はてなキーワード: 補聴器とは
落書きしたりゴミや水をかけたりノートを池に捨てたり物真似でバカにしたり耳の聞こえない女の子を苛めてる主人公も胸くそ悪いし、主人公が壊しまくった補聴器が総額170万と聞いて、すべての苛めの責任を主人公に押し付けて主人公を苛めだすクラスメイトと教師も胸くそ悪い
何より胸くそ悪いのは主人公から酷い苛めを受けていたのに毎朝学校に早く来て主人公の机にされている落書きを消したり殴られて倒れている主人公を介抱しようとするヒロイン
しかもそんなヒロインにムカついて蹴ったり殴ったりの暴行までしやがる主人公もムカツク
映画もやっているし、知っている人は多いと思うが意外に読んでいない人がいる。
なんでも、集団いじめをテーマにしてる漫画と聞いて、重いと思ってしまうらしい。
なんてことだ!!こんな面白い漫画を読まないなんてもったいない!!!
というわけで、ネタバレを極力避けつつ、読んでみようかなと思わせるレビューを書くことにした。
この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
硝子は聴覚に障害のある少女で、障害ゆえスムーズなクラス運営を妨害してしまう彼女は、転校を繰り返すがどこに行っても疎まれいじめらる。
将也の学校でも同じように疎まれ、将也を中心にいじめられるようになる。
将也のいじめは後にクラスで問題になり、逆に彼がクラスの集団いじめの標的になる。
このようにして、自分の犯した罪の重さを知った将也は、高校生になって硝子に謝りに行く。
将也が過去の罪を償うべく、硝子やその周囲で奔走することで物語が動いていく。
それを重く感じる人もいるだろうが、むしろ子供のころいじめられがちだった人こそ、この漫画を読むべきだと思う。
いじめや障害といった要素は主題ではなく、この漫画の本当のテーマは人と人が分かり合うこと、「聲(こえ)の形」なのだから。
手話は声を目に見える形で伝えてくれる。
しかし、それだけでなく、この漫画には本当に様々な「聲の形」が描かれている。
気を付けなければ見落としてしまうような、表情、しぐさ、間、すべてが「聲の形」である。
だから読み込むことで、「この人はこういう時、こんな顔をする」というのが分かってくる。
声が伝わってくるようになる。
誰が何を伝えきれず、見落とし、どうすれ違って、最後にどう和解するかが分かってくる。
優しいというのは、人の持つ人格を、その人はそういう人なんだと受け入れることである。
好き嫌いは別として。
強いというのは、人に向けた好意は、必ず好意と伝わると信じることである。
好意を返してくれるかに関わらず。
彼らが小学生の頃、誰も優しくもなければ強くもなかった。
本当なら、優しさや強さを教える立場の教師達も、それができなかった。
皆が傷ついた。
高校生になり大人になりつつある彼らは、やはり不器用に傷つけあいながらも、本当の優しさと強さを手に入れていく。
人は不幸にも、人生のどこかで人を信じないことを覚えてしまう。
人と真剣に向き合っても損をするだけ、表面上だけ合わせてやり過ごすことを覚えてしまう。
自分も人を信じて、向き合ってみようか?
また裏切られるのかもしれないけれど。
でも、その時が来るまでは優しさにあふれた世界を信じてみよう。
それが、自分を良い方向に連れて行ってくれる。
これは、そんな気分にさせてくれる物語。
さあ、読もう。
ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!西宮!西宮!西宮!天使!天使!天使!かわいいよ西宮!西宮かわいいよ!!!!!1話目の隙を見て逃げ出そうとしてる唇とがらせた顔がかわいいよおおおお!!!!母親が投げ捨てた筆談ノート取ろうとして、勢い余って川に落ちるときの絶望の表情がかわいいいよおおおおお!!!!いじめられてにへらっとしてる表情がかわいいよおおおおおお!!!!!!!進路をどうするか聞かれて、うんうん頷きながらどや顔してるのかわいいよおおおおお!!!!!!!!!ショーちゃんのおててをしゃぶしゃぶしたいよおおおおお!!!!!ショーちゃんの感情表現の手段、大事な大事なお指をなめ回したいよおおおお!!!!!そしたら舌ったらずな声で「い、いあ……」とか言ってくれるのかなあ!!!!!泣きそうな顔で「りゃ、りゃえて……」とか言うのかなあ!!!!!涎でぬめぬめでろでろになったおてて、これも聲の形だよね!ショーちゃん!!!!!
