はてなキーワード: ソースコードとは
年末といえば買ってよかった系エントリーなので、自分も書いておきたい。
主に在宅勤務をしていく上で、導入によってQOLが向上したものを備忘録がわりにメモしていく。
なお、デバイスやPC周辺機器などの仕事環境などを知りたい人には全く参考にならないことを先に記載しておく。
生活用品や所帯染みた話を読みたいという人はぜひこの先を読んで欲しい。
在宅勤務の日は戦いの最中であるので、ランチはまともな時間に取れないことが多い。
また、隙間時間でさっと用意できることが望ましいので、ここ数年は「味噌汁+ごはん+ご飯の友」を平日ランチの基本にしている。
具材を切る
鍋に水または湯に切った具材、だし(増田は粉末ほんだしを愛用)を入れて5分程度煮る
鍋の中で味噌をとく
その中でもこの味噌マドラーを導入してからは味噌を作る工程が着実に少なくなった。
文章量のせいで3と4があまり手間でないように見えるのは気のせいだ。
味噌をすくう→そのまま鍋でとく が一つのツールで完結できて、しかも溶けるのが早い。
一人分や二人分など少人数分の味噌もすっとすくえる。そして洗い物も少ない。
味噌マドラーを導入してから、それまで味噌汁を作るときの心理的負荷が0.25ソースコードレビューだったのが0.1レビューくらいになった。
ぜひ試してみて欲しい。
味噌汁は好みがあると思うが、私は山岡士郎と違って複数種類の具が入っているのが好きだ。
なぜなら味噌汁を飲むのは平日の在宅勤務の時で、他におかずを用意する暇などない。
たいていは自分の好みで味噌汁の具に使える野菜(大根、青菜、ジャガイモ、えのきだけなど)を揃えているが、これを常備していると正統派感が出る。
適当に切った野菜一種類プラス、この具セットで「わかめ、油揚げ、ネギ」が補強される。
たまに入れすぎて増えすぎたワカメちゃんのような味噌汁になるのも一興だ。食物繊維はとって損はない。
ジムなどに行くとき用に水をペットボトルで買い始めて数年たったが、たまたまノンラベルを買ってからはラベル付きのペットボトルを買う気が起きない。
ラベルを剥がすという手間はちょっとしたことだが、それがないだけで日々はちょっとだけ楽ちんだ。
ちなみに最近はジムはサボり気味で、朝起きた時に喉が粘ついてるので水を飲む、家ヨガに切り替えたのでヨガ中に水を飲む、常備薬の胃腸薬を飲むときに水を飲むの3点セット。
今は水と炭酸水をそれぞれノンラベルで箱買いしているが、実はウォーターサーバーとソーダストリームを検討している。
まだ変わっていける=より良い選択肢を試せるというのも生活の醍醐味だと思う。
朝シャン派の増田はドライヤーが嫌いで、以前は出社の前にシャワー浴びて外に出るために必要なのでドライヤーをかけていた。
それがいざ在宅勤務になってみたら、朝シャンの後に髪を乾かす必要性がない。
ただ自然乾燥だとなんとなくスタイリングが決まらず(在宅勤務のくせにスタイリングとは、と思われるかもしれないが、zoom会議のギャラリービューに映る自分がコンディションの出来不出来があるというのは地味にストレス減になると感じている)美容師に相談してみた。
「ドライヤーが嫌いなら、良いやつにしたら乾かす時間が短いのでおすすめですよ!」
その発想はなかった。これまで使っていた3,000円くらいのやつから30,000円台くらいのドライヤーにした。
家電音痴な自分だが、スペックの違い(そして値段の違い)を肌で感じられる良い体験になった。
最近は寒いので、二日に一回はちゃんと髪を乾かすようにしている。それ以外は濡れ髪で会議に出ている。
知人に勧められるまで、コインランドリーというのは家に洗濯機がない人が使うものだと思ってた。
