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2021-07-11

anond:20210711160201

かっこいい。リコーダーくらいしかできん

いちおう木琴叩けるらしいがたどたどしいアコギと同じレベルかなぁ

2021-02-11

anond:20210211040858

なんでそういうデマを広げるんですか?

リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初LPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授就任したのが1973年です。

そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールフラウト・トラヴェルソ部門ダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。

同じ時に東京リコーダーカルテットリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。

有田正広さんは、その後70年代からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。

また、オトテール・アンサンブル活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD

中世音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催ダンスリールネサンス合奏団の結成も70年代1972年?)でした。

その後、主な団体だけでも、東京バッハモーツァルトオーケストラ活動開始が80年代バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代ヴォーカルアンサンブル カペラ活動開始も90年代です。

2010年代どころか2000年以前から結構盛んだったし海外での評価も高かったですよ。

2021-02-03

そろばん買えなかったなぁ

だいたいクラスに3人くらいはそろばんが買えない貧乏な家んちの子がいて、先生が貸してた

アルトリコーダーもそう

惨めだったな〜

2021-01-31

[] #91-8「13人の客」

≪ 前

13人の客、その12人目は杖をついた老人だった。

「『愛のリコーダー』の尺八奏シーンは、若い頃に見たミュージックビデオを髣髴とさせる。写真を何枚も撮ってパラパラ漫画みたいに動かしている、随分と凝ったミュージックビデオだった」

ストップモーションアニメってことですか?」

「“パラパラ漫画みたいに”言っただろ!」

若者経験も語彙も少ないから中身のない話をしがちといわれるが、実際は老人のしてくる話も中身がない。

経験や語彙があっても、それらを整理整頓する処理能力が衰えているからだ。

結果、言葉が足りなさ過ぎたり、余剰過ぎて要点が分かりにくかったりする。

「あの尺八音色は、一体どこで聴いたんだっけか……」

若い頃に見たMVだと言ってませんでしたっけ」

「“えむびー”なんぞの話なんてしとらん。ミュージックビデオで聴いた尺八音色が、どこか別の場所で聴いたことがあると言ってるんだ」

「んー?……それは『愛のリコーダー』って映画からでは?」

「『愛のリコーダー』の話は終わっとる! 今はあの尺八音色が、どこで使われてるかって話をしてる!」

しかも、こちらが会話に参加しないと不機嫌になるし、参加したらしたで不機嫌になってくる。

いずれにしろ面倒くさくて、疲れるのは同じだ。

「なんかテレビでやっとった! ふほほ~ん、ふふ~ん……こんな感じの音色で」

ちょっとからないですね……」

ふほほ~ん、ふふ~ん!

「いや、そんなに強調されても」

この話の何がキツいって、一向に話がまとまらない割に、最終的な実りが少ないことだ。

せめて戦時中体験談だとか歴史的な話だったり、含蓄に富んだ話をしてくれるなら甲斐もあるんだが。

老人に“無人島に何を持っていくか”レベルナンセンスな話をされるのは、実際に無人島生活するよりも大変だ。

「分かんねえかな~!? ふほほ~ん、ふふ~ん、じっしょく~」

「“じっしょく”……あ、ひょっとして『食わず嫌い戦』のことですか」

食わず嫌い? ワシは何でも好き嫌いなく食べてきたぞ!健啖という言葉はワシのためにある」

「いや、そうじゃなくて……」

「言っておくが、自分から健啖なんて吹聴したことはないぞ。自然と周りが呼び始めただけだ。気に入らない飯だってあったし、そもそも質が悪くて不味いものもあった。それでもワシの青春時代は、ただでも少ない栄養を摂り続ける必要があったんだ。それに対して、近所に住んでいたケンちゃんは偏食家だった。4階建てに住む小金持ちだったから甘やかされていたんだろうな。4階建てといっても屋根裏部屋はカウントしていないぞ? 」

