はてなキーワード: 自己中心的とは
ある姫の71話まで読み終えたこのしんどい心のうちを吐き出させてくれ
まだクロードは治らない。。。というかどんどん話が悪いほうに向かっていてもうしんどいつらい悲しい のさなかに挟まれる尊さ。。アーティがルーカスに。。ふたりともかわいいねえ!!
アーティもそろそろ高校生くらいの年になるのにまだちっちゃい子のような感覚で見ちゃう
ジェニットも自己中心的なところは目立つけど、それはきっと周りが大人びてるせいだったり、幼少期の寂しさからくるものだったりするだろうからしょうがない。。。あと無垢すぎて心配
それでもアーティをかくまってくれてた時とか、アーティのために何でもするって意気込んでた姿はけなげでかわいい
というか幼少期から主人公の成長を追っていく物語の進み方的に、こっちも親目線になっちゃってアーティとかルーカスがかわいくってかわいくって仕方ない。。。
もしパパの記憶が戻らなくてもアーティとルーカスで幸せになってくれ。。。
あ、でもそれだとパパはジェニットと一緒にいることになって死ぬんだっけ?それは嫌だなあ
そういえばアーティの魔法の開花はすごすぎる 今まで自主的に勉強してたぶん魔法の知識とかの飲み込みも早かったのかな、えらいよアーティ。。
瞬間移動ができるなら、最悪殺されそうなときには逃げられるし、そもそも今の登場人物の中でチート枠っぽいルーカスが完全にアーティにホの字なので、アーティとルーカスで逃避行の旅もありかもね 今のところアーティにその気はなさそうだけど。。。
そして毎回こんなにも胸が締め付けられるのは、SPOON先生の描く登場人物の表情が絶妙だからなんだろうな
クロードパパが「ジェニットを呼んで来い」って言った時のアーティの表情は見てられなかった。。。悲しすぎて
最初は生き残るためのラスボス的存在だったパパに、アーティもあれだけの愛情を感じてたみたいなのが余計につらくなります。
72話まで私がしんどすぎて生きていけない可能性は ある。
あるいは怖くて逃げ出したり、
自己中心的すぎるが故にしなかったり、
運命に逆らってみたり
結局は自分の中の悪魔に従ってしまっていたがために招いた事態。
全くいいことないんだよ。
いや、ある程度はやってたんだよ。宿題。
でも、決定的なところで間違える。しない。
1学期まではちゃんとやってたんだけど、その後やってなかった感がひどい。
みんな人生の宿題やってるのに、一人だけ一日中寝てたり遊んでたりするから、差が広がっていて仕方がない。
間に合わせたいんだけど。
9月1日に宿題が終わらない人ってどうする人がいるか知ってる?
【追記 2020/04/04 7:36】
そうそう、これ。
私の場合決定的なところまで言ったんだけど圧倒的に間違えた。
この上なくいい人だったんだけど、踏ん切りがつかなくて諦めてしまった。
運命を受け入れればよかったのに。
それまでたまってた不徳が邪魔したんだろうなぁ。
【追記 2020/04/04 7:50】
心理的に言うと自己肯定感の問題、人格障害の問題とか他人との関係性の構築だとか
経済的に言うと稼ぐ基盤づくりとか(いちおう国家資格は持ってるけど)
勉強的に言うと、いやこれは特にないかな。稼げる資格を暇なときに取っておけ、ということか。
そういった、片付けておくべきことを片付けてこなかったツケなんだよね。
コロナがもたらす教訓2つ
まず感染した患者の治癒を祈り、被害者への追悼をささげたいと思う。
ところで、コロナウイルスはなぜ発生したのか?
