はてなキーワード: 日教組とは
増田とは別の教員です。日教組やら左翼の人も多いけど、思想と実践は全く違うよ。奴らはダメと言いながら、平気で差別をするから。
年配の極左のおっさん先生は、懇親会とかで酔っぱらったら「あいつは男らしい」だとか「お前は女として。。。」だとか平気で言うよ。
極左の教員になっていくパターンは、環境面では普段接する生徒の中に貧困層の学生なんかがいて、あるいは組合から回ってくる左寄りの教材に感化されることが多いのよね。根はバカ(教員になった人って偏差値高くなかったでしょ?)が多いんで、表面的には染まっていくけど、中身まで内省できていないよ。
あと、教室なんて教員のやりたい放題なんで、増田があげて多様な暴言を言っても、おとがめなしよ。なんたって教室は教師様による専制政治の場ですから。
https://anond.hatelabo.jp/20171023144455
俺は塾講師だから10代の奴らと話して感じるのは、これは世代やね。
何が違うのかって、戦争への時代感覚と、アジア諸国への感覚が違う訳。
30,40歳以上の世代だと爺ちゃんが戦争行ってたりするから、少しだけあの戦争へのリアリティがまだある。
ましてや50,60歳世代は親が行ってる訳でしょ。
だから戦争責任みたいな話に胸がぐっときて左翼になる人たちも当然いる。
日の丸を掲げる群衆に対する嫌悪感の教育も浸透してる。日教組が圧倒的な力を持っていた時代。
爺ちゃんが戦後生まれなのに戦争責任がと言われても圧倒的にリアリティがない。
そして、ワールドカップに日本が出場して応援するのが当たり前の世代なので
日の丸を振って一体となって応援するという経験とともに育っている
日の丸への忌避感がゼロなので、日の丸を悪者扱いしてくるリベラルな人たちの価値観がうざいだけ。
はてなで「おとな塚本幼稚園」だのなんだのと揶揄してるのがバズってたけど、
日の丸振ってるのを揶揄するのは全然今の10代に刺さらないというのははっきり言える。
うっすら「貧しいアジアの国」への哀れみの感覚があったんだと思う。本人たちは絶対認めないだろうけど。
侵略をして未だ豊かな我々は、か弱い貧しいアジアの国に謝罪し続けなければならない。
その感覚がオールドリベラル的な、9条的な価値観を支えてきたのだと思う。
日本の周りの国ではなく、日本こそが侵犯する可能性のある悪を秘めた国だから憲法で軍備を縛るべきだと考えるのも無理はない。
じゃあ、今の10代はどうだろう。
北朝鮮が拉致を認めたのが2002年だ、だから彼らは物心ついたときから北朝鮮は悪の国だ。
中国で反日デモが起きるたびに日本の店がボコボコにされたのを幼いときから見ている。
韓国はほぼ日本くらい豊かな国だし、中国は日本より経済大国だというのがデフォルトの価値観な訳だ。
彼らは哀れみの対象ではなく、むしろ恐怖の対象だ。豊かな彼らは更に豊かになり、拡大を続けている。
貧しいはずの北朝鮮は日本列島の上をガンガンミサイル飛ばしてきてる。
だから、危機に備えて憲法を改正すべきだと彼らは思う。だけどクラスにいるネトウヨみたいなのはちょっとやりすぎでダサいし、K-POPは聞くよねという感じ。
それくらいが今の10代のリアリティだと思う。
後ついでに「発達傷害はしつけが悪いだけ」って言っちゃう親額にべったりな親学の息のかかってるTOSSのほうが怖いかな
日教組は今は教育カリキュラムにそこまでぐいぐい来てないっぽいし
よく学校の先生の組合が問題だって言われて、その親玉が日教組って言われているけど、全教のほうが問題あるんじゃない?
