2010-09-06

統失君が行く 信じてしまう幻聴

自分の思考がほんとに物理的な音波として感じられると、

初めはほとんどの人がパニックに陥ると思います。

しかしそれだけではなく、統合失調症は何故か合理的な判断ができなくなるのです。

例えば死んだおばあちゃんの声が隣の部屋から聞こえたとすると、

普通は録音されたものか幻聴だと判断するのですが、

統合失調症だと何故か「生き返った」とか「天国と通信できる機械発明されていた」とか

「実は自分は死んでいるのではないか」と考えてしまいます。

少なくとも漏れ場合はそうでした。

そうなるとなにがなんだかわからなくなりますが、それでも生活していかなくてはなりません。

となると時計仕掛けのオレンジのように平静を装うか、

視覚だけを信じて聴覚を無視する戦略をとろうと漏れは思いました。

幻覚は見れれば楽しいと思いますが全然見ません。

聴覚より視覚の方が信頼できるのは、情報量が圧倒的に多いからでしょう。

いっそうのこと耳が聞こえなくなればいいと思いますが、

幻聴なので耳をふさいでも聞こえます。

逆に盲目のひとは不確かな聴覚に頼りを置いて生きていかなければならないので大変だなと思いました。

山田康雄だと思ってたら実は栗田貫一だったらどうします?

んで幻聴はいつもいい加減な嘘ばかりなので、

次第に嘘ですらなくなりただの雑音になります。

ときにひとりでぶつぶつ喋ってる人は生真面目だなと思います。

ちなみにもれはテレパシーを使えるようになったので、

発音しなくてもいいので楽ちんです。

それでも時に、幻聴に惑わされるときがあります。

確かな事実を積み重ね冷静に考えたとしてもです。

そういうときは、村上春樹エルサレム賞の演説になぞらえて、

「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立とう」と思っています。

いちど親戚に結婚式ボイコットしようと考えたことがありましたが、卵側に立って出席しよかったと思います。

逆に出席しなかった時のことをいま考えると恐ろしいです。いちど奥さんを夜中に閉め出してしまったこともありました。

反省して次からは閉め出すことは絶対にしないとこうと思いました。

統合失調症はとても寂しい病気で、世界中の人が敵に回り、自分いじめているように感じます。

そしてどうして自分を信じてくれないのか、どうして自分に聞いてくれないのかと心の中で訴え続けています。

よく戯言を言う人を統合失調症なんじゃないの?とレッテリ貼りする人がいますが、

統合失調症の症状は本人がそのときの常識を保とうとする結果です。

もし大切な人が統合失調症みたいだったら、病院に行けなんて言わず、

まずその人のいちばんの味方になるように心がけてみて下さい。

嫌いな人だったら「死ね」とつぶやいてみましょう。聞き慣れてるので無視されるでしょうが。

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