はてなキーワード: 自画像とは
ファンは青木俊直をはじめとする一部にしか知名度が無い誰それというアイコンからしてあまちゃんファンな人のツイをRTしても
ああ「のんファンか」と思われて宣伝にはならないことに気付くべきだろう
しかも片岡Kとか、炎上芸人をありがたくRTしまくったり…岡田斗司夫とかw
RTしたやつ、晒しageならともかくネット知らなさすぎるだろう
宣伝したいならさ、ゴールデンボンバーや、バンプ、キュウソネコカミ、銀杏BOYZ峯田とか、蔦谷好位置が絶賛してたのをRTすべきだよ
サブカルどころもキモヲタじゃなく、発信するオシャレなアーティストにあやかっていけ
一般人に見てほしいとか言って、おっさんの自画像やアニメアイコンの時点でそのツイート文は宣伝になってねーんだよ
素晴らしいキャッチコピーができても色んな要素で台無しにしてるんだよ(作品名を入れた名前だったり)
いいか、世間的におっさんはすべからく嫌われていることに気付け
そしてツイ上にはおっさんより若い人が多いことに気付け。おっさんコミュニティなんてごく一部だ
フォロワーのおっさんのフォロワーのおっさんで世界は止まってる
知らなくても誰だろうって調べるんだよ。ツイ応援したいならそれくらいしろ
おっさんらが知らなくても、上に書いたカタカナだらけの人たちは30代以下には超絶有名人だよ
カタカナだらけでもウーマンラッシュアワーはアウトだ
あと斉藤和義も絶賛してたらしいぞ。この日本でめずらしく好かれているおっさんだ
若いやつらはなっとらん と言うが
ネット上のおっさんたちに「おっさんらはなっとらん」と言いたいわ
24歳、いない歴年齢の婚活前線絶望組なわたしなのですが、この度友人に誘われて見合い系アプリを始めてみたんです。
なんでもこのアプリ、最初から相手の顔や仕事や趣味なんかの基礎情報がわかるらしく、しかもイイネが「相互的」についたらチャットが始まるという安全仕様。これは怪しい出会い系チャットとかしなくても誠実に出会えるじゃんか!と喜び勇んで登録したんですね。
そしたらいきなりこんな案内が書かれていたんです。
えっ、ちょっと待ってください。
慌てて画像フォルダを覗きますが、自撮りなんか全然しないもんだからかわいく盛れた自画像なんてありません。友人と撮った行楽地での写真なんかも全然ありません。流石に友人自体はいるのですが(2人くらい)、彼女も絶望組の仲間らしく、行楽地へ行っても写真なんか撮るわけないんですね。普通に楽しむか、楽しみながら本の話ばっっかり喋っているわけです。困った。
色々探した結果、取り敢えず公園で仁王立ちしてる画像(なんかフォルダに入ってた)で登録。
もちろんイイネの数は芳しくなく、出だしでコケてしまった感は否めません。
というかここでサッと自分のカワイイ写真が出せる女性がこんなアプリ使うわけないと思うのですが…。
趣味かぁ…「読書」でしょ、あとまぁ音楽聴くし「音楽鑑賞」でしょ、あと、一人カラオケ…は引かれちゃうよね女だし…うーん、奇ゲーを探すの好きだけどこれもまずいよね…あとはイラスト描いたり…アッこれただの高校生くらいの陰キャラオタク女じゃん!!まるで成長してないじゃん!!
