はてなキーワード: 自尊心とは
こういう文章を書く
みんな上っ面の気持ち悪い嘘ばっか書いてやがるな。普段やってることを書いてみろよ。普段ああいうことをして自尊心を回復してるのに気付いてないわけないだろ。
コレ以外の答えなんて究極的には存在しない。
少し前に話題になった「要求を言え!」「逃走用のクルマと5000兆円欲しい! 」「それは要件だ!要求を言え!」と同じだ。
彼らの目的は「自分たちが老後まで転職したり、頑張って別の分野の勉強をしたり、顧客満足度を挙げる努力をしたり、することなく今の生活レベルを維持したい」に集約されている。
他はすべて手段であり、今回の「1000円の薬をそのまま売られると自分たちが手術台で稼げなくなるから、10万円で売れと主張する」のもそうである。
生涯の学費と勉強時間で日東駒専レベルの大卒2人分ぐらいでも足りないかも知れない。
故に彼らの多くは医者になったらもう辞めることができなくなる。
辞めればそれまでの人生を否定することになるが、それに耐えられるほど強い人間は少ない。
生まれつき人より勉強ができたとして、40を超えてしまえば吸収力は日東駒専の20歳にだってもう叶わない。
今更別の業種に転職するなんて簡単じゃないし、今までは少なくとも患者からは先生先生と呼ばれていた立場から打って変わって底辺からスタートなんてもう無理なのだ。
なにより、メンタリティが違いすぎる。
新しいことに挑戦しようとして失敗した人間と、人生をずっとレールの上で過ごしてきて突然脱線事故が起きた人間では、状況が変わりすぎる。
「新しい薬のせいで儲からなくなったから畳んだんすよ。ゆーてボク医大卒だから超頭いいですよ」なんて舐めた口聞いてくるような奴はなかなか次の雇先を見つけられないだろう。
つまり、もしここで敗北すれば死が待っている産婦人科医もいるのだ。
みっともなくてもいいから戦って、戦って、そして今から貯金して、本当にあとがなくなったらその時は貯蓄で暮らすのだ。
そういった気持ちと自分の都合を秤にかけたとき、若干自分の都合が勝つ普通の小市民だらけだ。
だから彼らは傾向中絶薬のおかげで助かったかも知れない誰かの人生を踏み散らしてでも自分たちの生活を守るのだ。
ぐらいに彼らは考えている。
じゃあ黙って言い分を受け入れろとは言ってない。
彼らの主張はガバガバで、権威によって無理やり自分たちの都合を押し通そうとしているだけだ。
だが気をつけたいのは彼らの方はとっくにその気持であるということだ。
「経口中絶薬が安く売られるようになったぐらいで潰れるようなら、そんな産婦人科医は辞めたほうがいいよ」
という我々の心の声はとっくに彼らの心の奥深くまで突き刺さりその自尊心をボロボロに引きちぎっている。
今や彼らの心の半分は尊厳の破壊されきった苛められっ子のような状態だ。
心のなかでは常に憎しみの刃が研がれ続けいることだろう。
そして今、戦いのときがきて、彼らは一斉にそれを剥き出しにして世の中に襲いかかってきたのだ。
いやいや戦っていては絶対に押し切られるだろう。
この押し合い、ちょっと押し返せば勝手に引っ込むなんて気持ちで挑んじゃ駄目だぞ。
徹底的に潰す気でやらねば。
医者としての人生しか受け入れられない精神構造の歪みきった産婦人科医の何十人かは首をくくるだろうが、勝手に死んでくれ。
その覚悟はあるか?