「あの、『食わず嫌い戦』ってのは番組コーナーのことで、お客さんが聴いたであろう尺八音色は、その番組で使われていたんじゃあ……」

「黙らっしゃい!」

こうなってしまっては、もうどうしようもない。

初めから会話はマトモに成立していなかったが、ここまでいくとその体裁すらなくなる。

この老人は、他人など関係なく喋り続けるだけの機械と化した。

「そんなケンちゃんとは学校で何かをやる度、いつも一緒だった。仲が良いのもあったが名前順の関係で一緒になりやすいんでな。ケンちゃんは偏食家で体に栄養が足りていないんで、100メートル走とかやってもワシがいつも勝ってたよ。不憫に思って一度だけ手加減したことがあるけど、それでも余裕しゃくしゃくよ。運動以外のことも苦手で、共同で行事とかやると必ず足を引っ張って周りに疎まれとったよ。まあ、これは同じ能力じゃない人間に同じことをやらせようとする共産主義遺産も原因だろう。ケンちゃん自身トロくさかったけど悪い子ではなかったしな。お昼の時間には、白と茶色しかないワシの弁当に彩りを加えてくれたし、たまに家に招待されてお菓子を振舞ってもくれた。あの時に食べたお菓子名前をワシはまだ知らないが、人生で一番おいしかたことだけは確かだ」

こんな話に俺が学べることは何一つない。

強いていうなら、歳をとっただけで人の価値は上がらないってことくらいか

年月を重ねただけで価値が上がるのはハイブランドビンテージだけである

次 ≫

2021-01-20

増田レスバとかな、どんなに頭が悪くても言い返すことはできるんやで

まり言い合うことに意味はないんやで

好きなキャラのことでも書いてた方が楽しいんやで

ワイは最近気まぐれで始めたガールシンフォニーってブラゲのフランジスカって子にハマってるやで

語尾の癖が強くて~っピ、とか~っピヨとか喋るんやけど顔も声も良いから可愛さの塊やで

半分エロゲみたいなやつやからアレやけど声の系統としては豊田萌絵っぽい感じやで

フラジオレットという木管楽器の音精(ニュムパ)で小鳥と戯れる系女子(?)らしいやで

そんな楽器は初めて聞いたんやがググってみたらリコーダーみたいなやつやん

リコーダー系の女の子とか約束された可愛さやん

おまけにワイの好きな緑髪ときたら優勝していくしかないんやで

☆4でわりと出るから使ってるけどもすぐ死ぬとこも含めて可愛い

まあそんな感じですわ

2020-12-31

髪の毛を抜くということ

年末大掃除をしていて落ちてる髪の毛少ないなとふと気がついて日記を書こうと思い至った。

【抜毛症】

抜き始めたのは厳しいクラス担任にあたった低学年の頃だった。正直あの一年間のことは真っ白であまり覚えていない。ただ、彼女の事はずっと鬼だと思っていた。自分の娘のランドセルを畑に捨ててやったと自慢げに笑っていたことだけは覚えている。

ある時クラス男子がにやにやしながらこちらを見ていた。ゴミ箱には私のリコーダーが埃にまみれて捨てられていて、机の上の物は先生が捨てていいと言ったと笑っていた。子供ながらストレスに感じていたのか、記憶はないが学校でも塾でも家でも抜いて抜いて抜きまくった。手が届く部分の地肌は焼け野原みたいに見えていた。家族にも美容室の人にも生えてこなくなると言われた。でもやめられなかった。兄弟友達から笑われているのを知っていた。運動場で兄弟クラスの授業があって、その近くを通るときは怖くて見られたくなくて人の陰に隠れた。

後に彼女が生徒へのパワハラまがいな事件を数件起こし左遷されたことを知った。中高の担任大学指導教官には恵まれて、先生にはこんな人種もいるのだとようやく思えた。ただ彼女教員でなければ、担任でなければと思ったことは数知れない。教員と聞くと身構える自分がいる。

中学でも高校でも大学でも就職してからも止められず、緩やかに続いている。高校の時に髪の毛を学校で捨てたら駄目だと思い、ノートに挟んで隠しておいたら、大量の髪の毛を友人に見つかったことは思い出したくない。友人との旅行先でお風呂に入った後、地肌が剥き出しになってより目立ってしまうので必死タオルで隠した。

親にまだ抜いているのと聞かれることがあるので抜いていないと言う。「今は」抜いていないから。ある時親に「テレビで言ってたけど毛を抜くのも病気なんだってね」とドラマを見ながら言われて、愕然とした。確かに昔は抜毛症の知識なんてなかっただろうけど、そのときに少しでも受診を考えていてくれたらこんなに長期間苦しむことはなかったんじゃないかって。親には学習面や生活面など自立するまでの様々なサポートについて本当に感謝している。けれども衝動的に思ってしまった。ハゲになるって家族だけじゃなくて昔からの行きつけの美容室の人に呪いのように言われて、美容室が嫌いになった。

