はてなキーワード: アジア人とは
https://news.yahoo.co.jp/feature/766
毎年この時期になると必ずトピックに上がる話題である、「アカデミズムの危機」だけど、もういい加減地方大学は諦めた方がいいと思う。
「過去10年以上にわたり、日本の論文数は増えも減りもしなかった。なぜなら、人口増加、経済成長、科学予算のすべてが横ばいだからです」
これが全てを物語ってる。
それもそのはず。
今では電話だけではなく、あらゆる家電製品もネットに接続している。
そんな新興国は新しいものに対応するスピードが日本よりも速い。
そして残念ながら、日本はこのグローバル化の変化に対応できてない。
むしろ、このアカデミアの話題が上がるたび思うが「昔は良かった」という思想がアカデミアに蔓延っているとしか思えない。
少子高齢化が進む以上、日本の科学技術にかける費用は横ばいにならざるを得ない。
それどころか、減らされてもおかしくはない。
現状少子高齢化対策に早急に必要なのは、IoTやAI、自動運転と言った、IT関連の整備とそのセキュリティ対策だろう。
これらも現状、他の国よりも遅れているし、これらを活性化させない限り、日本の経済も上昇しないだろう。
なぜなら、余裕があってできる、自己実現の欲求に相当するものだ。
日本がその欲求を支える土台が脅かされていることに気づかなければならない。
一部の日本のトップ大学に集中的にお金を落とし始めてから早10年、論文数は伸びなかった。
しかし、福祉に力を入れざるを得ない日本は今後も大学にお金を使うことはないだろう。
具体的には学部の3年くらいまでは専門知識を身につけさせ、学部の3年後期からは企業がスポンサーとなって、大学内で学生が参画できるプロジェクトを立てて、仕事をさせればいい。
就職活動もその企業にそのまま就職してもいいし、他のところへ「転職」しても構わない。
もっと産学が連携して、社会貢献できることを増やしていけばいい。
というよりもうすでに一部の大学では、有給インターンシップという名前で始まっていることではないだろうか?
帰りたくないよ〜!!!
せっかくなのでいいところをあげていく
授業中スマホ触ってても音楽聴いてもOK、飲食もOK みんな自由に喋ってる 私はよくりんごを丸かじりしてる それでも無秩序って訳じゃない 静かにする時はちゃんとする
ちなみに染髪ピアスタトゥー化粧オールオッケー スカートの長さも自由(宗教上の理由もあるため)スカートとズボンとマオリ(ニュージーランドの先住民)の衣装が選べる 友達のイスラム教徒の女の子はお洒落なジャケット着て、ロングスカートでヒジャブ巻いてばっちり決まったメイクして鼻にピアス開けてるんだけど たまんない
ふたつめ ご飯が美味しい
普通に美味しい 特にラムチョップが最高 日本食が寿司しか無いのとその寿司が寿司とは呼べないシロモノ(カルフォルニアロール、握りはサーモンオンリー、照り焼きチキンが酢飯の上に乗っかってるだけとか)だということ以外はいい でも太るね
みっつめ 授業が撰べる
時間割は必須科目(英数理)と好きな科目3つの計6科目を1日5時間でローテーションする この好きな教科っていうのがムチャクチャある 農業、園芸、演劇、木工、服飾、工業、保育、体育、歴史、美術、ダンス、料理…もっといっぱいある 書ききれない しかも全部個別に教室があり、授業内容はハイレベル(普通の公立高校なのに) 私は体育の授業でボルダリングをやってる めちゃくちゃ楽しい
よっつめ 人種差別が無い
会ったことない 以上
多い。白人黒人アジア人ヒスパニック系に中東系マオリ族と多種多様な生徒達 みんなスタイル良くて大人っぽい そしておっぱいが大きい…羨ましい
むっつめ すぐ帰れる
授業が終わるのは3時 皆終わったらダッシュで帰る 放課後残るとかない 教室でちょっと喋ってるだけで帰らないの?と聞かれる クラブもない(あるけど練習せずに試合だけとか) 先生もすぐ帰る 学校の近くに寄れるところがないので健全に帰宅する
ホームルーム教室がない 毎時間が全員異なった移動教室の為一緒に行動する人とかいない さっきも書いたが好きな授業を選択する為必然的に趣味が合う生徒とよく顔を合わせることになる スクールカーストを作ることが出来ないつくり ロッカーもないしカツアゲもない ケンカはたまにある
やっつめ フレンドリー
みんなやたらフレンドリー スーパーのレジ店員とか普通に話しかけてくる(どこの国から来たのー、ニュージーランドはどう?とか) 学校でひとりでいても何かと話しかけてくれる 不良っぽい人もなかよくしてくれる(会うたびにハイタッチしたりハンドサイン?ピシガシグッグッみたいなのをしてくれたり) 困り顔でうろつくだけでどうかしたのかと声をかけてくれる
ここのつめ ゆったり
ざっっくり言うと北海道と四国を取った日本に五百万人が散らばっているようなものなのでスカスカ ゆえに全てが広くゆとりがある いいことだ 映画館の座席も広かったぞ 体型もあんまり気にしないね
とお 緑が多い
今のところ見たことのある家は全部庭付きだ ていうか建物がないから緑が多い 見渡す限りwindowsの画面みたいなのが続いたりもする 景観が綺麗だし自然を大切にする国民性 あと柵が大体木
とりあえずこんなもん?
