はてなキーワード: 因習とは
人間の流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間に固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境を一新させることも比較的容易にできてしまう
そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能に準拠する既成道徳や因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか
現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない
利他的行動は相手の良心に身をゆだねるため相手が利己的ならば奪われる
野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分の身体性の限界を拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力に支配された自然の理を理性で制限し人間の利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間は地球の覇者となった。
つまりは人間性の起点は利他性にこそ存在している。しかし人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。
それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。
だから我々人類は共生の歴史が根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。
完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない
獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?
それを決めるのは個人の自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、
首都圏から地方に移住して現在地域協力隊の都会人のポエムを書く。
周辺住民は話してみれば気のいい人達ばっかりだったけど、ど田舎だから笑とか限界集落wとかたまに溢れる因習村ユーモアは聞いてて辛かった。
私(移住者)の存在を透明化してることへの怒りはもちろんあるけど、それより互いに呪いを掛け合ってダークサイドに堕ちてく田舎者達の様子がとにかく痛々しくて悲しかったからだ。
「移住者が少ないのは移住者が少ない(というイメージがある)からだ」って意見をひとつの真とするなら、このユーモアはもうやめた方がいい。
誰も幸せにしない。
はてなーが「田舎に移住者が少ないのは田舎者が嫌だから!キラキラしてないから!」とかブコメして、お上りさんっぽい人がそれにスター付けたり同じようなブコメしてるのをよく見る。
でも移住者の気持ちが知りたいとき、顔も知らないはてなーの発言を鵜呑みにして移住者の話を聞かないのはなんで?
他の移住者は知らないけど、少なくとも私は地方に家庭作るためとか村祭りするために移住したわけじゃない。
本当に都会人に顔を突き合わせて“田舎の因習はキモい”って言われたことある?
私が話しかけにいっても目を合わせて会話してくれる田舎者はほとんどいなかった。
田舎者を責めてるわけじゃない。
都会人には分からない苦労も沢山あるんだと思う。
ただ、一回記号とかイメージで語るのやめてみない?って伝えたい。
私たちは“因習村”でも“土人”でも“高齢者”でも“意識高い系”でもなくて一人ひとりの人間なんだから、きっと対話できるはず。
特に、過激派同士がトンデモ理論で殴り合っていると人類の創造性を感じずにはいられない。
そういう争いをもっと見るため、争いが起きる場があれば両陣営に扮して対立煽りをしてきたし、なんならまとめサイトも作った。
メインの層が10代〜20代、クリエイターを盲信している若年層。
年齢高めの層もまともな教育を受けておらず、精神年齢は子供並み。
インターネットに慣れていないキッズは釣りやすくて助かる。かわいいね〜
あまりにもチョロすぎて手応えがなかったから、対立煽りの手法を公開する。
などの言葉を投げつけてやろう。
もちろん呼称はもっと沢山ある。クリエイターなだけあって言葉遣いも創造的ですねw
最近は誹謗中傷での訴訟も始まってるみたいでワクワクしてきた。
・自分では新しい用語を作らない(過激派が作った言葉を借りる)
ように注意している。
「○ねばいいのに」という言葉でも敗訴している。過去の判例を見ることで、引き際のラインが分かりやすくなる。
あくまで自分は安全圏から、他人の争いを眺めるのが最高の娯楽だ。
曰く、
「学習元画像の制作者にも還元できるシステムがあった方がいい」
「現時点ではAI学習は合法だから個別のユーザーを叩くより法改正を求めるべきだ」
とか。
AIへの生理的嫌悪で理性を失っている人間が大量にいて絶好の争いのタネなのに、冷静になってもらっては困る。
こういった中立派気取りには「裏切り者」みたいな言葉を投げかけて議論に参加する気を失くしてやろう。
そうすると過激派が残り、過激派の言動の流れ弾に当たった人間がまた新たな過激派になってくれる。争いは終わらない。最高だ。
まともに論理が通っていない言説(ダブスタなど)を振りかざしている層にはまず煽ってやる。
反応してきたらあえて論破せずに、極論を言ったり、論点をすり替えたり、詭弁を駆使すれば良い。
論破しない理由は、「自分のほうが上だ、自分のほうが正しい」と勘違いさせたままにさせておくためである。
(まあ論破したところで理解してもらえないだろうから、どっちも大して変わらないという可能性もある)
「反対派閥には話が通じない」と思い込ませることができれば、あとはエコーチェンバーで勝手に先鋭化する。
「男子三日会わざれば刮目してみよ」とは言うが、ちょっと見ないうちに人は簡単に狂っていくのである。その様を眺めるのもまた一興。
まあそもそも近年人気のイラストレーターなどに関心のある層がこのあたりに集まっているというのと、「技術革新によって環境が変わる様を体験したことがない」層が変化を嫌っている。
ベテランのイラストレーターは流石に冷静に受け止めている人が多く、経験の違いを感じた。
アフィリエイトによる小遣いが少々。アフィッフィッフィッフィwwwww
怨嗟が渦巻くインターネットから生み出される迷言が好きで、それらが発生する土壌を生み出そうとしているだけだ。
知ってる。
でも最近だと「ペ◯スを押し付けるように女性に知識を押し付けるのをやめてください」は面白かったろ?
