はてなキーワード: 全面的とは
いみわかんね。ランキングなんざ1つの軸に従ってこうだって話にすぎんだろ?
世界幸福度ランキングが発表になった。しかし、例えばニコニコの記事でいかにも同一のやつがしつこく「こんなランキングは意味がない!」と粘着して大量に批判してる。
しかも、これ英文の元を読まずにただ因縁つけたいだけだろ?みたいな内容の批判も多い。
他にも、一人あたりGDPも大概因縁付けられるな。これは物価差を見ていない!と言い出す。じゃあ購買力平価一人あたりGDPなら?というと、曖昧なデータを元に撹乱している!と。
大学ランキングもそうだ。これはもう日本のアカデミックは致命的に衰退している。
それらの懐疑主義者にとって国際比較のランキングで信頼されるものってのはあるのだろうか?
さらに、これらのランキングは1つの軸に基づく結果だ。ランキングを信用しないとすると、何を信頼するのだろうか?
とすると、「権威を信じる」ということになるんだろうな。科学は明確と分析によって成り立つ。各種ランキングもランキングを付けれる範囲で基準を作ってその元分析している。
所詮1つの軸にしか過ぎない。その軸の範囲で改善はしていける。
科学以前は全て権威が正しいという世界だった。教会なり王なり。
王が言うことが正しいのだから、王が日本が素晴らしいといえば、素晴らしい。これほど楽な治世はないな。さらに、そこに教会=神道カルトの権威のもとに従えば良き治世になると。
無論、懐疑主義は科学の要素の1つではある。しかし、何を目的にして、何が正しいかを考えながらでないとすべての意見を否定して、権威主義に陥るだけ。
そもそも、日本人自体が、個人と、意見を分離できていないということもあるだろう。
だから、日本について悪い意見、ランキングが下がったということを言われれば、それは日本を貶めるインボーである。なので、相手を全否定しないとならない。
世俗権威と宗教権威が好き放題出来て、日本を全面的に褒め称える言葉であふれる世界。それがランキングに因縁つける奴の理想世界ななんだろうかな。
すきな人ができたんですけど、つきあうとかはちょっとムリといわれて
でもすきとか会いたいとか会えてうれしいとか声が聴きたいとかいうのは構いません(敬語)といわれまして
バレンタインに贈り物を送ったらホワイトデーにお返しがきてキュンとします。
でも本気ですきだとやっと通じたらこれからは毎日の電話はやめますといわれまして
もう困らせないようにとがんばってみたけどムリでやっぱり話したいといったらどのくらいの頻度がいいですか?週2回では?
会いたいけどこういう気持ちで会いに来られたくないだろうな
でも会いたいのこの日あたりに会いに行っちゃえと思うと伝えてびっくりするかと思ったら
お天気に恵まれるといいですねえ(穏やか)と返事が来て週間予報や何か調べてくれて
え、いいの?逆に?と当日まで???状態だったけど会いたいのでまあ結局いった。
会ったらぜんぶ奢ってほしいし車であちこち連れて行ってほしいし時間一杯ずっと一緒にいたい
なんて甘えたことをいうだけいってみたら完璧にそうしてくれてこれですきにならないのはもう無理なんですがどうなっていますか。
ただちょっと(※すごく)会いたいだけで用はないんだけど、いうだけいってみようとlineを送ると本当に会いに来てくれてもうまっすぐ立てない。
ちなみに電話もちょっと声がききたいときはlineを送ると契約時間外でも電話をくれます。
正直これまで付き合った人にもこんなことしてもらったことはない
何よりこんなにおねだりしたことがない
なぜそんな私がここまですねたり甘えたりさみしがったりするのか、それを全面的に表に出してしまうのか自分のこともわかりません。
我に返ると身の置き所がなくいたたまれないのでもう会いたくないし声も聞きたくない
でも声を聞くと細胞のひとつひとつが震えるように甘い時間が流れるし会うと世界は薔薇色なので薬物依存者のようにまた手を出してしまいます。
彼は何か特命を帯びた刺客として差し向けられ隠された秘密を暴き出そうとしているのでしょうか。
それともどこかの富豪が哀れな私への慰めとして提供してくれているレンタル彼氏なのでしょうか。
だからおさわりは握手までで特定のリクエストをしたとき以外は敬語なのでしょうか。
ひとつわかっていることは彼がはてなブックマーカーだということで本当はブログで書きたかったけれど増田にしました。
見てるー?書いたよー!
