「エルサレム賞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エルサレム賞とは

2021-03-08

村上春樹が「文章下手」っていうのは無理が無いか

anond:20210307055157

下村上春樹の主な受賞歴。

群像新人文学賞1979年
野間文芸新人賞1982年
谷崎潤一郎賞1985年
読売文学賞1996年
桑原武夫学芸賞1999年
フランツ・カフカ賞2006年
世界幻想文学大賞2006年
朝日賞2007年
早稲田大学坪内逍遙大賞(2007年
バークレー日本賞2008年
エルサレム賞2009年
毎日出版文化賞2009年
スペイン芸術文学勲章2009年
小林秀雄賞(2012年
ヴェルト文学賞(2014年
アンデルセン文学賞2016年


 この中から更に主だったものを上げるとすれば、1985年谷崎潤一郎賞2006年フランツ・カフカ賞2009年エルサレム賞ではなかろうか。

 谷崎潤一郎賞熟練した純文学作家に与えられる日本の賞であり、またフランツ・カフカ賞ならびにエルサレム賞国内外の顕著な業績を上げた作家に対して授けられる賞である。率直に言って、これらの賞を受賞している作家は並一通り以上の文学的魅力を持っていなければならないんだけれど、それらの賞を受賞している村上春樹が「文章が下手」っていうのは無理が無いか

 そもそも村上春樹に「下手」と評価を下すネット評論家諸君が幾らハード読書家であろうが、村上春樹に対して文学賞を与えている人間の中には、日本で一番小説を読んでいると言ってもいい著名小説誌の編集部メンバーがいる。それらの日本で最も小説精通した人々が村上春樹に対して贈った賞の存在は、明らかにネット無名評論家の「下手」評価よりも当てになるだろう。何でそんな単純なことがネット評論家、並びにその評論を信望する人々には分からないのだろうか、と自分としては疑問に思うこと頻りである


 さらさら特筆すべきはエルサレム賞で、こちらは文学評価のみならず政治的な要素の介入する賞だから純粋文章力の尺度としてこの受賞を語ることは難しいかもしれないけれど、国際的評価裏付けには間違いなくなっていると思う。

 また、エルサレム賞の授賞式の舞台では当時のイスラエル大統領であるペレス大統領も参席しており、それだけ重要な賞であったことが分かる。

 審査員が読んでいるのは英語訳だろうし、勿論原文の日本語を正確に評価しているわけではなかろうが、いずれにせよ本編の魅力が無ければ翻訳評価されることもあるまい。これだけの多種多様かつ様々な審査委員から評価を受けたきた村上春樹に対して、「文章が下手」っつーのはどーゆーこと? ってな話なのだ

2020-11-29

村上春樹小説に登場するヒロイン図鑑

 ギャルゲーのオープニングムービーのノリで紹介していきたいと思う。含ネタバレ


ノルウェイの森

ミドリ

「私なんかね、髪の長い下品女の子二百五十人くらい知ってるわよ、本当よ」

 ノルウェイの森はご存知ダブルヒロインシステムで展開する物語であり、正ヒロインの直子に対する反ヒロインミドリであるミドリは深い自己反省を行う直子とは正反対キャラクターとして描かれているものの、要所で当を得た優れた知性の持ち主でもある。物語の途上、直子との恋愛に疲れ果てていく主人公のワタナベに対して次第に親しみを募らせていき、最終的には恋に落ちる。明るくユーモラスだが苦労人でもあり、「人生ビスケットの缶のようなもの」という独自哲学披露する。

・直子

「たぶん私たち、世の中に借りを返さなくちゃならなかったからよ」

 正ヒロインヤンデレの先駆け。高校時代に亡くなった恋人記憶を延々引きずり続けており、その代償行為としてワタナベとの関係を求めた結果、人生が取り返しのつかないほどこじれてしまった。曰く「自分自身が二つに分裂して木の周りで追いかけっこしている」。物語の中盤から京都サナトリウムにて療養生活を送ることになるが、最終的にワタナベの魂を深淵へと引きずりこむこととなる。

レイコさん

私たちがまともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」

 ダブルヒロインと銘打ちつつも、中盤以降登場するサブヒロイン

 若い頃は有能なピアニストであったが、演奏ストレスにより精神に不調をきたしてしまい、それ以来人生に振り回れされ続ける。挙げ句の果てに、教師としてピアノ指導していた美少女レズレイプされそうになるなど、人生が取り返しのつかないほどこじれてしまった。主人公とのラストシーンで読者を激しく混乱させる。


