はてなキーワード: カキコとは
妄想でなく、リアル集団ストーキングをされてる。いまは田舎の実家にいるけれど、大阪にいた2年前、毎日のように行っていた書店で不気味な嫌がらせをされていた。いつも本を読んでいた机に、おれが読みそうな本がピックアップされたみたいに数冊まとめて置かれている、ということが定期的にあった。いつも本を立ち読み(座り読み)していたからけしからんやつがいる、嫌がらせをしてやれ、そんなところだったのだろうか。他にも、おれが手に取りそうな本の数々が棚から突き出されているのが毎日のようにあった。
立ち読みしていたのもアレだけど、一番の心当たりはやはりネットだ。
某大学の掲示板の雑談スペースで、1人かぶれたような演説をぶっていた。たまに小説も書いていたのだけど、背の高い男に押しのけられて背の低さを嘆いて、最後は背が低いけれど親近感の湧くあなたに出会えてよかったと彼女に言われ”それでも彼は、母(=彼女)の膝元を離れようとはしなかった。”と終わる小説を書いたからか、ある日アパートの自分の部屋へ向かうと階段に背の低い男が座っていた(反射的に引き返そうとするも気合いですり抜ける)。
もともとネットでは暴れていて、10年ほど前に愚かにも調子に乗って本名を名乗った(リンク先に本名があるレスをした)。すると2ちゃんのおれが使っていたコテ名を集めてそこにおれの名前と大学名を冠したコピペをばらまかれた。そのときから「ネットで馬鹿やってたやつ」という十字架を一生背負って生きていくことが決定した。
そんなおれの昔のカキコを見て怒ってるのか、単に面白がってるのかわからないけれど、1年前くらいからいたずら電話が鳴り止まない。大阪から帰ってほっとひと息、これでストーカーたちともお別れだと思ったら、ある日無言電話がかかってきて切れた。以後、2,3回の、ときには1回のコールの電話が断続的にかかってくるようになった。非通知設定が多かったけれど、何者かのスマホや、九州の健康食品会社や大阪の家具販売会社からかかってきたこともあった。不気味なのは父や母がいないときに限ってかかってきたこと。そんなことが可能なのかと思うけれど、ネットの人たちがちょっと本気を出せば、1家族を監視することなんてわけないことなのかもしれない。
大阪での嫌がらせが影響したとは信じたくないけれど、1年ちょっと前から頭の興奮が収まらなくなりどうにかなってしまいそうな症状が出てきて、駆け込むように精神科に行くことになった。病院前のすぐ横に電話がものすごく大きく道路まで鳴り響く会社があるんだけど、おれがその前を通るときに、また帰りのバスを待っているときに、毎回のように電話が鳴り響くようになった。バスを待っているときは、2,3回や1切りのコールが10回ほど鳴らされることもある。
アルバイトに行き始めるようになると、ぱたりと実家への電話は途絶えたものの、今度はバイト先にかかってくるようになった。バイト先の人たちもいたずら電話がかかってくることを認識していて、電話にかかるときはいつもおそるおそるどこからかかってきているか確認するようにして受話器をとっている(あぁ、申し訳ない)。
実家の父母と共有のパソコンはおれがログインするときだけ遠隔操作みたいなことをされていて、文字を勝手に消されたり、いきなりaxzbxx~みたいな打ち込みをされたりするんだけど、もう一生パソコンはできないんだろうな。どこかに移っても、その住所が知られたらまたやられそうだ。
言いそびれていたけれど、大阪にいるときにスマホを書店に忘れて、2日後に戻ってきたらばっちりウイルス仕込まれていて、やはり遠隔操作をされた。でもそのときおれは愚かにも、彼は(彼らは)「罰しつつの救済」をしようとしてくれているのだ、と考えてしまった。いきなり意図しない音楽を流されたり写真を撮られたりしても、それらには何か意味があるかもしれない、あるいはそういう辱めに耐える義務があり、それに耐えた暁には現惨状への処方箋を与えるという算段なのだ、みたいに思ってしまった。軽く洗脳されていたのかもしれない。
いまは洗脳は解けた(つもり)。
でもストーキングは止まない
もう半ばあきらめムードで、日々の苦痛に耐えながら、たまにバスで見かける子が可愛いとか、雨上がりの野山の緑が美しいとか、そんなささやかな出来事を支えに生きていくのが人生だ、みたいな悟ったような感慨に打たれることも多くなってきた今日この頃。はぁー、でもやっぱやだこんな人生。
