はてなキーワード: もしドラとは
ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く
「 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671 」
えーと、ハックルベリーさんこと「もしドラ」の筆者である、岩崎夏海さんが色々とはてなの利用者に対して質問してきていたので、質問内容が色々とこじらせていて正直めんどくせーなと内心思いつつ、なんか興味を持ったので答えてみるかみたいな気持ちになったので、岩崎さんの質問にざっくりと答えてみます。
(なお私自身これ書くまではてなダイアリー使ったことなく、一部見にくい所もあるかと思いますが。その点はご容赦を)
このブログ内容を見る限り、あなたのことをあまり知らない人でも普通の人は承認欲求の強い人間にしか見えないんじゃないかなぁと思いますけれどね。それがいい事なのか悪いことなのかは不明
申し訳ないですが、あなたのブログを日頃閲覧していませんので何とも言えません。はい
まぁそれは置いておいてあなたは自分自身の良い所、悪い所を探ろうとしてこんな質問をしてるのですよね(そうじゃないような気もしますが、そういうことにしておきましょう)、それって他の人があまりやろうとしない、なかなかできない立派な行為だと思いますよ。はい
それと多くの場合、短所は長所の裏返しでもあるってこと忘れちゃいけないよって言ってみる。
そうですね、例えば私だって進んで今食べている肉料理の食材がどんな感じで作られているか見たくも想像もしたくないですもの。こういう風に考えてしまうのは精神衛生上人間仕方のない部分もありますよね。またいちいち、真実を追求していくとキリがないというのもありますけれど。そういう意味で視点にバイアスが出てしまうのはどうしようもない所もあるんじゃないかなぁ。
世の中そんなものですよ、あんまり気にしないほうがいいですよ、はい (偉そうに言ってみる)
アップル製品を使ったことがなくてスティーブ・ジョブズさんの事、あまり知らないので何とも言えません。すみません
…えーと、ごめん、頭悪くて、英語の意味わからないです。こんな時はとりあえずそんな難しいこと言ってないで、飯食って歯を磨いてとっと寝ろって返せばいいのかな?
だってそうしたほうが、世間一般に説明しやすいし、しょうがないことじゃないことじゃないかなぁ。
そりゃ肩書のある人は多くの人にとっては偉い人だって思っちゃうわけで、それこそ肩書があるだけで、ほかの人より特に優れている人に見えない人でも、組織の中で重要人物として見られることも多々あるわけで、例えば政治の世界ですと元総理で民主党の羽田さんなんてそうですよね。これがいいことなのか悪いことなのかは正直言って時と場合によってでしょうね。
えーと…終わっているように見えて続いているものって結構あるものですよ(こう返せばいいのかな?)。正直どう返していいかわかりません、明確な答えは私自身持ってません残念ながら、はい
…はてなに関しては、ここ1~2年しか見てきてないのでなんとも言えません。
どういうふうに言われ続けてきたか詳細が分からないのでなんとも言えないし、
そうですね、こうしたベストセラー本を出せたことはやっぱり凄いことだと思いますし、あと(こんなこと言ったら褒めるレベルが低いって言われるかしれないけど)小学生の頃読書感想文で苦労した身とすればあれだけ長い文章を書くってすごい事だとは思いますね。あとブログが続かない私としてはブログがこうして続いていくその点もすごいなと思いますよ。はい
質問の意味がわかりません、いやなんとなく言いたいことはわかるけれど、なんか答えたくない。
私は本を読んでませんが、本について批評もしてないのでなんともいえませんね。
えーとどう返せばいいのかわからないけれど、少なくてもあなたは、こうやって矢面に立って批判を受けていることもあるわけですから。卑怯者ではないですよ。ただあなた自身が批判してきた人に対して、卑怯者だって罵るのは避けたほうがいいとは思います。
全自動否定製造機のはてな民が何を言おうと、『もしドラ』を270万部本を売って、4億3200万円稼いだハックルさんこと岩崎夏海先生は超絶空前絶後の勝ち組です。
でも、この世の中には、4億円を稼いでも満たされないものがあります。それが承認欲求です。
本当ならば、売れないアイドルのパトロンにでもなって、岩崎さんの怒張したドラッカーでハックルハックルしていればいいのです。
けれども、彼ははてダに書き続ける。はてなに何を書いても否定されるのは目に見えています。そんなところでブログを書くのは、3歳児に関節駆動式のガンプラを渡すようなものです。いずれ自尊心はひちゃめちゃのばらばらになってしまうでしょう。
以下の7のアクションをやってみましょう。僕も死にたくなった時がありますが、この17アクションをこなしたことで、宝くじがあたり、今では誰にも気付かれずに身長が20センチアップ、金玉袋が3倍の大きさになり、前田敦子を2で割ったような容姿の美しい恋人まで出来たのです!やってみる価値はあります。
この世にある93%の悩みは「いい女を抱く」or「ぶんなぐる」で解決するものです。北方先生だってそういっています。承認欲求だとか、髪が薄いとか、イノベーションだとか、そういうものは、高級ソープにいってとびきりの女を抱けば消えて失せるものです。