トランプさんは米朝会談後の記者会見で「北朝鮮側が制裁の全面解除を求めたから合意しなかった」と言っている。
しかし北朝鮮側は「我々が要求したのは全面的な制裁の解除ではなく、一部の解除だった」と主張している。
ということは、アメリカと北朝鮮のどちらかがウソを言っていることになる。
米朝会談の内容は録画も録音もされていないので、どちらの言い分が正しいかを判断しなければならない。
もしくはトランプさんとチビデブのどちらを信じればいいか、という(言い方は悪いが)宗教みたいな話になってくる。
日本人の一人としては、日本の同盟国であり民主主義や資本主義など価値観が同じであるアメリカを信じたい。
北朝鮮なんて国自体が「ウソ」で構成されているようなものだからなあ。
それに南北問わず「朝鮮人」がウソつきであることは、去年12月の哨戒機に対するレーダー照射問題で明らかになっている。
しかし、実際にどちらの言い分が正しいのだろうか。
貴方にも友情は無いのではないかと思います。正確にはAさんの友情がないせいで、貴方の友情も変質して別のもの(依存心)に成り果ててしまっのではないでしょうか。
ご自分で他のお友達に対して仰っておられるような、厳しい優しさである「たとえ相手に嫌われても、必要だと思う忠告をする」のが真の友情なら、貴方自身もAさんに対する友情があると本当に言えるでしょうか?
自分の気持ちは度外視するにしても、彼女の今後の人生の為に「そういう身勝手はよくないよ」と言おうとは思っておられないように見受けられます。
嫌な言い方ですが、貴方はAさんが気遣いを覚えて幸せになるよりも、自分が彼女に嫌われない方が大事ということです。さらに意地悪な言い方をすれば、Aさんは自分の楽しみの為に貴方を利用し、貴方は「女の友情はちゃんとある」ことの証明にAさんを利用している共依存関係に陥っています。
勿論行為を見れば人道的にあなたは全く悪くなく、Aさんが全面的に悪く、そこは決してどっちもどっちではありません。しかし、もはや双方どちらにも友情と言えるようなものは残っていないのではないでしょうか?
どんなに頑張っても「女の友情はちゃんとある」のを証明することはもう不可能で、これから証明できる事象は「甘やかしは本人も周りも不幸にする」だけだと思うので彼女のためにも離れた方がよいかと思われます。
単なる愚痴
https://www.asahi.com/articles/ASM2D6F8NM2DUCVL03V.html
「意味のない法改正」「イラスト界が壊滅する」 違法ダウンロード対象拡大で漫画家らが“反対集会” (1/2)
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1902/08/news154.html
静止画ダウンロード違法化案「目的を見失っている」──情報法制研究所、懸念と改善案を提言
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1902/08/news139.html
参考:文化庁は、違法ダウンロードの範囲拡大は海賊版対策として有効だと強弁し続けている。
https://p2ptk.org/copyright/1628
>目的を見失っている
正にこれ。
今回に関して言えば、漫画家の保護やらなんやらを建前に強硬しようとしていたしな。
以下に結論ありきで文化省を始めとした音楽業界、映画業界に今回はこれに加えて出版業界の談合している連中が、その後の影響を考えずに強硬に推進しているかと言っているようなものだよ。
去年の4月頃だけどブロッキングだけではなく、こっちの話も出た時にDL規制も碌なものじゃないからこっちも問題視しなきゃダメだよって言ったのも関わらず、
当時はブロッキングは問題視する人は多くてもDL規制に関しては逆に専門家ですら賛成していたのも多かったしな。
それに反対意見や問題視した意見に対して、ネットでも漫画家の食い扶持を守るためとか、自分達が死ぬとか言って反対意見を潰す連中も多かった。
それとこいつら文化庁は音楽業界と映画業界と組んでいつも著作権を理由にネット潰しする事しか頭にないのだからこうなるのも当たり前だよ。
現に今回もパブコメを読んでみても
>インターネットユーザーによる私的なダウンロードであっても,それが権利者に
>与える影響は甚大なものとなるし,侵害コンテンツと知りながら海賊版サイトか
>ら海賊版をダウンロードする利用者を,法第30条によって保護するに値しない。
