はてなキーワード: 助長とは
いうまでもないことだが。若い女が、若い女が珍しい界隈で発言するとどんなくだらないツイートでも何百個もいいねがついたりする。馬鹿らしい。
気持ちは悪いが、自分で買ったものを自分で使ってるだけで現実の男児を含め誰にも加害はしてない。
これが現実の男児が被害に遭っているのであれば糾弾するべきだが、そうではない。
・男児ラブドールとセックスするショタコンを燃やす自称フェミニスト
大半の人は具体的な理由を述べられないまま、人一人ネットリンチしている。
「販売するべきではない」等の意見に対しても具体的な展望がなく、むしろ状況が悪化(現実の男児が被害に遭う)する可能性も孕む。
また差別の助長に繋がり、多様性社会に反する意見は「フェミニズム」にも悪影響がある。
すまんが反論ある?
#COCOAボランティアデバッグ に尽力されている皆様に深い敬意を表します。
併せて、 OSS コミュニティへの悪影響を残している関係行政機関・各社担当者を強く軽蔑します。
project dead? · Issue #773 · Covid-19Radar/Covid19Radar · GitHub
(注) これはアプリケーション固有の問題ではない( Apple-Google API の問題)が、前項の問題点と併せることで脅威となりうるので便宜的に示しておきます
※一部で報じられている「保健所から COCOA への陽性情報の登録に必要な処理番号が即日発行されない」などの問題もありますが、ここでは省略します
※以下はあくまでシミュレーションであり、 COCOA の悪用を助長する意図はありません
細かい説明や具体的な表現は控えましたが、この攻撃を仮に受けたとして致命傷に近いダメージを受ける事業者は少なくないと思います。
事業所単位で COCOA の導入を推奨している管理者は直ちに見直すことを推奨します。
本日より COCOA の導入を促すテレビCMが放映されているようです。( #検察庁法改正案に抗議します で一躍有名になったきゃりーぱみゅぱみゅ氏などが出演されているようです)
一方で COCOA アプリケーションのリリースは 2020年7月13日 にリリースされた v1.1.2 を最後にアップデートが途絶えており、不具合ととれる多数の事象は解決されず、上記に挙げたような問題点が払拭されることも残念ながら当面は無さそうです。
世間では高ぶる正義感からか COCOA の導入を声高らかに勧めたり、従業員やビジネスパートナーに導入を強いている管理者も現れているようです。
このエントリを通じて、そのような方々へ抵抗出来る材料が提供できれば幸いです。
冒頭のように COCOA の原型であるとされる Covid-19Radar/Covid19Radar プロジェクトも OSS にあるまじき「放置状態」が続いています。
これが GitHub を買収した企業に所属する人間の所作ですか?
IT/ICT や OSS を通じて昨今の COVID-19 感染拡大を発端とする諸問題を解決する動きは支持したいですが、このような杜撰なサービス運営により IT/ICT や OSS に対する世間の期待を悪化させることを強く憂慮しています。
えーっと
「科学的根拠」っていうのはルールが必要かどうかじゃなくて、ルールに当てはまるかどうかの判断基準なんですよ。
例えば局部のモザイクをつけることを決めたのは「お気持ち」かもしれないけど、では具体的なAVがモザイクの不足を理由に排除されるときは科学的な根拠、すなわち実際にモザイクがかかっているかどうかの話になる。
今回「宇崎ちゃんが性犯罪を助長する」、というのが理由であるなら、それを排除するルールはお気持ちで作るにしても、それに宇崎ちゃんが当てはまるのかどうかは科学的根拠が必要。
まぁだからそこ基準に満たしてるかどうかが数値化なりになるわけですけどね。
例えば有害図書指定も審議会で決める方法以外に性描写が全体の〇〇%以上の時に~みたいな指定方法もあるわけで。
本来はお気持ち、多数決による議決(かなり慎重な決定が求められるが)でしかない表現の自由規制が、今回なんで「科学的根拠」が飛び乱れるかって、
「おっぱいが多いいキャラクターは性犯罪を助長する」という主張があったから。
熱中症の危険もそうだけど、日焼けは見た目の老化が早まるから男女問わず差したらいいのにと思っているアラフォー女。
これはかなり重要な点だと思っていて、実は多くの場合根拠なんてなくて、大半は「気持ち」なんですよね。