海辺のカフカ

さくら

「なんかさ、うまく言えないけど、本当の弟みたいな気がしてるんだ」

 『海辺のカフカ』はドイツにおける「フランツ・カフカ賞」やイスラエル文学賞であるエルサレム賞」の獲得への原動力となった作品であり、ギリシャ悲劇の色彩とインスピレーションを帯びたポップな文体が特徴である主人公は十五歳の少年で、田村カフカという偽名を名乗っており、作中においてその本名は明かされない。

 作中一番最初主人公が邂逅する他者さくらであり、彼女もまた苦労人。幼少期から両親との折り合いがつかず、一刻も早く自立し一人で生きていくことを人生方針にしていた。職業美容師

 主人公はかつて姉と両親の四人暮らしをしていたが、その途上で母と姉は家を去っている。主人公はその、顔もろくに覚えていない姉の姿を、さくらへと重ねるのであるヒロインというか擬似的な姉とも言うべき存在

佐伯さん

あなたは誰なの? どうしていろんなことをそんなによく知っているの?」

 正ヒロイン。五十代の美しい女性であり一切が知的に洗練されているが、巨大なオブセッション強迫観念)によって人生を摩耗させている。

 彼女人物設定は『ノルウェイの森』をなぞる形となっており、先に紹介した直子の鏡写しのような存在である彼女が勤めている私立図書館は、かつての恋人父親の所有であり、話がややこしくなるのだけれどこの父親物語中には登場しない。問題はその恋人とのことで、彼女は幼少期から恋人と親密な関係を築くのだけれど、最終的に死別する。それから三十年以上もの間、彼女自身空虚人生に苦しみ続けた結果、主人公出会う。

大島さん

「いつそれを言ってくれるか、ずっと待っていたんだ」

 ヒロイン欄にこの人物名前を記すこと自体が既にネタバレなのだけれど、とにかくヒロインの一人。ボーイッシュ枠。


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

・美しい太った娘

「お願い、このままじゃ世界が終わっちゃうのよ」

 美しい太った娘。村上春樹1979年デビューして以来、1987年に至るまで十年近くキャラクター名前を付けるのが恥ずかしかったとのことで、一部の例外あだ名を除いてキャラクター無名である。よって1985年出版された本作においても、一切の登場人物名前は明かされない。

 幼い頃に家族を全て交通事故で失って以来、祖父である天才科学者の「博士」の元で純粋培養された少女。十七歳。教育方針によって学校には通わず英才教育を受ける傍ら、適度に脂肪を取らされ、適度に太らされている。性欲一般に関してあまり理解しておらず、主人公に何かと性的質問を向けては困らせる。

 「博士」による教育の結果、語学などの現実生活を送るための技術複数習得している才女。決断力というか胆力があるが、どこかしら世間知らずな面は否めない。

図書館の娘(表)

「それが何かはわからないけれど、どこかで昔感じたことのあるもの空気とか光とか音とか、そういうものよ」

 多重世界の表の側であるハードボイルドワンダーランド』に登場する娘。なお裏の世界である世界の終り』においても、同一存在として主人公の前に現れる実に因縁深い存在でもある。図書館リファレンス係をしており、主人公一角獣に関するテキスト請求したことから親しくなる。大食漢であり給料の大半が食費に消えるが、上記の娘とは違い極めて均整の取れたスタイルの持ち主である

図書館の娘(裏)

「――私の心をみつけて」

 多重世界の裏の側である世界の終り』に登場する娘。リファレンス係の娘の多重存在。「古い夢」と呼ばれる一角獣の頭蓋骨を、図書館管理している。

 『世界の終り』においては心は動き回る影の形で存在しており、影は人が大人に成長する前に特殊器具によって切り離され、埋葬される。その儀式を経た後は全ての人間は「完全」となり、年を取ることもなく何かに怯えることもない。彼女もまたそのようにして心を喪う中、やがて外の世界からやってきた主人公出会う。

・影(主人公

「俺は君をどうしても外につれだしたかったんだ。君の生きるべき世界ちゃんと外にあるんだ」

 おまけ。

 『世界の終り』に登場する主人公の影。頭の回転が速く機転が利くが、主人公と切り離されてしまったため大きく体力を奪われており、ほぼスペランカーと化している。

 『世界の終り』において門番の男に幽閉され、真綿で締め上げられるような虐待を受け続ける。


などなど

 俺は『騎士団長殺し』を除いて全ての長編読破しているんだけれど、まだまだヒロインはたくさんいる。あるいは続編を書くことになるかもしれない。

 村上春樹ネットで言われてるほどひどい作家じゃないので、皆も読もう。チャオ。

2015-04-01

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.welluneednt.com/entry/2015/03/31/174428