あれが面白いと思ったらなら、お前も俺になれる素質があるよ。
つまるところ、常識的な頭をしていれば到底思いつかないような語録を追い求めているのである。
理解出来ないモノを叩く時、人々は常識のフィルターを外すことができる。
でたらめな言説を真顔で喋っている人間は、常識改変されているみたいでとても興奮する。
寿司食べたい。
特に画像生成についてアホみたいな曲解とかあからさまなミスリード記事が出回っているので、文化庁が実際に出している見解を置いておく
https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54604&media_type=
要約すると、
・AIモデルから生成されたデータについては通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる。
・まずこの著作権制度の基本を理解してもらえるよう周知に務める。
以上
以下私見
「通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる」というのが非常に重要。
というか、その点が異なるという謎解釈を繰り出してくるのが「AI通したって言えばパクり放題だぜヒャッハー!」する加害側じゃなくて「AI通せば何でもセーフにされてしまう!」と叫ぶ被害側というのは想定外だったんじゃないか?
そりゃあ、意味が分からないだろう。「権利者が本気で権利侵害だと思うなら、個別具体的に訴え出ればいい」という基準で著作権侵害の親告罪化を拒否した本邦の創作界隈が、突如として真逆のことを言い出しているのだから。
が、細かく見ていくと何が起きているかは分かる。
まず前提が食い違っていて、反AI絵師が「権利」と称していたのは法で定められた著作権者の権利やその運用実態ベースの話ではなく、お絵かき因習ムラ独自の基準を守らせることだ。
食い違いが問題になった点を具体的に挙げると、例えば「権利」の侵害になるかどうかについて、最終出力物そのものの類似性ではなく「トレス等の手抜きパクリ行為を行ったかどうか」を非常に重要視している。
言い方を変えると「最終出力物が類似していてもトレスしていないのでセーフ。類似性は同程度でも手抜きのトレスなのでアウト」という基準である。他にも「愛」「オマージュ」等のジャーゴンによって、おおむね絵がお上手な方ほどセーフ範囲が広がる運用がされている。
権利侵害を行う側がコピー機一発で終わらせようが苦労を重ねて超絶技巧を駆使しようが、権利を侵害しているという点で何一つ差がない。そんな当たり前のことを全く理解できなくなっている。
こんな訳の分からない基準がまかり通っていたせいで、真っ当に遵法意識のある業界がロビーしてがっちり法整備した上で繰り出される画像生成AIという新しい道具にぶつかってパニックとヒステリーに陥っている。
「トレスではないから」という実際の著作権とはかけ離れた独自のセーフラインを何故か法的な権利だと思い込んでいたせいで「類似はしているが事実としてトレスではない」i2i粘着なども対処不可能だと勝手に思い込んでしまっている。
「どんな手順と道具を使っていようが最終的に出してきたものの類似性だけで判断される」というごく当たり前の基準でいれば、i2i粘着など粛々と訴えれば済む話だったのだ。
うちの地元だと逆だなあ。
お前は優秀だから地元を出ろ、ここにいたら駄目だ、と教育して、都会に出したがるのが続いている。地元には大学が無いからかもしれないが。
総論として少子化対策や過疎化対策大事だねっていいながら、みんな自分の子どもや親族には、田舎にいちゃいけない、都会に出ろって言うんだよね。
高校生は地元就職の僅かな人を除いて殆ど域外、7割は県外に出るという有様。家業がある人も出ちゃうんだぜ。笑うだろ。
