はてなキーワード: 「森」とは
C言語の授業だったと思う
その頃のWindows98が一般家庭にはそこそこ普及してて、学校のPCはほとんど95だった
ゲームを作る学科とはいえ、まだ入学したてでプログラムなんてすらすら組める生徒はほとんどいなかった
というか、卒業までにそこそこプログラムを書けるようになる人なんて数人だった
じゃあゲーム作るなんて無理だろうって話なのだが、ここでいうゲームは、
printfとgetc?を駆使して、さらには可能であればrand(rands?)も使用し、
あらゆる演算(四則演算とさらには%)を組み合わせた高度なアルゴリズムが必要な
中には、ゲームブックを具現化したような、分岐数が二桁を超える圧倒的ボリュームのマルチエンディングアドベンチャーを作ったやつも居たし、
タイマーかなんかでゴリゴリ回してだったかターン制だったかの、インベーダーゲームを作ったやつもいた
たしか2コマぶち抜きだったか、日を分けて2~3コマだったか忘れたけど、そこまでやるやつは家では他の事するので
授業内で全部組んでた
「大」が自キャラで、剣を装備したら「犬」になる とかで 王様との挨拶をすっ飛ばして
「山」やら「森」やらある「草」フィールドを歩いてたら敵にエンカウントして、ドラクエ1みたいな戦闘できるやつ
AAで敵のグラフィック作ろうとしてあまりにも時間がかかることでスライムだけ作ったぐらいで終わった
今思えばシレンを作れば良かったと思う
先月ぐらいに、今更そういやローグってどんなゲームだ? って気になって調べたら、AAとか要らんみたいだったから
でも当時は好きなゲームで一番シンプルで作りやすそうなのは、ドラクエだった
というのを他の増田でマリオを作るという記述見て思い出しただけの増田
なんか色々考えさせられることは多いなと思って書き始めたのだけど、前述の圧倒的ボリュームのマルチエンディングアドベンチャーは
だいたい選択肢を間違えたら一歩先で💩まみれになって死ぬだったなあ って記憶がよみがえって来てどうでもよくなってしまった
実際は、穴に落ちたり、犬に嚙まれたり、色んなパターンあったし、エンディングは画面切り替えもあってそれなりに感動する仕上がりになってたから、💩まみれって評価は正しくはない
↑の元増田。
自衛隊やその元高官に強い不信感があるのは分かった。
逃げの回答と思われることを覚悟の上で言うと、ぜひ自衛隊に対してはそういう疑いの目をこれからもずっと持ち続けて欲しい。
俺も疑いの目は在籍してた当時からずっと持ち続けてる。
分かりにくかったかもしれないけど、俺がこのツリーの最初の記事で書いた↑の文は、自衛隊の職種の一つである「施設科」について、伝聞調で「施設科とはこんな奴らの集まりだよ」と話した元増田に対してのエクスキューズでしかなく、他に意味はない。
なおセクハラ関連の話はしない
と書き置いている。
その後セクハラの件でトラバを受けたのでその話をせざるを得なくなったけど、最初は元増田の施設科の話について補足する程度のつもりだった。
で、不祥事や元高官の発言に関しては、あなたの言ってることはまったくその通り。これについては前の記事にも書いた。
かなり気になっているようなので、あえて俺の「木はあくまで〜」という言葉に沿って補足するなら、木はあくまで木として見る。
で、それが「悪い木」であった場合、「なぜ悪い木がここに生えているのか」を考える。
この「なぜ」を追求するのがとても重要だと思う。
追求するための手段は何でもいい。他の人に「なんでだと思う?」と聞いて回るとか。その悪い木から離れて、近くにも悪い木がないかを探すとか。そもそも「悪い」の基準について考えるとか。
