はてなキーワード: 政治運動とは
そうなんだよね。政治運動に心を奪われた人の発言はネットでも見てられない。アーティストでそういうタイプの人が何人もいるけど、残念な感じしかしない。
異なる立場の日本人同士が政治的な話を議論すると建設的にならない事が多いってのも事実だとは思うけど、他の国では政治的立場の違う人同士の議論が広く成立しているとは思えない部分もある。
出羽守的な人の話は、外国でも日本人と仲良くやっていこうという気のある意識高い人としか交流してないことが多いので、あんまり国民全体の傾向とは言えない話が多いと思う。古い話だけど「アメリカで無神論者だって言うと人じゃないみたいに扱われるので面倒だからブッディストだって言ってる」って大島渚も言ってたし。
宮崎駿が「タッチパネルきもい」と言ったら絶対に叩かねばならず
「俺もスマホ嫌いだわあはは」とは決して言ってはいけない雰囲気
「新しいもの」「俺たちの時代のもの」は須く良いものでなければならず
それを否定するものは例外なく老害であるという脊髄反射の拒否反応
こんな現状肯定しかできない連中に未来を作る若い力があるかと言ったら当然ノーだ
にもかかわらず本人たちはこれが若さだ柔軟さだと本気で信じている
多くはとうに三十路も越えて
ブイチューバーがテレビに出たからって何故みんなでお祝いみたいな雰囲気にならなきゃいけない?
エロゲ広告が都心の駅に貼り出されることの何がオタクの勝利なんだ?
やはりというか、こういう連中の政治傾向は当然自民党絶対主義だ
労働環境に不満を言いながら福祉政策に不満を言いながらその元凶である現政権は意地でも維持
ネット戦略で煽動されただけのことを「ネットで盛り上がった政治運動」と簡単に信じ込み
「オタク」というのは一時期「こだわりのある人」という意味ですらあったが
今では世の中でいちばん「何の芯もない引っ掛けやすいカモ」を意味する言葉に成り下がった
ただの「カモ」で十分だ
実際問題として、キモくて金のないおばさんを救う方法を考えてみたんだけど。
KKOの「金のない」の部分については、従来の富の再分配で完全ではないにせよ、解決を目指すことは出来そうである。
ただでさえ、女のブスは人権が事実上あって存在していないようなものだし、どうすればいいか。
社会運動や政治運動として、ブスに人権を与えることは可能である。ブスを障害者やLGBTと同列だと考えれば、イメージしやすくなるだろう。
しかし、ブスに人権が与えられたとしても、男が恋愛対象や結婚対象としてブスを選ぶかどうかは別問題である。
「それでもいいのだ。ブスは一人で生きていくための経済力や社会的地位さえあればいい。男に好かれなくてもいいのだ」と割り切れるブスは多くは無いはず。
これは男のKKOにも共通するんだけど「モテなくても気にするな。気にしなければ解放されて楽になれる」と言われているに等しい。
日本でフェミニズムは明治維新以来の約150年の歴史があるが、モテないブスをどうやって救済するのかの答えを出すことが出来ていない。
本気でブスを救うのであれば、国会レベルで女にイケメンを「再配分」するという荒唐無稽なやり方になってしまう。
講師は京都・沖縄・東京でカウンセリングを行ってきた博士(教育学)・臨床心理士の東畑開人氏。
「感じのいいエリート」が、鬱を排除するための躁的防衛、慢性的な虚しさ疲労感、神経症症状、親密な関係の難しさなどを抱えているケースについての話だった。
