よくあることとは思うけど。
一時期熱心にやりとりしていたTwitterのうちよそ(一次創作の自キャラと相手キャラの関係のこと。主に恋愛やバディなど唯一無二の関係を指すことが多い。諸説あり、知らん。)
本妻の浮上率にムラがあるみたいで数か月やりとりしていてようやく気付いた。
私とAがよくTwitterでやりとりしていて、私がいなくなるとわかりやすく出てくるんですよ。
婚約届みたいな魚拓(今後もうちよそ関係を続けます、的な)まで見せつけてきて、マーキングしてるのもされてるのにも引いちゃって。
Aも、マーキングされてるだけならまだしも、なんかまんざらでもない感じで。本妻もこっちのこと嫌いそうだし、その辺のごちゃつき確信したらなんか嫌になっちゃって。
今までしてきたこと(数十万字に及ぶやり取りや絵・漫画数十枚、相手も文字数は同様)全部徒労というか、別に人のためにやってたわけではないけど。
本妻も勝手に私のこと話してないことまで認知してて、あっ私のこと勝手に話してたんだって。
私の熱量も全部肴(話題)だったかよ、本妻(浮上率にムラあり)でてきたらわかりやすく私のこと蔑ろにしはじめて、私のことなんかその程度でどうでもよかったのかよ〜って思うと元気なくなっちゃった。
しかも本妻のグループ内でちやほやされるからAはどんどん離れていく。
こっちはA以外あんまやりとりしてたわけでもなく、評価求めようと思うと本妻グループ行く気持ちもわかる。
わかるじゃないですか、なんとなく。
仲良しグループを認識できずにでしゃばった、あの狭い教室の再現。盛り上がってた私がピエロじゃん。
うちよそ(笑)のロールプレイしようにも、もう毎回Aの本妻のアイコンと声が浮かんでもう何も思い浮かばなくなっちゃった。ゼロ。枯渇。
創作する人には伝わるかもしれませんが、自分の中でキャラが肉付けされて生き生き動き回って話が湧き上がって一人でも楽しいじゃないですか、創作って。
そこにうちよそが絡むといっそう話の可能性が広がってワクワクする。でも友人だと思ってたのは私だけみたい。
あ〜あ、創作キャラの親に入れ込むと破綻する。やめさせてもらいますわ。
でも楽しいんだよね~。距離感間違えただけの話だから、この落ち込み乗り越えたらまたできるといいな。聞いてくれてありがとアロエリーナ。
https://anond.hatelabo.jp/20231130130855
こういう記事読んでも
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
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もし、このように明らかに6秒以上時間が経ってもまだ「怒り」を出力しているようでは、アンガーマネジメントには失敗してるのである。
何が失敗しているのか、ちょうどこの前読んだ本、佐藤恵子『職場でできるアンガーマネジメント:パワハラ、メンタル不調、離職を防ぐ!』を参照しながら見ていこう。なお、この方法がどの程度アンガーマネジメントとして一般的かは流派によるかもしれない。あくまで一例として捉えてくれ。
認知行動療法をベースにしたアンガーマネジメントにおいては、ある人の抱える問題を「外部環境(相手)」と、「個人の反応」としての「認知」「感情」「身体」「行動」との計5つに細分化し、その中から「認知」と「行動」を変えることによって怒りをコントロールするものである。
6秒ルールとは、あくまで「行動によるコントロール」のひとつで、わかりやすいから広まってるがコントロールの手法はたくさんある。10秒深呼吸する、怒りの表出に時間をおく、考えるのをやめる、力を抜く、怒りの気持ちを口に出したり書いたりする……など。方法の例はもっと沢山あるから各人いろいろ探してみることをおすすめする。
ここで「コントロール」と表現したのには意味がある。まず、「怒り」という感情は必ずしも否定されるものではない。怒りは人間として自然な感情であり、コミュニケーションの機能を果たし、うまく活用すればモチベーションに転化できる。怒りを原動力に行動する、など。怒りを完全否定することは得策ではない。
……と、ここまで読んで勘のいい方は既に気づいてると思うが、ここでの説明は既に「怒り」に対する「認知」を変えようとしているのである。元増田にある「怒りの裏側にある感情を見つけよう」というのも、「怒りの裏側には別の感情があるのでは?」という「怒りの認知を変えるための考え方」のひとつだ。
「○○ってこういうものだ」という自分の考えを一度留保し、「○○ってこういうものだと考えてるけど、別の捉え方もできるんじゃない?」と別の角度から物事を捉えることが重要なのだ。その際特に重要なのは、「自分の考え方の癖」を知ることだ。