で、なぜを徹底的に追求していった結果、最終的に「悪いのは森だ」という判断になるかもしれないし、「悪いのは森ではない」という判断になるかもしれない。
その判断ができたら、堂々とその追求の経緯とともに、森の話をすればいい。
ま、一緒に疑い続けていこう。
『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』に続く、左近の桜シリーズ第4作目。
謎の引き寄せ体質というか拾い物体質というか、とにかくやたら異界の住民と関わりあっては「アッーー!」なことになってしまう、左近桜蔵くんが主人公の幻想小説シリーズ。初期の頃は「アッーー!」の回数がやたら多かったが、新刊が出る度に「アッーー!」成分は減ってきている。
祖父の墓参りをするために、霊園行きのバスをロータリーで待っていた桜蔵は、鍵を拾ってしまった。交番に鍵を届けようとしたものの、交番では奇妙な女性が巡査相手におかしな事を言っていた。ただでさえ引き寄せ体質で拾いもの体質の桜蔵は、また何か厄介なものを拾ってしまったのではないかと怪しむ。
バスに乗ってみれば、今度は「森」のいわれを語る妙な男がおり、いよいよおかしな事になってきたと思う桜蔵。その時、バスが交通事故に遭ってしまう。そして案の定、桜蔵は異界に迷い込んでしまうのだった。
本作は『咲くや、この花』までとはちょっと趣きが違い、まるで番外編のような話。ほとんど過去の話だし。桜蔵の祖父の遺品の一つ〈ざくろ〉という銘の碗、それと対になる〈しろうづ〉、そしていわく付きのお碗〈朱薇(あけび)〉を巡る謎。それに絡んで、柾の生家・白鳥家と、桜蔵の生家・左近家、そして白鳥家の縁戚にあたる白(つくも)家の系譜が明かされるのだが、超ややこしくて訳がわからん。新しく人物の名前が出てくる度にメモしておけばよかったなぁ。まるで『百年の孤独』を読んでるみたいだった。
物語の鍵となるのは「蛇」。互いに絡みあって一本の木のように育ったザクロや、テイカカヅラやアケビなど蔓性の植物、鏡、月、橋(水府の出入口とされる)など、蛇につながるモチーフがやたら出てくる。
何で蛇なのか、それが桜蔵にどう関係するのかというのは、何となくわかった。それからテイカカヅラ(定家葛)の別名から、柾と桜蔵の関係性がなんなのか……要は名実共に柾は桜蔵の保護者である、というのはわかったけど……、なんか核心の部分ははぐらかされたままだなぁ。
白鳥家と左近家の付き合いが今に始まったものではないのはいいとして、しかしそれが分かっても桜蔵の実父の正体とその人と柾の関係性の謎は放置されたままだし。
うーん、よくわからない。
そして今回も、相変わらず他人の悪夢を追体験させられるような読み口であり、更に超絶ややこしい系譜にも惑わされるので、ストーリーにちりばめられた謎を考察するどころじゃない感じ。森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズと同質の幻想文学調ミステリー。これって謎の深堀はしない方がいい感じのやつ? でも気になってつい何度も読み返しちゃうんだよなぁー。
植物の名前や神話伝承や伝統文化に関する知識を求められ、しかも登場人物が超上流階級の人たちばかりなので、頭が全然ついていかない。読んでいて眩暈がしてしまうが、『左近の桜』シリーズのお陰で私の教養は深まったので、頑張ってググりながら時間を溶かすぞ……。
Twitterをみていたら、高校時代によく遊んでいた友達グループの5人が、なんとなく同じくらいのタイミングで帰省を企図している雰囲気があった。
こんな機会を捉えなきゃ、たぶん二度と会わずに死ぬことになるよな、と思ったので、俺はあまり社交的なタイプではないんだが、エイヤっとばかりにみんなに声をかけてみた。「今度集まらない?」
