はてなキーワード: うごとは
4年前のことを考えてみると、今とは違う場所にいて、今よりも考えなしに過ごしていたと思う。でも今読み返しても「そうだそうだ」と思えることが書いてあって、同じ人間ではあるんだな、と妙に安心した。
なぜ久々に投稿しようと思っているかというと、忙しすぎるのと、そこまでして生きる意味が分からなくなったからだ。
4年前は結婚していなかったが、今も結婚していない。4年前の時点で「自分のために生きるのに飽きた」と言っていたのに、今でもまだ自分のために生きている。昔よりは考えて生きるようになったが、そのぶん面倒くさい人間になった。
一応、世間一般で多くが良い印象を持ってくれる職場に務めていて、自分のやりたいことがそれなりに出来ていて、人間関係も過ごしやすい。自分自身、他人にあまり興味がなくて、できれば全てを機械のようにシステマチックに意思決定していきたいと思ってる。それは世の中では多数派でないようだけど、今の職場は良い意味で機械のような人が多い (別に人間らしくないというわけではなく、意思決定において理屈が理屈のまま通る部分が多いということ。機会は100%理屈だから) 。
とはいえ忙しすぎる。このご時世仕事があるだけでもありがたい話だけど、割と文字通り朝から晩まで働いてもタスクが減らない。
小さい部署なのでひとりひとりがワンオペのような感じで仕事を持っているので、シェアすることが難しい。僕の上司にあたる人はいて、僕の業務はその上司がフォローしてくれるんだけど、コロナによって増えた仕事への対応で手一杯で、本来フォローしてくるところが「承認 or 非承認」を判断するだけになり、一緒に考えるような感じではない。
そういう状況で僕の仕事が回らなくなっているので、「できてません」が増えてきて、別に怒鳴られるわけではないけど指摘を受けることが増えてきた。多くは自分の不手際や不備によるものなので、自分への苛立ちも同時に募る。上司は全般的に良い人で僕よりも仕事ができるので、結局のところ改善すべきは僕のところにあるのだ。それがまたイライラする。
そんなことを考えながら深夜に仕事してると世の中の全てに苛立って、全てを壊してしまいたくなる。んで時々マウスやキーボードを壊す。めんどくさい。めんどくさい。人生がめんどくさい。これは実は5-6年前に増田に書いていた。まるで成長していない。
加えて社外とのコミュニケーションで生身の人間と話すのが疲れる。特に「人間らしい人間」と話すのが疲れる。社内は「理屈が通る割合が多く、予測がつきやすい」機械のようなコミュニケーションができるんだけど、社外はそうもいかない。それが通常だとわかっていても、やっぱり面倒くさい。湿っぽい。気持ち悪い。そういう「湿っぽさ」にも良さがあるとは思うけど、率直に言うと自分には合わないと思う。人間がめんどくさい。
そんな状況で、生きる理由が今のところない。実家の家族は大事にしたいので死ぬわけにはいかないし、まぁ楽しいこともあるので生きているけど、「明日で人生が終わります」って言われたら、「あっ、そう。まぁいいんじゃない」くらいに思ってしまう気がする。自分でも厭世的だと思う。
最近テレビで良く見かける方が自殺したりして、世間があれこれ言ったりしてるけど、結局のところ「ただ生きる」というのが一番大変なんだと思う。「生きてるだけで丸儲け」は名言だけど、「生きてるだけ」が最大のハードルなのだ。僕自身も、「生きてること」が出来れば後は何とでもなると思う。死なないんだから。
まぁ自分の感覚でいえば「死ぬこと」も結構大変だし、あれこれ考えると周りの迷惑にもなるので中々できない。「生きる理由」も特にないけど、「死ぬ理由」も特にないので、とりあえず無為に目の前のことをこなしている、という感じ。動物としてはさほど間違ってないのかも知れない。
あれやらこれやら言ってるけど自分ではとても恵まれてると思うし、めちゃくちゃ運が良いと思ってるから、こんなんで文句言ったらバチが当たるとは思ってる。だから今まで書いたことは「言うべきでないこと」なんだけど、ストレスが溜まると誰かに迷惑をかけるかも知れないので、ここで「言うべきでない何か」を吐き出させてもらいました。
読み専のオタクです。私は諸事情あってイベントに参加する事&同人誌を手元に置いておく事ができないので、
二次創作はもっぱらtwitterとpixivで楽しませてもらっていた。
