はてなキーワード: 不文律とは
子どものころボーイスカウトに参加してましたって言っていたあいつへの評価変わる
米国のボーイスカウトでの性的虐待被害を訴える訴訟で、ボーイスカウト米国連盟(BSA)に対する訴えの数が少なくとも9万2700件に達したことがわかった。
アンドリュー・バンアースデール弁護士によると、15日時点では推定8万2000件だったが、訴えの期限である16日午後5時の後、裁判所から9万2700件との連絡があったという。
ロサンゼルス在住のジル・ゲイルさん(58)は少年時代をアラバマ州で過ごし、1970年代に2度虐待を経験したと語る。
「これほど多くの人に虐待が起きていたことは残念だ」としつつも、「多くの報告によって人々の注目が集まり、他の子どもたちが我々と同じような虐待に遭うのを防げることはうれしい」と話す。
また、可能な限り多くの人に被害を訴え出てほしいとも述べ、「経験したことが認知してもらえるということを彼らに知ってほしい」と語る。
BSAは声明で、過去の虐待で影響を受けた人々の数に打ちのめされており、その痛みをなかったことにできないことが心苦しいと述べた。
バンアースデール氏は過去1年7カ月間にわたり被害を主張する人々数千人と会話し、BSAでの性的虐待は「不文律」となっていたとの見方を示す。
「ヒアリングの結果、性的虐待は国中の組織で通過儀礼となっていた。バッジを獲得するためにこなさなければいけない他の課題と同様だった」と語る。
ふむ。ならばもう少し説明しよう。
相手を低い身分に押し込めようとしたり、解らなければヒドいことになるぞって脅迫したりするのは世間一般でよく行われている。
脅迫が犯罪として多くの国で禁止されているのは、それが精神の自由を抑圧するから。
環境が変化しようとも、教条的に同じ公式を当てはめるのみ。どうしてそれが成り立つのか? その概念が成立しないのはいつなのか? そう言うことを議論して、自問自答することで知識の体系は広がっていく。
あなたがプログラマーだったら出会ったことがあるかもしれない。「関数から脱出するリターン文は関数につきひとつ、必ず末尾に置きなさい」って指導する先輩に。
かつて goto 文——プログラムの次に実行される場所を次の行ではなくいろんな場所に指定できる、って機能があった。でもそれはアチコチに飛びまくって訳が分からなくなる、って批判されて消滅していった。そのときにリターン文も実行が次の行じゃなくなるぞ、っていうんで色んなところに置くべきじゃない、行儀が悪いって言われるようになった。
しかし現代では、ガード節——関数の冒頭にリターン文を置いてこの関数では処理できないよ、ってときに早期脱出を図る手法が、関数全体の構造をシンプルにできるって評価されてよく使われている。型システムが発展し、変数の型を厳密にすることでプログラム実行前後で正しさのチェックをしやすくなった。ひとつのリターン文はそこで実行を止めれば関数全体の変数の値を解析できるのでデバッグのしやすさがあったが、正しさのチェックは実質的にデバッグしやすさの代わりになる。
先輩から押し付けられた古い教えを不文律としてそれに盲目的に従っていては、後輩はよりよい製品を作ることはできない。
もし自分が一方的に誰かの強要を受ける立場だったらどうだろう。
自分が最下層にならないためには、自分も他人に同じことをするしかない。
先輩らにその場で「リターン文ひとつなのはどうしてですか?」ってその場で聞くと、たいていブチ切れる。合理的な説明などできない。先輩本人もその原則に従うことを上司に強要されたからだ。彼らが暴言を注意されたらブチ切れる理由もここにある。強要を認めてそれを禁止されてしまったなら最下層の人間になってしまう。怒るのも当然である。
最初に何人かを、暴力で学びを促進する不毛さに気づかない“バカ”、のように申し上げた。
彼らがそういうことを考えてみようとしなかったのは、思考の自由を束縛されていたからだと思う。
おそらくは自身も実際に、お前は田舎ものだとか、勉強についていけないやつはダメだぞ、のように言われてきたんだろう。でもそんな発言は許すべきではなかった。
この度はてなーを一網打尽にし大漁旗を掲げるに至った無職中年男さんになんだかシンパシーを感じたので、まともな返事を出来ない自称リベラルのみんなに代わって、あなたが感じた問題を整理してみたいと思うよ😀
そう、経緯はどうあれあなたが「他人から言葉をかけられ唖然とした」ことは事実であり、これを否定されるいわれは一切ないよ😀
