はてなキーワード: リコーダーとは
中休みや昼休みに鬼ごっこしたりドッジボールできないのかわいそう
音楽で鍵盤ハーモニカとかリコーダー吹いたり合唱できないのかわいそう
図画工作でよくわからないものとか自画像つくれないのかわいそう
社会見学で工場にいったり近くの公園に遠足いったり班行動で友達と悪ふざけできないのかわいそう
酔っぱらってる勢いで書く。
おねショタそのものに関しては全然嫌いじゃない。むしろ好きだ。
10歳の男の子を愛するものとしてこのブームにとてもうんざりさせられている。
愛するものが数多の男たちの自己投影先として消費されていくことが、だ!
かわいいショタが出てきた瞬間に相手のお姉さんを探すおねショタ界隈のやつらに!
最高にかわいくて性的でエッチなショタを「お姉さんに甘えたい射精してえらいって言われたい」という願望のツールにするなぁあああ!!!
めちゃくちゃブーメランなのはわかっているが、お前らにはわからん!ちょうかわいいショタがパッケージ的なところにいて「なんだよ、かわいいじゃん」と思って期待を込めて中身をみたらただの成人男性の欲望の箱にしかなってないという虚しさが!悲しさが!!
いやブーメランだしまあツールにするなは勢いで言ってるけど同じショタジャンルを名乗らないでくれ!!検索ができん!!!
おねショタはいいんだよおねが竿役になってくれればな!そういうやつは最高だ!!別に竿は生えてなくていいんだけどさ
ていうかショタはまだ10歳の男なので性的なことをするのがおかしいんだよ
YESショタNOタッチの文化にならい、公園でかけっこしたりサッカーしたりしてるショタの髪に汗が張り付いてキラキラと輝いているさまを見て「君は自覚していないけど最高にエッチで至高の存在だよ」と思っているのがちょうどいいんだ。
でもそんなショタがはじめての精通を経験しドキドキしてるのもやっぱり最高だし
そういう意味でお姉さんがショタのドキドキを引き出すツールとなってくれるおねショタなら最高なんだよ
リコーダー舐めたい
いや舐めませんよ
ショタを見た時一番最初に思うのは「健やかに育ってほしい」ですから。それは嘘じゃないですから。それと同時にエッチなことも考えますし成長してほしくないと思ってるのも事実ですが
やはりショタが幸せに健やかに育ってくれるのが一番の願いですから
まあ色々言ったけどおねショタもいいよね
リコーダーは吹けるんじゃない?
なんでそういうデマを広げるんですか?
リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初のLPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授に就任したのが1973年です。
そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門でダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。
同じ時に東京リコーダー・カルテットがリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。
有田正広さんは、その後70年代中からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。
また、オトテール・アンサンブルの活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD)
中世の音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催のダンスリー・ルネサンス合奏団の結成も70年代(1972年?)でした。
その後、主な団体だけでも、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの活動開始が80年代。バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代、ヴォーカル・アンサンブル カペラの活動開始も90年代です。
13人の客、その12人目は杖をついた老人だった。
「『愛のリコーダー』の尺八奏シーンは、若い頃に見たミュージックビデオを髣髴とさせる。写真を何枚も撮ってパラパラ漫画みたいに動かしている、随分と凝ったミュージックビデオだった」
「“パラパラ漫画みたいに”言っただろ!」
若者は経験も語彙も少ないから中身のない話をしがちといわれるが、実際は老人のしてくる話も中身がない。
経験や語彙があっても、それらを整理整頓する処理能力が衰えているからだ。
結果、言葉が足りなさ過ぎたり、余剰過ぎて要点が分かりにくかったりする。
「“えむびー”なんぞの話なんてしとらん。ミュージックビデオで聴いた尺八の音色が、どこか別の場所で聴いたことがあると言ってるんだ」
「『愛のリコーダー』の話は終わっとる! 今はあの尺八の音色が、どこで使われてるかって話をしてる!」
しかも、こちらが会話に参加しないと不機嫌になるし、参加したらしたで不機嫌になってくる。
いずれにしろ面倒くさくて、疲れるのは同じだ。
「なんかテレビでやっとった! ふほほ~ん、ふふ~ん……こんな感じの音色で」
「ふほほ~ん、ふふ~ん!」
「いや、そんなに強調されても」
この話の何がキツいって、一向に話がまとまらない割に、最終的な実りが少ないことだ。
せめて戦時中の体験談だとか歴史的な話だったり、含蓄に富んだ話をしてくれるなら甲斐もあるんだが。
老人に“無人島に何を持っていくか”レベルのナンセンスな話をされるのは、実際に無人島で生活するよりも大変だ。
「分かんねえかな~!? ふほほ~ん、ふふ~ん、じっしょく~」
「“じっしょく”……あ、ひょっとして『食わず嫌い戦』のことですか」
「食わず嫌い? ワシは何でも好き嫌いなく食べてきたぞ!健啖という言葉はワシのためにある」
「いや、そうじゃなくて……」
「言っておくが、自分から健啖なんて吹聴したことはないぞ。自然と周りが呼び始めただけだ。気に入らない飯だってあったし、そもそも質が悪くて不味いものもあった。それでもワシの青春時代は、ただでも少ない栄養を摂り続ける必要があったんだ。それに対して、近所に住んでいたケンちゃんは偏食家だった。4階建てに住む小金持ちだったから甘やかされていたんだろうな。4階建てといっても屋根裏部屋はカウントしていないぞ? 」
「あの、『食わず嫌い戦』ってのは番組コーナーのことで、お客さんが聴いたであろう尺八の音色は、その番組で使われていたんじゃあ……」
「黙らっしゃい!」
こうなってしまっては、もうどうしようもない。
初めから会話はマトモに成立していなかったが、ここまでいくとその体裁すらなくなる。
「そんなケンちゃんとは学校で何かをやる度、いつも一緒だった。仲が良いのもあったが名前順の関係で一緒になりやすいんでな。ケンちゃんは偏食家で体に栄養が足りていないんで、100メートル走とかやってもワシがいつも勝ってたよ。不憫に思って一度だけ手加減したことがあるけど、それでも余裕しゃくしゃくよ。運動以外のことも苦手で、共同で行事とかやると必ず足を引っ張って周りに疎まれとったよ。まあ、これは同じ能力じゃない人間に同じことをやらせようとする共産主義の遺産も原因だろう。ケンちゃん自身はトロくさかったけど悪い子ではなかったしな。お昼の時間には、白と茶色しかないワシの弁当に彩りを加えてくれたし、たまに家に招待されてお菓子を振舞ってもくれた。あの時に食べたお菓子の名前をワシはまだ知らないが、人生で一番おいしかったことだけは確かだ」
こんな話に俺が学べることは何一つない。
強いていうなら、歳をとっただけで人の価値は上がらないってことくらいか。
年月を重ねただけで価値が上がるのはハイブランドのビンテージだけである。
年末の大掃除をしていて落ちてる髪の毛少ないなとふと気がついて日記を書こうと思い至った。
【抜毛症】
抜き始めたのは厳しいクラス担任にあたった低学年の頃だった。正直あの一年間のことは真っ白であまり覚えていない。ただ、彼女の事はずっと鬼だと思っていた。自分の娘のランドセルを畑に捨ててやったと自慢げに笑っていたことだけは覚えている。
ある時クラスの男子がにやにやしながらこちらを見ていた。ゴミ箱には私のリコーダーが埃にまみれて捨てられていて、机の上の物は先生が捨てていいと言ったと笑っていた。子供ながらストレスに感じていたのか、記憶はないが学校でも塾でも家でも抜いて抜いて抜きまくった。手が届く部分の地肌は焼け野原みたいに見えていた。家族にも美容室の人にも生えてこなくなると言われた。でもやめられなかった。兄弟の友達から笑われているのを知っていた。運動場で兄弟のクラスの授業があって、その近くを通るときは怖くて見られたくなくて人の陰に隠れた。
後に彼女が生徒へのパワハラまがいな事件を数件起こし左遷されたことを知った。中高の担任と大学の指導教官には恵まれて、先生にはこんな人種もいるのだとようやく思えた。ただ彼女が教員でなければ、担任でなければと思ったことは数知れない。教員と聞くと身構える自分がいる。
中学でも高校でも大学でも就職してからも止められず、緩やかに続いている。高校の時に髪の毛を学校で捨てたら駄目だと思い、ノートに挟んで隠しておいたら、大量の髪の毛を友人に見つかったことは思い出したくない。友人との旅行先でお風呂に入った後、地肌が剥き出しになってより目立ってしまうので必死にタオルで隠した。