日教組は
全教は、
1989年9月の定期大会で、日本教職員組合(日教組)は連合加盟を決定したが、日本共産党の影響の強い単位労働組合は「日教組はもはや後戻りの出来ない右転落をした」と批判して大会をボイコットし、事実上日教組を離脱。11月に全日本教職員組合協議会を結成した。日教組本部はこれに対抗し、共産党系の専従役員を統制処分に付すとともに、同年12月及び翌年3月の臨時大会で全教加盟組織を日教組から脱退したと見なして構成組織から除外することを明確にする一方、すべての離脱県で、日教組方針を支持する支部・組合員による新組合を旗揚げさせた。
日教組から離脱した単組は青森県・埼玉県・東京都・岐阜県・奈良県・和歌山県・島根県・山口県・香川県・愛媛県・高知県の教職員組合、11組合と私学部。京都府・大阪府・兵庫県の教職員組合は組合が分裂。その他の組合は各県の教職員組合から一部支部や共産党系組合員個人が離脱し結成された。
どちらもパヨクだから教育者にしてはいけないと思うのだが、全教のほうがより極左よりだから、より子供に触れさせてはいけない存在だと思うのだがどう思う?
(1)”常勤ではない”待遇の教員に、10コマ割り振るのは理解しがたい。(正規の教員が4~5コマ引き受けて5コマ×2教科くらいに割り振るべき)
(2)その結果、週5出勤を強いられてるのも学校に配慮がなさ過ぎ(たとえ1日4コマになっても、時間割の対応で3日くらいにまとめてあげないと講師にとって非効率的過ぎる)
(3)空き時間ができるのは、時間割担当が無能過ぎ(非常勤の日数や曜日への配慮、空き時間減らすこと、は、自分の経験で言えば時間割作る上での最優先課題だ。正規職員に配慮しすぎ?)
というわけで、そちらの県(及びその学校)の時間講師への配慮は、ちょっとというかかなりのレベルで他の都道府県(及び他の学校)より低いと思う。だいたい、時間講師に
(4)朝礼への出席、考査の返却、清掃指導(!)をさせるのは、ぶっちゃけ違法(コマ数として計算して給与が支払われているなら別だが、それならそれで別の問題が発生)
なのだ。だから、こんなことがまかり通っている時点で、その県及び学校のコンプライアンスは無いも同然だし、もし増田がその県での教員採用をあきらめることがあれば、上記状況を訴えればおそらく新聞にも載るしおそらく勝てるはず。そういう案件だと思う。
これは、増田の書き込みを疑っているんじゃなくて、世の中には本当にひどい県がありひどい雇用状況があるということ、そのような雇用状況は常識ではないし常識であってはならない、ということを言いたいだけ。少なくとも、そんな状況が異常だと判断される(まともな)都道府県はある、とは覚えておいてほしい。「日教組なにやってんの」というリプがあったが、うちの県の(良好とは言えないまでも、まだしも)まともな雇用状況とうちの県の教組の高い組織率は、おそらく無関係ではない。逆に、増田のいる都道府県の教組の組織率はそれほど高くないことは容易に想像される(増田の周囲に、その状況をおかしいと訴える現職教員がいない時点でお察し)。
どんな職でも、特に「世界が狭く」「あこがれられやすい」職の実態というのは、使い捨て・やりがい搾取・被害者泣き寝入りが容易に発生し得る。アニメーターやら声優やらが典型的だが、看護・医療系、プロスポーツ、なんかもそう。被害者が声をあげていくことはほんと大事だと思う。
あと、増田に厳しい意見も一つ。どこの県であるにせよ、3月30日まで声がかからなかったということは、その県に「あなたの教科での志望者はたくさんいる」その中で「あなたに声をかけるのは最後の最後、と現状では県に認識されている」ということを理解しておくべき。採用試験の成績が超優秀だったり、学歴的にご立派だったり、あるいは講師経験の中で指導力が高く評価されていたり…という人には、もっと早く声が掛かっている。それを踏まえて、どうすれば自分なりに一歩でもそのポジションをあげられるのか、そして採用に近づけるのか……たとえば採用試験対策をがんばるのか、現場での指導でものすごい成果を上げるのか、どっかの大学院に潜り込んで学歴ロンダするのか、面接で超好印象をゲットできるよう性格矯正セミナーでも受講するのか(成果のほどは保証できないが)……とにかく、最小限の努力で最大限の成果をあげられるよう、効率的に努力するべきだと思う。体と心を壊さないうちに、増田が早く合格できるよう、願ってやまない。
正確に言うと部活動もその一つではあるけど、それだけではない。
多すぎる授業時数のおかげで、8時から16時まで休憩なしでほぼ立ちっぱなしなんてザラ。(プラス部活動で、事務仕事や授業準備を始められるのが20時位からなんてのも中学教員あるある)
それでも仕事が回らないから結局土日も出勤して事務仕事、授業準備を行うことになる。しかもそれは部活動の指導ではないから無給だ。まあ部活で出勤しても四時間以上やってやっと3,000円程度(八時間やっても一緒)なのだが…
