「アイドルユニット」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アイドルユニットとは

2011-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20111031223305

抱けはしないが「マシュマロ3D」っていう、揉みに行けるアイドルユニットってのはある

2011-06-10

マネジメントもしドラになる際に捨てられた要素

http://anond.hatelabo.jp/20110610111907

そういえば、もしドラでは「われわれの事業とは何か」という部分に焦点を絞って一点突破を目指している。

その代わりに以下のものがバッサリと切り捨てられている。具体的には




つじつまとかバランス感覚とかどうでもよかったんや

マネジャー定義とその検証。職務設計方法や具体的な責任の内容

組織形態の選択とその検証

生産性定義とその検証

利益による成果の検証や事業の妥当性のチェック

目標の設定およびその検証 (=利益とのバランス、短期と長期のバランス目標間のトレードオフ

などのマネジメントの「検証機能」についてバッサリ切り捨ててますね。

徹底した手続無視、徹底した代償の無視。徹底したマネジメント無謬性への盲信。凄まじい物があります




ドラッカーマネジメントにおいて一番重要なのは責任」の概念

マネジメント」においてドラッカーが最も強調しているのは「責任」であり、「マネジメントとは責任について語った書である」という本人による言もあります

彼は保守主義を自認しており、マネジメントや「企業」という組織を中心にした社会提唱したのも、すべて社会破綻を防ぐためでした。

からこそ、マネジメントほとんどは、責任について語っているのです。「成果」は責任を果たし続けるための利益を獲得するための手段です。

責任が土台にあって、それを実現するためには継続的な利益が必要で、利益を上げ続けるためには、目的に基づいた成果を上げる必要があり、

成果をあげるためには・・・という思考を突き詰めていった先に出来上がったのが、ドラッカーマネジメントです。

その土台部分を丸々掘り崩して、あたかも「成果を上げる手法」として「マネジメント」を語っても、根本がないのだから別物になります

外堀も内堀もない大阪城徳川家康と戦えと言われてるようなものです。




経験も実績もないけどマネージャー資質はある? なにそれおいしいの?

例えば本文中でマネジャーは成果を挙げさせるものであると言いながら、成果の判定は読者の前では示されないなど検証を一切行わない

事業やマネジャー定義を文中で述べながら、その定義に従って部の目標みなみの適格が問われることもない。

故に読者は、「引用されたマネジメントの文とみなみたちの行動のズレ」をもやもや感を抱えながら読み進めることになります

ところが読者としては冒頭に出てくる「真摯さ」という言葉が強力すぎて、過程において異議を挟むことがはばかられる感じなのですね。真摯であればすべてOK?ほんとに?


そもそもこの「真摯さ」というキーワードがクセモノです。

みなみがどのように真摯かは作品中で全く語られませんが、ラノベのように、とりあえず真摯大事なんだ、と受け入れて読んでいる読者としては

むしろみなみが「真摯」と真逆の方向に進んでいく様を見て、「真摯さとは一体・・・ウゴゴゴゴ」とゲシュタルト崩壊していきます

百歩譲って、資質さえあればなんとかなる、としても、このみなみさんにはその「真摯さ」すらない。なのにチームが成功する。うちゅうのほうそくがみだれる。





マネジメントというよりプロデュース物語

この話は、マネジメント物語ではなく、みなみプロデューサーによる「アイドルマスター男版」と思ったほうがいいです。

作品中でも野球そっちのけでボランティアとか、他のクラブとのコラボで構内の人気を集めるとか、そういうことばっかりやってます

どうみても野球部出身のアイドルユニット育成物語です。ミツバチぶーんぶーんです。本当にありがとうございました

こんなんでどうやって甲子園に?と思われるかもしれませんが全員星野美希くらい優秀なのでなんの問題ありません。 急に覚醒したので甲子園余裕でした。


かいことは全部やたらと優秀な天才少女文乃と東大卒監督みなみの代わりに一晩でやってくれるので問題ありません。

実際に「マネジメント」を理解して実行しているのは、彼ら出会って主人公のみなみではありません。みなみマネジャー(笑)しかありません。

この小説は重病人幼なじみや、優秀な文乃、監督などを有効に活用したみなみの「プロデュース能力」こそが見ものだと思います

作者自身、2005年から2007年までのAKB48プロデュースに関わった方で、プロデュースノウハウを元にこの小説を書かれたのだと思いますからそのように読むほうが良いでしょう。





けっきょくこの話は親友が死ぬ話、ということでいいですかね? それなんて○空?

