はてなキーワード: 国家試験とは
前回の記事はまとめサイトに掲載されたりTwitterで拡散されたりしていた。
今回はその続き。
http://anond.hatelabo.jp/20111219120206
まとめサイトに掲載されたときにも元教員からコメントのあったとおり。
2年間でどのような像に仕上げようかという目標がない。
資格系の学校の場合、あるのは検定に合格させるという目標だけ。
だから、授業の半分以上は検定対策。
これで授業が面白いはずがない。
実務を縮小した課題をしているだけ。
作業はするけど、提出さえすれば単位は取得できる。
詳細は「芦田の毎日http://www.ashida.info/blog/cat34/」を参照。
言っていることは過激だし現場の苦労は知らないと思うけど、おおむね同意。
午後のプログラム言語は選択式だけど、半数以上の学校はCASLII(アセンブラ)で受験する。
なぜか。学生が長文を読めなくなっているから、ステップ数が少ない言語を選ぶ。
当然、就職には役立たない。
基本情報を取得しているからといって、プログラムができるとは限らない。
あとは、遊び程度にC言語をやるぐらい。
一部の人気学科(看護等)以外は、全入時代。一条校ではないから、補助金もでない。
一人あたり、年間で100万円。入試は面接だけ。学力試験はしない。
オープンキャンパスに○回以上参加でその面接すら無くしている学校も。
当然、学生当時の担任も在職している。元担任には頭があがらない。
古くからのやり方が変わるはずもない。
もちろん、ここに書かれていることが該当しない学校もたくさんある。
私はIT系専門学校に通っている。わかりやすく言うとプログラマ養成校だ。これからそういう学校に行こうと思ってる奴、考えている奴らに、長所短所をシェアしようと思う。
・良いところ
基本情報がとれること。あえてあげるならこれであろう。今のシステム開発業界はリーマンショック以来の冷え込みがつづいている。昔ならプログラム未経験でもホイホイやとってくれたものが、今ではベテランでもどんどん切られる。そういう時代である。私も面接時に基本情報をもっていることが評価された。大学などでは基本的に資格取得のための授業をしてくれない。そのため独学でやる必要がある。もちろん独学で取れない資格ではないし、独学がのぞましい。しかしこれは全ての情報系検定の基礎になるものである。できるならば誰かに教えてもらうのが好ましいと思う。私は今はプロジェクトマネージャ試験という、試験の勉強をしている。これは情報系国家試験の中で”Level4”に区分される高度試験である。(ちなみに基本情報はLevel2)実はこのプロマネ試験、基本を取っていれば以外と独学でいけるのだ。これは他のLevel4試験にも言えることだと思う。基本的な知識は基本情報で勉強し、高度試験ではそれの読解、論述が出題されるイメージだ。高度試験取得のためにも、基本情報はしっかりと教師に教わったほうがよいと私は考える。
・悪いところ
企業側からの専門学校の評価が低い。これにつきる。正直そのへんの大学よりは授業内容も深く、仕事に活かしやすい。しかし、最低学歴として大卒を設定している企業が非常に多い。とくに中堅・大手にはその色が強い。そのため、それまでITとは無縁だった文系大学生にも追い抜かれてしまうのだ。ただこれについては本人のやる気しだいだといえる。yahooやドワンゴなどの一部の企業は専門からでも採用している。そういった大手を狙うならば、入学したその日からそれに向けて努力すべきである。情報知識などは正直ほどほど。求められるのは圧倒的自主性とコミュ力。例えば自分でサーバつくっちゃったよ~とか、クラスメイト巻き込んでサイトたちあげたったなど、クリエイティブな活動が評価される。
結論から言うと、純粋にプログラマを目指したいならこれほどよい教育環境はないだろう。短期間で資格習得することができ、実務に近い授業を受けられる。しかし大企業などを目指したいなら専門学校に来るべきではない。3流でも4流でもいいから大学に行くべきである。そして目標が曖昧な奴な絶対に来ないほうがいい。そのへんの専門とは違い、ほとんどの授業が座学である。それに耐え切れずに挫折したクラスメイトも普通にいる。適当に遊びたいならファッション系か3流大学にいくべきだ。この記事が、未来ある若者のためにならんことを
http://anond.hatelabo.jp/20111005050645