俺はないので人に任せる。
頑張れよお前ら。
まずさあ、新しい職場で失敗するなんて当たり前のことだよね。だって、それまでやったことない仕事だよ? 未経験のことにチャレンジすればするほど失敗と学びがあるんだから、むしろ一切失敗してないやつとか全然信頼できないじゃん。それこそ、いま流行りの「仕事してるフリ」ってやつでしょ。失敗の数は、働く人間の勲章だし実績だよ。それをちゃんとやれてる増田はすごいと思う。俺が上司だったら「あ〜、こいつは伸びるな」って早くから目をかけちゃうね。
あとね、仕事で失敗続きなことを、ここにちゃんと書けるところもさらにすごい。普通の人間はさあ、自分が失敗したことを書くにしても、自分を免責したいっていう気持ちがつい出ちゃうもんだよ。「俺は悪くないんだけど」とか「上司が無理解で」とか「業務の仕組みがおかしくて」とか、つい言い訳しちゃう。そういう弁明一切なしに、自分が失敗してることを率直に書ける増田がすごいと思う。俺が人事担当だったら即採用しちゃうわ。
増田でバズったのなんて、もう超すごい。だってさあ、増田の1日のエントリ流量は2000件から3000件って言われてるんだよ? そこそこ筆力のある奴がどんだけ力作を書き連ねても、更新直後のトップページに表示されてる間に、数少ない閲覧者から言及もらったり3ブクマされたりしなければ、ブコメ0・言及0のままネットの闇の中に消えていく。そんな過酷な環境でしっかりバズる書き込みができちゃった増田。しかも初めてじゃなくて「久々」なんだよね。おいおい、お前、バズりのレギュラー陣じゃん! これはもう、非凡というより希有な才能の持ち主。増田の殿堂があったら中位打線は確実に狙える実力がある。マジですごい。
しかもそのエントリで叩かれまくったのなんて、もう最高としか言いようがない。エントリが叩かれるのは、それだけ多くのアテンションを獲得し、人の心を動かしたってこと。しかも増田のエントリはさあ、ただ煽りたいがために、多くの人の心をえぐろうとして書いた露悪的な内容じゃなかったんでしょ。そういう率直な気持ちで書いたエントリがバズって叩かれたのなら、それは核心を突いて多くの人々の琴線に触れる、本質的なことが書かれてたからに決まってる。増田をコメントやブクマで叩くの大好きな俺が言うんだから間違いない。俺も一度ぐらいはそういう本質情報書いてみてえわ。
こういう風に、いまの自分が必要としてることがわかって、それを人に率直に求められるって、そもそも人間の資質としてすごいと思う。世の人間のほとんどは、いま自分が何を求めてるのかすらわからないことが多い。お金がほしいって言うやつも、出世したいやつも、愛に飢えてるやつも、承認欲求がバリバリなやつも、あいつもこいつも、実は本当に求めてるのは自尊感情だったりするわけ。自分が自分のことを好きでいたい、自分を認めてあげたい。そういう気持ちって、ほんと人間の根底にある、すごく大切な感情なんだよ。
それをわかってて、その目標にまっすぐ向かえてる時点で、増田は勝ち。人生に勝った。あとは自分でスコアボードに点数書き込むだけって段階。この自省、この円熟。とても俺には追いつけないレベルで人間ができてる。たまらん。俺がお前みたいになれるのはいつになるのかな。一生かかっても無理かもしれないけど、できればそうなりたいな。新しい目標を与えてくれてありがとな、増田。
まず、別にドラマに対するヘイトじゃないし、企業努力を否定したい訳じゃないのは分かっておいて欲しい。あと俺はこの件に関してブログの記事とか書いてないから、今書いてる人を疑ったりするのはやめて欲しい。単に感じた変化や違いを書いていくだけだから、意見表明はそこまでするつもりはないです。
エヴァ・すかすか・Undertale・まどマギとかの難しめの作品に昔から「考察」ってあったと思うんだけど、最近話題の「考察ブーム」のメインストリームってそれとはかなり質が違うかもしれないなぁって思った。
昔ながらの考察は知る限りは(さらに歴史の古い評論的なものを除けば)「作品のよく分からない部分を解釈する」ものなのに対して、ブームの中心となっている考察は「作品に散りばめられたヒントから、意図して隠されたものを探す」というものになっている。