エルサレム賞を受賞した村上春樹の「壁と卵」のスピーチについて、斎藤美奈子朝日文芸時評で書いていたのはなかなかよくてね、「このスピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって、『卵の側に立つ』というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである」って揶揄していたよ”

http://www.sotokoto.net/yukokuhodan/yukoku_17_2.html

斎藤美奈子さん、いるみたいですよ

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2011-06-11

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチなんて全然すごくない。

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチが賞賛を浴びてるけど、僕はすごいスピーチとは思わない。エルサレム賞の「壁の卵」のスピーチの方が、何億倍もすごかったと思う。

本題に入る前に、まず先に参考にした資料を列記しときます

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

村上春樹村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳) : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

一部には原爆原発を一緒にするレトリックに批判が挙がってるけど、別にこの部分には異論はない。科学的にいうと全然違うかもしれないけど(急性被爆とかうんぬんかんぬん)、文学表現としては有りだと思う。

僕が違和感を覚えるのは、そこの部分じゃなくて、「我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」「理由は簡単です。「効率」です」という部分。

「効率」って言葉は一見抽象的なようで、安易に単純化した概念だと思う。

問題は深刻で真実は闇に隠されてて、立ち向かうのには、「壁と卵」のスピーチ言葉を使うと、もっとよい嘘をつくべきなのに、「効率」は出来の悪い嘘だと思う。

「効率」という嘘が、どのように出来が悪いかというと、この原発問題を簡単に乗り越えられるような印象を与えるということ。僕らが「効率」を捨てさえすれば、二度とこのような問題は起きないと錯覚するということ。

そんなに簡単に乗り越えられることが可能なんだろうか。僕らが「効率」だけを求めて生きてきたから、このような事故引き起こししまったんだろうか。たとえそうであっても僕らは簡単に「効率」を捨てることができるのだろうか。

しかしたら、福島の人に希望を持たせるためにあえて出来の悪い嘘をついたのかもしれないけど、そんなことは他の人に任せるべきで、村上春樹仕事ではないように思える。春樹以外の人にだって出来ることなのだから

春樹にしか出来ないこと、それは問題を抽象化して、別の形に置き換える作業だと思う。それは単純化と別方向の作業で、非常に難しいし、理解されないかもしれない。問題をさらに複雑にしたと批判を浴びるかもしれない。

でもそれが、「壁と卵」で春樹が言ってた小説家仕事じゃないかな。そしてそれは「嘘を紡ぐプロ」として自覚している春樹にしか出来ないことだと思う。

※追記 エルサレム賞リンクが間違ってたので修正しました。指摘ありがとうございます

2010-09-06

統失君が行く 信じてしまう幻聴

自分の思考がほんとに物理的な音波として感じられると、

初めはほとんどの人がパニックに陥ると思います。

しかしそれだけではなく、統合失調症は何故か合理的な判断ができなくなるのです。

例えば死んだおばあちゃんの声が隣の部屋から聞こえたとすると、

普通は録音されたものか幻聴だと判断するのですが、

統合失調症だと何故か「生き返った」とか「天国と通信できる機械発明されていた」とか

「実は自分は死んでいるのではないか」と考えてしまいます。

少なくとも漏れ場合はそうでした。

そうなるとなにがなんだかわからなくなりますが、それでも生活していかなくてはなりません。

となると時計仕掛けのオレンジのように平静を装うか、

視覚だけを信じて聴覚を無視する戦略をとろうと漏れは思いました。

幻覚は見れれば楽しいと思いますが全然見ません。

聴覚より視覚の方が信頼できるのは、情報量が圧倒的に多いからでしょう。

いっそうのこと耳が聞こえなくなればいいと思いますが、

幻聴なので耳をふさいでも聞こえます。

逆に盲目のひとは不確かな聴覚に頼りを置いて生きていかなければならないので大変だなと思いました。

山田康雄だと思ってたら実は栗田貫一だったらどうします?