小さい頃から鏡が大好きで可愛くなるためだったら平気で一日中手入れをしていたものだ。
歪んだ性格は中学生の時いじめに遭い形成された。それから私は可愛くなる為研究してきた。
もちろん自分は結構可愛いと思っている。野球場の売り子のバイトをしていて、ブスで暗かった中学時代とは違い高校のクラスではもてるグループだった。
今の彼氏はかっこよくない。
本人曰くヒカキンそっくりだというが、なかやまきんに君に髪型も顔もそっくりだ。
なんで付き合ったのか聞かれると、私はいつも好きじゃなくて必要だから、と答える。
街を歩くとお互いの知り合いと会う。その時に起こる賞賛。私はこの為に生まれてきた。
観られるのが好きだな
自分の事を好きな彼が大好きで愛おしい。足の先まで舐め回してめちゃくちゃにしたい。このままずっと一緒にいて支配して欲しい。
特に何を主張するでもない駄文です。1級暇人の方はどうぞお読みください。
昔々ある人間たちが、誰の目にもとまらないような陽の射さない地下で他人との交流を細々と持っていた。顔も見えず声も聞けないそのコミュニティには、陽の当たるところへは出せないような声が星の数ほど集まって、カオスな文化が生まれた。
それは大抵の場合は根暗で、ウジウジドロドロして、「何だこんなもの」と地上の人々に馬鹿にされていた。が、確かに光るものがあったこともまた事実で、そんな一期一会のフラフラした心地よい集まりを求めて多くの人間が暗がりへとやってきた。
おとぎ話ではない。他者との交流ネットワークが一般に拡がり始めた頃の話である。
インターネットが私たちの生活に深く入り込んできてからの年月はまだ浅い。日本へ今の形の原型となるネットワークが入ってきたのもたった30年ほど前。それ以前からあった今は亡きパソコン通信も、全盛期は2、30年前あたりだ。ましてや冒頭のような光景が掲示板などで繰り広げられていたのだって、(今の現役ネット世代の若者が考えるとけっこう昔に思えるが)20年やそこらではないか。
パソコン通信というクローズドネットワークからインターネットというオープンネットワークに時代が移る中、個人サイトやら電子掲示板やらがぽつぽつと栄え始めた。顔も見えない声も聞こえない文章だけのコミュニティは、この時地上の現実からひとつ階層を落とした地下世界を構築したのだろうと思う。決して表には出せない愚痴も嘲笑も争いも裏事情も何もかもを内包したカオス空間だ。
まもなくインターネット上にはその場の思いつきや便所の落書きレベルからなぜ本気を出したと言わんばかりの美文やイラストや企画まで、さまざまなものが漂流し始めた。地下世界はスラム街のような様相を呈し、いわゆるオタクを中心に物好きな人間たちを取り込んでブクブクと膨れ上がっていったわけである。
その頃の地上世界では「ネットなんて」「掲示板なんて」「オタクなんて」みたいな認識が当たり前だった。相手の顔も見えない世界なのに、現実を見もしないで貴重な時間をムダにして、と。基本的に地下世界の住人も生身は地上に置いているから、そんな後ろめたさを背中に抱えて、それでもただのらくらと面白いものを求める。
漂う気配には地上世界で吐き出せない陰があり、カキコによる争いは絶えずどこかで起こって燃え上がり、でもたまにいいものを見つけて嬉しくなるような、全くもってグチャグチャの空気が流れていた。
当時の地下世界において人々の理性や社会性は普段より3~8割減っていたと見ていいだろう。感情の赴くままに場を荒らしてはゲラゲラ笑い、煽られては顔真っ赤にして怒る、老若男女が子どものように感情を表せる場だったと言える。そこに地上世界の倫理を持ち込むのはお門違いなのであった。
嘲笑・叩きはお構いなし。グロ画像やら有名人やら見知らぬ一般人の写真までもがジャンジャン流れ、肖像権何それ美味しいの状態である。淫夢の語録やクソコラなども、そのあたりの流れによって大きくなったものがニコ動などに共有されて爆発したようなものだろう。そういうアングラ文化は電子掲示板界隈からニコ動・mixi・Twitterといった拡散力の強いサイトへ流れこみ、2000年代に大きく盛り上がった。
さて、今は2010年代もそろそろ終盤である。この日記のタイトルで、かつて私たちは地下に暮らしていた、と書いたのは、今やインターネットは地下世界ではなくなったのだと個人的に思ったからだ。