貧困層のカウンセリングでは「今すぐに治して」等の無茶を言われることがあったが、新自由主義に適応したエリートのクライエントは行儀が良い。治療者のことを専門職として丁寧に扱う。自主的に認知行動療法を実践しておりエクセルにまとめて報告してきたりする。カウンセリングを利用するという依存的なシーンですら、相手に迷惑をかけないことを重視する。こうした様子に、パーソナリティが自分自身のCEOにジャックされ、たゆまぬPDCAを励行している印象、あらゆるところに透明性・公平性を求める監査が入りアカウンタビリティを要求されている印象がある。こうしたタイプのクライエントの治療過程について、クライエントが行儀の良い状態→小さな依存が徐々に形成される→治療者に対する不信感・怒りが生まれる(希望があるから怒る)→治療者に対して軽視・軽蔑したり身勝手な振る舞いをする→気持ちの良くない関係を生き残る・やり抜く→クライエントの子供の部分が動けるようになっていく→自己や他者の不純(リスクマネジメント不能な部分)に耐えられるようになる、というものらしい。この内容について書籍が出たりしないだろうか。東畑氏本人がまとめるのが一番正確で良いだろうけれども、私はこんな風に受け取り、要約した。
エリートのクライエントは社会的に成功出来ているが自分の中の子供の部分が死んでいることによる問題が出ている。それを治療者との依存関係構築によって治療する。依存心が強すぎて社会的に失敗するタイプには認知行動療法が効果的かもしれない。「認知行動療法は効かない、精神分析が優れている」という話ではなく、クライアントの状況に合わせた治療法を提案すると、質疑応答で東畑氏は言っていた。
これらの時代認識には共感しかなかった。これ自体を解決したい人は政治運動に向かうのだろうか。私は政治運動をしたくない(政治が悪いというより産業構造の変化・人口動態によるものなので根本的な無力を感じる)ので、新自由主義への適応を選んでいるんだと思う。社会は助けてくれないので、自意識過剰でいられる・自己実現を求めていられるゆとりがなくなっており、望むこと自体が身の丈に合わない贅沢に感じている。消費と投資についても、弱者だからこそ将来の資産価値を考えて不動産の購入を検討しなければならず、強者なら純粋な好き嫌いだけの消費的感覚で住む家を建てたり買うことができる。弱いからこそ投資、余剰たっぷりの強者だからこそ消費する余裕がある、そういう世界観。
経営者にとっては正社員よりフリーランスの相手のほうが楽だろう。自立しているし、解雇規制もない。そうして誰も依存先を引き受けなくなった結果、ケア・依存先の供給が不足する。というよりケア供給者、依存先供給者の価値がこれまで不当に軽く扱われていたのではないかと思う。依存先の供給が無くなり、精神的な問題が噴出したことにより、今やっと価値が発見されている。
市場のロジックに適応して経済的にうまくいっている人間の価値を評価しない、妬むだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。深い重いつながり、ケアや依存先の供給を行っている人間の価値を評価しない、使おうとするだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。自分の苦労にだけ関心があって、自分とは環境も能力も全く違う他者の苦労への関心が根本的に無いこと。
そういった、人間の素のわがままさに対して、子供的に・動物的に・自動的に他者を軽んじる態度に対して、私は割と狭量で、嫌って憎んでしまう。私がある価値に気づいておらず軽んじていたことに気づいたときも私は私自身に対して狭量になり嫌って憎んでしまう。業務や人生の経営に必要な価値判断は、感情面では不幸を産む姿勢ではあるんだけど。