ウーンそうねあとは物事フワーっと考えるのとか好きなのよね…はてなみてウンウン考えるとかね…えへへへ気持ち悪っ。
この時初めて気がついたのですが、わたしの趣味ってどれもこれも無難すぎるか、あるいは人に言いづらいものばかりだったみたいです。
しかも、これで顔が可愛けりゃまだいいけど、登録写真は公園で仁王立ちしてる女ですからね。
誰がこいつとチャットしたくなるんでしょうかね。少なくともわたしはいやです。
そういうわけで登録した2時間後、無事お見合い系アプリをアンインスコしました。
お見合い系アプリは、「どんな人でも気軽に出会える」とか謳っておりますが、そもそも自分のカワイイ画像がないとか、人に言える趣味がない人未満のものは駄目みたいです。そういうの最初に言ってくださいね。
最近結婚についてのエントリがあったのをみて思い切って勇んでみましたが、少なくともわたしは結婚無理そうです。
私の代わりにみなさん頑張ってください。
私はそれを聞いて、何を期待していたとだろうと思ったものだった。
しかし、私がSNSでフォローしていたイラストレーターの自画像が
かなりがっしりした体型に描かれており
よく食べる、服がきついというような実際の言動があったので
だが、どうもたまにアップされる手の写真を見るに
画像補正しているにしても指が細く、
この人は太っていないのでは?と思い始めた。
そして先日全身が収まった写真が公開され、完全にこの人は太っていないという事がわかった。
私は理不尽にがっかりしてしまって、その人のフォローをやめた。
太っていないにも関わらず、太っていて親しみやすいイメージで活動しているその人にも疑問を感じたし
何より勝手にこの人は太ってるというイメージをして、勝手に裏切られたとガッカリした自分が嫌だった。
世の中の自画像を描く方には
・介護職につく
という流れだから、特に崇高な思いをもって介護職を目指し理想に破れたというのとは少し違うのではないかと思う。
また、辞職に至る流れをみると
というわけで、2月の時点で薬物に浸っていて、その影響下で行動した結果解雇されたのであって、「その時点で壊れていた」ことは否定しないが、彼の言動を「苦悩との真摯な向き合いの結果」と言うと、今この瞬間も、実直に苦悩と真摯に向き合っている多くの介護職の人に対してあまりに失礼にならないだろうか。
彼は、適性・覚悟なく介護の仕事につき、安易に薬に逃げて、結果、自分勝手に爆発し自分と他人と業界にとてつもない迷惑をかけたに過ぎない。
増田の書いたことは、ある意味増田自身の自画像なのだろう。「ひょっとしたら自分だって彼のようになっていたかも」という心の闇と、増田はまさに「真摯に向き合い」、その結果の書き込みなのだろうと思う。その気持ちはとても尊いと思う。そして何より、増田は彼にならなかった。たとえ紙一重でも「ならなかった」ということが重要だ。なったかもしれなかったとしても、増田は何かに耐え、踏みとどまった。その点で、増田は彼よりずっと偉いと私は思う。だから、増田が彼の誇大妄想的な言動に、過剰で温かい意味付けをしてやる必要なんてないと思う。
たとえ介護職には挫折したのだとしても、あんな薬中なんかより、間違いなく増田の方がずっと偉い。真面目に実直に生きている人間の方が遙かに強く、偉い。今後、彼の周囲を、今更のようにマスコミが調べて報道するのだろう。だが、本当に調べ、報道すべきは、深く傷ついても「あんな風にならないで」耐えた増田のような人たちのはずだ。
「うるさい、余は初陣であったのだぞ」
「はいは一回にせぬか。だいたい左翼に比べて右翼がふがいないのが――」
「まあまあ、そのあたりで……」
地味な増田家(五)の当主が最高司令官と軍師の言い争いを止めた。
彼がいたことに驚いて、二人は口をつぐむ。増田家(五)の当主は汁をおかわりした。
増田連合軍は敵味方あわせて三十五万の大合戦に敗れたが、そこからしぶとく反撃を開始した。
