はてなキーワード: 現実逃避とは
そりゃあ、女が現実逃避に使うわけだなぁ
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。
どんだけ楽しい時を過ごしていても、その時感じてた喜びがツルツル自分の表面を流れて行ってしまって自分の中に定着していかない感じがしている。
楽しい時間が終わってしまえば、余韻に浸るということができず、その直後には日常めんどくさい悩みごとを思い出したりしてしまう。例えば、休日の旅行の写真を平日に見返したりしても、その時の楽しかった感情を思い出すことまではできない。
そんな感じなもんだから、常に何か新たな楽しい刺激を四六時中探してしまう。当たり前だけどすぐに手に入れられる楽しさなんてたかが知れてるから、ネットが見れる環境ならネットから離れられないし、ネットが見れない仕事中なんかだと仕事のやる気が起きずしょうもない妄想で現実逃避に時間を割いてしまう。
病気持ちの老人大国になる日本で膨れ上がる社会保障費を抑える手段がないと日本が沈没するのは明白。
産業も経済もこれからジェットコースターのように廃れているく。
グローバル競争の中で企業は正社員を派遣に変え低賃金にすることで急場をしのいだ。
これから急速に膨れ上がる社会保障費は今以上に日本を圧迫していく。
そのうち超天才が現れ日本を救ってくれるとか呑気に妄想し現実逃避するしか手がない。
この超現実の中で一つの光明としてベーシックインカム案が湧き上がっているが
7~8万の最低限の収入は保証するがそれ以上の生活に関しては各個人に委ねられる。
現状で満足なら何もしなくても良い。
しかしその際、社会保障費はなくなるので病気になっても保険が効かなくなり
これではベーシックインカムに賛成する老人は少ないだろう。
60代以上になったら自分の判断で安楽死を選択可能にすればいい。
そして苦しまずに余生を終わらせてあげる。
病気で痛みや辛さに苦しみながらのたうち回って死ぬのは怖いから嫌だけど
安楽死で静かに死ねるのなら死を選ぶことを躊躇しない老人が多いはずだ。
そして病気で病院にかかる費用や年金などの社会保障費を抑えることができる。
がめつくてそんなことをしているわけではなく
終わりの見えない自分の人生を人に迷惑かけず暮らすためにやむをえなくそうせざるをえないから。
これをなくすためには老人に自分で終わりの時間を決めさせてあげればいい。
そうすれば余分な蓄えは必要なくなり老人も金を使い出す。
生きたい人は長生きすればいい。
今の日本の老人はがめつい自分のことしか考えていない老人ばかりのような報道もあるが
多くのまっとうな老人は自分が長生きすることで若い世代を圧迫していることは重々承知している。
そして医療が無駄に発達して簡単に死ねなくなってしまった日本において
よぼよぼの体に鞭打ちながら長生きしていてもなんにも幸せではないのである。
まだ体が動くならまだしも余命だけ無駄に長くなって
生産性のない出費がかさむばかり。
こんなの幸せでも何でもない。
人の役に立てるのなら
喜んで人生を終わらせたいと思っている心優しき老人で日本はあふれているはずだ。
これでみんなが幸せになれる。
死ということを扱うのでいろんな反発は起こると思う。
しかし、みんなが思っている以上に安楽死制度を提案したら賛成する人が多いはずだ。
怖がらず挑戦してみて欲しい。
トラベルミン1錠じゃあとっくに眠れなくなってるのはわかってたけど、やっぱり眠れないのはしんどい。
そんなこんなで、眠気がくるまで書物をすることにした。ほんとは勉強でもしたほうがいいのはわかっている。
買い置きしていたウィルキンソンの炭酸に、バランタインを注いで飲んでいる。度数何度あるのかなこれ。お酒が睡眠に良くないのは知ってるけど、早めに覚醒するなら昼夜逆転も治ってくれるだろうと淡い期待を抱いている。
壁打ちの場所としてこの匿名ダイアリーってのは便利だということに最近気がついた。読み物としてもとりとめがなくてやめどきもない。人々の恨みつらみから幸せまでが流れていく。数年前のトピックを読みながら、「ああそんな話題もあったっけ」なんて思ったりする。
やっぱり勉強したほうがいいかな。課題は山積みになっている。だけど今の自分は、自分が思考して生きた蓄積を記録したい欲がとても強まっている気がした。
ここ数日、自分が読みたいものを誰かがすでに完成させたもので外注しようとして、見つけられなくて、夜が更けていくことが増えている。そして、自分が共感できる話は自分しか書けないのだな、と思うようになってから、「書かなきゃ」という気持ちが強まっている。前にもそんなふうに思って、自分の書きたい話を書き続ける手が止まらなくなったことがあった。
あるいは現実逃避なのかもしれない。数カ月後に差し迫った人生の大イベントを控えて、逃げ出したくなっているのかもしれない。思えば昔の自分もそうやって逃げていたし、逃げるときは決まって何かを書き溜めたがった。またその周期がやってきたんだろうな。
それとも、今こうして自分が「読みたい」と思うものを、今の自分が書き溜めておくことは、後の自分のための貯蓄になるのかもしれない、なんて正当化の理由も思いつたりする。後の私のほうが切羽詰まっているのなら、後のときの私のために、今の私が私のほしいものを用意しておいてやろう、なんて思ったりもする。それも逃げだろうか。
