はてなキーワード: 赤ちゃんとは
下の子が産まれてから上の子が必死に大人の気を引こうとしていたずらばかりする
わざと怒られて自分に注目させようとする
赤ちゃんが沐浴してたらそれをうらやましがって、でも上の子は沐浴してもらえないからベビーバスの中のお湯を飲んだり、親が赤ちゃんの世話をしているあいだに全身ずぶ濡れになってみたり
赤ちゃんのものをほうりなげたり、親の眼鏡を奪ったり親を叩いたりしてる
注目をあびてかまってもらおうとした結果の行動だと思う
マジで何言ってんのこの人
子供作って育てるという次の段階がいきなり虐待についてなんて、ツイッターでしか情報集めてませんよと言ってるようなもんだな
世の中が虐待かそれ以外かみたいな感じなんだろう
というか子育てについて何にも学ばないんだな
少なくとも子供持つってことになったらやることは虐待について学ぶことじゃねーから
「どれくらいのお金がかかるか」「どのような補助制度があるのか」「育休制度」「出産や子育てにおける病院や検診や行政サービス」「アレルギーや食べ物」「赤ちゃんグッズや寝かしつけ」その他諸々だろうが
そろそろ思春期ぐらいの年の離れた弟がいる。
私は弟が赤ちゃんのときから見ているから、弟がミルクを飲んで背中を叩かれげっぷして母から「えらいね~」と褒められてた場面を見たことある。
だけどもう自主的にげっぷをしても褒められるのとは逆に怒られるようになった。何が変わったのだろうか。
自分のことはよくわかないけど、同じ家族を赤ちゃんから見ていて改めて振り返ると「親からの愛され度」は生まれてからすごい勢いで右肩下がりしていってたと思う。
生まれてからは一挙手一投足をほめられ満面の笑みを浮かべていた両親も成長していくとそれがあたりまえになって、やんちゃな時期を経過するとあれをしないさいこれはしちゃだめとお小言が増えていく。
自分の物心はもうそんな時期からだったからそれが普通というかデレデレされた記憶がないけど、弟を見ると自分のときも多分そうだったのかもしれない。
それが自立というものかもしれないけれど、客観的に見て愛され度は雲泥の差。今が無いとは絶対言わない。けど愛の形が変わったというにはあの赤ちゃんに対する過剰な喜の感情は今はなさそう。
自分のときは覚えていないだけで、こうやって弟が赤ちゃんのときのことを思い出すと今だってあんな風にキャッキャされたいしされないんだなぁと寂しく感じる。
覚えて無くても経験はあるはずの赤ちゃんのときの無償のあふれんばかりの愛の注がれ方。
育っちゃったらそんなに愛されるのって恋人を作るしかないじゃない?
無条件の愛情、包容。怪しい宗教に入っちゃう人のこともわかるかもしれない。
愛、欲しいよね。愛されたいよね。記憶がはっきりしだしてからは家族からそんなにもらえないんだもん。
でもそんなラブラブチュッチュな恋人も家族になると両親のようにやっぱり日常になって愛され度は減っていく。子供を作っても、さ。
永遠の愛、なんてクサい言葉になっちゃったけどじゃあそんなもの無いね。
目減りする愛を補給しながらすさんだこの世を生きていくしかないのじゃ。
弟よ、覚えていないだろうけどお前は昔げっぷするだけで喜ばれていたのだ。愛されていたのだ。あの両親にもそんな時期があったのだ。悲しいかな今はこれだけど。頑張れ。いつか恋愛して愛情をリチャージしておくれ。
人生で感じる一生分の強烈な幸福を感じられる麻薬があったとして、
生まれた瞬間の赤子にこの麻薬を打ち、麻薬の効果が切れた瞬間に殺すとする。
そうするとその赤ちゃんの人生の幸福の総量は最大になり、不幸は最小で済む。
これは倫理的に許されるだろうか。
壊れたトロッコの行き先の片方には豚、もう片方には人間の赤ちゃんまたは重度な知的障害者が置いてあり、どちらかを犠牲にすることでどちらかは救われてる
この時お前らはどちらを救う?人間を救うだろ?確かに人間も豚も大きな意味で同じ生き物だけど、同じ命ではないから
このように多数論証を肯定するならヴィーガンが種差別として否定する判断も肯定されることになる
