はてなキーワード: 聖人とは
めっっっっっっちゃくちゃ汚い話だけど
もちろん洗うは洗うけど、あまりいじってはいけないと思ってたので控えめにしてた
初めてセックスした時に彼氏が射精したあとになんか頑張ってアフターケアをしようとティッシュで拭き取っていた時に彼氏のクセのあるチン毛にまあまあな量のマンカスが絡み付いているのに気づいて初めて自分のマンコはやばいんだと思った
というか最初はマンカスだと気付かなかったけどこれはなにかと考えてるうちに消去法で分かったのだけどむちゃくちゃショックだった
あんまり引っ張ったりとかできないからとりあえず彼氏に先にシャワーを浴びるよう導いたけど
次の日にバイト代を叩いてデリケートゾーン用の石鹸と保湿剤を買った 5000円した
今思えばあそこでお前汚すぎだわとか言わずにそこから1年くらい付き合ったの聖人すぎると思う
幸せになってほしい
野球は好きだけど、真面目に観戦してるとちょっとの負け展開やエラー、打てないだけでもすぐムカついてくる
でも、自分は仕事してるのでストレス溜めると生活や仕事にも影響が出る
例えばニートだったら野球だけで一喜一憂してても困らないけど、仕事してるとそういうわけにはいかない
………って考えて、最近はイライラする展開になったら早めにチャンネル変えたり、家事したりしてうまく回避してたんだが
結局「全くイライラしない試合」って「序盤から高得点入れて勝ち逃げ」ぐらいしかないわけよ
ストレス溜めずに楽しもうと思ったら、スマホの通知で得点をチラ見して
勝ってる日の終わりの方と、ヒーローインタビューぐらいしか見れないw
そんで後でハイライトシーンだけを見ると…
今ふと「これは楽しいのか?楽しくなくね?」みたいな気持ちになってきた
野球ずーっと見れるタイプの人ってよほどの心穏やかな聖人なのか
それとも、うちの父親みたいに贔屓の勝ち負けの度に周りに当たり散らしてるって事か…
やめたと言ってもずっとやってたわけではなく、この数ヶ月やってたのをやめただけなんだが。
はてなは昔から使っていた。それこそ、しなもんが健在だったり、コンビニ店長が人気だったり、オヤカタサマーが部屋に閉じ込められたり、そんな時代から使っている。(例に挙げたものに他意はない。なんとなく覚えてるだけ)
こう書くとはてな老害丸出しだが、昔のはてブは良かった。牧歌的な中でもトップブコメには切れ者が現れたり、時には手斧を投げ合ったり。
昔の良きインターネットサービスだったな。
俺はそんなはてブを眺めてるのが好きだった。
別に自分がコメントをつけなくとも良いと思ってたんだな。面白いブクマカによって埋め尽くされたブクマを今更自分が何か書き込むのも野暮だなと思っていた。
ホッテントリに入る記事の傾向も変わってきたし、かつての有名ブクマカもだいぶ減ったように思う。
まあそれでも良いなとは思っていたんだ。常に同じ状態を保てるサービスなんて無いし、時代が求めているものに変化しているんだろうと思っていた。
しかしだ。
ただでさえ頭のおかしい持論を展開するフェミニストだが、それだけなら良いとしても、自分たちの主義主張をゴリ押しするためにはてブをそういう形で使われるのは許せなかった。
それで、今年の頭くらいからかな、ついにはてブにコメント付け始めたんだ。
主には、スター工作を指摘したり、思想誘導記事やコメに対抗するためにという理由で。
幸いなことに運営も重い腰を上げてくれて、現在は少なくともスター工作は消え始めていると思う。
なので、そこでまた見る専に戻っても良かったんだが、しばらくブコメし続けて見ることにしたんだ。
一応の区切りとして1000ブクマを目標にして、そこでまたやめるかどうか考えようと思ってブコメを続けた。そうして先日ほぼ1000ブクマに達したのでやめた。
しかしたくさんスターがついても、トップブコメになっても、かつてはてブを見ていて楽しかった頃の気持ちには戻らなかった。
なんでこんな(悪い意味で)くだらないコメントつけてるのにスターが集まるんだろうなとか考えてしまった。
そうしたらもう辞めるしか無い。
しばらくブコメつけて改めて認識したけど、やっぱり今のはてブつまらんわ。
ホッテントリにあがる記事は、やれ誰が差別しただの、密になって騒いでるだの、ポリコレだの、クソつまらん記事ばっかりだし、
ブクマカはクソみたいな聖人気取りの偽善者みたいなのばっかりで、自分のこと棚に上げてダブスタ満載で誰かを叩いたり、怒ったり、
クソフェミは相変わらず湧いてきてるし。
何が面白いんだこれって思うわ本当に。
この前、中国がSNSでデマ流して工作してるって記事を見かけたけど、中国人かどうかは知らんけど、はてブもそういうのに汚染されてるんじゃないかと思うことたくさんあるんだわ。
日本死ねって書いたら国会で取り上げられるようなプラットフォームになってしまったんだから、そりゃ工作もするよな。
まあそんあ感じでもう見てるのも疲れてきたので、つけたブクマは非表示にしたし、ホッテントリをチェックするのもやめた。
お前らが楽しいと思って続けてるんなら、別にそれを止める気はないし、そのまま続けてればいいと思う。
俺はもう降りる。
とか言って、またすぐに戻ってくるかもしれんけどな。はてなは好きで使ってたわけだしな。
まあ、とにかくしばらくはお別れだ。
じゃあな。
小室圭って本当にしょうもない人間だと思うんだけど、この場合しょうもなけばしょうもないほどいいというか、未来の天皇の姉君ともあろうお方が、小室圭とかいう小っちゃくてくだらない人間と結婚できてしまうってのがいいよな。
