トラバの方に「今まで履かされていた下駄を取られただけ」という意見がありましたが、まさにその通りだと思いました。
僕自身は幸か不幸か、あまり下駄を履かされない人生を送ってきたせいか、学校の外に出て、本当に自分の実力だけで
評価されるということがどれだけ難しいことか常日頃から思い知らされています。
下駄を取られた状態で、しかもそれも厳しい評価を赤の他人から受けるとなると大抵はかなりの辛口の評価になってしまうと思います。
「おばさんがサンバを踊れるようになってどうするの」とダンサーのチームの代表の方に言われたようですが、
オブラートに一切包まずストレートに言うと、それがあなたのサンバに対するみんなの正直な評価なのだと思います。
ただ、サンバを覚えるといっても別にプロの道を志すわけでもなく、楽しくサンバを踊れるようになることを
目標にしておられるようなのですから、「おばさんがサンバを踊れるようになってどうするの」という意見は、
むしろあなたのサンバに対する評価というより、あなた自身の人間関係の結び方に関する評価なのだと思います。
サンバに関わる人間関係において、少しいびつになっている部分はないでしょうか?少し見つめ直した方が良いようにも思います。
でも、おばさんがサンバを踊るのが駄目?そんなことないと思いますよ。サンバを踊るおばさん、楽しそうでいいんじゃないんですかね?
少なくとも僕はそう思いますが…。
サンバに限らず何でもそうですが、何歳だからやっては駄目、ということはないと思います。
何歳だから駄目だと決めつけているのは、他人や社会ではなくむしろ自分自身であると気付いた方がいいです。
そして自分がやると決めたら、誰に何を言われようが、誰に馬鹿にされようが満足のいくまでやりきる忍耐力を
身に着けるべきです。
サンバにしても打楽器にしても、結局のところは「自分がどうしたいか」ということが一番大事ではないかと思います。
自分がサンバをどうしてもサンバを踊りたいと思ったら、周りの意見を押し切って給水係を退いてでも
サンバを踊るべきです。やりたいと思ったことは自分から積極的にやりにいかないと、永遠に自分の打順は回ってきません。
やりたいことは自分からやりにいかなければ、永遠にできません。
「自分も踊りたいと思っていたし、周りにも踊ってくれと頼まれたのでサンバを踊った」のような都合の良いシチュエーションなんて、
一生巡ってこないと思います。
…そういう風なシチュエーションになるような働きかけを自分からしない限りは…。
やりたいと思ったことは自分からまず働きかけてみないと、自分がやりたいようにやれることなんて殆どないです。
長文失礼しました。