お金を払うのに純粋にビジネスとしては、成り立たないような。経済的合理性のない仕事を誰かが引き受けないといけない仕組みもおかしい。
上岡龍太郎さんのお父さんは、ある政党の弁護士で、誰もやりたがらない冤罪事件ばかり引き受けて、ものすごく貧乏だったと上岡氏はパペポテレビでも語っていて、自分は強い方の味方がしたいと結んでいたw
http://www.hisakawa.net/papepo/89_d_137.html
( 龍太郎の父の言葉 ) ―― 「 "お前は漫才師で、わしゃ弁護士と。お互い下に 【し】 のつく、言葉を商売にした仕事や。世間は弁護士のほうがレベルが高いように思うが、それは違う。漫才師のほうが上や。第一、漫才師っちゅうのは普段どういうことを喋ってる。面白い、明るい、愉快、楽しい、そんなことばっかり言うてんねや。わしら見てみい。つらい、苦しい、悲しい、騙された、裏切られた、殺された、こんなことばっかり言うてんねん。お前らのがレベルが高い。それに、弁護士は司法試験を国家試験とか言うてるけど、あんなもんは国家試験でもなんでもない、あれは一部の官僚試験や。その点、漫才師っちゅうのは、テレビ出たり舞台出たりラジオ出たりして、国民のみんなからアイツはええ、アイツはオモロイという試験に受かって、国民の全部が押し上げる。これを国家試験という。お前らのがずっとレベルが高い ! " ……まあ、こう言うて慰めてくれたんやけどな」
上岡「ウチの親父っちゅうのは、もう弱いもんの味方。
こんな弱いもんの敵が生まれたんや……」
虐げられたモンばっかりでしょう。
ほんで、刑事事件が主でしょう。
弱者の味方。民事なんかあらへんでしょう。
民事でもたまにあったら、家あけ訴訟ね。
私らあと三年は住めんことには……"
"よーしやったる" と。――で、勝ったら
"良かった、お前らあと三年住めるから ! "
"住めるから" っちゅうとこ応援してどうすんねん。
"追い出せ" いうほう応援せな。
追い出せいうほうやったら
充分さしていただきます ! "
そっちのほうに "追い出せー" って、やって
"出なければいけない" っちゅう風に判決が出たら
ウチの親父なんかは
"三年間住めるようになりました !
ありがとうございます ! " って言うて
一升瓶一本持ってこられてもなあ。
アンタ一升瓶でええけど、わしら子供どないすんねん」
鶴瓶「よろしいやんか ! そのほうが !
何にも悪いことしてへん泣いてる人を追い出して
カネ儲けよるより、そんなカネ要りまへんやろ !
親父は一生懸命弱いもんの味方してんのに !」
鶴瓶「…あのなあ !!」
上岡「ハッキリ分かった、親父見てて。
強いモンの味方したほうが楽やっちゅうの !」
このように、正直者が馬鹿を見る仕組みが本当にあるのであれば、何とかして欲しい。
上岡氏の父はある政党の関連の弁護士なので、企業の仕事をしないから、貧乏だったのかもしれない。
法律は放っておくと弱者の味方をするので、そうさせないように弁護士が居る。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1466877234
『法的弱者である金持ちを助けるため』と言うのが弁護士の存在している理由だと思いませんか?法律は放って置くと弱者の味方をしてしまうので、金持ちを法律は守れない。だから弁護士が守るんです。
補足に付け足そうとして、忘れてた事があるので、再び。(マルチポだけど、修正できないし取り消すと回答も消えてしまいますし、コインも減ります。ヤフーの仕様にも問題あると思います。複数質問してる人がすごく多いw)
弁護士は、法的弱者である金持ちを助けるために存在してると思いませんか?法律は放って置くと弱者の味方をしてしまうので、法的弱者である金持ちを法律は守れない。だから弁護士が守るんです。
弁護士がよく、インタビュー記事で「弱者の味方になりたくて・・・」などと言ってますが
あれはおかしい。
言うとしたら、「経済的弱者は必ずしも法的弱者とは言えない」と言うべきだと思います。
法的弱者というのは、経済的には強者である事も多いので、法律を使えば経済的弱者ではあるけれど、法的には弱者ではないと言う立場の人たちの救済ができるわけです。
http://www.hisakawa.net/papepo/89_d_137.html
上岡「ハッキリ分かった、親父見てて。 強いモンの味方したほうが楽やっちゅうの !」
貧乏人に法律を使わせないために、やたらお金がかかる仕組みに、作り上げられているのではないか?
