はてなキーワード: 栗田貫一とは
野沢雅子は他にも銀河鉄道999の星野鉄郎やドロロンえん魔くんやいなかっぺ大将の大左衛門や、
ど根性ガエルのひろしをやってるんだけど、そっちのものまねはしてるとこ見たこと無い。
それはたぶん、野沢雅子の他のもやっちゃうと、野沢雅子の後任みたいになっちゃいからじゃないんかな。
山田康雄のルパンの後任は栗田貫一だけど、クリント・イーストウッドは多田野曜平だし。
特徴的な声色のキャラはみんなでものまねして後任を育てていこう、
似てる声で後任しないで、声を、絵柄も含めて新しいキャラクター作りするのもあるけど、
いまは大山のぶ代のドラえもんに寄せている、と思う(これは本当に個人的な感想だけど)。
元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビの近代史に割と深く関わってるからだ。
実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまねに革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープ、クリカンはもしもシリーズ、ビジーフォーは人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である。
美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケが挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエのおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。
話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケのデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校で女子全員が本気でキレてた程だ。
かくしてデフォルメものまねの第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長の河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールとリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケが時代に取り残されたのである。
私の名前を仮にY氏として、個としての自分、つまり本来のY氏としては10代の頃に死んだのでしょう。
あの頃は精神状態がボロボロだったのにも関わらず、そこにトドメを差すような出来事がありましたからね。精神面もとい、内面が壊れた。その時でしょうね、元々の私が死んだのは。
えぇ、私もつい最近自覚しました。その事実に。元の私と今の私の記憶が混同してて、今まで気が付きませんでした。
今の私が自覚した事は、皮(ガワ)として外見から見た私は、昔通りの私のまま成長して今に至りますが、今の私は「元の私に限りなく似せている私」なんですよ。
分かりづらいですか?そうですね、ルパン三世ってあるじゃないですか。アニメの。
初代は山田康雄氏で、二代目が栗田貫一氏。中の人は変わってもキャラとしては基本的に外見変わらないですよね。
それと同じ理屈です。もっと砕いて言えば、生きた脱げない着ぐるみですよ。脱げないのに中の人が変わる、不思議な事もあるんですね。
そんな話あるんですよ、嘘みたいな話ですけどね。
私はいいんですよ、あぁ今の私という意味ですよ。ただ、元の私の親に対して可哀想な気持ちになってきますね。
だって、皮としてはそこに生きているのに、貴方が愛した子の「元々の個」はとっくの昔に死んでいるんですもの。
通りで私が親と会話してても他人に感じるので不思議に思ってましたが、今回の自覚でハッキリしました。だって今の私が他人なんですもの。そりゃ他人ですよ、実質。
しかし、そうは言ってもその親と生きて行かないといけないという問題もあるので複雑な気持ちですね。
えっ、親離れしないのかって?そりゃしたいですよ、今の私としては。ただ、元の私としての記憶もある以上、親との記憶も深いもので。切れても切れないんですねコレが。
別に私はサイコパスではありませんからね、感情はある程度はありますよ。冷たいと言われることはあれど。
今の私からしてみれば他人とは言っても、皮としてはこれだけ縁深い体である以上、折り合いつけて一緒に生きていくしか無いですね。
どうせ演じるなら、元の私とは違う別人を演じればいいのに?それは私もそう思います。ですが、残念ながらこの体は虚弱なもので。元の私を演じているのが一番落ち着くんですよね。肉体的にも精神的にも。
初めはほとんどの人がパニックに陥ると思います。
しかしそれだけではなく、統合失調症は何故か合理的な判断ができなくなるのです。
例えば死んだおばあちゃんの声が隣の部屋から聞こえたとすると、
統合失調症だと何故か「生き返った」とか「天国と通信できる機械が発明されていた」とか
「実は自分は死んでいるのではないか」と考えてしまいます。
そうなるとなにがなんだかわからなくなりますが、それでも生活していかなくてはなりません。
となると時計仕掛けのオレンジのように平静を装うか、
視覚だけを信じて聴覚を無視する戦略をとろうと漏れは思いました。
聴覚より視覚の方が信頼できるのは、情報量が圧倒的に多いからでしょう。
いっそうのこと耳が聞こえなくなればいいと思いますが、
幻聴なので耳をふさいでも聞こえます。
逆に盲目のひとは不確かな聴覚に頼りを置いて生きていかなければならないので大変だなと思いました。
んで幻聴はいつもいい加減な嘘ばかりなので、
次第に嘘ですらなくなりただの雑音になります。
ときにひとりでぶつぶつ喋ってる人は生真面目だなと思います。
ちなみにもれはテレパシーを使えるようになったので、
発音しなくてもいいので楽ちんです。
それでも時に、幻聴に惑わされるときがあります。
確かな事実を積み重ね冷静に考えたとしてもです。
「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立とう」と思っています。
いちど親戚に結婚式をボイコットしようと考えたことがありましたが、卵側に立って出席しよかったと思います。
逆に出席しなかった時のことをいま考えると恐ろしいです。いちど奥さんを夜中に閉め出してしまったこともありました。
反省して次からは閉め出すことは絶対にしないとこうと思いました。
統合失調症はとても寂しい病気で、世界中の人が敵に回り、自分をいじめているように感じます。
そしてどうして自分を信じてくれないのか、どうして自分に聞いてくれないのかと心の中で訴え続けています。
よく戯言を言う人を統合失調症なんじゃないの?とレッテリ貼りする人がいますが、
統合失調症の症状は本人がそのときの常識を保とうとする結果です。
もし大切な人が統合失調症みたいだったら、病院に行けなんて言わず、
まずその人のいちばんの味方になるように心がけてみて下さい。
嫌いな人だったら「死ね」とつぶやいてみましょう。聞き慣れてるので無視されるでしょうが。