だから、できるだけ若い人をつなぎ止めようと、地元の素晴らしさを語るのは、そんなに悪い事じゃ無いんじゃないかなあと思うんだけど。
まぁやり方にもよるんだけどさ。
地元、二十代の人口がむちゃくちゃ少ない。大学出て就職のために帰ってくる人はそんなに多くない。
30代半ば以降になってUターンで帰ってくる人が結構いるので、人口分布が面白いことになってる。IターンもそれなりにいるがUターンが多い。
で、独身者で帰ってくるのは殆どが男。独身の若い女性が物理的にいないため、出会いはない。婚姻率の低下とそれに伴う少子化が止まらない。
都会に行くのはもうとやかく言わない。
そのかわり、最近は、故郷との繋がりを切らさないようにしつっこく行動している。
自治体の広報誌をせっせと郵送したり、年1回、地元だけで使える商品券と、通販でも使えるぞと特産品カタログを送ったり。近場の都市部で頻繁に地元民の集まりを開いたりしている模様。
年末年始には、都市部から地元へ帰郷するための補助金付き格安ツアー(交通費2万円を、これを使うと往復3千円w)を用意するとか、涙ぐましい努力をしている。で、これらの財源は、そういう連中が納めたふるさと納税という。笑える。自家発電じゃん。
関係人口を増やすんだって。でも関係人口で地元の労働力不足をなんとかできるか?ってできっこねーじゃん。どうするんだろうねこれ。でかい会社の工場があるんだけど、工場労働以外の選択肢があまりない。選択肢は無いのに人が足りない。
まぁその結果Uターンが増えているのはよいことなんだけど、俺みたいな独身ばっかりUターンしてきてどうするんだろうね。最近無駄にソロキャンパー向けのキャンプ場ばかり増えている。おっさんの都を作りたいのかな。俺はそれでいいんだけど。
さらに定年後帰ってくるジジババも増えている。それを当てにしたサ高住ができたりしてて、今後介護医療ばかり負担増間違いなし。健保と介護保険爆上がり。このままだとたぶん滅ぶよこの町。
氷河期世代以降は都会からのUターン組がマジョリティなので、もう昔の因習とかはあんまり感じられない。因習と一緒にお祭りなんかもなくなっちゃったけど。コロナ禍でそれはさらに顕著だ。
まぁ俺の周りのコミュニティだけだからそれを代表で語っていいかはわからん。
ただし女性も働いていないと、専業主婦やってると遊んでるとみられるのは、同じかもな。もちろん男性の方がそれは顕著だけども。
やれ部外者イジメや村八分だの、因習だのが悪い事みたいに描くがな
なのに、それを悪いことのように漫画やドラマ、2chの暴露や愚痴スレで描く
腹立たしい、「秩序」と「平穏」を乱すような余所者を虐げて何がいけない?そいつらを犠牲にするように仕向けて何がいけない?
因習だの勝手に抜かすが我々にとってはそれな大切な風習だ、「因」なのは外のお前らの勝手な価値観だろ
何も知らず勝手に、「村社会は怖い」「因習の村」「村の人間は閉鎖的でイジメ好き」とか言いたい放題抜かしやがって、余所者の異分子共が
最後にいいことを教えてやる、「村」の人間もネットくらい見るんだがな
ずっと悪く言われてきたからな我々の村は
結婚十訓ってすげえなあーと思ったけれど、
これって1番目や2番目、3番目や4番目を実行してたら厳選するようになって
寧ろ少子化が叫ばれる今現在こそ実行してるよね、結婚するなら心身ともに健康な人を選びましょう、悪い遺伝のある人は避けましょう、って。
それでも昭和は人口爆発していたのは、一人の女性が十人以上産んでたせいなのか…?
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/031800039/?P=3
【結婚十訓】
一.一生の伴侶として信頼できる人を選びましょう
二.心身共に健康な人を選びましょう
四.悪い遺伝のない人を選びましょう
九.式は質素に届けはすぐに
十.産めよ育てよ国のため