はてなキーワード: 良心とは
即ち、パターン5の「セックスしてできたから産んだ」は子どもに対する答えとして感情的には最も不適切ではあると思うが、論理的には最も正しいと感じる。
まったく論理的ではないよ。
「要らないなら堕胎してしまえば済む事なのに、何で産んだの?」となるから。
サイコパスは生存に優位に働くので過酷な環境下では必要な特性だったのだろう
長らく教育や社会規範の問題だと思っていたけど、生得的な気質ということで納得した
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・表面上は魅力的で口達者
・自信満々でよく自慢話をする
絶望的に頭が悪い人たち(anond:20180915001802)を利用する人たちは『サイコパス』や『ソシオパス』だと思うが、
絶望的に頭が悪い人たち自身も『サイコパス』や『ソシオパス』なのだろうか?だから当人らに悲壮感が無いのか?
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あげて見ると過酷な環境下に限らずこういう人そこら辺で見るなと思った
社会規範や教育の問題だとずっと思っていたが生得的な問題なのかも知れない
サイコパスは生存に優位に働くと言う
皆が利他的な行動をしていたら種として滅びてしまうので、有史以前の過酷な環境下では必要な特性だったのだろう
現代においても環境が原因で過酷な環境下にある場合には、この特性が無いとどうにもならないケースもあるとは思う
おぎゃあと産まれたばかりの赤ん坊は誰も同じに見えるし、誰も幸せになるべきだろう
ただそれと同じくらいに、太古からの特性を引き継ぐ人たちもいる事を忘れてはいけないのかも知れない
おつかれさばですわ
美濃焼ミュージアムで「美濃陶芸の明日展2018」を見て参りましたわ
三十代の「せんぱい」と学校を出たばかりの「ふれっしゅ」で部屋をわけての展示ですわ
「ふれっしゅ」を見た直後に荒川豊蔵コレクションを見ることになる良心的な順路でしたの
せんぱい組の柳井友一氏は線の模様を陶器にほどこすことに拘りが感じられました
同時開催の「代用品と統制品」展に出ていた戦時のシンプルにせざるをえなかった陶器と、
ふれっしゅ組では海川耕氏の極薄の磁器が、湯葉で器をつくったようでした
由良薫子氏の作品は絵の中に動物が隠されていてウォーリーをさがせ的な
同時開催されていた「代用品と統制品」展では、
アメリカとの戦争をはじまる前から金属類回収令が出ていたことを知りましたわ
やはり、そういう問題ではなさそうな印象を受けました
実際は誰に対してもそこまで一貫してる人間なんてまずいなくて
逆だよ。
女性専用車両に賛成するということは、女性を自衛もできず、差別を嫌う最低限度の良心も持たない人間未満とみなすってことだからね。
文系学問って、ちょっとかじったくらいでは、いい加減なものとまともな物の区別がなかなか付けづらい。理系学問なら、全体が分からなくても、明らかにこれはおかしいという説明は初学者にも区別付くだろうけど、文系学問では質の悪い新書レベルの読むだけ無駄な学問モドキな情報が世の中に溢れてる(たとえば、真面目な歴史学者が匿名で書いた歴史学のわかりやすい考え方や新情報も、いい加減でオカルティなおもしろおかしい自称「郷土史家」みたいな連中の感想日記うんちく韜晦ブログとかに埋もれて消えてしまう)から、あまり意味がない。理系の学問知は共有によって磨かれるが、文系の学問知はどちらかと言えば手垢がついてどんどんゴミにまみれる印象。一言で言って、文系学問は集合知と相性が悪い。
