はてなキーワード: 森永とは
わりとテレ東ドラマはいつでも熱いのかもしれないけど、今期は(?)特に自分の中で熱い
テレビ捨てたけど、きのう何食べた?が気になりテレ東アプリをダウンロードした。
確かに何食べはおもしろくて和む!漫画を知らないから似てるのかはわからないけど、キャスティングも最高!
でも、何食べだけじゃないんだ!!!他にもあるんだよ!!!それを誰かに伝えたいけど友達いないからはてなに書くよ。
最高。なにが最高ってこれもキャスティングが最高。
主演の上川隆也さんが素敵なのはもちろんのこと、今回から奥様役に抜擢された吉行和子さんの可愛さ…もうこれがたまらなく良い!
毎回「西園寺…」と呼びかける場面があるんだけど、もう、愛らしい!いじらしい!
先週のチマタの噺(これもテレ東)という鶴瓶が司会の番組にゲスト出演してお話しされていたんだけど、吉行さん自身も素敵な執事とのやりとりを楽しんでいらっしゃるらしく、それを知ってから見るとまた楽しい。
執事は上川さんの他に浅利陽介さんと森永悠希さん。浅利さんは今のところ第1話のみ出演。それを引き継ぐような感じで森永さんが2話から新米執事として西園寺と行動してるんだけど、浅利さんも森永さんもなんとも愛らしいキャラクター。最高。
また、メイド役には池谷のぶえさん。おおらかでお茶目な頼れるメイドさん。そしてなんだか池谷さんって妙に色っぽくて見入ってしまう…最高。
正直言って、犯人は大体始まってすぐの段階でわかってしまう…。
ベテランバイプレイヤーが出てくると、おっ…と思ったりしてしまうけど、各話ごとのバイプレイヤーも豪華なので最高。
最高。元気が出ない人に見て欲しい。もしかするとセクハラに悩まされている方は見ない方がいいかもしれない。ただ、バカで明るいエロと言うと変だけど、そういうのが苦手でなければぜひ見てほしい。よくもまあこのご時世に…!と思った。個人的には否定ではなく肯定的に。
まず、最初に見ようと思ったきっかけは松尾 諭さんがメインキャストだったこと。私の勝手なイメージで松尾さんが脇役ではないのが珍しいと思ったから(珍しくなかったら申し訳ない)2話から見始めた。
そしたら竹中直人さんまで出てるわモルモットも出てるわ、各話のヒロインがこれまた絶妙な美女ばかりだわで…最高。
もう一人のメインキャスト和田正人さん。今まで吉木りささんの旦那さんってことしかよく知らなかったけど、妙にちょんまげと着物が似合う粋な俳優さんでアクションもかっこいい!目がクリクリで可愛らしい。最高。
松尾さんの弥次さんは新しい弥次さん像(?)というか、ちゃんと眼鏡もかけていて良い。毎度の如くコスプレしてるのもおかしくて良い。実家の金を使い果たすようなダメな男なのになぜか憎めないキャラクターで最高。
松尾さんと和田さんも、ちょいとオーバーすぎはしませんか!?という演技だけど、なんかとにかく憎めない愛らしいキャラクターの2人で最高。毎週2人のゲス顔を拝むのが楽しみになるので見てほしい。
ドラマの仕立て方が変わっていて、最初に案内人として噺家の瀧川 鯉斗さんの語りから始まるんだけど、これも最高。元暴走族で噺家で甘いマスクという話題に事欠かないような瀧川さんの少し緊張した様子の語りが良い!たまに演技もするけどそれもまた初々しい!憎い色男!最高。
竹中直人さんは竹中直人さんそのまんまで出ていたので驚いたけど、十返舎一九先生について調べてると、これでいいんだ!という気もしてくる。もう竹中さん最高。モルモットの大福とのツーショットも良い。そして大福への思いを語ったインタビュー記事があるので番組ホームページを見てほしい。安易に可愛いだのそんなこと竹中さんは言っていない…最高。
そんな竹中さん演じる一九先生からの原稿をまだかまだかと心待ちにしている版元の村田屋役、多賀 勝一さんも最高。可愛らしい。可愛らしいんだよ。もう。最高。
基本的に美人にウハウハ!ブスと年増にゃ ケッ!な弥次さんと喜多さん。だからブスな私には「ぐぬぬ…コンニャロウ…」と思うシーンもそりゃあるけど、全部ひっくるめて笑いに変えられるから楽しい。最高。
とにかく愛らしいキャラクターで飽和状態の今期のテレ東ドラマ!!!