同書の中では、怒りを抱く自分自身の思考に以下のような傾向がないかを振り返ることを提唱している(「認知を変える」ことは求めていない。あくまで「認知する」だけ)。
怒りを感じたときにその状況と、思考の癖を整理することで、自分自身の感情を認知する。これは「アンガーログ」という手法だ。アンカーログを取り、自分の考え方の癖を知ることがまず大事。
その上で、その思考の癖を一旦忘れ、「別の考え方もできないか?」と考える(あくまで「考える」だけで、まだ変えなくていい)。いきなり変えようとすると大変なので、あくまで「怒りの背景にある自分の考え」の「別の可能性」を認知することが大事だ。
さて、大事なのはコミュニケーションである。怒りをコントロールしながらも、相手とのコミュニケーションを止めるわけにはいかない。そんなときどうすればいいか。
同書では「アサーティブコミュニケーション」を提唱している。相手に何か要求するときに、「事実」「事実に対する自分の感情」「要求」「相手からの返答に対するレスポンス(の準備)」の4つを用意しよう……というものだ。
大事なのは「自分の感情」という点だ。別に、感情を抑える必要はない。感情的に伝えるからコミュニケーション不全が発生するのであり、感情を伝えることは悪いことではない。
結局、アンガーマネジメントで問題になるのは「伝え方」の問題なのだ。なかでも「怒り」は自他を害する可能性が高いのだから、「怒り」を避けて行動するに超したことがないのである。
冒頭の例に戻ろう。
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
ここまで説明してきたことを実践し、コミュニケーションを前提にコメントを返すならこうなるだろう。
こんなところである。
読んでみてどう思っただろうか? 茶番に見えるだろうか? アホらしい? なんかむかつく? 長くて読めない? 反応はあなたに任せる。
個人的な話だが、この増田を書いてる中の人間は、同僚に対する態度がかなり悪いということでつるしあげをくらい謝罪に追い込まれた(被害的思考)。半年前の話だ。
正直無能な同僚(過小評価)が悪いと今も思ってる(「すべき」思考)が、それはそれとしてその場で増田が怒りを見せてしまったことは明確な落ち度なので、試しに本を一冊読んでみたわけだ。
そしたらぼんやりとした「コミュニケーションうまくいかねえな……」が、「自分は仕事とはかくあるべきというハードルが高すぎるんだな……」くらいにまでは、自分と周囲に対するギャップを認識できるようになった。
だからといって怒りが消えるわけでもなく、同僚のことも無能だと今も思ってるが、それはそれとして怒りを表出することはなくなった。
感情を率直に伝えることはやってもいい。ただ、「怒り」のかたちを認識して、それを別のかたちに変えることはできる。
怒りはしばしば自他を傷つけるのだから、わざわざ傷つけなくて済むことがあれば傷つけない方法とったほうが、生き方としては無難だろう。
怒りで生きづらくなってる人がいたら、あなたも良い人生のためにアンガーマネジメントを試してみてはいかがだろうか。
AI絵を嫌う反AI達は「AIを使った作品は心がこもっていないから禁止するべきだ」と繰り返し主張している
既に生成AIのクリーン化は実施されており、合法の学習において絵師たちが蛇蝎のごとくAIとAI活用者を嫌う政治的思想の根底にあるのは
「手描きでなければ心がこもっていない」「手抜きである」というオカルト的な手描き信仰に基づく
しかし少しでも冷静に考えてみれば分かるはずだ
イラスト界隈はそのような新しい技術が出る度に「これは絵ではない」「使う人間は邪道だ」と
排他的な姿勢を露わにし、活用者を徹底して差別してきた歴史がある。現在のAIイラストも全く同じ状況に置かれている
しかし上記のツールはいずれも浸透し、今AIを親の仇かのように憎悪している絵師達も日常的に使っているものだ
彼らも過去に幾度となく新しい物を否定する適応できない層から差別を受けていたわけだが、
過去の無知な老人達に学ぶ事なく差別と排除運動を繰り返しているのは愚かと言う他無い
僕が3DCGを始めた頃もCGが心がこもってないとか言われてたけど、今はAIが同じこと言われてる。CGは許されたのだろうか?— 奥 浩哉 (@hiroya_oku) November 29, 2023
奥 浩哉 @hiroya_oku
僕が3DCGを始めた頃もCGが心がこもってないとか言われてたけど、今はAIが同じこと言われてる。CGは許されたのだろうか?