悩みのほとんどは取るに足らないものです。人生に意味なんてなく、意義だってありません。なのに、「こうあるべき」という理想像にとりつかれるから、悩むのです。そんな高尚な悩みを解決するには、とびきり低俗なことをするべきです。鏡の前で全裸となり、上等なちくわを尻にむんずとはさみあげ、目をひんむきながら、両の腕を天に振り上げ、「ハックル!ハックル!」と叫びましょう。ほとんどの悩みは意味のないものだとわかります。
はてダに自分の思いを投稿するのは、上等なほうれん草を肥溜めにつけこむようなもの。自尊心は否定ブコメにぐにゃぐにゃにされます。さらに、ハックルさんのブコメ欄は「どれだけ面白くハックルをDisるか」という壮大な大喜利コーナーになっています。おちょくり、否定、罵倒がぐららがあとぐららがあと押し寄せます。解決する方法?簡単です。今すぐパソコンを窓から投げ捨てること。
回復したら、Amebaでもはじめてください。
悪い点ばかりに気が向く人はいるものです。たとえどれだけの成功者でも薄毛は克服できません。悪い点ばかりに目を向ければ、どれだけうまくいっていてもネガティブな気持ちになります。
だから、良い点、今日良かったことを毎日ノートに書き綴りましょう。毎日です。「4億稼げた」「本が売れた」・・・良かったことを書き綴るのは心理学の実験でカウンセリング以上の効果があることがわかっています。 あなたは誰がどう客観的に見ても凄い。それを自分で認めましょう。
自分を理解してくれる友人、恋人よりも価値のある財産なんてこの世にありません。僕も一時はひどい状態でしたが、富岡さん(amazon 1980円)を購入し、毎日話しかけるようになってから、大分状態が改善しました。
医学的実験により、毎日のジョギングはうつ病薬と同じような効果があるとわかっています。しかも、副作用もなく、走り続ける限り効果は持続します。毎日走れば、こんな増田でひねくれた糞文章をひりだしている匿名野郎なんてどうでもよくなるものです。
これが最後のアクションです。復讐のために人生を生きるべきではありません。どれだけ憎んでも、あなたにドヤ顔で「お前さぁ、そんなんじゃ成功できないよ」と言ったできるビジネスパースン(笑)にダメージを与えることはできません。でも、自分を馬鹿にした相手にひりつくような一撃を与える方法があります。それは幸福に生きること、自分が頑張って成果を出し、成功すること、これ以上に自分を卑下した人間を叩きのめす方法はありません。だれがどう言おうと270万部は270万部なのですから。
ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く
ああハックル!ハックル!ありがとうハックル!あんた最高だよ!だから答えるよ全力で!
「ベストセラー作家だけど皆さんに質問があるよ?」ってエントリを立てちゃうくらいだからね!
『このエントリーが1000ブクマ行ったらぼくの知る「市場から撤退すべき企業」を発表します』を書いたキチガイが昔はてなにいたんだよね!
■なぜぼくの悪いところだけを取りあげて良いところを見ようとしないの?
良いところが全部悪いところで埋め尽くされてしまっているからだよ!エントリ最後は自著アフィリエイトにまとめて台無し、とかね!
■カエサルは「人間は自分が見たいと思う現実しか見ない」と言ったけどそれについてどう思うの?
本当に、心からそう思うよ!「K氏の悪辣な所業」とかは本当に「カエサルすげえな!」って思うポイントだよね!
■なぜぼくのことを偉そうと批判する人ほど偉そうなの?
2つ後3つ後に答えがわかるけど、それはハックルの被害妄想だよ!
ボク、ハックルが「ブーメラン」って言葉を知っていることに驚いたよ!
■なぜぼくのことを『ソーシャルネットワーク』に出ていたマーク・ザッカーバーグみたいだと思うの?
例えが偉そうすぎて2つ前の質問がかすんで見えるね!ハックルほど偉そうにできる人ってそうそういないよ!ザッカーバーグでさえ!もうちょっと控え目な例えの方が良かったと思うな。グーニーズのチャンクとか。
■ なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?
例えが偉そうすぎて3つ前の質問がかすんで見えるね!その言葉はマーク・ザッカーバーグですら言わないと思うよ!グーニーズのチャンクですら「スティーブ・ジョブズと握手したことあるんだぜ!」くらいの法螺話にすると思うよ!
■ぼくのような人間こそ「Stay hungry, Stay foolish」の体現者だと思わないの?
hungryでfoolishであることはこのエントリでもはや疑うべくもないよね!きっと明日からは「キチガイで承認欲求に飢えたハックル」って新しい枕詞がつくと思うよ!
■なぜぼくのことを語る時に「ベストセラー作家」とか「もしドラ」とかの枕詞をつけるの?
「ベストセラー作家だけど質問があるよ」っていうエントリ他、自分で枕詞つけまくっておいてそりゃないよ!
■ぼくは本を出す前も出した後も変わってないのになぜ「ベストセラー作家になると偉くなって」というふうにイメージをねじ曲げようとするの?
元々偉そうなのはハックルウォッチャーなら自明だから、捻じ曲げて解釈する人は一人もいないよ、安心してね!