気がつけば、北の増峠は増田騎馬軍団に封鎖され、西は増田軍の本隊が、南は後衛部隊が何とか押さえている。
敵にゆいいつ残された東は増田島の脊梁山脈とその麓にうずまく樹海であった。
増田騎馬軍団は愛馬を屠って生肉を食べる状態になっても戦い抜き、北方異民族の連絡や離脱を阻止した。
南の後衛部隊も同様であり、彼らは補給線に繋がっているだけ抵抗が容易かった。
いわば増田連合軍は「常山の蛇」となり、増田騎馬軍団が叩かれれば本隊と後衛部隊が、
後衛部隊が叩かれれば本隊が、本隊が叩かれれば後衛部隊が味方を援護した。
そして、異民族軍が入り込んだ樹海の中には緒戦で追い散らされた武熊たちが巣くっていた。
蛮族は獰猛な熊たちに急襲され、眠れない夜をいくつも過ごした。
「やっぱり武熊は頼りになるのう」と手のひらを返す増田もいたが、
増田の誇る忍者たちもこの「狩り」に投入された。増田家(四)の軒猿たちもおり、オールスター状態である。
ある日、薄暗い森の中、武熊さんに出会った侵略者は恐ろしい恐ろしい勢いでしとめられていく。
「を書くを書く」
発泡する元ソースにはバミューダトライアングルにおける魔の海水のごとく浮力がない。溺れる蛮族は沈んでいった。
その隣では蛮族が熱湯落ちして煮られていた。
野営地を小さなかわいい影が走り回っていた。気がつくと、蛮族は寝首を掛かれ額に「うんこ」と札を付けられていた。
瞳を閉じた忍びが突撃してくる蛮族の前に立ち、至近距離で不気味な目をかっと見開いた。
目が合った敵の動きは硬直し、忍びが呪文を唱えると、一枚の何事か書かれた紙切れに化けてしまった。
ブチの忍犬は茂みに武熊たちを集めて語った。
「この円い鳥たちはな、みなワシが描いたのじゃ(手裏剣ください)」
興奮した武熊たちは習合すると合体して熱い鳥になり、羽ばたき一つで異民族を吹き飛ばした。
七連手裏剣と山彦手裏剣から逃げる蛮族の前に全裸の小僧があらわれた。
「けいお、しっこうする!!」
その忍者の姿は見るたびに次々と変わり、本性を確かめるすべがなかったが、忍者としては普通だった。
ある場所では夏なのに完全凍結した蛮族の死体が大量に発生した。
「うーむ、ふーむ」
「にゃにゃにゃにゃなーん(ご主人様の顔なんてもう忘れたのにゃーん)」
探検隊をも壊滅させる力をもった熊猫部隊は、その熊猫の一匹に数えられただけでも二百匹を超えた。
彼らは第六指で異民族をつかんでは投げつかんでは投げしていった。
その忍者は増田忍者には珍しく五方手裏剣ではなく、四方手裏剣を用いた。
いや、よく見るとそれは十字の切れ込みが入った乾物であった。
「たべものをしいたげるな!」
メガネをかけた好青年が木の陰から蛮族をみつめていた。みつめ続けていた。
「20162016!」
好青年がどこまでも追いかけてくるので、蛮族の世界はいつしかモノクロに染まった。
「~~」
「忍者検非違使です。本来、忍者の呼称が現れるのは近世になってからです。軒猿も同時代資料では言われていません」
森から延々と引き出される北方異民族の死体をみて、床几に腰掛けた当主のひとりがつぶやく。
匿兵衛が答えた。
「増田島におけるいくさとは本来このようなもの。それでも上様方はもっと御覧になりたいと仰せられるか?」
アルファマスダたちは揃って首を横に振った。
別の場所では女神?が現れていた。彼女は低音から高音までノイズのない深みのある声で言った。
「ぼいんは必要ないのです」
パァアアアアと光が異民族たちに突き刺さり、ヒンニュー教に改心した彼らは増田軍に降伏した。
「神だ!神が降臨された!!」とカラトラヴァ騎士団は大騒ぎした。
その時、増田左混はめずらしく言葉の通じる蛮族と対峙していた。
「俺は降伏しないぞ」
傲然と胸を張る敵を左混は一喝した。
「武装をつけようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない」
合戦から六日目に、晴れ時々鯖が降った。傀儡使いのまじかる系軍師はそれを吉兆と占った。