下ネタや下心を匂わせるようなことは一度も言わなかった。
自分の話す内容の客観視を心掛けて気遣いができるのは素晴らしいと思うよ😀(あくまで主観なので本当に正確なところはわからないが)
私は今まで、みゆさんのような若くてきれいな女性は貴族で、自分は貧民であるかのように思っていた。(中略)私は劣等感など感じることはなかったのだ。
そう、外見がいくらきれいで立派な人でもみんな、万人に対して完璧な回答をできるわけではないよ😀 今まで欠けていた学びを得られてよかったね😀
万人に対して完璧な回答ができることを"中身"と呼んでしまうのはいささか人間へのハードルが高いかも😀
あなたも含め、たいていの人間は自覚していないだけでしょっちゅう不用意な発言をして人を傷つけているよ😀
またここでの「若くてきれいな女性」という表現は反発を生みやすいかもね😀
男の性として女性に目が行きがちで、それを中心とした思考になっていたのは仕方ないけれど、みゆさんとの体験からもう少し一般化して性別の区分けを省いたほうが「女性全体を貶められたように感じる人たち」や「男性全体が意図的に排除されたように感じる人たち」からの不用意な反発を生まなくて済むよ😀
これ自体はとてもいい試みだと感じるよ😀 ただそれ以降に問題があるよ😀
ただあなたは自分が求めた「客観的な視点」から出た言葉を一度も受け入れることなく否定しているよ😀
共感と肯定のみが欲しいならはじめにそういうオプションをつけるべきだったね😀
共感と肯定のコミュニケーションはネットでは叩かれがちだけど、人間の心を維持するうえでとても大事な要素だし、何も恥ずかしがることはないよ😀
先に述べたように、客観的に見た結果少なからずその意図をもって発言した可能性が高いと思うよ😀
ゆみさんが「社会生活送れてなさそう」という言葉が人を傷つけてしまうかもしれない、と判断できなかったのは確かにゆみさんの落ち度だね😀
でも、ゆみさんが病気で無職なあなたが社会復帰できるような道筋を真摯に考え、自分の経験からアドバイスしてくれた、ということは事実だと思うから、そこにもう少し目を向けていけるといいね😀
え? えーと……。確かに出歩いている距離は人それぞれだ。でも複数の人がいる中で一番長く出歩いたのが私だなんて、確率的にほとんどあり得ない。
確かに、ここでゆみさんが提示したやり取りは少し高度なものになってしまっているかも😀
ゆみさんが伝えたいのは「体力がなくても工場労働できるよ」ということであって、あなたが重視する「自分の定量的な体力はお年寄りより有意に低い」という仮説への反論ではないよ😀
あなたの言う通り「ほかの人は歩いた距離が少ないのかも」という仮説は少し無理があって、もっといい例を思いつかなかったのはみゆさんの落ち度だけれど、すぐに良いたとえが浮かばないことってみんなあるよね😀
だからあなたがすべきだったことは、ゆみさんのことばを文字通りの"自分の仮説への反例"とは受け取らず、「なんか励ましてくれてるんだな」とおおまかに考えることだったんだよ😀
こう説明するとかなり高度なやり取りに見えるかもしれないけど、意外と多くの人がこなしてしまっているよ😀 不文律はクソだけど、多少は適応できたほうが便利かもね😀
そんなこと言ってないのに~~~
なんで年代で態度が変わるんだろう? って言ってるのに~
上記の応用編だね😀
ゆみさんはあなたの「なぜ若い女性は話しかけてくれないんだろう?」ということばを「なぜ女性の年代によって自分に接する態度が変わるのか」という問いのみではなく、「若い女性に話しかけてほしい」という主張としても受け取っているよ😀
一見不要なエスパーにみえるかもしれないけれど、ここには主に2つの原因が考えられるよ😀
1つ目に、こういった表現が反語としてとてもポピュラーなものということが挙げられるよ😀
「なぜ若い女性は話しかけてくれないんだろう?(話しかけてくれてもいいのに)」という具合だね😀漢文を習っている気分になるね😀
2つ目に、「男は若い女に話しかけてもらいたい」という社会的通説が一般的なものとして浸透してしまっている現状があるよ😀
悪く言えば完全に偏見だけれど、人間はおおよそこうした偏りを頼りに生きているから仕方ない面も大きいよ😀 よく「ヒューリスティクス」と呼ばれているものだね😀
1つ目の原因を2つ目が後押しして、ゆみさんは不用意にあなたの胸をえぐってしまったのかも😀 悲劇やね😀
だから