「商取引の脱価値化」言説は私を疲弊させてしまう。家庭において稼ぐ役割を担わされており稼がなければならない立場の人はいる。感情的な極論は対立する勢力の持ち物・貢献の価値を無いものとする。東畑氏は市場のロジックを取り入れたり自分を経営する目線が無さすぎると収入面で上手くいかないことや、自分を支配するCEOが市場適応的で強力だと勝てる、鬱を排除するための躁的防衛が人をバリバリ働かせるので勝てる、という本人の利益にも言及していた。ケア・依存だけに肩入れする治療者とは違うバランス感覚が感じられて、そのバランスになんだか救われた。既婚男性は一家の大黒柱として稼ぐ義務を家族に負わされていることが多いし、未婚女性である私も稼いで自分を養う義務から逃れられるとは思えない。
なぜか知らないが、ネット発の政治運動は超高確率で過激化する。
行動する保守、在特会、反原発連合、しばき隊、まなざし村、メガリア、ヴィーガンなどなど。
ネットで有志を募らなかった、もともと運動していた組織や、組織を取らない相互批判の一匹狼のクラスタは、かろうじて反社会的行動にうつってないがそれでもネットの悪影響を受けているように思う。
ネットのせいで先鋭化をかなりしているようにも見える。
当初は過激ではなかったはずの運動も数年で過激化し、反社会的行動に出る。
中には大学教授や一流企業の役員、弁護士などなど、知性や社会的地位の持ってる人間さえ過激な行動に出て、その地位を失っている。
大体ネットの政治運動で、問題になった件は、レイプや不倫、カンパドロボー、脅迫、恐喝、名義流用、痴漢、リンチ、下着泥棒などなど、枚挙にいとまがないが、きちんと組織として賠償したり報告し、再発防止策を提示できた例は一つもない。
おそらくネットの政治運動は、何らかの先鋭化して失敗する要素が存在するはずであり、その研究が待たれる。
日本だけではなく、海外の政治運動ではテロリズムや殺人事件にまで発展しているようで、この混乱は相当続くだろう。
ただ、一つ言えるのは、一般人はネットの政治運動には近寄るべきではない。
これだけは間違いない。
ネットの政治運動って、サブカルの一環として政治に意見してるようなもんだよね。
アレはラッパーが相手をMCバトルでdisってるようなもん。サブカル同士の罵りあいやマウンティングの一環だよね。
参加者を見ると、もう完全にサブカルのご意見番だったりサブカルライターがわんさかいる。参加者の顔ぶれもそうだし、服装、音楽、シュプレヒコールに至るまで、すべてサブカル。
サブカルチャーの一環として政治にちょっかい出して、俺はわかってるやつなんだぞ、とポージングするのは90年代からずっとそうだったし、外国でもサブカルが妙なことを言い出すケースは多い。
銭や仕事を引っ張ってくる政治とは一線を画す、自己表現としての政治発言やパフォーマンスで、それ以上のものでは今のところない気がする。
当事者のスピーチとして解らなくは無い部分も多いし、悲劇的な目に遭った人たちの話として痛みはある程度解るつもりでいるけど。
具体的な核兵器の脅威を現状維持どころか拡大している北朝鮮と中国批判は「核保有国」みたいな抽象論で済ませて、具体的に名指しで批判するのは文句言っても差しさわりが無いアメリカと日本に対してだけ名指しで批判っていうのには、やっぱり引っかかるんだよな。政治運動の党派性が出過ぎているというか。
ちょっとは中国や北朝鮮の名前出したかも知れないけど、全然程度が違う。(実効性の無い)北朝鮮や中国には殆ど影響の無い核兵器禁止条約に批准しなかったとか、具体的に執拗に批判するのは、日本とアメリカだけ。
確かに凄い前とはいえ広島に核兵器を使ったのはアメリカだし、許せないって気持ちも解らなくは無いんだけど。ただ、今の具体的な脅威に対して、昔の話ばかりを持ち出すのは、やっぱり引っかかる。せめて、どちらも同じくらい批判する方向にはならないもんなのか?