んで幻聴はいつもいい加減な嘘ばかりなので、

次第に嘘ですらなくなりただの雑音になります。

ときにひとりでぶつぶつ喋ってる人は生真面目だなと思います。

ちなみにもれはテレパシーを使えるようになったので、

発音しなくてもいいので楽ちんです。

それでも時に、幻聴に惑わされるときがあります。

確かな事実を積み重ね冷静に考えたとしてもです。

そういうときは、村上春樹エルサレム賞の演説になぞらえて、

「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立とう」と思っています。

いちど親戚に結婚式ボイコットしようと考えたことがありましたが、卵側に立って出席しよかったと思います。

逆に出席しなかった時のことをいま考えると恐ろしいです。いちど奥さんを夜中に閉め出してしまったこともありました。

反省して次からは閉め出すことは絶対にしないとこうと思いました。

統合失調症はとても寂しい病気で、世界中の人が敵に回り、自分いじめているように感じます。

そしてどうして自分を信じてくれないのか、どうして自分に聞いてくれないのかと心の中で訴え続けています。

よく戯言を言う人を統合失調症なんじゃないの?とレッテリ貼りする人がいますが、

統合失調症の症状は本人がそのときの常識を保とうとする結果です。

もし大切な人が統合失調症みたいだったら、病院に行けなんて言わず、

まずその人のいちばんの味方になるように心がけてみて下さい。

嫌いな人だったら「死ね」とつぶやいてみましょう。聞き慣れてるので無視されるでしょうが。

2009-05-05

骸と生者

2009年2月14日村上春樹イスラエルの団体が主宰する文学賞であるエルサレム賞を受賞した。その時の顛末が文藝春秋2009年4月号に村上自らの手で記されている。

当時、イスラエル軍によるパレスチナ自治地域たるガザ地区への攻撃が進行していた事もあり、村上には少なからず受賞への批判があったようだ。しかし村上は「黙って出かけていって、やるべきことをやって帰ってこよう」と決意し、自らのイスラエルの政策に対する意見を受賞スピーチで述べた。

村上は無条件に批判すべき対象として「壁」なる比喩をかかげ、「爆撃機戦車ロケット弾白燐弾機関銃」を具体例として挙げた。イスラエルに対する明らかな批判に同席していたシモンペレスの表情はスピーチの途中からこわばり、「イスラエルについて批判的なメッセージを発しなくてはならなかったことに対して、つらい思いがありました」と述懐する。村上はスピーチで明らかに強大たる「システム」に対する不支持を表明し、「卵」である人間の側への立ち位置を強調した。

一方、村上イスラエル訪問は批判の対象となったイスラエルを知る事に捧げられている。受賞スピーチの場にて表情をこわばらせたシモンペレスが「ノルウェイの森」の愛読者であり、エルサレム市長ニール・バラカットマラソンの話題を交わしたと語る。村上は受賞の機会を活かしてエルサレムテルアビブを回る。「普通イスラエル人が何を考えて」いるのかを知りたかったそうである。街の人と対話し、イスラエルの戦う理由をたずねる。

ここでイスラエル人は表情豊かに描かれている。一方のパレスチナ人はほとんど姿を見せない。この文章に登場するパレスチナ人は唯一、検問所で若いイスラエル軍兵士に殴打される一家の長たる男だけである。今回の訪問では敢えてガザウエストバンクを訪問しなかったそうだが、受賞の舞台となったエルサレムには3割を超えるパレスチナ人が住んでいるという事実は決して語られない。

村上も言及したホロコーストに必要とされたのは個々のユダヤ人の名称ではなく、IBM製のパンチカード・マシーンだったのは皮肉である。物語でなく、統計が優先されたのだ。そして2009年パレスチナ人存在日本人作家の目には留まる事がない。彼らはその生の過程いかんを問わず、死んだ人と死にゆく人々として記憶される。「千人を超える命を落とした人々」や「焼かれ、貫かれる非武装市民」に対する哀悼はあっても、「生と死の物語」「愛の物語」「人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせること」は存在しない。そこには燃え尽きた納屋があるだけだ。

ニュースヘッドラインを飾り、世論を喚起するには死者の数がものをいう。だからサラエボ青空市場には迫撃弾が落下しなければならなかったし、PLOハイジャックに走り、ハマス人間爆弾通勤客で混雑するバスに送り込む。エチオピアはその飢餓によってロックミュージシャンを一カ所に結集せしめた。

この地上に生きる誰もが忙しい。私はパレスチナの惨状をテレビネットでしばし目にした後、これから控える仕事をどう乗り切るか、週末を誰と過ごすか考える。村上は「4200枚の原稿」を抱えている。他人の人生にまで関心を寄せる時間はないのだ。かくして悲劇は一過性の報せとして消費される。私にとってのパレスチナ問題とはそういうものだ。