この話因果関係がよくわからないんですよね。

ありのままに起こったことを話すと、アイドル活動やってたら甲子園に出場してた」何を言ってるのかわかねーと思うが俺もわからない。スポコンとか不条理とかそんなちゃちなもんじゃねぇ。はるかに恐ろしい物の片鱗を味わったぜ。という感じ。

あえていえば、夕紀ちゃんっていう主人公の友達マネージャーが死ぬところは恐ろしかったですね。そこだけリアルで。

「禁呪「マネジメント」。チームを甲子園に連れて行く。ただし味方のマネージャーも一人死ぬ」という話だったのか。

バーサーカーソウル。味方のマネージャーを一人犠牲にしてチームが甲子園に連れて行く」なのか。

「僕と契約して女子高生マネージャーになってよ。甲子園に連れていってあげるよ。ただし味方のマネージャーは死ぬ」

とりあえず、なにか間違った契約によって絶対死ぬべき運命を背負った夕紀を救うために「1/100000000000のキス」でも始めたくなる話でした。

2011-02-22

女性アイドルユニットは知名度が低いほうがいいという仮説

テレビとかで女の子数人のユニットを見ると、とりあえず

AKB48派生グループかな?」

勘違いしやすいので、あえてグループ名とかなかなか言わなかったりするほうが見てもらえる気がする。

まあそれじゃCD買ったり着うたダウンロードまで行かない気もするのであまり意味いかもしれないが

2010-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20101014131620

そんなもん各企業の意思決定によるだろ。

客層も違うし、ビジネスモデルも違う。何も考えずに同列に語るなんて愚の骨頂。

そんなの関係なく売れるなら、普通は「恋愛禁止をうたわなければいい」ってならね?

「そんなの関係なく売れる」なんて俺は一言も言ってない。論理破綻している。

実践の伴わない論理なんてクソの役にも立たないんだよ。ビジネスなんだからよ。

悔しかったら自分理想アイドルユニットでも作ってAKBだか何だかを超えてみろよ。

そうしない限りは誰もお前の戯言になんて聞く耳持たないよ。

2010-09-29

けいおん劇場化決定らしいが

いかに「日常系」の作品とて、劇場版になれば始まりがあり終わりがある。出来事の開始から終わりまでを語られるのが映画という100分くらいの尺なわけで、いままでの「けいおん!!」のように最後お茶してとりあえず終わり、な話は構成できない。

従って、今回の劇場版では劇場化に際して何かしら映画コンテキストからのアプローチが図られ、結果として物語が成立するようになるのだと思われるが、それが何であるのかがいまだに見当がつかない。

ドラえもんの例でいえば、例の如くのび太くんがドラえもんに無茶を言ってドラえもんの道具で遊んでいたら、そこで(ドラえもんという日常の)物語の外部から使者(ザンダクロスとか、恐竜の卵とか)が現れ、やがてそれらは大きな事件へと発展していく。いじめっ子だったジャイアンは一時的に心の友となり、イヤミスネオメカコンピュータに詳しいオタク立ち位置を獲得する。ジャイアン暴力で物を解決し、スネオアイデアと資金力で物事を解決する。のび太ボケて、ドラえもんがそれに突っ込む。しずかちゃんは脱ぐ。それぞれ役目が割り振られて、大きな物語を解決するに至る。

それはクレヨンしんちゃんケロロ軍曹にしても同じことであり、大体の家庭用アニメ劇場版は似たような構成になりがちだ。

さて、けいおんに戻ると、ドラえもん方式のこのやり方を、劇場版でも通用させるのであろうかということである。

いつも通りの放課後ティータイムメンバーギター弾いたりお茶飲んだりしてるところに、ある日突然転入生やら異星人やら吸血鬼がやってきたりするのだろうか。あるいは、放課後ティータイムというリアリティに則って、出てくるとすれば「無愛想な転入生」やそこら辺だろうか。

我々のロジックからすれば、さもありそうな流れではあるが、「けいおん!!」に関して言えばそれはあり得るのか?

