2011-06-11

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチなんて全然すごくない。

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチが賞賛を浴びてるけど、僕はすごいスピーチとは思わない。エルサレム賞の「壁の卵」のスピーチの方が、何億倍もすごかったと思う。

本題に入る前に、まず先に参考にした資料を列記しときます

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

村上春樹村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳) : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

一部には原爆原発を一緒にするレトリックに批判が挙がってるけど、別にこの部分には異論はない。科学的にいうと全然違うかもしれないけど(急性被爆とかうんぬんかんぬん)、文学表現としては有りだと思う。

僕が違和感を覚えるのは、そこの部分じゃなくて、「我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」「理由は簡単です。「効率」です」という部分。

「効率」って言葉は一見抽象的なようで、安易に単純化した概念だと思う。

問題は深刻で真実は闇に隠されてて、立ち向かうのには、「壁と卵」のスピーチ言葉を使うと、もっとよい嘘をつくべきなのに、「効率」は出来の悪い嘘だと思う。

「効率」という嘘が、どのように出来が悪いかというと、この原発問題を簡単に乗り越えられるような印象を与えるということ。僕らが「効率」を捨てさえすれば、二度とこのような問題は起きないと錯覚するということ。

そんなに簡単に乗り越えられることが可能なんだろうか。僕らが「効率」だけを求めて生きてきたから、このような事故引き起こししまったんだろうか。たとえそうであっても僕らは簡単に「効率」を捨てることができるのだろうか。

しかしたら、福島の人に希望を持たせるためにあえて出来の悪い嘘をついたのかもしれないけど、そんなことは他の人に任せるべきで、村上春樹仕事ではないように思える。春樹以外の人にだって出来ることなのだから

春樹にしか出来ないこと、それは問題を抽象化して、別の形に置き換える作業だと思う。それは単純化と別方向の作業で、非常に難しいし、理解されないかもしれない。問題をさらに複雑にしたと批判を浴びるかもしれない。

でもそれが、「壁と卵」で春樹が言ってた小説家仕事じゃないかな。そしてそれは「嘘を紡ぐプロ」として自覚している春樹にしか出来ないことだと思う。

※追記 エルサレム賞リンクが間違ってたので修正しました。指摘ありがとうございます

  • http://anond.hatelabo.jp/20110611075944 リンクが両方ともカタルーニャ国際賞なっててエルサレム賞のが見れないです...

  • 「効率」という嘘が、どのように出来が悪いかというと、この原発問題を簡単に乗り越えられるような印象を与えるということ。僕らが「効率」を捨てさえすれば、二度とこのような問...

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