にも関わらず、私はある種の誠実さを望む。彼らが無慈悲に消費されるだけの存在とは考えたくない自分がいる。これは力の不均衡でなく、物語の不均衡だ。氷漬けにされた彼らの生を取り戻さなくてはならない。公正さなどは裁判官に食わせればいいのだ。私たちに本当に必要なのは物語である。クソまみれの人生を送るクソまみれの人間を描写する物語が。

2009-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20090221202423

ガザ侵略は年末年始だけの話ではないよ。

まあ確かにそれなりにはブクマされてきたけど、エルサレム賞関連へのあまりの食いつきの良さにちょっと驚いちゃって。

はてなブックマーカーの関心事

エルサレム賞関連にブックマークがたくさん付いているけど、イスラエルガザ侵略関連にはそれほどは付いてこなかったよね。

多くのはてなブックマーカーの関心は文学政治村上春樹はてな論壇にあるのであって、パレスチナ問題にはないということでいいかな?

2009-02-18

村上春樹: 常に卵の側に

アレツに発表されたエルサレム賞での村上春樹ピーチ原稿なのか書き起こしかは不明)です。

彼の署名記事です。

原文は http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html


常に卵の側に

村上春樹



今日私はエルサレム小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。

もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマン肉屋建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。

どうしてこんな事がまかり通っているかって?

答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な条件です。

しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。

そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。

もちろんこれには理由があります。ガザを怒りでみたした激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。

受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。

でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。

そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。

政治メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。

しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私自身は、超現実的なものになりがちですが、物語の形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。

にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。



「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」



ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?

この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。爆撃機(bomber)と戦車ロケット弾白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。

しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステム(The System)です。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語目的とは、私たちの存在システムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。生と死の物語や愛の物語、人々が声を上げて泣き、恐怖に身震いし、体全体で笑うような物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家は、徹頭徹尾真剣に、創作をでっちあげ続けるのです。

昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。

味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。

父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。

今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍人種宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。

ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。

私が言いたいのは以上です。

エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。

追記:

いろいろ助言頂いたので、独立してノート( http://anond.hatelabo.jp/20090218122627 )を作りました。訂正や履歴についてはそちらに記述します。

アレツのコメントも別途のせてます( http://anond.hatelabo.jp/20090218205723

2009-02-17

村上春樹をたぶん誤解してた

ろくに彼の小説を読んでないくせに、村上春樹政治的な関与が嫌だいやだと小説の中でいっているのだと、思い込んでいて、

読者に、何かことがあるたびに、「あいつら、せーじてきな発言や行動しててヤーネ、」と思わせようとしているのだと思っていた。

さらにいえば、今、なにかことがあるたびに、「お前、せーじてき、せーじてき」といって批判する風潮は彼の作り出した巨大な思想的流れの帰結だと思っていた。

しかし、今回のエルサレム賞受賞とそこでのスピーチをみて、なにか彼に対して根本的な誤解をしていたのではないか、と考えた。

ちょっと村上春樹の本を買いに行ってくる。

村上春樹エルサレム賞ピーチまとめ

追記: id:le-matin さん( http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090217/p1 )より抜粋である事を明記した方がいいと助言を頂きました。ありがとうございます。

これを受けて、明らかな間違いの修正及び説明の追加、変更を加えさせて頂きました(2月17日 20:00)

共同通信エルサレムポストが一番網羅的ですが、どの記事も講演すべてを収めていないものと思われます。ご留意下さい。



共同通信

特記すべき点として、戦車ロケット弾白リン弾といった具体的な「得物」にふれています。他のニュースソースではまだ確認できていません。

http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009021601000180_Detail.html/

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090216041.html/

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090216/acd0902161022003-n1.htm/



テレビは聞き取れた部分だけです***

日テレ

http://www1.ntv.co.jp/news/wmtram/dw/ng.html?m_url=090216039&n_url=129212/

i chose to come here rather than stay away. rather i chose speak rather than nothing....

フジ

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00149487.html/

i chose to see for myself rather than not to see. ... like novelist opposite....

TBS:

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4063622.html/

whether this to create impression i supported one side in the conflict and that i endorsed the policy of a nation that chose to unleash its overwhelming military power...

(はたしてこれが紛争当事者の一方に付く印象を与えるのか、圧倒的な軍事力で苦しめる選択をした国家の政策を裏打ちするものになるのか・・・)

NHK:

http://www3.nhk.or.jp/news/t10014185071000.html/

I asked myself whether travelling to israel at a time like this and accepting a literary prize is a proper thing to do, they can not genuinly trust anything that they haven't seen on their own eyes or touched with their own hands...