事実、北方異民族は完膚なきまでに壊滅したのだった。増田領(一)の奪還がなされるのは、一月後のことである。
自意識過剰の金髪縦ロール忍者は化粧に二年五ヶ月、自画像の角度とかの調整に一年が掛かってしまったため、参戦が間に合わなかった。
みやこで同時代史料「遊戯日記」を書き続けている公家は、伝え聞いた密林での戦いを以上のごとく記した。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160621021245
次回
自分の顔を認識するのには、長い時間が必要だった。
これはきっと、誰しもに共感してもらえるような感覚ではないかと思う。
自分は美術畑の人間で、自画像というものを、割と何かの折りにふれ描く機会があった。
最初は、高校の夏休みの宿題。
思春期まっただ中の高校生達にとって、「自分の顔を描く」というのは自意識との戦いという点において、非常に厳しいもので、教室は阿鼻叫喚の渦だった。
大学入試にむけて、同じ課題が何度もくりかえされる中で、段々と皆の中の抵抗心は薄れていった。
自分の顔を、まるで記号のように、単なる一つのモチーフとして捉えられるようになってきた。
最初は、画用紙の中に似ても似つかない人物が産まれた。
誰だこれ、はじめまして、といった風貌だった。
右目が左目より少し小さい。右側の眉の流れが左と違う。唇の色が悪い。耳が小さい……化粧をするから、そういう細かいところは分かるのだ。
なのに、輪郭が面長気味であることとか、口が大きいことだとか、目・鼻・口の割合が他人に比べてどうだとか。そういう大きな特徴を、18、19の歳を過ぎるまで、まったく認識していなかったように思う。
なんなら、むしろ丸顔だとすら思っていた。
自分の姿というのは、自分にとって最も身近なものなはずなのに。(自分自身なのだから、身近という表現も違うのだけど)
いくら自分の顔を長時間見つめても、克明に観察したとしても、鏡という媒体は己の姿を歪めるし、自分の目というフィルターは多くのものをぼやけさせる。自意識とは、非常にやっかいなものなのだ。
それでも、最近、ようやく他人から見た自分の姿と、自分の中の自分の姿が一致するようになってきたと思う。
一つは他人から似顔絵を何回か描いてもらったこと。
ゆるいテイストのタッチだが、他人の目を通して描かれる自分は非常に新鮮なものだった。
もう一つは、動画の中の自分を幾万年ぶりに見たということ。
思ったよりは人間のていをなしていて、安心した。
思春期の時の自分の中の自分の姿って、何だか不思議で、ぶよぶよしていた。
「思春期には自分と外の世界との境界線が曖昧」だと、詳しくはないけどそういう心理学的な話を聞きかじった事がある。何なら、「自分の体が無限に膨れ上がって広がって行くような感覚」を覚える人もいるという。 加えて、イメージ上の姿と、現実の自分の姿との違いを思い知らされるたびに耐えられなくて枕に顔を押し付けてじたばたしたいような思いもあった。
テープで録音した自分の声を聞くとめっちゃ恥ずかしい。その現象だ。
それをだんだんと受け入れられるようになって、自分という存在の平凡さであるとか、一人の人間なんだなー動いているんだなーということを受け止められるようになってやっと落ち着けるのかなということを思う。
ただただ存在するというだけなのに、まったく難儀な話である。お疲れ様である。
なんで腐女子って大して可愛くない友達のことを過剰なまでに美人だと持ち上げたがるのか。
有名な某女優に髪型だけ似てる女がいて、そいつが姫なんだけど。
どこかで女優の名前が上がるたびに取り巻きの腐女子がいちいち「(腐女サーの姫)さんのことだ!!!」ってアホか。
事あるごとに姫を持ち上げたがって気持ち悪い。プライド無いのか。
取り巻きは全員自分の容姿にコンプレックスを持っていて、定期的にブス辛い、死にたいと嘆いている。
容姿に自信が無いと友達の容姿が良い事が誇りになってしまうのか?
