はてなキーワード: 辛口とは
友人に美味しいご飯屋を知らないと聞いたら「エチオピアへGO」とLINEで返信が来た。
調べてみるとカレー屋だった。
私は子供の頃からカレーの王子さまが大好きで、辛口に挑戦したことがなかった。なんとなく怖かった。
今日は少し気分が良かったので人生何事も挑戦と思い入店し、チキンカレーを注文した。
辛さが選べるらしく、私は適当に15倍にした。
いやぁ。まいった。
インドカレーやらタイカレーやらを一度も食べたことなかったので、この辛さにはまいった。
辛いというか、なんか凄いスースーして、汗ダラダラで、頭のてっぺんから何かが出ていきそうで、ひいひい言いながら食べた。
途中曼荼羅が見えそうになった。
でも、辛さは直ぐに引く。
いやぁ!!衝撃的な体験だった!!
こういうカレーってすっごい美味しいのね!!
35年間生きてきて初の体験!!
他にも色んなお店行ってみたい。
日本酒は大体甘い。米から作られてるんだからと言われればそれまでだが。
灘の 黒松剣菱 という酒だった。上手く表現できないが、辛い大根おろしを食べたような辛さ。
甘みとかは感じられなかった。
でもこの酒を好きだと言う人も多いと思う。
さらっとしたという表現ができるのは、新潟の 上善水の如し ではないだろうか。
でもこちらは辛口とは言えない、いや、言わないが正しいだろうか。
ほんとにサラッとしてて、飲み過ぎてしまうほど。
これも人によっては、「あんなの...」となってしまうが、俺は大好きなんだけどな。
酒の好みを伝える ってことだけど、
辛口信仰をやめましょうだなんて記事が上がっていたので、飲食店を経営してきた中でお客様の好みを聞き出すのにどんな言葉を使ってきたかを教える。
つまり、それに習って好みを言えば目当てのお酒に出会いやすいということ。
味覚というものは曖昧なもので、嗅覚との境界がとてもいい加減です。
例えば甘口が好きだと伝えたいとき、香りが甘いのか味が甘いのかは別です。
花のような香り、樽の香り、スモーキーな香り、ベリーの香りなど、香りの好みや強弱をしっかりと伝えましょう。
味覚を簡単に並べると、甘味、塩味、酸味、苦味、辛味などがあります。
そして、世の中で高く評価されているお酒は、例外なくこれらどれかだけが強いのではなく、それぞれのバランスが優れているお酒です。
例えば辛口に話を戻すと、南国カレーのように甘いのに辛いは両立しえるので、ただ辛口とだけ言われるとバランスの優れたお酒はまず除外されてしまいます。
もちろんそれは人の好みですので、優れたお酒=誰もが好きなお酒とは限りません。
ただ、料理店側から見ると、この人はこだわりは強いけどお酒のことをあまりよく知らない人だなと思われてしまうかもしれません。
そうは言っても、食事は理科の実験ではなく気軽に楽しむものです。
だから、あまり味そのものを難しく考えてしまうとつまらなくなってしまいます。
そんな時、こんな言葉を知っていると比較的うまく伝えられますよという言葉を並べておきます。
まさにこの旨味やコクと言う言葉こそが、それぞれの味覚がもつバランスを意味しています。
甘いだけのお酒、苦いだけのお酒、辛いだけのお酒、酸っぱいだけのお酒には、絶対にこの旨味やコクを表現することはできません。
だから、これだって好みの一つでしかないし、料理との組み合わせを考える上で積極的に選択すべき要素なのです。
そしてこれらの要素の大半は、甘味・塩味・苦味のバランスで作られています。