形ばかりの扶助制度を作っても、いくらでも恣意的に選べるのだから、好きなだけ取りこぼせるのでは?
こんな存在を作り出すために、今までは(2010年10月まで)修習生に国一と同じだけの給付金が与えられ、今だってたくさん税金が使われているのに、疑問を感じるのは私だけでしょうか?
二人の回答者は、弁護士非行ブログというものを知っているのでしょうか? 弁護士非行でぐぐってみると出ます。それにこんなのもありますよ
http://shyster.symphonic-net.com/ 弁護士懲戒検索センター
lancialunchesse4さん 見てるかどうかわかりませんが
>貴方の言葉を借りれば「貧乏人に法律を使わせるために」こそ弁護士は「在野法曹」として存在するのです。
してないじゃないですかw
受任前提で紹介されたのに、アパートの保全できるのに、できないと平気で嘘は吐くし、散々な話を他質問に書いてるのに
弁護士をからかう頁→https://sites.google.com/site/benngosiwokarakau/ (ここにそのうち弁護士との会話をICレコーダで録音したものから個人情報を省いて載せる鴨)
参議院の議員立法参与件数とかの下位2割は衆議院の上位2割と入れ替え、
地方議員の下位は得票数が多かった落選者と選挙で入れ替えます。
国家公務員一種の勤務評定下位2割は二種の上位と入れ替え、
たとえ国家試験に合格しようと不適格であれば天下りしほうだいです。
電気市場もインフラを国有化して、東京電力の管理部門の一部が下請けで勝ち上がったところと入れ替わります。落ちたひとはベンチャー市場に放出されます。持てる知財、人脈を活かしてがんばって帰り咲いてください。同僚がライバルになるかもしれませんし、どちらが成功するかアウトプットをだしたほうが勝つので引きぬき合戦になるかもしれませんね。
会社流動により既得権益が保証されなくなるので、官製談合も民間談合も難しくなります。
助けて桃太郎侍! ぽぽぽぽーーん!
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
大学が研究機関でありつつ、教育機関でもあるという理屈はわかっているが、果たしてどういう配分で成り立っているのだろうかと考える。
米国のシステムは日本の大学を呪縛する講座製とはかなり異なる、
しかし、職階間に、支配-被支配関係はない。
それぞれが独立した研究者であり、肩書きは純粋に研究キャリアの差である。
独立した研究者とは、自らのグラントを稼げる研究者ということだ。
それゆえに彼らの最優先事項は、国の研究予算あるいは民間の財団や寄付などを確保することであり、それに狂奔する。
グラントこそが全ての力の源泉であり、研究資金のみならず自分のサラリーもここから得る。
大学と研究者の関係は、端的にいって貸しビルとテナントの関係となる。
これをもって研究スペースと光熱通信費、メンテナンス、セキュリティなどのインフラサービス、そして大学ブランドが提供される。
僕の母校における大学と研究者の関係は、貸しビルとテナントの関係ではなかった。
けっこうな割合を、むしろ大学のほうから吸い上げてる。
大学生の時、母校で研究費を国からとってこれる研究室は、自分の研究室とあといくつかだけだった。
自分の研究室は、2人の教員と10人の学生、2人の院生をかかえて、年間に1000万くらいで収支がなりたっていたと記憶してる。
有名大学だったら笑われるようなしょぼい額だ。
実験実習系の授業を受け持つと降りてくる一単位あたり60万の実験実習費、最終学年の卒論実習を受け持つと学生一人あたり6万降りてくる卒論実習費、それらの収支が200万程度。
教員一人あたり50万ほど大学から降りてくる研究費が2人で100万だったと記憶してる。
それの残りは主に国から取った予算だった。
「○○から500万だしてもらえた。」「○○は一応通ったけど、5年で1200万かぁ、しょぼいなぁ」というような会話を聞いたことがあるから、まあ年平均700万というのはだいたいの計算はあっているだろう。
学科全体で国からとってきた予算も、使い道は自分の研究室の意見が優先的にきいてもらえてた。