という主張は正しくもあるけれど、同時にあなたも自分の言っていることが正確に伝わっていない(=受け手にとって解釈の揺れが大きい)可能性があることもよく織り込んで会話に挑めるといいね😀
実際、ゆみさんのこの会話は非難でもないしそんなに深い勘違いでもないよくあるもののように見えるから、「女の子から話しかけて欲しいなんて都合いいこと思ってないよ~(冗談っぽい口調)」と返しておくのがよかったね😀
つまり
ということではなくて、単に病気で無職なあなたに社会復帰してほしい、ということを伝えたい意図しかないよ😀
でも、あなたの主張のすべてに的確な返事ができないこともあって、それは世の中のほとんどすべての人間に当てはまるよ😀
ブクマカやトラバはこうした流れをひとまとめにして「それが普通だ」と言っているよ😀 伝わるわけがないね😀 ブクマカもまた、あなたと同じコミュ障なんだ😀
9割5分はまともに文章を読んでなくて
当たり前だ😀
これはあなたがKKOだからではなく、元来ネットがそういうものだからだよ😀 ましてやはてななんかに「まともに文章を読む」ことを要求してしまった時点であなたの落ち度といえるね😀
どちらも極端な表現で事実ではないし、劣等感を感じる必要はないと言い切れるけど、ほんのりその傾向はある、ということがわかっていただけるとうれしいよ😀
ゆみさんはたぶん人並み以上にあなたに対して良く接することができているし、逆にその良い結果に対して増田に不満をぶちまけるまでに至ってしまったあなたはちょっとしたコミュ障、ということになるね😀
元増田は良い創作、小説か...、に巡り合ったことがないのだな。例えば、作者は読者に、 "ある複雑な感情" を伝えたいためにストーリーを作り、その積み重ねを読んでもらってやっと得られるようなイメージ、そうしないと伝わらないことのためにたぶん創作するのだ。
そのために話に驚きや悲しみや怒りや笑いやいろいろなものを込めて、衝撃を与え、ときには読者を「傷つけたり」もする。傷つけるという言葉に含まれる感情は、一つではないし、単純化して分析して、どうにかなるればいいようなものではない。
もとが少女漫画とか女性向けコンテンツということだが、もし、「傷ついた !」とかそのまま直に(地の文というか、セリフ、とかそういうので直截に)書かれていたとしたら、それはあまり良い作品とはいえなかったのではないか。(もしかして、そういう話では主人公=読者は不文律になっていて、「傷つく」という概念を子供向けに説明するためにわざわざそうしてあるのかもしれないが。)
...というか、こういうことを書くあなたは、まるでそういう少女漫画か女性向けコンテンツに出てくる、ちょっと不良の、主人公を励ます不器用な登場人物のような感じだ。もちろんいいやつで、最後は主人公に選ばれる人。
自分を棚に上げて言うんだが、経験上、他人の気持ちや人格を尊重できて、自分の衝動を抑えて、行動を顧みることができる、そんな奴世の中にほぼいないと思うんだが???
ほぼ居ないはまあ言い過ぎだけど、個人の性格とか育ち(謎)云々が悪いって話じゃなくて、能力的に無理な人がかなり居ると思うんだよな。
書いてあること読み取るだけのセンター現代文ですらロクに解けない奴がゴロゴロしてるのに、不文律とか勘とかいう理不尽極まりない概念が跋扈してる現代のナマの人間のコミュニケーションなんて、多くの人にとって手に負えるわけがない。
その手に負えない舞台の上で、性衝動を抑えながら、自分にはない経験をよく知って、語彙を磨いて厳選して、アンチパターンもある程度学習しておいて、ミスしそうになったら後からフォローもして……ってめっちゃ高度な技術だと思うんだよな。
DSMやIDCに定義された疾患とそのグレーゾーンには「治療が必要」みたいな多少の同情が得られるのに、ことそこから外れた(広義の)コミュ障に関しては「雨と埃だけ食って生きてろ」みたいな言葉が飛んで反発するなってのも無理があると思う。
とはいえセクハラは被害者の人生を壊しまくってる社会悪だから根絶しないといけないし、どうすりゃいいんだろうな。
特に考えがあるわけじゃないから、いつものはてな仕草で「人間には解決できないからテクノロジーの力で~」とか「社会の構造そのものを変えて~」とか「性欲が悪いから早く総去勢と人工子宮を~」とか言って適当に考えてるフリして終わっとくわ。
これが理解できてない人がいるらしいんですよね。
そういったことに深く関わってそうな文化について研究してる人や、それを生業とする人の中にさえ。
どうすればいいんでしょうか?