自分の好みのお酒はこれらがどんなバランスで作られているのかを考えるといつもとは違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。
また、アルコールの強さも旨味には大きく影響してくるので注意が必要です。
いわゆる辛口を好まれる方は、この辺りの言葉を伝えると良いのではないでしょうか。
基本的に苦味、酸味、辛味が強く、そして甘味の少ないお酒です。
しかし、甘味とキレ・ドライさが共存できないわけではありません。
香辛料のような辛さを強くすれば甘味は舌から揮発するように消えていくし、実際に糖が少なくても強い香りで甘味を感じさせてくれるお酒もあります。
甘みやコクとにているかもしれませんが、主に味や香りの複雑さに関係してくる要素です。
樽や檜の香りが好きな人は、この言葉を選んでみると良いかもしれません。
ただし、基本的に醸造に年月をかけているということはそれだけ手間とコストがかかっているということですから、値段とよく相談して選ぶようにしましょう。
香りや色に強く影響される要素です。
また、比較的「飲みやすい」という言葉を選ぶ方にお出しすると喜ばれるお酒です。
甘味と酸味のバランスがよくスッキリ飲めたり、口の中いっぱいに香りが広がるようなお酒を好まれる方におすすめの言葉です。
ある意味では熟成と対になる、若々しさの溢れる要素でもあります。
この言葉を使えば、アルコールの強いお酒が選ばれることはまずありません。
それぞれのバランスが小さくまとまっていて、きれいな味を楽しむことができるはずです。
さて、呪いというには大げさかもしれませんが、どうしてこれほどまでに辛口と言う言葉が便利に使われるようになってしまったのでしょうか。
その大きな要因の一つは、アサヒビールが一大セールスを確立したビール、スーパードライにあると言ってもいいでしょう。
ビールが国民の晩酌に快進撃を進めはじめた当時、そのシェアを独占してやろうと各社があの手この手でしのぎを削っていました。
ユーザーもビール=苦いものだと認識していたので、メーカーは本場の味に近づけようと苦さをアピールする戦略を選んでいました。
しかし、そんな中で唯一異なる戦略で一気にシェアを奪い去ったのがアサヒビールのスーパードライでした。
大人たちはビール=苦いものだと思っていたので、苦いビールを無理してのんでは本当は大して美味しくもないのにそれが格好がいいと信じていました。
そんな状況をいち早く察知したアサヒは、他のメーカーとは反対に敢えて苦味を減らし、キレよくゴクゴクと飲めるビールを作ってそれを辛口と表現しました。
苦い=格好がいいと背伸びしていた大人たちは、まんまとこの辛口という言葉にひょいひょい乗り換えていったのです。
これによって、日本人にとって辛口という言葉は、その言葉自体にそれほど意味がなくても、なんとなく大人な格好がいい雰囲気を醸し出してくれる便利な言葉になってしまいました。
そうして、日本酒にとっても辛口とはつまり、米の甘い部分だけを贅沢に使う大吟醸を否定する言葉でありながら、安酒を格好良く飲ませるのにもってこいの言葉になってしまったのです。
辛口という言葉全てを否定するつもりはありませんが、ただその言葉だけを出してそれがこだわりだ。という顔をされてしまうと、あぁ、メーカーに踊らされているかわいそうな消費者だな、としか見えないわけですね。
だって、本当に辛口が好きならスピリッツとかストレートで飲めばいいじゃないですか。
少なくとも上から2つの要素を提案すると、きっと自分好みのお酒に出会えますよ!