先日から話題になっているアイドルユニット育成ゲームアイドルマスター2」がある。アイドルマスター2(以下IM2)では前作で搭乗していたキャラクタは一部わき役扱いとなりNPC化し、代わって完全な男である男性アイドルユニット三人組グループジュピター」が新規にアイドルマスター世界に「認められた」。少なからず、公式ではそういうことになっている。それに対して、既存のファンはどう思ったであろうか。

『異質』である。女性アイドルグループを育てようという中に、まったくの外から(本当は知っているはずだが、あえて知らないふりをしていた)機知外である「男性」は、その世界観親和性などなかった。よって、排除の対象とされた。今でもIM2でのその男キャラを排除する運動が盛んであるという。

けいおんに、放課後ティータイムやその他クラスメイト達以外の存在が、急に割り込んでくる余地があっただろうか。

ケロロ軍曹なら、毎週のように新キャラが登場してくるからさりとて珍しいことでもないだろう。しかし、けいおんではそれはありえない、と見る。理由は前述の通りだ。既にけいおんでは体制の硬直化が作品それ自体の本質として認知されている。新たなる関係性の示唆は、作品に対して保守的ユーザーが多くを占める「けいおん!!」にとって諍いの種でしかない。つまり。

けいおん!! 劇場版」では挑戦は行われない。

あくまで筆者の予想でしかないが、劇場版ではおそらく大胆な構成も図られなければ新キャラの登場もなく、あるいは物語の核となる「事件」そのものも起こらないであろう。

しかし、それで映画の体を保ちたいというのであれば、興行主が考える手法は一つである。

劇場版は、TVアニメ版のリメイク総集編になるかもしれない。

テレビアニメ版では、主要メンバーのすべてが同じ女子大に通うことになった、という話で区切られている。

物語の延長線上では、放課後ティータイム崩壊ティータイムとなっており、バンドを組めないのである。

そうでなくとも、諸々の保守的思想から導き出すに、女子大生となった彼女らのキャンパスライフを描くことは、創作者にとっては容易いが、視聴者には受け入れづらいものになる。高校生記憶を共有できる視聴者は数多くあれど、女子大ないし大学の思い出を共有できる視聴者はそう多くないからだ。

つまり、女子大生日常は、それがもともとファンタジー的な女子高生日常を描いたものだったという前提があったとしても「SF」くらいまでにリアリティが薄まってしまうことを意味する。

ならば、そんなのは書かないほうがいいに決まってる。

じゃあどうすればいいか。「想いで」を再編集するのだ。

かつて、京都アニメーションという会社は「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメシリーズで、「全く同じ話だけど微妙に構成が違うだけの話」をなんと8回も放送した、という記録が残っている。結果は不評であった。それはともかくとして、作品の制作方法として、原作1話があればそれを多角的な観点から再構成しなおし、ストーリーは同じでも別の話のように見せかける技術はこの試みによって研鑽されたのではないかと推測する。

