はてなキーワード: 製造業とは
・プログラムによる既存業務の効率化は目に見え易いので、非効率だった多数の人材と自分が匹敵する能力を持っていると勘違いしやすい点。
・オブジェクト指向やプログラミング自体に事象の抽象化や細分化、項目化といった思考が必要で、物事の数学的把握が必要な点。
・効率化によって職を失う人間はこの先も増えるが、自分達の仕事は減らないだろうという漠然とした思い込み。
・定量的、数学的把握は説明がしやすく、業務やプレゼンへの応用は楽だが、数値から漏れた部分や把握できないイレギュラーは無視しがちである点。
4つ目は敢えて言うなら文系の素養が必要で、これを持っている人間が一流。プログラムにできない(し辛い)部分を把握するプログラマーは自分の仕事の無意味さを認める事になるが、これを抱えたまま仕事をするのはメンタルの面からも大変。他に挙げるとすれば、専門用語が多く仲間内で親交をする傾向が高いので外部からの目に気付き辛い点、一種の官僚化だろうか。
それから6つ目(笑)と言ってもいいかもしれないが、プログラムその物の社会的意義まで頭の回っていない人間が多い印象はある。業務効率化による収益増は当然、自分の給料に反映されるが、そこから漏れた部分の責をプログラマは問われない。
一例を挙げれば、(文書に限り)郵便事業が縮小による情報伝達の効率化という恩恵は万人が受け、効率化に伴う収益は電子化業者が郵便事業者と分け合ってきたろうと推測されるが、電子化業務従事者は封書や葉書の印刷業者や納品業者、インク製造業や製紙業界までに頭を回す事が出来ない。もっと言えばパルプの精製や原料の輸出入にも関わり、産業としてはまさしく革命が起きていると言っても良いが、それを自分の仕事に係わる物だと捉えているプログラマーはまずいまい。
負の側面として電子文書は膨大な労力をかけてフォントや外字の整理を今も強いられ、ファイルフォーマットや送受信データ形式の細かな不整合を放置したまま進んできたが、それに関して電子化業務側からの社会への問いかけといった視点はなきに等しい。加えて、数値化不能な(文書に限る)郵便業務の益は、配達員と顧客のコミュニケーションや地域事情の把握、高齢者福祉に関わる面にまで及ぶのであり、それをモニターの前にいるプログラマが担うのは不可能である。
二行目に関しては特権意識とは全く関係がなく、言語による思考を行っていない人間に言語で話しかけるのが間違っているのではないか、と考える。
絵描きや作曲家の例を挙げれば理解は容易である。これらは頭を使っている、いない、の問題ではなく使い方が違うだけの話だ。
そもそも、頭を使うの対義は身体を使う、になるのかしれんが、ヒトがどちらか一方だけを使うなど有り得ないし、その活動の比重が脳に偏っていれば偉い、と言うのは思い上がりである。
今の日本のプログラマーなんて(SEやSI・テスターなども含む)90%以上は「シゴト」でやってる奴だよ。技術に特段に興味があるわけでもなく、与えられた仕事をこなす。技術を勉強するにしても、会社に資格とれと言われているとか、給料を上げたいとかそういうモチベーション。技術に対する興味ではなく、仕事としてのスキルアップ。
残り10%は、技術に純粋に興味があるとか好きでやってて、趣味が仕事になってるような奴。ほっといても自分で調べてスキルを磨く。プライベートで何の役に立つわけでもないプログラムを作ったりする。勉強するモチベーションは「知りたいから」「楽しいから」そんな奴。
そして増田がいうマウンティングっていうのはこの10%の人たちの発言なんだよ、10%の人にとっては「作ればいいじゃん」が真理であって、「うんこしたいならうんこすればいいじゃん。なんでしないの?」とほぼ同義なんだ。
90%と10%は立ってる場所が違うから、「まず作ればいいじゃん」がマウンティングしているように聞こえちゃうんだ。あるいは、10%の人は輝いて見える(見えるだけ)から、90%のうちの一部のワナビーが真似して言ってることもあると思う。
ただね、プログラマーやるだけなら、必要なものなんてなにもない。向き不向きはあるけど、それは他の製造業や接客業も同じでしょ。会社ガチャや上司ガチャ、クライアントガチャの方がよっぽど重要。
4期目はないと自ら言っているので続投はないのでしょうが、引き続き頑張ってください。
番組やSNSでは叩く声も目立つようになってきましたが、支持率調査では40%付近を維持できています。
打ち首にせよ!的な過激な一部の声が大きいだけで、今のところ大勢に影響はないようで何よりです。
者ども総じて浮動票を獲得しようと印象付けをしているため、それを不安視した擁護の声も大きくなり、
リモートワークになったこともあり、世間のリアルな声を耳にする機会が減りました。