意外とみんな乗り気で、なんと5人とも集まることになった。
場所は、森だ。町のハズレに神社があって、境内が鬱蒼としているので、なんとなくみんな「森」と呼んでいた。神主が常駐する感じでもなく、参拝客は全然おらず、人気がないのがよくて、ときどきみんなで行っていた。
青春の思い出に浸ろうぜ、っていうことだ。
当日、森にきた俺たちを出迎えたのは、ゲロだった。
ゲロが吐かれていた。
森はゲロでいっぱいだった、というと言い過ぎだが、まあ目立つ位置に、イヤな感じにそれはあった。
俺たちは集まった。久しぶりに集まった。
集まれどーー
汚物の、森だった。
・茄子
子供の頃は、あのじゅくじゅくした食感が気持ち悪くて嫌いだった。今は最高だ。焼き茄子もイイし、生姜効かせて煮浸しにしても美味しい。熱々トロトロは美味いという方程式。栄養ないって知ってショックだったけど食べるよ。美味しいから。もはや茄子は嗜好品。
・オクラ
これは子供の頃から好きだった。柔らかいもの=美味しいものという方程式はオクラには適用されない。少し固めに茹でて粗刻みにしてめんつゆにぶっ込んでご飯にかけるのがベスト。種がプチッと弾ける食感は中毒になる。
茹でてマヨネーズ付けて食べるだけでも美味しいが、最大限に魅力が引き出されるのはスープ物だ。あのブロッコリーの「森」の部分が汁を吸った時のポテンシャルの高さは油揚げに引けをとらない。
・そら豆
他の野菜と比べるとやや値が張る。ちょっとした贅沢品だ。さやを開いて2個しか豆が入ってないと地味に辛い。焼くのもイイが、甘辛く煮るのもイイ。薄皮ごと食べるのがポイントだ。枝豆も小豆もそうだけど豆は薄皮だよ。
・ピーマン
子供が嫌いな野菜代表だが、自分はまあそうでもなかった。でもやっぱり大人になる程好きになる。ピーマンの肉詰めという料理を考えた人は天才だと思う。あれはハンバーグよりも上等だ。肉汁をピーマンという器が受け止めてくれるのだから。
いろいろブコメ、トラバありがとう。やはり過疎地域の扱いについては議論が分かれるね。
合計特殊出生率について。ここ数年の上昇が「団塊ジュニアの駆け込み出産」だと見る意見があったが、言葉の定義の問題なのではっきりさせたい。合計特殊出生率は15歳から49歳までの各年齢の出生率を足し合わせるという求め方をするので、世代間の人数の偏りの影響を受けない。合計特殊出生率への寄与度は世代の人数によらず同じということだね。
人口集積について。フォローしてくれてる人もいるけど東京一極集中という意味ではないよ。各地域で中核となる人口数万〜数十万の都市はたくさん必要だと思う。ちょっとアバウトなイメージでいうとJ3どころかJ4、J5(まだないけど)のチームが「俺達のクラブ」としてそれなりに盛り上がっちゃうぐらいの熱量(?)を備えた街だ。これって人口5万でも田畑や山林の中にバラバラに点在する5万じゃ多分だめだよね。でも集積して居住する中でなら3万でも成り立つかもしれない。俺は都市計画の専門家じゃないんでわからないけど、税制面での優遇や公共インフラへの低廉なアクセス、便利な公共交通、行政、保育、教育、介護、医療サービスなどの面で他地域より優遇することで計画的に中核市街地に人を集めていくような方法になるのかな?一部の人が想像してそうな強制移住みたいなことは俺は想定してないんだけどね。そんなことしなくても中核市街地の魅力を高めることで勝手に集まるのが一番いい。それでもどうしても限界集落に残りたい頑固じいさんがいたら、最後まで面倒見てあげたらいいじゃんと思う。
