はてなキーワード: 美容師とは
人生で一番明るい髪色にした。すごく綺麗な色に仕上がった。
大満足して店を後にしたけどやっぱり周りから向けられる目には否定的な感情が籠っていた。
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何故髪色が明るいというだけでそのような目を向けられなければならないのだろう。社会人としての節度ってなんだろう。
職業柄、現場仕事なので毎日出社はするけれど、人と接することがほぼない私の金髪が誰に何の影響を与えるのだろうか。
接客業や営業なんかの社名を背負った仕事をしていたり、外部の人の出入りが多い会社や事務所で言われるのはイメージがどうこうっていう話になるかもしれない。
でもそもそもそのイメージとはなんだ。金髪や派手なカラーをしていると仕事が出来ないのか。暗髪でも仕事は出来ない人はいるし派手髪の成功者もいる。
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この髪を「綺麗な色だね」「いいと思うよ」「似合ってる」そういってくれるのはみんな若い人や女性で、歳をとったおじさんたちはこぞって「それはまずいよ」「それはやばい」「いつ戻すの?」って言ってくる。
美容院行くのもタダじゃないんだよ。そもそも何がまずくて何がやばいの?
会社のイメージとして問題があるならそう言って欲しいし、会社のルールとして問題があるならそのルールと制定された理由を教えてほしい。
別に会社の契約書に髪色について書かれていたわけではないし、私の髪色で目がやられて他の社員さんが失明するわけでもない。
出社後は作業部屋から出ない、制服もない会社のイメージを損なうってどういう事なんだろう。
茶髪から金髪に変えたことによって私の性格や仕事ぶりは変化したのだろうか。
そんなに簡単に性格や仕事ぶりは変わらないし、おじさんにとっては髪色が与える影響はそんなに大きいものなのかと改めて驚いている。
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「綺麗になりたい」「可愛くなりたい」「自分を変えたい」そう思うことに何故周りから口出しされないといけないんだろう。
暗髪でも可愛いだとか、暗髪の方が可愛いとか、暗髪の方が性格がよさそうだとかそういう個人的な価値観を押し付けられる意味がわからない。
暗い色の髪の落ち着いた人がウケるのはわかるし別に暗髪だって嫌いじゃないよ、でもみんなこぞってこう言う、「童顔だから暗髪だと幼げがあって可愛いね。」って。
暗髪を褒めてくれる人はみんな私の歳不相応さを褒めてくれる。それ、褒めれてないよ。
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逆に昔働いていたところ(接客業)では「印象を明るくするために髪を染めなさい」って言われた。
面接対応で黒髪にして、無事採用されたにもかかわらず入社してすぐに黒髪童顔を「接客に不相応だ」と怒られた。
けど「黒髪だと童顔に見えるから接客には向いてない」はどうかと思うし、私はそれ以来黒髪にはしていない。今後も何か特別な理由がない限りしないだろう。
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じゃあ、金髪にしたら欲しい言葉がもらえるとかそういうことではなくて、これはただの自己満足でしかない。
金髪なんて髪は痛むし手入れ大変だし好奇な目を向けられるし化粧もしないと馴染まない。
それだけのデメリットも背負って受け入れて、それでも金髪が好きで私が可愛いと思うからやったのだ。
金髪にしたら仕事が出来なくなった、会社の業績が落ちた、会社に悪評がついたなんて事実は一切ない。だって外部の人の目には触れないし、髪色は業績に影響を与えないから。
あ、弊社の偉い人、もしあったらすぐに教えて欲しい。暗くしてくるので。
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まぁでもおじさん達はこんなところを見ないし何を言っても響かないだろうからこれからも「やばい」「まずい」「暗い方がいい」「戻せ」って言ってくるんだろうな。
おじさんの好みなんて知らないよ。これは私の髪で私の身体の一部で私の自己満足。そもそも自分に関係のない他人、しかも一般人の髪色にそこまで左右されてるおじさんの方がやばいよ。
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美容師さんとも言ってたんだけどもっとみんなが自由に髪型や髪色で自己表現ができる社会が早く来ればいいな。
化粧で気分が変わるように好きな髪色で生活することで気分はあがるし、むしろ仕事も順調になるであろう私のような人、他にもいるんじゃないかな。知らんけど。
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最後に、私は髪を染め直す気は今の所ないよ。
なぜデータを取らせたくないというひとのデータを、匿名化するからとれる とおもうのかは不思議だが
いわゆるお国のために人柱とかんがえると わかりやすい なぜだめか
情報を取る客のため だったら 許可取ればいいじゃん 拒否すりゃいいし 協力してもいい謝礼がもらえる
お客のデーターは渡せません vs お客のデータが金になるなら 取りたい!