ベタに、サクラダファミリアとかグエル公園とかを回っていて、ほぼ電車で移動をしていた。
とある場所で電車にのり、次の目的地に向かおうと思ったら、電車がめっちゃ混んでいて、みんな旗を持っている。
「サッカーのチームの旗かな?サッカーの試合でもあるのかなー?」と思っていたくらいのノリだった。
ある駅で大半の人が降りていったので、興味本位でついていった。
地上に出ると、都内の花火大会くらいの混みっぷりで、みんなが同じ方向に向かって歩いている。
「やっぱり本場のサッカーの人気って凄いなー」くらいでしか思っていなかったのだが、
10分ほど一緒に歩いてみても、サッカー場が見えるわけでもなく、パブリックビューイングの様相もない。
周りでは「イ!イナ!イナビカチオ!」と、叫びながら老若男女問わず歩いている。
サッカーの雰囲気でも無いような気がしてきたので、隣で歩いていた人に片言の英語で聞いてみた。
すると、彼も片言の英語でこう答えてくれた。
「カタルーニャ地方は、昔から独立をしたいんだ。今日は独立のデモなんだ。」
「イナビカチオってのは、英語でいうとインディペンデントの意味なんだよ。」
衝撃が走った。
彼と話したあと周りをみた。
孫と一緒に参加している老人や、家族連れの人たちも皆「イ!イナ!イナビカチオ!」と独立を叫んでいた。
サッカーの旗だと思っていたものは、カタルーニャ地方の旗印らしい。
住民が一丸となってスペインからの独立を願っているのは、日本だと見ない光景だなと。
日本だと一部が騒ぐだけだと思っていて、冷静に見ている自分がいる。なさけない。
そのようなことを考えていたら、何故か自然と涙が出てきた。
というか、号泣していた。
感動・熱量・落胆・反省、色々な感情が一気に出てしまったのだと思う。
カタランに囲まれたアジア人が1人で号泣しているのは、不思議な光景だったろう。
後ほど調べたら「2010年カタルーニャ自治抗議」というらしい。100万人近く集まったとのこと。
後日談だが、
その勢いもあり、日本に帰って某政治塾に応募した。ある程度の倍率のなか受かった。
入塾式で周りを見渡すと、初対面同士だがチラホラ会話が聞こえる。
大半は男女の会話で、女性の周りにいる男性が声をかけた感じだろう。
入塾式での男性同士の会話はほぼなかった。
それを見て、なにか落胆したものを感じてしまい、塾を途中で辞めてしまった。
だが、今もその政治塾の人とは交流はあるので、行ってよかったとは思っている。
たまにこの経験を思い出し、自分にはなにが出来るんだろうと思うときもある。
経済的に、この国を盛り上げていく方が向いているんだろうなとか思ったので、
今はそれに近いような会社をやっている。起業支援・成長支援等が生業だ。
自分へのリマインドを兼ねたメモとして、この経験を増田に投下しておこうと思う。
カタルーニャがんばれ!
「ここはこういう風にした方がよかった」
「お前はできない癖に」
「.....(何かおかしくね)」
できない奴は、'良い点悪い点が分からないはずだ'、ということと
なんかムカつく、ということだろうか。
一つ目の変なところ
例えば、美術評論家が絵がうまいのか?と考えれば、必ずしもそうではなく
逆に、一流の画家が一流の批評家かというと、必ずしもそうではないような
ってことで、改良っていう最初の目的が遂げられてないですよね。
これってよく日本人(アジア人?)が欧米人と違うところと言われると思うんですが、
確かに、自分にとって都合の悪い意見を聞くのは耳が痛いのはよく分かる。
自分の悪いところや、見落としていたことを指摘されたり、好きなアイドルが週刊誌に撮られたりすることには
耳をふさぎたくなる、そして感情的になり、客観的な思考ができなくなることはよくあるでしょう。
幸か不幸か、インターネットの世界では、自分が知りたいことをピンポイントで探すことができます。
つまり、自分に都合の悪いことには耳をふさぐことができるのです。
これでいいんですか?