そしたらいいタイミングで通りかかった将也にぶん殴られるのかな!!!!「西宮ッ!!!大丈夫か!?」とか言いながらさりげなく肩とかに手を置いてなぐさめてあげたりするのかな!!!そして次の日に「昨日は殴っちゃってごめんな。お前はお前なりに考えがあったのかもしれないのにな」なんてメールを送ってきてくれたりするのかな!!!!!ごめんね!!!!世の中にはそんなに深く考えこまなくてもいい事があるんだよ!!!!!!
でもやっぱり植野が一番かわいい!!!鬼のような形相で西宮の髪ひっぱる姿がかわいいよ!!!!ちょっとした小動物なら心臓発作で殺せそうな顔面で永束君罵ってるところかわいすぎるよおおお!!!!!罵って!!!もっと罵って!!!!そして恐怖のあまり失禁したい!!!!失禁する姿を底冷えするような冷たい蔑みの目で見られたいよおおお!!!!!!!そのくせ一途に将也を想ってる所がかわいすぎるよおおお!!!!走る時の「したたたたた」って効果音がかわいすぎるよおおおお!!!!!走れ!君はどこまでも行ける!!!!
永束君ぼっちなの納得いかなくね!?オタク友達それなりにできるでしょ!こういうタイプ!佐原さん強い子!川井は、こいつだけは好きになれない。真柴君ほんと蚊帳の外!ザ傍観者視点!
島田ってもう将也と仲直りしてるよね!?あとはきっかけだけだよね!?遊園地で再会した時の「ふっ」って笑顔、1話目で母親と将也がじゃれてるの見て笑ってる顔と同じじゃん!なんかもう、途中から引っ込みがつかなくなってたの気にしてたんだよね!「ずっと気にしてたけど、なーんだ、楽しそうにやってるじゃん」って顔だよね!あれ!
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
西宮と再会するとこの植野も最高にかわいいよね!!!!西宮の補聴器取って「ぶん投げて遊ぶ?」って言ったとこ、すごいグロテスクだったよ!!!子供の残酷さって本当に怖いね!!!!トンボの羽をむしって遊ぶのと同列に、西宮のこと見てたってことだよね!!!怖すぎるよ!!!!だけどそれが幼心というもの!!それに気づかせてくれてありがとう!!!!人に共感する能力って、年を重ねながら学習する能力なんだね!!!
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
植野、容赦なく人の事ぶん殴るくせにいい子だよね!!!人に敵意や悪意を見せるより、曖昧に笑顔で流しちゃうのが楽だし傷つかないし、大人の対応だよね!!!だけどあえて、そうしないのは、心の底で人の善性を信じているからだよね!!!嫌いな奴だから、社会から抹殺してやろうとか、陥れようなんて考えないって、信じているんだね!!!
佐原、芯が強い子だよね!!!植野が西宮殴りまくってる時の罵り合いのさなかで「友達だよ!」って叫べるのすごいよ!!!植野と西宮母、拳で語り合いすぎでしょ!?平手打ちもコミュニケーション!これも聲の形!!!男前!!!!好きすぎる!!!!
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!かつての教え子に、逆に教えられる!最後に「立派になったじゃないか」って言うところ、将也達は廊下に出てるんだから、慌てて職員室の入り口まで追いかけてきて言ってるんだよな!!!最高すぎる!!!!
最高と言えば成人式の同窓会に西宮と手をつないで入っていく将也ほんといいよね!!!かつて取れなかった手を取って歩いていく姿!!!最後に度胸試しした橋で西宮と会うようになる展開も最高だし!!学園祭の見開きで顔から×取れるシーンも最高だし!!小学生のころの度胸試しとか広瀬のなにげない一言を後々生かすのも最高すぎるし!!!永束君の映画酷評してる審査員、お前もチャップリンみたいな髭生やしてね!?!?!?島田バイトばっかりして、もしかして留学資金自分で貯めてるし!!!西宮視線でみんなが変な声でしゃべる世界の回想も最高の感涙だし!!!そっか、西宮が生きてる世界って、こういう風に見えてるんだって、感涙だし!!!将也が目覚めてから橋で奇跡的に再開する時に、じっと将也の顔を見る西宮かわいすぎるし!!!将也と西宮がいつも二人して同じこと考えてるの最高だし!!!将也と植野は似てるようで似てないし!!!もしかしたらもしかして、西宮と将也の物語が、植野次第で将也と植野の物語になってたかもしれないのも最高の最高の最高だし!!!!!とにかく最高な漫画だった!!!