余談。実際これにわりと近いことをやってるのが流山市で、ここは若夫婦に特化したマーケティングをしてるんだけど、立派な少子高齢化対策になってる。流山の場合はTX開通により「東京まで20分」という付加価値をゲットし、それに「森」「自然」「子育て」という人気のキーワードを組み合わせてブランディングしてる。はてブ的には「恋愛届の街」って言ったほうが通りがいいのかな?あれもはてブでは不人気だったけど所詮お遊び企画だからね、個人情報がどうのストーカーがどうのと目くじら立てるほどのものじゃない。大したオペレーションコストもかけず、民間タイアップで安く認知度向上のキャンペーンやってるんだから大した工夫だと思う。もちろん、よく見ると緑とかやすらぎとか単なるイメージ戦略の域を出てないのでは?とギモンを抱くところもある。実質的なメリット(保育料が安いとか子どもの医療費が無料とか深夜保育や休日保育にも安価に対応できるとか公立幼稚園が安く充実してるとか)がバーーンと打ちだされてるといいんだけどその辺のアピールはない。それでも「意識高い系自治体」としてベンチマークしておきたい自治体ではある。
これな。
「2050年、全国の6割が人口半分…2割はゼロ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140329-OYT1T00081.htm
元ネタは国交省のこちらの発表資料
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
日本の人口の中位推計っていうのに基づくと、人口減少のスピードがデトロイトに匹敵するくらい急激になってしまう。グラフにするとこんな感じ。
ときどき日本は人口多すぎ。減ってもいいじゃんみたいな意見もあるが、急激に減るのはマズいし、老人増えすぎのアンバランスな状態で減るのもマズい。
社会保障制度が成り立たなくなるし、デトロイトのように街がもりもりスラム化していって治安が悪くなる(デトロイトの画像検索結果)。社会の活力が失われ悪循環を生む。
逆に言えば、社会保障制度がついていけるスピード、スラム街を取り壊しつつ、コンパクトな市街を再構築していけるスピードで減るならなんとかなる。
https://www.mlit.go.jp/common/001033672.pdf
増える地域が大都市圏を中心に若干あるという話だが、これは本当にピンポイントで増えるというだけの話で、都市圏全体でみると、こちらの資料2ページ目によると、やはり増えるところは無い模様。
さらに問題は(これは全国的に言えることだが)老人比率が高くなりながらの人口減なので社会保障制度を始めとしてまったく大丈夫ではない。
これはブコメで散見された誤解。日本は森林ばっかだから2割の土地で人口ゼロって別に驚くこともないじゃんという意見だが、資料によると2割は「国土の2割」じゃなくて「今現在人が住んでいるうちの2割」ということだ。人口減少のひとつの結果として、それなりに顕著な変化と言えると思う。
俺は過疎については仕方ないとも思っている。「2割がゼロ」になってもいいじゃないかとも思う。
国や自治体の赤字を減らすためには、なるべく人間は固まって暮らしたほうが効率的だ。電気ガス水道、通信回線、道路などの社会インフラの維持費は安く済むし、人口が集積すればさまざまな商業活動が成り立つため街も活性化する。公共部門の支出が減り税収が増えれば、社会保障が充実する。少子化対策に割ける予算も増える。
増田なんで書いてしまうが、国も役所も本音としては過疎地域は一刻も早く人口ゼロになってくれという感じじゃなかろうか。
さて、減る一方だというイメージのある合計特殊出生率だが、2005年の1.26を底に2012年の1.41まで少しずつ増えている。もうすぐ2013年の数字も出るだろう。
これはネガティブな話題ばかりの少子高齢化関連のトピックでは唯一の光明だ。今後の数字に注目したい。