研究報告書にのせる研究成果が、ほとんど自分のいた研究室のデータだったからだ。
ほかの研究室からいえば、実験実習費と卒論実習費と、教員一人当たりの予算、それだけで、卒論の実験をさせる研究室がゴロゴロしていた。
学科全体でいえば、大学全体でいえば、研究者よりも学生の授業料で養ってもらっている雰囲気が強かった。
そのせいか、指導教員は冷遇されていたと思う。
受け持つ授業が学生にとても不評なのだ。
実習も不評なのだ。
非常に難解な授業をする。(今思えば、とても役にたつことを言っていた)
実験や実習も、データだけ渡して解析方法の講義、その後の時間は時間一杯解析させられた。(教員いわく「実験操作なんかそんなもの一回したって、そういやボタン押したなぁくらいにしか記憶に残らないって(笑)」)
逆に、学生に好評な授業は、パワーポイントで紙芝居をする授業で、そういう授業をする教官はすごく評判がよかった。
わかりやすい授業、というかみのない授業だったと個人的には思うけれども、それは個人的な感想だから置いといて、
研究と授業なら、授業にウエイトを置いたほうが学生のウケはいい、経営母体である大学の上層部からのウケもいい、という状態であったことが、可哀相でならなかった。
授業の改善要求だとか、「学科の共有財であるはずの機材を、あの研究室が管理、使用を独占してる!」っというような文句がしょっちゅうだった。
2人の教官のうち、一人はなにを言われても適当に「はいはい」返事をして流していたが、一人は病んだ。
いま、2人はどうしているんだろうか。
国の事業仕分けで、研究予算が取りにくくなると、大学はどういうふうに動くのだろう?
1 国ではなく、企業や財団、寄付から予算をとろうと画策する。
2 研究から教育へウエイトをシフトして、授業料と受験料収入で経営する。
どう考えても2だよな。
今でさえ、東大京大を除いたほとんどの大学が、「魅力的なカリキュラム」「国家試験合格率」「就職率」、そういったことをウリにしている。
ホームページで「受験生の方々へ」のページは力を入れているが、「企業の方々へ」のページはほとんど力が入っていない。
企業向けのページじゃ就職関連のことがちらほらあるばかりで、学術関連情報はほとんどのっていないし。
でもさ、少子化が進んだら、授業料収入に頼ることじたいが無理になるんだから、大学は技術と知識を金にかえる方法を探していかないといけないと思う。
僕は医者だけど、漢方の保険適用を外すってのは凄く全うなことだと思うんだけどなぁ。
そりゃ「漢方の」専門家の先生はそれで食べてるし「ツムラ」は猛烈に反対するのはわかるんだけどね。
ネットの人が署名署名ってなるのはてんで理解できない。あんたら単に「民主憎し」なだけちゃうんかと。
はっきりいって漢方について医学部で習うことは無い(多分富山大学以外の大半)し
臨床医として働きだしても、積極的に使うことは無い。患者さんの希望とか既に出されてるから出し続けるぐらい・・・
ツムラさんいは100以上の漢方の載った手帳もらうんだけど、つかわねーっての。(だいたい100以上在るとかが既にわけわからない)
しゃっくりに「柿のへた」はマジで使うけどね(笑
基本的に西洋医学は病気の原因とその治療というのがかなり明確に理論立ててあるわけで
なにが入ってるのかなんできくのか説明つかない漢方を使おうなんて人はほとんどいないわけ。
(有効成分が入ってるならそれを抽出して使えよ!という話。)
さらに、製造段階からちょっと怪しい部分もあって実際、漢方に含まれてる有害成分によって腎炎をおこした例の報告もあるし
国家試験レベルでも有名な「アルドステロン症」だって引き起こしたりするもの(甘草)もある。
むろん西洋医学は逆に言うと原因のはっきりしたものを個別にしか対応できないし
多くの慢性的ではっきりとしない症状を訴える人や予防的には漢方含め東洋医学が適してる部分も多いと思う。
でも、そういうのってサプリメントと一緒で飲みたい人は自己負担で飲めばいいんじゃないのかなぁ。
僕は無いと思うんだけどね。