http://anond.hatelabo.jp/20161013080226
そのどれもが本人の言う理由の中にある。
けれども、私から見て母親が補聴器を拒む理由は「自分が老いた事を認めたくないから」だと思う。
似たような理由で老眼鏡も免許更新で引っかかるまでかけてなかった。
老いを実感するのは怖い。それはよく分かる。
私が小さい頃から「自分はいかに若く見られるか」が自慢のタネだった親だから。
ていうか今でも言ってる。うんざりするほど聞いた。
祖母は、例えば、取り分けしやすいように食卓に並んだ食器のレイアウト変更を試みたり、
デイサービスの車が来る15分前に自宅外で待っていたり、気配りを欠かさない人だ。
しかし、本当に大きく周囲への気配りにつながる、補聴器の導入には決して首を縦に振ろうとはしない。
食器のレイアウト変更にしろ、15分前待機にしろ、何度「しなくてもいいですよ」と言われても、
まだ比較的軽めだと思われる認知症の影響からか、行動の変化は見られない。
祖母の気配りは、要は、自分の思い通りにしたいということが表れているのだと俺は思っている。
父方祖母ということもあり、
介護の為ではなく自分の都合で早期退職し、現在、在宅ワークをしている父が主に面倒を見ているのだが、
父と祖母のやり取りを見ているだけで、介護の重労働さは十分伝わってくる。
常に家にいる父に嫌気した母が介護のパートに就いたのは5年前のこと。
話を聞くとやはり大変な印象を受けるが、辞める気配はない。
50代中盤の母が今お世話をしている利用者は、もしかすると、20年後の母自身かもしれない。
そういう、避けられない人の道を先取りして見ることの恐さ、悲しさ、はかなさみたいな感情で
むなしくなったりしないのだろうかと思う。
聞くことはできないが。
どんな仕事にも辛さはある。
労力と給与のバランスがちぐはぐな仕事なんて山ほどあるだろう。
しかしそれでも、何かしらやりがいwみたいなものを探そうと思えば探せるのではないだろうか。
俺の大きな偏見は、介護職にはそれすらをも見いだせないと思っているところだ。
その仕事自体はプラスだが、老人やその老人の家族が抱える多様で大きなマイナスの流れを
彼らの働きによって0にすることは難しい。
彼らがどんなに一生懸命働いたとしても、要介護1が要支援1になることはない。
マイナスの加速度をいくらか和らげることはできても、プラスの流れに変えることは決してできない。
介護職は社会にとって間違いなく必要で、介護職に就いている人を尊敬している。
しかし、重労働、低給与の上にそういう精神面の部分でも得られるどころか失いかねない、介護職を俺は選べない。
むしろ、俺にとって低給与以上に精神面の方が辛いかもしれない。
だから、介護職に就いてる人がどんなことを思っているのか凄く気になる。
俺と同世代ぐらいの見た目好青年っぽい若者は完全に仕事と割り切っているのだろうか。
仕事以外のことをしている時に感じる幸せを、ちゃんと幸せとして感じられているのだろうか。
仕事の影響があまりにも大き過ぎるせいで介護職に就く前は容易に感じ取れていた幸せを、
そんな偏見を持っている。
サンプル数:自分自身+友人3人+田舎の兄ちゃん+小中学校といじめられ自殺した同級生1人
イジメられると精神が死ぬ。(大人だと鬱病などと呼ばれる、大学でアメフトやってた闊達な田舎の兄ちゃんが今ではひきこもりだ)
それが思春期の頃であれば、結果大抵がキモイ(ネクラな)奴になる。
自分に向けられるのが侮蔑か好奇の視線だけであれば、そいつの社会性は失われて当然だ。
自分を嗤わない相手を見つけ、自分が必要とされ、その相手を受け入れにゃならん。
硝子ちゃんも、どうやら昔からいろいろとあったようだ。
あの作品世界では、硝子ちゃんの菩薩のような態度は、障碍者としての抑圧から来るものらしいが、
それは将也たちと再会するまで、解消されていない。
聲の形では、すばらしき同級生たちの支えもあり、皆が前へ進む。(当然だ、そういうテーマの創作だからね)
「イイヒト」に恵まれている。
イジメ加害者が被害者になり自責に囚われるが、そこから脱するための相手ときちんと邂逅し、前に進める関係修復が行える。
なんて感動的で素晴らしい世界だろう。
この作品世界では、補聴器が何個も壊されるような事態が起こっても、それは本質的にイジメではない。
「不幸なディスコミュニケーション」なのだ。
だから、「許す/許さない」の土俵ではなく、「やり直せるんだ」という土俵の上で話が進む。
そして、「やり直せること」に感動して涙する。
人によっては、やり直しが硝子から与えられると認識し、硝子に素晴らしい人間性を見出し涙する。
作品内の行為を、「到底許される行為じゃないだろう、そんなレベルじゃない、ひでぇイジメだぞ」と見る人にとっては、「加害者用の感動ポルノ」だ。
公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので
見るかどうか迷ってる人に向けて
ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので
正直予想を遥かに超える良い作品でした
キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて
一般的に物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが
このような加害者と被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正面から
まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました
原作はシナリオに大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています
この話は、もし小説だったなら学校の図書室に置いてありそうな話です
もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし
物語は主人公の石田将也が自殺を図る意味深なシーンから始まり、
どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。
障害を持った児童が普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。
やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます。
