はてなキーワード: 補聴器とは
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/rounensei/senmou.html
これは主に認知症等の方向からこういう情報を載せているんだろうと思うが、ここにあるせん妄の原因としては、
1.疾患によるもの
脳卒中、認知症、パーキンソン病、神経変性疾患、髄膜炎、脳炎、電解質異常、腎不全、癌、甲状腺機能異常、インフルエンザなど
2.加齢によるもの
高齢者では、若年者では影響のない疾患や薬剤でもせん妄が起こりやすくなります。
脱水、尿路感染症、便秘、インフルエンザ、睡眠不足、ストレス、チアミン・ビタミンB12欠乏症、合わない眼鏡や補聴器の使用や社会とのつながりを絶たれることによる感覚遮断など
違法薬物の使用や急性アルコール中毒、モルヒネ、鎮静薬、睡眠補助薬、抗うつ薬、抗精神病薬、抗ヒスタミン薬、コルチコステロイド薬、筋弛緩薬、パーキンソン病治療薬(レボドパ)など。
長期間服用していた薬剤を急に断った時にも症状が出ることがあります。
特に外からの情報が遮断され、夜間は機械音が響いて不眠となりやすい環境のICU(集中治療室)や、手術で使用する酸素や鎮静剤の影響、ストレスなど
目が悪い人や耳が悪い人が警備業は問題だと思うんだよね。
実際に最近あった事なんだけど、うちの会社の警備に目が悪い人と耳が悪い人がいてね。
書類を持って来社する人に身分証明書の提示をお願いするんだけど、どう見てもどこかのお店の会員証(写真無し)なのに
「はい良いですよ」なんて言うと苦情が他の社員から合って、厳重注意したら「運転免許証だと勘違いした」なんて言い訳された。
それで、あんまりにも酷いから視覚テストを警備会社に依頼したら全然見えてなかったという結果でウチから撤退。
次に配備された警備員は問題ないと言われたので、安心してたら今度は補聴器付けても聞こえてない人ときた。
ある男の子が、店の中を走り回ったりクリスマス用品の棚の商品を取り出して遊んだり、大暴れとまではいかないがとにかく落ち着きがない様子だった。
私は持ち場を離れることが出来なかったので、すぐに遠くへ行ってしまうその子になかなか注意できずにいた。
男の子はとにかく落ち着きがなくブツブツ独り言を言ったり奇声を出して騒いでいたので発達障害なのかな?とも思った。
よく見ると両耳に補聴器のようなものをかけ、そこから後頭部にも何か取り付けられていた。後から調べたら人工内耳のようだった。
しばらくすると50代くらいのおばさんが会計に来た。男の子は相変わらずバタバタしていたが、私が商品をスキャンしている間にそのおばさんが男の子の肩を叩いて手話と口で「帰るよ」と言った。
ああ、このおばさんが母親で、この男の子はきっと耳が聴こえにくいのだと気づいた。
ふと、その子がこちらをみて満面の笑みで私にニコッと笑ってきた。子供の笑顔、ではあるのだが、障害児っぽい歪んだ笑顔だった。
障害児っぽいというのは昔学校の授業や給食のときに特別クラスの障害児の子と接した経験によるのだけれど、
なんか普通の子と違う、表情筋のコントロールがぶっ壊れたような、上手くいっていないような、とにかくそんな表情。
でも先程までの奇行に苛ついていたし、崩すことなくずっとこちらに歪な笑顔を向けるその子がどこか不気味で無視して会計を続けた。
無視というか気づかないフリをしていたんだけど、しばらくしたらお母さんの後ろに隠れて以降私を見ることはなかった。
その子がこちらに笑いかけた意味も結局わからない。たとえ本当に純粋な笑顔だったとしても、それをまっすぐ受け止められる自信はないだろう。
お母さんももしかしたら私が無視したことに気づいたかもしれない。
理由は補聴器を付けている同僚が最近聞いたふりをしてハイハイ頷いてるだけで仕事のミスが増えてきていて
それに対して「もし聞こえづらいなら聞き直してね。筆談かメールにしようか?」と伝えたら、怒ってきたのだ。
聞こえているなら、さっき連絡したことを復唱してみてと言ってみると無言。
聞こえていたんでしょ?と繰り返すと言葉にならない言葉で怒鳴る。
仕事のミスも増えて手間を増やすくらいなら、聞き直して欲しいし、筆談かメールと言ってくれれば、それも行う。
耳が悪いという点以外は、その同僚は仕事ができるのでそうしてほしかった。
それを聞こえていなかったという事を棚に上げて怒るというのは理不尽だ。
同僚からすれば、耳が悪い事をネタにバカにされたなどという考えなのかもしれないが、それはただの被害妄想じゃないかと。
