はてなキーワード: 山登りとは
こんにちは~。
親に、内定辞退して個人として自由に活動することを伝えた時、言われた言葉
①なんの為に大学に行かせてやったと思ってるんだ
②真面目に仕事しろ
③会社に入らないで生きていけるわけないだろ
④将来何かあったらどうするんだ
⑤そんなこと言ってて恥ずかしくないのか— たちばな🏃🏃💨💨💨 (@tachibanaNEET) 2018年11月19日
ど、どひゃ~~!!!
同い年やんけ!内定辞退って!オイオイオイ~~!!と思っとりました。
そういえば2年前?大学中退した石田何とかさんも僕と近い年だし今そういう流れあるのかなあと。
そこからの流れでイケダハヤトさんをちゃんと認識。(今まではてなで名前見るたびサンキュータツオさん的な芸人だと思ってました。スミマセン)
あの有名な「まだ東京で消耗してるの」を数記事ですがはじめて読んでみました。
ちなみに僕が内定頂いたのはテレビの制作会社。ザ・ブラック企業&社畜ルート一直線です。
たしかに昼だか夜だかわかんないような働き方するよかネット事業で飯食えたらそりゃいいよなあなんて思って読み進めてたんですが、
これ相当な文章スキル&面白経験ないとめっちゃ厳しいやんけ!と思い。
でもよく考えればふつーに会社勤めでもブログくらい書けるんじゃない?と思い立ち今に至ります。
こうなったらイケダハヤトさんに宣戦布告するくらいのつもりで。
うまーく伸びて本人の目に入らないかなあ…
リサーチでボツになったネタをリサイクルしたりとか番組制作の裏側とか、ちゃんと有意義なものが書けるといいですね。
がんばります。
前回やたらめったら書きなぐってから半年、ようやく内定が出たので気持ちを落ち着けるために、やっぱりまた書きなぐる。
くっそ時間かかったので正直もらった内定を未だに信じられてない。内定出たら出たで「裏があるんじゃないか」「超絶ブラックなのでは」などと不安要素で押しつぶされる。
結局転職活動して分かったのは、「それ独立してもやってけるんじゃねぇ?」くらいのスキルじゃないとマジ食いつかれない。
自分では頑張ってたつもりでも、面接では「それはそれとして・・・」というノリで粗探しが始まる。「新卒時は大したこと言えなかったけど今なら」と思ってても結局また高校や大学での武勇伝を求められる。なんなの。
自分でもこんなに長々と時間がかかるものではないと思っていたが、明確な答えが見えない中で精神的ダメージとその回復に付き合ってると1ヶ月2ヶ月一瞬で過ぎていく。身の回りの同じようなスキルの人がすぐ転職できたから自分も~というのは無理。それは転職スキルが高いやつや。
企業は何やかや転職サイトなどでそれなりのコストを払ってるらしいので、すぐ辞められると困る=辞めにくさを非常に重要視してくる。
実家ぐらしだともう「辞めにくさ観点」では0点くらいのノリで見られてる気がする。給料低いから実家ぐらしで転職先探してんですけどね。
そもそも転職である以上前職を辞めてそこに行くわけで「辞めにくさ」とは矛盾しまくりなんですけどそれは。その辺り企業が「自社自身の自信のなさ」なのか知らんけど。
逆に、ここでは年齢についての正解がなくなる。若いと次があるので辞めやすいだの、じゃぁ歳行ってりゃ良いのかってったらそうでもなく。知らんけど。
転職活動が長引くと、結構自分の趣味に合致する求人を見かけるようになる。
待遇もそれなりであれば当然応募するのだが、趣味になりうる求人というのは大抵が高倍率でほぼ落ちる。
書類審査で落ちればまだ軽傷で済むのだが、面接まで行ってしまうとあら大変。基本的にはディスられます。他に返答の仕方あるんじゃね?