カットモデルじゃないのに、カットモデルの日だよって通告してない日に 情報取る理由がないだろ?
↓
部下や後輩のデータは渡せません
美容師で言う おれのきゃくは 俺が守る あたりまえだろ?
おんなじだよ 会社も 俺の部下は俺が守らないと でもまぁ 程度はあってさぁ だから 正確に書かないでくれというときがおおい
だいたい3日ぐらい だいたい5日ぐらい まぁ 週内に終わったな
だいたい10日 あぁ 土日超えたなぁ
こんなもん ここ重要
というわけで いわないでくれ という派閥
間に合ったかどうか?以外 知りたくない
人に説明する時に・・・と言っても、通常そんなシチュエーションは発生し得ないと思うけど(自分の性趣向言って回るのは基地外)
なぜかその必要性が出たなら、その枠組み乗っかって、適当に枠に入れとけば理解は得やすいのでは?ってだけなので
親しい人には同性愛者かなって思われるだけで特になんも言われんし
そうでない人には、モテないんだな・孤独を愛する人なんだな・なにかトラブルがあったんだなって思われるだけ
セックスする気がないけど結婚のパートナーを探すのは別にいいんじゃないの?
それで見つけた人はそれなりにいるようだし。はてなblogにもいるよ
[新R25] どんな人たちが選択するの? セックスのない「友情結婚」相談所が語る、新しい結婚観
https://r25.jp/article/726256000457387610
あつた
どっちにしても、性行為を望まない人たちなんですね。
中村さん
はい。みなさん昔から違和感はあったけれど「いつかは結婚できるだろう」と思っていて。
でも婚活をしてみて「セックスが前提の一般的な結婚は向いていないのかも」と気づくみたいです。
恋愛感情を持たないという「アセクシャル」は、最近“自分もそうかも?”と感じる人が増えているそう
中村さん
その方々の多くは、積極的にゲイとして男性と交際したいわけではなく、
「女性と結婚したい」「性的なこと以外は一般的な家族を持って家庭を築きたい」などの理由で友情結婚を選択されます。
あつた
中村さん
男女ともに医者や弁護士、公務員や大手企業の会社員など社会的地位が高い方も多いです。「普通のレールから外れたくない」
逆に、ITやマスコミ系、美容師など、自由なイメージのある業界の人は少ないかもしれません。
個人的にはシングルに寛容な日本で結婚しないと社会的地位がとか言ってるのは自己認識がバグってるのでは?って思ってしまう
あと、セックスをしたくないはひとつの性趣向であって、人自体は好きなんだよっては人はいると思う
そういう人向けに、こんなのもあるよ ↓
https://www.huffingtonpost.jp/tsutsu/asexual-interview-2_a_23261562/
これね
「高級パスタ店に異常独身男性が突撃したらガチでやばいことになるという話」
https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/09/06/085321
この記事の反応について
・たぶん「イタリアン」って言葉が出てこなかったんだと思う 俺も服を買う店の総称がわかんなくて服屋って言ってるし
格式レベルが正確に見抜けない(おそらく言うほど高級ではない)のも底辺キモヲタならそりゃそうだろうなと
店員が陽気に話しかけてくる店なんてこの世に存在するわけがない!!くらいの勢いで食ってかかってるけど
いやあるだろたまに そんなに異常なものでもない 珍しいのは珍しいけど存在を疑うレベルのレアさではない
流石に一人の時だと話しかけてこないけど家族で行くと「おいしいっすか!?」「これがおすすめっすよ!」と若い兄ちゃんが話しかけてくる飲食店とかうちの近所にもあるわ
・彼女の有無を聞いてきたのもまさか彼女がいない人間がこの世に存在すると思わなかったんだろう
美容師だって相手が無職の可能性を考えずお仕事何されてるんですかーって言うだろ
お前らだって喪女を名乗る増田を見ても一度も彼氏がいたことがない女なんてこの世に存在するわけがないから嘘松とかすぐ言うだろ
◎嘘でないなら店の名前を言え!着火させろ!炎上させて閉店に追い込むべき!!
