はてなキーワード: フィジカルとは
なんかみてると、凄い可愛くてやばい。
私は絵はちょこっと落書きするけれど、
心がふわふわになりました。
可愛くてすごいよ、みんな。
ずっと考えてしまうので(母のことと交互にだけど💦)
かといって現状出来る事と
したいこととは相容れないので
そのへんを縮めるために
出来ることをするのだけど
それはしたくないことだったり
一から全部調べたり人に頭を下げまくって
教えを請わないとよくわからないようなこと。
なので
調べて出来てしまう事はあるけど
やらなきゃなことが多すぎる。
善いことは無い気がするの。
ストレスがあるの判るわ、という共感や、優しい気持ちに触れることは出来るのだけど
恐縮するばかりで、ありがたいばかりで。
現状お返しめいたことができないので
それがまた私をかなしくさせるのです
ふがいないとか、そういうこと。
これがいつもあとまわし。
Priorityの順だけど、それに
頑張ります。
未だに固定電話のDataが某所で残ってて、
でも書き換え出来るProfileは携帯番号にちゃんとなってて、
何処の階層にあるんだろうこれは、という。
訂正して貰わないと、電話をかけたけど現在使われていませんになってしまう。
どうして、自分の個人情報を、自分で書き換えられるようになってないんだろう。
最新じゃないんじゃないの?とも思えてしまう。
父は、三男なんです。
でも違うからって言っても
正しくても
訂正してくれる機関がしてくれないと
間違ったままなんだよ。
そこを触れる権限の人たちが。
生活リズムが変わります。フィジカル的にもメンタル的にも順応するには時間がかかります。
やることが変わります。新しいことは楽しいですが、覚えるのは難しいです。
さんるい?瑠衣くんが三人いるの?分かりません。失敗すると恥ずかしいです。
今まで通りのことをして安心したくなります。今までできたことを今もできると確認したいです。
できるようになったことは褒めてもらいたいです。
褒めてもらえなかったり恥ずかしいときは、成長を自慢したくなります。
は?おまえ××なんかしてんの?だっさ!ふつうしょうがくせいなら〇〇するだろ!
友達が変わります。仲の良い人が他の人と楽しそうにします。さみしいです。
さみしい時にうるさい人が近くにいると、怖くなります。
さみしい時にふざけて大きな声を出してないと、さみしくなります。
さみしくなると、慰めてほしくなります。
小学生という肩書の重さは誇らしくもありますが重たく感じるときもあります。
それなりの筋力が付くには個人差があります。比較は不公平に感じます。
年上の人が意地悪をしてきます。
大きい声を出したり、たたいたり、好きなものをバカにしたりしてきます。
ゴールデンウイークが明けて2週間くらいで年上の人から順に落ち着いてきます。
このあたりから周りの人たちと話をするのが楽しくなってきます。
家族に言えない時は学校の先生でもいいし公文の先生でもいいし習い事の先生でもいいです。
話を聞いてくれない大人より、話を聞いてくれる大人の方が多いです。
あとは適当に楽しんでください。
目が合えば嫌味の一つや二つ言われるに違いない、やれ今日は早いじゃないか。何か予定はあるのか 笑?