それこそ採用されれば「試されてた」でめでたしですが、万が一意地が悪い系の面接官に当たると「はん! もうこの会社の商品見るのも嫌だわ!!」くらいのダメージを受けます。
ただ、何社か受けた中でもなぜか「そうは言われてもこれは好きなんや・・・」というものがいくつかあって、その時々の流行やらで趣味になってただけのものを整理するのは良いかもしれません。本当に好きなものは何を言われても好きなんだなと気づけます。面接官次第ですが。
なお、転職活動を通して趣味の出費が以前の半分以下になりました。
「こないだの3連休、休めた?」休めるわけがない。常に転職のことが頭にチラつく。これじゃいかんと気分転換に山登りに行っても、頭の片隅にはどうしても顔を出す。
面接のための交通費や試験勉強、なんだかんだで金がかかるので派手な買い物もできなくなる。転職してもブラックだったら辞めるために貯金が必要、とかしょうもないことも考え出して結局金が使えなくなる。
結局内定こそ出たものの、転職活動を通して持ち前の自分の武器が充実したなんてことはなく、無様な面接の末という感じでした。成長感ない自分が悪いんですが、成長=無様な過去の自分と向き合うのが辛いです。過去の自分は変えられないので極力嘘つかずに何とかするしかありません。辛くない人は微塵も辛くないでしょうけど。
実技試験・筆記試験とかあるやつのほうが多分ちゃんと見てくれてる感じがします。「面接1回でOK!」ってやつのほうが簡単そうに見えて難易度高いですし、準備が面倒です。何の質問されても良いように備えないといけないので。向こうも質問がザルで「え、それに答えなきゃいけないの・・・?」ってのが結構あります。何でその下手な質問でこっちがドモッたらこっちのマイナスになるねん。
あーーーーーもう、理不尽さの嵐だし、誰もこの状況を変えやしないし(変えれる力を持つ人はそもそも就活とかで躓かない)、何なら中高時代から準備できてなかったら無理ゲーなんやけど「学生時代は遊ぶもんやで」とか適当コク大人ばっかだったし、え?自分で気づいて調べるべきたったの?とか、もうもうもう。
まぁこれだけは言いたいんやけどね?
クソうざくてCMばかすか打つくらい転職系サイト儲かってるみたいだけど、そういう中抜きがなくなれば人材の流動性上がんじゃねーのって気がするよね。
ネットが発達した現在ならSNSとハローワーク、あとは企業の工夫次第でよくなくない?
知らんけど。
衣食住足りて礼節を知りたい。
俺は劇中の空気を味わいにいってるだけで、オタク活動するために聖地に行ってない。
けど、今はどこも人気アニメの聖地とかしたら、そのアニメのポスターを飾ったりしてオタクを取り込み町おこししようとする。
なんというか、その、二次元のポスターをみちゃうと、「あ、結局自分は物語の中に入っていけないんだな」って感覚がフッと湧いてきて楽しめなくなる。
山登りもやめちゃった。
彼女達と同じ道を辿った気分を最初は味わってた。彼女達が見た光景を俺も見てるんだと思いこんでいた。いつしか、駅にポスターが貼られるようになって「二次元と三次元の壁」を改めて感じて、山登りという、どうしても無言で黙々と考える趣味故に俺は結局視聴者でしかない事が浮かんでは消え、浮かんでは消え…
アニメからでも興味持ってくれるなら良いでしょ。自転車然り、山登り然り
確かに糞マナーの馬鹿増えるかもしれないけど、ぶっちゃけアニメ経由じゃない奴らの方が糞率は高いし(自転車は雑誌経由の意識高い感じの奴、山登りは中高年)
ただ、いきなり中級レベルのことはやらずに、初心者レベルで始めてほしい。そうじゃないと絶対嫌いになる
キャンプなら夏にレンタルやデイキャンプ、自転車なら川沿いのサイクリングロードを往復50kmくらいから、山登りは装備持っての高尾山や筑波山
この辺を苦もなく出来るようになって中級レベルになってほしい。そこまでに嫌いになったらその趣味は合わないんだ
ゆるキャン△を初心者がやろうとしているのは、昨日シューズ買って今日フルマラソンをサブ4.5で完走するってくらい無茶なことだ
2018年10月7日、六甲山で最難関ルートだとされる大月地獄谷ルート(渦森橋~みよし観音)を登った。2018年の台風ののちに、みよし観音を目指して登った人が他にいるかが、検索しても見つからなかったので、私のような登山素人に向けて書き残したい(これが検索でヒットするかはまた別の話)。画像はない。ちなみに天狗岩へ抜けるルートで登っている人は確認されているが、こちらの方が容易だとされているようだ。なお登っても、達成感を感じる前に、泥だらけのボロボロの服装で、おしゃれキラキラカップルと遭遇することになるので、極度のマゾヒストにしかお勧めしない。
天気 : 快晴 (気温27度)、前日早朝は雨
服装 : 破れてもいい服(長袖)、軍手、トレッキングシューズ