・投稿者が責められるいわれはないし非もないけど失敗は失敗だし場違いだったのは事実だろう
ドレスコードがあるわけではないとはいえオシャンティーなイタリアンレストランに声優ライブTシャツで行っていいわけがないだろう
投稿者は店を攻撃したいのではなく自虐したい、自分の失敗をネタにしてダメージを軽減したいだけだろう
オタクTシャツで来店し辛い雰囲気を作るのは差別だから陽の人向けに経営するのをやめてオタクTシャツで来店しやすいように改めろなんて頭おかしい横暴を投稿者は望んでない
こんなことにまでいちいち「みなさん!立ち上がりましょう!この世の悪を許してはなりません!」って
何でもかんでも意味とか結果とか成果とかがないと気が済まないのか
革命戦士気取りか
ガンダムなら暗殺者けしかけられるタイプのお坊ちゃんお嬢さんキャラか
◎誰も見ていない!自意識過剰!
・サブカルクソシティーボーイのブクマカどもはこの手のフレーズ大好きだけど
田舎の奴らは分かってると思うがこれは生まれガチャに成功した自覚のない傲慢な東京人の理屈なので一切信用してはいけない
向こうがなぜかこっちのこと知ってる率も高い(自分にとっては見知らぬババアでも親や同級生経由で存在を捕捉されてる)
そして脳みそのリソースを人間のカタログ作りに割きまくってるから
後で「あたし見たのよ!増田くんとこの息子さんが個人経営のレストランにおかしな格好で来て不審な行動をしてたのよ!」とか噂をばら撒かれたりする
◎友達がいるだけマシ
・それはほんとにそう
例えば、知り合いから相談を受けるとき。悩みを聞かされるとき。この人はなぜ他人に対してここまで自己を開陳できるのだろうと疑問に思う。
話を聞かせた相手が本当に親身になってくれると思っているのか。今話している相手が他言無用の内容をべらべらと吹聴したり、ネットで放言しないと確信できているのか。それとも、最初から開陳している自己などなくすべてペルソナなのか。
私は、誰かを信用できたことなど一度もない。信用して裏切られるのが怖いのか?そんなことはない。そもそもに信用したことがないのだから他人に裏切られたと感じることもない。美容室でハサミを持った美容師が殺意を持っていれば私は死ぬだろうし、かかりつけの医者が嘘を言って薬を飲ませてもあっけなく死ぬだろう。そんな唐突な裏切りなんて馬鹿なことを考えるわけじゃない。私はただシンプルに、他人の自身の内面を知られることが嫌なのだ。
親兄弟や親戚。大切な恋人。旧来からの友人。診断する医者、カウンセラー。彼らは誰も、いや、この世界にひとりとて私の内面を知るものはいない。思ってもいないことを話し、生きていく上で必要な人間関係に必要以上に身を預けることはなく。道化を演じて、自己を偽る。誰かに己の内面を見せることなど恐ろしすぎる。誰にも私を知られていない。それが安心であり、私の心を支えている。しかし、それと同時に苦しさを感じている。
誰にも相談できない悩みがどんどん溜まっていき私の心を圧迫している。生きているだけで日々不安は募るし、解決できない悩みはいつまでも心の内をさまよっている。信頼できる誰かに心を打ち明けられたら、悩みを相談できたらどれほど楽だろうかと考える。「信頼できる誰かを作りましょう」なんて簡単に言えるが誰かを信頼する方法なんてどこにも載っていない。逆に世の人々はなぜそうも簡単に人を信頼できるのか。
みんな自身の心を誤魔化すために嘘の信頼をしているのか。最低限の暮らしのためにペルソナをかぶっているのか。本心に蓋をして生活しているのか。あるいは、何の理由も根拠もなく、自分以外の他人を本当に信頼できるのか。だとしたら、私には恐ろしい。私には困難な行いを、みんな平気で何の不自由もなく行なっているということだ。はたして私と彼らは同じ人間なのか?