Japan Today:

http://www.japantoday.com/category/features/view/haruki-murakami-wins-jerusalem-prize/

村上氏の発言のみ抜粋)

"sometimes takes on a life of its own and it begins to kill us and cause us to kill others coldly, efficiently and systematically."

"We are all fragile eggs faced with a solid wall called the system....To all appearances, we have no hope...the wall is too high and too strong...If we have any hope of victory at all, it will have to come from our utter uniqueness"

"Each of us possesses a tangible living soul. The system has no such thing. We must not allow the system to exploit us"

「時にはそれ自体が自らの生命を受け、私たちを殺し始め、私たちが他者を殺すよう冷酷に、効率的に、システマティックにけしかけます」

「私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁を前にする壊れやすい卵です・・・・壁は高く、強すぎます・・・それでも望みを抱くのなら、勝利は私たちがそれぞれ唯一無二である事からやってこなければなりません」

「私たちそれぞれが形ある生きる存在です。システムにはそんな物はありません。システムが私たちを食い物にするのを許すわけにはいかないのです」

Gurdian(イギリス

賞金が1万ドルであること、親パレスチナグループより受賞を辞退するよう働きかけがあった点についてふれています。

http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/16/haruki-murakami-jerusalem-prize/

Ha'aretz(イスラエルヘブライ語新聞メイン英語と併売)

受賞理由と村上作品について。スピーチ内容については言及なし。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064160.html/

エルサレムポストイスラエル、英字紙)

http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull/

(以下記者自身の記述を含め、だいたい訳しています。"the lucid wisdoms in his novels tend to come from acquaintances of the protagonist"の訳については全く自信がありません)

イスラエルは卵じゃない」

わかりにくい? 日本ベストセラー作家である村上春樹から聞く事になる説明としてはこれが唯一のものだろう。まさしく村上スタイルであり、さらにどことなく曖昧である。

時差ボケ政治的論議、マスコミの群れに逆らって日曜に彼は受賞のためやってきた。

シモンペレス大統領エルサレム市長であるニル・バルカトを脇に従え、落ち着いた態度で彼は賞を受け取った。壇上で一人、フラッシュを浴びる事もなく彼は本題にかかった。

「ついにエルサレムに来ました。小説家として、嘘の紡ぎ手としてここにいます」

小説家だけが嘘つきなわけではないです。政治家も(大統領、失礼)外交官も嘘をつきます。しかし小説家とその他の人々を分け隔てるものがあります。私たち小説家は嘘つきの嫌疑で訴えられる事はありません。賞賛を受けるのです。嘘が大きければ、またより高い賞賛を受けることになります」

「私たちのつく嘘とその他の嘘の違いとはすなわち、私たちの嘘が真実をもたらすという点です。総体をもって、真実を把握するのは難しい事です。だから私たちは真実創作の領域に落とし込みます。しかしなによりも、私たちの中に潜む真実がどこにあるのか明らかにしなくてはなりません」

「私は今日真実を語ります。1年のうちに真実を語るのは数日しかありません。今日がその1日です」

彼の小説は超現実的かつ想像力にあふれたもので、しばしば突拍子もないところまで話が進む。彼の本を読むのはピカソの絵画を見るようなものだ。普通の状態から離れる事を必要とされ、村上世界では事物や出来事は彼固有のロジックに落ち着きどころを見いだす。

しかし彼の小説根底にはロジカルなカオスとはまったく対称的な個人がいる。非常に人間的で、自己に目覚めた慎ましやかな個人だ。すなわちその個人の内的格闘は我々のものと同じなのだ。

村上を受賞者に選んだ選考は速やかに満場一致のうちに終わった。普遍ヒューマニズムと現存する回答困難な問題との取り組みが(受賞理由として)引き合いに出された。しかし審査をめぐる論議はほとんど起こらなかったが、村上自身は受賞について複雑な心境だった。

「受賞の意志を打診されましたが、ガザでの戦闘の件があり、訪問を取りやめるよう警告がありました。私は自問しました。はたしてイスラエルを訪問するのが適切な事なのかと?一方の側を支援する事にならないか?」

「ちょっと考えを巡らしました。で、来ようと決めたわけです。大抵の小説家のように、言われたのとはきっちり反対の事をするのが好きです。それが小説家として、私の根底にあります。自分の目で見ず、自分の手で触れないものを小説家は信用しません。だから私は見る事にしました。なにも言わないよりはここでしゃべることにしました」