とある機会に相談したカウンセラーの人に「ずっと一人で頑張ってきたんですね」と言われて、なぜか大の大人が涙を止められなかった。テープや紐で手を縛っても手袋をしても抜いてしま衝動で、抜毛の瞬間は痛くて自分の回りにどんどん髪の毛が増えていっても止められなくて。確かにこんな恥ずかしいこと、誰にも言えなかった。

就職して、自立してだんだんと緩やかになって色々な経験をして今やっと落ち着いて顧みることができる。抜毛の影響か頻度は減っても本数が増えないので人並みではないけど。同僚や友人の編み込みを見て羨ましいなあと思う。そんな目線を感じていたのか同期に「編み込みしてあげようか?」といわれて髪の毛少ないと言われるんじゃないかって死ぬほど緊張しながらやってもらった。本当の編み込みは無理っぽくて、でもそれに近いやつに変えて不自然に見えないようにやってくれてとても嬉しかった。下手したら小学生時代にみんな通る道を何年も遅れて今経験している。

自分自身医療に関わっていて抜毛症の患者さんに会うときは喉元まであがってきた「辛いよね、私もわかる」という言葉を飲み込み、何も無かったように対応する。(抜毛症状の治療目的で来ているわけではないので)最近はいウィッグもある。

緩やかになったとはいえまだ少し癖は残ってるけど、本当に気持ちの落ち込んでいるときに先回りして対応できるようになれた。他人がどんどん順調に人生を送っているように見えてしんどくなることもある。そういえば昔世界仰天ニュースで抜毛症を取り扱ってくれていた。

誰のせいでもなくて自分自身のせいだけどたまにふわっと思い出すこともある昔の話。

2020-12-27

anond:20201227215058

ワイは好きな子リコーダーぺろぺろしたりアレをこすりつけたりして十分青春謳歌たから悔いはないやで。

2020-12-15

おもらし好きという特殊性

あれは忘れもしない。5歳の頃に幼稚園ピアニカの発表会の練習をしていた時の事。

クソ寒い体育館?みたいなとこで練習してたんだけど、当時から陰キャ爆発してた俺はおしっこを漏らした。泣いた。周囲に気付いた人はあんまりいなかった。

この経験人生初の壮絶な羞恥であり、今の俺の性癖の土台となった。

 

これも忘れはしない、広島の己〇小学校四年生とき帰りの会リコーダーで「パフ」という曲を全員で練習するのが当時の常だった。

俺は全力で演奏していたが、演奏中に隣の女子がリコーダーを置いて教卓の前に歩いていき、一人静かに出て行ったのを横目で見た。

全力の演奏が終わり、あとは挨拶して帰るだけ、なのに隣の女子は帰ってこないし先生も「待ってろ」と言い残して消えた。

ふと横を見ると水溜まりが広がっており、俺の机の足にもばっちり届いていた。おもらしだ。あの隣の内気な女の子が、おもらしをしたんだ。

もう9歳か10歳にもなるというのに、おもらしをした。それまでその子に興味を持ったことは一度も無かったのに、それからはその子の事を考えるだけで胸がはち切れんばかりだった。

5歳の頃でさえ、俺は死ぬほど恥ずかしく、泣きじゃくり、消えてしまいたいと絶望感が身を襲っていたのだから、倍の年齢である10歳でのおもらし、しか教室中に知れ渡っている。

の子羞恥心と絶望感は筆舌に尽くし難いことを俺は知った。そして、酷く興奮した。

の子は翌日普通の顔して登校した。いじめも起きず不登校もなく、みんな優しかった。俺はひとり「女の子はなんて強いんだろう」と感動し、また興奮した。

 

そして俺は今26歳になり、女の子教室体育館でおもらしする同人誌を買い漁っては抜いている。

放尿ではなく、着衣失禁で無いとダメだ。できれば人前が良い。大は範囲外。

漏らすまでずっと心の中の葛藤(「トイレ行きたい、でも手を上げたらみんなに『おしっこ我慢してるんだ』ってバレるし恥ずかしい」「あと〇分なら我慢できる…」)があるとなおよい。