知性の高い動物たちは、ふつうの人間ほどには「生」に対して強い利益を持っていないとしても、知性の低い動物たちや、あるいは人間の赤ちゃんや重度な知的障害者よりかは強い利益を「生」に対して持っている。
だから、知性の高い動物が死ぬことを知性の低い動物が死ぬことよりも重大な危害であると見なして、どちらかが死ななければいけないときに後者を死なせることは、種差別ではなく合理的な区別だ。
逆に、「人間だから」という理由で赤ちゃんや重度な知的障害者たちが死ぬことを知性の高い動物が死ぬことよりも重大な危害であると見積もることは、合理的な区別ではなく種差別である。
俺は「作品と作者は別」っていう捉え方は欺瞞だと考えるタイプで、作者が何者であろうと作品の受容には関係ないっていう割り切りは人間心理的に無理があると思う派なんだよね
ただ、それはそれとして悪人が作った作品を楽しむことは可能だとも思ってる
ロストプロフェッツってバンドのボーカルが赤ちゃんをレイプして捕まった事件があったけど、今でもロストプロフェッツの音楽を愛聴してるリスナーはいるはずで、彼らは「これ歌ってるの赤ちゃんをレイプした男なんだよなぁ」って思いを心の片隅に置きながら聴いてるはずだと思うんだよね
だから、ジャニーに忖度した山下達郎の音楽を聴くことにさしたる障壁があるとは俺には思えない
特に来ないでほしいのは、2~5歳くらいの、歩けるけど分別がついてない年頃。
もっと詳しく言うと、そんなガキを連れてきて手も繋がず放置して走らせたりベタベタ触らせる親が来ないでほしい。
普段から美術館によく行くけど、鑑賞者側からして、ベビーカーに乗ってるような赤ちゃんは、泣くぐらいだし全然可愛い。鑑賞してる時に子どもの大きな声が聞こえたら、先に違うところを観るとか前のギャラリーに戻るとかしてる。
問題の走ってる子どもは、展示に目を向けていると高さ的に視界に入ってこなくて蹴飛ばしそうになったことがあるからずっと疎ましいと思ってた。
子どもがいる親は娯楽を諦めろって言ってるんじゃない。娯楽との関わり方を考えて。
預け先本当にないの?たった一日のうちの何時間すら誰も頼れないなら美術館に来ている場合じゃないと思う。然るべき機関に頼るか福祉を利用して。
混んでると、導線を確保するためにベビーカーの情報を職員で共有して監視することもあるけど、ヨチヨチ歩きで何でも触りたがる子どもが入ってきたら、即特徴共有で触られたくない作品のそばで見張らなきゃいけない。
権利の都合で写真撮影が禁止されている作品を撮影してしまう客の対応もしなきゃいけないのに、子守りもしなきゃいけないのなんでだよ。
子どもに注意してたり手を繋いでるならまだしも、ここ最近は注意しても上の空とか、最初は聞くけどそのうち放置し始める親が多い。
こっちが守りたいのは子どもじゃなくて作品。お前の子どもが怪我しようがなんでもいいんだけど、作品は美術史的に価値があるものだから展示されてるの。
美術のことなんてひとつも知らないのに遊びに来ちゃったのかもしれないけど、いい歳してるんだから展示品は触っちゃいけないとかそれくらい勉強してきなよ。若いうちに美術館に行ってそういうことを学ぶ機会がなかった可哀想な人なんだなって思って接してる。
大人でも触るバカはいるけど、大人だから走ってぶつかったり、立体作品と壁の隙間を通って遊んだりしないからまだマシ。言葉も通じるから。
子連れは子どもの管理ができないなら来ないでほしい。子どもに注意したって意味がわかってるかも怪しいから親に注意するけど、すみませんって思うならバカガキ抱き抱えて出ていけよ。
まぁはっきり言うと、仕事の1/10くらいのストレス。めちゃくちゃ楽である。仕事が辛い人は、子供作って育休した方がいい。1年間お金貰いながらぐーたらできるで。子供を数珠つなぎに作りまくる人の気持ちわかったw
(※ただ育休明けの保育園いれつつ、働くのが一番つらそう。まぁ経験してみないとわからんが。)
前提条件だけ書いておく
・子供は1人目。1カ月と2週目くらい。