ただし、要素が重なれば重なるほどそのお酒の値段が上がっていくことに注意。
良いお酒とは、つまりそういうお酒であり、良いお酒を飲むことよりも、好みのお酒に出会えることのほうが人は幸せになれるはずです。
独りでシコシコ描いてるからとにかく客観的な意見が欲しいです。
客観的な言葉があればそこをフックに視点を広げられる気がするので、お願いします。
http://inferio.hatenablog.com/entry/2016/06/10/135111
匿名なら忌憚ないコトバも貰えるかと、、、
今のままじゃどこに力を入れてスキル上げていけばいいか分からない
※追記
先ず、増田汚しもうしわけないです。オコの人ほんますんません。
一人で考えると同じことばっかり問うてしまうんで
視点広がりました。
※追記
元々書く予定だったプロットを一旦破棄したので時間が掛かってしまったけど第四話描けました
指摘いただいたこと全てを反映させることはまだまだ出来そうにないけど
このエントリーはバイブルとして何度も見直しながらやっていきます
自分の作品に向けられた言葉なので読めば読むほど気付きが得られます
トラバの方に「今まで履かされていた下駄を取られただけ」という意見がありましたが、まさにその通りだと思いました。
僕自身は幸か不幸か、あまり下駄を履かされない人生を送ってきたせいか、学校の外に出て、本当に自分の実力だけで
評価されるということがどれだけ難しいことか常日頃から思い知らされています。
下駄を取られた状態で、しかもそれも厳しい評価を赤の他人から受けるとなると大抵はかなりの辛口の評価になってしまうと思います。
「おばさんがサンバを踊れるようになってどうするの」とダンサーのチームの代表の方に言われたようですが、
オブラートに一切包まずストレートに言うと、それがあなたのサンバに対するみんなの正直な評価なのだと思います。
ただ、サンバを覚えるといっても別にプロの道を志すわけでもなく、楽しくサンバを踊れるようになることを
目標にしておられるようなのですから、「おばさんがサンバを踊れるようになってどうするの」という意見は、
むしろあなたのサンバに対する評価というより、あなた自身の人間関係の結び方に関する評価なのだと思います。
サンバに関わる人間関係において、少しいびつになっている部分はないでしょうか?少し見つめ直した方が良いようにも思います。
でも、おばさんがサンバを踊るのが駄目?そんなことないと思いますよ。サンバを踊るおばさん、楽しそうでいいんじゃないんですかね?
少なくとも僕はそう思いますが…。
サンバに限らず何でもそうですが、何歳だからやっては駄目、ということはないと思います。
何歳だから駄目だと決めつけているのは、他人や社会ではなくむしろ自分自身であると気付いた方がいいです。
そして自分がやると決めたら、誰に何を言われようが、誰に馬鹿にされようが満足のいくまでやりきる忍耐力を
身に着けるべきです。
サンバにしても打楽器にしても、結局のところは「自分がどうしたいか」ということが一番大事ではないかと思います。
自分がサンバをどうしてもサンバを踊りたいと思ったら、周りの意見を押し切って給水係を退いてでも
サンバを踊るべきです。やりたいと思ったことは自分から積極的にやりにいかないと、永遠に自分の打順は回ってきません。
やりたいことは自分からやりにいかなければ、永遠にできません。
「自分も踊りたいと思っていたし、周りにも踊ってくれと頼まれたのでサンバを踊った」のような都合の良いシチュエーションなんて、
一生巡ってこないと思います。
…そういう風なシチュエーションになるような働きかけを自分からしない限りは…。
やりたいと思ったことは自分からまず働きかけてみないと、自分がやりたいようにやれることなんて殆どないです。
長文失礼しました。
まだ誰も真実を書いていないようなので、辛口レビュー(口コミ)をしてみる。
http://www.ppschool.jp/teachers.html
これが講師一覧だがなんと16名!!
それぞれの名前をググってもらえればいいが、校長のテラウチ氏を除くとほとんど写真家としての実績が出てこない。
例えば講師の中に名前を連ねているM川女史の名前をググってみる。なにか写真家らしい実績が出てきただろうか?