 

そして葛藤とは裏腹にドンドンもじもじが強くなり、手はスカートの上から押さえてないともう漏れ出しそうな状況で、とにかく我慢するしかなくて、「おしっこしたい、おしっこしたい、おしっこしたい」以外の感情がなくなり、ふとした瞬間、押さえた手の隙間からおしっこ漏れ出し、何とか我慢するも止まらず、止められず、無力に自分意志とは裏腹におしっこが溢れ出し、暖かさと微かなアンモニア臭が鼻孔をくすぐりながら、「もう〇歳なのに…」と不甲斐なさに絶望して泣きじゃくり、みんなに「漏らしてる…」と気付かれる終わり方。そういうので抜いている。

 

てか書いてて自分文章で興奮して抜いてしまった。 

の子には申し訳ないけど、俺の性癖開拓してくれて感謝している。

2020-12-05

anond:20201205192838

ワイは靴・制服リコーダー隠された事ならあるやで

隠された物も犯人も見つからんから買いなおす経済的被害があったやで

2020-10-12

音楽の授業がリコーダー合唱に全振りなのもどうかしてるよね

子「あー、なんか気持ちいいー」

「これがグルーヴです」みたいな教育とかあればいいのにね

最新の状態は知らないけどさ

2020-10-09

結構簡単に高IQかどうかを判別できるんよ

小学校の頃に習うものごとをちゃんと正しくすぐに思い出せるかどうか

なんでもいいよ

リコーダー掃除の仕方でもいい

雑巾はどのように絞る?

料理をする必要があるのはどうして?

洗濯物を畳まなければいけない理由はなに?

これらのようの問いに対する答えがスッと出てくる人間IQが高くて、そんなの習ってないんだけどってなる人はIQが低いよ

2020-10-08

ブックマークの謎の棒推し

ブックマークに登場する記事に「棒」関連が妙に多い、と思ってコピペしてみた。下記は一例。

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「’89 牧瀬里穂JR東海クリスマスエクスプレスCMが良すぎて書...」牧瀬里穂の抱いているのが棒

オリジナルすぎるハンコを作ってみた :: デイリーポータルZ」ハンコの写真は棒

リコーダーについているあの棒を死ぬ前に正しく使いたい :: デ...」棒

受肉せよ! サラミスティックロボ :: デイリーポータルZスティック=棒

「これから働く人にバトンを渡しに行った :: デイリーポータルZバトン=棒

登山で見かける棒たち :: デイリーポータルZ」棒

「内部のひみつの音が聞こえる棒、「聴診棒」 :: デイリーポータルZ」棒

マイクスタンド芸を身につけるために必要な3つのこと :: デイリ...」マイクスタンド=棒

ヤクルトファンの好きな棒は傘 :: デイリーポータルZ」もはや無理矢理なほど棒

棒人間を作ったぞ :: デイリーポータルZ」棒

「棒グラフに使える野菜調べ :: デイリーポータルZ」棒

ドラムスティックのような野菜スティックを作る :: デイリーポ...」スティック=棒

「「ランチやってます」があればランチやってるように見えるか ::...」写真が幟(のぼり)の棒

「「現状品」のフルート落札しました :: デイリーポータルZフルートが棒

信号の「ロング押ボタン」を集めました :: デイリーポータルZ信号から棒のように突き出たボタン特集

ボルダリングは木彫りの熊で :: デイリーポータルZ」棒ルダリング

珍味のヤマクラゲがレタスの茎であることを確認したい :: デイ...」レタスの茎=棒

ユニクロで「た、高い!」と思ってしま貧乏感はバブル世代に...」貧乏は「貧棒」とも書く

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……などなど、今日ブックマーク欄では棒がゲシュタルト崩壊起こす有様である

特に"デイリーポータルZ"。お前明らかにワザとやってるだろ。よく見ればだいたいはコイツのせいじゃねーか。

2020-08-27

anond:20200826233306

真犯人は、「リコーダーをすげ替えられた女子」。

あなたお話するきっかけを作りたかった。

だが、いつの間にか、もとに戻されていたことを知り、脈無しと悟った。

2020-08-26

女子リコーダー自分のが勝手にすげ替えられていた話

きな子リコーダーをこっそり舐める、というような暴走した思春期男子エピソード妄想やら漫画やらでまれに見かける。



自分は全くそんなつもりは無かったのだが、危うくハメられかけたことがある。


中学生の頃だった。

背が低く、運動も得意じゃなかった自分はいじられキャラというか軽いいじめを受けていた。

執拗に狙われるわけじゃなく暇つぶし罵倒される、因縁を付けられる、殴られる程度だったので軽いと書いたが、未だに思い出す度に腹が立つ)