安部首相や政府や自民党について、これまでリアルで居酒屋の政治談議も含め口にしたことはありません。
製造業など日本を支える産業の分野では民主党時代に比べ格段に好況になっていますので
造語ではありますがアベノミクスの恩恵を享受し、年収・生活レベルとも向上しています。あくまで私事ですが。
機会さえあれば、この7年間の安定した生活向上について、同様の想いをもつ人々と談義したいところです。
が、風潮的になかなか政治の話を市中ですることがはばかられます。
欲張りなひとが増えたのでしょうか。コロナ封じ込めと経済対策を同時に行うことはできません。
酔っ払ってキーボードが叩きたくなったので,とりあえず書いている。
筆者は,平田オリザ氏のコミュニケーションに関する記事で,製造業を批判した(受け止め方をすでに間違っている可能性あり)記事が炎上していると感じている。
これについて批判記事も各種出ていて,「コミュニケーション教育」について批判のエントリも多く見かける。
筆者にとって思うところを書く。
前提として,筆者は
・平田オリザ氏の記事が炎上している事で初めて平田オリザ氏を初めて知ったため,氏の過去の言動を知らない
・筆者は,とある製造技術分野のエンジニアを自認する人間である
である。
自身のプロフェッショナリズムに基づいて本件についての意見を述べると,
「コミュニケーション能力は,受信機の仕様が確定している場合にのみ,発信機責任になる」
という考えから,平田オリザ氏の発言はイマイチだなぁ,と感じる次第である。
森博嗣著書の「すべてがFになる」から始まるシリーズで犀川先生が発言する「コミュニケーションは発信側の責任」(正確な文言は忘れた)という言葉は,
受信機のプロトコルを送信側が理解している前提による。つまり「AMラジオに対してAM波で語りかけない方が悪い」という考えである。
受信機がAMラジオであれば,AM波で送信しない送信者は前提を無視しているため伝わらなくて当然である。
筆者の考え方では,コミュニケーションを「伝える力」と定義としたとき,「受信機の仕様に合わせた送信」ができていないことが「コミュニケーション能力の不足」
と感じる。このことから,平田オリザ氏の発言が炎上する理由は,氏が受信側に受け止めてもらえる内容になっていない時点で,氏が言うところの「コミュニケーション能力の不足」に感じる。
筆者は,普段から受信機の仕様に合わせた送信が上手くできない事を悩んでいるためなおさらそう感じる。
コミュニケーション能力について問題提起する人物は,常に自身の発言が「受信側のプロトコルに合わせた送信か?」を考え続ける必要があるし,それを批判された
際に反省できないのであれば,自身のコミュニケーション能力を疑う必要がある,と筆者は考える。
と,書いてはみたが,何が書きたいのかよくわからなくなってきた。とりあえずブラックニッカディープブレンドはそんなに悪くない。
「PCR検査しろ」「韓国は沢山検査している」「検査すれば自粛の必要はない」「日本はPCR検査の数が少ない」「全国民にPCR検査が必要だ」「政府は、岡田と玉川の意見を聞け」
「二週間後には武漢になる」「二週間後にはイタリアになる」「二週間後にはニューヨークになる」「二週間後にはブラジルになる」「二週間後にはロシアになる」
「韓国は○○している」「台湾は○○している」「ドイツは○○している」
「和牛券が必要」「芸術は製造業とは違うのです」「旅行クーポンを配ります」
「STAY HOME」「パチンコゆるせない」「他県ナンバー許せない、実力行使が必要だ」「営業している店許せない、実力行使が必要だ」「ピピーー。密です。密です。」
「コロナより経済で死ぬ人が多い」「緊急事態宣言はいらなかった」「コロナは収束した」「老人を隔離して現役世代は経済を回そう」「永江のブログを読め」
「BCGが日本を救った」「東ドイツと西ドイツの死亡者が違う」「感染者数は関係ない。BCG摂取国の死亡率が少ない。100万人辺りの死亡者を見ろ」
私ネトウヨだけど、安倍内閣の特徴は、反対派が言うような巨悪や無能ではなく、調整型で組織防衛型という点にあると思う。
これまで自民以外も含めて、政策に関係ない些細なことやわきの甘い点を攻撃されて失墜していった反省から、決定的なボロを出さないことに注力した究極形態にみえる。
これまで安倍首相は数々の批判にさらされてきたが、いまだに収賄をはじめ一発退場の違法行為の実行犯としての証拠は挙げられていない。
揚げ足をとられないように、発言は抽象的になり、文書などの証拠も極力出さないようになる。
それが公正さ、誠実さに欠けていると批判されても、明確な違法行為の実行犯とはならない範囲を見極めているのが巧妙。
そういう点では(そうは見えないかもしれないが)歴代内閣でもっとも守りの堅い、将棋で言う穴熊のような盤石の防御態勢を作った。