これらの仕事は、仕事の効率化をはかるとか、努力して早く終わらせるとかそういうレベルを越えている。
そして、一番問題なのがそれらの仕事をやることは当たり前であると考える管理職。平の教員の意見を聞く振りだけして、結局なにも聞いてくれない管理職。「仕事がなければ早く帰ってください」といいながら仕事が無くならない現状に目をつぶる管理職。「子どもたちのために」という言葉をかざし教員のやりがいにつけこみ、各学校の過剰労働を許す教育委員会、教育事務所。教員の数を減らそうとする教育委員会、教育事務所。(事実私の学校も生徒数が増えたにも関わらず二人減った)
人間は、「自分の力でなんとかなる」と思えることは頑張れる。だけど、今の現状は自分の力でなんとかならないことが多すぎて絶望しか感じない。教員は、色んなことが上手くいかないとき、それは自分が悪いから、と考える人が多い。努力して、努力して、努力して、そして潰れてしまう。そうしてダウンしてしまう人を何人も見てきた。そういうことから私は、これは違うんじゃないか?と思うようになってきた。
そして管理職への失望感。平の教員が自分達でコントロールできない仕事量を調節するのが管理職だと思う。それを上手くやってくれればなんとかやっていける。
でもそうではないと…地獄だ。うちの学校の教員はみんな口をそろえて言う。「なんで今年はこんなにキツイんだ?」「なんで今年はこんなに生徒指導が大変なんだ?」
。間違いなく自分の力でどうにもできない仕事(量及び質)に忙殺されているから、そしてそのせいで一番大切な「子どもに向き合うこと」ができていないからだ。余裕を持った心で生徒に接することができなくなっているからだ。
このあとは更なる地獄が待っている。学級崩壊だ。学級経営が上手くいかなくなる教員が絶対に出てくる。そうなるともう…地獄すら生ぬるい。
私は今、体調を崩して入院している。休んでしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。同僚は笑顔で「気にしないでゆっくり休め」と言ってくれている。みんなが大変なことがわかるだけに本当に申し訳ない。
だがその一方で、やっと休めたと安堵している自分もいる。
今は真剣に転職も考えている。それとも校種が変わればこんなに辛い思いもしなくてすむのか…?
入院する前は、痴漢でもして逮捕されてやろうかとも思っていた。どうにでもなれって思った。初めて不祥事を起こす教員の気持ちがわかった。もちろん許されないことだと言うことはわかっている。だけど、地獄から抜け出すためなら、そんな倫理観なんて糞の役にも立たない、と考えてしまうことがわかった。
中学校の教員はブラックだ。その本質は「自分の力でどうにかならない仕事が多すぎるから」。自治体や管理職の力量によってその黒さの純度はさらに上がる。
夢も希望も感じられない教員が、子どもたちに何を教えられるのだろうか。
今年度はまだ6ヶ月もある。体がダウンするか、心がダウンするか…どっちが先になるかな…
追記
コメントで「その過剰な労働の9割が思い込みから発生しているもの」と書かれていた方がいたので、他の教員の名誉のために反論したい。
教員の仕事は簡単に言うと「勉強を教えること」ですが、「学校内で行われることの責任を持つこと」というのもあります。だから給食時間や昼休みだって一緒について様子を見る。学校で行われる行事に関係する提出書類も作る。そして集計とかもする。それらの仕事の9割が思い込みなら、残りの1割は何が残るんでしょう?笑
授業だけやってればいいなんてそれこそ思い込みもいいとこです。
もちろん授業に集中したい。そのための準備もしっかりやりたい。でもその準備ができるのは、職務規定で決められてる労働時刻(8時~16時30分)を過ぎてからなんですよね。(もちろんその間休憩なんてあってないようなもの)。部活がなかったとしてもです。事実うちの学校も部活無しの日とか作ってますけど、その日ですら退勤時刻が夜9時、10時になるなんてザラです。
ではその他の事務仕事や研修を断れるかといったら、断れるものと断れないものがある。(こないだも休んでるときに研修には行けと言われたし、病室で仕事できる?とか聞かれたし笑)
そもそも、このエントリーを書いたきっかけは、自分がやらなくてもいい仕事を切って切って、切りまくってもそれでもどうにもならない現状に嫌気が差したから。さらに言うと、管理職がそういう平の教員の頑張りを評価してくれない、辛い現状を考えてくれていないように思ったからです。
同情してくれとは言いませんが、中学校の教員の現状をわかって欲しい。(管理職に向けても含め)そんな思いで書きました。
追記2
多くのコメントありがとうございます。
このエントリが少しでも人の目に触れることが願いです。
今の教員は指導要領に反することをやっているから苦しくなっているわけではありません。