音楽の授業でリコーダーを吹いていた時、何か違和感があった。

かいつもと違うがそれがなんなのかわからない…と授業の半ばまで気づかなかったのだが、ふとリコーダーの頭の裏側を見たとき違和感の正体が判明した。


違う人の名前女の子名前が彫ってある!!



(どこの学校でもやってるかはわからないが、当時学校リコーダーには3等分したうち、

 一番上のパーツの裏側に識別のために名前を彫っていた)


内心ものすごく慌てたが、コトがコトだけに騒げない。


すげ替えられた先の女子は、これまた微妙な間柄のクラスメイトだった。

クラスで上位の可愛い子でもなければ、クラス下位のいじめられっ子でもない。

自分にとってはほぼ会話したことがないんじゃないか?というような接点の無い普通の子だった。



一人でパニックになりつつ、このままどうすれば波風立たずに終わらせるか?を授業が終わるまで必死に考えていた。

天地神明に誓って自分が替えたわけじゃない

リコーダーを包む革袋の名札には自分名前が書いてあったので、

 革袋にしまっていた本体の頭パーツか本体ごとかを意図的にすげ替えられている

・その女の子が替えるなんてあり得ない(そもそもの繋がりが薄すぎる)

自分いじめていた奴の誰かがやった

・騒ぎが起きれば、自分被害者なのに確実に変態烙印を押される



結局、「自分でこっそり入れ替え直して無かったことにする」しかなかった。

とは言え、その場を見られたらそれこそ現行犯になってしまう。


つのタイミングだったか忘れたが、教室から人がほぼ掃けたタイミング(移動教室とかで放課後ではなかったはず)にこっそりと戻しておいた。

かに見られなくて本当によかったと思う。



結局あの後再発することは無かったが、犯人としては

女子が気づいて騒ぎになり、便乗して俺を変態扱いする

・双方気づかなかったら、気づいたふりをして騒ぎを起こして俺を変態扱いする

のどちらかを企ててたのだろうか。

そうなれば本当に社会的に死んでたかもしれない。



結局、卒業までそのリコーダー関連で何かが起きることはなかった。

犯人もわからずじまいだった。やりそうなクズ候補複数人浮かんでいる。

それだけ自分が弱い立場いたことに今でも憤りを感じる。



中学卒業から数年経った後、地元を離れたのだが成人式には参加した。

友達地元に残っていたので会いたかったし、自分は頑張ってそれなりの大学に入ったので

当時のクズ達は「どうせ地元チンピラでもやってるんだろう」と考えていて

今はもうこちらが上なんだ、という独りよがりな思い上がりもあり、とにかく自分の中で決着を付けたかった。



遠目で見ただけで、会話もいちゃもんもつけられることはなかったが、

TVに出るようなDQN新成人の格好で、成人式の立て看板破壊しているところを目撃した。

相変わらずだと思ってある意味安心した。

下手に更生されてたら余計に腹が立っていたところだ。



みっともない罪状現行犯で、新聞の片隅に名前が載ったやつもいた。

改めて、自分がいた地域は吹き溜まりだったんだなと思い知った。

もう、地元に帰って暮らすことはないと思う。



これで今では自分結婚して幸せです、とまでいけばよかったのだが

女性に振り向いてもらえることはなかったので今でも独身です。



当時、リコーダーをすげ替えられた女子はかわいそうだと思う。

なんであの子だったのか、それだけ、今でもそれらしい理由がわからないままだ。



リコーダー」という単語を聞く度に、あの戦々恐々とした一日を思い出す。

2020-08-24

anond:20200824212633

リコーダーに何か恨みがあんのか。

リコーダー下手過ぎて好きな子に嫌われたとか。

読書感想文に限らず

学校って、みんな同じようにさせるの好きすぎ。

なんでも向き不向きがあって、みんなと同じようにできるまでに何倍も時間かかる奴が必ずいる。

それが国数英社理のような基礎学力なら、多少無理してでも一定水準に到達させる価値があると思うけど、そうでないことが多すぎる。

リコーダーとか、みんなと同じ程度のレベルにようやくついていくために、みんなの何倍も練習する必要ある?