私は誰かに本心を曝すことない。親には親、友人には友人、恋人には恋人、医者には医者、それぞれに対する仮面をかぶってそれらしい自分を演じている。君に対する相談事もこういうことを言えばそれらしい関係が築けることを知っての打算であり、人間関係をうまく保つためのパフォーマンスであり、適当に切り抜けるための計算なのだ。そうして、誰にも何も言えないままの苦しみを一生背負い続けていくのだろう。
わざわざこの文章を書いたのは、ネットの誰かに悩みを聞いてもらいたかったというわけではなく。誰かの共感やアドバイスを求めているわけでもない。この文章は呪詛である。
私は、今この文章を読んでいるあなたの親であり、兄弟であり、友人であり、恋人であり、仕事仲間であり、クラスメイトであり、同じ電車に乗っている一人であり、あなたの尊敬する人物であり、あなたがこの社会で日々接する誰かだ。私はあなたを信用しているように振る舞っているが、一度も信用したことなどないし、これからすることもないだろう。もし、あなたが無条件に人を信頼できる人だと言うのならば、偽りの存在を信じるのは可能だろうか?
この恐ろしい人の世をせめて呪って生きるのを許して欲しい。
腐女子やけど、高校生の時に初めて作った携帯サイトに掲示板を付けた
ただ単に当時はサイトと言ったら掲示板を付けるのがデフォルトっぽい空気を感じていたし、御多分に漏れずフォレストページでも簡単に掲示板を付けることができたからコンテンツの1つとした
ただそれだけだ
ただ紙に丸ペンとコピックで描いたの絵の写メを載せていただけだったが、なぜか掲示板には書き込みがあった
私はリア友でもない他人のサイトの掲示板に絵の感想を書き込もうなどと考えたことがなかった
このロジックでよく考えたらそもそも最初から掲示板を付ける必要がなかった
なにも考えていなかった
知らん他人と絡むのは怖いからリンクページなどは絶対作らないと思った時点で掲示板をコンテンツに入れるべきじゃなかった。アホだ
なぜか私のペンネームにそっくりな名前で書き込む人もいたし(私が〇〇、相手が〇〇ぽん)、たまたま似たペンネームなのかな?と思うようにしたかったけど書き込み頻度も高い
とても穏やかな文体で決して荒らしなどではないとはわかるのだがどうしても怖かった
こんなガキの絵を褒めてくれる優しい人はたまたま娘の携帯を見てサイトを見つけたリアル私の母かな?と本気で思っていたし今でも少しはそう思ってる
まあ、リアル私の母はそんなふうに携帯サイトの掲示板を使いこなしたりできないのだけど
そして褒めてくれるのが好意だろうと、逆に怖い。だって顔も知らん人だよ?私におべっか使う必要はない
それが怖い。この気持ちに共感してくれる人を遠くから見つけることができたらとても嬉しいくらい、インターネット世論から外れた感情かなと思っている
Twitterとかでも「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいな私と正反対の極論の方が大きく聞こえるからね
あと知らん他人とインターネット上で、特に私の絵を媒介して絡むのは嫌だがリアルで知らん他人と話すのは好きだ
インターネット世論で嫌われがちな絡んでくるショップ店員と話すのが大好きだ
まあそれはアパレルの販売員ではない裏方だからというのもでかいけど、美容師とか、旅行中にその辺にいる人たちとかと話すのも好きだ
でもインターネット上で私の絵を媒介して絡むのは嫌だし、リア友でも相手が私の絵を変な持ち上げ方してくると徐々に気まずくなるのもうわかったから自作の同人誌渡す時はでかい声で「絶対感想とか言わないでね!」と言う
「感想いらないなら不特定多数に絵を見せるな」みたいな極論も聞いたことあるけど、私は自分の絵も漫画も好きで並べておきたいし、サイトを作ったり新しいSNSに登録するのも好き
勿論localhostにネットには上げてない小学生の頃からの絵を全部ずらっと並べたサイトだって作ってるよ
でもコンセプトごとに厳選した絵を載せるサイトをワールドワイドウェブに置いて、自分以外の誰かが私の絵を見てる形跡を発見して、どんなふうに見たのかなって生ログのページ遷移時間から想像するのが好き