なに食べだけじゃなくてこの2つもぜひ見ておくれよ〜
やじ×きたがテレ東アプリの中のランキングに入ってないと切ない…
はっきり言って個人的にこの2つのドラマはなに食べと比べたら少し安っぽいところがある…。なにがどう安っぽいのかわかんないけど、なんか話の流れが読めてしまうストーリーとか、そんなとこかな?
でもそれって悪いことばかりじゃなくて、妙な安心感がある。私は精神がおかしくなってからテレビを見るのが怖くなって捨ててしまったのだけど、その妙な安心感がこの2つ(なに食べも合わせれば3つ)のドラマにはあるから延々とリピートで見てしまう。
心がざわついてテレビを見るのはしんどい。でも音楽を聴いているだけだと寂しい。人の話し声が恋しい…そんなときにあってほしいドラマが今のテレ東にはある。
もうやじ×きたは中盤だけどさ…
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。」
以上の、この記事のまさに核心と言える部分の4文。増田お前...一度好きになったものはずっと同じ熱量で好きでいろと、本気で言っているのか?自分もそうしているのか?増田には前ジャンルがないのか?前ジャンルの作品も同じペースで生産し続けているのか?もしそうだとしたら、いつか許容量超えしないか?つまり、増田の望みを叶えることは、物理的に無理なんじゃないか?って言いたい。
小さい頃から好きだった食べ物を死ぬまで変わらずに好きで、なおかつ同じ生産者にコンスタントに金を落とし続けるなどの「(増田にとって)信頼感ある」行動まで必要で、それができる人間以外は増田にとってはみんな「嘘つき」なのか。いやもうこの世の全員が嘘つきだし、増田にとっては「信頼できない存在」なんだな。
他人の好きな物が変わり、その行動が変わったことに対して、誠意?などの倫理観まで踏み込んだ感情をいだくというのは、実年齢(想像)と噛み合っていない精神性を感じる。
自分の好きな人が、自分のために好きなことをしてくれなくなった。
その事実を「好きな人」の精神的欠陥のせいだ、と罵る感覚は、多くの人が幼児期〜児童期に折り合いをつける類の精神的葛藤だと思う。増田が小三くらい(この世界での滞在がまだ10年)だったらこの記事は最もだな、がんばれ!と思うが、文体からおそらく18歳以上と思われるし、いいかげん分別をもった思考をしてほしい。
「超お気に入りのお菓子の販売が終了した。メーカーは全然違う味で、似たような見た目の商品を販売しそれが大ヒット。私の大好きなお菓子は販売終了にしたくせに。メーカーが憎い。今までの宣伝や製造はなんだったの。一度作り始めたものは私のために永遠に作れ。メーカーは嘘つきだ。」商業製品と同人作品の違いは大きいが、同じ製品を何十年も作り続けることは本当に難しい。ミルキーとか森永のキャラメル、カプリコ、チョコモナカジャンボ、ガリガリ君、そういった錚々たるラインナップしか思い浮かばない。
そんな恐ろしいほどの数の支持と企業努力の果てに生産され続ける製品と、いち同人作家の生み出すいちカップリングの創作物との次元の違いを考えれば、増田の望む「半永久的なカップリング愛」というのは、そもそも無理な話であることがわからないか?
あと、個人的に気になった点だが、増田はその神と同じカップリングで創作していたんだよね?同じカップリングものとして、尊敬する神をフォローするのはふつうのことだし、そこから交流が始まって、神のAB熱を刺激することで、神とABとの関係もまた変わったのではないかと思うとすごく勿体ない。そこまで神に期待するなら、読み専ならともかく、書き手であるならさっさと好意を表明して、物理的な囲い込みをダメ元でも試みるべき。
なんの努力もしないで相手を嘘つき呼ばわりするって、そうとう危険な思想だと思う。増田は自分をやべぇやつと認識しているようだが、「やべぇ」の内訳をしっかり把握して、矯正したほうがいいと思う。そんな幼稚なクソデカ感情をかかえて生きていて、友達や職場から弾かれていないか?とか勘繰ってしまう。同人活動における自分の異常な(少なくとも平均からかなり外れた)感覚や行動を材料にして、人間としての成長に繋がる自省をしてみることを強く願う。
「森永」
「森崎」
「中園」
「園井」
文字だけを頼りに物語を追ってると、漢字から受けるイメージが結構重要じゃないですか。
漢字の字面がキャラの顔っていうと言い過ぎかもだけど、初めて読む作品はキャラクターとも全て初対面なわけです。
リアルで一日にこんなに初対面の人といっぺんに会うことって、私はまずない。
しかし、その文字だけの世界で同じ漢字を使ったキャラが現れると混乱する。
あれ?この漢字のキャラすでに出てるけどなんて名前だったっけ?
どこに出てきてどういうキャラだったっけ?