ある女性向けジャンルで熱烈にハマりこんだ大好きな作家さんがいて、
作品をupされる度に感想を送りつけて、ちょっとだけ交流もさせてもらった。
ある時作家さんが「同人誌作ってみたかったから」と初めてオフ活動をされて
イベントでも通販でも即完売していく様を、何で自分はそれが読めないんだろうと気が狂いそうになりながら
●●さんがまたオフ本出されてたらその時は絶対に買いに行きます
ってDMを送ったら
と返信があった。
ダウンロード販売は特に女性向けジャンルで忌避されてるのを知ってたからちょっと焦った。
好きな作家に危ない橋を渡らせるのは嫌なので、その事を伝えたら
「紙はファン活動の範疇だからOK、ダウンロードは営利目的になるからNGって風潮がよくわからない
紙で儲けてる人もいるしダウンロードでもコストは掛かってるのに」
って返事が返ってきて、その後に
「私は全部自己責任でやればいいと思ってるし、○○さんにも新刊読んでいただきたいので、やってみますね!」
と一言書き添えられていて、ご本人の判断でダウンロード販売を始めていただける事になった。
結果、ボコボコに叩かれてその作家さんは居なくなってしまった。
害悪だのゴミだのお前がいるせいでジャンル全体に迷惑がかかるだの
しまいには「権利元の会社にお前の同人誌を送りつけて潰してもらう」だのDMが押し寄せ、
すごい村に囲まれて、燃やされた。
「私が新刊欲しいとか言い出した所為でごめんなさい」と何度も謝って、作家さんは
「すごい感じになってますね~(苦笑)気にしないでいいですよ」
って言ってくれたけど、数週間も立たないうちに
コロナが始まるずっと前の話です。
この前のインテも過疎りまくってて、「このままじゃ同人誌売ったり買ったりが出来なくて辛い」って議論されてる所を見かけて、ふいにこの時の記憶がぶり返してうわーってなった。
なんか最近VTuberがスパチャで金稼いでることにかこつけて、色々物申したがる増田が多いようなんだが
そのご意見がそもそもVTuberをちょっとでも知っていると、どうもズレている事実誤認も甚だしいと思うものばかりで
その間違いにも気づかずに、これまたVTuberを知らないであろう人たちが真に受けてああだこうだ言ってるようで
流石にちょっとVTuberとそのリスナーをバカにして楽しんでいるようで見るに堪えない
で、まだまだVTuberを見るようになって日が浅しいし、分からないことも多いながらも一リスナーとして、ご意見申し上げたいと思った所存です。
それで本題なんですが、言ってしまえばスパチャっていうのはVTuberとリスナーという一対不特定多数の間で行われる、うまいこと言うゲームみたいなのものです。
そもそもスパチャっていうのはライブ配信のコメントに色を付けて目立たせることだ。(そのこともよく分かってない人がいるのはどうしたものかね…)
大前提としてスパチャに限らずに、配信の流れに乗せてうまいことコメントして楽しむっていう下地があるのを理解して欲しい。
リスナーは配信の流れに乗せて、コメントをする。うまいこと言えば拾われる。その拾われる確率を上げるのがスパチャ
配信の始まりに「待ってました!頑張ってね!」とスパチャ、配信の途中で離脱する時に「途中で離脱するけど、これからも頑張ってね!」とスパチャ、ぐらいのもので
後は個々の配信によって変わる。大喜利大会みたいなものが始まったり、なんとなくそういう流れになるとスパチャラッシュがあったりもする。でもそういうことは切り抜きの対象になるような珍しいケースだ。
その一方で配信の流れと関係ないスパチャや、無言のスパチャに関しては不審がられる。無視されたりもする。
つまりだ、スパチャっていうのはあれで結構、場を乱さないように空気を読んだり、面白いこと言うために頭を捻ったり、なかなか高度なコミュニケーションが求められるわけだ。
単純に推しに金を貢ぎたいってだけなら、グッズを買うなりメンバーシップに入るなり他にも方法がある事が多い。
その中で、わざわざスパチャに金をかけるのは、リスナーの一人としてみんなと一緒に配信を楽しんで、その中でうまいこと言ったり、推しに感謝の言葉を伝えたい。という願いがあるからこそだ。
VTuberとリスナーが共に面白い、良い配信を作りたいと願いがあって、その手段の一つとしてスパチャっていうのがあると思うんですよ。