うちにはドラム式洗濯乾燥機があるしそれで十分事足りる、と思っていたが、シーツを週一で洗うようになったらコインランドリーは便利だった。
特に寒くなるとボアシーツだけでも結構な容量を必要とするので、家のドラム式だとまず洋服が洗えなくなる。
コインランドリーに持っていけばボアシーツどころか毛布も一緒に洗って90分前後で乾燥できる。
しかも最近は交通系ICや電子マネーが使えるコインランドリーも多いし、稼働状況をwebサイトで見られるランドリーもある。
毎日使うものではないにせよ、身近で押さえておくと生活の自由度が広がった。
(「買ってよかった」ではないじゃないかというツッコミはご遠慮いただきたい)
それまで一人暮らしの中で植物を買うといったらたまの切花程度(あまり華美でない季節の切り花、花屋で300円程度)だったが、鉢物を育ててみたいと思った。
合計4鉢くらい買って、今は2鉢が多分元気に育っている。
毎朝「おはよう」と声をかけると良いよと植物育て上手の友人に教えられ、毎朝その通りにして水やりをしている。
仕事においても育成は業務の一つだが、植物はうまくいかなくても少なくともコミュニケーションに悩まなくていい。植物を育てることはメンタルに有用だと感じる。
読み返してみて思ったがあまり職業には関係なかったかもしれない。
在宅のうちに少しだけ生活と向き合った変化と思ってもらえるとありがたい。
YouTuberを始めるにあたって昨日今日と環境構築をしている。
動画のジャンルは内緒として、ひたすら効率良く動画を作ることを志向してる。理想は新規のMarkdownファイルがGitHubのmainブランチにマージされたら自動でYouTubeの自分のチャンネルに動画が投稿される、みたいな状態。
まあそこまでやるのは調べるの大変だし事故とかbanが怖いしまずYouTuberとして大成しないことにはって話なので、どっかで妥協すると思う。てかCI/CD周りちゃんと仕事でやっとけばよかったな。
テキスト読み上げで商用利用するなら今はVOICEVOXが良いのかなと感じた。
ただ、作成した音声に合わせた字幕ファイルを作るのがひたすら面倒くさい。絶対自動出力できそうなのに。
VOICEVOXから直で出してくれたら楽だったんだけど、リップシンク用のファイル出力しか対応してなかった(どっかでやってる人がいるかもしれない)。
VOICEVOX公式のGitHubでissue上げることも考えたけど、俺自身がまだ動画一つも上げてないし、字幕ファイルの需要がどれほどのものかも分からないので、とりあえず変換用のスクリプトを自分で書いてみた。
VOICEVOXのプロジェクトファイルであるvvprojファイルの中身はバイナリではなくただのJSONなので、エディタやエンジンのソースコードを弄らなくても、比較的簡単に字幕ファイルに変換できる。なお今回俺はDenoを使った。
こういうシェルスクリプトみたいな小さい仕事やるのにDenoはまじで楽。
あとは動画作るときに需要ありそうだなと感じたら、SubViewer以外のマークアップに対応させてissue上げるなり俺のrepoに置いとくなりしようかな。
NN関連技術の発展が著しい。ことさら理論構築から実用に杯が降りたことで民の関心は盛況を極めている。さるに、聡明で高潔な筆者の戯となるは、未来の予測である。
一歩戻ろう、いや二歩か三歩かはるか前か。我々はプログラムという化物に出会った。そいつの血肉であるソースコードには著作権が発生する。勝手にパクって利用したのがバレて権利者が親告すれば罪となる。我々は化物の親としての権利を主張できたのだ。
時は進み、歩は歩み、化物は化物を産んだ。言葉を紡げば、人の子を模した化物が誕生するようになったのである。さて、賢明な諸君、この化物の親は誰だろうか?
言葉に著作権はあるか。無い。商標権が近くの海で泳いでいる程度である。詩歌にはあるか。有る。創造的で文化的な活動の成果である。では、詠唱にはどうか。婚活やら発達障害やらの話題に懸命な諸君はどう思うだろうか。聡明で高潔で法律に疎くJASRACにヘッドハンティングされるも固辞した筆者は、これになんと答えよう。
元素法典は偉大である。詠唱の価値を知らしめる、表現を綴った書物だ。詠唱とは詩である。言葉の羅列が少し違うだけで、創造される表現が別次元に触手を伸ばす。遺伝子の配列のように、崩れても堅固でありながら、少し違うだけで別物なのだ。聡明で高潔で生物学に疎い私は遺伝子のようだと例えたが、神経のようだと喩えた方が実態には則しているのかも知れない。ニューラルなネットワークだし。
閑話休題、詩に著作権は発生する。さて一方。絵柄に著作権はあるか。無い。おや、雲行きが怪しくなってきた。詠唱が発露する回路の先には、似た絵柄の羅列が待つ。詠唱は似た表現を産む一つの言葉のようである。"火"を描くのに著作権は発生しない。詠唱の持つ力はその程度ということだろうか。詠唱とは柄である。ゴッホの絵柄で暴走族を描いても赦されるように、唱えた結果は表現ではなく柄なのだ。まるで比喩のようだ。比喩はどこかの誰かが産んでも、親としては認められないのだ。んあぁ、閑話休題、しかし、ソースコードに著作権は発生する。入力と出力は守られず、近くの海に特許が泳いでいる程度であるが、回路には著作権がある。確か第何条かで小難しい詠唱がなされていた記憶がある。詠唱とはソースコードかもしれない。そう思うと、守りたくなってくる。
さてはて、話題は発展する。聡明で高潔で漫画が大好きな筆者は、今後に起こるちょっとした予測を楽しんでいる。詠唱の著作権については皆様のような専門家による今後の議論を楽しませていただくとして、もう一つ思いを馳せるは、仮に詠唱を公共の財産に見立てた世界線に乗ったとして、その船の先にある、連続詠唱のことだ。
今後、詠唱士と呼ばれるだろうか、あるいはプロンプターだろうか、3Dモデラーがアニメ業界で活躍しているように、AI技術を駆使できる者が表現界隈で一部に幅を利かせることだろう。そこで生まれる予感がするのが魔術書である。詠唱士が参加した作品の詠唱文を参画した他者が公開することに、法に触れる要素はあるだろうか。連続詠唱に、果たして著作権は発生するだろうか。
仮に詠唱に著作権が発生しない世界に分岐したとしても、漫画のコマ一つに著作権が発生しない世界だったとしても、コマの並び、言葉の並び、知的に紡げば、それことが表現である。連続詠唱が産む表現はどうか。出力は安定しない。作画監督による修正もある。詠唱文に魅力はない。しかし詠唱一つ一つがそれでなければ産まれ得なかったものになろう。しかし連続詠唱が産む表現にはばらつきがある。回路に与えるシードまでパクられないと権利として認められないだろうか。父ちゃんがわからなくても、彼は歴としたかの連続詠唱の子なのに。
魔術の申し子に、君は何と声かけよう。平凡でたまにホッテンに上がる著作権がらみの記事も読まずしかし文化の発展を心より願う筆者は、親の幸せを願いつつ、子が伸び伸びと育つ恵まれた社会となることを祈って、今日を眠ろう。
追記:トラバ・ブコメに返信しました→anond:20221012181429
この増田を読んで思った
テレビもニュースメディアもYouTubeもTwitterもヤフコメもはてブもRedditも当然この増田も、「バズってなんぼ」というプラットフォームになってしまっている
ほとんど全てのプラットフォームがいいね的な仕様を取り入れていて、それを多く獲得した記事が目立つ、あるいは稼げるような仕組みになっている
別にバズって悪いことばかりじゃないけど
さらに俺が最近本当によく思うのは、上に挙げたプラットフォームがどれも「情報の切り取り」がしやすくなってしまっていること
情報の切り取りが行われた結果、切り取られた情報からはその前後の文脈が失われる
テレビやYouTubeは、なんか扇動的な字幕が入った部分だけキャプチャしてTwitterに上げればバズる
ニュースメディアは会員にならないと記事が最後まで読めないから公開部分だけ読んでブコメする
ブコメやTwitterに至ってはごく短い文字数制限があって、元から情報が切り取られている
増田やヤフコメやRedditやTwitterは自分で記事を消したり非公開にしたりできるのでトカゲの尻尾切りが頻繁に行われる
増田みたいな匿名の場所は「誰が」その発言をしたのか分かりづらく文脈が途切れやすい
こういった「情報の切り取り」文化と「バズってなんぼ」文化の組み合わせが相性良すぎるのが問題なのでは?と思う
ついでに、ブロガーのシロクマ的な人が、ある記事(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220926/1664193445)で
と書いている
この記事は忙しい素人がフェイクニュースを見破る難しさについて言及している(ちなみにこの記事の主旨に対しては「忙しいなら素人だろうが玄人だろうがわざわざTwitter開いてどこの誰かもわからん奴のセンシティブなツイートをRTすんなよ」で俺的には結論が出ている。憶測だけど、RTした人たちのほとんどは忙しい人たちじゃないんじゃないか)ので文脈は違うけど、俺はここで考える
どういうプラットフォームなら、情報が切り取られることなく、バズってなんぼになることなく、各々が自分で考えるような議論を促せる?