状況によって組織防衛の「組織」が日本だったり内閣だったり自民だったりするが、守りに関することは動きが早くて、それ以外は調整型なので遅く、大胆な改革はしない。
組織に対して献身的であり、個人的な私利私欲は意外なほど見せていないので自民党内部から刺されることもない。
首相の座に居続けることで得られる利益というのはあるだろうが、もっと直接的な欲はほぼ見せない。
調整型であることで、自民党内部や官僚や多種多様な産業界のどこか(農業とか製造業とか)が割を食ってその業界ぐるみで反発されることもない。
調整型・組織防衛型であることのメリットは政権を長く保つことができて、長期計画の政策がおこなえるということ。
(現状できていなかったとしても、その下地ができているということ)
短期間で任務が変わる場合、一般の公務員などでよくあるが、1年くらいで成果が出る目先の改革に注力してしまい、
どんなに優秀な人でも長期的展望がないいきあたりばったりのことをやってしまう。
デメリットはもちろん癒着、腐敗、見えないところでルール違反をしやすいところ。
現政権の場合、防衛的にわきを固めているので、不祥事も他の政権と同等かそれ以下であり、ことさらにそこを攻めても崩れない。
今のような巨悪や無能を論点とした正攻法や、揚げ足とり、違法行為に対する間接的関与で安倍首相個人を叩いても、さほどダメージは与えられないと思う。
とはいえ現状はすでに安倍首相個人が一般大衆のヘイトを買いすぎているので、次の選挙で自民が大ダメージを受けるのは確実ではある。
安倍首相と自民を分断させ、自民党員に安倍支持を表明することがデメリットと感じさせるようになったら組織防衛が崩れていくだろう。
それに向けて内部に反安倍派を増やすような工作を今からしておくのも有効だと思う。
調整型を攻めるなら、他の先進国のような大胆でスピード感のある情報改革を進める方が国のためになる、という政策論議がいいかもしれない。
「ようわからんで言うとるわ、けっ」とか思うのはわかる。無理解、部外者。
が、あの触れ方が、侮辱に満ちていて今後誰もすべきではない、タブーな物言いだったのかというと、
とてもそうは思えない
軽く扱ってるのか?よく知らずに引き合いに出した、ということが?
時節柄イライラしまくってる人々の火種の中で増幅されただけなんじゃないか。
でもその建前として「他業種を下げてる感じするからよくない、っていうのはあるよね」というのがくっついて。
それが燃えると「他業種を軽く!こんなにも軽く扱うだなんて、、、許せない!!!」みたいな。
すごく雰囲気で言ってるように見える。
気に入らないのはすごくわかるのだが、
この正論ぽいものに、誰かの真意が、心の叫びが乗ってるのだろうか?
この事例から人々が学ぶべきは、
本件に関して私が感じたのは平田オリザの強い危機感と焦りである。この危機感を強調したいが為についつい他の業種等を下に見た発言をしてしまっているというのが私の見立てである。
しかしこの危機感の部分が皆に理解されていないように思う。そこで私は「演劇ファン」の立場から、この危機感について説明し、それを踏まえてオリザの発言の意図(と思うもの)を説明したい。
これを語るために視野を広くとって、演劇にかぎらず「物語を表現する媒体」について見てみよう。例えば、テレビ、映画、漫画等だ。
こうした媒体を見たときある意味最強なのはテレビだ。なんといっても0円で、しかも家から一歩も出ず楽しめるのだから(インターネット上の無料コンテンツも同様)。
それに対し演劇や映画のような媒体は、お金もかかるし外出も必要だ。だからテレビと差別化できないと、お客が入らず消滅しかねないのだ。
映画の場合、テレビの登場や高画質化等で打撃を受けたが、3Dや4D等で差別化をはかってる。演劇でも伝統芸能やミュージカルは、それら固有の演出をする事で、ある種テーマパーク化して差別化している。
しかし平田オリザ等のやっているいわゆる「演劇」の場合、ほぼ唯一の差別化要素は、お客が生で見るという事だ。そもそも、テレビや映画は西洋演劇の直系の子孫なのだから、差別化しづらくて当然だ。
そしてコロナにより、このほぼ唯一の差別化要素が無くなったわけであるから、この状態が続けば、演劇は消滅してしまう。これは危機感をもって当然だ。
最後にオリザ発言に戻ろう。オリザの意図は、私が思うに、演劇が消滅の危機にあるので、「客と生で触れる」という演劇唯一の差別化要素を強調したいだけなのだ。
もちろんオリザの発言は、演劇の危機を強調するあまり、製造業を下に見る発言をするなど、はっきり言って弁解の余地はない。
ただ、スポーツその他の娯楽を下に見ているという批判はちょっと違うと思う。これらはコロナで面白味が減じるかも知れないが、やり方次第で生き残れる可能性が高いので、そもそも念頭にないだけなのだと思う。