模様替えの最中、なんだこれ?と思ったら、前の旦那さんが大切にしていた、ちびた鉛筆セットだった。国家試験の時にこれを握り締めて乗り切ったんだとか。ご利益があるから!といつかの試験の時借りてそのままパクってしまったと思われるv_v;
もう新しい生活を初めておられるみたいだし、返す術も既にないのに、こういう類は捨てられない。どうしたもんだろう。共通のお友達に返してもらうという案も、あるっちゃあるけど、みんな散り散りバラバラの土地にいるからなあ。迷惑だよなー。お願いして送ってもらおうか。不自然か(ー_ー;
要る?ってメールしたら、捨ててくださいというに決まってる。だけど多分、これは本当は捨ててほしくないんじゃないだろうか。わからんけど。
うーん。
性の乱れ。その言葉が使われ始めた頃はまだ眉をひそめる程度で済んでいたが、若年層の性病感染者が20%を超えるまでに蔓延し、深刻な社会問題となった頃にはもう手の打ちようがなくなっていた。性教育の時間を学校教育に組み込み、性病の危険性、コンドームの重要性などをいくら説いても効果はあがらず、女性団体などの批判を押し切って前世紀の遺物であるかのような、純潔や貞操の価値を、性教育の時間だけではなく道徳、国語の時間を使ってまで重点的に教えてみても感染者は増え続け、それどころか、学校が推し進める価値観はつまらなく、カッコわるく、ださいものであるとされたため、むしろ性に奔放であることがカッコいいという考えにハクをつけるような結果となり、逆効果であるとさえ言われた。
打つ手はなくなり、もう規制するしかないとまでなった時、ひとつの法案が施行された。今までの対策と比べると地味で、目立たず、何のためにそんなことをするのかわからない、そんな法案だった。それが国家試験「処女認定試験」の制定等を含む、通称「処女認定法」だった。当初はほとんどの女性が受験せず、それどころか多くの女性からの激しい非難に晒されていた。しかし状況はまず見合いの現場から変わり始めた。処女認定資格保有者の見合い成功率が目に見えて高くなっていた。ほとんど同じ条件の中でも保有者の成功率が非保有者の倍近くになり、今までは最高ランクと見なされていたグループの非保有者よりも、数ランク下の保有者から先に成功していった。結婚にもっとも有利とされる条件が変わっていた。すると、今まで冷ややかな目で見ていた処女の女性たちも受験し始め、合格するとまたたく間に見合いに成功していった。
それが世間に認知されていくと統計にも変化が現れ始めた。総務省の調査では3年後には早くも減少の傾向が見られ、15年後には性経験の有る未婚者の割合が半減した。処女認定資格で純潔が可視化されることにより、結婚する女性のほとんどが保有者で占められ、非保有者は結婚自体が難しくなり、できたとしても数ランク下の相手がほとんどであった。ある見合い会社の調査によると保有者と非保有者の伴侶の平均年収の差は300万円を超えていた。
そのせいもあってか、15年以上前には一番多かった学生時代の性体験者数が激減した。それまでは処女の価値などないに等しかったが、処女認定試験ができて以来、結婚相手の生涯賃金にして1億近い価値が生まれたことによる、気軽な初体験を躊躇する女性の増加が主な要因とされた。
「あれから15年か」ひとりの処女厨が今年度の統計調査を眺めて呟いた。処女認定法案を中心となって作った男だった。男は統計を眺めるのが好きだった。自分が作った法案の与えた影響を実感するのが好きだった。そしてなによりも処女が好きだった。だから恍惚の表情で統計を眺めていた。あれから15年。必死になって働いてきた。非処女の半減。やっとひと仕事終えた心地だった。数だけではない。現実においても如実に成果は現れていた。ビッチをイイ女の条件として煽る女性誌などいまやひとつもない。どの女性誌を取ってみても純潔をオシャレでいい女の必須条件として喧伝している。
芸能界もひとり、またひとりと処女認定資格の保有を宣言することで、おおっぴらに保有を宣言しないものはファンが離れ、今では若い子みな保有者ばかりとなった。認定試験の厳格さは何よりも力をいれた結果、オリンピックのドーピング検査と並び称されるほどになったので、整形による偽装はもちろん、賄賂や替え玉、資格の売買等による、非処女の保有はまずありえず、詐称に関しても罰則を設けたのでその心配もない。処女厨の望んだ世界だった。だが相変わらず童貞だった。