いまの俺が考える理想的な議論のためのプラットフォームは、GitHubでソースコードを管理することに若干似ている
最低限これは欲しいと考えてる要件は以下の通り
俺の書いた要件がすべて正しいとも思っちゃいないけど、一番言いたいのは、「議論ってのは土壌が整った上で腰を据えてじっくり行われるべきなんじゃないか?そういう場がないなら、用意すべきなんじゃないか?」という問題提起である
自分の過ちに気づくと、その発言を消したり、鍵垢にしてしまう人がいる
過ちに気づいているのかいないのか、いくら指摘されても認めない人がいる
発言の一部を切り取って、批判したつもりが誹謗中傷になってしまった人がいる
承認欲求のためではなく、露悪趣味のためでもなく、ただただ議論のためだけの民主的なプラットフォーム
建設的コメント順位付けモデルAPIがはてブに導入されるようになってから、元記事読んで、人気コメントだけを読むということが無くなった
新着コメント、というかすべてのブコメをわりと読むようになった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221010163416
たとえばこのブクマの現時点での人気コメントだけ読むと、賛否両論がどうというより煽りが前面に出てるブコメが多くて、個人的に建設的とは全く思えない
劣化ひろゆきに劣化ひろゆきが群がってる地獄絵図(煽り)ってのが最近のブコメに感じている個人的な印象なんだけど、人気コメントにはそれを煮詰めて呪詛として固めたような胡散臭さがある(煽り)
断っておくけど、ひろゆきを礼賛するつもりはない、むしろ恐らく多くのブクマカと同様に唾棄すべき存在と思っている
ひろゆきを唾棄すべき存在としながら自身は劣化ひろゆきに成り下がっているのだなという嘲りである(煽り)
同じ無敵の人でも、顔出しして現地で、リアルタイムでやり取りして矢面に立つ行動力があるぶん、断腸の思いながら辛うじて、ひろゆきは劣化ひろゆきたちよりはマシである
閑話休題、要は人気コメントだけ読むと、元記事に対する感想が過激で偏ったものになってしまいそうで怖い
だから、人気コメントを読んで「ふーんえっちじゃん」ってなった後、新着コメントを読んで「ふーん、、、、、、えっちじゃん」となるのが通例である
例に挙げたブクマは「お気持ち表明」が大元なのであまりやらないけど、元記事によってはブコメの主張に対して自分なりにファクトチェックすることももちろんある
そうやってひっそりと、決してブコメはせず、自らが劣化ひろゆきであることをひた隠し、自分の中で現時点での主張を固めていく、あるいは保留にする
そういう意味では、APIが導入されてから個人的なブコメとの向き合い方は随分建設的になったわけだけども(?)
ところで、この建設的コメント順位付けモデルAPIとやら、無償提供ではあってもオープンソースではないのか、ソースコードが見つからない
コピーレフト(英: copyleft)は、著作権(英: copyright)に対する考え方で、著作権を保持したまま、二次的著作物も含めて、すべての者が著作物を利用・再配布・改変できなければならないという考え方である[1]。
・二次的著作物の利用、コピー、再配布、翻案を制限してはならない
・コピー、再配布の際には、その後の利用と翻案に制限が無いよう、全ての情報を含める必要がある(ソフトウェアではソースコード含む)
・翻案が制限されない反面、原著作物の二次的著作物にも同一のコピーレフトのライセンスを適用し、これを明記しなければならない
一般に、芸術作品や評論、解説文、コンピュータプログラムなどを含む著作物は、その作者が著作権を持っている。そのため、作者の許可を得なければ改変したり、(個人的なバックアップを除いて)複製したり、配布・販売することはできない。しかし、このような制度の枠組みは、作品を共有して多人数で共同的な創造活動を行う際にはかえって妨げとなる場合がある。