うるさい 黙れ、 こっちは仕事してやってんだ
残業で稼がないといけないほど、お金に困っちゃねーんだよ ボケ
こちとら独身貴族、お前はせいぜい家族のために頑張りな適材適所だばーか
と思いながら私は逃げるように会社を後にする。
ずーっと退屈だ、大体のことに興味が持てないし
今更何かを始める体力も気力もない。
冷めた日常を押し流すように
強めのアルコールを喉に流し込めば
帰って寝るまでの数時間は気がまぎれる
そしてまた 現実を突きつけられる日々
後輩の冷ややかな目
を思い出すと憂鬱になる。
最低限の会話と最低限の仕事をこなして
終わりを告げるチャイムが鳴れば帰路につく。
それにしてもただ年を取った
考えたくもないが、まぎれもないおっさんだ。
(体調不良)
この日も上司に定時で上がることを告げた。
仮病の素振りとは裏腹に
正直、気分が高揚していた
リビングへと向かう。
買ってきた夕食をテーブルに広げてテレビのリモコンの電源ボタンを押した。
映し出されるスタジアム。解説者が背番号と選手の名前を何度も正確に読み上げている。
誰にも言ってないが最近の楽しみがこれだ
サッカーについてそこまで詳しいわけでもないし
経験者でもないが、日本人はパスの精度が悪い、シュートの意識が低い、フィジカルが弱いなどネットで覚えたワードを並べて偉そうに批評したりする。ただボールを目で追うことしかできないのに点が決まれば独りで雄叫びをあげてガッツポーズ。
お酒が進む進む。今夜は最高だ。
ゲーム中ふと、我に帰る、画面は一時停止で止まったままだ
なにやってんだろ。 とてつもなく、
くだらなく思えてくる。静寂と不安に押しつぶされそうになる。酔ったのか。最近涙もろい。
そう思い、ブックマークしてあるエロサイト開いてむき出しのティッシュ箱を近くに手繰り寄せる
しばらくページを眺めるが
違うなぁ、何か違う、何かこうなんとなく虚しい
涙がぽろぽろと零れ落ちる
泣いても 仕方がないのはわかっているが
こんな年にまでもなって、いつまでも同じことを繰り返している自分が情けない。
こんなはずじゃなかったなぁという思いが
込み上げて涙が次から次へと溢れて止まらない。 30で始めた1人暮らし、35には結婚してこのアパート住んでいない予定だった。
4年前に新車で買った車。当時彼女はいなかったが将来父親になって家族旅行もいけるよう大きめの車にした。馬鹿みたいだ。
顔を洗うために洗面台に向かう鏡に写る、表情が幼いおっさん どうしようもないおっさん。
奇声を上げ 哀しみを振り払う。
疲れては果てて、感情を抑えきれなくなり
横になって体を震わせた。
意識が遠のく。やり直したいなぁ。
生まれ変わりたいなぁ。
しばらくして
隣の部屋に置いてあった携帯の着信音が珍しく鳴っていることに気づいた。
のそのそと音のなる方に近づき、なんなら出る前に切れてほしい思いながら
今週スキーでも行かない?
また昔みたいに県外に泊まりで。
反射的に面倒という文字が浮かんだ。
めんどくさい
思えば相手の要求に対してつい良い顔をしてしまうのが昔からの癖だ。
翌日
久しぶりの運動の為になまった体に鞭を入れようと地元のフィットネスクラブに向かった。
土曜の昼過ぎと言うこともあり、閑散としている
鏡の前で、20代後半らしき女性がストレッチをしているのが見えた。
自分もとりあえずランニングマシーンの電源を入れ軽くジョギングするくらいのペースで走る。
鏡ごしに視界に入る女性のヨガか、太極拳かよくわからないがとにかく気になって悶々とする。
顔に出ないように心がけるが、むっつり顔になっているのが自分でもわかる。
30分くらい走っただろうか、顔と背中に汗が滴っているのが分かる。鏡に映る自分はいつもより爽やかに見えて
この際ストレッチをしている女性に声でもかけてやろうか!と考えた。
「おつかれさまです!! 体柔らかいですね!」
「よかったら一緒に走りませんか?」
いつのまにかおばさん達もいなくなって
あと一回り若ければチャンスだったかもしれない。
こっちに向かってくる男性が目にとまる。
私はすぐにマシンを降りて気付れないように二人の様子を伺った。
すぐに二人が親密な関係なのが見て取れた。
危ない危ない
まるでスーパーマンのようにきらきらと輝いていた。お似合いなのだ。
そう悟ったら一気に恥ずかしくなった。
着替えてジムを出てそのまま
また涙で視界がぼやけてきた。
どのくらい時間が経とうが構いやしない。
予定も何もない土曜の昼過ぎに汗だくのおじさんがただ独り、意味もなく命を消費している。
人としてこの世に生まれ 私は何を残せているだろうか?