姫は姫で女優やタレントに似ていると言われたという話と誰かから褒められたという話しかしなくてウザいので嫌いです。
この前美化した自画像みたいなの描いてアップしてて引いたし。
図書館戦争や映画デスノートのロケ地などに使われている。いい感じの建物だ。
小学生のとき、図工の授業で描いた自画像が飾られたこともある。思い出の場所だ。
映画を観ていると、ここ行ったことあるわ、とか、ここのエスカレーターが長いんだわとか、そういう感想が真っ先に出てきて内容は二の次になってしまう。
渋谷のスクランブル交差点なんかは多少の思い入れはあるけれど、あれはスクランブル交差点として使われているから何とも思わない。
でも、北九州市立美術館は図書館じゃない。美術館なんだ。なんですか、図書館戦争って。
ほかにも、大好きだった大学の講堂が帝都大学なんて名前になって使われていたりするのも気になったり。
っていうか帝都大学って名前ドラマとか映画で多すぎじゃない?それも気になる。
ああ、もう、気になる気になる。
内容以外のところが気になるよ〜。
いつもと別のゆとりの話。
「ほんじゃ、労働基準局でもなんでもたれこんでもらってくださいな」と
上司がキレたところ、ゆとりが会社を去ったかわりに労基がやってきた。
しばらくの間はみんなで彼の功績を讃えていた。
そのゆとりが6月頃になって「あらためて増田さんのところで働きたい」
とお願いをしてきた。もちろん父親を通じて。
「いや、社風があうところで活躍したほうがええよ、うちでは才能を活かせきれない」と言っても
「ほんじゃ、がんばりを目に見える形で持ってきてよ、
無理でしょ?そういうことだから」と断った。
「がんばりを見せに来ましたよ」と突然奴がやってきた。
父親ではなく、何故か同時期にやめた別のゆとりと連れ立って2人で。
「見てもらうまで帰りません」と叫び始めた。
「大声出すなよ」
「何を見せてくれるの?」と聞くと。
「これを見てくださいっ!」
そういうと、奴はドキュメントケースの中から小さいキャンバスを取り出した。
「は?何これ?」
『彼の熱意を受け取ってください!』
「意味わかんないんだけど、何?」
「自画像です。がんばって描きました。」
ゆとりは泣きながら繰り返した。
ちょっと悩んで、「自画像が全く似ていない」という理由でお帰りいただいた。
ふと気がつくと私も泣いていた。
増田は他人の写真を自画像と偽って釣りしていた奴のことを知らないのかな?
上げた証拠が本物である保証はないし、逆に言えば真に本物だったとしても「それが本物だという証拠はあるのか」という難癖はいくらでもつけることができてしまう。相手が「証拠として次のドラクエにマスダハテナーというモンスターを出します」くらい決定的な宣言をして本当に実現できる人物なら別かもしれないけど、たかが一般人にとっては「偽造扱いされる心配がない、真に自己を証明できる材料」なんて案外とても少ないものなんだよ。
ところで君は本当に人間なのかな?あまりにも陳腐な意見なので、ひょっとしたらbotに返信をしてしまったのではないかと不安になってきたよ。ちょっと君が実在の人間であるという証拠を出してくれないか?
まとめサイトの奴らな、久保ミツロウ先生の似顔絵ネタで何回記事作ってんだよ!!
あれはネタなの!!わざと自画像として可愛い女のコ描いて、すぐ耐えられなくなってヒゲモジャ(本来の自画像)登場ってネタなの!!
たぶん分かってて可愛い自画像のコマだけ切り抜いて、んでミツロウ先生の写真載っけて「ご尊顔」って死ぬの?即死するの?
「これネタじゃん」って即レスついても別に気にしねーのな、オメーラはな!!!
「ブスが可愛い自画像描いてるwwww」ってバカにしたいだけだもんな!!!!
『増田くん、何そんなにムキになってるの?』
は?
『ありなっちの時はそんなに怒ってなかったじゃん』
『そういえば増田くんってみっちゃんと仲いいよねー』
『こないだCD貸してたでしょ、ふだん女子と全然話さないのに』
『あ、あたしもなんかよくわかんないラジオの話してたの聞いた』
『えー!付き合っちゃえばいいのにー!(笑)』
そんでマンガ貸し借りしたり、火曜に馬鹿力の話をしたりしてみたかった