自分でコントロールできない仕事…そもそもの週当たりの授業時数(多すぎて休憩無し)。委員会から出される研修依頼(断れない)。宿泊校外学習の細案作成(旅行会社が作ってくれ…)。教育事務所の訪問に伴う指導案作成、過剰な環境整備(どうせダメ出しをくらう)。保護者からの言い掛りともとれるクレーム(まずは聞く、そして時間と精神が削られる)。急なカリキュラム変更によって引き起こされる授業時数の増大、その一方なぜか起こる単位時間の不足(そもそも無理なカリキュラム)。などなど…
これらが次から次へと押し寄せて来るために平の教員の体力と精神はどんどん削られていきます。
逆に本当にやりたい仕事(現在切っている仕事)…学級通信を出して子どもを誉める、やる気を引き出すこと。学級の様子を子どもとおしゃべりしながら人間関係を把握すること。授業準備をしっかりして、授業の質を高めること。部活動の子ども達への指導。などなど…は全然できていません。上の仕事に追われているため。
現場の先生方からも異論はあるとは思いますが、私の周りはこんな感じでみんな疲れています。
教員という仕事は大変やりがいのある仕事だけれども、唯一、運動部活動だけが本当に嫌いです。どのくらい嫌いかというと、運動部活動を指導し続けないといけないというのなら、残りの人生面白くもないし、自殺でもしようかというぐらいには嫌いです。
なんでそんなに嫌なのか。
まず、試合を見るのが、退屈で耐えれません。アリとかの昆虫観察をしていたほうがよっぽどマシだというぐらい、心に響きません。真っ白いコピー用紙を見ているほどにつまらないです。
第二に、試合の場にいくと、選手と監督の間に交錯する感情の渦が大嫌いです。試合に勝ったところで多くの選手は職業になどできないのだから、大抵の生徒にとっては、所詮お遊びにすぎません。そんなものに感情を剥きだして怒鳴りあうことの何が倫理的であるのか理解に苦しみます。
第三に、こうした劣悪な試合の場へのボランティアを実質的に強制している制度を生み出している高体連が許せません。試合のあった日は、感情の渦に巻き込まれ放心状態になり、夜はベッドで高体連への怒りがふつふつと沸き起こり寝られません。
ようするに、ここまで運動部活動に学校教育がのめりこむようになったのは、荒れていた時代、腕っぷしの強い先生を(警備職として)正当な理由で教員として雇い入れるための苦肉の策にすぎないのであって、もはや生徒は荒れてなど
いないのですから、存在している必要などなく、(決してその運動を支持するわけではないけど)日教組のいうように社会活動に移行すべきだと思います。
本当に、高体連 http://www.zen-koutairen.com/ は人権侵害はなはだしい団体だし、許せません。
解散してほしいです。
などがあって、各業界で労働組合が重なっているので、労働者の奪い合いになっているのが現状だ。
ぶっちゃけ、カネ出してタダ働き(活動)してくれる労働者を奪い合っている。
末端で共産党系と民進党(社民党)系が仲悪いのに国の方だけ協力するなんてちゃんちゃらおかしい!
以下引用
これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。
2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的な隣国の情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーなテレビ局は無かったわけですし、新聞は産経を除いて報道してきませんでした。
なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います。
日本の戦後教育や日教組の価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国や南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います。
いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社や学校、部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います。
日本は対外的な危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います。
今、家族は妻の実家に帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守の立場に立ったからだと思います。昨晩は2chの辻元清美関係のスレにものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。
言いたいことをまとめますと、
といったところでしょうか。