鬱陶しかったり役に立たなければ
目立たず大人しく弱々しく
誰にも見つからないように
生きてきたのに、存在自体が認識できなくなって今じゃまるで透明人間のようじゃないか
行き交う人はすり抜けるように私のことなど見てはいない。それは自分が望んだことでもあるが
そんな気持ちも心の片隅に顔を出している
これからどんな事をして、何を食べてどんな生活を送れば 世間からいいねを貰えるのか分からない
承認欲求がどうこうとか言われるが
しれんな。
なんだか前にも同じこと考えた気がする
疲れたしもう帰ろう、
間接照明が照らすダイニングキッチンの隅に小さく丸くなり、ぼんやりと薄暗い部屋を眺める。
出てきた検索欄に「女性と話す方法」と入力したページを無表情で黙々とスクロールしていく、
丸見えだし気が引ける
今度行ってみよう。
孤独感や焦燥感、不安で目眩と吐き気が増した気がしたがなんとか踏ん張った。
上司に「今日は体調が悪いんで定時で上がらせて下さい」と告げ会社を後にする。
誰かたすけて
やはり操作に拘るならマウスやタッチパネルより実物のほうがいいのだろう。
そういえばタンジブルユーザインタフェースという言葉があるらしいが最近はまったく聞かない気がする。
結局タンジブルユーザインタフェースとは何だったのか分からないままだ。
生活リズムが変わります。フィジカル的にもメンタル的にも順応するには時間がかかります。
やることが変わります。新しいことは楽しいですが、覚えるのは難しいです。
さんるい?瑠衣くんが三人いるの?分かりません。失敗すると恥ずかしいです。
今まで通りのことをして安心したくなります。今までできたことを今もできると確認したいです。
できるようになったことは褒めてもらいたいです。
褒めてもらえなかったり恥ずかしいときは、成長を自慢したくなります。
は?おまえ××なんかしてんの?だっさ!ふつうしょうがくせいなら〇〇するだろ!
友達が変わります。仲の良い人が他の人と楽しそうにします。さみしいです。
さみしい時にうるさい人が近くにいると、怖くなります。
さみしい時にふざけて大きな声を出してないと、さみしくなります。
さみしくなると、慰めてほしくなります。
小学生という肩書の重さは誇らしくもありますが重たく感じるときもあります。
それなりの筋力が付くには個人差があります。比較は不公平に感じます。
年上の人が意地悪をしてきます。
大きい声を出したり、たたいたり、好きなものをバカにしたりしてきます。
ゴールデンウイークが明けて2週間くらいで年上の人から順に落ち着いてきます。
このあたりから周りの人たちと話をするのが楽しくなってきます。
家族に言えない時は学校の先生でもいいし公文の先生でもいいし習い事の先生でもいいです。
話を聞いてくれない大人より、話を聞いてくれる大人の方が多いです。
あとは適当に楽しんでください。
eスポーツが嫌い! 肉体を酷使するスポーツはスゴい! と喚くだけの増田。
こんなツッコミ所の多い主張、まともな人間はアホらしくなって相手しないだけ。
釣り、もしくはスポーツ信者の怪文書だが、まともに相手してやろう。
現代のスポーツも、仕事のストレスを解消する役割を担っており、「遊び⇔労働」の関係にある。
スポーツが仕事のプロでもない限り、どれだけハードなトレーニングをしようが、遊びの域を出ないわけ。
財やサービスを生産する行為でなければ、ビデオゲームもフィジカルスポーツも遊びということ。
そして、ゲームの試合で価値を生み出すゲーマーは、遊びの域を超えてプロ・ゲーマーになる。
流行に明るい奴なら、eスポーツが「競技」を意味することは知っているだろう。
運の要素が高い、またはPay to Win(課金額で勝敗が決まる)のゲームは、練習量が重要ではない。
遊びだ。
この増田は「ゲームの練習=判断力の低下と眼精疲労なだけ」などと抜かしているが、
ソフトウェアの仕様をいかに早く把握するか? という点でも相当な個人差が生まれる。
って物があるらしい。
小学生の頃から、本を読めば読むほど図書カードの枚数が増えていくのが楽しくて図書室に通っていた。
級友よりたくさんのカードを持っていると誇らしい気分だったのだ。
大人になった今は手帳に読書メモを残してみたり、暮らし手帳という付箋を使ってみたり、図書カード風のしおりに記録してみたり、アプリやサービスを使ってみたり…と色々試してみたのだけれどいまいち溜まっている感に欠けて心が踊らない。
たまたまネットニュースで読書通帳の話題を見かけて私が求めていたのはこれだ!と思った。
記帳するための機械導入に500万円はかかるそうなのだ。そんな財源がどこにあるだろう。
