はてなキーワード: 芸能人とは
女だと「おばさんやブスは人気がない」と言われてもそうですねで終わる
男は医者や東大卒より遥かに少ない最大手事務所(旧ジャニーズ)の有名グループのメンバーを根拠に「チビはモテる」とわめき続ける
性加害騒動前の一強ゴリ押しジャニーズでも170cm未満のタレントをヒット作多数の主演スターにできなかった現実を認められず、稲葉(学生時代の身体設定で171cm)やキムタクといった170cm台の大物を165cm認定し「165cmホビットでもイケメンで厚底靴履けば芸能界で覇権を穫れる」を連呼する
川島なお美、荻野目慶子、菊池桃子、山本リンダなど女の芸能人も子供産めないおばさんになっても上級男性と結婚してるくらい、芸能人という看板は特殊だが
「反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判的意思と抵抗を突き進める立場として私は評価している。
西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧で定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。
SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレは配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。
定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。
我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?
本当にその芸能人の過去や起した事件は舞台を奪われるに相応しいのか?
なぜ「子ども」が関わると様々な表現が規制されなければならないのか?
アングロサクソン・プロテスタントの一部の道徳基準とその差別の歴史からしか発していない基準をなぜアジアの日本人が採用する必要があるのか?
地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?
芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPのミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?
そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者が尊重される日が来るのか?
その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?
上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧なものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関や機関銃のような物である。
原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。
そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧なものを拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。
個別の「昔はよかった論」「弱者男性・女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。
そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。
数ある「炎上」騒動の中でも、自活できる基盤のある会社・個人は、そもそもの圧力を無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。
日本より立場の弱い、アフリカやラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒によるメディアの支配に対する大衆の反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。
そしてポリコレへの反動は大衆やマジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者も障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。
我々を取り巻いている曖昧な空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館や交通機関における障害者の権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者の欺瞞をつくことが可能になる。
障害の不便さを笑う芸と、障害者の権利。異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微をポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。
でも普通に付き合う相手とかだったらやっぱイケメンでも怖い人は絶対やだ。
結局好きになるのは優しい人だよー。
顔は結局関係なくなる。
まあでも失恋してみて思うのは、
やっぱ私もそうだけど、みんな自分に一番都合がいい人が好きだよなって思う。
可愛かったらそういうのもあるのかもだけどねー。
なんか東京で(とか名古屋で、大阪で福岡でetc)一番おいしい焼き飯(唐揚げ、餃子etc)とかあるじゃない?
ああいうの意気込んで食べたらぜーんぜんたいしたことがないのはなあぜなあぜなのかな?
芸能人大絶賛みたいな感じで超大御所の名前とかが出てくんだけど、あいつどんな舌してるの???
ほんと不味くもなく旨くもなく、普通……やな……、、、なにを根拠に……これをSNSで絶賛するんや……、、、
みたいなのが多すぎませんか
先に定義しておくと、就職氷河期世代は1990年代から2000年代に新卒で就活した世代の事を言い
生年で区切っていないため、同年齢でも就活時期(学歴)によって世代の該当者が異なる
高卒と大卒だと4年差があり、マクロでみると誤差だけど当事者としては大きい、それくらいの差だ
氷河期世代は約10年間あり、冒頭と最後でも生き方働き方は異なると思っている
氷河期前半組の私は就活してみたら高卒の同期より就職口が少ない現状に焦り、
周囲も(ギリ景気良かった)短大卒の方が働き口が多かったのではと思ったりしていた。
働き始めた当初は、20代のうちに結婚退職が主流であり、30代の女性はヒソヒソされる雰囲気。
婚活という言葉がなく、恋愛結婚しない人はお見合いが主流。相談所は少し下に見られてた印象。
その後、少しずつ結婚しても辞めない人が出現し、働き続けるという選択肢ができ始めたが、妊娠したら退職が既定路線だった。
非婚や小無しは芸能人やエリートの物で、庶民には程遠いよねという感覚。