・0時:youtube見てることが多い。もうちょい資格勉強とかしたい。自制心が欲しい。
・2時30分:寝る。
・7時:ミルクタイム(僕対応。40分)対応後にすぐに二度寝。
・9時:妻が起床し始めるタイミングだと思う。
・12時:僕、おもむろに起き上がる。そしてはてブ、Twitterをチェック。
・13時:昼ごはんを作って食べる。(30分。昼ご飯は適当に昨日の残り物等など、妻は自分の分は自分で作る。)
・16時:買い物行く(週に2,3回くらい。60分。ちょいと遠めのオーケーストアに行ってるから時間かかる。でも行く途中に海があるからいい気分転換になる。)
・18時:夕ごはん作る&食べる。(僕担当。1時間くらいは食事、食後にゆっくり喋ったりする。)
・20時:食器洗い(食洗器利用15分)、沐浴(僕対応。15分)
・23時:ミルクタイム(2人で対応、もしくは僕対応。40分)終了後に妻就寝。
※隙間時間は、基本youtubeかTwitterかはてブか、ブログ書いてる。
■家事分担
・基本的には、僕が全般やる感じになってる。(だんだん妻が動けるようになってきて洗濯とかできるようになってきた)
・食器洗い:1日1回洗えば大体こと足りる。食洗器を使ってるから15分もあれば完了。
・洗濯:週2,3回かな。(作業自体は15分もあれば完了する)
・掃除:週1回くらい?(15分くらい)+気になったらやる感じ。僕があんまり気にならないタイプだから妻から怒られ気味。
・ごみ捨て:溜まったら出す。外出予定がある方が出す感じ。(ゴミ捨ては曜日関係なくできるタイプの家なので)
・トイレ掃除:気になったタイミングで掃除(僕の担当。水回りは割と気になるタイプだから週3くらいで掃除してる)
■家計の分担
その他、個人の財布は別々。
■結論
やることは基本ルーティンワーク。なにも考えなくてもできる。なので大変ではない。子供の特性によるだろうけどね。
赤ちゃんが泣き喚く時もあるが、四六時中は泣かない。うちは連続で2時間+15分休憩+2時間泣き続けたのがMAX。まぁでもそういう時は、出来る事ないし、心を無にするだけ。辛かったら妻に交代すればOK。あと耳栓すると10%くらいはボリューム軽減できる(そして、扉挟めば50%軽減できる。)
義父(夫の父)は東大を出て大手企業に入り、取締役まで勤め上げて定年退職した。
夫が小さい時は忙しくて子育てに関与できず、中学受験も大学受験も義父の思い通りにはいかなかったらしい。
なので、孫は絶対に東大に行かせる!俺が関与すれば間違いない!そのためには幼少期が大事!と生まれた時から鼻息が荒かった。
金はいくらでも出すから!と、赤ちゃんの頃から小学校受験をさせなさい、公立なんて動物園だ!と言い放ち、夫もどうすることもできず、3歳からお受験塾や公文に通わせることになった。
お金も送迎も義父がやる、というのだから私もどうしようもなかった。
義父の都合が悪い日があり、お受験塾の様子を見る機会があった。子供は明らかについていくのが精一杯で、これは厳しいのではと思った。
公文も、同じ単元を延々と繰り返す(次に進めない)ようになり、そのうち公文の日になると頭が痛い、お腹が痛いというようになり、義父も子供の体調不良をおしてまでやらせることはできず、辞めざるを得なくなった。
それだけやっても小学校受験のご縁がなく、公立に通わせることになったが、義父は中受で挽回だ!SAPIXに入れろ!金は出す、送迎もする!とさらに意気軒高となり、夫も私も止められなかった。
止めようものなら「お前たちは子供に愛情がないのか!後で苦労するんだったら今のうちに頑張らせるのが親心だろう!お前たちは何にもわかってないのだ!」と猛烈に叱責された。
義母は小学校受験に懐疑的で、夫(私立小出身)の時にいろいろと嫌な目にもあったらしく、最初から私に対しては「受験にこだわらなくてもいいんじゃないかな」と言っていたが、昭和の亭主関白家庭であり義父に逆らうことができないため、何の抑止にもならなかった。
そして何が起こったか。