インターネットで出されたコンテンツが瞬時に世界中へ回る時代。昔だってそうだったが、今では拡散のスピードが違う。LINEやFacebook、Instagramは若者たちのコミュニティを作る。「微レ存」が女子高生にまで浸透したりして、一般人といわゆるオタクとの境界線も昔に比べると曖昧になりつつある。
もはや掲示板にもTwitterにもニコ動にも、陽の当たらない場所はほぼない。全てが地上世界に引き上げられ、インターネットはれっきとしたひとつの社会として君臨するものになったのだ。
れっきとした社会として認められるということは、当然利用する人々の意識・行動にも倫理や理性、ルールが付きまとう。今もかつての地下のノリは受け継がれ、クソコラも炎上も煽りも健在だが、「そういうのはどうかと思う」というような理性的な意見によって自主的に規制されることも増えた。
だからと言ってそれが悪いと言うつもりは全くない。むしろ当然の結果である。人間が一つ所に固まれば、そこに独自のルールが生まれる。ルールは文化となって拡がり、人が大きく増えればひとつの社会になる。そうなれば法や倫理が、社会における不都合を放っておくはずはないというものだ。
ただ少し寂しいとは思うが。
冒頭で言ったように、私はこれに関してどうこう主張したい訳ではない。ある日何となく「ネット窮屈だな」と感じ、地下世界の文化の流れを思い、ちょろっと考えをまとめてみようか、となっただけの戯れ言である。批判も意見も大いに結構だし、むしろここまで読んでいただけていたらそれだけで驚きだ。よっぽど暇なのか。
これからもインターネットはひとつの社会として、ちょっとの闇を内包しつつ地上世界に在り続けるだろう。さらに月日が流れて、今の世の中では想像もつかないような新しいネットワークが出てきたら、また物好きな誰かがそれを使って地下に新しい世界を開拓するかもしれない。
BitcoinはWinnyと同じように2ちゃんねるを下敷きとして日本で生まれることしかできずだからこそ世界中を興奮させ日本では技術ではなく一種の架空の社会不安だとみなされたものだと思う。折角なので解説していく。
なおホワイトペーパーもコードもほとんどの技術的解説も読んでいないので概ね十割ほどを勘で書いている。そばですら十割は少ないので評価してほしい。遥か昔に理解しようとして買わずにいたことを後悔くらいはしている。
こうして送金と確認が積み上がっていく。ある程度確認が積み上がっていれば各ノードは異論ないものとみなす。
一つのブロックが埋まると次スレに前スレのリンクが貼られてブロック・チェーンになる。厳密にはもっと前後リンクやハッシュ化が組み合わされ落丁乱丁を防いでいる。
1 : 8q6FxO : 2018/02/01(木) 12:34:56.100 ID: z9O6A0
YZcLn1E15d8kqopxCgjVG894956tCgytRjuf
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
酉と酉キーの組。酉キーと違って数学的要件があるのでプログラムで生成する。
トリップが分かっていればコインの数は過去ログの.datを掘って数えられる。
あるトリップに送金された額の総和。過去ログの.datを掘って数えられる。
いい感じの確認用トリップキーを見つけた人だけに賞金を与えるシステム。
どういう感じのトリップキーを見つければ良いかはプログラムで決まっている。
サトーシナカモートーとかいうふざけた名前の奴が海外掲示板で人を集めて開発し、ダミーで送金してネットワークが始動した。
当然中華業者が全力を上げてるけど、それですら地道にマイニングで稼ぐ以上のことはできていない。
板は簡単に作れる。ソフト丸パクりしてきて最初の送金をかけると作れる。ただし過疎る。
互換板や改造板を開発することも可能。それがイーサリアムやイッヌコインなどの「アルトコイン」。
元のビットコインと仕様の違う書き込みを承認する改造バージョンを作ることも可能。それがビットコインキャッシュなどの「フォーク」。
複数の共用スレを立てるタイプ、自分専用板を立てるタイプ、色々ある。
話題ズレ、聞き漏らし、荒らし対策をどうするのかが良く分からない。
トリップと人物が一度結び付けばカネの出入りはCtrl+Fで全部追える。
各国警察などは証拠能力があるかは別にして当然最初の書き込みからのコピーを持っているはず。
P2P掲示板の書き込みに値段が付くことがバブル以外の何なの?