僕は28歳、男子、彼女なし。仕事は介護。大学卒業(24歳)して、働きながら福祉の専門学校(通信)社会福祉士課程に入った。理由は、介護では生活できない、もっと仕事の幅を広げたい、というものだった。専門は無事卒業して、国家試験は一度落ちて、今は資格の予備校に通いながら、働いている。現場は楽しい(もちろん、むかつくことも多い)が、収入面で、この業界、ライセンスは必要。30前の今年が勝負。仕事もいろいろ任されるようになった。7時に家を出て、19時に帰るという生活。立場は契約社員。覚えることが多くて、それが苦ではない。収入は付き10万程度。実家暮らし。彼女なし。でも、結婚はしたいと思っている。それには収入。ソーシャルワーカーになれば、倍の給与がもらえる。だから、働きながら、休みの日は勉強してる。正直、やりたいこと(ツーリング、友達のライブの手伝い、Xbox360、やりたい。でも試験に合格してから。上司は「お前が活躍できるポジションを用意する」と言われた。そのためには、仕事で認められ、資格も必要。休みは実質ない。今が踏ん張り所だと思ってる。持病も持っている。それと仲良くしながら日々を過ごす。
正直、精神的な余裕がない。時間もない。30過ぎたら、今までの利息で暮らしたい。健康は財産だと思う。病気になり、わかった。タバコの代わりにガムをかんでいる。はたして、いつまでもつのか。不安が多い。それは期待が大きい裏返しかも。もっと、介護だけでなく、障害者、児童の勉強もしたい。院は進まない。向いてないから。今月で29。ここで頑張れないと後がない。34までに一人前になりたい(介護の業界で10年目だから)いろいろなことがあったが、今の自分が結構、好き。第一に健康。その次、仕事、家庭(母親と2人暮らし)そんで、勉強。就寝前のひとときが一番安らぐ。
最近、失恋した。相手が告白されて、付き合と思う、というメールが来た。「おめでとう」と言った。少し本音、だいぶ嘘。でも、自分がやることがクリアーになったのは事実。それでいい。今まで以上に、仕事、資格に力が入る。でなきゃ、まともな精神状態を保てない。目の前のことをやるだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20090406000943
大学に入って一年目で初級シスアドに受かるのは、実は結構難しい。
いや、できる人には簡単らしく、そういう人ほど初級シスアドを軽視するのだが、できない人は本当勉強してもなかなか合格しない。ネットだと「初級シスアドなど持っていてもしょうがない」と言った意見を見るが、これはできる人間が軽視しているだけである。(そもそも、ネットの文化が形成される初期のころは、そういったリテラシーの高い人ばかりだったのでそういった発言が染みついているのである)
そういう人に合格率は30%弱程度であると言うと、思わぬ合格率の低さに驚かれることが多い。世の中には初級シスアドの学習コースなどは山ほどあり、書籍も山ほど出ている。どれも簡単に合格できると言うことを標榜している。しかし、実際にはこの合格率である。伊達に国家試験ではない。
これを簡単と感じるか(あるいは苦痛と感じるか)、そうでないかが結構分岐点だったりするようである。増田氏は一年目ということで当然春ではなく秋ということになり、一発合格であろう。初級シスアドはSQLが分野に含まれているので、ある程度その当たりの仕組みを感覚的に吸収できる人でなければ……単純に「パソコン好き」というレベルでは、そのあたりの短期間での突破は難しいと思う。
無責任なことは言えないが、この点で元増田の基本能力は結構高いような気がする。
<追記>
ブクマに反応。
b:id:hosigaokakirari 元増田は大学前期で取ったって言ってるから春試験なんじゃなかろうか。情報系だと高校生でも取る資格だし。 2009/04/06
春試験の出願はその年の2月が締めきりで、4月受験なので、大学に入ってから取得なら絶対に間に合いませんぜ。高校生のうち時期に出願してあるなら別だけど、出願受付時期が受験の最後のころにかぶるから考えにくいと思う。