今までのものは実験作だった、と仮定するならば、「けいおん!! 劇場版(仮)」がその本番になる可能性は否定できない。

マクロスフロンティアだってそうだった。エヴァンゲリオンだってそうだった。

リメイク」である。

テレビアニメではなしえなかったあの表現物語の構成を、劇場版ではより高クオリティでやりなおしてくれるのだろう、京都アニメーションは。

期待して待とう。まだ制作開始すらされてないっぽいけど。

2009-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20090811005150

それはあんたが追っかけてるアイドルがかなりグレード高いアイドルだからだよ

成功しちゃってて、足場が出来てるの



もっと少人数の観客相手に変なステージやってるようなB,C級のアイドルを追っかけてごらんよ

あなたの言ってるようなキリッキリの縛りや規律で生きてるよ

知名度や素材の良さや芸が足りない分を「処女性」でトレードしてんだよね



名前忘れちゃったけど十代前半C級アイドルユニット

メンバーの誰かがドキュンっぽい同年代の男と付き合ってる証拠がネットで流れて

その次のイベントで追っかけオタがそのメンバーだけ無視してんの 無視された子凄いうろたえてた

オタどもの無視は凄い団結力で、全員が無視

動画で見たんだけどあれは笑った



動画コメントは勿論「キモすぎる」「いい大人がこんな若い子にいじめみたいなことをして」って非難が一杯あったけど

キモいアイドルオタ」と「C級アイドル」の間には暗黙ながらはっきりと処女性の契約があって

それがあるからこそプロと客の関係が成り立ってるわけだから、余人は関係ないギブアンドテイクだよね



処女性は商品なんだから

それを提供するお店をちゃんと選べば供給されてるよ今でも

そして処女専門店でもし出された処女性に瑕疵があったら、あらゆるボイコットをしてやりなさい

そうしてれば処女アイドルはいつまでも一定枠残る

2009-01-04

ヤスタカウィルスについての考察

ヤスタカブームを経験した人々と中田ヤスタカについて話すと、皆一様に狐につままれたような顔で、あれは何だったんだろうという話になる。

曰く、ハマるとほとんど中田ヤスタカ楽曲しか聴けなくなるほどのめり込むが、数週間、長くて数ヶ月で嘘のようにその熱が冷めるのだという。

まるで麻疹かノロ・ウィルス感染したかのようだ、という話になる。

しかもハマっている間に周りの人間布教するので、自分の熱が引いたころに周りがハマりだし、自分だけ蚊帳の外な気分を味わう。

これらの性質から、中田ヤスタカの一連の楽曲ヤスタカウィルスと呼ぶことにする。

ウィルスという呼称はその性質から付けたものであって、他意は無い。

面白いのは、ヤスタカウィルスがいくつかの種類に分かれていることだ。

COLTEMONIKHAヤスタカウィルスcapsule前期型ヤスタカウィルスcapsule後期型ヤスタカウィルス等である。

実際のウィルスがそうであるように、一度感染したウィルス抗体が生まれて感染は起こらなくなるが

同じヤスタカウィルスでも型が異なれば再び感染する可能性がある。

すなわち、再びヤスタカサウンドにのめり込み、一気に熱が引いていく経験をするのだ。

翻って、ここ一年ほどのPerfumeヤスタカウィルス感染拡大について。

発症期間は数週間から数ヶ月であるという従来のヤスタカウィルスの性質と比べ、この一年という期間はやや長いと言える。

しかも拡大の勢いは留まるところを知らず、年末紅白によってさらにその勢いは加速したと言ってよいだろう。

拡大期間が長くなった一因として罹患者が時期によって入れ替わっていった、という要因ももちろんあるのであるが

もっとも大きな理由は、Perfumeヤスタカウィルスが他種のヤスタカウィルスよりも発症期間が長いことである。

驚くべきことに、最初期にPerfumeヤスタカウィルス感染しながら、未だその症状が治まらない罹患者が後を断たないという。

では何故発症期間の長い亜種が誕生したのか、それはPerfumeアイドルユニットであること、そしてPerfumeが既にパッパラー・ウィルス感染していたことが理由として挙げられる。

Perfumeヤスタカウィルスが拡大を始めた頃、エレクトロワールドコンピューターシティ等のクール楽曲

いかにもアイドル然としたMCのギャップに驚いた人は少なくないのではないか。

ヤスタカウィルスとパッパラー・ウィルスという、全くタイプの違う二種がアイドルユニットPerfumeという媒介を通して交じり合ったことで

より対応の難しいウィルスが生まれたのである。

また、対応をより難しくした要因として、カクカクシタヘンナオドリ・ウィルスという第三のウィルス存在も忘れてはならない。

そしてもう1つ、微妙な二人とものすごく可愛いショートカットの子という絶妙なキャスティングノッチ・ウィル

眠くなったので眠る。

2008-08-15

AKB菊地解雇

増田よ、説明してくれ。

プリクラが流出したこと」が「メンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動」なの?