これもブコメで散見された残念な意見のひとつ。全然「どうしようもなくない」。
同じ資料の1ページ目には、合計特殊出生率が現在の上昇ペース(2005年1.26→2012年1.41)を維持した場合と、フランス並のペースで上昇した場合の2種類の人口推計グラフも掲載されている。
つっても誰もpdfなんか見ないだろうと思ったのでスクショとってアップした。関係ないが増田は画像くらい貼り付けさせて欲しい。
これを見ると2050年で1.1億人弱、2100年で9100万〜9600万人の人口をキープできるということで、中位推計(合計特殊出生率1.35)の2100年4959万人とは雲泥の差だ。
しかも出生率が2.07まで回復した上での1億人なので、人口減といってもいずれ減少はストップし、社会保障問題は大幅に改善され、今よりも暮らしやすい日本になっている可能性が高い。
労働人口は十分にあり、税収も確保でき、子どもの養育・教育に国も自治体も家庭も十分に投資できる。
人口が適度に市街地に集積しているおかげでコミュニティバスは密に運行でき、老人妊婦子どもが市街のどこでも自由に移動できる。
公園にはゆとりある老後生活をおくるじーさんばーさんが散歩していて、子どもたちの元気な声が溢れる。
わりと暮らしやすそうな雰囲気が街に漂っているため若夫婦も子ども産むのに抵抗がなく、出生率は2.1前後がキープされる。
そんな2100年、人口9000万人台の日本に「まだなれる」。決して手遅れではない。
なんとしても子どもを産みやすい日本にして、合計特殊出生率をあげなきゃいけない。
「人口減ってもいいじゃん」という認識をあらため、「手遅れだから」「焼け石に水」と諦めないことがまず第一歩だ。
「子どもいらねーー」「結婚したくないし」という個人の価値観を語ってみるのもときによかろう。それは否定されるものではない。
だが急激な人口減が及ぼす悪影響は人を選ばない。子どもが欲しくない者も、少子高齢化社会とは無関係でいられない。
国民のだれもが、少子化問題を深刻にとらえ、主体的に考える必要がある。
少子化問題が解決すれば、社会保障問題をはじめとして好影響はやはり人を選ばない。
以上、ここに書いたことは別に俺個人の意見でもなんでもなく、わりと一般的に言われていることだと思っている。国交省の人口増減メッシュ地図の件をフックに書いてみたものの、人口推計の数値自体は既に周知されているデータを引用しただけだし、少子化が及ぼす影響についても目新しいことは書いていない。異論がありそうなところとしては、過疎を積極的に肯定しちゃってるところと、出生率回復時の楽観的な記述だろうか?コメントやトラバをいただけると嬉しい。
また機会があれば、少子化問題を解決するため政策・行政レベルで取り組むべきことや一個人としてできることなどについてもまとめてみたい。
日本のデータはこちらの「表1-1」と「参考表1-1」から、デトロイトのデータはウィキペディアから拾ってきた。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401smm.html
あとはぜんぶ国交省の例の発表です。
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
ああ、お前か。
コメントしようかと思ってたんだけど承認制になってたからよしてたんだった。だからいま言うよ。
まぁ、ハックルちゃんと大体論旨は同じなんだけどさ。
非常に危険な領域
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090723/1248279206
読みたくないなら読まなければいいのだ。
これな。引用された時点で俺が言いたいことは分かるよな?