石田も、何を考えているかわからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり
途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。
しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます。
それどころか、今度は仲の良かったクラスメイトが石田をいじめのターゲットとするようになります。
その石田に、いじめられていた西宮だけが優しくしようとします。
しかしその行為が理解できず、石田はさらに西宮に辛くあたるのでした。
石田は小6から高3まで「いじめっ子だから近づかない方がいい」という理由でいじめられます。
それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定と人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。
人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。
そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。
要点
疑問
最初は石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます
すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます
「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」
そんな感情はラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです
このモヤモヤ感は是非味わってほしいです
その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程が面白いです
小学校時代の西宮登場前と後、高校時代の西宮登場前と後と、フェーズが多く
その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています
周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです
西宮と他の者、石田と他の者の距離感が一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います
バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります
でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね
永束くん
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
障害者枠だと、能力が優れていても一律最低賃金レベルだろ?そもそも収益に関われそうなことをさせてもらえないか、貢献しても給与は一定な会社がほとんどじゃないの?できれば普通枠で採用されるほうがハッピーな人生を送れるような気がする。
障害者手帳無いなら病気でも何でもないんだから、目立たない補聴器つけて、難聴気味なことは黙って、健常者として就職活動すればいいんでないの?
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねえのかよ。
聴覚障害者は働くなってか?
どうすんだよ俺活躍出来ねえじゃねえか。
だって、一番下の聴覚障害者の判定基準が、「両耳の聴力レベルが70dB以上のもの」、あるいは「一側耳の聴力レベルが90dB以上、他側耳の聴力レベルが50dB以上のもの」、だぜ?
右耳が55dB・左耳が60dBで補聴器を装用してる俺は障害者手帳の認定が降りない。
おかげで補聴器買うための補助金が出ないし、障害者枠での就活もできないから健常者に混じって就活しなければならない。
ふざけんな日本。
こんなことを言うと、「聴覚障害を持ってても立派に働いてる人がいる」みたいなことを言い出す奴が出てくるよな。そもそもこんなことを言う奴は聴覚障害者なのかよ。お前に苦しみが分かるのかよ。
それに「障害を言い訳に努力してこなかったからだろ。就職できないのは自業自得」みたいなことを言う奴にも言わせてもらうけど、難聴のハンデ背負っても部活に勉強に努力してきたわ。レギュラー勝ち取って、国立大学入ってやったよ。ところがいざ就活始めてみると、障害者手帳のない俺は敬遠されるじゃねえか。
「聴覚障害をお持ちなんですね。障害者手帳を取得して障害者枠で受けにいらして下さい」じゃねえよ。そもそも取得すらできねえんだよ死ね。
このゴミみてえな障害者手帳の判定基準をさっさと改善しろ。スウェーデンは40dB以上、アメリカが30dB以上、デンマークに至っては20dB以上が聴覚障害者とみなされるのに、何で日本だけこんなに厳しいんだよ。先進国じゃねえのかよ。
病名がつくほどじゃないようなので、医学的には健常者と同じということになる
それでも耳が多少悪いのは事実で、妹もそうだし母親もそうなので遺伝的なものだと思う
まあ前述の通り病院に行っても難聴「気味」ぐらいにしか言われないんだけどね
音は聞こえるんだけど、それを分析する力が人よりも劣ってるって感じかな
聞き間違えがものすごく多い
生まれつきそうなもんだから、よく聞こえなかったとしても、それを自分で補完して解釈しようとする力はたぶん普通の人よりもある
「タバコを取って」が「うさぎを取って」に聞こえたことがあるんだけど、どう考えてもおかしいので、文脈から補完すれば目の前にあった「タバコ」だったことが判るというような感じ
こんな調子で、いちいち聞き返していると普通の会話が成り立たなくなるから、そこはできるだけなんとかしている
という話を、なんとなく上司にしたら、気合が足りないとかやる気がないから聞こえないんだと言われた
今までそんな風に言われたことがなかったので驚いた
コンプレックスと言うわけではないので傷つきはしないが、気合があれば聞こえない耳も聞こえると思うような人種が本当にいるんだなあと思って逆に感心してしまった
おそらく「音は聞こえている」のに「詳細は聞き取りにくい」というのが理解できないんだろうね
視力が悪いのと大して変わらない症状だと思うんだけど、そこまで理解できないものだろうか