持ち物 : 昼食(おにぎり)、補給食(ゼリー系のやつ)、ポカリ、お茶、参考にしたサイトのコピー、遭難しても少し生き延びれるようにカロリーメイトいくつか
虫除けスプレー、山と高原地図等は同行者が持っていた。感謝。(逆に持ってない私がやばい)
ヘッドライトなども持っている方が良いでしょう。
主に下記のサイトを参考にさせて頂いた。呼び名などもこちらから拝借している。
https://tokiwatrekking.web.fc2.com/pages/y20160813.htm
http://shousam.fc2web.com/081018ootukijigoku.html
霊園の手前から谷に入り、沢沿いを歩いていく。
本格的な山登りは荒神山第二堰堤から始まる。ここを右から高巻く。当然ながら整備されている道ではないので、一発目にしては重め。頂点付近で少し無理やり登る必要がある。腕力である。
次は荒神山第三堰堤。左から高巻く。途中まではロープがあるが、道自体もそこまで険しくはないので、あくまで補助的に使う。ロープのかかっている木のうちで、少し弱くなっているところがあったので、油断は禁物。
ちなみに、ここを右から高巻くと、死にかける(体験談)。右側は急峻な上、堰堤の上端と同じ高さまで登ったのちに、ほぼ支えになるものが何もない状態でトラバースしなければならない。高さ18mなので落ちるときっと楽しい。
続く荒神山第四堰堤は、手前にある石積み堰堤を右から高巻くとそのまま巻道が見つかる。
次は紅葉谷堰堤。とうとう荒神山堰堤ゾーンを抜けて紅葉谷ゾーン。左手にあるロープからかなり上に登りそして降ってくる。一部、ほぼロープに頼らなければ進めない箇所があるので注意。確かに周りを見渡せば紅葉の葉っぱが見つかる。
紅葉谷第四砂防ダムは上目から、ロープを頼りに越えていく。この辺りになると結構感覚をつかみ出してきていて、どうやらいけそうだと感じ始めたが、それは幻想だった。
このエリアが終わると、滝が続きハードになってくる。複数の意味でハードになる。滝を登るため体力と、意味のわからないロープを信じなくてはならないため精神と。
紅葉滝は、右手手前に巻道、滝のすぐそばにロープがあった。右手手前の巻道はかなり斜度が高く、その上足元が滑りやすいという有様だった。同行者のうちの一人がロープ、もう一人が巻道から登り始めたが、私はどうにももっと手前に巻道があるような気がしたため、少しためらった。しかし、結局心もとないがロープを信じて登るルートの方が簡単なようで、信じて直登することに。案外いける...だが誰がいつ設置したのかわからないロープに命を預けたという事実が残る。
タラップ付きの堰堤が現れる。ダムから出ている水量が多く、タラップの場所まで行くのに身体中がずぶ濡れになる。体温がかなり上がっていたのでそこまで気にしなかったが、普通に考えて危険である。ダム自体は特に問題なくタラップから登りきれば、鋼製堰堤。下をくぐるが、足元が濡れる。
大月地獄大滝に到着。実際に滝を見ようとすると、生い茂る藪を超えて行く必要があった。また、この薮の手前から巻道が......滝を見ずに巻道へ。こんな薮、進めやしない、とその時の私は思っていた。
すぐそばにF2滝。巻道は見つからず、ロープを信じて直登する。できる限りロープに頼らないでいたかったが、頼らざるをえない部分がいくつか。しかしロープの根元を見てみると、理解しがたいほど不安定そう......。よくもまあこれを信じれたものである。ふと自分の体が震えているのに気づく。膝が笑っている。潜在意識も生命の危機を感じていたのだろうか。同行者の様子を伺うと、全員足が震えていた。愚かにも山を登ろうなどとするからこうなるのだ。
次のダム二つはタラップがついており、越えるのは簡単。しかし、越えた先がかなり深い池になっており素直には降りられない。滝を越えてしまった今、もう後にも引けず、無理やり脇道から池を越える。
A-7標識を越えるとF5滝。右の巻道を進むが、斜度がかなりある上に少ない木の根などを頼りに登って行く、本格的なクライミング。永遠にきつい時間が続くのかと思うほど、滝のかなり上まで進むが、くだるポイントが見当たらない。途中、堰堤が下に見えたがこれもスルーしてそのまま上から抜けた。ここの滝では、左に巻道があるとされていたのだが、明らかに崩壊しており、右から行くしかなかった。
ここから少し進み、小さい滝を越えて行くと、本格的に薮ゾーン。正しい進路がどこなのか、一見しただけではわからない。無理矢理川のありそうなところを目指して進む。さらに進むと土砂崩れの影響か、川はなくなる。本当に道が分からないのだが、とにかく信じて直進し続ける。テープも見当たらず、この道は正しいのか、という自問自答を繰り返して行くと、大きなダムが見える。
このダムは2016年に完成したもののようで、いくつかのサイトによると、2015年時点でみよし観音直下に建設中のダムがあるという情報があったので、ここはほぼゴールに間違いない!
