そろそろ思春期ぐらいの年の離れた弟がいる。
私は弟が赤ちゃんのときから見ているから、弟がミルクを飲んで背中を叩かれげっぷして母から「えらいね~」と褒められてた場面を見たことある。
だけどもう自主的にげっぷをしても褒められるのとは逆に怒られるようになった。何が変わったのだろうか。
自分のことはよくわかないけど、同じ家族を赤ちゃんから見ていて改めて振り返ると「親からの愛され度」は生まれてからすごい勢いで右肩下がりしていってたと思う。
生まれてからは一挙手一投足をほめられ満面の笑みを浮かべていた両親も成長していくとそれがあたりまえになって、やんちゃな時期を経過するとあれをしないさいこれはしちゃだめとお小言が増えていく。
自分の物心はもうそんな時期からだったからそれが普通というかデレデレされた記憶がないけど、弟を見ると自分のときも多分そうだったのかもしれない。
それが自立というものかもしれないけれど、客観的に見て愛され度は雲泥の差。今が無いとは絶対言わない。けど愛の形が変わったというにはあの赤ちゃんに対する過剰な喜の感情は今はなさそう。
自分のときは覚えていないだけで、こうやって弟が赤ちゃんのときのことを思い出すと今だってあんな風にキャッキャされたいしされないんだなぁと寂しく感じる。
覚えて無くても経験はあるはずの赤ちゃんのときの無償のあふれんばかりの愛の注がれ方。
育っちゃったらそんなに愛されるのって恋人を作るしかないじゃない?
無条件の愛情、包容。怪しい宗教に入っちゃう人のこともわかるかもしれない。
愛、欲しいよね。愛されたいよね。記憶がはっきりしだしてからは家族からそんなにもらえないんだもん。
でもそんなラブラブチュッチュな恋人も家族になると両親のようにやっぱり日常になって愛され度は減っていく。子供を作っても、さ。
永遠の愛、なんてクサい言葉になっちゃったけどじゃあそんなもの無いね。
目減りする愛を補給しながらすさんだこの世を生きていくしかないのじゃ。
弟よ、覚えていないだろうけどお前は昔げっぷするだけで喜ばれていたのだ。愛されていたのだ。あの両親にもそんな時期があったのだ。悲しいかな今はこれだけど。頑張れ。いつか恋愛して愛情をリチャージしておくれ。