酔っ払ってキーボードが叩きたくなったので,とりあえず書いている。
筆者は,平田オリザ氏のコミュニケーションに関する記事で,製造業を批判した(受け止め方をすでに間違っている可能性あり)記事が炎上していると感じている。
これについて批判記事も各種出ていて,「コミュニケーション教育」について批判のエントリも多く見かける。
筆者にとって思うところを書く。
前提として,筆者は
・平田オリザ氏の記事が炎上している事で初めて平田オリザ氏を初めて知ったため,氏の過去の言動を知らない
・筆者は,とある製造技術分野のエンジニアを自認する人間である
である。
自身のプロフェッショナリズムに基づいて本件についての意見を述べると,
「コミュニケーション能力は,受信機の仕様が確定している場合にのみ,発信機責任になる」
という考えから,平田オリザ氏の発言はイマイチだなぁ,と感じる次第である。
森博嗣著書の「すべてがFになる」から始まるシリーズで犀川先生が発言する「コミュニケーションは発信側の責任」(正確な文言は忘れた)という言葉は,
受信機のプロトコルを送信側が理解している前提による。つまり「AMラジオに対してAM波で語りかけない方が悪い」という考えである。
受信機がAMラジオであれば,AM波で送信しない送信者は前提を無視しているため伝わらなくて当然である。
筆者の考え方では,コミュニケーションを「伝える力」と定義としたとき,「受信機の仕様に合わせた送信」ができていないことが「コミュニケーション能力の不足」
と感じる。このことから,平田オリザ氏の発言が炎上する理由は,氏が受信側に受け止めてもらえる内容になっていない時点で,氏が言うところの「コミュニケーション能力の不足」に感じる。
筆者は,普段から受信機の仕様に合わせた送信が上手くできない事を悩んでいるためなおさらそう感じる。
コミュニケーション能力について問題提起する人物は,常に自身の発言が「受信側のプロトコルに合わせた送信か?」を考え続ける必要があるし,それを批判された
際に反省できないのであれば,自身のコミュニケーション能力を疑う必要がある,と筆者は考える。
と,書いてはみたが,何が書きたいのかよくわからなくなってきた。とりあえずブラックニッカディープブレンドはそんなに悪くない。