それより、もし学ぶ気があるなら、まともな学者が良心的に書き、まともな出版社から出版されたまともな哲学入門とか、法学入門とか、経済学史の簡単な解説とか、文学研究本とか、教育学の解説本とか……図書館行ってそういうのを一冊でも読むべきである。ネット上でその代替物を探す行為には、コストに見合ったメリットがない。
「じゃあ、どうすればいいんだ。ほぼ詰んでなくないか?」
この時点でかなり厳しい状況だった。
まあ、実を言うと、他の方法がなくはない。
多分、俺以外の奴も何人か思いついている。
「早くしてよ~、悩んでる暇あるならさ~」
カジマが余裕綽々といった具合に急かしてくる。
少し癇に障るが、ゲームで優位に立っている人間は得てして“ああいう風”になりがちだ。
それにカジマの人格を顧みれば、そこまで腹は立たない。
とはいえ、今の態度で確実に俺たちの僅かばかりの良心は消えたが。
「みんな、聞いてくれ。一つ方法がある」
まず俺たちがやったことは、数ターンかけてそれぞれの消費物を売買することだった。
「生憎、今は俺たちのもんだ。どうするかは俺たちが決める」
「オイラんところで働きたくないからって、そんな無意味なことしなくても……」
カジマはまだ気づかないようだが、当然この行為は単なる遅延行為ではない。
まあ、気づいたところで大したことは出来なかっただろうが。
そして、数ターン経過。
一人が買える消費物には制限があるから、随分と“調整”に時間がかかってしまった。
だが、これでひとまずは完了だ。
「……え~」
カジマはうな垂れている。
どうやら、やっと俺たちの作戦に気づいたらしい。
この時点で、俺たちは同じ数の消費物を持っている状態。
ただ、消費物がない人間がいる。
カジマもいるが、そっちじゃないぞ。
タイナイだ。
その代わり、あいつには大量の金があった。
俺たちから掻き集めた金だ。
これが作戦だ。
だったら団結して、カジマ以外に経営が出来る奴を作り出そうってわけだ。
意図的に金を一人のもとへ集めるため、それ以外はトップ争いから外れることを覚悟しないといけない。
実質的にゲームに参加させないことで勝つという、かなりエグいやり方だ。
だが、それでもカジマにやりたい放題させるよりはマシ。
「途中で裏切り者が出ないかとヒヤヒヤしたが、意外と上手くいったな」
後は流れである。
カジマは消費物を持たないため何も出来ない。
経営か、俺たちから買うことによって増やせるが、もちろん俺たちはどちらも拒否する。
良い条件を提示したとしても、だ。
カジマの“やり口”を知っている俺たちは、それが甘言でしかないと思っているからだ。
「みんな、酷くないっすか? 確かにオイラは悪どいやり方をしたけど、あくまでゲームとして戦術的に立ち回っただけなのに……」
カジマがいじけ始めたので、仕方なく俺はフォローに入る。
「尤もな主張だ、カジマ。だが、お前のやったことが戦術的だっていうのなら、俺たちのやったことだって戦術の範疇だって認めるべきだ」
「いや、でも、こんなの面白くないっすよ~!」
そりゃあ、面白くないに決まっている。
得てしてゲームにおける勝負というものは、“相手が面白くならないように立ち回る”ものだからだ。
そして、カジマが面白くないからといって、そこまで気遣う理由は俺たちにはない。
例えば、近親者に実力者がいて、医学部に裏口入学させてもらえて、国家試験も不正に通してもらえる。そして、一応医師の仕事をする程度の最低限の能力はある。
俺はならない。良心の呵責がどうこうとかではなく、あんなの、やりたくてやる仕事じゃないだろ。
医師になるような人間は、よっぽど使命感が強いか、物好きを除けば、近親者の期待に応えようとしているだけで、自分の意志で医師になりたいわけじゃないよな。
前々から疑問に思っていたことだが、男性は「見る」という行為においても「見られる」という行為においても、加害者たり得る。
「見る」性犯罪の典型が「盗撮」であるし、「見られる」性犯罪の典型が「露出」である。
