はてなキーワード: 聖人とは
眠れなすぎて布団の上で2時間ぐらい考えていたら気づいてしまったんだ。
第1の自分とは自分自身であり、第2の自分とは自分を客観的に見てツッコミを入れてくるアイツのことだ。
そのアイツと自分を更に俯瞰的に見るもうひとりの第三者を心に描き、その人格を健全かつ包容力抜群の聖人とし、その聖人にこの世界のすべてを大らかに肯定させることでメンタルの問題はだいたい解決する。
心が傷ついた時に宇宙の広さを考えることで問題を矮小化する技術があるが、あれをより健全な方向に進化させたものだ。
第3人格聖霊「いいえ。この程度で死ぬべきであるのなら、この世界の誰もが死ぬべきなのです。誰もが死ぬべきなのでしょうか」第2人格「そうだ。誰もが死ぬべきなのだ」
第3人格「誰もが死ぬべきであるとは誰が言っているのでしょうか」第2人格「聞こえないのかこの世界だ。この世界の全てがこの世界の全てに死ぬべきであると語りかけている」
第3人格「もしもそうであるならその世界そのものがとっくに死んでいるはずでしょう」第2人格「そうだ死ぬべきなのだ。世界は滅びるべきだ」
第3人格「ですが世界は滅びていません」第2人格「そうだ。つまり異常な状態になっている。正されるべきだ」
第3人格「逆に考えてみませよう。世界は滅ぼし合おうとなどしていないから滅んでいないのだと」第2人格「なんだと?つまり世界は私に嘘をついていたのか」
第3人格「その認識は半分だけ誤りです。世界がそう言っていると主張することであなたをコントロールしようとするものが過去に存在しただけです」第2人格「つまりソイツを滅ぼすべきなのだな」
第3人格「いいえそうして滅ぼし合いの世界に巻き込まれるのは無意味です。そんな自分のことを棚に上げるような馬鹿は放っておきなさい」第2人格「バカを滅ぼさなくていいのか?」
第3人格「滅ぼし合いの世界に生きている人に合わせる必要はありません。必要とあれば反撃は必要ですが、こちらから接触しようと近づく必要すらないのです」
第1人格「な ん だ こ れ」
といつの間にかマジメに考えるのがバカバカしくなって、いちいちアホみたいな思い込みに振り回されずに淡々と事実だけで世界を見とけばええんやなと正気に戻れるのだ。
マイナスの加速した精神に加速したプラスをぶつけることで対消滅を起こす。
「世間は思えを許さないよ」論法を多用するクズ同士によるコントロール合戦に疲れ切った現代社会を生き抜くこれからの宗教はコレだ。
つうかマジで「お前のような奴は滅びるべきだと世間は言ってるよ」で人をコントロールするやつはアホなので無視していい。
ロバを売りに行く親子の正解あてを毎回してくるようなものだから相手する価値がない。
ちなみにこれは相手の気持に対してグルグル考えてしまったときも同じで「結局これってロバ売りの正解を当てにこさせられているのでは?」と思った段階でとりあえずでぶっぱしちゃっていい。
そのとおりよ、デルタ株はワクチン接種完了者でも他人に感染す。
でも双方ワクチン接種済み(あるいは双方が30代前半くらいまでの若者)なら、少なくとも自分と親しい人はほぼほぼ重症化せんわけでね。ほとんどの人にとってはそこが重要なんです。
見も知らない人の命なんか殆どの人は別段守りたいと思ってない。去年は自分の親や祖父母の命がかかってたから皆我慢した。今年はその層がだいぶワクチンで守られてるのは大きな違い。
(30代前半までの若者層は親がまだワクチン打ててない中高年ってのが普通にありうるから、その場合は去年と同じように親には会うのやめといた方がいいと思うけどね)
だからこそ重症化しやすくてワクチン未接種の中高年層の自衛が今は一番大事です。「オリンピックやってるし街の人出は超満員だからワイもええやろ!」って思って、若い人の真似してハメ外して死んじゃうようなことがないように。
去年の春頃「若者が感染を広げる! 若者が外に出なきゃいい!」って悪口言いながら外ほっつき歩いてた高齢者が叩かれてたけど、そういう年寄りを「老害」と思って叩いてた身としては、同じ愚を犯したくはないもんですから。
もし自分にろくな得がないのに、見ず知らずの未接種中高年を守るために自粛してくれる若い人なんかいたらもう聖人ですよ。皆で距離を保ちつつ伏し拝んで感謝せにゃならん。
人殺しの顔しろとか言って叩いたり、一生後遺症で苦しめなんて脅したって、そんなこと言う見ず知らずの中高年の命なんか守ろうと思ってくれるわけないですわ。
スペック→まずブス。いい歳こいて処女。マジ攻めいる価値のない砦。
自分が男でも絶対お断りすると思う。ていうか女でも友達になりたくない。今の友人は聖人過ぎる。そんな聖人は当たり前のようにもう結婚している。
まずは食事でもしてそれからっていうやつで、すっごい楽しかった。
来た人は結構イケメンだった。イケメンとディナーっていうのがもう既に優越感ヤバかった。金で買ったディナータイムで優越感とか感じる性格だから喪女なんだって思った。
本当にいい週末だった。
で、食事が終わった後、イケメンから急用が入ったから今日はこれで終わりって言われた。
サイトからクレームと返金依頼出そうと思ったら、問い合わせの注意書きに男性キャストにも選ぶ権利があるって書いてあった。
金もらっても抱きたくないってもうすごいな自分。そして結局数万払って美味いのかどうなのかわかんない洒落たフレンチ食わされただけでも、まぁイケメンと一緒だからいいかとか冷静に考える自分はもう終わりだと思う。終活すっか!!
禁酒をしている。と言ってもやっと3週間目だが。
これまで毎日のように酒を飲んでいた人間にとって3週間の禁酒はとても長いようで、体が少しずつ酒を飲まない人間のものに近づいてきたのか、大きな変化がいくつも現れて困惑している。
どこの禁酒ブログにも書いてあるような体調の変化については省略するが、最も大きな変化について書きたい。
食欲、性欲、金銭欲、そして何より承認欲求。それら醜い欲求が酒を飲んでる時に比べて明らかに増している。
これまでは1人でいる無為な時間の寂しさを酒が誤魔化し、スキップしてくれていた。翌日もその翌日も寂しい人間であることは変わらないのだが、その事実を直視せずに済んでいた。
酒を飲まなくなり、自分が如何に寂しい人間であるかを直視せざるを得なくなって、その結果なのか承認欲求が凄まじい。
昔ながらの宗教が酒を厭うのは酒を飲みたいという欲求と戦うためでなく、酒によって誤魔化されていたもっと強力で多様な欲求と正面向かって戦うためなのかと気づいた。
これまでは承認欲求を満たすために異性を求めたり、SNSに時間を費やしたりする人間を馬鹿にしていたが、どうやら本来の私はそちら寄りの強欲な人間であったらしい。それをアルコールが包み隠してくれていたようだ。
そして社会には酒も飲まず、異性やSNSにも居場所を求め過ぎない、依存していないような人間が数多く存在している(ように見える)。
酒を飲まずに1人の時間と戦う彼らの凄さを讃え、もっと多くの人に認識して欲しい。彼らはかつて宗教の中で欲求と戦った聖人と同じくらい立派な人間だ。