はてなキーワード: リコーダーとは
学校って、みんな同じようにさせるの好きすぎ。
なんでも向き不向きがあって、みんなと同じようにできるまでに何倍も時間かかる奴が必ずいる。
それが国数英社理のような基礎学力なら、多少無理してでも一定水準に到達させる価値があると思うけど、そうでないことが多すぎる。
リコーダーとか、みんなと同じ程度のレベルにようやくついていくために、みんなの何倍も練習する必要ある?
例えば藤井聡太二冠がリコーダー苦手だったとして、将棋の時間削ってみんなと同じ程度のレベルに到達するまでリコーダーの練習すべきだと思う?
大体、なんでリコーダー強制なの?音楽に触れ合うならギターやドラムでも良くない?
リコーダーだけじゃなく、鉄棒も跳び箱もポスターも習字も、経験として少し触れてみるのはいいと思うけど、少し触れたら向いてないって分かるのに、なんで人並みになるための何倍もの努力を強要されるの?
今なら、基礎学力の部分以外はもっと多様なことに触れられて、得意なことややりたいと思ったことをがっつりやらせてもらえるような教育も不可能じゃないと思うんだけど。
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
エロくはない。
吾輩が小学6年生の夏の修学旅行の話である。広島の原爆ドームかなんか見に行ってどっかの島に行っていた気がする。
確かその頃、吾輩の妹にガンが発覚しママンは妹に付きっきりだったので、お昼のお弁当は用意できなかったそうだ。なのでお小遣いをもらい吾輩はコンビニ弁当を食べていた。しかし、どうにも味付けがママ弁当より濃いのかひたすら塩辛くて食べることができなかった。それを当時スココだった先生に伝えて弁当をどこに捨てていいのか尋ねていた気がする。
年齢は確か30手前だったと思う。
先生は恐らく吾輩の家庭の事情を知っていたので、それを聞いてちょっと涙目になっていた気がする。後日先生からママンにそのことを伝えてたらしく、少し複雑な表情をしていたママンの顔も覚えている。弁当は結局ワルガキで先生を困らせていた田村君が食べてくれた。田村君は悪ガキだったがなぜか吾輩のことは気に入っていた。別に嬉しくはないけど弁当を食べてくれたことには感謝した。田村君の家は金持ちなのにコンビニ弁当を食べていてなんだか笑えた。
島で野生のウサギを適当に見て、そのままホテルに泊まった。あとは翌朝家に帰るだけ。
何ともつまらないなぁと思いながら就寝しようとしたが、全く寝付けなかった。
それは同室の友達連中も同じらしく、せっかくだからホテルで探偵ゴッコ(鬼ごっこと隠れんぼをブレンドした遊び)をやろうとなった。吾輩は犯人役だったので適当に隠れるのだが、探偵に見つかるよりも見張りの教師共に見つかる方が怖かったので割とハラハラしていたと思う・・・というか若干後悔していた気がする。
しばらくボーッとして居ても全く来る気配がなかったので、部屋に帰ろうとしたら吾輩の好きな巨乳の先生に見つかってしまった。先生の話によるとどうやらみんなは部屋を出るところであっさり見つかってしまったらしい・・・。
無論こっぴどく怒られたのだが「眠れないから探検したかった」と話すと
先生は「じゃあ一緒に私と寝る?」と聞いてきた
吾輩、先生が一瞬何を言っているのか分からなかったし、当時エロに対してあまり知識もなかった。しかし、男女一緒の部屋で寝るのはエロいことだという認識くらいはあったので、脳が停止して間抜けな顔をすることしかできなかった。
そう言って先生は吾輩の手を握り一緒に先生の部屋に向かうことになった。
先生の部屋は吾輩達の部屋より狭かった。教師はみんな個室なのか?と思ったが、もしかすると教師の中で唯一、先生だけが女性だったのでその配慮だったのかもしれない。その辺りの事情は今もよく分からない。
一緒に寝るということで先生と同じ布団で寝たのだが、その時の吾輩は大変にウブでペニスを立てることしかできなかったので、今は大変に後悔している。
「うん、やっぱりしょっぱくて食べれなかった。唐揚げも冷めてたし」
「ん?うーん・・・まあそうかな。お米美味しいし」
「ふふふ、そっかー」先生は微笑んだ。
この時の吾輩は何を考えていたのか実は覚えていない。
ぶっちゃけ先生のことしか考えてなかったのかもしれない。でもあまり複雑に考えずにぽろっと答えていた覚えはある。
「うーん、お母さんが大丈夫だって言ってたから大丈夫だと思う」
「そうだね。大丈夫だよ。〇〇君(吾輩)はお兄ちゃんだから守ってあげてね」
「ん?、んー、守るって何?」
「◯◯ちゃんが元気になるようにだよ」
当時の吾輩はあんまり意味が分からなかったけど、少ない頭なりに何となく先生が言いたいことだけは理解できていた・・・気がする。たぶん。
そこからはあんまり話をしなかったし、吾輩もなんだかんだ疲れていたので眠りに入った。
翌朝はみんなより少し早めに先生が吾輩を起こした。
吾輩は後ろ髪を引かれる思いだったが、クラスメイトにバレるのも面倒なのは確かだったので素直に従った。
吾輩的にはエロかったのだが、こうして文章にしてみるとあまりエロい雰囲気にできなかった。
吾輩の妹は今は普通に元気で関西の老舗のデザイン会社の下っ端で働いている。
音楽の授業で音楽教室に向かう途中、行くのが面倒になってこっそりと近くの廊下の階段で座り込んでいた。
しばらくしていると先生が吾輩の元に来た。
勿論、普通に怒られていたのだが、吾輩が適当に駄々をこねていると先生が吾輩のリコーダー袋を手に取り、パチっと蓋を開けてリコーダーの先だけ出した。
そうやって先生は吾輩のリコーダーにチューをしてしまったのだ!!