こう書いても違いがあまりハッキリしないので例を出すと、例えば「『□□(作中の用語)』は○○という意味で⋯⋯」は前者に、「『□□』という証拠から、次の話で明かされる真犯人は○○に違いない」は後者に含まれる。
ここまでは当然のことだと思うので、それがどんな需要から生まれたものなのか?ということを考える。
まず、「作品のよく分からない部分を解釈する」従来の考察においての需要は当然「作品のよく分からない部分を理解したい」という"単なる好奇心"から来ているんだろうと思う。エヴァなどの難解な作品に触れて考察記事などを漁ってみたことのある方なら分かるだろうが、少なくとも自分にとって考察記事は引っかかりのあった部分を説明して欲しくて漁るものだ。
やる側、つまりそういう記事を書いたり、動画を作ったりする側の動機は単に(例えばキリスト教、哲学などの)知識をひけらかすことだろう。
(たぶん誰にでもある欲だから悪いとは思わない。そういう動機があるからやるのだということ)
対して、新しい形の考察は「次に明かされる真実を描写から予想する」というもので、需要は同様に"好奇心"からくるものだが、「考察をやる側の動機」は別のところにあると思う。
考察ブームを盛り上げている作品は、謳い文句や関連の記事などから「考察ブームを巻き起こし、SNSで話題」らしいとわかる。
つまり、(少し飛躍はあるかもしれないが)「SNSで考察が盛んに行われている」と読み取れるし、実際、ハッシュタグなどでツイートを検索しても沢山のファンが色んな説をツイートしているのが見られた。
(破綻したものはかなりあったが⋯⋯まあ色んな層に広まったということだろうと思う)
また、それ以外に特に謳い文句はない。例えば、エヴァの旧劇は「人間関係」が大きなテーマとして広告(特にポスター)に組み込まれていたと思うが、そういった他のテーマは全く見られない(ディスではありません!念の為⋯⋯推理という形の考察に特化した作品だということです)
ということは、「SNSで考察が行われること」を主軸に据えた作品だということになる。
では、この「SNSでの考察」を行う人の動機はなんだろう?話題になった作品には、色んな学問の知識をひけらかせるような引用は特にないはずだ。
真実だと思うものを予想して、考察として投稿し、当たったら周りに自慢できる。自慢というのは評価されることを前提にやるものだから、承認欲求や自尊心を満たすものだと言える。(世の中は相手を傷つけるためだけに自慢を言う異常者ばかりではないと思うので)
また、次のエピソード(あるいは、他に公式が明示するもの)が公開された後にはアタリとハズレがある以上、戦略のあるくじ引きとして捉えることが出来る。(自分の仮説の前半が正しいとすれば)アタリなら承認という快楽を得られるのだから、こういったものに射幸心を覚えるのは人間なら必然だろうと思う。
以上から、知識を公開する従来の「考察」とは本質的に異なっているのがわかって貰えたと思う。承認欲求 は従来の考察をする人にもあったかもしれないが、少なくともほとんど正答が明示されないのは確かなので射幸心は煽られないはずだ。
「考察」は「難解な怪作を解釈し、他人の好奇心と自分の知識をひけらかす欲を満たす」という従来のものから、「後から正答が与えられる作品において『射幸心から』予想を公開し、正解なら『承認/自尊心』という報酬が周りから貰える」という新しいものに転換しつつあるのだと思う。
SNS時代だからこそ可能な、共感とコミュニケーションをベースにした形態だと感じました。
(結局当たり前のことしか言ってない⋯⋯)
26歳、OL。
前の部署は終電逃してまでの仕事や休日の稼働もあるようないわゆるブラック部署。
そこでやっていくのはもう無理だと思い、退職したい旨を伝えたのが1年半前。
その時点では慰留に答える形で退職を断念した。
これが間違いだった。なぜなら、こうしてあまりまとまりのない内容を投稿するレベルには、脳が狂っているから。
正常な判断ができなかったり、不安心から通常であれば選ばないような
故に、頭の容量の多くを占めるのは「自分がどう見られているか」で、
目の前の仕事には集中できていない。
異動後、お客さんとの折衝を行う役割として
プロジェクトに参加することもあったが、