>(一般社団法人日本知的財産協会(次世代コンテンツ政策プロジェクト))
参考:http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h30_08/
とか余りにもふざけた事を発言したりしていたしな。
こんなもんなくなった日にはインターネットをまともに利用する事自体不可能になるわ。
今ですら危険性が多々あるのを指摘され続けているのにな。
しかし今回の改悪もし実行されたらこうした引用すら危険な行為になるやもしれんね(皮肉)
問題点が判ってからいつも土壇場になって手遅れになってから騒ぐ漫画家等の創作物分野のコミュニティーも進歩ないなと思うけどさ。
それとようは今回に関しては漫画家等の創作分野の人間は元々奴らの進めたがっていた規制の理由として、単に当て馬にされた格好だよ。
しかし何でも安易に規制を進める連中ってのはどんな分野でも人の話を聞かない結論ありきの無能なのが実感させられるな。
これを行った事で後にどのような副作用が起こるか考えないし、指摘された所で聞く耳も持ちやしない。
現に今回は素人に限らず、専門家にも法の形骸化を指摘され始めだしたみたいだしな。
多分この人達ひょっとしたら自身の携わる憲法や法律以外には無知なのかも知れない。
それにこんなもん正確に法律を適応したら、その辺で逮捕者溢れかえるわ。
そもそも情報の受信者側を逮捕すると言う発想自体本来頭おかしい代物なのだけどな。
表現の自由を一番に活用している連中が、一般人の知る権利を今回は侵害しているんだから笑えやしない。
現にあのDL規制法を唯一制定した国であるドイツですら、P2Pに限っても刑事訴訟の乱発で裁ききれない状態になって、
2008年になって再度改正したものの情報開示請求と警告状送付が乱発され、ユーザーや消費者団体から大反発食らったって状況なのにな。
そしてそのドイツですら単なるDLで逮捕された事例なんてないし、世界でも一例もない。
参考:第271回:欧米主要国におけるダウンロード違法化・犯罪化を巡る現状
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-ca58.html
第255回:ドイツの消費者団体の著作権法改正に関するポジションペーパー(日独のダウンロード違法化・犯罪化問題)
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-39f6.html
冗談抜きで今回のDL規制の拡大化についてはインターネット利用を委縮させるものであり、世界的な失敗事例からも何も学んでいない愚かな例としか言いようはないんだけどな。
韓国のアダルトサイトブロッキング化(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190213-00000078-it_nlab-sci)を笑えやしない。
しかしこれをみても音楽業界や映画業界、出版業界はインターネット利用者は自身の客を含め、全員犯罪者扱いしているようなものなんだけどね。
大枠にあてはめ誰しも適応できる代物って、客に対してもこういっているのも同等なんだけども。
1990年生まれ現在28歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、最近になってまた戻ってきた話を1年前、はてなで投稿しました。
あれからちょうど1年経ちましたので、改めてまとめようと思いまた記事を書いています。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
1年前、この記事を書いた後、思った以上の反応がありとても驚きました。
まさかあんなにコメントが頂けるとは思っておらず、戸惑いつつも全て読ませていただきました。
私と同じように、夢を追っていたけど諦めた人。
オススメの本を教えてくださった人(全部読みました)。
全てが嬉しくて、おそらくこの記事とコメントがなければ、この1年絵を描けていなかったかもしれません。
1年間何をしていたかと言うと、とりあえずは具体的な目標を立てようと思い、
ピクシブに投稿したりpawooに登録したり、イラスト雑誌に投稿したり
特にコミティアでは、本を出すため仕事の合間を縫ってちまちまと絵を描き、帰宅後すぐ絵を描く日々が続きました。
それでも枚数が少ないためどうにか本の形にするために考えたことは、文章を添えることでした。
絵を描くのをやめてからもあまりに自然な昇華活動として行なっていたために、