<追記さらに追記>
大学一年と言うことは、受験戦争を勝ち上がった直後。その秋に向かって勉強をし、そこで取得したと言うことに対しての話である。時間の話も含まれている。100キロを一日で走りきった人と、年間で歩く距離が100キロとでは、全く評価が異なるだろう。そういった話なので、そこを見逃さないようにしてほしい。そしてこれは他の上級試験との相対評価ではなく、世間全体の絶対評価の話のつもりだ。
馬鹿の壁、と言う本がはやったことがあるが、できる人は本当にできるが、できない人は全くできないものだ。そしてできる人はできない人が何故できないのか理解できないし、逆にできない人の気持ちなど、できる人間はわからないのだ。それは声を大にして(顔を真っ赤にして半泣きで)言いたい。っていうかできる奴の「簡単ですよ?」ほど信頼できない言葉はないと思う。そしてネットの連中(っていうかたくさんの増田たち、はてなーたちは特に)は基本的に「パソコンができる」人間なのでそこからの相対評価では辛い点数がでて当然である。
大学時代は死ぬほど遊んだ。
「現役で某国家試験に合格してやるぜ」と息巻いていたのは、入試に合格してから入学式後の数日間だけ。当時リア充なんて言葉は知らなかったけど、おそらくそういうものを目指していたと思う。毎日違うやつに話しかけて知り合いをたくさんつくった。もっともその中で今でも携帯のアドレス帳に入ってるやつはわずか。
部にも入った。友達ができた。テストの頼りはこいつらだった。出席評価なんてないから学校に行くのはテスト週間だけ。未だに掲示板がどこにあるのかわからない。彼女もできた。部の人気者だ。モテる女の彼氏はつらい。特に初カノの場合は。つきあっていることが内緒なのも良くなかった。目の前で彼女に行われる体育会的セクハラには耐えるしかない。どんどん心の余裕がなくなっていった俺に彼女が冷めたってことは頭ではよく理解している。部からは遠ざかった。辞めなかったのは部内での責任とノートのためだ。自分の中でどちらの比重が大きかったのかはあえて書かない。部中心だった人間関係はほとんど切れた。
その頃からゼミがはじまった。呑み会メインのゼミだ。入学以来まともに勉強してこなかった自分に、まじめなゼミは無理だった。専門授業に初めて通った。そして呑んだ。教授について夜の街にも行った。教授陣の中で顔と名前が一致するのはこの人だけだ。成長もした。1年生の時よりはスマートに遊べるようになった。いい感じの女友達もできた。人気者だったから彼女にはしなかった。卒論もないし単位もほぼ揃っていたのでバイトに明け暮れた。たまに気が許せる友達と遊ぶ以外、ひたすらバイトをした。使い道がわからないお金は貯まりつづけた。
就活は頑張れた。勉強の積み重ねがいらないから。事実2割ぐらいの「自分」を作ってそれなりにいい会社からいくつか内定をもらった。それからはまた毎日バイトだ。たまの消費が唯一の自己表現だった。親の代わりに学費を払うことは、思いついたがしなかった。そうやって300日以上過ごした。バイト先では積極的に仲良くしようとはしなかった。だからプラスもマイナスもないそれなりの関係だ。
卒業が近づいて、またかつての部の知り合いと遊ぶようになった。もっぱら向こうからお呼びがかかる。俺はさびしいから行く。だけど絶対行かない集まりもある。ゼミの集まりには何度か行った。女友達は彼女にはなってもらえなかった。行かない集まりが増えた。
今日は卒業式だ。俺は行かない。グラデュエーションブルーがその理由ではない。大学時代に学んだことはいくつかある。
・社内恋愛は俺には無理
・本分を果たすべし
勉強代が高かったのか否かは今後にかかっている。
以上、事実9割の話です。新大学生の反面教師になれば幸いです。あともし奇特な方がいらっしゃれば、新社会人にアドバイスください。体験談だとうれしいです。
いまどき国立が安いつったって文系じゃ年間10~20万程度しか変わらんからねぇ。
卒業生に金持ちの多い医学部はすでに私設の奨学金は多くあるけどやっぱ貧乏だと教科書代ひねりだすだけで大変みたいだし。そもそも医学部各学科を受けようと思ったら、産業化してる受験業界ではそれなりに金積まなきゃならんし。