と考えるとき、やれ陰謀だ、やれ責任はどこにある、という風に、
特定の国を政治的に糾弾するのは、もはや無意味だと考えるようになった。
だがそれはもはやどうでもいいことだ。
原因はともかく、その原因に至らせた何か大きな意志があったはずである。
そこに注目したいと思っている。
「コロナ」という名前を聞いて、「そういえば太陽の外側の熱いところがコロナって名前だったな」と思い出した。
コロナウイルスの外側のトゲトゲの部分に該当する。
YouTubeで「太陽が突然消えたらどうなるのか」という動画を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=KM1NxPNp6sU
これによると、数日で地球の気温は一気に低下し、
地熱のある暖かい地域を求めて人間が殺到し、人間社会は崩壊するようだ。
ふだん、我々は「日光はあって当たり前」「水はあって当たり前」
「空気はあって当たり前」「大地はあって当たり前」と思っている。
だが、そのバランスは、太陽と地球の距離をはじめとした奇跡的な成り立ちによって
ぎりぎり保たれているのである。
我々はそのおこぼれに預かっているにすぎない。
今回のコロナウイルスの件は、いかに人間が弱い存在かを知らしめるために、つかわされたものではないだろうか。
ちなみに、太陽表面は6000度だが、コロナが100万度まで上昇する仕組みはわかっていない。
いうまでもなく、我々はその強力な熱の恩恵で生活ができている。
2.コロナの前では、国・宗教・思想の対立はもはや無意味である。
もしあなたの自宅近辺が崩壊して、みんなで避難しようというとき、
「隣の家のとは長年ケンカしてるから」などといっていたら、そのまま二人とも逃げ遅れてしまうかもしれない。
そういえば、「地獄では、とてつもなく長い箸を与えられる」という話をご存じだろうか。
1メートルもあるような箸では、自分で料理を口に運ぶことができない。
鍋を囲んだもの同士で、お互いに箸で食物を運んであげる必要があるというわけだ。
地獄では、自分がどうやって食べるかしか考えることができないようになっているため、
どうしても食べ物にありつくことができない。自己中心的な人生を送った人間が、その席に集まるのだという。
1.自然の前には人間の力はちっぽけなものである。科学の力で地球をコントロールできると思う、傲慢さに対する罰ではないか。
弟も高熱でうなされたりぶっ倒れたり。
いや、無理じゃん。
まじで正直延期しか願ってない。
私には症状なくて、チケットがあって、開催されるのに、行けないとか、本当に、ない。
皆さんの安全のため、そりゃそう言うよね。
自分は今めちゃくちゃ少数派ですよ。
コロナの検査結果待ちで高熱でうなされてる家族が居る人なんて、報道されるくらい少ないですよ。
開催されれば、私は彼の初舞台に立ち会えない。元気なのに。チケットあるのに。お仕事お休みとったのに。
いやだ。
行きたい。でも行けない。だからやらないでほしい。
弟の検査結果で陰性が出るまで出勤出来ない。
SHOCKの再開、2日前なら喜べたのにな。
かかった弟が悪い?弟にうつした友達が悪い?弟と家族な私が悪い?
エンタメで生活してる人には本当に申し訳ないけど、私は行きたい、元気だから、でも行けない、
慮って発言してほしい。
やったー!って言えない人もいるんだよ。
ちなみに弟にうつしたとされる友達は、発熱からは自宅で療養してます。弟が会ったときには何の症状もありませんでした。
弟が違う所でもらってきたのか、症状がなくても人にうつすことがあるのかは分かりません。
震災のときもそうだけど、民衆に大きなストレスが掛かると厚かましい人たちだけがあぶり出されたように街なかに溢れ出すことに気がついた。
なぜなら理解のある他人に配慮できる人は、自粛して表立った行動をしなくなるからだ。
マスクは感染予防に役に立たない。トイレットペーパーはデマだから品薄にならない。
そういわれても、想像力を働かせることができず不安で仕方ないから買い占めに走る。
想像力を働かせることができないから自己中心的で他人への配慮ができない。まさに悪循環だ。
これは大小どこの組織でも言えることで、組織にストレスがかかったとき声高に文句ばかり言う人を絶対に信用してはならない。
その人は必ず、より大きなストレスが掛かったときに他人を蹴落としてでもまず自分の安全を確保することから始めるからだ。
上澄み液のようにその部分だけをそっと取って捨てることができれば、あとには丈夫な地盤が残る。
コロナ関係のまとめで色々批評されてるのを見て患者がちょっとしたパニックになるのは一般的なことなんじゃないかなって。いや自分は全然専門家でもないから何とも言えんのだけど。ちょっと古い本だけど『四訂 臨床医学入門』にこんな記述がありまして。
医療施設は医療専門職の援助を必要とする人々の集まる所であって,これらの人々は心理的にも不安定な状態であることが多い.医師や看護婦(原文ママ)の場合はその患者の状態を身体的,心理的,社会的に観察し,理解し,必要なケアを与えることが重要な任務となっているが,(中略)