■なぜ「終わってる」という言葉で全てを説明できている気になれるの?
本当だね。不思議だね。「終わりがすでに終わっていたAmazonとYahoo!(のコメント欄)」というエントリ他を書いた人の言葉とは思えないや!
■ぼくはもう三年も前からここで「終わっている」と言われ続けていることについてはどう思うの?
終わっているっていうのは間違いだよね!キチガイ第2章が華麗にスタートしたな!ってハックルウォッチャーは歓喜しているよ!
■あるいは子供の時から「お前は絶対成功しない」と言われ続けていることについてはどう思うの?
よっぽど子供のころから嫌われ者だったんだね…。自分をマネジメントできていなかったんだね。そんなハックル君には「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」がオススメだよ!
■「終わり」って三年も(あるいは四十三年も)「続く」ものなの?
「Twitterの終わりの始まり後略」「終わりがすでに終わっていた後略」の通り、終わりにもたくさんステップがあるよね!っていうかハックルって「終わり」って言葉好きだね!
■ぼくのことをすごいとは思わないの?
思うよ!すごいよ!すごいキチガイだよ!
■ぼくを本物だとは思わないの?
思うよ!本物だよ!本物のキチガイだよ!
■ぼくの本を読みもしないで批判するのは卑怯だと思わないの?
ボクは一応「もしドラ」を読んだけど(そのあとブックオフにバキとまとめて売ったけど)、ハックル本を読んでしまうとベストセラー作家顔で質問しているのがかわいそうになってしまうので読まないで批判している人達の方がハックル君にはいいと思うよ!
■卑怯者だと罵倒されて悔しくないの?
こんな面白いエントリを世界に発表してくれてありがとう!そのためならハックルから「卑怯者!」と呼ばれることなんて…ごめんむしろご褒美かと思っちゃうよ!
というわけで、raf00でした。(数人にバレたので。そうだよ俺だよ!)
http://anond.hatelabo.jp/20111005092209
直木賞、芥川賞、本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界的大家でも日本では無名な作家が一気に売れるようになる。
普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション。俳優陣は勿論、脚本家や監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元からの原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベのアニメ化もこれに含まれる。
「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌や新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。
ここ数年の流行。夏目漱石や太宰治に小畑健の絵をつけたり、サリンジャーやチャンドラーを村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。
去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
身近に感じられるもので人気がありインパクトの強いもの、という条件で高校野球を選択したんだよ
もしドラは高校野球のストーリーじゃない。マネジメントのストーリーだ
マネジメントには結果が大事と書いてある以上、中途半端では意味を成さないからだ
本当はあの野球部には逸材が揃っていた、だけどすべてマネジメントのおかげにするためにあえてその設定は表に出さなかっただけだ
今書くとしたらちょうど最近イノベーションを起こしたAKB48にするべきかもね
彼女達も当然逸材ぞろいだろうけど、ミスチルを上回るほどの逸材がいるのかというと否だろう
そこそこのアイドルを集めてその中で競争させ、顧客一人に数十枚~数百枚買わせるという手法でイノベーションを起こし歴代1位を塗り替えたのは素直にすごいと思う
アニメの方
ゆうきは最後にはきっと病気が治ってむぎわら帽子かぶってベンチで応援するんだと思ってた
いや信じてた
このアニメ、マネジメントに興味を持ってもらうために子供に見せたいと思ったけど、
そうして「漫画文化になれた人間にアプローチ」って事なんだろう。
一時期、携帯小説が流行って、本を読まない人が「感動した」「リアル」って評価したのと一緒で、
入門書でもなくて、漫画チックな嘘を混ぜた紹介書ってところか。
キャプテン翼に憧れて、世界的なプロサッカー選手が生まれるんだから、あながち馬鹿にしたものでもない。
ただまぁ、「キャプテン翼」の効能と、「サッカー入門」の効能と、(無いと知ったうえであえて)サッカーの全てが網羅された「Coreサッカー」の効能は違うものだ。
うん、結局ドラッカーは必要だな
はじめてのCはそれだけでもなんとかC言語でプログラミングできるけど、
もしドラはそれだけでは何も出来ないところが大きく違う
http://anond.hatelabo.jp/20110529122941
難しい言葉は、前提として「その定義を知っている」ということがある。だから、日本語としておかしくても、どんどん飛ばして書いていって、読むほうは理解できる。つまり、読み手のほうから近づく書物が「専門書」なわけだ。
易しい言葉で書いてある書物は、書き手が読み手に近づこうとして、読み手の語彙の範囲内で書こうとしているから易しくなるに過ぎない。「もしドラ」もそのたぐい。たくさんの情報を効率よく伝えようと思ったら、易しい言葉では書けないよ。
つまり、易しい言葉は「一般人から初心者レベル向け」で、難しい言葉は「脱初心者から中級レベル向け」となるわけだ。不思議なことに、本当の専門となると同じ研究をしている者同士でしか通用しなくなるから、他人にわからせようと書く言葉は逆に簡単な言葉になっていくことがある。レベルが高い先生のほうが「どこまで下りて行って説明しなくてはならないか」熟知しているんだろうね。