見当がつきそうならその場で遡って読み返して確認する。
漢字が被ってるだけでそれが伏線になることもないことがわかれば、安心してそのまま読む。
どのへんに出てるかがわからなくなってしまったりしてる場合は、もやあっとするけどがまんしてそのまま読む。
でも、もやあっとはしてる。
どのへんで、どこででてきたキャラだっけ、と漢字被りしてるキャラが出てる間、ずっともやあっとする。
歴史物とかで、一族は同じ文字を必ず使うしきたりだったら仕方ない。
しきたりだから。
リアルでも同じ姓の知り合いいたり、似た名前の知り合いができてしまうことは普通にあると思います。
私も同じクラスに自分と同じ名前のクラスメイトが二人(自分を含めると三人)いたこととかあるし。
(名前で呼ばれていた子はそのうち一人だけだったので事なきを得た。)
でも!!!
漢字が被らないようにコントロールすることは可能ですよね!!!???
このキャラにこの漢字を、とか、この音を、っていうこだわりはあるかなーとは思います。
でも、文字だけの世界で漢字が被ったり、音が被ったり(特に初めの二音)っていうの、マジで読みにくい!!
番組では、情報番組コメンテーターのニュースに対する理解力をみるため、
難関中学の入試問題を用いて検証していた。そこで大宮開成中学校で出題された「少子化対策」について、森永氏が50字以内で解答する。
森永氏は満点の解答を導き出すも、枠外に「※イケメン税が効果的」と付け足されていた。
この詳細をたずねられた森永氏は「子育て支援してもほとんど意味がない」として、現在の日本の最大の問題は未婚率の上昇だと指摘したのだ。
その上で「なぜ結婚できないか。この本質はイケメンが女を独占しているから」だと持論を展開。
さらに合コンなどで良い思いをしているイケメンにごっそり課税して、その税金を「ブサメンやキモメンに分配」すべきだと主張した。
彼らの見栄えやトーク力の上昇に役立てるべきだと唱えていた。
なお、この森永氏の主張は世界中で大きな反響を呼び、ブラジルのテレビ局から「その政策を聞きたい」と取材を申し込まれたということだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/12915863/
増田を濃縮した感じだな。
今日残業で小腹が空いたので、会社の自販機で久々に買って食べた。
前から「牛乳プリンの太陽のキャラクターってコジコジに似てるよなー」と思っていた。
思い立ってふと調べてみた。
さくらももこが生まれるはるか前、昭和27年に生まれた森永オリジナルのキャラクターらしい。
多分私以外は誰も何とも思わないだろうが、少なくとも私にとっては衝撃的なニュースだった。
しかし。さらに調べてみると、世界観や雰囲気に通じるものがあるとの理由から、数年前にコジコジとコラボしたパッケージの牛乳プリンが実際に売られていたようだ。いやちょっと関係あるんかい……。
そしてもう一つの衝撃。
あ、そういう名前だったんですね……。
いわれはホモ牛乳だそうな。まあそれは納得するけど。
別にやましいことは何もないけど、どこかのタイミングで改名とかいう話にはならなかったのか気になる。
私は無知のままでいた方がよかったのかもしれない。
法治国家を否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。
しかし、日本が人治国家になったら法律は無用=法務を専業とする弁護士も不要となり、自らの存在意義を否定する「矛盾」に陥るのではないか?
オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。
で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています。
・その必要性があり、決して憲法に違反するものではなく、法令に違反するものでさえないのだから。
・日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから。
助けてください。
社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法を確立する必要がある。そこまではOKだ。
しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃんと不具合を修正できるのか?
滝本弁護士の独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃんと回復できる仕組みも併設されているのか?
新規の対応で失敗しないためには、ちゃんと保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。
デリケートな問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか?
万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。
歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)
「前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。
民事および刑事の係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。
なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断と偏見で話を進めていないか?
司法試験の勉強をしたなら、少なくとも一度は日本国憲法を読んだことがあるはずだ。
1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。
そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)
「好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律(ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。
パブリックコメントを発する以上は、他者からの質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言でしかない。結果、他者も聞く耳を持たず、自身が孤立する結果を自ら招くだけだ。)
滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。
「テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。
「日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪は犯罪の計画に合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」
「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。
テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプの法律と言える。日本では、藤木英雄先生が先駆者として有名だ。
藤木英雄(1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。
戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである。
藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任を拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。
危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統的犯罪や交通事犯に対する過失責任の限定を意図していただけに、画期的な転換といえる。
危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者や検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件で採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。
日本ではまだ、危惧感説に基づく国民の合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)
従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断を要求するつもりならば、日本国民に対する説明の義務が伴う。
滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害な前例を作ってしまうかもしれない。
ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。
従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。
どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。
(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さらに法治国家を否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)