耳が悪いのを知っているからこそ、こちらは聞こえなかったら遠慮なく聞き直してほしいし希望であれば筆談・メールも問題ないよと言っている。
見下しているのではなく、対等での仕事を求めているからこその話なのを卑屈になられてはこちらもどうしようもない。
そんなこともあったので、まだ少し気持ちが凹んでいるが、何が言いたいかというと
補聴器を日頃から付けている人は、聞こえているふりをするのだけは止めてほしいという事だ。
そうでなければ、相手を気遣うこともない。
一番困るのは「聞こえているふりをされて自分は大丈夫」という見せかけの姿を見せられる事。
その姿を見れば「あー大丈夫なんだな」と思うかもしれないが後でミスが起これば「駄目じゃんか。これだから○○は…」と自身の立場を悪くしてしまう。
見せかけは所詮、見せかけなので聞こえたふりをしてしまってミスなんぞ起こしてしまえば、
そうならないように自身が予防をしてほしい。
表面的な行動ならいくらでもできる。
老人に席を譲ったり、同僚の仕事を助けたり、
病の友人に見舞いをしたり、落とし物を届けたり、
後進のためにできることをやっておく、
家族のためにサービスする、彼女にサプライズして喜んでもらう、
できるだけ楽しい思い出になるように「ニコニコ仮面」を被りお調子者を演じる。
思っていた通りの反応。
その繰り返し。
だけど、俺は人を愛せない。
俺を慕ってくれている家族や恋人、友人には本当に申し訳ないのだが、
愛する人のために命を捨ててもいいというような境地に至ったこともない。
あまりにも演技が上手くいってるおかげで優しいとか気が利くとか評価され慕われている。
けれども、それは全てただの行動だ。
そう学習し行動してるにすぎない。
もちろん、誰かが傷ついているところを見ると心が痛む。
だが、これは相手を思いやっているわけではないのだ。
誰かが傷つく可能性があるということは、いつか自分にその順番がめぐってくるかもしれない。
そういった不幸への恐怖心が俺の心を動かしている。
俺が募金をしないのは、募金を必要とするような大多数の不幸な人間のことまで考えてしまっては、
自分の心に生まれる恐怖心は膨大に膨れ上がり、日常生活を送れなくなるからだ。
だから当然アフリカの子供たちが何万人死んでいようが俺は救おうとも考えようともしない。
ただ己の範囲内でそういった人間がいると穏やかでいられないから、
他人の目からはそれは誰かを思いやった心から出た善意に見えるかもしれない。
しかし、俺からしたらストレスを減らすための自分のための行動でしかない。
どうすれば人を愛せるのか?
俺は人を愛したい。
だけど愛する心が無い。
こればかりはどうしようもない。
目が悪ければメガネをかければいい。
耳が悪ければ補聴器をつければいい。
足が悪ければ杖をつき、車いすに乗ればいい。
だが心が足りない人間はどうすればいいのか。
善意からくる行動をまねていれば、いつか答えが分かると思っていた。
誰かの喜ぶ顔を見れば、いつかこの冷めた心にも小さな芽が育つと思っていた。
だが、どれだけ待っても、芽はひとつも出ることがなかった。
元々そこに種はなかった。
俺自身、愛を信じていないのだろう。
本当に愛が素晴らしくこの世の真理であることが疑いのない事実であれば、
とっくの昔にこの地球は愛で満たされているはずだろう。
実際は今日も飢餓で死ぬ人間や殺される人間、貧困に苦しむ人間が
この地上には数えきれないほど存在する、今、この瞬間にも。
この世は地獄だ。
俺は単に、日本という社会、この時代に生まれ勉強することができ、
俺とアフリカの子どもの違いは、単に生まれた場所、境遇の違いだけだ。
俺がアフリカで彼らと同じように生まれたら、今のような生活は絶対に送っていない。
それは誰にも変えられなかったことであり、起きてしまったことだ。
愛せない人間はどうすればいいのか?
俺は必ず死ぬ。
産まれてきてよかったと一度でも思うことができれば、
自分も普通の人間と同じように趣味や仕事ややりたいことはもちろんある。
だが、それらは死への恐怖に打ち勝つだけの魅力にあふれる題材でもない。
愛だ。
人に愛してもらうのではなく、究極に人を愛する必要がある。
おそらくそれこそが死への恐怖に打ち勝つ唯一の手段であり、最も尊い行為だろう。
だが人を愛するには何が足りないのか未だに理解できない。
人を愛する人間と同じポジションに立てば何か分かると考えていた。
余計分からなくなった。
愛が素晴らしいのは分かる。
どうしても愛を手に入れたい。
親になり子を持てば分かるのだろうか?