プロであるクリエイターからもイラスト界隈の村ルールには辟易しているようで、
リプライでも奥氏に賛同する形で反AI達に多くの批判が殺到している
前回のコミケでは反AIと反AI絵師達はあらいずみるい氏への一方的なAI使用疑惑をかけ(そもそもAIを使っていたとしても何の問題も無いのだが)
犯罪者呼ばわりなどの誹謗中傷を集団で浴びせ、同氏から手描きの証拠を提示されるという事態に至った
その事件はYahooニュースなど大手ネットメディアでも取り上げられ、反AIの異常な攻撃性と非論理的なお気持ちが世に周知されたが
未だに反AI達はあらいずみ氏への誹謗中傷をしつこく続けている
このような振る舞いはもはや技術に適応できない老害どころではなく、一種のカルト信仰に近いものと言える
既にAdobe FireflyやDALL-E3により「イラストはAIを使って作る」という認識は一般化しており、
Windows搭載のペイントにもAIが導入される事が決定している
独身女性が子持ち様の皺寄せで仕事の負担が増えてその見返りが何もない事について愚痴ると必ずと言っていいほど、
その反論にはいくつかおかしな点があって、その的外れぶりが子持ち様達の認知の歪みを浮き彫りにさせていると思う
一番反発を食らう理由はこれだと思う。
今の世の中、したくないのに自分の意思に反して結婚や出産を強いられたという女性は皆無だろう。
独身女性から見たら子育てやその中で生じた子供の病気は完全に趣味でしかない。
結婚願望がない人から見てもそうだし、あるけれど結婚出来ない人から見たらさらに
子育てというのは自分がしたくても出来ない、特権階級のみに許された贅沢な趣味。
なのに何故かその特権階級達が被害者面している訳だからそりゃあ頭に来る。
子育てが趣味である事を認めず、本人の病気と同列に語るので反発を招く。
2.子持ちも病気になる
独身だって病気で休むだろと言っている人達は何故か、子持ちは自分自身の病気では休まない前提のようだ。
しかし実際には勿論そんな事はなく、子供の病気と自分自身の病気とで二倍三倍休む。
自分自身の病気の場合との大きな違いは、子供が病気になっていようと当人は健康なので問題なく働けるという点だろう。
預けて働くという手段を取らないのは完全に個人の身勝手なのに何故か被害者面する傲慢さ。
仮に子持ちが子供の病気で休んだのと同じだけの期間の休暇を与えたとしても不公平感が消えないのはここだろう。
独身が趣味の旅行や推し活、資格試験の勉強なんかで休む場合、その予定は予め決まっていて届を出している。
今日突然映画を見たい気分なので早退しまーすなんて言う独身女性は滅多にいない。仮にいたとしても子持ち様とは絶対数が全然違う。
BC5000にはケシを栽培して、モチーフとしてはシュメール時代にはすでに文字として使われてるし、薬効の認知自体は栽培方法が確立されるはるか前からあったと考えられる。
花や植物を薬として使うという知識は外傷や中毒、病気による死に晒され続けていた古代の人間にとっては生存出来るかに深く関わる重要なファクターだったであろうことは想像に難くない。
木の実等が熟しているかどうかにしても色彩による判断が非常に重要なポイントになる。
生存において重要なカロリーと薬についての感度が高く、「植物や花を認識して見分ける能力」をたまたま獲得していたグループが生き残った結果、「人間が鮮やかな花や木の実の色を好む」という現在の結果を生み出してるのではないか?