Phat photoの講師である以外の実績が出てこない。それもそのはずだ、某ネット系企業に務めるただのOLだ。
「PHaT PHOTO講師養成講座修了を経て、ビギナークラス講師に」とある。
つまりこれまでコマーシャル・フォトでプロカメラマンだったとか、なんらかの作品が評価されたとかではないのだ。
ということはM川女史はPhat Photoが考える講師の基準を満たしているだけに過ぎない。
素人同然とはいいすぎかもしれないが、ゴルフでいえばゴルフ練習場で教えているレッスンプロレベルだ。
プロのアシスタントが務められるほどの技量があるわけでもない。
Phat Photo School自体がマッチポンチ式の運営といえる。
悪徳経営とまでは言わないが、自画自賛の手前味噌写真学校といえるだろう。
授業の中身は、講習+講評という流れで進む。講評は写真技術的なことだけでなく、芸術的表現も含まれる。
世間の目に作品を晒されたことが無いような講師から、芸術的表現を講評されるとは微妙すぎる。
芸術的価値という意味で言えば、Phat Photo Schoolの講師陣も、ずぶの素人も対して変わらないはずだ。
なにせ、これらの講師陣には、Phat Photo以外の実績が無いからだ。
とはいえ悪いところばかりではない。
事実この学校で知り合って結婚したという人を何組か知っている。
写真を学ぶためというより、出会いを期待している人には是非オススメの写真学校である。
以上Phat Photo Schoolの口コミでした。
ジャンプお色気騒動の件だけれど、子供に悪影響がどうのーこうのーという事で議論が白熱したけれど、自分がどう思うかというのを語っている人は少ない様だった。
でも私の見る限りではほんとうに自分自身はどう思うのかって言ってる人があまりいないんだよ。
私は、『少年ジャンプ』って名前に「少年」とついていても、もうとっくのとうに少年だけのものじゃ無くなっていると思うんだよね。
老若男女、読みたい人が読むでしょう。
「少年」というのは読者の範囲を絞るものというよりも、表現のレベルを大まかに示すものかと私は思ってた。
少年ジャンプなら、見ただけでゲロ吐きそうになるような酷いものはでて来ないだろう、みたいな。曖昧だけどそれなり安心感のある何かを期待していたというか。
『ゆらぎ荘の幽奈さん』は、私の中の「少年誌」基準を超えていた。これは無いわーと私は思った。
でも、あくまで私の想像する「少年誌」レベルだからね。自分でも私基準が確かって自信無いし。
もしかしたら自分は「甘口」ってバーモントカレーの甘口を想像していたけど、皆はジャワカレーの「甘口」が普通の甘口だと思っていたの?みたいな事を思ったりもした。
ともかく、私はゾーニングされてないとこに置いてある様な肌色面積とおっぱい頻度の漫画じゃないだろこれって思ったし、エロを読む気満々でない時に目に入ったら引く。
私は少年ジャンプにあそこまでのスケベを求めてはいないんだな。
昔からエロは普通に出る漫画雑誌なのは知っていたけれども、こんなに開いてびっくりしたのは初めてだよ。
ぬ~べ~やI"sがよく引き合いに出されてるけど、幽奈さんはそれらより裸体率圧倒的に高いじゃないか。
エロって肌色面積の問題だけではないのは分かって居るけど、でも単なる肌色面積も重要ではないのか?というのが私の考え。
そんであなた方はどう思うの?あれほんとうに普通?許容できるの?
私はあなた方の意見を読んで自分の意見を変える事は無いし、別に自分が異端であろうがなかろうがいいんだけど、皆さんそれぞれがどう思うのかを読んでみたい。
今日の昼は42円で麻婆豆腐みたいなやつを作って食ったし(店で食うと420円はするからかなり得した)
昨日はパスタを80円ぐらいで作って食ったし(サイゼより安い)
土曜日は豪勢にスペアリブ(100g120円)を500gぐらい圧力鍋でホロホロになるまで煮て食ったけど最高にうまかった。
追記
麻婆豆腐は盛りすぎた。正確に言うと、「ひき肉と豆腐の辛口オイスターソース炒め」だ。まぁ、でも、調味料入れても1食分は42円。光熱費は入ってない。
豆腐が28円で1丁、鳥ひき肉が100g68円で18時以降は半額で買えるスーパーがあって、ここに調味料が諸々入って、2食分が84円で出来る計算。(実際はひき肉が100gピッタリで売ってないから3食分ぐらい作ることになる。)
オイスターソースはないとだめだけど、あとはカレーパウダーを使う。とろみは水溶き片栗粉でつける。
だから、多分、麻婆豆腐みたいなやつって言って食ってるけど、麻婆豆腐だと思えば、まぁ、こんなもんかってなって慣れる。
脚がきれいに見えるって、誰の為に脚をきれいに見せなきゃならんのだ。
フラットシューズを履こう。
それの何が問題だ。
敬意の表明を形式化し、人付き合いを円滑にする為の道具だ。
フラットシューズで働けたらいいのに。
それができない理由って何だよ。
マナーって何なんだよ。
爪先立ちの不安定な靴を履けるかって話か?
ヒールを履いた女の方がそそるかって話か?