吾輩は呆気に取られていたのだが
「早く行ってらっしゃい。〇〇先生(音楽教師)も怒んないから」
と言ってくれたので素直(脳停止中)に従った。
「子供がそんなことできるわけないだろ。」→できるかどうかじゃない、やるんだよ。胸がどういう器官か知ってるか?肋骨の下に何があるか知ってるか?心臓だよ。相手がナイフを持っていたら?自分が子供だったからという安易な理由で、死ぬ。
胸は男性からしたら性的な部分かも知れないが本人からしたら心臓のすぐそばだよ。変質者だろうが見知らぬ他人からは守らなきゃいけない場所だ。そこを不意に攻撃された訳だぞ。なら、急所を突然反撃されたとして仕方ないだろ。リコーダーでもその辺の棒きれでも構わない。突け。更に、見知らぬ女児への接触を求めた他人が再犯しないとも限らない。そこで、殺れ。世の中の為にやってくれ。犯人に、一生かかっても拭えない恐怖と心の傷を植え付けてくれ。大丈夫、正当防衛だ。
第一、そんな大きな傷には成り得ない。なんたって子供なのだから。
「お前はエロいこと考えすぎて読解力が低下してんだろうな。」→さあ?他人に唾を吐きつける行為は、侮辱に当たらないのかな?
つまり、犯人になり得る人間に対して正当防衛も認めない、ただ黙って有耶無耶にしろと言っているようにしか聞こえないんだが。
旦那のグループLINEに回ってきた、町内の育成会の人が作ったらしいチラシに、とてつもない敗北感を覚えた。
田んぼと畑と寂れた神社しかない典型的など田舎の自治体の草むしり写真が、よくぞここまで加工したな!と感心するくらいの美しいグリーンに囲まれた自然風景に。
しかも写真を装飾するデザインがまた、シャレオツとしか言いようのない出来で。
web制作会社に2ケタの年数勤めてもデザインの4文字とは無縁のせいでコーディングしかできないお荷物コーダーには、色々と刺激的だった。
学生時代、5教科の成績も良くはなかったけど(特に理数系は壊滅的)、更に悪かったのが書道に図工に家庭科に音楽に保健体育。(音楽はリコーダーのみ)
「私ぃ、5教科以外だけ成績良いんだよね!」というよくある自虐が、本気で自慢にしか聞こえないくらい。
ピアノを3〜4年習ってもバイエル卒業できず、中学校では美術部・高校の選択授業では美術を選んでも尚画力もデザイン力も学年ビリ。
中学校の生花クラブなんて、毎回毎回先生に「全部」無言で生け直しされ、何が良いとも悪いともアドバイスさえもらえなかったっけ。(ちなみに他の生徒はアドバイス交えて少し手直しされる程度だった)
成人して、親の美術館通いに時々付き合うようになり、その現象にも納得した。
絵でも彫刻でも、何なら水族館の魚でも、本っ当になんの感想も浮かばないのだ。
何か感じるものが見つかれば、と思いつつ眺めはするものの、心の中ではFacebookの「いいね」を連打しているだけ。
綺麗だとは思うものの、何が綺麗とかどの部分が印象に残ったとか、人に語れる具体的なものが一文字もない。
そりゃ、理解できないのに生み出せるはずないわな。
リコーダーは流石にひどい
中学入学時、親が近所の卒業生にもらってきた他人のお下がりのアルトリコーダーを使わされていた。
全くサイズの合っていないぶかぶかのジャケット、引きずるように長いスカートを腰のところで折り返して三年を過ごした。
私服は親がもらってきた近所の既婚女性が若い頃に着ていた洋服。
お小遣いは月に1000円。同級生には「それでなに買うの?」と馬鹿にされた。
当時は、うちは貧乏だから仕方ない、我慢しなくちゃいけない、と思っていた。
親にもなにも言えなかった。
実際は、うちは年収2000万越えの比較的裕福な家庭。(大人になって源泉徴収を見て気がついた)
決して、買えなかったわけではないと思う。
母は節約好き、というよりもケチで。電気や水道など大した意味もないのに執拗に消して回るタイプ。
わたしの平穏な学校生活よりも自己満足のための節約が大事だったか?