皆さま、こんばんは。「日いづる国」よりの時間です。
この番組は国を思う政治家の方にお越しいただき、その想いを語っていただく番組です。
杉田さん、また先週に引き続き、今週もよろしくお願いいたします。
中山:
ご支援いただきまして、ありがとうございます。
やはり、非常に厳しい状況ですね。
ほかの国もまさに韓国の言っていることを信じてしまっているところがありますから、
国の中でこの問題を取り上げるのと同時に、海外にもやはりきちんと日本が史実に基づいた、
すぎもとこういち:
やらないとね。
クワラスラミ[クマラスワミ]さんなんか洗脳されちゃってて、ねえ。
中山:
違っていますという、架空の事柄がベースになっていますということが分かったあとでも、
世界はまだ何の訂正もされていないということですので、
まだまだやらないといけないことがたくさんあります。
杉田:
そうなります。
中山:
杉田さんのところ、宝塚市というのが、先週のお話では上村さんの講演が堂々と開かれるとか。
杉田:
そうなんです。
ちょっと信じられないような実態になっているってお話を伺って、心配な状態ですけど……。
杉田:
私が今住んでおります宝塚市、まあ選挙区でもあるんですけれども、
皆さんは歌劇とかのとっても素敵なイメージがあるんじゃないかなと思うんですが、
実は、今宝塚で市長をしていらっしゃる方が、元社民党の国会議員の女性の市長[中川智子市長]さんなんですね。
で、いわゆる土井たか子さんの土井チルドレンと呼ばれた方々で、
最初の当選は、先週の話題にも出てました辻本清美さんと同期で当選をしていらっしゃるあの方なんです。
その方が今回二期目に入りまして、二期目が半分終わったところなんです。
中山:
拉致問題を北朝鮮が拉致などするはずないでしょうと有本さんを叱り飛ばして帰したっていう、
そのイメージがまず来る方なんですけども。
杉田:
そうなんですね。でも、その土井たか子をずっと選挙で通し続けてきた地盤っていうのは、
まさしくこの阪神間といわれる、まあ普通に考えればおしゃれな街のイメージのところが、実はそういう地盤なんですね。
で、その市長さんが1期目とそれから2期目の前半はわりと安全運転で、普通の市政をしていらっしゃったんですが、
いよいよここに来て、今年の予算とかを見させていただきますと、
ご自分がやりたいことのカラーを出してこられたなというようなイメージが非常にするんですね。
中山:
あ、だから上村さんを平然と講師に招いて…。なるほど、それができるということなんですね。
杉田:
まあ、これは市がやってるわけじゃなくて、先週紹介したのは市がやってるわけじゃなくて、
市民団体の方が上村さんを呼んできてしてるんですけれども、まあ普通に市立の公民館でやってますからね。
中山:
そうですね。そういう勢力が強い。
杉田:
そんな中で私が一つ問題視をしていますのが、いわゆるLGBT支援法っていうものなんですね。
皆さんに分かりやすく説明しますと、「L」っていうのはレズ、「G」っていうのがゲイ、
「B」というのがバイセクシャル、そして「T」がトランスセクシャル、性同一性障害の方なんですが、
そういった方々を支援していきましょうっていう法律案なんですね。
で、これ、実は今年の3月に渋谷区で可決をされているんですね。
渋谷区は、渋谷区のね、タイトルがちょっと、もうタイトルからしてですね、非常におかしいんですけど、
というタイトルなんです。
ここにはLGBTとか同性愛とかは一言も出てこないんですけども、
ただ、中身を見ると、今同性愛の方々が色々と生活しにくい問題があると。
例えば不動産屋さんがね、同性愛のカップルにはお部屋を貸さなかったりとかするので、
非常にその方々は差別を受けていると。
地方自治体がそこまで口出しをすることは当然できないわけですが、
条例という形で、この人たちは婚姻と同じような関係にあるということの証明書を出したりとかですね(笑)
そういうのを自治体ができるようにしましょうっていうような条例なわけなんです。
これに飛びついたのが、次は私の住んでいる宝塚市なので、やりたいということで。
こういう同性愛の方の気持ちを知りましょうって、本当に同性愛の方に来ていただいて、
講演を聞くとかっていうのを市長は好んでやっていらっしゃったそうなんですね。
すぎもと、中山:
(爆笑)
杉田:
いうことなので、いよいよこれを宝塚でもやろうということをなって、
私は当然こういう条例は必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、
大変賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になってるんですが、
私が一つ目にあるのはですね、タイトル見て皆さん気付いていただけましたでしょうか。