一方で昔は中卒でもなれた弁護士が法科大学院を卒業しないと取れないようになっちゃったりして、貧乏人が這い上がるのは難しくなってるしなぁ。貧乏人が這い上がるために必要なのは学位でも奨学金でもなく国家試験受験資格だったりするんだが。
国立大学の学費をあげて奨学金を増やしたところでパイの奪い合いが過酷になるだけで、必要な人にはふってこないよ。親が自営業だと裕福でも貧乏人を装うことができてしまうからな。下手するとサラリーマンの子息が汲々して学費稼いでる間に医者の子息が奨学金と授業料免除をもらっていたりするのが国立大学。金持ちは抜け目がないから金持ちになるってことかね。
http://d.hatena.ne.jp/fujiyoshisyouta/20090122
今はプログラミングがまったくできない名ばかりネットワークエンジニア、名ばかりセキュリティエンジニア、OSやメモリ管理のできない名ばかりデータベースエンジニアというのがごまんといます。
業界未経験者に最初からオラクルやCisco社の入門試験の勉強をさせる会社は100%、この手の名ばかり○○エンジニア工場なので、そういう悪い会社の言うことに耳を貸さず、実直に情報処理の基礎から勉強されることをお勧めします。
この辺読んでて思ったんだけど、俺がここ数年抱いていた疑念は正しかったのかもしれない。未経験からでも育ててくれる中小企業っていうのは10年以上前から存在していて珍しくもない話なんだけど、どうもここ5年以内に限って言えば「育てるふりだけしている会社」が沢山ある。もう疑いようがない。俺はそういうのは2ちゃんねるあたりが発祥の迷信レベルに考えていたんだけど、どうもネットワーク通信(今ならTCP/IPだろう)やデータベースに関する知識をIT未経験者にいきなり叩き込んで現場に出す会社が現実にあるみたいなのだ。つまりソフトウェア工学の基礎(二分探索だとかみんな最初に習ったよな?)やハードウェアの知識が何もない状態にSQLやルーティングプロトコルについて知識を詰め込み、現場に出している。もちろん数学なんてとんでもない話で、何から何までカラッポの兄ちゃんに現場デビューさせちまってる。これは異常だ。一体若者の未来を何だと思っているんだろう。そんな奴らが現場に出たところで成長は絶対に望めないことはわかりきっているのに教育工数をけちって特定企業の特定業務にしか使えない工員を量産するわけだ。彼らの10年後、20年後の事なんて考えちゃいないわけだ。
言うまでも無くネットワークエンジニアというのは情報処理技術者として一定のレベルに達した人間が目指す道である(通産省も同じ考えのようで、その証拠に国家試験ではテクニカルエンジニア試験をソフ開の上位に置いている)。というより、現実問題としてプログラミングが出来ないとか、ハードウェア、OSの知識が無いのにネットワークエンジニアとしてやっていくことは不可能だろう(SI会社で調整業務をやるような人間なら不要かもしれないが)。
ネットワークエンジニアなら使い捨てのコードを書いて業務の効率を図ることなんて普通にあるし、負荷分散装置に関するトラブルシューティングではアプリケーションの知識も必要になるわけなんだが、彼らがそういう局面に立った時、普段はどうやって問題を切り抜けているのだろうか。人海戦術でどうにかなる問題ではないはずなのだが。たとえば300行あるコンフィグの書式を別の書式にコンバートする必要に迫られた場合、手作業でそれをやってのけているのだろうか。ログの集計はベンダのASPを使っていて、想定外の統計を要求された時は「できません」で通しているのだろうか。
データベースエンジニアにしても同じ事で、せめてソフ開レベルのネットワーク知識ぐらい持っていて欲しい。ファイアウォールでセッションタイムアウトしているだけなのにその理屈を一から説明する方の身にもなってくれ。keep-alive投げるなりしてベスト尽くしてから連絡の一つも欲しいのに、俺と「タメ」であるはずのあんたらがそれじゃあ困るんだが。司法修習みたいにIT業界デビューした人間が一斉に同じ場所に集められて教育を受ける環境とかがあると良いのだが・・・。