それをソシャゲのガチャや、キャバクラやホストに入れあげたり、AKB商法だの、一方通行で、ただ金をかければいいってだけの娯楽と並べて語れると、なんだかおかしいなと思うわけです。
まぁ、それでも一瞬で消えるようなコメントに金をかけるのもどうかと思う意見もあるかと思いますがね。
布団とかクッションとか、柔らかいけど厚みがあるものを下腹に敷いてうつ伏せになる。その時に下腹に圧がかかるようごろごろしたり敷いたものに腹を押し付けたりするのも手。
去年まで忙しく働いていたが、今年に入り、部署移動で仕事もあまりないような窓際になった。
ネットサーフィンが日課だったが、リモートワークが始まって業務開始連絡と、誰もみてないであろう適当な日報だけでベーシックインカム状態になった。
コロナの影響で会社事態は経営が悪化しており、違う部署の友人は早期退職してくれと言われ3か月分の給料をもらって退職した。
僕自信もボーナスがようやく二桁に達するくらいに下がってしまい、年収も60万ほど下がった。
ネットサーフィンにも飽きており、3か月分もらえるなら、一発転職をきめて年収をあげつつ、しっかりと働こうと思って早期退職の話を待ったが、全くなかった。継続して働いてほしいとでもいうのだろうか。
それから、リモートワークになり現在まで仕事は減り続け、いよいよ朝イチで業務開始連絡をしたら二度寝から1日ゲームをしたり、ジムで体をうごかしたりして、夜まで過ごしているのが現状だ。
いままで会社に行っていたときにできなかったことをひたすらできていて楽しい。
3か月ほどこの生活を楽しんだのでそろそろ、副業とかをして時間をお金に変えたい。
何かおすすめある?
コロナの死傷者はマスコミの捏造であり、死者はいない。うそだ。というご意見の方もいますので、コロナは嘘病気、死者などいない。という主張の方にも配慮しております。
ただ、15周年ロゴの「15th anniv.」が気になる。
昔、英単語の短縮形は「大文字+ピリオド」と習って、自分の中は「15th Anniv.」が正しいと思っている。
もちろんそれ自体が間違いである可能性もあるし、そうであれば自身の知識のアップデートを図りたい。
別の可能性としてはデザイン的にその方が見栄え良いってのがあるかもしれないけれど……。
教えてエロい人。
武蔵野美術大学が8月24日から対面授業を再開したそうですね。
私は視覚伝達デザイン学科の様子を断片的に耳にしただけですが、普段はこんな時期にやらないオリエンテーションをわざわざ実施したそうですね。マスクの着用やアルコールでの手指消毒は呼び掛けたそうですが、検温はしてないでしょうね。オリエンでは学生を一箇所に集めて、先生方で一本のマイクを使いまわして、「マスクを外したらこんな顔でーす」とか、やってみせたそうですね。
一応12号館地下展示室で実施して、学生たちに距離をとらせたり気を遣う先生もいらっしゃったようですが、学生が密集しても誰も何も言わなかったそうですね。学生たちは黙っていたのでしょうけど。
学科ごとの実習科目は対面で、教養科目は全部オンライン授業だそうですね。そういう方針だとすれば、大学という環境だからこそ発生する複雑な導線や関係者の多様さは従来ほどではなく、感染症に対する危険度は下がっているのかもしれません。
そこまでして行われるキャンパスライフが本当に通学に値するのか、当然お考えになったのでしょうね。
実物が目の前にあるとやっぱり違いますよね。実際に人と会うのと、オンラインでやりとりするのは違いますよね。小学校も中学校も高校も会社も始まってるのに大学だけ始まらなくて、行ってもいないのに高い学費もぜんぜん減らなくて、不安で寂しくて苦しかったんですよね。パソコンも無理して買って、よくわからないツールを1人で習得していくのはすごく心細いですよね。学生が来ないからってお金がいらなくなるわけじゃないのに、学費を返せと言われて困りますよね。毎月100時間残業してしまって、残業をやめろと言われても教授からも非常勤講師からも教務課からも学生からも次々に連絡が来てやることは山積みですよね。お気持ちは察するに余りあります。