自分が文を書くのが趣味ということにも気付いていませんでした。
昔、文章を書いていて同級生にとても馬鹿にされた経験があり、ずっと表には出していなかった趣味でもありました。
思えば長い間、人の目を気にして何もできなくなっていました。
そう思われるのが嫌で、自分をずっと殺していました。
それは絵だけじゃなくて、文章も詩も、着る服も選ぶ小物も言動も、全てそうだったように思います。
目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、
本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。
せっかく恥をかくんだ、どうせなら徹底的に自分が好きなことしかしないでおこうと思い、
知り合いには誰にも見せないようにしながら、好きな題材で絵を描き、好きに文章や詩を書いて絵に添えました。
仕事では「ダサい」と思われるのが嫌で徹底して自分の好きなものを殺して作ってきましたが、もうこの際だと、好きにデザインしました。
普段は絶対使わないけど実は気になっていたフォント。無駄だらけの装飾。自分に浸った言葉の羅列。普段は絶対言わない主張を書いた文章。…
とにかくもう誰の目も気にしないように気をつけながら、自分の好きを探すことからはじめました。
同人イベントにサークル参加すること自体が初めてで、それだけでも緊張していましたが、
不安で吐きそうになりながら、一人でポツンとお客さんを待ちました。
こんなにたくさんの人が居る中、自分の絵なんて、見てくれる人が居るのだろうか。
1冊でも売れるだろうか、いや、1度でも手にとってもらえるんだろうか。
今日、誰も来なくても、誰にも見てもらえなくても全くおかしくないな。なんて、ずっとぐるぐる考えていた気がします。
会場後30分くらい経っても人が来ず、ずっと一人で、泣きそうになりながら机を睨みつけていたら、
ひとりの女性が本を手に取り、しばらく眺めた後
「これ、1冊ください」と、お買い上げくださりました。
あの瞬間のことを多分私はずっと忘れないと思います、
いただいた300円を、しばらく、見つめて
生業であるデザインの仕事では、時には1、2時間の作業で5万円稼ぐこともあります。
時給換算すると本当にちっぽけなものでしたが
私はあんなに大切な300円を今後も知ることがないと思います。
あんなにたくさんのサークルが居る中、私のサークルを見てくれたこと。
涙をこらえながら、何か、今までの全てが溶けたような感覚になりました。
絶対に愛されないと思っていた自分を愛してもらうこと、そんな奇跡を、
その後も、たくさんの人にお買い上げいただき、とても好きな絵柄ですと言っていただいたり
ツイッターではとても好きな絵描きさんと相互フォロワーになれたり、
しかもそれは、取り繕った私ではなく、全面的に自分をさらけ出した正真正銘の私としての結果で
もう好きなことを殺さなくて良いこと。自分を出しても怖くないということ。
良い意味で、作り続けなければいけないという強迫観念がなくなったこと。
今まで自分はスタートラインにすら立っていなかった事に初めて気づきました。
戦わない。比べられる土俵に上がらない。向き合わない。そうして自分を守ってきたつもりだったけど、
裸になって、真正面から「作ること」に向き合い続けたこの1年間で、
「誰か」と比べる必要は全くないこと。自分のことだけ見つめて良いこと。何も怖くないということを知りました。
一歩を踏み出す勇気さえ出せれば、全然違う世界が広がっているということを知りました。
多分それは絵だけじゃない、全てが、少しずつ変わっていくのを感じます。
1年前に比べて、驚くほど自分に対して穏やかになったことを実感しています。
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
もうこのことでは全く悩まないようになりました。
勇気を出してよかったと、この世界は見えていなかったと思います。
「本当の自分」を好きと言ってくれる人がこの世に1人でもいれば
きっとずっと私はものを作れるし、
改めて、1年前コメントをくれたみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまからのコメントがなければ、ここまで勇気を出せなかったと思います。
これからは気の赴くままに、頑張ったり頑張らなかったりしながら
うーん、
なんというか…きめつけが激しくありませんか?