保育園はご機嫌で通っていたのに、小学校はわずか1年しか適応できなかった。
つまり、能力的に学習が難しい特性の子に、ハードな学習を幼少期から強いていたわけだ。
そりゃバグる。
いくら義父に叱責されても、過去の経験からこの方がいいのだと言われても、自分の直感を信じるべきだった。
学校にも行けないままだ。
子供の学習障害が分かった時点で、夫と私は義父に子供の教育に関らせないよう、連絡を絶った。
こちらから連絡はしないものの、義父からは不登校やギフテッドについての訳のわからないYouTubeのリンクをメールで頻繁に送ってくるし、中受の本や教材を勝手に送りつけてくる。公立に行かせたからこうなったのだ、と本気で思っている。まだ諦めていないらしい。
見もしないで即削除しているが気が滅入る。
夫はもっといろいろ言われているらしい。
増田に言いたいのは、この手の孫に干渉してくるジジババとはできるだけ早いうちに没交渉にすべきだ。百害あって一利なしだ。
とても難しいと思うが、縁を切る勢いでNOと言わないとどんどん立ち入ってくる。実親は子に対して厚かましいし、子育ての先輩面してくるからたちが悪い。
先日娘が生まれた。
私と妻共に初産で、互いの両親から離れた地方都市で、新生児の娘と3人で暮らしている。
強い違和感を覚えたのは、娘の出生後に私の両親が訪れた際のこと。
ミルク育児を選んだ妻に対して、「母乳でなければ健康な子供が育たない」「愛情が育まれない」などと平気で悪態をつく。私が居ればその場でフォローするなり嗜めるなりのことは簡単なのだが、私が赤子の世話で外している時に限って言ってくるのでタチが悪い。
母親はミルク育児に理解はあり、妻の味方になってくれようとはするが、その場で強く父親を否定できない様子だったそうだ。
その時点では妻もそんなに気にしていない様子だったが、問題は続く。
幸いにも無事に娘が生まれたことは、互いの両親や親戚に祝福され、様々なお祝いもいただいた。妻の両親にとっては初孫ということもあり、日頃の感謝を伝える意味でも「みてね」という写真共有アプリで、互いの両親に日頃の娘の成長を共有している。結論から言うと、これが良くなかった。
動画と写真を共有を開始してまもなく、私の父から「母親に笑顔がないので赤ちゃんが不安になります」「ミルクは太りやすいです」などのクソリプが、連日私や妻の投稿した写真や動画に紐づいたコメントに投稿されるようになってしまった。コメントは妻の両親も見られる仕様になっており、私が「娘は妻のことが大好きなので何も問題ないです」「余計なお世話😎」と応戦するも、まるで意に介さない。さすがの妻も気にせずにはいられない様子で、次第に娘の状況を報告することが少なくなっていった。
私の父親は典型的なSNSをさせてはいけない部類の人間で、ネットリテラシーはおろか、普段のコミュニケーションでも相手の状況や価値観などを想像することもなく、思いついたことをその場で発言してしまう。無論本人には悪気はなかろうが、故にタチが悪い。離れて暮らすには支障は無いが、親戚や、特に奥さんの両親や親族のいる場所に出してしまってはいけない人。
増田諸兄も同様の経験はないだろうか。Twitterで晒しあげられるクソリプ見て、一体どんなやつが投稿しているのやらと笑っていたら自分の親だったという絶望感を味わったという話だ。
以上で話はいったん一区切り。この状況について、今すぐにどうこうする気はないし、対処療法的な策は少し考えれば思いつく。その気になれば父親のアカをBANすることも容易い。いったんはそれで解消する程度のいざこざである。
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一言で言えば、私は父親との関係をミスっている。振り返れば関係構築の機会が十分に与えられることがなかったのかもしれない。