「ここに私が来て、言いたかった事があります」

すると村上は主要人物の仮面を脱ぎ捨て、端役へと回った(彼の小説では明確な啓示はしばしば主人公の奪還から立ち現れる)。発言は明快で、再考の余地はなかった。曖昧さのための時間はなかった。

「固く高い壁があり、卵が壁に打ち壊されるなら、壁がどんなに正しく卵がどんなに誤っていても私は卵の側に立ちます」

「どうしてなのか?私たちそれぞれは卵であり、壊れやすい卵にくるまれた唯一無二の存在だからです。私たちそれぞれは高い壁を前にしています。高い壁とはシステムです。それは通常では個人として受け入れがたいものを私たちに強います」

「私が小説を書く理由はただ一つです」続く彼の声音は控えめで、誠実な響きがある。

「すなわち個人が持つ唯一無二の神聖さを描く事です。唯一無二なるものを満足させる事です。システムが私たちをめちゃくちゃにするのを防ぐ事です。だから私は生と愛について物語を書きます。人々を笑わせ、泣かせます」

「私たちは皆人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。壁を前にして、望みは失われます。高く、暗く、冷たすぎるのです。暖かみと力のために、私たちの存在を一つにして壁と戦わなくてはなりません。システムが私たちをコントロールするのを許してはいけません。私たちが何者であるか、決めさせてはいけません。システムを作り上げたのはは私たちですから」

村上は読者への感謝言葉で締めくくった。受賞のために人前に出る習慣のない人物としては、本当に特別な事だ。

イスラエルの皆さん、私の本を読んでくれて感謝します。意義ある何かを共有できればと願う次第です。あなたが私がここにいる最大の理由なのです」

2009-02-06

はてなの急進派サヨク、「エルサレム賞を祝う者は攻撃する」と警告

はてなサヨクの急進派グループ「Moji Moji」は、道徳向上キャンペーンの一環として、来る14日にエルサレム賞(Jerusalem Prize)を祝うハルキストは例外なく攻撃すると警告している。3日のタイムズ・オブ・ハテナ(Times of Hatena)紙が報じた。

同団体の活動家らは前月末、ハルキストフジポン(fujipon)のブログに押し入り、「ふらちに振る舞っている」として複数のはてなーに檄文を振るった。

彼らが現在目を光らせているのは、14日の国際書籍フェアだ。同団体は、エルサレム賞を祝う行為は「反サヨク的」であり品行不良を招く結果にもなると警告している。同紙に対し、団体創始者のトールド・ホクシュ(Toled Hokusyu)氏は「エルサレム賞のいかなる祝福をもわれわれは容認しない」と語り、ある幹部は「われわれは警告を無視した者を必ず口撃する」と断言した。

同団体は「サヨク文化の守護者」を掲げており、右翼の品行、ウヨサヨ間の恋愛転向、「右傾化」と認められる事柄などを攻撃の対象にしている。また、今回ブログで攻撃したハルキストたちを「正しい道に戻す必要があった」と主張している。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2567517/3753380

2009-02-02

村上春樹パレスチナ問題に触れなくていいって言ってる連中にはこう言えばいい。『要は、勇気がないんでしょ?

村上春樹エルサレム賞授賞式でパレスチナ問題に触れなくていいって言ってる連中にはこう言えばいい。

要は、勇気がないんでしょ?

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

上のエントリを見て欲しい。946ブクマついている。1000ブクマ近い。

次に下のエントリを見て欲しい。実際に勇気ある行動を起こすエントリだ。

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090131/1233405681

このエントリには俺入れて5ブクマしかついてない。

エルサレム賞問題でわーわー言ってたはてな連中は実際のアクションに対しては完全に無視決め込んでやがる。

はてな連中は見せ掛けだけのなんちゃってリベラリスト

実際は保守主義チキン揃いだなと思ったよ。

2009-01-30

えええいぇるされむくろにくる

Haruki Murakami が 「エルサレム賞」なるものをもらうことになったとかいう話。

イスラエル人殺しのの悪い国なので、そんなところの賞は、辞退しろ。

黙ってもらうのはけしからん。

検索してでてきた根性のある日曜左翼女史の話をひきあいに出して、

見習え。

とか。ほんとに、やれやれ

情報の少いところで、ほにゃららはへにゃららであれねばならぬ、というような思いいれで、どんぱちやっているわけだ。

まあ、「エルサレム賞」の「エルサレム」にみんな反応してるわけだが、これって何? どんな賞か調べてみた。

Jerusalem Book Festival にくっついている賞ということ、ふむふむ。Festivalのサイトに説明がある。

....

ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。

どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治世界だな。ハアレツの編集員とか... 、

ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。

イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。

日本語の記事にまともなのがない。

本人のwebsite だ。

http://www.etgarkeret.com/news.html

そこに出てくる最新のLA Times の記事は一読の価値がある。ほんもののドンパチの話だ。

政治文学の話だと、インタビューの手軽なのがカナダ新聞にありますね。でもフランス語 orz

でも、わりにまとまっていて、問題をもうちと繊細に考えられるてがかりかもしれないので半分くらい訳してみました。

エトガール・ケレットとのインタビュー -- いやいやながらさかなにされ(超訳)

Entrevue avec Etgar Keret - Controverse' malgre' lui

Le Devoir.com

2008.5.17/18

http://www.ledevoir.com/2008/05/17/189963.html

イスラエル人の作家であることは楽ではない。たとえその国で左翼であっても。スター作家 のエトガール・ケレットにそのことを話してみよう。パレスチナ人の友人、サミール・エル・ユセフとの共著で『ガザブルース Gaza Blues』を書き、しかし、論争の中で、そして、母国であり今でも自分が住み続ける国に対するボイコットをの中で、困難にもかかわらず、生きつづける彼に。

イスラエルに生きるのは簡単ではない。それは確かだ。しかし、作家にとってのほんとうの国、それは言葉だ。ぼくにとって、ヘブライ語を話せない場所に生きるということは、一種の亡命だ」[...]

イスラエル政府に対しきわめて批判的な彼は、ホロコーストの生き残りである父と母の、反骨精神を受け継いでいる。「両親は、よく言っていた。イスラエルはいくつもの問題をかかえているかもしれない、しかし、少くとも、それは私たちの問題で、そして、それを私たちが告発することを誰も禁止することはできなかった。他の国で、もし私たちが政府に対して抗議の意を表わせば、国へ帰れと言われるだろう。」

世界的に認められた左派作家であり映画監督(伴侶のシーラ・ゲッフェンとの共作による処女作ジェリーフィッシュ Les Medues』は批評界から絶賛され、2007年カンヌカメラドール賞を獲得した)である彼も、論争の外側にはいられない。

最近でも、パリのブックフェ、サロン・ド・リーブルがイスラエルの建国60周年に関心をひくため、同国を招待国としたとき、複数のアラブ系の作家出版社が行事のボイコットを呼びかけた。エトガール・ケレットもイスラエル側の招待者リストに入っていた。「知識人ボイコットを呼びかける、しかし、そこに知性的なものなどなにもない。ボイコットは、あらゆるコミュニケーションを拒否することだ。それでは結局、他人に考えを変えさるチャンスはなくなる。それは、だから、行動としてはとても矛盾に満ちたものだ。」

トリノのブックフェでボイコット騒ぎにあったとか、カナダ爆破予告電話を受けた話とか、中略]

それでも、エトガール・ケレットはパレスチナ人イスラエル人の間の対話の推進者だ。その本 『The Bus Driver Who Wanted to Be God』は、第2次インティファーダ以来、アラビア語に訳されている唯一の本である。とうことは、パレスチナ人はエドガール・ケレットを読んでいるのだろうか? 「ぼくの本のパレスチナ出版してくれる人にそう質問してことがある。彼が答えるに、売れ行きはいいが、でも、読んでるのか、それとも燃やしているのかまではわからない、とさ」。

[彼の本を読んだパレスチナ人の反応とか、いろいろ中略]

エトガール・ケレットは「やむにやまれぬ楽観主義者」ではあるが、文学の力の限界について十分に意識している。「1万冊の本ができることは1発の銃弾のできることの半分だ。建設することより破壊することのほうが簡単だ。書くということは、ぼくにとって、一種のセラピーだと思う。自分の本で世界を変えようなんて思ってはいない。」

未来に対する大きな不安を抱きながらもーー彼はイスラエル消滅の可能性さえについてさえほのめかしているーー、彼はパレスチナ人イスラエル人がいつの日かいくばくかは平和に生きられる可能性を信じている。

[いろいろなるほどと思うことを言ってるけれど、疲れたので後略]

はい。

まあ、イスラエル人といってもいろいろ立場があるということで。

賞とかボイコットについての考えも。


追記 もうちゃんとまじめに調べた人がいたんだね http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん