はてなキーワード: バイアスとは
こんな仕組みだったらどうなるか思考実験
任期は基本6年、3年ごとに半数改変、解散無しは従来の参議院と一緒。
参議院をいきなり変えるのは無理だとして、例えば国政モニターみたいな制度があるが、それを準議員というレベルにまで拡張してはどうか。
法的に力を持たせて
みたいな形にするとか。
準議員のみたいな人たちは、副業としてある程度準議員活動ができるように補償する。賃金や費用等は当然出すし、企業や学校などに当選した人物が活動できるように配慮を求める、と言う。
昔ならこんな制度やったら大変だったけど、今はITの力があるので、投票などもある程度電子的に安全に行えるはず。
最近地方でけっこうやってる「子ども議会」みたいなのあるじゃん?
そこで子どもらは、みんなで仲良くしましょう的なネタが出てくると思っていた訳よ。
ところが、実際にやってみると、通学路で危険な場所がある、とか、学校で使われている道具が古くて駄目、とか、果ては、地域の行事で子どもより大人の方が多くなってて楽しくない、みたいな話まで出たりして結構色々と気づきがある訳よ。
お医者に行ったわけじゃないし、行くと迷惑かもしれないんで診断されたわけじゃないです。さらにネットの情報でビビってバイアスかかってるかも。
ここ一週間調子が悪い。悪いと言ってもちょっとだるい程度。火曜くらいから風邪っぽい感じで、体が少しだるい。体が冷えると鼻水が少し垂れてくるかな。ただ大人しくしてれば調子悪いことに気づかないくらい。だるさを感じるのは体を動かした時で、仕事が肉体労働なので重いものを担いで階段上がったりする時に、普段よりも息が上がりやすく、息が上がった状態だと数歩はふらつく感じがある。それも歩きながら深めに呼吸するようにしてれば落ち着いてくる。
繁忙期に体がきつくなるとドリンク剤を飲んでしまうんだけど、木曜の寝る前にドリンク剤を飲んで朝おきたら、あれ治った?って思うくらい調子良かったけど夕方くらいから戻ってきちゃったw
火曜からずっとそんな感じで、日によって少しだけ喉が痛かったりする。仕事は休んでない。この程度の調子の悪さだと休ませてくれといいづらい。誰かにうつしてしまう可能性を考えると休んだほうがいい、と思うのだが、コロナちゃんかもわからんし、軽い症状でお医者の手を煩わせるのも良くないし、もしコロナなら俺が院内感染の可能性になるなんて怖い。検査も色々大変そうだし。
それに加えてSNSで感染軽視の発言をしていれば「コイツ人の命を何だと思ってるんだ!」とかいって総叩き
更にスタバでフラペチーノでも注文していた日には「感染者のくせに出歩きやがって!」とかいって大炎上
終いにはツイッターで眠いって呟いただけでも「眠かったら寝ろ!何で起きてるんだ!」とかいって意味不明の因縁まで付けられる始末
人間の行動にバイアスがあるのは周知の事実だが、それは進化心理学的には必然であり結果でしかない
だが、人々の行動がITによってログとして残るという事に対しては必ずしも適応的でない
さあ人間達は一部の天才が作り出した便利な道具を上手に使いこなすことが出来るだろうか?
なんてね
ある程度の技術レベルまでは追いつけるのは、明治の日本を考えればわかる。
とはいえ、あるレベルまでで限界になるのでは、というのが今の日本とアメリカと中国を見ていると感じてしまう。
世界中に日本人は留学したりしているのに技術キャッチアップが遅れてきているのはなぜか。
中国が追いついているのは、アメリカで学んだ人が戻ってきているのだからわかる。
日本の場合は戻ってこない、というか戻るとしてもキャリアパスが無いとか、生活水準が低くなるとか、まぁ色々あるんだろう。
アメリカ国内でも業界内で人の移動があるからこそ、底上げされているように思える。
海外技術を取り入れいようとするWeb系でも、例えば一例として、Apache EChartsや、MapVといった中国からの技術へアクセスしているように見えない。
企業で使う場合はともかく、個人レベルでもバイアスがかかっているように見える。
ネガティブ・バイアス(生存本能で悪い情報ほど強く印象に残る/それを利用して視聴率やプレビューを稼ぐ)ってのがあるので、
ニュースを見てると結果的に処理しきれない不要な悪い情報を集めることになるので
[lifehacker]暗いニュースばかりが続いてもポジティブさを保つ方法
https://www.google.co.jp/amp/s/www.lifehacker.jp/amp/2016/01/160116bad_news_stream.html
ただし、もしも世間で話題になっていることを知りてぇな〜ってなったら
まずやることは、ネットで聞くではなく、大手メディアのニュースサイトを見ることだ
なぜって?大手メディアのニュースサイトは記者名が書かれて文責があるからだ
これをしないと『ネットde真実』を患い、
まぁ、わしの周囲にもキモオタ男もいたけどさ、「話し方がきもい」レベルでセクハラ認定されたら、その人も、たまったもんじゃないと思うで。
「付き纏い」とか、リアルに何か実害があったら、それは写真なり、ボイレコなりで証拠とって、会社のコンプライアンスに回すとか、適切な処置をしてくださいとは思うけどな。
しかし、オタクと触れ合う時は、最初に「“こいつキモい”バイアスがかかって、なんでもセクハラに見えてませんか?」っていうのは疑った方がええかもしれん。
それ、普通に差別やと思うから。大体、小学生の時とか、クラスでいじめられてる人って、そういう“こいつなんかキモい”って思われる人やん。
この生きにくさの原因を知りたい。
ひとつ自分で考えているものがあるけど、もし違ったら当事者の人に申し訳ないし、無意識にバイアスをかけているかもしれないから何とも言えない。
でも診断こそされていないものの、父方に言動が変わっている親戚が多いのは事実なので、やはり「自分もそうかもしれないな……」と考えてしまう。
人間関係の構築とか(腹を割って話せるひとはほぼいない)、運動(水泳と高跳びはトラウマ)とか、体型(低身長で高度肥満)とか、部屋の片付けが苦手とか、色々コンプレックス拗らせすぎてて正直生きにくい。でも人に笑われたくないし、人から怒られたくもないので、普通の人が出来ることは頑張りたい。ちゃんと楽しく生きたい。親より先に死にたくない(伯父が病気で急に亡くなったときの祖父の悲しみ方と老い方を見てたら、それは出来ねえよ……)。
今更だけれど思ったこと書くね。
エンタメに飽きたら、世界史の勉強をするのがいいんじゃないかな。
この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクターの物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。
それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分も全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート系映画は脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから。
で、この増田は勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。
自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界の歴史」シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。
世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別に、そもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。
それと、このシリーズは、歴史と地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事が複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッドの破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。
それの何が面白いかっていうと、同じ出来事が見方によって評価が全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンはモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハやフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史のシリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴルを担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴルの残酷な行為が若干省かれちゃっているのが難点。
これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言が矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分も現在起こっている日本と中国・韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱に燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。
話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数の物語を併存させておくことで、自然と物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田で表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見を絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆のメンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。
それに、複数の見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史の見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい。
他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい。古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいいものだ。科学や医学の歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分の生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアやインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性の地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。
それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分の歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシア・ローマの歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国の歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマドの時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分がイスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。
あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い。自分が古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれているか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。
自分は通勤時間と昼休みにしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかにも楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。