患者にしばしば認められる一般的心理的特徴としては,自身の病状についての心配や,医療行為たとえば注射,電極の装着,手術などに対する不安,恐怖からノイローゼ傾向に陥ったり,自己中心的になって過度に他人の同情を求め,一方,無力感から自発性を失って依存的となり,周囲の人々の言動に対しては疑い深くなったり,怒りやすくなったりすることが多いといわれている.病院にはあらゆる性格の人が来るわけであるし,しかも病気ということでその基本的性格が不安定となれば,過剰な反応や病的反応が観察されても,ある程度は当然といってよい.(中略)
患者にとって白衣やユニフォームを着用した医療従事者は,どの人も自分を守ってくれる人,支えてくれる人であるはずであり,そのひと言その応対のしぐさにいたわりや慰めを期待したとしても,それを一概に依存的とか甘えとかいうことはできない.患者のその期待が無残にも打ち砕かれ,猜疑心,不信感,無力感から怒り,反抗的行動と進んだ場合にも,その原因となった当の医療従事者は束の間のすれ違いにも似て,まったくそのことを知らないこともある.(後略)
もちろん限度はある、限度は。またこれを見て医療従事者に甘えていいんだなどと思うことは勘違い甚だしい。医療従事者も大変である。ただ、一方で患者らがどうしても冷静でいられないというのはそこまで非難・嘲笑できることでもないんじゃないかとも思う。まあ小並感程度の話だけど。
同僚の結婚式が数週間後だったんだけど、それ時点までに日本がどれだけヤバくなってるのかわからんから
本当に心苦しかったけど考えた末に参加をキャンセルすることにした。
本人はいいよいいよって言ってくれたけど、
「常識じゃ考えられない」「自分の都合ばかり考える」「他にそんなこと言ってる人いないよ?」「そういうのは一生遺恨が残るよ」「ニュースじゃそこまで危なくないって言ってたのにバカじゃない?」
とか周りからはいろいろ言われた、なんか人間じゃないみたいな扱いをされたようだった。
これ俺がおかしいのかなぁ。
結婚式参加をキャンセルするような名目なんて身内の不幸くらいだって常識俺だって知ってるよ。
ただその間に超危険なウイルスが街中に蔓延するなんて状況、招待状を笑顔で受け取った俺は全く想定してなかったよ。
311だってちょっと過ぎたら放射能濃度が測定されて、「この場所だったらそこまで極端にビビらなくてもいい」とかある程度の根拠が示されてるけど、
今回マジでリスクが未知数じゃん、治療を受けられるのは極一部の人間として、そんな条件で死亡率が1%なのか10%なのか30%なのか本当のところは誰にもわからないじゃん
直接的に苦しんで生きるか死ぬかだぞ、なんなら自分のせいで大切な人まで死ぬ可能性だってある。
申し訳ないけど、数週間後日本で死者が数百名、式場周辺は相当に蔓延していますっていう情報がニュースで流れていたとして、
そんな中命と天秤にかけて足を運べる自信はなかった、だったら、本当にドタキャンになる段階よりは今のうちにキャンセルしようかなって。
薄情だとは思うけど、でもやっぱり自分の選択が間違ってるとは思えない。
楽観視してる人は、どこの情報を追ってるんだろうか。。
あ、仕事は今在宅勤務中ね。
コロナが大したことなければ俺は今後自己中心的で非常識な人非人扱いされて、コロナで大勢が死ぬような事態になればそのとき初めて俺が先見の明がある賢い情報通となる。
どっちも嫌だなぁ。
数年前に話題になったDoki Doki Literature Club!(DDLC)を今更ながらプレイした.と言っても最後までクリアしたわけではないが.
だから物語の結末を知らないし,このゲームの批評をあーだこーだ書こうという気も毛頭ない.
では何故こんなところにこんな駄文を書き連ねようと思ったか,それは今になってこのゲームに触れたこと,途中でプレイを諦めてしまったことにも関係がある.
まあ,一言で言ってしまえば自分の心理的な状態,気持ちの整理である.
普段は長文を書く習慣も無けりゃ読書もロクにしないことに加え,自分の感情を外に向けるといったことが出来なかった人間が整った文章を組み立てられるとは到底思えないが,どうしても書き留めて吐き出さないといけない気がしたのでこの場を借りることにする.
このゲームが話題になった当時,自分は鬱状態にあった.正確には医者にかかり鬱と診断されたのは2018年くらいのことなので,当時は自分が鬱だという認識は無かったが,振り返ってみればかなり酷い生活を送っていたと思う.それでも,精神状態が良くはないという自覚はあったようで,SNSの評判やnot suitable for those who are easily disturbedの注意書きを見てプレイはしなかった.
そして現在.未だに服薬中ではあるが一時より処方量も減り,身の回りの不安要素も軽減されて気分も上向きになり趣味や勉強に関わらず色んなことをやりたいなあと思っていたこともあって,思い出したようにDDLCをダウンロードした.正直,グロテスクな表現は好きではないがそれほど苦手というわけでも無かった(前情報がその程度の認識だった――これは大きな誤りだったが)ので,どんなもんかと軽い気持ちで起動した.