例えば藤井聡太二冠がリコーダー苦手だったとして、将棋時間削ってみんなと同じ程度のレベルに到達するまでリコーダー練習すべきだと思う?

大体、なんでリコーダー強制なの?音楽に触れ合うならギタードラムでも良くない?

リコーダーだけじゃなく、鉄棒も跳び箱もポスター習字も、経験として少し触れてみるのはいいと思うけど、少し触れたら向いてないって分かるのに、なんで人並みになるための何倍もの努力強要されるの?

今なら、基礎学力の部分以外はもっと多様なことに触れられて、得意なことややりたいと思ったことをがっつりやらせてもらえるような教育不可能じゃないと思うんだけど。

リコーダーテストなんて大嫌い。

2020-08-21

早生まれだった自分語り

早生まれの不利は大人になっても続く』という見出し記事最近話題になっていた。

高校入試偏差値所得にも影響しているという記事で、統計的3月4月偏差値が約4.5違うというものだった。

  

1993年3月31日生まれ

6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長109センチ趣味スーパーファミコンドラゴンボールZビデオ視聴。

好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。

すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校不安を持っていた。

ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。

小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。

    

小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分勉強が嫌いかも。という感覚だった。)

そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。

今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。

5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。

しか学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生クラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが

職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラス勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。

当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。

そんなことを考えるものから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。

  

体育。一番小さいサイズ体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。

夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。

学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。

今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。

ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。

顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。

恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。

  

得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。

もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。

そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と

割り算プリントデタラメ数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミング先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。

考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。

  

小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。

国語漢字の覚えが悪く、社会科47都道府県いつまでも覚えられなくて居残りをした。

音楽練習したつもりだったリコーダードレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。

4年生から始めたスイミングスクール甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。

  

  

  

中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。

中学には水泳部所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。

  

(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)

中学運動会自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。

1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。

タイトル通り、この運動会には欠点があった。

夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。

毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。

  

1年生の5月頃に、先生から各組への割り振りが始まる。

夏組に割り振られた6月まれガッツポーズをして喜び、その学年の生まれ割合から冬組に割り振られた10月まれ先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月まれ4月まれかの確認あいっこが始まる。

秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。

  

秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。

運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらムードの冬組がうなだれていた。

中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。

ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。

  

から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。

きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)

  

  

  

高校公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制高校マイペースプリントを進め、コツコツとDTPデザイン勉強をした。

高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強Skypeながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。

通信制高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。

  

正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。

もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては

適切な学習環境必要なのではないか、と当事者自分は思った。

  

ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生自分と同じ誕生日の美しい先生だった。

聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。

きっと先生は、早生まれがどういう不利な状況にあるのか知っていて声をかけてくれたのかな、と思うと

なかなか声をかけられなかった過去自分歯がゆい思いを馳せた、『早生まれの不利は大人になっても続く』記事だった。

2020-08-10

[]35日目

なわとび:401回

ボクシング:111kcal/31

まだ筋肉痛が残ってるので今日も軽めメニュー

フィットボクシングのカラダ年齢ってのは要するにリズム感の良さを示す値らしい

フックとアッパーとジャブとストレートを使い分けてリズムに合わせてパンチを繰り出すのはリズム音痴にはきびしいのじゃ~

小中の頃のリコーダーとか超苦手だったんじゃ~

まあパンチ打てればカロリーカウントしてくれるのでいいとするか

2020-08-06

エロい

エロくはない。

吾輩が小学6年生の夏の修学旅行の話である広島原爆ドームかなんか見に行ってどっかの島に行っていた気がする。

確かその頃、吾輩の妹にガンが発覚しママンは妹に付きっきりだったので、お昼のお弁当は用意できなかったそうだ。なのでお小遣いをもらい吾輩はコンビニ弁当を食べていた。しかし、どうにも味付けがママ弁当より濃いのかひたすら塩辛くて食べることができなかった。それを当時スココだった先生に伝えて弁当をどこに捨てていいのか尋ねていた気がする。