何かもっと安上がりにかつ、
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12427123825.html
自分には全く馴染めず、どういう齟齬があるのかを考えて答えが見えた。
結論として、生きる目的をお互いに共有したいタイプの人間と、生活の相互扶助の相手を探すための婚活との食い合わせが悪いのだ。
(辞書的な結婚の定義は、まず第一には共同生活の合意だ。実際の社会でも恐らくそうだろう)
自分が求めているのは、生きる目的の共有だ。相手が死ぬまでにやりたいことに自分も協力する関係。そのために日々の暮らしを助け合う。
だから知りたいのは生きる目的であって、現時点での年収や年齢の重要度は非常に非常に低い。
どれだけ非常識な目的でも、それを可能にする知性(その中枢は推論能力)と感情の振幅のコントロール(根底はフィジカルのコントロール)ができていれば長期的には可能なはずなので、現在の達成度も気にしない。
生きる目的を共有していない相手との共同生活にはプラスの影響を望めない。
翻って婚活は生活扶助の相手の選別とすれば、年収や年齢が第一条件となるのは至極当然である。離婚が不可能な時代であれば地縁や家柄という逃げられない条件で縛るために近親者や紹介者主導で固めることもあったが、現代では離婚も可能なので現時点での年収や若さが最優先となる。
長時間の対局中における栄養補給(食事と間食)をどのようにするかについては、最近一部の棋士が重要性に気づき始めたけど、まだ科学的な取り組みにはなってないかなあ。
あと、渡部愛もフィジカル面はまだ手が回っていなくて、腕立て伏せは一回もできない(それこそ必要か?という話ではあるけど)。
といっても結構前の話だから、多分特定はされないと思う。一応、フェイクも混ぜて書く。
今日俺がこれを書いているのは、「日本のプロチームが何故世界だとさっぱり勝てないのか」を説明する為だ。
簡単に言うと、日本のプロ団体の殆どは、コーチングについて全く、何も考えていない。なんとなく実績があるゲーマーを集めて、そういつらひとまとめにしておいて後は放っておく、くらいのことしかやっていない団体がめちゃ多い。それで勝てるわけがない。
韓国でもアメリカでもロシアでも、今強いプロチームには必ず専属のコーチがついている。複数コーチがいるチームも全然珍しくない。そういう人たちは、引退したゲーマーであることもあるけれど、元々他のスポーツのフィジカルコーチだった人とか、タクティカルコーチだった人とか色々いる。むしろ、多分別畑から呼ばれた人の方が多い。
勿論ゲームについて勉強もしているけれど、元々のコーチング理論っていうのはどんなスポーツにも共通して使えるもので、それはeスポーツだって同じことだ。彼らは、何を考えてプレイすれば、どんな方針でプレイすれば上達できるのか、上達の壁をどう破るか、そもそも上達するってどういうことか、勝てるチームを作るにはどうすればいいか、そういう話についてのプロ中のプロだ。
大抵のプロゲーマーはゲームが上手いし、上達する方法も自分で知っている。けれど、彼らはチームビルドについては大体ド素人だし、世界で戦えるようになる為の方法論も知らない。言ってしまえば、殆どのプロゲーマーは、ただゲームが上手いだけの素人だ。(一部の格闘ゲームのプロゲーマーは除く、と一応言っておく。あいつらが強いのは元々のレベルがとんでもなく突き抜けているからだ)
そんな素人を何人か集めて、皆でゲームやらせたり話合わせておけばその内レベル上がるだろう、と考えて放置しているのが、今の大多数のプロゲーマーチームだ。
俺も勘違いしていたんだけど、「eスポーツ」とかいう言葉を仰々しく使い始めたんだから、ちゃんとスポーツとしてゲームに向かい合おうとしているんだろう、と思っていた。とんでもない大間違いだった。断言するが、今の日本のプロゲーマーチームの運営側で、「けど所詮ゲームだろ?」と思っていないヤツなんて本当にほんの一握りだ。オリンピックで金メダルをいくつも取っているトップ選手で、トップレベルのコーチングを受けていない選手なんて一人もいない。こんな当たり前のことに何故気付かないのか。「負けた反省会」に所属ゲーマーだけ5人集めて、運営側の人間は誰一人、顔すら出さない。そんなことはザラにある。
予言しておくが、日本のプロゲーマーが多少でも世界で戦えるようになるには、最低でもあと10年はかかる。10年でも無理かも知れない。
今からプロゲーマーになりたいという奴がいたら、まず英語を勉強しろ、と言っておく。日本でプロゲーマーにはなるな。時間とスキルの無駄だ。