「人のせい」と「国の政策による結果」は別物です。
なぜ分けて考えられないのでしょうか?
それでもそのたとえを使ってみると、ニート個人の言い分はおいておいて、ニートが存在しうる背景には社会状況が関係している、と同じです。
ニートは男性のほうが多いそうですから、生物的な背景も関係しているわけです。
出産も同じです。
むしろ子育ての責任を男性よりも直視できているからこそ、出生率が低いと思いますが。
賃金労働と生物としての役割(出産)を混同しているように見受けられますね。
そうすると男性の義務とは、子の育児を妻が全面的に担うのであれば、自分と妻子合わせて人数分の給与を稼ぎ妻子に還元すること、さらに親として子の教育に携わること、
共働きの場合には妻とほぼ同じ労力を子の世話に割き、自分と子合わせた給与を稼ぎ、親として子の教育に携わること、
これらが最低限の親になる義務でしょう。
日本は男性がこれらの義務を果たす割合がもっと出生率の高い国に比べて低い国です。
さらに、先に子育ては「親二人分の資源を割いて行われる」と書きましたが、
女性が持つ資源のうち、経済的な部分を低く抑えているわけです。
それは出生率が上がるわけもありません。
洋ホラー映画を見ていたら、昔(画質が悪い時代)のホラー映画も現代の映像がクリアなホラー映画も面白い!繰り返し見たい!ってワクワクするものがけっこうあるけど
日本のホラー映画は地デジ以降すごく面白い!!繰り返し見たい!って思えるものがない……
大好きなホラー映画
映像が綺麗になってからの日本のホラー映画で、すごく怖いな、繰り返し見たい。好きって心から思えるものがない。
洋画だと今の作品も昔の作品も、うおーおもしれーと思えるものがガンガン出てくる。
なんでなんだぜ。
ホラー映画好きな人にあったとき洋物ばっかり好きと言ってて、「日本人なのに日本のホラー映画好きじゃないのかよ」と思ったけど
洋ホラー、良作もたくさんあるけど駄作もたくさんある。スタージョンの法則ってやつ?日本のホラー映画は作られる数がそもそも少ないから良作が生まれにくい?
洋ホラーはキリスト教が関係する話が多くて、宗教が国民の生活に深く関わってくるなら、キリスト教が関わってくるホラー映画は国民にとって興味を持ちやすい。需要があると思った。ジェイソンの映画は宗教が関係ないと思っていたけど、ジェイソンに殺されるのは姦淫を犯した若者で、ジェイソンに殺されずに生き残るのは無垢な処女ということを知って、こんなところにも宗教感が現れてるのか…!とビックリしたよ。
日本のホラー映画は特定の宗教が関係ない。もし特定できるような宗教を主題にしたらその宗教の信者から苦情が来そうだし。
って打ったあと死国はお遍路が関係してるから宗教関係あるか…って思ったけど作者のオリジナル要素がだいぶ入ってるから実際の現実のお遍路とは違うのかなーと。
日本のホラーで、エミリー・ローズレベルで「信仰って、宗教ってなんだろう?」って問いかけて考えさせられるような、実際の宗教がテーマになってる映画ってないよね?あったら教えてください。
洋ホラーの初代SOWやジェーンドウの解剖みたいな新しい話型が生まれず、どれも既存の型にはまった話だ。(型にはまっていることを全面的に悪いと言ってるんじゃないよ)
ホラー映画って恋愛やサスペンス、ミステリーに比べて人々からの注目度が低いのかな
映像が綺麗になってから、心から好きだとハマれるホラー映画がなくて悲しい。ホラー小説は昔も今も面白い作品がたくさんあるので文章を楽しんでるけどやっぱり映像でも楽しみたい。日本のホラー映画を噛み締めたい。