先生巨乳であるEカップ絶対あった。あとお尻も大きい。

年齢は確か30手前だったと思う。

先生は恐らく吾輩の家庭の事情を知っていたので、それを聞いてちょっと涙目になっていた気がする。後日先生からママンにそのことを伝えてたらしく、少し複雑な表情をしていたママンの顔も覚えている。弁当は結局ワルガキで先生を困らせていた田村君が食べてくれた。田村君は悪ガキだったがなぜか吾輩のことは気に入っていた。別に嬉しくはないけど弁当を食べてくれたことには感謝した。田村君の家は金持ちなのにコンビニ弁当を食べていてなんだか笑えた。

島で野生のウサギ適当に見て、そのままホテルに泊まった。あとは翌朝家に帰るだけ。

何ともつまらないなぁと思いながら就寝しようとしたが、全く寝付けなかった。

それは同室の友達連中も同じらしく、せっかくだからホテル探偵ゴッコ(鬼ごっこと隠れんぼをブレンドした遊び)をやろうとなった。吾輩は犯人役だったので適当に隠れるのだが、探偵に見つかるよりも見張りの教師共に見つかる方が怖かったので割とハラハラしていたと思う・・・というか若干後悔していた気がする。

しばらくボーッとして居ても全く来る気配がなかったので、部屋に帰ろうとしたら吾輩の好きな巨乳先生に見つかってしまった。先生の話によるとどうやらみんなは部屋を出るところであっさり見つかってしまったらしい・・・

無論こっぴどく怒られたのだが「眠れないか探検たかった」と話すと

先生は「じゃあ一緒に私と寝る?」と聞いてきた

吾輩、先生が一瞬何を言っているのか分からなかったし、当時エロに対してあまり知識もなかった。しかし、男女一緒の部屋で寝るのはエロいことだという認識くらいはあったので、脳が停止して間抜けな顔をすることしかできなかった。

「よし、先生デートしよう」

そう言って先生は吾輩の手を握り一緒に先生の部屋に向かうことになった。

先生の部屋は吾輩達の部屋より狭かった。教師はみんな個室なのか?と思ったが、もしかすると教師の中で唯一、先生けが女性だったのでその配慮だったのかもしれない。その辺りの事情は今もよく分からない。

一緒に寝るということで先生と同じ布団で寝たのだが、その時の吾輩は大変にウブでペニスを立てることしかできなかったので、今は大変に後悔している。

「お弁当美味しくなかった?」先生が話しかけた。

「うん、やっぱりしょっぱくて食べれなかった。唐揚げも冷めてたし」

「お母さんのお弁当食べたかった?」

「ん?うーん・・・まあそうかな。お米美味しいし」

「ふふふ、そっかー」先生は微笑んだ。

ちょっとだけ会話が途切れたが、また先生が話をした。

「◯◯ちゃん(妹)のこと心配?」

この時の吾輩は何を考えていたのか実は覚えていない。

ぶっちゃけ先生のことしか考えてなかったのかもしれない。でもあまり複雑に考えずにぽろっと答えていた覚えはある。

「うーん、お母さんが大丈夫だって言ってたか大丈夫だと思う」

「そうだね。大丈夫だよ。〇〇君(吾輩)はお兄ちゃんから守ってあげてね」

「ん?、んー、守るって何?」

「◯◯ちゃんが元気になるようにだよ」

当時の吾輩はあんまり意味が分からなかったけど、少ない頭なりに何となく先生が言いたいことだけは理解できていた・・・気がする。たぶん。

そこからあんまり話をしなかったし、吾輩もなんだかんだ疲れていたので眠りに入った。

翌朝はみんなより少し早めに先生が吾輩を起こした。

先生デート内緒から、こっそり自分の部屋に戻って」

吾輩は後ろ髪を引かれる思いだったが、クラスメイトにバレるのも面倒なのは確かだったので素直に従った。

以上が吾輩の修学旅行の思い出である

吾輩的にはエロかったのだが、こうして文章にしてみるとあまりエロ雰囲気にできなかった。

吾輩の妹は今は普通に元気で関西の老舗のデザイン会社の下っ端で働いている。

ちなみに先生とはもう一つだけ少しエロい話がある。

音楽の授業で音楽教室に向かう途中、行くのが面倒になってこっそりと近くの廊下階段で座り込んでいた。

しばらくしていると先生が吾輩の元に来た。

多分、音楽教師担任である先生にチクったのだと思う。

勿論、普通に怒られていたのだが、吾輩が適当駄々をこねていると先生が吾輩のリコーダー袋を手に取り、パチっと蓋を開けてリコーダーの先だけ出した。

「じゃあ、先生間接チューしちゃおうかな?」

そうやって先生は吾輩のリコーダーにチューをしてしまったのだ!!