そこからは普通のギャルゲとなんら変わりなく読み進めていた.完全に自分の好みでナツキルートにするような形で進めたが,作中で文化祭が近くなってきた頃,主人公の幼馴染であるサヨリの様子がおかしくなる.これも,主人公のことが好きな気持ちを抑えきれずに他のヒロインに嫉妬してしまうよくある構図かなと軽く構えていた.が,主人公がサヨリの部屋を訪ねるシーン.彼女の部屋のインテリアは数年間ずっと同じまま.そこは酷く散らかっている(これはこの場面以前にも語られていた.)何かを隠し通そうとする言動.そして,朝起きられずによく遅刻をする,明るく元気に振る舞っているのは主人公の前だけ,という彼女の質や今までの言葉が脳裏に駆け巡ったとき,次のテキストで彼女が何を告げようとしているのかがハッと思い浮かんだ.鬱だった.まさに僕自身がそうではなかったか.自分を繋ぎ止めていたものが意中の異性ではなくとあるコンテンツであったという違いはあれど,自分がこの世に必要とされていないのではないか,何も出来ず生きているだけで周りに迷惑を掛けている自分に果たして価値があるのか,といった地獄のような疎外感(という表現が適切なのか分からない.僕はこの鬱屈として捻じ曲がった気分を表せる言葉を知らない)の中でもなんとか生を見出す理由になるものがどれだけかけがえなかったか.それがあるから頑張ろうと出来たことって沢山あったのではなかったか.そして自分が不安定なことを周りに悟られぬよう,自分で自分を騙し通すことの苦しみはどれほどのものだったか.どうしてもサヨリに自分を重ねてしまい,この辺りからゲームどころではなくなった.
幸いにも僕の場合はそれが自分の元から逃げ去っていくようなことは無く,いつでも逃避の先になってくれたし荒んだ気持ちを多少なりとも癒やしてくれた.安っぽい言葉ではあるが本当に心の支えとなるものであった.それは今も変わらない.しかし彼女はどうか.彼女は主人公自身の幸福に拘っていたが,実際のところはいつまでも自分の隣に居て欲しかっただろう.求めたら求めた分だけ応えてくれる存在でいて欲しかっただろう.そして何より,信頼していた人からの理解してあげたいという上辺だけの言葉は一層胸を深く抉っただろう.壊してしまったと言っていい.比喩ではなく本当に命よりも大切な存在を失ったとき,心の弱った人の行く末は.
そして一番ショックだったのが,他の誰でもない自分がこの選択の手助けをしてしまったということ.作中では,他人の趣味を馬鹿にするな,嫌な気持ちや恥ずかしい気持ちは他人と共有する,といったような他人を尊重し合うことの大切さが説かれていたのではなかったか.それでも僕は自分のためだけに好みの子と恋仲になるための選択を重ねていた.もう少し思いを巡らせて別の選択が出来たのではないかと思ってしまう.
ノベルゲームなんて筋は決まっているし,(分岐を抜きにすると)そこにプレイヤーの意思が介入することは無い.よって誰が見ても自分のこの思考は頭がおかしいんじゃないかと思うだろうし,自分でもそう思っている.恐らくゲームに向いていないんだろう.
だから,DDLCというゲームの登場人物として生み出された以上,サヨリというキャラクターの運命は決まってしまっている.どうあがいても避けられない結末がある.僕にも,他の誰かにもどうすることも出来ない.
この文章も,このどうしようもない罪悪感を打ち消すために書いているのかもしれない.それもまた自己中心的であるが.
とは言っても流石にゲームと現実の区別がつかないほどアレではないので,この体験をきっちりと消化出来れば良いなと思っている.他人に寄り添える人間でありたい.
何より,この一連の過程で迷惑を掛けている人が居ないのが幸いである.いや,こんな怪文書を不特定多数に発信している時点で迷惑極まりないな.
以上.
コロナウィルスもインフルエンザも、うつすバカがいるからうつるということを忘れてはならない。
そんなバカは自分が人にうつしてしまうことなんて気にすることがない。
だったら、マスクは感染予防に役に立つとしておいた方が、そうしたバカどもが喜んでマスクを付けてくれるようになる。
そうなれば自覚症状がない段階からマスクを付けてくれるようになり、それが結果的には感染対策になって全体の感染予防として働くようになる。
それなのにそんなバカどもにマウント取りたいだけでマスクは意味がないというやつはなんなのか。
バカにされるのが嫌いなバカたちがつまらない知恵をつけて我が物顔で感染拡大させるようになってしまったらどうするつもりなのか。
答えはYES。
それも、ないよりはあったほうがいいとかいう消極的な理由ではなく、むしろ全員がつけたほうがいいと思えるくらいの根拠がある。
なぜなら、こうした感染症が拡大する背景にいるのは、自らの感染に気付かず、自分は大丈夫だと拡散予防のマスクをせずに人前でKYな咳をする人間なので、そういう人間含めて全員がマスクをしていたほうが良いという結論になるから。
さらにこうした人間に限って、「マスクは感染させないために使いましょう」と言われるより「マスクは感染しないために使いましょう」と言われたほうが装着する可能性が高い。なぜって考えが自己中心的だからだ。
つまるところ、マスクの感染拡大を防ぐという正しい用法を広めるより、感染予防に効果があるとして広めたほうが、結果的には感染に対する抑止効果が期待できるということ。