学校で教えるべきなんですかね。
太宰論法は駄目だよって5時間ぐらいでカリキュラムに組み込む?
自分がやって欲しいと言ってるも同然なのに、それを相手が自発的にやろうとしたことによるすり替えは無責任だよ、って。
それ言ってた教師の側が平然とそのテクニックを振り回してたし、それで失敗した人に対して「俺がやれって言ったわけじゃないしー。俺はやっても良くねと単に思いつきを喋っただけ」って逃げてたこともあって、なるほど実物提示教育、ってなりましたが。
簡単じゃないんですよね。
今の私だってまさにその「俺はやっても良くと単に思いつきを喋っただけだしー」のポジションからものを申している訳で。
でも私はこれについて、私がそれをやるべきであると提案した時点で、やれと指示を出すほどではないにしろ現状を変えろという意見を口にした事実からは逃げる気はないですね。
現状、この問題を社会が抱えてるのは事実ですからね。変えるべきだと思います。
その手法として、教育に組み込むというものが既に行われていて、そして十分な効果は上げているがそれで掬いきれない部分に問題があり、別の手法を取るべきというのならそれに同意します。
そして、それに同意したからといって、この状況に対して問題提議をし、実際に動きが起きて然るべきと口にしたことをなかった事にはしません。
あーなんでいちいちここまでいわなあかんねん。こんなん不文律なのに、それをいいことに水面下から破ってくる奴がいるのがヤバすぎんだよなー。
教えるべきは不文律をこっそり破るなの方なのかー?
壊した方がいい不文律もたくさんあるんだけどね
自分が通っていた中学は生徒数が多かったせいか、部室を使って着替えて良いのは最上級生である3年生のみという不文律があった
それなので、1~2年生で部活動に出る人たちはみんな教室で着替えて机の上にシャツやズボン、スカートを置いて部活動をしていた
さすがに男女一緒に着替えることはなくて、男子が先に着替えたのち、女子が着替えてグラウンドや体育館へ出ていく
自分は全員が出払ったあとで忘れ物をとりにいくのを装って教室に侵入し、スカートの匂いを嗅いだりしていた
サージ織りのスカートでちんこをしごいてスカートにぶっかけたことも何度かある
出し終わったあとはティッシュで拭き取って証拠を隠滅したが、スカートにティッシュのカスが付着しててしかも臭いので気付いた女子もいるかもしれない
スマートフォンの普及により今では幼稚園児すらもインターネットに生息している。
僕らが子供の頃、インターネットゲームはパソコンでしか遊べなくて、そのパソコンも学校だとか金持ちの家にしかなかった。
あの頃はインターネットなんてものは奇妙な無法地帯であり、そこで遊ぶということはアンダーワールドに片足を踏み込むのと同義だった。
今で言うダークウェブが、モデムを通して一歩ネットに踏み出したすぐ先に広がっていた。
その世界はものすごく危険な場所だとみんなが知っていたから、サバイバルマニュアルを読んでから踏み入れるのが当たり前だった。
そこからADSLなんかが始まって少しずつ、何も知らずにその未開のジャングルにやってくる旅行者が増えてきた頃、港町の周りぐらいは治安をまともにしようって動きが出はじめて、浅瀬でチャプチャプするだけならそこそこ安全になっていた。
それでも、最低限の知識、リアバレだけは絶対に回避しろだとか怪しいソフトは入れるなとかコマンドコンソールに意味を理解してない言葉を打ち込むなとか、そういった事を学ぶことは不文律で義務付けられていた。
でも夏休みや冬休みに暇を持て余していた新参のガキだけが、それを理解してなかったら悪目立ちして、「夏厨」という概念が誕生するに至る。
あれから数十年。
今やルールなんて何も知らずにネットにやってくるキッズの数は計り知れない。
年齢だって非常に若くて、アンパンマンやセイキンの動画についてる応援コメントの中には言葉を覚えたての幼児だって珍しくないだろう。
「草」だとか「オモローwww」とかの言語能力が幼稚園児レベルにまで退化した大人たちのコメントに混じって、本当に言語レベルが幼稚園児の幼稚園児が紛れているんだ。
こんな状態では、常識、マナー、ルール、ルーツ、そんなものは全部流されていく。
新しい時代だ。
どう生きる?