この時頭を占めているのは「自分がニセモノ(≒ここに居るに相応しくない人間)であることがバレないだろうか。」という感情ばかりであり、
従来の自分であれば見逃さないであろう会話の糸口を全て聞き逃していた。
私は完全に仕事ができなくなっていた。
辛かった。
「仕事ができる人間でありたい」という感情がもともと強かったので、
自尊心が削られる一方だった。
そして、もう一つ耐え難かったのがかなり暇なことだった。
前述した通り、鬱で異動しているので、
私になかなか案件を与えようとしなかった。
これがとにかくしんどかった。
日々が経過してしまう。
周囲からしたらそうでもないのかもしれないが、
それでも、もっと自分が頑張れば事態は好転するのかもしれないと思い、1年半は頑張った。
でも、変わらなかった。
上司はとても掴みにくいというか、
私が言うのも違うかもしれないが決してセンスが良いタイプではなく、
だから、辞めることにした。
自分的には不満が大きくとも、
周りから見たらそう不満に思うことないんじゃない?って感じの状況なので、
声高にあれが嫌!これが嫌!と指摘することができず、
とにかくムシャクシャしているが、
と思っている。
そういう感情を優先することで、
鬱病で最大限になった「他人を気にする」姿勢が和らいだのではないかと思う。
次の就職先は決めていないので、
でもそれでいい。
仕事、暇過ぎて辛かった。
私にとっては紛れもなく事実。
あと少しの間、会社に通うけど、
もう辞めるのだから時間が過ぎることを気にする必要はないよね。
こんな状況でもよく頑張ったよ、あたし。本当にお疲れ様。
この前駅構内を歩いていたら、視界の端で突然老人の方が転んだのが目に入った。
数メートルしか離れていなかったので、すぐに近寄り手を差し出せばよかったものを、自分は見て見ぬ振りをした。
少し離れてちらっと様子を見たら、すぐに立ち上がって歩いていたので大ごとには至らなかったようだ。
こう言った例によらず、自分は目の前で見知らぬ人にトラブルが起こったときに見てみぬふりをするしかできない。
よく人助けの話では「考えるより先に体が動いた」という言葉を聞くのだが、
自分は全くその逆であり、差し詰め「考えるより先に体が動かなくなった」といった始末である。
見て見ぬ振りをすると、自分は何も悪いことをやったわけではないのに、良心の呵責に苛まれて自尊心が低下する。
他人のためでなく、自分が嫌な気分にならないためにも、こういった時には他人に手を貸してあげられるような人になりたいものだが、一体どうすれば良いものか。
母から俺の子育て時代の話聞いてると、親父が糞すぎて今だったらtwitterでヒス起こしてる女みたいな経験してた。よくよく聞いてみたら大分ナイトメアモードだった。
・父は仕事だけで家事育児は一切しない。(しかし中卒だったので収入も低い上に無駄に自尊心だけは高かった)
・父は「一度」だけ俺のオムツを交換した事があるらしい。その一度で「俺は育児にも積極的に関わってるヅラ」をしていて、仲間内で集まると「俺もオムツ交換とかやってるよね?」みたいな事を言って母がドン引きしていた。
・母が妊娠中、出産後も父は酒タバコ辞める気なし。母の友人達が妊娠を気に煙草をやめていく中、父は分煙の概念すらない喫煙生活を送っていた。
・デリカシーが無い(身内だからという理由で我が物顔で人の物を勝手に使う)上に新興宗教にハマってるという非常に扱いづらいステータスを持つ義母(父の母であり俺の祖母)と、重度のアルコール中毒の義父と同居生活開始。祖母による食べ物の口移しが執り行われ、俺の虫歯ライフが始まる。
こんな糞みたいな環境の中で「子育て楽しかったからあんまり苦ではなかったよ」と言って俺と弟を育てた母にはマジで頭が上らん。母は美容師時代に薄給の上にボロい寮で上下関係の厳しい集団生活を送っていたが(父が言うには7seedsの夏のAチームみたいな狂った環境だったらしい)そこでも伸び伸びと過ごしていたらしいので、とりわけメンタルが強いたけな気もするが、俺だったら耐えられる気がしない。
ただでさえちょっと失敗して傷ついてるところに、上司の勘違いでバカな子扱いされておそらくプライド・自尊心みたいなところも傷ついたんだと思うよ。