たとえばAVで局部にモザイクが入っているけど、モザイクが入っている理由なんて誰も説明できなくて、むしろ外国ではモザイクなしのほうが多い。
これはあくまで、法律や判例を作った時の「気持ち」でしかない。
ただ、だから何でもかんでもお気持ちで叩いていいかというとそうではなくて、ちゃんと規制する対象は明確にする(局部はNGだけどアナルはOK)とか、(有害図書指定みたいに)審議会で決定するとかそういう方法は必要でしょう。
そして今回混乱してるのは、そこにさらに「おっぱいが大きいキャラクターのポスターは性犯罪を助長する」という謎の主張が科学的根拠なしで語られたことですね。
「性的モノ化の是非」なんて議論は初めから存在しないのだから真面目に相手する必要はないんだよな。
元々批判されていたのは性的客体化(objectification)の是非。
女性が性的視線を「向ける側」ではなく、「向けられる側」であるという空気を助長する表現は如何なものか?それは女性の主体性・自己決定権を損なうことに繋がるのではないか?という批判に対してどう答えるか?という話なんだよな。
そういう意味では、たとえばananの表紙のように、女性から男性へ向けて性的視線が向けられる表現というのは、そりゃ全くもって問題がないんだよな。(少なくとも「性的客体化」の議論においては。)
馬鹿馬鹿しい非難に対抗するために馬鹿馬鹿しい議論を重ねなければならないという構造そのものが馬鹿馬鹿しいのだから、その馬鹿馬鹿しさを指摘しなければならないのだよな。
実在女性を媒介しない、空想の女性表象というのは、むしろ正しく女性性を「モノ化」しているのだから、非空想の女性を性的に「客体化」することに奉仕しない、という反論もあり得るのではないか。
アクタージュ原作者の件でジャンプ編集部をしつこく叩いてる奴らって
加害者である原作者当人は自分の意思で犯罪を犯したのではなくジャンプの体質のせいで犯罪を犯したって理屈みたいだから
なんでジャンプ編集部が謝らなきゃいけないのかさっぱり分からん
それってあいつらが日頃叩いてる、夫の浮気で何故か妻が謝るような事例じゃないの?これはいいの?
ジャンプ編集部が男ばかりとか言っても、漫画の流通全体に関わる過程では女性も普通に沢山いるだろうし降ってわいた事件に忙殺されていると思うんだけど…
紙の雑誌を作って流通に載せるまでにかかる時間とか、関係者の多さとか考えろよって思うんだけど、叩いてる奴らは社会人経験ないのかな
子供を対象に商売している雑誌だから未成年が被害者になった事件では被害者についてコメントしろとか言われても
じゃあ成人向け雑誌だったらいいの?とか、被害者が仮に成人だったらほっかむりして連載続けてもよかったの?って思うし
性犯罪を許さない事を表明しろとか言われてもそんなの当たり前なのでいちいち言う必要ないだろと思うし
第一あいつらの暴走ぶりを見ていると、性犯罪を許さないと言ったら言ったで「性犯罪を助長するような漫画を載せているくせに心にもない事を言うな」とか何とか理由を付けて叩きそう
はっきり言って、作画担当が出したのと全く同じようなコメントを、もしも編集部が出したとしても叩いてる予感しかしないんだよね
作画担当についてもたまたま若い女性だったから持ち上げてるだけで、もし男だったら共犯者扱いして叩いてそうなくらいにジャンプ叩きは暴走してる
言いたいことは全部書いたつもり。
文章が長くてごめんなさい。
【概要】
この署名の目的は、株式会社集英社に特定の要求をするものではありません。
署名の主眼は、少年ジャンプを応援し作品を応援する人がこれだけの数いるのだと、集英社に知って頂く事にあります。
暴力や性、悪意といった汚いものを描いたフィクションが、傷つき抑圧された誰かの心を浄化・解放して救う事が確かにあります。
いろいろな批判は真摯に受け止めても、クレームには安易に負けないで下さい。
【キャンペーン詳細】
昨今、少年ジャンプの漫画作品について、暴力シーンやお色気(性的と取れる)シーンを含む描写に批判の声がインターネット上であがっています。
そのうちのいくつかは、マンガ表現が読者に悪影響を与え現実の差別や犯罪を助長するのではないかという想像を根拠とし、治安向上のために表現の改変や規制を望む声が多く含まれます。
漫画作品が読者にどのような影響を与えるかは複雑で予想がつかないと同時に、一定の責任が付随するものと私も考えています。
しかし同時に、集英社様には安易にクレームに負けて作品取り下げや改変などといった性急な判断を下す事なく、漫画が果たしている様々な社会的貢献と責任について、あくまで慎重に考え判断してほしい、そして私達の愛する作品をどうか守って欲しいと願っています。