でもよく知らん他人から接触されるのはいかに相手にとっては好意であろうとまじで怖い
私は好きで趣味で描いてるだけだからこれ以上改善してどうこうとかはそんなに思わんし、技術的に悩む時はあるけどそういう時は絵の上手いリア友に相談してるから不特定多数のご意見は不要だ
好きな「趣味」という大枠の中にコアとなる好きな部分と付随する苦手な部分があるのは多くの場合に有り得ることだ
その大枠から苦手な部分を限りなく取り除いて濃厚なコアだけ味わいたいじゃん
好きなことしたいなら苦手なことも受け入れろなんて根性論今時昭和すぎるでしょ
そんなわけで私からしたら「絵」と「不特定多数のご意見・ご感想」にはなんの関わりもないよ
勝手にセットにしないでほしい
まあこれもイマジナリーエネミーを勝手に見て心が騒いでるってだけなんだけど
いくつかの携帯サイトを作った高校生時代が終わり、大学生になると有料鯖を借りてPCサイトを作るようになる
長年ねらーで同人板の影響を多分に受けていたため同人サイトとは言え連絡先が1つもないのは無責任と思っていた
そしてメールフォームや拍手は感想を送りやすいが業務連絡用と書き添えたメールアドレスのみなら感想を送りにくいらしい
私は〇〇○★yahoo.co.jp(★→@)のような表記がダサく感じて嫌だったので、しっかり@込みでメールアドレスを画像にして貼った
画像ならコピペできないし一文字一文字打ち込むのは絶対にめんどくさいからよっぽどの不具合がなければ誰も連絡を取ろうとはしないだろうと踏んだのだ
クソめんどくさい。適当にお礼を言ってスルーしたかったけど多分これが営業ってやつだろうと思った
勝手な妄想が膨らんで相手をフォローしたり相手の作品に10点入れた方がいいのかなという圧を勝手に感じた
もうそんな妄想をしてしまう自分自身が嫌だった。だからとにかく私に触れないでほしかった
この頃にはだいぶ学習できてきていたのでかなりお触り禁止感の演出ができていたのではないかと思う
大体の人が黙ってRTいいねだけしてくれるし、bioで予防線張ってるから直リプも無視し放題だ
一言感想の空リプ引リツは結構あるけどこれは割とおもしろかった
どうやら私は感想メールに返信しなきゃいけないという義務感の発生が最も嫌だったらしい
でも積極的に感想欲しがってると勘違いされたら困るから絶対に反応しないしマシュマロとかは絶対置かない
Twitter見てると前述の「感想を送らないと同人作家は筆を折る」みたいなツイートがバズるのをたまに見かけるけどどうして?
個人的にはそういう極論を持ってる人ってごく一部で、大半は感想はあったら嬉しいけどなくても別にって人、そして感想不要って人も見かけよりは多いと思ってる
私は過去の経験から「感想不要」と明記せずとも感想を送りづらい雰囲気を出すことに長けてきたと思う
でもわざわざ不要と書くのはなんか怖い
感想を欲してやまない、でも全然もらえなくてほぼ飢えてるような過激派、同ジャンルでも目立つからついついヲチってるけど、目視したわけでもないイマジナリー感想不要の人を脳内ででっち上げて「嘘つき」とか「聖人君子を気取ってる」とか罵ってるもの
こっちからしたら私が「感想ください!」って言う方が嘘だし、人の好意を受け入れられない私みたいなタイプの感想不要人が聖人君子とはとても思えないけど
本人はほしいもんはほしいって言わなきゃもらえないって発想に捉われてるみたいだけど、逆にあの攻撃性の発露こそが「感想を送りづらいお触り禁止感の演出」の極致にすら思える
私は割と詳細なウェブ性格診断みたいなのの結果を見るのが結構好きだ
感想を欲しがるのって診断結果を早く見たいような気持ちと近いのかな、と勝手に想像している
確かになんかそういうののプロが私の漫画を読んで心理分析とかしてくれるならすごく興味ある
お金払ってでも頼むと思う
そういうことなのかな?
でもインターネット上で誰かに感想を送るであろう人の大半は心理分析の素人だろうし、別に感想って大部分は心理分析じゃないし、私はいいかなあ