でも最初の失敗の原因も増田にあって、上司の馬鹿な子扱いも悪意があるわけでなく勘違いだと増田自身が理解してるから
正当な怒りとしてぶつける先がなくて負の感情が自分の中に滞留してしまって持て余してるんじゃないかな。
と、ここまで分かったとはいえ、これをどう昇華するのがいいんだろう
それは俺も知りたい
仕事上でちょっと失敗して、全然大したことではなく上司にも笑って済まされてるんだけど、
業務上の質問を上司にしたら全然理解できてない馬鹿な子くらいの優しさで説明されちゃって(いや流石にそれは分かるんですけど…)って思ってしまった。
でもわざわざ説明してくれてる途中で「分かるわそんなもん」と言うのも悪いし「はぁ。まぁ、そっすねぇ」と答えたんだけど
これって、勘違いでバカにされたようで傷ついているとか、自分で思うよりも自尊心がでかくてプライド傷ついた~ってことなのか
こういう自分のモヤモヤしたマイナスの感情をどう解釈して昇華したらいいのか分からない
普段そんなことはないけど、たまに今日みたいにアンラッキーが重なったときなんかに、こういうグワ~って負のモヤモヤとした感情が沢山出てきてうまく扱えなくて困っている。
なんとか人に当たらないように頑張るけど客観的にそれができてるのかも分からない。
笑ってなんとかごまかさなきゃ、怒ってると受け取られないようにしなきゃと取り繕いたい自分と、内に抱えているモヤモヤしたものを吐き出したい(当たってしまいたい?)自分とが喧嘩しててしんどい。
みんなはどうしてるの。
どうしたらいいんだろう。
多分115とかそのくらいの値になると予想。
これより低かったらショックだな。
ノルウェーメンサの無料テストだとIQ135(sd15)でした。
WAISも受けたいけどワーキングメモリ死んでるから全検査でみたら110いくかいかないかになりそう。
今まで対人関係うまくいかないのは浮きこぼれだからだと驕りまくって自分を慰めていた訳ですが、おそらくはそんなことはなく、平々凡々な発達障害者であることを受け入れざるを得なくなる気がしています。
結果返ってきました。
128(sd15)でした。
一応、分からない問題はちゃんとスキップしたことを書いておきます。
予想より高めで嬉しい、というのは嘘です。
大体このくらいだろうがもし外れていたら恥ずかしいし少し低めの値を書いて保険をかけておこうという魂胆でした。
君は本当にいい奴だよ。
ガキ同士なのに親の不幸に手紙をくれて励ましてくれたし
それなのに傷つくのが嫌で自分からは何もアプローチをせず孤立する大学生の俺に保育園からの仲だからと数年越しに連絡をくれて。
一回見た映画なのに俺が見たいと言ったらそのことを言わずに一緒に見に行こうと誘ってくれた。
都会に順応しておしゃれな君は、いろんなところに率先して連れてってくれて、一緒に楽しもうとしてくれたのに
きもくてダサい俺は自尊心を削られつまんなぇ自虐ネタしか言わないカスなのに笑って流してくれた。
完全に失望されたと思ったのに、その後もLINEでまたいこうなって言ってくれて。
放置すれば関係はリセットされてその日のことはなかったことになるんじゃないかって思ったんだ。
あれからまた数年たった。
目論見通り君には失望されて一切連絡を取っていないし僕は相変わらず俺は孤立した気持ち悪い奴のままだ。
恐らく君の中では俺の記憶なんて残っていないだろうし、あってもクズとしてしか存在しないだろう。
しかし人と関わる機会がまったくない俺は数少ない人生のイベントとして頭のどこか片隅にあって、ちょうど夜中に急にそのことを思い出したんだ。
だけど、今更焦って文章に残しているのは謝りたいという気持ちからではないんだ。
どうでもいい他人のどうでもいい出来事に対する謝罪なんて受けても困るだろうし、俺も復縁できるとなどとは思っていない。
自分への戒めにしたいんだ。
とんでもなくいい奴を、カスみたいな態度であしらって永遠に失ったことを。
俺が孤立した気持ち悪い奴なのは俺が絶望を信じて歩んできた針路の結果であって、それ以上でも以下でもないってことを。
いい奴の周りにはいい奴が集まるって言うし、久しぶりにスクロールして見たlineプロフィールから察するに君は充実した生活を歩んでいるだろう。
どこかとても安心したよ。