(※自分語りが入る事をお許し下さい。読み飛ばして下さってもあまり問題無いです。)
このような考えを私が持つに至った理由は個人的な経験に由来します。
まず私は少年ジャンプのラブコメ作品を正直あまり好きではありません。
おそらく一般家庭よりも性的に抑圧された教育を受け、また一方で性的嫌がらせとも言えるとても不快な行為を幼児期に経験してトラウマを抱えた私は、気が付けば「強い女性に男性が支配され傅き、あるいは苦しめられる描写」を愛好するようになり、恋愛もののフィクションでもそのような人間関係描写に憧れ、またポルノでもそういったジャンルでしか興奮できないようになっていました。
そんな私にとって、世の中のポルノに限らず純愛と呼ばれる恋愛ドラマ、ラブコメの殆どは生理的に不快なものとして映ります。少年ジャンプのラブコメ漫画も例外ではありません。昔から男女間の軽いセクハラを嫌悪し、純愛ラブストーリーにしらけ、ラッキースケベと呼ばれる不自然な性的描写にも眉をしかめていました。
しかしそれは、私のごく個人的な嗜好の問題に過ぎない事も強く自覚していました。
なぜなら、逆に女性が男性に暴力を振るうという暴力的・性的なフィクションがたしかに私の心を救ってくれて、汚いものを好み申し訳ない存在だと思っていた私でもこの世界に存在しても良いのだという自己受容を得る事ができたからです。辛い子供時代を過ごした私にとって、これは確かに必要なものだったのです。
私が価値観の違う他人を尊重し、その心情や痛みを想像する事を覚え、また卑屈にもならず自分の心を守る事ができる様になったのは、その自己受容のお陰による所が大きいです。
しかし私の「見たくない権利」を過度に押し通せば、大勢の人の「見たい権利」を侵害する事になります。
だから私は「見ない努力」をし「見ない自由」をできる限り行使して日々過ごしています。
【皆さんにお伝えしたい事】
私にとって、少年ジャンプには好きな漫画もたくさんありますが、個人的に不快に思う漫画も沢山あります。
純愛・健全と呼ばれるエロやお色気を嫌悪し、インモラルとも言える暴力・性愛を描いたフィクションに心を救われた私だからこそ、
暴力的・反社会的な表現が、抑圧された誰かの心を浄化・開放する事を知っています。
私の心を不快にする表現が、他の誰かの自殺を食い止め生きる希望を与えている事を知っています。
ハラスメントや暴力、性的描写をフィクションとして消費しながら、同時に人と健全な関係を築き、お互いを尊重し合う事ができる事を知っています。
エロに「健全なエロ」と「不健全なエロ」といった単純な区分など本当はできない事を知っています。
フィクションの表現が読者にどんな影響を与え、時に狂わせるかは製作者にもコントロール不能な難しい問題だと思います。
ジョン・レノンを殺害した犯人がライ麦畑を愛読し、コロンバイン高校射殺事件の犯人がマリリン・マンソンを愛聴していた様にです。(※賛同者さまからご指摘を頂いたので訂正します。当時メディアによって犯人がマンソン愛好者だと報道されバッシングが行われましたが、これは後にデマだった事が発覚しており事実無根のようです。)
刺激的で過激なフィクションが人の認知を歪め犯罪に走らせ、世の中を悪くする可能性が100%無いとは私は思いません。そういう事もあるのかも知れません。
しかし私は「事はそんなに単純ではない」と言いたい。
特定の表現を規制したから悪影響が減る、といったシンプルな考え方は思慮に欠け危険なものだと思います。
【最後に】
暴力や性、悪意といった汚いものを描いたフィクションが、傷つき抑圧された誰かの心を浄化・解放して救う事が確かにあります。
いろいろな批判は真摯に受け止めても、クレームには安易に負けないで下さい。
世の中の大勢の少年少女が読むであろう漫画を出版する企業として、本当の意味での責任は何なのか、深く考えて頂ければと思います。
もし私達がなにか問題を起こしたとしても、それは少年ジャンプのせいではありません。私達がもっと勉強すべきだったのです。
ゲームは人間の感情を強く揺さぶるものであり、だからこそ楽しく、多くの人をひきつけている。その感情への影響力の強さは魅力であると同時に、危険でもある。ゲームは非常に強力なプロパガンダの道具として使うこともできる。ゲームの強力な感情作用は平和な遊びに留まっているからこそ尊い。そこに企業や国の政治的思惑が介入したとたんに、ゲームは卑劣な感情操作プログラムに成り下がる。
じゃあもしプレイヤーに暴力的になってほしいと考えて戦闘を過激にしたら、それは悪なのか?