賭博師がいちいちそんなことを気にするか?
これびっくりするくらい気味が悪いんだけど
鍵かけない人間って返信や引用自由にしている前提ってことを理解してないってことで、
相手も返信や引用してほしくないなら鍵かけたらいいっていうことをわかってない人間で、
それで通じ合えるってことだよね?
何言ってるのか分からんなこれじゃ、
つまり部外者に返信してほしくなかったら鍵かければいいじゃんっていう鍵の使い方を理解してないから
イチイチ頭にFF外から失礼します、みたいな前置きが必要になってるってことだよね?
単純に自分の作っている前提を理解してない、理解不足だからこんなの必要になってるんだけど、
こいつら1人や2人じゃなくて一定数いてそれがマナーですみたいな顔を全員したり顔でしてて、
本当に頭悪いのか仕様書を読めないタイプの人間なのかなと思うんだけど、
毎年毎年、要らないっつってる糞の役にも立たない安物のサラダ油をお歳暮として押し付けてきてるような、そんな感覚。
ツイッターがキチガイ用ツールになったのもこの言葉が流行りだしてからのような気がする。
どっかの同好会で初対面の人に「初対面で失礼します!」とかいって切り出してるやつ、どっからどうみてもキチガイである。
その言葉を述べるくらいならまず自己紹介から始めたらいいというのに。
自分たちが作り上げた無駄という財産にめちゃくちゃ固執している姿にはカルト教団の信者の姿ですらある。
こんな人間が説明書も読まずにサポートセンターに電話かけてくるんだからお兄さんおねえさん方は大変だなって思いました。
なんか日本のへんな感じで残ってしまっている儒教文化が悪さをしているのかな?
完全に無駄な礼儀というか物事の本質をみたらむしろ余計でしかない文化を平気で若い世代が量産しちゃうって
かなり文化的損失に値するんだけどこういうのを平気で許してマナーがいい!とか礼儀正しい!とかで広めちゃうのは本当にまずいと思う。
これがリアルでやってたとしたら若者あるあるの若気の至りで済むんだけど下手にインターネット上で広まったもんだから
若気の至りが市民権を得てしまって完全に一人歩きし始めている状態。
黒歴史に足が生えて民宿のノートみたいに歩くたびに馬鹿からのカキコがあるみたいな状態。
目上の人にご苦労様問題とかも、そもそも目上を労うのは失礼だったのに会社内の挨拶を共用で「お疲れ様です」にしたもんだから
お疲れ様ですはいいけどご苦労様は上から目線だ!みたいな意味不明論調になってしまった。
元々はどっちも完全に失礼なんだけどな。
そもそも「お勤めご苦労様でした」は会社挨拶にされたお疲れ様です以前から使われていたというのに。
だからといって目上を労っていいわけではないが、まあ、とにかくこいつらに歴史とか過去のデータとか持ち出しても
基本スピリチュアルなものからルール決めをしていってるからそういう捏造儒教センスが一番重要なのだろう。
というかFF外じゃなければ失礼じゃないのかって問題もあるんだけど、
これを使ってるアホたちにとってはとりあえず付けとけって感覚だから思考すらしてなさそうだ。