ということでダムを目指す。足元は雑草のみで歩きやすく、木もないので視界が晴れてくる。左手にタラップがある、という案内板が見え、大きいが楽に越えられそう、と思ったのが甘かった。先の災害の影響か、左手側が完全に崩壊している。仕方なく、右手にあるステップを無理矢理腕力で登る。
この次にも似たようなダムがあるが、高さがさほどなく、そのまま越える。すると、眼前には森のみで、この先には道がないように見える。しかし、GPSを確認するとどう考えても正しい場所にいる。このまま突っ込んで行くしかない、と思ったところ右手に木製の階段が!久々に見たダム以外の人工物に喜び、何を口にしているかも分からないままわめきながら階段を上っていった。
抜けた先にあったのはJFE健康保険組合。みよし観音ではなかった。もう少し右手側を進んでいればみよし観音だったようだが、未確認。とにかく人のいる地に帰ってきたのだ。泥まみれの状態で、おそらく六甲山のキラキラしたイベントに行っていたであろうカップル達と出会う。そのまま下っていき、帰りはロープウェイで帰った。ロープウェイから見える木々に時々ピンクのテープが括り付けられており、新たな旅の可能性を見た。
3連休が終わった。なにもしなかった。72時間、虚しく時が過ぎただけだった。
虚しい。
歳を追うごとに"なぜ私は生き続けるんだろう"という問いかけが大きくなっていく。
会社の業務に興味がないわけじゃない。趣味がないわけじゃない。恋人はいないが、人間関係に困っているわけじゃない。
どこか根本的なところが欠けている気がする。
街を歩く人々が当たり前のように備えている機能が、もともと抜け落ちている気がする。
大学では通信工学を専攻した。幼い頃からコンピュータに興味があった。専門分野を学ぶのはとても楽しかった。
上司とは、可もなく不可もない。気は回らないが、やることはやっているからだろうか。
上辺だけで生きている気がする。
それが、たぶん、虚しさの原因だと思う。
ついには、何もする気が起きなくなって、ずっと家にいた。
俺はこの歌が大嫌いだ。
友達至上主義に関してはいまさら言うまでもないのでここでは語らない。
俺が言いたいのは2つだ。
おにぎりこそがピクニックの王様であるという考え方は実に貧しい。
ましてわざわざ高い山に登って食べる至高の食事がおにぎりなどと言われたらこっちの心まで貧しくなりそうだ。
近所の山でも十分だろうになぜ富士山に登るのか。
そんなに素晴らしいものでもないぞ。
なにより、100人の友達全員が富士山に登れると本気で思っているのだろうか。
100人もいたら1人ぐらいは生まれつき体が弱くてそもそも普通の山登りですら大変な子もいるだろう。
100人もいたら3人ぐらいは当日体調不良で高い山になんて登れない子もいるだろう。
そして富士山クラスの山ともなれば高山病というそれまで知りもしなかったモノに対する対抗力が試され、あと一歩のところで倒れていく仲間が5人ぐらいは出てくるはずだ。
さて、彼ら9人はどうなるのだろうか。
富士山に登ろうとしたという思い出はその9人と91人の間に見えない溝を作ってもお釣りが来るほどの何かがあるのか。
そもそも、そんな体力の無さそうな奴らは友達にする価値も無いということなのか。
俺はこの歌が大嫌いだ。
まともな人間が作った歌ではない。
アメリカンフットボールの事件の記者会見を断片的ながら見た。
酷い話だ、と思い、記者の質問にも、ちょっとどうかと感じながら、見ていた。
結局直接的な表現はコーチからでており、監督は何も言っておらず、選手自身からやりたいと言わせる構図は、何とも言いがたいものだった。
記者の質問は、まっとうなものから、それは今聞いてどうするの、というものもあった。
けれども、彼らはそうしなければ、社に戻った時、またはあの記者会見場で他の記者から、記者としての行動を評価される立場なのだろうなぁとも思った。
山登りで亡くなられた方のフェイスブックと応援コメントを見た。
そこにはポジティブな話が並んでいたが、ぼんやりと、こういう発言しか許されない空間なのだろうなぁとも思った。
あの応援コメントの中で、否定的な行動や、現実的な行動は取れたのだろうか、と思ったりした。
同意はあるのだろうし、女性も楽しんでいるのだろうとは思った。
女性の性欲が、表面化される過程としては悪くはないのだろうが、けれども、と思った。
それは女性アイドル活動のあれやこれやの初期の頃にもった違和感と似ていた。
ぼんやりと、酷いことをさせる為の技術としての忖度は、果たしてファン活動と、どれ程の差があるのだろうか、と思った。
そういった行動をあたかも自分が輝く為の、自分の意志で行っているという時、その本人の意志は、本当にその人の意志なのだろうか?
単に責任者が多いだけの、見えづらくなっているだけの、それだけの違いなのではないだろうか。
そもそも、社会的仕事において、層ではない仕事があるのだろうか。
人間関係もそうではないだろうかと思ったりもするのだけど。
とは言え、どこかで線引きをしなければならないけれど、そこにおける無自覚な加害者は、何の責任も負わないで済む状態なのは、何とも言いがたいものだなぁと思ったりするのであった。