ふざけんな違うだろ。
痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。
互いを敬うマナーを推奨するなら、爪先立ちの靴から労働者を解放する事が筋じゃないのか。
これは我儘なのか。
風呂や剃毛は修行せずとも出来るが、ハイヒールはいきなり履けやしない。
革靴は電車とホームの間にも中々落ちないが、ヒールの踵は側溝に挟まる。
世の中皆がperfumeじゃない。
私に選ぶ権限はなかった。
「履きたくなきゃ履かなきゃいい。
でも履いていないと、履いている人間と比べて不利になる。
だから仕方ない。
皆、履かざるを得ない。
結局、互いを縛るのは互いに過ぎない」
「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。
現状は囚人のジレンマ。
AさんとBさんがそれぞれヒールを[履く、履かない]。
履かないBさんの評価が相対的に下がって、社会的に不利になる。
ゆえに[履く、履く]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、
実際のところは[履かない、履かない]で公益は最大だ。
我慢するぐらいなら履かない方が良いに決まっている。
じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。
履かなくても不利にならない状況を作るしかない。
フラットシューズが正装になれば、ヒールと並んだ時に顔をしかめられる事もなくなる。
「履きたくて履いてる人もいる」と別の人は言う。
そりゃそうだ。
履きたきゃ履けばいい。
だが履かなきゃならない理由にはならない。
カレーの辛口は訓練すれば食べられるが、誰もが食べなきゃならない道理はこの世にない。
全員がスカーフを巻かなきゃならないわけでも、サングラスをかけなきゃいけないわけでもない。
履くのが苦痛だという人間の権利も守れたらwin-winだという話だ。
それらが選べるなら靴の種類だって選ばせてほしい。
身だしなみを巡る問題にはそりゃもう色々と感情的な要素が絡んでくる。
だが、これらの意地や怒りは良いものか。
これらに従う事は、少しでも何かを良くするか。
他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。
「なら正装の条件を変えよう」「慣習を逸脱するのは良くない」
堂々巡りの議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。
全く同じ人間はこの世にいないように、全ての人に通用する理屈はない
ということを努々忘れず、常々覚えておいて欲しい
どうかこれだけは忘れないでほしい
・A→BでCを行うと喜ばれた
というケースがあるとして
BがCされるのが好きなことで成り立つ話を
・A→DでCした場合は嫌がられる
これはどちらもまるで別の話であって同じにすることはできないし
それは仮定にしかすぎない上に、その行為を非難する理由にならない
人間は1人1人別人格を持っているという事実をポリコレは決して見つめようとしない
竹山もマエケンもマエケンのお父さんも葬儀に同席した人たちもそれぞれ一人として同じ人はいない別人格だ
だからこの話で笑えなかったという意見を持つことに間違いはないし、
笑ったという意見も決して間違いではない
本当に間違いというのは個々人の振る舞いを、別人格として尊重せずに何かに統一しなければ気が済まないという歪んだ正義感の、それである
僕らは1人として同じ人間がいないということをもっと強く自覚するべきだと思うし、
そこに誇りをもって生きるべきだと思う
正解が一つしかないのだとしたらそれはそれぞれ違いがあり、決して同じものなど存在しない
皆が同じになれないし同じ物を見れないのは歴史上の偉人たちが証明してくれた
僕らは別々の者としてしか生きれないしそれこそが僕らの本当の姿だ
そうやって生きてきた総ての人間に敬意を払い僕らは違う者として生きるべきだ
どうかそのことを忘れないでほしい
そこらへんのお店のカレーよりもおいしいです。辛口もいいけど、やっぱり中辛。
http://www.meiji.co.jp/foods/curry/ginza/
本場韓国風のキムチよりもこのキムチの方がおいしいと思います。
魚介の風味やりんごの甘味が効いていて日本人の味覚にはこの方が合うのかな。
こちらは普通のよりも辛口派。ご飯なしの単品でも全然いけます。
http://www.e-pickles.jp/fs/picklesonline/su_kara200
あくまで個人的にですが、フルグラシリーズの最高傑作だと思います。メープル風味がたまらなくグラノーラに合います。