この「男女平等」という部分と「多様性を尊重する」というのを同列で論じているんですね。
違うことだよね。
違うことですね。
あの「男女共同参画」とかとはまたまったく違う問題なんですけど、同列にしていると。
ただ、私は男女の支援っていう、その例えば子育て支援を行ったりとか、
今、自治体によっては結婚の支援を行っている自治体もありますが、
これは私はやっぱり今日本は大変少子化ですから、もっと子供を産んでいただかないといけないと
いうことがありますからね。そういうところに対して税金を使って支援をしているわけです。
ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、はっきり申し上げます。
生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、
どこにそういう大義名分があるんですかっていうことがまず一点なんですね。
男女平等も私はありえないということを発言して、この時もだいぶ炎上したんですけれども、
すぎもと:
区別。
杉田:
そこの部分を混同してしまってはまずいけませんよということが一点目です。
そして、二点目は日本という国は、「基本的人権」というのが全員に尊重されていますから、
大人も子供も、それからお年寄りも、障害者の方も、病気を持った方も、
で、その上でですよ、女性の人権がとか、子どもの人権がとか、あと同性愛の人の人権がっていうと
それを特別に支援するっていうのは特権になってしまうんですね。
中山:
そうですね。
杉田:
すぎやま:
屋上にまた家を建てるみたいな話になるんですよね。
杉田:
それが二点目です。
それから三点目なんですが、私自身が行政で18年間働いておりましたので、
地方の自治体が今やらないといけない仕事って本当に山ほどあるんですね。
例えば生活保護とかがすごい増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、
だから不正受給とかを見破ることができないということもあります。
児童虐待の問題が増えているんですけれども、そういうところにも十分に職員の数を割くことができません。
いろんな問題が多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減ってるわけですよ、職員の数は。
そんな中で、本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、
もっと皆さんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになってるのに、
優先順位から考えても、かなり優先順位は低いんじゃないですかという。
この三つのことを掲げて、私は「こういう支援法はいりません」って言うようなことを書かせていただいたんです。
でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、
普段、私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、
こういう内容を書くとですね、なんとかlivedoorニュースとか、なんとかニュースとかいうのが取り上げてくださって、
「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかということに対しての意見をください」という風に言われまして、
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
中山:
そりゃあそうですね。
杉田:
ですね。はい。って言ったらあのなんて言われたかというとですね、
同性愛の子供は普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。
それでもあなたは必要ないと言うんですかみたいなことをね、言われまして。
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
私はそれでもあの優先順位は低い。同じですね。
学校の先生も、今モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、
やらなきゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことをやっている時間はきっとないでしょうし。
あと、じゃあ、どれだけ正しい知識を先生が子どもたちに教えられるんですか?と
あと、思春期の頃って本当にいろいろあるんですね。
私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりなんですね。
かっこいい先輩と交換日記してくださいとかしてるんですけど。