昭和天皇が人間宣言した後も、天皇家は特別であることが求められたわけじゃない。神ではなくなっても聖人である必要があった。それを推し進めたのは、あるいは本人の意識に関わらず推し進めてしまったというべきかもしれないが、いまの上皇様だと思うんだけど、ここに来て小室圭ですよ。
いやこれは本当にすげーよ。日本で最も高貴な血筋である以上、どうやったって結婚相手の格は落ちるわけど、それにしたって今までは旧華族やスーパーエリートを持ち出して、なんとか権威維持に努めてたわけじゃない。そこをいきなり小室圭ですよ。あの小室マザーから生まれた小室チルドレンですよ。皇族どころか自分の娘が結婚相手として連れてきてもハズレだと思うような輩だよ。でも、繰り返しになるけど、それがいいよな。
だって人間だもの。神じゃないし、聖人じゃないんだから。普通の日本の娘と同じように、皇族の娘だって誰と結婚していいわけじゃない。ニガーでも犯罪者でも小室圭だっていいんだ人間だもの。人間は愚かなんだから、人間宣言したなら愚かな結婚だってしたっていいんだよ。
これは令和の人間宣言だよ。高貴で特別な人たちが、小室圭という俗物を取り込んで、とうとう僕らと同じ人間になった。サンキューまっこ。
小室圭って本当にしょうもない人間だと思うんだけど、この場合しょうもなけばしょうもないほどいいというか、未来の天皇の姉君ともあろうお方が、小室圭とかいう小っちゃくてくだらない人間と結婚できてしまうってのがいいよな。
昭和天皇が人間宣言した後も、天皇家は特別であることが求められたわけじゃない。神ではなくなっても聖人である必要があった。それを推し進めたのは、あるいは本人の意識に関わらず推し進めてしまったというべきかもしれないが、いまの上皇様だと思うんだけど、ここに来て小室圭ですよ。
いやこれは本当にすげーよ。日本で最も高貴な血筋である以上、どうやったって結婚相手の格は落ちるわけど、それにしたって今までも旧華族やスーパーエリートを持ち出して、なんとか権威維持に努めてたわけじゃない。そこをいきなり小室圭ですよ。あの小室マザーから生まれた小室チルドレンですよ。皇族どころか自分の娘が結婚相手として連れてきてもハズレだと思うような輩だよ。でも、繰り返しになるけど、それがいいよな。
だって人間だもの。神じゃないし、聖人じゃないんだから。普通の日本の娘と同じように、皇族の娘だって誰と結婚していいわけじゃない。ニガーでも犯罪者でも小室圭だっていいんだ人間だもの。人間は愚かなんだから、人間宣言したなら愚かな結婚だってしたっていいんだよ。
小室圭って本当にしょうもない人間だと思うんだけど、この場合しょうもなけばしょうもないほどいいというか、未来の天皇の姉君ともあろうお方が、小室圭とかいう小っちゃくてくだらない人間と結婚できてしまうってのがいいよな。
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小室圭って本当にしょうもない人間だと思うんだけど、この場合しょうもなけばしょうもないほどいいというか、未来の天皇の姉君ともあろうお方が、小室圭とかいう小っちゃくてくだらない人間と結婚できてしまうってのがいいよな。
昭和天皇が人間宣言した後も、天皇家は特別であることが求められたわけじゃない。神ではなくなっても聖人である必要があった。それを推し進めたのは、あるいは本人の意識に関わらず推し進めてしまったというべきかもしれないが、いまの上皇様だと思うんだけど、ここに来て小室圭ですよ。
いやこれは本当にすげーよ。日本で最も高貴な血筋である以上、どうやったって結婚相手の格は落ちるわけど、それにしたって今までも旧華族やスーパーエリートを持ち出して、なんとか権威維持に努めてたわけじゃない。そこをいきなり小室圭ですよ。あの小室マザーから生まれた小室チルドレンですよ。皇族どころか自分の娘が結婚相手として連れてきてもハズレだと思うような輩だよ。でも、繰り返しになるけど、それがいいよな。
だって人間だもの。神じゃないし、聖人じゃないんだから。普通の日本の娘と同じように、皇族の娘だって誰と結婚していいわけじゃない。ニガーでも犯罪者でも小室圭だっていいんだ人間だもの。人間は愚かなんだから、人間宣言したなら愚かな結婚だってしたっていいんだよ。
2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき
『アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後はハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)
しかし、物語でロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。
彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスルの葛藤は、その象徴的な物語だ。
トップジョイのスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイとシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。
それまで、シルバーキャッスルのメンバーはトップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスルに好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。
ラフプレーは、トップジョイのスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合で決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。
それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。
フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスルの意志であり、同時に、シルバーキャッスルがシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイのラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定の目的(つまり意志)を持った集団は、その目的や意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。
そしてトップジョイのスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。
シルバーキャッスルのリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである。
そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。
仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。
トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから。
『アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルのリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。
シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身の意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正面から描き出す。
しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望を提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルのメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。
トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志を最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスルや子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。
しかし最後、トップジョイは自らの中にあった意志の相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分の意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイは意志を固め、それを全うした。
シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイがシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為は簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身がトップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身の意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。
『アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想なロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれたトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去の呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。
『アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並みで申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。
ロボットという存在が、人間の隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かに『アイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球の試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。
結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩、象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界でロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである。
『アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間もロボットも、同じ意志や感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルのロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれたものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。
マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグと過去を、極十郎太は剣士としてのプライドと固定観念を、キアイリュウケンは自分に与えられた役割と機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。
S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である。
そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。
そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットがスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ、子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割や立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子どもは子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである。
覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというものは不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。
意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。
『アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品に出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。
おわり
※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品のテーマというものは、作者が自分の表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品の受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマと受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマの解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというものは存在しないし、作者が作品にテーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手がテーマを見出そうと見出すまいと、それは作品の本質には何ら関係がないのである。
大会で優勝を重ねたり、ゲームだけで食っていけてる層。そのゲームが好きでやっており、自然に運営に影響を与える。
聖人が多いが、自分より下のプレイヤーに興味が無いだけなので聖人に見えるという説が濃厚。
そのゲームで食うために運営に文句言ったりする層。生活が懸かってるので基本ゲームは真剣にやるし上手い。
ゲームを面白くするアドバイスではなく、自分が安定して勝つためのアドバイスを運営にして来る。ゲームの寄生虫。
Pengu
・ガチ勢
現実で上手く行ってないので、真剣にやってないエンジョイ勢を見下しプライドを保っている。
人気を得るためにゲームをやってる層。別にそのゲームにはそこまで興味が無いので、運営に愚痴るが具体的な指摘は出来ない。
基本的に時間をかけてるので上手いが、プロレベルではない。プロストリーマーにキャリーしてもらったりしてる。
FPSがブルーオーシャンだった時代に参入した元プロゲーマーが居て神格化されているが、正直言ってそこまでうまくない。
現実が上手く行ってるので、ゲームをコミュニケーションの道具程度にしか思ってない。それかストレス解消
ゲーム技術が向上するとガチ勢とのすれ違いが生じ、また別のゲームに消えていく。
俺
人気もなくゲームプレイもエンジョイ勢に毛が生えた程度かそれ以下、頭が良くないで運営に改善点も言えない。
コロナウイルス:世界はニュージーランドの封鎖の動きにほぼ1週間反応します
ニュージーランドが封鎖されて6日目に入ると、世界はCOVID-19の発生の中で国を閉鎖するというアオテアロアの動きに反応しています。
現在、発生は107件あり、そのうち35件が月曜日に報告されました。
ジャシンダ・アーダーン首相は月曜日に、ニュージーランド全土が少なくとも金曜日の午後11時59分までCOVID-19アラートレベル4の封鎖に留まり、オークランドは火曜日の少なくとも同じ時間まで封鎖されると発表しました。
オークランドで1件の事件が見つかった後、先週の火曜日に国は警戒レベル4の封鎖に入った。それ以来、世界は、単一のCOVID-19症例に続いて封鎖するという決定について、当惑に反応してきました。