差別しない人間はいない=差別していいって事じゃなくて、差別無しで人間生きていけないよとは思ってる。人によっては同じじゃねーかってなると思うけど。
この差別はいい、この差別は悪いって区別自体が危険なのも解るけど、律儀に全部の差別を撤廃したら世の中の前提が全部崩れるし、経験則ってもの自体が差別になるよね。
持って生まれたもの(肌の色とか人種とか性別とか)での差別に対してはその意見にそりゃそうだって思うんだけど、、
刺青って自分の意思で入れるものだから同列で語る事に疑問がある。宗教的に必須(事実上先天性)ってわけでもないし。
私は刺青を入れてる人に対して無条件に恐怖を感じて避けるけど、アジア人は劣等人種って言われる事を受け入れろって言われたらなんか腑に落ちない。
アメリカで数年間暮らしているんだが、こないだランチを一緒に食べに行ったイタリア人にそう言われた。
そのときは「差別国家とまでは行かないと思うけど、まあ島国だから閉鎖的なところはあるよね」と曖昧に答えたのだけれど、それからその一言が自分の頭のなかにこびりついて離れない。
確かにイタリアのようなヨーロッパのなかで色々な民族がごちゃまぜになっている環境と比べると、(最近は労働ビザを持った外国人が増えてきたと思うけれど)日本というのは単一民族で構成された排斥的な国と思われているのかもしれないし、実際に排斥的なところはあるかもしれない。
ただ少なくとも自分が育った環境が「差別国家」という強い言葉で非難されたことに対してショックを感じたのは事実だ。
これはアメリカで暮らしていたときのエピソードで、以前に街中をドライブしていたときの話。
車で左折しようとしているときに横断歩道を渡る歩行者がはっきりと見えず、思わず接触してしまいそうになった。
実際には歩行者とは1m以上距離があり事故にはならなかったんだけど、その歩行者がこちらの車の窓に近づいて「Welcome to the US」と言ってきたのだ。
たまたま助手席に乗っていた友人もアジア系アメリカ人だったため、アメリカに来たばかりのアジア人で運転のことを知らないと思われたのだろう。
一緒にいた友人は「人種差別だ!」と激昂していた。
また、別のドライブの際には、他の車が私の車を追い抜く際に両目を指でひっぱる仕草を見せつけてきたこともある。
そういう人もいる一方で、多くの私の友人たちは私が日本人であるということを意識せず、1人の人間として私に関わってくれている。
それと比べると日本で暮らしていたときは、私自身外国人の友だちなんてほとんどいなかったし、おそらくは英語ができないからという理由で外国人との会話を避ける人も多かったという風に感じる。
そしてそれは外国人からすると、排斥的・差別的に感じるのかもしれない。
結局何が言いたいかを定めずにここまで書いてしまったから、明確な結論というのはないんだけど、自分も忘れないようにしたいなと思うのは、「人間である限り無意識のうちに(自分の生まれ育った環境を基準にして)差別してしまっているから、それを自覚してできるだけ差別しないように努めていこう」ということ。
そうして、いずれ海外から日本に来た人たちが「日本って思っていたより差別的じゃなかったね。来てよかった」。
そう思ってもらえる日が来ると良いなと思う。
最後に1つコメントしておきたいのだけど、私の友人であるイタリア人は決して日本が嫌いというわけではなく、むしろ日本のことを東洋の不思議な国として非常に好意的な印象を持っている(ように私には見える)ことは述べておきたい。
たぶんこの話題はシャーロッツビル衝突事件以来の一連の騒動から来てるんだと思うけど
白人のトランプじゃなく我々が「オルタナ右翼とカウンター集団、どっちもどっちだ!」と言ったところで白人至上主義者から歓迎してもらえるわけなくて、口汚く罵倒されるのがオチだよ
日本のネットで一番よく見かける反朝鮮人系の人達に関して言うと、彼らは自分の気に食わない意見があるとそれを言った人を証拠もなしに朝鮮人認定始める(人が目立ってる)じゃん
朝鮮人かどうかって、批判対象か否かを決める判定なんだから一番慎重にやるべき所なのにだよ?
つまり、いつ定義が勝手に拡張されて、自分も含めて差別されるかわからないんだよ
これ反差別を唱えてる人達自身が自覚してないかもしれないけど、彼らは自らを無謬の人として、高みから差別を批判してるんじゃなくて、