でも、こう年をとっていくと、普通に男性と恋愛できて、結婚もできて、母親になって…ってしていくわけです。
その多感な思春期の時期にですね、
「もっと皆さん、堂々と胸を張って、そんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう」
ちゃんと正常に戻っていける部分を踊っていけなくなってしまいますよねっていう。
そういうことを延々その方に説明したんですが、結局そのテレビでその企画はなくなったそうなので、
私が出てテレビでそれを喋ることはなくなってしまったんですけれども、
まあそういう問題は非常にホットで日本中、これ渋谷で可決されて
次宝塚で可決されると、先週お話しした慰安婦の意見書じゃないですけれども、
全国にバーッと広まっていってしまうんですね。
で、私そこのブログにもあえて書きませんでしたが、これは何かというと家族崩壊につながるんですよ。
中山:
そりゃあそうですね。
すぎもと:
それともう一つ決定的なことは、同性愛から子供は生まれません。
これは大きいよね。
杉田:
私ね、この問題もそうですし男女平等、これも私はもう男女平等が絶対に実現しえないですから
だって男性に「子供を産みなさい」って言ったって産めないわけですから、
どうしても一緒に平等にきっちりなることはありえませんよっていうようなことをずっと言ってきたんですが、
これもすごい反発受けたんですけど、一つすごくこの問題、こういった問題に取り組んでいる中ですごく気づいたことがあるんですね。
でも、すごく私に対して「あなたは間違っている。差別主義者だ」って言ってくる人達っていうのは、日本というのはひどい国だと。
女性がずっと虐げられて、昔貧しかったら、女の子が売りに出されて、女郎になって、ずっと男に虐げられて、もうとんでもない男尊女卑の国なんだって。
だから、しっかりこういうことをやっていかないといけないんだというところが出発点なんです。
でも、私はあのいつも申し上げてきたとおり、日本ほど女性が大事にされてきた国はないですよと。
役割分担をきちっと男性と女性の間できちっとされてきて、女性も大事にされてきた。
そういう国なんです。
すぎやま:
韓国にはないですよ。
「かかあ天下」という言葉があるし、一番おおもとは天照大神じゃないですか。
中山:
杉田:
そうなんですね。
ずっと歴史を見ていくと江戸時代からもう女性が財布のひもを握ってる国っていうのは日本だけなんですね。
「レディーファースト」とかってよく言われますけど、あれ女性のほうが先に行ったら、
男性は自分が身を守ることができるっていうね、そういうところの習慣から来てるって言う説もございますし、
でも、日本は逆に女性の方が3歩下がっていうのは、何かあったときは男性が前に出てくださいね、
っていうような。
中山:
ただ、よく言われるのは、フランスの女性たちは非常にコケティッシュだ。
それはご主人がすべて握っているので、なにしろ自分の物を買いたい時、
買ってもらうためはやっぱり美しくて、コケティッシュじゃないといけない。
杉田:
確かにそれはそのとおりかもしれませんね。
中山:
日本の場合はあんまりそういう男の人に媚びを売るっていうようなことは絶対しなくても済んでいる世界です。
すぎやま:
天照大神があって紫式部があって、ずっと見ると日本の女性の方はすごいわ。
杉田:
それと同じで、今回のこのいわゆる同性愛支援のことについても、
私に対してばーっと反論して来られる方々っていうのは、
やっぱりまだまだ日本は遅れている、
同性愛の人達に対しての知識も認識も浅いですし、そういう人たちの差別がまかり通っているって。
アメリカなんかカリフォルニア州とか州法なんかで結婚を認めてるようなところもある。
それに比べれば、日本はまだまだ遅れているから、もっとちゃんと同性愛の人たちに対して、
ちゃんとやってあげないといけないんだよっていう人たちなんですが、私は逆なんですね。
日本の歴史の中をこう見ていくと、同世代というのは昔からあるんですよ。
ただ表立って権利をくれと言ってる方はいらっしゃらないです(笑)
で、日本はただそういうのがあるってことを分かっていながら、
その人たちがあの生きづらい状況ではない形になってるんですよね。
だから、逆に言えば。
中山:
上手な社会ですね。
杉田:
でも、キリスト教の国とかは、逆にキリスト教は同性愛を禁止していますから、
本当にこう差別されて、虐殺されたりとか、虐待されたりとかする歴史があるから
法制度をちゃんとやっていなきゃいるそういうところがあるので、
やっぱり出発点が日本はいい国だと思えるか、いやいや日本はひどい国だと思えるかのところで、
そういう批判をされている方と私の考え方の間にはまず出発点からして噛み合わない部分があるでしょうね。
中山:
杉田:
私、「T」は性同一性障害なので、このLGBTの中に入れていっしょくたにしてしまうの、
私これは非常に違和感がありまして。
中山:
そうですね。
杉田:
性同一性障害という、これは一つの病気でありますから、医療行為としてどこまでどうするのか、
これは医療分野の問題になってくるかと思います。これもひとつ議論がありまして、
今例えば保険が効くのはどこまでで、例えば今私も歯の矯正を頑張ってしているところですけども、
虫歯直すのは保険っていうけれども、歯を矯正するのは保険効きませんよ、
とかそれと同じでですね、医療の分野の中でどこまでこれは医療行為として、
例えば保険で認める、保険で認めないとかっていうまた別の議論だと私は思ってるんですね。
ただ、これを一緒にしてしまっていることでね、すごく先生、いい指摘なんですけど、
今、このLGBTの方は人口の5%とか7%とかって言われてるんです。
だから、私が先ほどの「行政の優先順位が低い」って言った時に反論をいただいたのは、
もう人口の5%なり7%なりがこういう人たちなので、優先順位は低くないでしょうっていう反応が来たんですね。
でも、実はこれ、電通か総研かどっかが出しているそういうデータらしいんですけれども、
「T」の方がやっぱり多いんです。ご病気の方が。
本当にLGBの方の数って1%くらいらしいんですね。
ただ「T」の方まで入れてしまうととすごい大きな数になってしまうといったことなんですね。
中山:
これは切り離して、障害があるということであれば、それはきちんと丁寧に対応しないといけないですからね。
その一緒にしてしまうと…。
杉田:
そう思いますね。
すぎやま:
わけわからなくなって。
今言った性同一性障害っていうのも、精神的な神経科が扱う問題なのか、
ホルモン異常なのか、生理的なもののか、二種類あると思うんですよね。
そういうことがね、全部ぐしゃぐしゃに混ぜちゃうというのは間違いだし、
その狙いは何なんだろうと。
その奥に変な狙いがあるかもしれない。
杉田:
その狙い通りで、これ私もまたたいへんな問題だなと思っているのは
アメリカは日本へ2発の原子力爆弾を投下して、日本は無条件降伏した。
無条件降伏だったので、日本はアメリカの植民地、奴隷にされた。
江戸幕府は鎖国政策を行っていたが、欧米はその間にも技術を発達させ、軍事力も増大させていた。
江戸幕府は当初「公武合体」によって、新しい日本の体制作りを目指した。
公武合体(こうぶがったい)は、幕末(1850年代から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。
しかし、公武合体は失敗に終わり、薩長のテロリストたちがクーデターを起こした。
イギリスに支援された薩長同盟 VS フランスに支援された江戸幕府
英仏の代理戦争が日本国内で展開されて、イギリスのフリーメーソンが勝利した。
明治維新以降、日本は日露戦争に勝利する等、外国と戦争して勝つことができた。
調子に乗ってアメリカにも戦争をしかけたら(真珠湾奇襲攻撃)、逆にボコボコにやられてしまった。(原爆投下で第二次世界大戦敗北)
天皇が「勝つ見込みはありますか?」と尋ねたら、軍部は「短期決戦で勝ってみせます」と応えた。それならOKと戦争を開始した。
軍部は「アメリカから買っていた石油がなくなったので、これ以上戦争を継続できない」と判断した。(そりゃ戦争やってる相手に石油を売る馬鹿はおらんわなw)
松谷誠のように、早期講和を検討した者もいたが、軍部に握りつぶされた。
日本が2年程度で戦争を止めていれば、満州を失うだけで済み、日本の本土まで取られることはなかった。
結果的に、天皇と軍部は判断を誤り、早期の損切りができなかった。
松谷 誠(まつたに せい、1903年(明治36年)1月13日 - 1998年(平成10年)10月7日[1])は、大日本帝国陸軍の軍人、陸上自衛官。
天皇の悲劇は、周りにイエスマンしかおらず、適切な判断材料となる反対意見を言う者がいなかったこと。
(天皇一人が悪いのではなく、取り巻きの連中が使えなかった。)
もしも、松谷誠らが天皇に直接提案する機会があれば、完全敗北を避けることもできただろう。
歴史を振り返ると、ワンマンのリーダーが判断ミスすることによって、国が滅ぶ例が多々ある。
日本の近代史を振り返ると、日本の岐路は、「公武合体」にあった。
もしも日本が、天皇と将軍のツートップ体制だったら、どちらか一方が判断ミスをしても、リカバリーできる可能性があった。
しかし、ワンマン体制だと、一人のリーダーが判断ミスすることによって、ドミノ式に全体がミスに巻き込まれる。
公武合体が成功していたら、日本は今とは違う歴史を歩んでいただろう。
負け惜しみで、明治維新を賞賛する向きもあるが、敗戦の結果を見れば、明治維新の天皇制は失敗だったことに気付く。
残念だ。