表面上愛しているように見えて、子もそう思い信じている。
誰も知らなければいいというのは通用しない。
できる以上のことはやってきた。
何かを意図的に信じ込むことも試してみたがどうしてもできなかった。
愛はどこから与えられるのか。
愛を知る人たちが眩しい。
俺はこの先ずっと彼らに劣等感を持ちながら生きていくしかないのだろう。
俺は地獄にいる。
お前ら、聴こえない人たちの世界を想像したことあるんか?聲の形やオレンジディズは「健常者のなかに障害者」という構図で成り立ってるけどそんなの聴覚障害者の一部の一部よ。ほとんどの場合、聴覚障害者同士しか関わりを持てないんだな。
俺は生まれつき耳が聞こえなく、聴神経が欠損してるから補聴器をつけても人の話を聞き取ることができない。なんか低い音とか高い音とかはわかるけど、これはドー、これはラー、みたいな聞き分けはできないのよね。サとタ行の違いもイマイチよくわかってないから発音も苦手なのだ。
人によってはまぁ聞き取ることができるけど健常者と同じになれるってわけじゃない。会議はその典型な。多方面から喋られると追いつかないし、飲み会とか騒々しいところでもダメ。
特別支援学校を卒業した同級生なんだが男はライン工に就職し、女は事務職かアパレル産業のバックヤードとかで働くことがほとんど。そして聴覚障害者が集まる飲み会で出会ってデキ婚する奴らばかり。それに文章も書けない、数学もできない。助詞や接続詞もままならない。そのまま仕事を続ければ家を建てることはできるが、一度レールを外れると一気に就職難になる。
という俺は、まぁまぁ勉強ができちゃったせいか大学に行って大企業に勤務するも結局、会議や全体朝礼、雑談トークとか全くできなくて退職しちゃったけどね。一番悔しいのは上司の考えを聞くことができなかったこと。お前らは聞こえるんだから、それを精一杯活用して心から聞いてくれよ。羨ましいぜ。
http://anond.hatelabo.jp/20170308152744
元増田が書かれてから検索して知った付け焼刃知識だけど、ブコメに書ききれないので増田る。他に症状を訴えていないから聴覚情報処理障害(以下APD)を中心に調べたよ。
きこえているのにわからない APD[聴覚情報処理障害]の理解と支援
小渕千絵 ・原島恒夫編著 ISBN:9784761407858
(Amazonの在庫は昨日は何冊かあったが、はてなのお友達が買ったのか現在入荷待ち)
出版社のページ http://www.gakuensha.co.jp/cn27/pg523.html 「発達障害との関連も注目される、APDに関する本邦初の書」とのこと。
(ADHD: attention deficit hyperactivity disorder 注意欠如・多動性障害(注意欠陥とも)、LD: Learning Disability 学習障害)
https://libopac.fukuoka-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10780/972/1/ohta.hatta_2.pdf
「発達障害だよ」との指摘がブコメや増田に出ているが、症状は似ているのでその可能性はある。元増田の訴えだけではその線は薄そうな気がする。他にも課題を抱えるだろうから。とはいえ専門医にも判断は難しい模様。
感音性難聴との指摘もあった。
感音性難聴は、「内耳又は内耳から聴覚中枢に至る部位に器質性の病変があると考えられる聴覚障害」 (Wikipedia 難聴 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E8%81%B4 ) なので定義的に APD とは別。
感音性難聴では高い周波数成分の感度が悪くなったりする。よって補聴器で症状緩和できたりする。
感音性難聴は神経の信号に乗るまでの過程の問題で、APD はもっと後段の認知処理の問題なのだろう。
「加齢だよ」の指摘もあったが、それは感音性難聴の方じゃないかな。
元増田の
は APD の部分に該当する。とはいえ元増田が感音性難聴のほうでないかどうかは分からん。
ネット上の掲示板を見ると、症状はあるものの病院行ってもはっきりしない人が多数見受けられる。上記書籍の執筆者に所属が書いてあるので、そこからたどると良いかもしれない。
健康診断などでの通常の聴覚検査では音が聞こえるかの検査なので APD は引っかからない。周波数ごとの純音の感度を調べているので、それでは正常判定になる。町の耳鼻科レベルでは「異常ないですね~」で済まされてしまう、みたいな。
英語版 https://en.wikipedia.org/wiki/Auditory_processing_disorder
前述の書籍に「5 章 APDへの支援」という章はありました。成人向けの内容があるかどうかは不明。
内耳のあたりでなく大脳の認知あたりが焦点なら fMRI で何か分かるんじゃないかなと検索したら診断の研究などはしているっぽ。
http://www.advancedotology.org/sayilar/89/buyuk/257-261.pdf
http://www.audiologyonline.com/articles/auditory-processing-disorders-overview-current-12703