大学側はゴールデンウィークも丸ごと潰して対策の検討、学生への連絡、オンラインツールのレクチャー、おすすめのパソコン調査をして、さらに普段の業務もこなしていたと聞きました。おすすめのMacbook情報をまとめている間に新しいMacbookが出てしまいましたね。後期の対面授業開始に向けても、助教の方が酷暑のなか朝から晩まで設備を確認して、手洗い洗剤をせっせと取り付けたそうですが、それらの設備代は助教が立て替えて、教務課は立て替え横領がないか厳しく審査して経理に回しているのでしょうね。
本題ではありませんが、手弁当や長時間労働、徹夜や泊まり込みを美談にして低賃金や無償で卒業生を働かせ、ムサビはムサビ教育の価値を自ら貶めているように見えます。教授のセクハラも野放しですよね。武蔵野美術大学の卒業生であることを恥ずかしく思う時があります。
症状がある学生は助教に連絡するように伝えているそうですが、無症状だけど濃厚接触者と判断されて大学に行けなくなる学生が出た場合、その人は対面で行われている実習科目を受ける機会を得られるのでしょうか。
学生や教職員のご家族に感染して、その方々の生活に不都合が生じたり、後遺症が残ったり、最悪の事態に陥ってしまったとしたらどのように対応するのでしょうか。
ご高齢の先生方もいらっしゃいますが、実際に感染したら重症化リスクが高いことをご自身で認識されているのでしょうか。
非常勤の先生方もほとんどが対面授業のために出勤されるそうですね。武蔵野美術大学鷹の台キャンパスに出勤されて、その後別の学校で教鞭を取られる先生もいらっしゃるのではないでしょうか。対面授業とオンラインのそれはかなり異質で、それぞれに対応するとなるとかなりのご負担ではないかと思います。ムサビは他学のためにオンライン授業を行う先生の場所は提供してくれるのでしょうか。
そんなこと当然お考えになって、慎重に検討されて、それでも対面授業を実施するという判断をなさったのですね。
交友会のメールも読んでいます。書かれていた「学びを止めない」というスローガンも記憶しております。ほんの小額ですが、支援金もお送りしました。支援が必要な学生の手に少しでも早く渡ることを願っております。
思うのは、半沢直樹みたいな陰謀うごめく権力の世界って実際には世の中にはほぼなくて、なんとなく声のでかい人の発言や、雰囲気や成り行きで最悪なことになっていくんだなということです。教育って本当に大切ですよね。
ただ、もうちょっと薬漬けになって、ほうちょうで、のどきれるぐらいがよかった。
フツーの人が異世界に転生して前世の記憶を持っている為、「魔法を使う時に詠唱したりするのが恥ずかしい」というごくフツーの感覚は評価するものの。
みたいなこっ恥ずかしい設定はいただけない。
周り中、手放しで大喝采みたいな。
これじゃギャグみたいだよ…。
それとも本当にギャグなのか?
それかそのうちこっぴどい手のひら返しに遭うとかなのか?
…だと良いなあ。
まあ、地道に見ていくけれども。
でも、このすばは何度見ても面白いし(最初の街で単純労働してシュワシュワを飲んで幸せそうな勇者と女神なんて、共感しか無いからな)
グリムガルの切なさは筆舌に尽くしがたい(ヘビーだからもう一度見る気にならない)
https://twitter.com/Yamanami_ZAION/status/1296074110246645760
https://twitter.com/levinassien/status/1296615328005283840
「お金がない」は大きな要因であろうけれど
電機屋は「次は何か?」といろんな商品を売り込もうとしたものだった
が、結局、ばかでかいステレオセットだのコンポだのは売れなかった
子供の情操教育やブルジョワの見栄用のピアノやオルガンも限界があった
全高1メートルぐらいありそうなマジンガーZとかゲッターロボとかの人形だ
しかしこんなもんあっという間に押し入れが満杯になるのでさっさと廃れた
それから幾星霜……
1990年代以降、景気は停滞し物が売れないと言われるご時世でも
VHSからDVDへの移行と、その後のブラウン管から液晶テレビへの移行だけは
恐ろしく短期間で急激に進んだ
なぜかって?
テレビやビデオテープの空間を縮小できたからだろう。他に考えられない
とにかく日本の住宅事情ではデカくて場所を取る物は嫌われるのだ
ましてや今の学生や若者はバブル期のように広い部屋で一人暮らしなど無理
住居費を切り詰めるため親元住まいを続けるか極狭アパートで済ますか
でもって比較的に場所を取らないノートPCはデスクトップPCよりも割高だ
これだけは不思議でならない