時々思い出して、「リコーダー」「他人のお下がり」とかで、検索してしまう。
兄弟間のお下がりで悩んでる人はいても、さすがに他人の唾液のついたリコーダーを我が子に使わせようとしている親は見かけない。
そんなにあり得ないことなのかと、今更傷つく。
そう思っても、大人になって反芻した時に傷ついたり、怒りがこみ上げることもある。
メイドカフェ店(限定じゃないけど)が外に出したゴミ袋とか夜中に家に持ち帰れば、使用済みの生理用があるだろう。下着とか捨てられてるかもしれない。
でも、女子校から女生徒のアイテムをかっさらう人がいるけど、リコーダーを舐めたり脱衣所の脱ぎたてで隠すように丸められてるショーツで思わずオナニーしてしまうのは(浴室に突撃しろよ)、好きな女の子の本体があって、それを好きにできないからの「代替」でしかないから、好きでもない、ましてやブスやおじさんかも、誰のものか分からないアイテムを愛でる気持ちは無い。さらに以前、大きなゲーセンでアルバイトしたとき、閉店後の掃除で女子トイレの汚物入れも捨てたけど、それをなんかしようという気にならなかった。
ワイはどうしたいんや。風俗行けばいいんだろうな。女性(に限らずだけど)が恥ずかしがって隠したり見せなったり無いことにしてることだから興味を持ったり興奮したりするんだ。
酔った女性が「もう我慢できない!」って下着下ろしながらしゃがんで、おしっこし始めたとき、(あーしたいんだなー)としか思わない。「君も立ちションしてよ」。ここで「したくないです」と言わず「恥ずかしいから」て答えたら、「男は恥ずかしくない!」とか言われ、おちんちん出され、出ないから「しーしー」て言われ、頑張って出したら「もう終わり?」って、おちんちんをふるふる振るから、少し膨らんで、「あら。あらあら」とか言われ、「なめてあげよっか」に「汚くてお風呂入ってないから駄目です」なんて言おうとなら、ぱくってくわえられる。
「大きくなってるの見られるの恥ずかしいです」なんて言えば、握られてるし舐められてるのにね。僕は同じ女の子に「処女は他の人だけど、お尻の初めてはあなたさんですよ」って3回言われたことあるよ。
サボテンが花をつけている。
最近映画やってるということで、仲のいいオタクがこれを機に全部見ろと言ってくれて、今更全部履修しました。
映画も行きました。最高だった。
で、なにか楽器をやってみたい。
そう思い立って、近所の一般吹奏楽バンドがいくつかあるので、見学に行ってみた。
いろんな楽器を吹かせてもらった。楽しかった。どうだったかは以下に。
フルート 鳴らない。どんだけ吹いても鳴らない。スコー!!!っていうだけ。のぞみが好きだったのでつらかった。のぞみすごい。
クラリネット ドレミファソラシドはできた。指覚えられる気がしない。
アルト?サックス ドレミファソラシドはできた。思ってたよりでかいし重い!
ファゴット 鳴りはした。
コンバス やらなかった
トランペット ドレミファソラシドはできた。れいなみたいな綺麗な音とか高い音だすのどんだけ大変なの?
トロンボーン 鳴はした。スライドむずいし腕が短いから遠くキツイ。
ユーフォ ドレミファソラシドはできた。思ったよりでかいし重い。
チューバ ドレミファソラシドはできた。はづきちゃん毎日こんなの吹いてんの?マウスピースでかすぎてびっくり。
とにかく楽器吹くのって見てるよりずっと大変なんだね。なんつーか、リコーダーみたいに吹けば鳴るってもんではない!
やっぱ何年も吹いてる人と今初めて楽器触った!って人との音色の差が歴然すぎる。
響け!みたいに美しい音楽をするのはすんごく大変なんだなあ。
やっぱり学生時代に部活動でやってないとキツいなあ。この年で始めるのしんどいかもしれない。
ヤマハ大人のレッスン教室とかあるけど…。ああいうのの利用者で実際に楽器演奏をモノにした人ってどのくらいいるんだろう。そういう統計とか見てみたい。
全くもってそう思うわ。
どうしようもなく生きるのが下手な人がいる。
たとえば小学校ならどうしてもリコーダーの音の出し方がわからないとか。
もちろん友情で助けることもできるが、そんな友達がいるかは運次第だし、素直なら塾に行くことでてっとりばやくなんとかできる。
その塾の先生が、うちにくるような子、来るべきでまだ来てない子にむかって
「リコーダーはもっとそっとふくんだよ!たんぽぽのわたげよりやさしく、ハムスターの眼がとじないくらいな!」ってわかりやすいが極論をぶったたく。
それをみてたんぽぽやハムスターがかわいそう!って泣き出すリコーダーを吹けない子がいて、
さらにそれを伝え聞いてこの塾の先生ひどい!って怒る友達もいるのが今のネット社会なんだよな。
もちろん伝言うけて読んだ友達はリコーダーはふけるので悩んだこともないし、
たんぽぽやハムスター以外の方法で今までに友達に伝えようともしてない。
もうちょっとネットマナー、棲み分けまなー(自分に向けられていないものには友達とはいえ口出ししない)が広まると良いと思うよ