親にまだ抜いているのと聞かれることがあるので抜いていないと言う。「今は」抜いていないから。ある時親に「テレビで言ってたけど毛を抜くのも病気なんだってね」とドラマを見ながら言われて、愕然とした。確かに昔は抜毛症の知識なんてなかっただろうけど、そのときに少しでも受診を考えていてくれたらこんなに長期間苦しむことはなかったんじゃないかって。親には学習面や生活面など自立するまでの様々なサポートについて本当に感謝している。けれども衝動的に思ってしまった。ハゲになるって家族だけじゃなくて昔からの行きつけの美容室の人に呪いのように言われて、美容室が嫌いになった。
とある機会に相談したカウンセラーの人に「ずっと一人で頑張ってきたんですね」と言われて、なぜか大の大人が涙を止められなかった。テープや紐で手を縛っても手袋をしても抜いてしまう衝動で、抜毛の瞬間は痛くて自分の回りにどんどん髪の毛が増えていっても止められなくて。確かにこんな恥ずかしいこと、誰にも言えなかった。
就職して、自立してだんだんと緩やかになって色々な経験をして今やっと落ち着いて顧みることができる。抜毛の影響か頻度は減っても本数が増えないので人並みではないけど。同僚や友人の編み込みを見て羨ましいなあと思う。そんな目線を感じていたのか同期に「編み込みしてあげようか?」といわれて髪の毛少ないと言われるんじゃないかって死ぬほど緊張しながらやってもらった。本当の編み込みは無理っぽくて、でもそれに近いやつに変えて不自然に見えないようにやってくれてとても嬉しかった。下手したら小学生時代にみんな通る道を何年も遅れて今経験している。
自分自身医療に関わっていて抜毛症の患者さんに会うときは喉元まであがってきた「辛いよね、私もわかる」という言葉を飲み込み、何も無かったように対応する。(抜毛症状の治療目的で来ているわけではないので)最近はいいウィッグもある。
緩やかになったとはいえまだ少し癖は残ってるけど、本当に気持ちの落ち込んでいるときに先回りして対応できるようになれた。他人がどんどん順調に人生を送っているように見えてしんどくなることもある。そういえば昔世界仰天ニュースで抜毛症を取り扱ってくれていた。
誰のせいでもなくて自分自身のせいだけどたまにふわっと思い出すこともある昔の話。
あれは忘れもしない。5歳の頃に幼稚園でピアニカの発表会の練習をしていた時の事。
クソ寒い体育館?みたいなとこで練習してたんだけど、当時から陰キャ爆発してた俺はおしっこを漏らした。泣いた。周囲に気付いた人はあんまりいなかった。
この経験は人生初の壮絶な羞恥であり、今の俺の性癖の土台となった。
これも忘れはしない、広島の己〇小学校、四年生のとき、帰りの会でリコーダーで「パフ」という曲を全員で練習するのが当時の常だった。
俺は全力で演奏していたが、演奏中に隣の女子がリコーダーを置いて教卓の前に歩いていき、一人静かに出て行ったのを横目で見た。
全力の演奏が終わり、あとは挨拶して帰るだけ、なのに隣の女子は帰ってこないし先生も「待ってろ」と言い残して消えた。
ふと横を見ると水溜まりが広がっており、俺の机の足にもばっちり届いていた。おもらしだ。あの隣の内気な女の子が、おもらしをしたんだ。
もう9歳か10歳にもなるというのに、おもらしをした。それまでその子に興味を持ったことは一度も無かったのに、それからはその子の事を考えるだけで胸がはち切れんばかりだった。
5歳の頃でさえ、俺は死ぬほど恥ずかしく、泣きじゃくり、消えてしまいたいと絶望感が身を襲っていたのだから、倍の年齢である10歳でのおもらし、しかも教室中に知れ渡っている。
あの子の羞恥心と絶望感は筆舌に尽くし難いことを俺は知った。そして、酷く興奮した。
あの子は翌日普通の顔して登校した。いじめも起きず不登校もなく、みんな優しかった。俺はひとり「女の子はなんて強いんだろう」と感動し、また興奮した。
そして俺は今26歳になり、女の子が教室や体育館でおもらしする同人誌を買い漁っては抜いている。
放尿ではなく、着衣失禁で無いとダメだ。できれば人前が良い。大は範囲外。
漏らすまでずっと心の中の葛藤(「トイレ行きたい、でも手を上げたらみんなに『おしっこ我慢してるんだ』ってバレるし恥ずかしい」「あと〇分なら我慢できる…」)があるとなおよい。
そして葛藤とは裏腹にドンドンもじもじが強くなり、手はスカートの上から押さえてないともう漏れ出しそうな状況で、とにかく我慢するしかなくて、「おしっこしたい、おしっこしたい、おしっこしたい」以外の感情がなくなり、ふとした瞬間、押さえた手の隙間からおしっこが漏れ出し、何とか我慢するも止まらず、止められず、無力に自分の意志とは裏腹におしっこが溢れ出し、暖かさと微かなアンモニア臭が鼻孔をくすぐりながら、「もう〇歳なのに…」と不甲斐なさに絶望して泣きじゃくり、みんなに「漏らしてる…」と気付かれる終わり方。そういうので抜いている。
ブックマークに登場する記事に「棒」関連が妙に多い、と思ってコピペしてみた。下記は一例。
============================