もちろんここで「男性」と書いたのは主語が大きすぎる & 偏見であり、妥当ではない。
当然ながら、女性の盗撮犯もいるし、女性の露出狂もいるだろう。
しかしながら、女性の場合は「男性の自慰行為を見る(窃視)」においても「男性に自慰行為を見せる(露出)」においても、どちらも性産業としての需要が極めて高い。
犯罪リスクを冒すまでもなく、協力してくれる変態野郎は山ほどいるし、それどころかそれでお金を稼ぐことだってできるだろう。
当然ながら、上記の文章についても主語デカ & 偏見で不適切なのは言うまでもない。
ところで、アダルト漫画では「男と女の性的観念を逆転させたらどうなるか」を思考実験する作品が多く見られる。
すなわち、童貞を捨てられて喜ぶ男 → 処女を失って喜ぶ女 の世界へと改変され、女性が積極的にセックスを持ちかけてくるようになる。
こうしたフィクション作品が成り立つのは、現実世界において男性と女声の持つ性的観念に「非対称性」が存在するからである。
(※そもそも、童貞を「捨てる」、処女を「失う」という言語的表現そのものが、性認識の非対称性を如実にあらわしている)
すなわち、見る―見られる行為に【加害】のウエイトが強くのしかかる性別と、見る―見られる行為に【被害】のウエイトが強くのしかかる性別とで二分されている。
痴漢や盗撮にしても「男性の被害者」はたしかに間違いなくこの世にいるし、事実、私(男)や私の友人(男)もじつは電車で痴漢被害にあったことがある。
しかしやはり、周りに言っても信じてもらえないというか、信じてもらえても理解は得られない空気が社会にはある。
もっとも、私や友人を痴漢した犯人はこれまた男性であったので、もしも痴漢してきた相手が女性であったなら「あれはご褒美だったな」と被害に対する感想が180度逆転してしまっていた可能性は否定できない。
そう考えると内心は複雑で、やはりうまくは表現できないが、「非対称性」と呼ぶより他ない、よくわからないモヤモヤとしたものを感ずる。
やがて、人類に性差がなくなって、みんなナメクジになってしまえば、男女間の不毛で殺伐とした対立、争い、あるいは救いようのない断絶は解消するのかもしれない。
しかしそれは当分先の話となるので、増田としては卑怯にも結論を保留とし、あとの議論はトラバ氏とブクマ氏の良心と見識に委ねることとしたい。
私の親は、今でいう「毒親」だったと思う。
小さいころから、母親が父親を嫌っていて、昼夜構わず目の前で喧嘩した。父親の声はほとんど聞こえなかったけど、母親の金切り声をよく覚えている。
父親の実家で祖父母と同居していたのだが、そちらとも母親はそりが合わなかったようで、空気はいつも良くない。
母親は、自分のペースや考えていることに合わせないと、その他の意見を総批判。吐き捨てるように批判してくる。
小学生の時、鉄棒の前回りが怖くて出来なくて、やれるまで帰るなと公園に置き去りにされた。夜暗くなるまでやらされたけど(一人で)怖くて出来なくて泣いていた。
母親から褒めてもらったことは覚えていない。けなされた(バカにされた)ことは覚えている。
そしてそんな状態の私をかばってはくれない父親。「お母さんは怖いな」くらいしか言わない。喧嘩せども最終的には言いなり。
喧嘩していた夜は、違う部屋に移って扉を閉めていてもうるさくて怖くて、布団をかぶって「早く終わって」と泣きながら耐えていた。
母親と違う意見を言うと、「~(持論)~じゃない。(当たり前でしょ)バカね」見下す視線付き。
歩くペースや乗る電車など、もう少しゆっくりでもいいじゃないと思いゆっくりしていると、母親はイライラするのか「グズなんだから」「ノロね(ノロマね)」と言ってくる。母親は悪びれもせずに言うが、言われるたび辛かった。