恋人がいた時点でアウトなの?

恋人がいることをちゃんと隠してないからダメなの?

プリクラ流出したのって本人のせいなの?

「強姦されたのは被害者自己責任」的な発想なの?

恋人発覚で解雇」ってのは、

「極めて古風で保守的なアイドルユニット」としてのAKB48を演出するためのものなの?

http://anond.hatelabo.jp/20080815174500

2008-04-22

Perfumeゴリ押しマスコミへき易

http://anond.hatelabo.jp/20080422085449

ブレイクの兆しがある女性3人組アイドルユニットPerfumeだが、

現在所属事務所であるアミューズからの高圧的な猛烈プッシュがウザイテレビ雑誌など

大手マスコミ各社からのクレームの声が上がっている。

トップランナー」「堂本兄弟」「タモリ倶楽部」などの番組に出演したPerfumeだが、

それらは番組側がPerfumeオファーしたものではなく、Perfume所属事務所であるアミューズが強引にねじ込んだものらしい。

アミューズサザンオールスターズ福山雅治深津絵里ポルノグラフィティなど

多くの人気タレントを擁し、マスコミ各社も「Perfumeも載せてくれ」と事務所からいわれれば、

そこに「Perfumeを載せなければ、福山の取材はさせない」という

無言の圧力を感じ、そこに屈せざるをえないという。

こういった「バーター営業」は常習的に行われている日本芸能界だが、

あーちゃんのっちかしゆかの無邪気な笑顔とはウラハラに

マスコミ各社は笑えない事情を抱えているようだ。

2008-03-13

児童ポルノ法以前の日本 3

http://anond.hatelabo.jp/20080312121901

前回の続き。

これらの雑誌女子高生(または女子高生風のモデル)を被写体にしていたわけだが、必ずしもロリコン向けというわけでもなかった。今でもそうなのかもしれないが、女子高生好きはロリコンカウントされていなかった記憶がある。「男は女子高生が好きなもの」というのはあからさまじゃなくても、暗黙の共通認識になっていたと思う。

こういう事情があったからか、これら雑誌にはブルセラショップ広告ブルセラビデオの内容紹介も普通に掲載されていた。ブルセラビデオの類は東京を中心とした少数のショップが販売拠点となっており、地方にはそこから通販される形であった。だからマニア向けの商品であることは間違いなかったが、雑誌に紹介ページがあったことで地方在住の高校生であった増田にも内容が把握できたのであった。

90年代エロ業界以外でも女子高生がやたらとフィーチャーされることが多かった。「コギャル」という言葉が生まれたのも90年代の半ばか。こうした世間の風潮との相乗効果もあって、投稿系雑誌ブルセラ女子高生エロスを強化する方向に進んでいった。

ちなみに1993年ウッチャンナンチャン南原清隆氏がテレビ番組ウンナン世界征服宣言」の企画で、女子高生Tバックアイドルユニットメロン組」をプロデュースしている(この番組ウッチャン女子高生デートクラブに行く企画もやってたと思う)。地上波テレビにTバック女子高生が出演できるくらいなので、エロ本業界は推して知るべしだ。でも具体的に言うと「Tフロント女子高生」みたいな雑誌もあったな。ただ、91年の樋口可南子宮沢りえを皮切りにヘアヌードが解禁されはじめた時期だったのにもかかわらず、女子高生ヘアヌードというのはあまり見た記憶がない。