父は高度経済成長期の只中に生まれ、首都圏の大学卒業後にメーカーの営業一筋40年間。定年まで勤め上げ、高校卒業後に専業主婦となった母親と共に3人の子供を育てた。何せ企業戦士という言葉がポジティブに使われていた世代よろしく、私が小学校に入学して以降は単身赴任で全国を転々とし、思い返せば思春期以降にまともに話をした覚えがない。そして、私が高校を卒業後に家出同然で地方へ移住してしまって以降、その機会は完全に奪われてしまった。
様子がおかしいこと自覚したのは、父の定年後に久々に実家に帰ったときのこと。父は大概リビングで無言でスマホをいじっている。何をしているのかと思えばyoutubeで右翼コンテンツの類をヘビーリピートしているのだった。ちょうど『ネット右翼になった父』というwebメディアの記事がバズった頃。当時の私にとってはそのことがひどく憂鬱で、同世代の友人にそのことを共有したりしてとりあえず笑うことにしたのだが、父とは特にコミュニケーションすることはなかった。
家族を経済的に成立させるという点において、父は立派な人間だった。子供の頃はよく遊んでもらったし、海外旅行や外食はほぼ無かったが、進学費用をはじめ経済的に苦しかった記憶は無いし、不倫やDVなど、いわゆる毒親と呼ばれる要素は皆無だったので、総合すれば素晴らしい父親に恵まれたと今でも思う。一方でコミュニケーションに難があり、また、個人の思想やライフスタイルの多様性が尊重される時代において、価値観をアップデートする機会に恵まれなかった結果として、前述のような問題として表面化してしてしまったと感じている。
勝手にアプデ済ませとけと思う一方で、父にとって最も身近な若者である私と兄妹が、その役目を果たすことができなかったことに責任の一端を感じないでもない。父同様に、これまで私も父との会話をサボってきたのは事実なのだから。
こうした問題を世代間における価値観のギャップと切り捨て、ともすれば縁を切れと脊髄反射で発言する輩がいるが、私はそれをサボりたく無いのだ。現実的には、両親のサポートが必要な場面は今後も生じるだろうし、観念的には、そうした家族の面倒ごとは大袈裟に言えば私のアイデンティティそのものに関わってくる問題だと思う。こういう事象をサボった結果として、自分が将来娘と絶縁する世界線もないとは言えない。無論、努力した結果絶縁されるのは仕方ないとして、それをせずに絶縁するのは違くない?と。
少し極端な物言いになってしまったが、要するにアプデに失敗した老人の暴走という問題として片付けたくはなくて、家族のコミュニケーション不全を見直す良いきっかけにしたいと思っている。昭和の終わり〜平成の初めにかけて生まれた人間にとって、同様の問題を抱えている人は多いと思う。死ぬほどだるいしムカつくけど、一緒に頑張っていきましょう。
最後に妻よ、私と父親のサボりによって被害を被ってしまって本当に申し訳ない。時間はかかるし、今後も問題は起こるかもしれないけど、少なくとも今よりは改善できるよう努力します。
娘よ、私の至らぬところで君の祖父という人間について、希薄な情報しか残すことはできないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るので許してくれ。
今年無事二人目が生まれたんだけど、いわゆる二人目不妊的な状態が続いていて、タイミング法を1年半と少し続けてようやくできた子だった。
それ以上の不妊治療をしている夫婦からすれば屁みたいな物かもしれないが、少なくとも我が家ではこの1年半は相当しんどかった。タイミング取るために仕事を急遽休み、それでも駄目だったときの落ち込みはもう経験したくないほど。特にちょっと妊娠の気配が有ってからのリセットは自分もしんどかった。
それで、二人目妊活の間外で赤ちゃん連れを見ると妻の様子が明らかにおかしくなってるのも大変だった。上の子4歳が気付くくらいピリついた雰囲気を出して押し黙る。買い物中でも空気が最悪になるから途中で切り上げて帰ったこともある。
二人目が生まれ、赤ちゃんとともに退院してきた妻と深夜ちょっと話したときにタイトルの件をポロっと言っていて、ほうそういうもんなんだなと妙に納得した。