暴力を助長するとかいう人はいるけど、実際にそうなるエビデンスは十分にない。ゲームをプレイしていくなかでプレイヤーは、制作者の意図とも表現とも関係なく、楽しみだけ享受していくでしょう。Epic を支持しろみたいに促されたって、自分の考えを自分に倫理観で判断できると思うよ。もしそうでないなら、むしろ判断力を養うだけの教育が足りないんだ。クリーンな環境で汚れに触れさせないで育てれば、親はラクかもしれないが、では判断力を培うために政治的闘争に向き合わせる機会を用意するつもりが本当にあるのか、って疑念がある(※いや増田がってことじゃなく一般的にね)。
オッパイの大きいキャラクターを出すことが女性を隷属させる傾向を作る、って問題になってたこともあったけど、人間はそんな風に単純に、感情操作されないと思う。APEX だってブラックライブズマターってバナー入れてたし、子どもをもっと政治に触れさせていっても良いと思う。企業だって欲望を持つものの集合体なんだ。隠したっていつかはバレるさ。
シン・グヮンスにしろ大韓航空機爆破事件の犯人にしろ「日本人」になりすましていた。むしろ在日・韓国人についての発言だと受け取る方が、(無意識にせよ)工作員は在日社会の中にいるという危険な観念を助長し拡散している。
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>RT 三浦さんはスリーパーセルが「在日韓国・朝鮮人」の身分で潜入しているとは全く言っていないのだが、批判する人たちもなぜ当然在日・韓国人を意味したと(と受け止められる)と前提にするのだろうか。色々なルポを見ても、北朝鮮から身元をさまざまに偽って入ってくる。— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) February 12, 2018
https://www.gentosha.jp/article/16300/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gentosha.jp/article/16300/
怒ってる。
なんならあらゆる罪で一番憎んでる。
でも、どれだけ性犯罪に怒ったって、こうやって「怒らないお前ら男が性犯罪を助長している」が飛んでくる。
性犯罪が許せないぶん、自分が男というだけで、そんな性犯罪者の肩を持ってるような扱いを受けるのも耐えられない。
そういう怒りもずっとある。
じゃあ性犯罪をなくせってか。
無茶苦茶言うな。
決して、6000万人分のパワーを持った無茶苦茶デカい生き物ではない。
もし男に生まれ変われたら、どう生きるつもりなんだ。
どう生きたところで、どれだけ人を救ったところで、"男"でまとめて失望され続けるけどな。
毛頭、許すつもりはない、でもただの人間に、それを検知する力も防ぐ力もない。
犯罪ってそんなもんでしょう。
そんなものを、「なくならないのはお前らのせいだ」と言われ続ける。
そういうのが生まれながらに降り積もってる。
当然、実際の被害者の方が傷付いてるのはわかってる。
でも他人の大きな被害への怒りもありつつ、自分を責める言葉への拒絶反応はなくせない。
いるだろ。
こういう仕組みがあったほうがいいんじゃないか、って発信してる人いるでしょ。
歩み寄れる人間って、まずはその人らじゃないのか。
それでもいつまでも、彼らは”男”として、性暴力に全く関心を示さない生き物として、加害者とひとまとめに失望され続ける。
いつまでも加害的な人間ばかりがピックアップされ、「普通の男性」と表現され続ける。
違うよ、「異常な男性」だよそれは。
そのやり方に「すべての男性を責めているわけじゃない」とかいう文句の白々しさがあるんだよ。
結局、歩み寄りなんてのは建前で、「男性は異常」って結論して溜飲を下げる欲求を優先してるようにしか見えないんだよ。
歩み寄るってのは、人を、男とか女とか何かの集合体のように扱うことじゃなくて、まずは、ただ属性を持った一人一人の自分と同じ生き物だと認識することだろ。