最近でいう「着エロ」というジャンルの走りなんだろうが、女子高生ものにおけるこうした流れにロリコン向け雑誌も合流するケースもあった。増刊として「モデルは全員15歳以下!」と銘打って、際どい水着写真セミヌード、そしてヌードグラビアも掲載した雑誌が出されたこともあった。やはり盗撮コーナーもあった気がする。この時期にはコギャルよりもさらに低年齢の「マゴギャル」という言葉も生まれていた。ただ、これらの雑誌はさすがに際どすぎたためか、いずれも短命に終わっていたはず。

一方、女子高生中心の投稿系雑誌は「爽やかなお色気」のイメージがあったためか、トラバしてくれた人も指摘するようにコンビニの成人雑誌コーナーにも置かれていた。「日本ではコンビニで堂々と児童ポルノを販売している」なんて欧米に批判されることもあるが、このような事実をかんがみれば、その批判も故なきものではないと思う。

しかし、90年代後半にはブルセラ社会問題となり糾弾されショップが撤退しはじめた。さらに援助交際が問題視され、各都道府県青少年育成条例が厳格化されるようになってきた。国会でも児童ポルノ問題が語られ始めるようになる。

児童ポルノ法が成立・施行される前の議論の段階で、女子高生をフィーチャーした雑誌リニューアルを余儀なくされた。しかし、それは雑誌の売りをすべて捨ててしまうことと同義だった。

増田はその頃大学生で、エロ的欲求のはけ口を雑誌よりもAVに求めるようになっていたのに加え、編集者側の自主規制によって投稿系エロ雑誌の内容がヌルくなっていたので見なくなっていた。したがって、これら雑誌断末魔を知らない。しかし、児童ポルノ施行以前にこれら雑誌の命脈は尽きていたように思われる。

だいたい自分が語れるのはこれくらいのことだ。要は児童ポルノ法以前にはガチロリコン向けポルノでなくとも児ポ法の定義でいう「児童ポルノ」は広く流通していた、ということだ。未成年セミヌード未成年素人の盗撮映像などが全国の普通書店に出回ったりしていたわけで、今から考えるととんでもない時代だったと思う。かといって、ガチロリコン向けコンテンツを手に入れるハードルはそれなりに高かったわけで、児ポ法以前はロリコンにとって天国だった、とか、日本では児童ポルノが野放しだった、とか言われると、時代の生き証人、語り部としては「それはちょっと違うんじゃね?」と言いたくなる気持ちはある。もっとも、自分がモデルと同世代だったことでそれらを「ガチロリコン向け」と思わなかったということもあるかもしれない。現在価値観を持ったままタイムマシンに乗って90年代に戻れば「なんちゅうワイセツなもんが流通しとるんじゃ!」と思うかもしれないな。

以上、かなり不十分な叙述だと思うので批判・訂正・補完を大いに求めます。


最後に付け加えておくと、こうした投稿系雑誌(のコラム・コーナー)がリリー・フランキー才能見出したり、根本敬に活動の場を与えてきた功績はもっと讃えられてもいいと思う。リリーさん、当時から面白かったけど、こんな大作家になるとはなあ…

2007-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20070923112922

お財布ケータイを持っていない人はタダでベンチに座れますが、その場合、課金することによるポイント加算サービスなどが受けられません。一定量のポイントが貯ると、若い子に大人気のアイドルユニット光源氏プロマイドと交換できるようになります。

2007-04-24

[]問題は作画崩壊祭り発生のしくみなんですってばよ!

あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。


本文のクオリティ保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。


さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。


グレンラガン』#4は脚本ダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。

ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。

ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。


冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。


作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。

祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログエントリまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。


例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニ山本寛アイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフ絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒEDベリ工PVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。


教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイター著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。


実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナーイラストレーターが注目される時期に、アニメはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!

そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。


あと、anond:20070424113453増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクター一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。


「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!


キャラクター一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメDVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!


最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。

もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。

しかしながら、ガイナックス内部スタッフキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。

ていうかいまどきエヴァ語りもどうよと思うけど、新劇場版ってことでひとつ!

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