母親から聞く悪口に洗脳され、反抗期もあったせいか父親と祖母のことを邪険にした。母親のことも好きじゃなかったけど。
彼女から愛情を感じたことはない。自分の思いどおりにいかないから怒る。そうとしか思えない言動の数々。
そうした環境が嫌で、高校生の時一度バイト上がりに深夜まで友達と遊んでいたことがある(連絡はいれていたが「帰ってこい」の催促を無視していた)。
家に帰ったら母親に盛大に泣かれたが、私が「兄は遊んでてよくて、どうして私はダメなの」と問い詰めたら何も答えずに「出ていけ」とのこと。多分、兄があまり注意を受けずによく遊んでいること、普段から兄びいきの発言が多いのでイラついていた、それについて問いただしても納得のできる言葉をもらえなかったこと、その辺の複合的な心情が爆発したと思う。
「心配するから」の一言があれば謝るつもりだったが、何も答えてはもらえなかった。
母親は頭ごなしに意見をし、理由を説明しないことが多い。「なぜ?」と問うても「そうだから」と答えになっていないことが多い。
「好きなようにしていい」と私には言うくせに、母親には基本的に逆らわない父親。結局折れる。奴隷。
季節は冬、ラジオの早朝英会話教室みたいのを聞いていたことがあって、ラジオは両親の部屋にあったから聞きに行ってたが、寒いから布団に入れと両親それぞれに言われ、困ってどっちの布団にも入らなかった。その時ほど面倒なことはなかった。最初は良心からだったのかもしれないが、次第に相手に対抗してどっちの布団に入らせるかムキになっていた。くっだらない。
車の免許を持っていない母親は、車を運転することでの疲労や維持する費用やガソリン代のことをまるで考えない。父親は運転するのが好きだったのか、数時間程度なら休憩なしでぶっ続けで運転していた。それをこっちにも要求してきた。疲労感やあなたの足ではないからねとどんなに説明しても理解はしない。
私の出産の時、初孫で浮かれていたのか、次の日にさっそく病院へ。夕方の出産でお風呂にも入れていなく、前日までの長い陣痛で数日まともに眠れていなかったが、まぁ孫に会いたいだろうと12時に来るように言ったが10時に来た。来たら1階まで迎えに行くと言ったが(病院は1階が診察室で2階が病室。お見舞いは基本的に入院してる人が1階まで迎えに行く)そんな早くに来るとは思わなかったからちょうど風呂に入っていた。迎えに行くつもりだったから病室も教えていなかったがアクティブにずかずかと病室を聞いて上がってきていて(1階の受付はほぼ診察の人用でまぁ話しかけづらい雰囲気だったけどそんなの関係ない人なので)、風呂のあと仮眠したかったが叶わず、夜まで居座られ大して眠れず。病院の決まりで子供を抱けない、写真も近くで撮れないと知り露骨にがっかりし、ずっと私の病室で私の見ていないTVをひたすら見ていた。帰れ。
「普通は里帰り出産するでしょ?でもしなかったから、二週間くらい孫ちゃんとこっちおいでよ。行きと帰りは夫くんに車で送ってもらってさ」
その理屈はなんだ。あなたの普通は万人の普通ではない。ましてや私の普通でもない。二週間って別居でもあるまいし通常の家族が「実家に帰るね~二週間くらい☆」な気分でそんなに離れるか。乳児も連れて。私は嫌だ。それに行きと帰りだけ夫を足に使えというのか。結構な距離を。
当然断った。
もういい年だから、親のせいにしてはいけない。自分の意見がないのも、あっても言えないのも、周りに合わせることを第一と考えるのも、決断力がないのも、怒る怒られるということに極端に恐怖するのも、誰かの怒鳴り声でもパニックを起こし過呼吸になるのも。
でも、私は自分の子供をこうにはしたくない。同じ思いをしてほしくない。やっぱり大事だよ、生まれてからの18年あまりは。一生の性格を培う。人一人を歪めかねない。