しかし世の中がバブル期から一気に景気後退したので一定数がドロップアウトせざるを得ず
氷河期後半組の妹が就職したころには派遣社員が増えたことで女性社員の地位が相対的に上がっていた。
育児休暇を取得する例が増え始め、同期間で「私は仕事続けるから一緒に頑張ろう」と育休取得の先駆け的世代となった。
非婚や小無しも増えて、ヒソヒソはされなくなってきた。
婚活という言葉が出現、相談所が活用されるようになってくるのもこの頃。アプリはまだ怖いから使わない。
大慌てしている氷河期前半の先輩を見てきているので世の中に期待せず自力で稼ごうという風潮になり、結果共働きが増えていった。
芸能人が子無しはむしろ過去の方が当たり前だったし、特殊な環境の人が特殊な人生を歩んでもそう自分に影響ないというか
今よりずっと芸能人は遠い所の人と感じてた
少子化については実はかなり昔から言われてたことなので、むしろやっと対策されたかって感じだから
あと、宋氏はその時代をわからない人にも一言で理解できる単語として「負け犬」をチョイスしただけだと思うから、ここに突っ込むのは野暮かなと
・高校時代野球で有名だった奴がいつまで経っても偉い人として扱われる
・無事故無違反で済んだ飲酒運転とか、お祭り好きな某法人の連中の汚い飲み方や素行とか、そういうのをシャレで済ます感覚
こういうのを異常だと思える感覚こそが都会的な見識だぞ。
悲しいかな、都心通勤エリアであっても埼玉栃木群馬茨城の多くの地域に住まう人のあいだではまだ一般化していない見識だ。
脳が都会人と比べて20年遅れてるんだよ。
私は白人ほどではないけど並みの日本人レベルの色白だし日焼けも少ない
でも仮に肌の色が黒いとして何が問題があるんだろう
以前、推しのアンチが執拗に彼の肌が黒いとかなんとかツイートし続けていたのを見た。反対に自分の推しは色が白いとずっと訴えていた。どう見てもそう見えなかったけど。
とある芸能人のコメントでも色がどうとか難癖をつける人たちがいたが、肌の色が濃くても美しい人はいる。
何かに執着するような頭の弱い人たちの基準では、肌の色とか国籍みたいなものが重要なのである
おそらく貧しく頭も悪い彼らにとってはそれだけが劣等感の無いアイデンティティだからだ。
社会的な強者はそうした非常識な態度は取らない。非合理的だから。
しかし常に苦しみや悲痛を訴えるために全く関連の無いものを中傷するような弱者には、国籍とか肌の色は拠り所なのだ。
なんか悲しいな
好きな人。
恋とかではない。本当にただ好き。
コンサート中、好きな人はずっとキラキラしてて、歌もダンスも最高で、MCも楽しくて、コンサート中ずっと夢の中にいるみたいに幸せだった。
コンサートが終わって一夜明けた今でもまだ夢の中にいるみたいでぼんやりしてる。
可愛かったな、あの衣装良かったな、やっぱりあの踊り方好きだな、あの曲の演出最高だったなって思い続けてしまう。
あの空間にいる人全員が全員、私の好きな人のことが好きなんだと思うと本当に感動する。
みんなが揺らしてるペンライトがすごく綺麗で、そんな光景をまた見ることが出来て幸せだった。
私の好きな人は私より年上だし、いつ芸能界からふっといなくなってもおかしくない。
昨日は楽しい1日だったな。
今日は日常に戻っていつも通り仕事してるだけだったけど、普通の日常の中で昨日の幸せの余韻が続いてた。
やっぱりずっと好きだな。
この感覚なんなんだろうな。
スポーツ選手とか学者とか芸能人とか、世間でスゲーと思われてる人は沢山いるけど、そういう人らと比べて自分が見劣りするとは思えない。
何か努力してるってこともないし、特別な才能があるわけでもない。
平日は仕事だけやってて、休日は趣味にのんべんだらりと浸かってる。
その仕事だって大したことない代物だし、年収だって低い。趣味も上部だけの浅い付き合い方で、お世辞にも上手いとは言えないレベルだ。
でもなんと言うか、負けてる気がしないんだよな。むしろ自分の方が美味しく生きてるんじゃないかという気さえする。
仮に総理大臣やアメリカの大統領が相手でもヘラヘラ笑っていられる自信がある。
これは俺が軽薄なだけなのか、誰でもそういう部分はあるのか。どうなの?
❶ モテても弱者男性を名乗っていいし、❷ モテなくても弱者男性とは限らない。
❶について、実際に増田でも結婚して子どもを持った弱者男性の日記が人気になったことがある。
古くから、はてなコミュニティでは弱者男性の前身として「非モテ」が語られてきたが、婚姻の有無は非モテ関係ないとされてきた。たとえ結婚しても非モテからは脱出できない。
実名に付随する肩書の威力で持論を通そうとする方がよっぽど卑怯者だと思うがな
実名を出すやつってのは、芸能人とか経営者とか個人事業主みたいな名前が売れることで仕事が有利になるやつなんだよ
本来、広告宣伝費をかけて知名度を少しずつ上げる必要があったものに、いまの時代はSNSで物申したりすることでタダで知名度を上げられるようになった
さらに匿名は卑怯だとアピールすることで、実名を出すことがデメリットになる組織人や学生にマウントも取れて一石二鳥だ
暴論や誹謗中傷が適切に目につきにくくなる仕組みさえあればそれでいい
んー個人的には浮気や不倫ももっと許容されてもいいと思っているのだよね。
それを日常的に見ていれば、レス以降浮気や不倫を選択する人も減っていくし、レスになったら絶望しかなくなるじゃない。
そりゃまぁ、結婚しようかと考えている人たちからしたら、結婚後、産後もレスにならず仲良くセックスしている人たちはそれはそれで希望になると思うけど、
そもそも相手がたくさんいて結婚を迷っている人だって、結婚後も産後も浮気不倫し放題だよ、レスになっても外でやればいいんだよっていうのは、
それなりに希望になると思うんだよなぁ。
『だってワタシ、120点だもの。』を読んでいます! #LINEマンガ なら無料
https://app-manga.line.me/app/periodic/S133392?_appstore=0
回が進むごとに主人公の美咲のいじらしさに共感する感想が増えてるけどどう考えても初っ端から120%のエモさぶっぱなしてるのは瞳。
あとやっぱ優れた漫画は主人公を無個性な狂言回しや無辜の被害者にはしないんだなと思った。
ちゃんと欠点があってこそ面白い。愛される欠点じゃなくてマジで引く欠点ね。
勝ち組人生を送る見た目も綺麗な社家美咲という女性が主人公。大企業の正社員でハイスペ旦那と娘がいて家も買ったばかり、現在は子供が小さくて時短勤務。親は芸能人で金持ち。でもマウントがうまくいかないとイライラする情緒不安定なところがある。娘が自分に似ず、あまり利発ではなくパッとしないことが気になる。美咲は幼少期、母親が自分のいないところで「あの子は何をやらせても60点だ」と話しているのを偶然耳にしてからスペックに執着するマウント狂になる。小学生時代その格好のターゲットになったのが貧乏でいつも身なりも見窄らしい中条瞳だった。引き立て役にされた瞳は美咲に懐いたが中学以降は絡まず連絡先も知らなかった。そんな瞳が主人公一家の近くに引っ越して来て再び付き合うようになる。瞳にグイグイ距離を詰められ美咲は疑心暗鬼でさらに情緒不安定になるが…。というところから展開する漫画です。