吾輩は呆気に取られていたのだが

「早く行ってらっしゃい。〇〇先生音楽教師)も怒んないから」

と言ってくれたので素直(脳停止中)に従った。

音楽教師ニコニコしながら吾輩を迎えてくれた。めちゃくちゃブスだったけど。

リコーダーの唄口の下部分に口紅がついてたのを見て大興奮したのをよく覚えている。

2020-08-02

anond:20200802145123

子供がそんなことできるわけないだろ。」→できるかどうかじゃない、やるんだよ。胸がどういう器官か知ってるか?肋骨の下に何があるか知ってるか?心臓だよ。相手ナイフを持っていたら?自分子供だったからという安易理由で、死ぬ

胸は男性からしたら性的な部分かも知れないが本人からしたら心臓のすぐそばだよ。変質者だろうが見知らぬ他人からは守らなきゃいけない場所だ。そこを不意に攻撃された訳だぞ。なら、急所を突然反撃されたとして仕方ないだろ。リコーダーでもその辺の棒きれでも構わない。突け。更に、見知らぬ女児への接触を求めた他人再犯しないとも限らない。そこで、殺れ。世の中の為にやってくれ。犯人に、一生かかっても拭えない恐怖と心の傷を植え付けてくれ。大丈夫正当防衛だ。

第一、そんな大きな傷には成り得ない。なんたって子供なのだから

「お前はエロいこと考えすぎて読解力が低下してんだろうな。」→さあ?他人に唾を吐きつける行為は、侮辱に当たらないのかな?

まり犯人になり得る人間に対して正当防衛も認めない、ただ黙って有耶無耶しろと言っているようにしか聞こえないんだが。

子供の腕だって自分を守るために付いてるんだぞ。脚だって、逃げ出す為じゃないかも知れないだろ?

大人になった今、やり返さないでどうするんだ?心の声に従えば、自ずとやるべき事は分かってくるはずだが。

2020-07-15

芸術分野ができない

旦那グループLINEに回ってきた、町内の育成会の人が作ったらしいチラシに、とてつもない敗北感を覚えた。

めっちゃハイクオリティ…!

田んぼと畑と寂れた神社しかない典型的など田舎自治体の草むしり写真が、よくぞここまで加工したな!と感心するくらいの美しいグリーンに囲まれ自然風景に。

しか写真を装飾するデザインがまた、シャレオツしか言いようのない出来で。

web制作会社に2ケタの年数勤めてもデザインの4文字とは無縁のせいでコーディングしかできないお荷物コーダーには、色々と刺激的だった。

学生時代、5教科の成績も良くはなかったけど(特に理数系は壊滅的)、更に悪かったのが書道に図工に家庭科音楽に保健体育。(音楽リコーダーのみ)

「私ぃ、5教科以外だけ成績良いんだよね!」というよくある自虐が、本気で自慢にしか聞こえないくらい。

ピアノを3〜4年習ってもバイエル卒業できず、中学校では美術部・高校選択授業では美術を選んでも尚画力デザイン力も学年ビリ。

中学校生花クラブなんて、毎回毎回先生に「全部」無言で生け直しされ、何が良いとも悪いともアドバイスさえもらえなかったっけ。(ちなみに他の生徒はアドバイス交えて少し手直しされる程度だった)

成人して、親の美術館通いに時々付き合うようになり、その現象にも納得した。

絵でも彫刻でも、何なら水族館の魚でも、本っ当になんの感想も浮かばないのだ。

何か感じるものが見つかれば、と思いつつ眺めはするものの、心の中ではFacebookの「いいね」を連打しているだけ。

綺麗だとは思うものの、何が綺麗とかどの部分が印象に残ったとか、人に語れる具体的なものが一文字もない。

そりゃ、理解できないのに生み出せるはずないわな。

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