GBニュースのマーク・ドーランは、ニュージーランドを封鎖したことでニュージーランドとジャシンダ・アーダーン首相を狙った。ドーランは彼のイブニングショー、マーク・ドーランとの今夜のライブで独白を制作し、封鎖とニュージーランドが「通常に戻る見込みがない」と批判した。
「ニュージーランドでは事態は悪化の一途をたどっています」とドランは言います。「聖人の首相、ジャシンダ・アーダーンは人々に隣人と話をしないように注意を促した。
「ニュージーランドを2つに分割して、インディアンデルタの発生と戦うという話もあります。これは、ニュージーランドが21件の待機を記録しているためです。
「オーストラリアとニュージーランドは、今後数年とは言わないまでも数か月間は正常に戻る見込みがないため、COVIDのようなウイルス、特にデルタ亜型を阻止しようとするとどうなるかについての有益な教訓です。
「このウイルスと一緒に暮らすことは、町で唯一のショーになるでしょう。ゼロCOVIDは、ゼロ経済、ゼロ社会、ゼロ自由、ゼロ民主主義につながります。」
UKTelegraphのLouisAshworthも、現在のCOVID-19アプローチは「過去への一歩を踏み出す」ようなものであるとアーダーンに狙いを定め、ニュージーランドがその排除戦略を将来も継続できるかどうかを疑問視しました。
「トイレットペーパーの不足。強制マスク。単一のCOVID-19スプレッダーの動きに夢中になっている国。ニュージーランドの現在のニュースサイクルを見るのは、過去に一歩踏み出すようなものです」と彼は書いています。「いわゆる「オークランドクラスター」は、世界最南端の国でのウイルスのほとんど信じられないほどの制御の期間を終わらせると脅迫しています。
「この国は現在、近隣のオーストラリアと共有されている「ゼロCOVID」戦略の最後の真の支持者であり、同様に低いワクチン接種率の中で独自の努力が崩壊しているのを見てきました。」
Telegraphはまた、ニュージーランドのワクチン接種の展開が遅いことを例外とし、私たちの「待って見る」スタンスの不足を説明しました。
「接種率が低いことは、ジャシンダ・アーダーン首相の政府が昨年取った「待って見る」スタンスの不足を示しています。昨年秋に線量を確保するためにスクランブルをかけたコロナウイルスに国際的な仲間がさらに窮地に立たされたため、ウェリントンはより慎重になり、試験情報を待っていました。最悪の影響を受けた国々を優先するよう呼びかける」と述べた。
テレグラフの別の作家は、ニュージーランドをレベル4の封鎖に移行するというアーダーンの決定について残忍な意見記事を書いた。マシュー・レッシュはこの決定を「詩的な正義」と呼び、ニュージーランドのアプローチは「恐ろしい結果」をもたらしました。
「私たちは今ワクチンを持っています」とレッシュは書いています。「独創的なジャブは、ウイルスによる入院と死亡のリスクを大幅に減らします。それらは、リスクがゼロであること、さらに言えば、症例がゼロであることを意味するものではありません。
「しかし、彼らは計算を変えます。排除は非常に限られた利益で費用のかかる戦略になります。ワクチンが混在していれば、もはや個々の人々にそれほど害を及ぼさないウイルスの封鎖と閉鎖境界の維持のポイントは何ですか?
「ニュージーランドはこの実現に至っていません。過去17か月間、「ゼロリスク」を崇拝しており、戦略の更新にはほとんど関心を示していません。
「ニュージーランドのゼロCOVID戦略は恐ろしい結果をもたらしました。
「かつて歓迎されていた国は孤立したディストピアに変わりつつあり、そこでは自由が鼓動で奪われ、部外者は敬遠されます。破壊的で心理的に破壊的な封鎖の絶え間ない脅威の下で生きています。
「市民の旅行能力が制限され、外国人の入国が大幅に妨げられたため、世界に閉鎖された。アーダーンが計画した開かれた、歓迎的な自由主義国家にとっては、これだけだ」
世界はニュージーランドを批判しているかもしれませんが、キウイはユーモアのセンスを失っていません。ハッシュタグ「#NZHellhole」は、当初、ドナルド・トランプ前米大統領がCOVID-19の対応でニュージーランドを呼びかけようとしたことに対する対応でしたが、先週火曜日にニュージーランドが封鎖されて以来、再びトレンドになっています。
あるツイッターユーザーは、「4か月前にオーストラリアからここに引っ越しました。ひどいです。この#NZHellholeに近づかないでください。嫌いです!」
Google翻訳による
親父は口下手を言い訳にしてるだけだし、息子は親父の口下手を言い訳にして逃げてるだけ。
FF14というゲームもぶっちゃけ大縄跳びでストレス製造機としての側面が強い。
基本的にネトゲのプレイヤー、それもロリ系のキャラを使ってるのなんて20%はロリコンの性癖異常者、40%はブリっ子、30%は個性的なキャラ使う自分に寄ってる自称ゲームうま奴(動き覚えた?みたいな連中)。
そんな中で出てくるララフェルが2人とも聖人のこの映画はなんなんだろう。
タンクとヒーラーなんて攻略の必須パーツながらも地雷が多いし、真っ当に遊んでたのに責任転嫁されてキレて壊れてしまったプレイヤーだらけだ。
お父さんというお荷物がパーティーに貢献できたのもDPSというヌルジョブだったからだ。
それとDPSは一つのパーティーに複数いることが出来るからDPSチェックについて息子がサポートすることでフォローすることも容易だ。
もしもこれがヒーラーやタンクだった場合、覚えることの多さと誰もフォロー出来なさによって全てが崩壊していただろう。
その重責をララフェルが吸収してくれたんだ。
凄いぞアイツら。