「’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書...」牧瀬里穂の抱いているのが棒
「オリジナルすぎるハンコを作ってみた :: デイリーポータルZ」ハンコの写真は棒
「リコーダーについているあの棒を死ぬ前に正しく使いたい :: デ...」棒
「受肉せよ! サラミスティックロボ :: デイリーポータルZ」スティック=棒
「これから働く人にバトンを渡しに行った :: デイリーポータルZ」バトン=棒
「内部のひみつの音が聞こえる棒、「聴診棒」 :: デイリーポータルZ」棒
「マイクスタンド芸を身につけるために必要な3つのこと :: デイリ...」マイクスタンド=棒
「ヤクルトファンの好きな棒は傘 :: デイリーポータルZ」もはや無理矢理なほど棒
「ドラムスティックのような野菜スティックを作る :: デイリーポ...」スティック=棒
「「ランチやってます」があればランチやってるように見えるか ::...」写真が幟(のぼり)の棒
「「現状品」のフルートを落札しました :: デイリーポータルZ」フルートが棒
「信号の「ロング押ボタン」を集めました :: デイリーポータルZ」信号機から棒のように突き出たボタンを特集
「ボルダリングは木彫りの熊で :: デイリーポータルZ」棒ルダリング
「珍味のヤマクラゲがレタスの茎であることを確認したい :: デイ...」レタスの茎=棒
「ユニクロで「た、高い!」と思ってしまう貧乏感はバブル世代に...」貧乏は「貧棒」とも書く
============================
好きな子のリコーダーをこっそり舐める、というような暴走した思春期男子のエピソードは妄想やら漫画やらでまれに見かける。
自分は全くそんなつもりは無かったのだが、危うくハメられかけたことがある。
中学生の頃だった。
背が低く、運動も得意じゃなかった自分はいじられキャラというか軽いいじめを受けていた。
(執拗に狙われるわけじゃなく暇つぶしに罵倒される、因縁を付けられる、殴られる程度だったので軽いと書いたが、未だに思い出す度に腹が立つ)
何かいつもと違うがそれがなんなのかわからない…と授業の半ばまで気づかなかったのだが、ふとリコーダーの頭の裏側を見たときに違和感の正体が判明した。
(どこの学校でもやってるかはわからないが、当時学校のリコーダーには3等分したうち、
内心ものすごく慌てたが、コトがコトだけに騒げない。
すげ替えられた先の女子は、これまた微妙な間柄のクラスメイトだった。
クラスで上位の可愛い子でもなければ、クラス下位のいじめられっ子でもない。
自分にとってはほぼ会話したことがないんじゃないか?というような接点の無い普通の子だった。
一人でパニックになりつつ、このままどうすれば波風立たずに終わらせるか?を授業が終わるまで必死に考えていた。
・リコーダーを包む革袋の名札には自分の名前が書いてあったので、
革袋にしまっていた本体の頭パーツか本体ごとかを意図的にすげ替えられている
・その女の子が替えるなんてあり得ない(そもそもの繋がりが薄すぎる)
・騒ぎが起きれば、自分も被害者なのに確実に変態の烙印を押される
結局、「自分でこっそり入れ替え直して無かったことにする」しかなかった。
いつのタイミングだったか忘れたが、教室から人がほぼ掃けたタイミング(移動教室とかで放課後ではなかったはず)にこっそりと戻しておいた。
誰かに見られなくて本当によかったと思う。
結局あの後再発することは無かったが、犯人としては
・双方気づかなかったら、気づいたふりをして騒ぎを起こして俺を変態扱いする
のどちらかを企ててたのだろうか。
結局、卒業までそのリコーダー関連で何かが起きることはなかった。
犯人もわからずじまいだった。やりそうなクズの候補は複数人浮かんでいる。
中学卒業後から数年経った後、地元を離れたのだが成人式には参加した。
友達は地元に残っていたので会いたかったし、自分は頑張ってそれなりの大学に入ったので
当時のクズ達は「どうせ地元でチンピラでもやってるんだろう」と考えていて
今はもうこちらが上なんだ、という独りよがりな思い上がりもあり、とにかく自分の中で決着を付けたかった。
遠目で見ただけで、会話もいちゃもんもつけられることはなかったが、
TVに出るようなDQN新成人の格好で、成人式の立て看板を破壊しているところを目撃した。
下手に更生されてたら余計に腹が立っていたところだ。
みっともない罪状の現行犯で、新聞の片隅に名前が載ったやつもいた。
改めて、自分がいた地域は吹き溜まりだったんだなと思い知った。
もう、地元に帰って暮らすことはないと思う。
これで今では自分も結婚して幸せです、とまでいけばよかったのだが
なんであの子だったのか、それだけ、今でもそれらしい理由がわからないままだ。