公開してるブログって時点でお前にそんなことを言う資格はないのだ。
ましてやはてブは一応外部サイトだ。そこで何を言おうが自由だ。
しかもお前は、はてブの存在を知っていた。
その上、好意的な理由でホッテントリになるとしたならば、
それは好ましいことだと淡い期待はしていたであろう。
甘いんだよ。
ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「伯父の家族エピソード」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の本質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。
なのに、書いた本人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。
ぜーんぜん、分かってない。
読者はな、お前がセクハラ云々のエピソードをメインディッシュとして書いたのではないことぐらい、百も承知なんだよ。
その上で、お前が何故叩かれたのか検討してみようか。読者の「森」が何か、考えてみようか。
つまりだな、「お前が言う『僕の問い』とかいう哲学的な思索だかなんだかを語る上で、
さらりと自分がやらかしたセクハラを、さして『気持ち悪い』とも思わずに公言してしまった厚顔無恥ぶり、鈍感さ、そこに起因する気持ち悪さ」に不快感を示しているんだよ。
自覚しつつ「俺ってきめぇでしょ?ブヒブヒ」とばかりにセクハラエピソードを入れたわけじゃないんだ。
思索のネタとして使う材料としては、あまりにも気持ち悪いエピソードを平気でチョイスできた、
お前の非常識ぶりに生理的な不快感を示したんだ。分かるかしら。
いいか、そこが読者にとっての「森」なんだ。お前は気持ち悪い、と言いたがってんだ。いいな。
「お前の論点はどこにあるか」ってことなど、読者にとっては「木」なんだよ。
そこをお前は理解できていなかった。
そんで、お前を叩いた読者たちの「森」がなんであるかを理解していただいた時点で、話そう。
そう、これはハックルちゃんの言うとおりいわゆる「いじめ」だ。お前の人格そのものを否定しているんだ。
お前の考えの正否などどうでもいい。
「JKだかJCにセクハラしてビンタされた後に、したり顔してはてななんぞに思索らしきものを書き、あげくのはてに『やれやれ』などと余裕ぶってるキモヲタネット弁慶」という人間を、とりあえず叩いているんだ。
「そういうことを書くあなたの人間性の根底に女性への蔑視が隠されていて…」なぞをかます輩がいるかもしれないが、そういうイデオロギーの流布や僕の深層心理の分析は存分にやってくれ
さっきも言った通り、これは実にポイントがズレているんだ。
分析をしているやつがいたとしても、それはお前への批判の副産物だ。
いいか、「お前は『きめぇ』と数万人に思われた」。これは厳然たる事実なんだ。
そんでだ、いじめっこが弱者らしきものをいじめている場合、いつ興奮するかなんだが、
「よわっちいくせぇに虚勢は張って、でもビビってるのはバレバレ」って状況なんだ。分かるな。
ν速だのVIPだののスレのまとめブログとかを見てみることを勧める。
定期的に、彼らは「いじめ」をしている。いいかどうかは別として、している。
そんで、ターゲットは、大体「虚勢を張ってはいるが、実はビビってる」。
はてブ民はν速民と結構住民層がかぶってる気もするし、これは参考にした方がいい。
だいたいこのエピソード自体が全くのでたらめ、フィクションかもしれないではないか。
いま言ったような視点でこれを見てみろ。お前、ビビってんだろ?
いいよ。認めないでも分かるよ。それを悪いとも思わないよ。
ただ、虚勢を張ると彼らは面白がるよ。そもそも「否定はしない」とか言ってるなら、
あんなに長文で「やれやれ」などと愚痴らない方がいいよって話になる。
俺は常々こう思ってるし、子供ができたら「社会の現実」として教えようと思っているのだが、
悪いのは、いじめるやつ。
原因は、いじめられるやつ。
ショックかな?でも、リアルでいじめられてるやつの7~8割って大体変人だろ?そうなんだよ。
もちろんそれを「いじめる側の論理」として使っちゃいけない。いじめはいけない。悪いことだ。
ただ、実際に起こったら、いじめられてる側がそれを主張しても誰も聞いてくれないんだ。
そういうことなんだ。
勢いで書きました。
傷ついたかもしれない。だけど、これは分かってほしかった。
ちなみに自分はいじめるつもりはない。ただ、君にはそいつらの一人にしか見えなかったかもしれない。
だとしたら、ごめんよ、とだけ言っておく。
ハックルちゃんと言ってること結構かぶってるけど、直接君に言いたかった。
どうしても怖かったら、別垢でブログを再スタートするのもありだと思うから、
・キモいって言われないように気をつける
・言われたら「(´・ω・`)ショボーン」となりつつも気にしない、少なくともそれに対するリアクションはしない(犯罪自慢等ならともかく「キモい」程度の炎上だったらガン無視した方が実害は少ない)
・ましてや「俺が言いたいのはそこじゃねぇよ馬鹿どもが」って態度をとらない
・「キモ認定された」記事(≒はてブ界での一種のトレンド)をネタにしてまた記事を書くと、「あなたそのもの」に「キモキモブランド」がつくので注意