切羽詰まっているときの私がほしいのは余裕だろうに。余裕は前借りしておけば確保できるものなのに、今またこうして垂れ流していく。やっぱり無駄遣いなんじゃないか?って気持ちが頭をもたげる。どうにも踏ん切りがつかない。
そうこうしているうちにもう1000文字近く書き込んでいるらしい。やっぱりこれ書きたいものを書いたほうが良い気がしてきたな。20分かからずにこれだけ書けるなら、悩んでる時間より書いてる時間のほうが短くできる。
あとで書こう
仮に明日も明後日もおやすみで何かに迫られていないのなら、赤ちゃんの泣き声でイライラすることはないのだと思います。実際にはイライラするのは今の現実がイライラさせているのです。特に忙しい毎日から現実逃避しようとしているのに、ゆっくりとした気分になれなかった。朝のストレスフルな電車に乗ってるところに、子供の泣き声が耳に刺さった。そんなことなんだと思います。
もし今日に十分な余裕があるのならイライラせずに少しの間その場を過ごし離れることで何も残らないと思います。飛行機ならラジオを聞けば良いだけの話です。
イライラすることからどのようにして解放されるべきか、それは個々人が考えることだと思いますが、例えば瞑想や宗教で太刀打ちできるはずです。
自分もそう思ったんですが
「校内暴力により孤立状態にあったので、他人からの応援や、大人による支援にも影響がでて、後にオタクになる少年少女は孤立した精神状態であった。暴力と圧力の恐ろしさが広まり孤立した人たちへのいじめが起きた。」ともあったので、自分は、これも一理あるのかなと思いました。
たしかにオタクの体験談からは、暴力への恐怖から心がすさんでしまう人々の話もうかがえます。これがオタクというものを生むキッカケのひとつになったという話には一理あるようにも思えます。この原動力は、「自暴自棄」という精神状態でしょうか。一方でオタクの精神を支配する原動力は「自己中心」と「現実逃避」であるように見えます。本来のオタクの精神とは少し異なるような気がしますが。その話、同じ校内暴力と学生運動地獄である韓国やアメリカのオタク状況については考察していなかったのでしょうか?オタクと校内暴力を関連付けて考えるなら、この比較は絶対に必要であるはずなんですけど。
みんな悩んでるし、みんなだって死にたいと思うことがあるみたいだし、自分だけが特別なわけじゃない。
もういい加減、ウジウジ悩んで寝込んで現実逃避する日々から卒業しよう。
やるべきことを整理しよう。
きちんとしたいことをしよう。
どうしたら毎日が快適になる?
そのために何をすべき?
ぜんぶいったんノートに書き出して整理してみよう。
悩んで体調悪くするだけの日々はもうたくさんだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
『美女と野獣』を知らないのか。
城主は野獣になる呪いを受けてしまったが、ヒロインの優しさによって真の愛に目覚めるという話だ。
内面の美しさを見出した城主は呪いがとけて、イケメンに戻るわけだな。
人間ってのは総体的に評価するもので、そこに優先順位が各々である。
つまり内面が美しければ良いことだし、その上で外面も良ければなお良い。
もっとも、君が野獣側か美女側のどちらでもない、その地点にすら立てていない状況なら、そもそもナンセンスな質問だが。
具体的にそういったことを考える必要に迫られる対象が現時点で存在しないなら、より普遍的な答えになるのは当然の話だ。
いい質問だ。
この情勢に対して大人は現実をまともに見なくなったとかいうロートルもいるが、そんなことはない。
そして、この夢想対象としては「今の自分とは違う何か」が選ばれやすい。
なぜならスーパスターとして活躍する職業は、実際に存在しているものだったからだ。
現実逃避のための夢想であるのに、現実がかえって今の自分を苦しめるのだ。
そういった人のために対象となったのが、魔法少女であったというわけだ。
なるために要求される才能だとか、努力の方法といったものが不明瞭だからだ。
夢想するときに、そういったものをロジカルに考えることほど無粋なものはないからな。
夢想というものは、なって何をしたいか、何をすればいいのかだとかがフワフワしている方がよい。
その夢想対象で享受できる美味しい所だけ味わうために、魔法少女は都合が良かったというわけだ。
まあ私もニンジャになりたいとか、サムライになりたいとか言ったことはあるので、本質的には似たようなものだな。
もし現実で魔法少女が本当になれるような代物になったら、恐らくほとんどの人は色々と理由をつけてなりたくないって言うんじゃないかな。
「なりたいっちゃあ、なりたいけど、どうしてもってわけじゃあない」とか、「自分が思っていた魔法少女はこんなんじゃない」といった具合に。
VR機器に興味があって以前から買いたいな(エロ目的)と思っていたんだけど、機材の金額の高さに踏ん切りがつかなくて困ってました。んなわけで、VR-AVが体験できる個室ビデオ(sodのやつ)に行ってきましたので感想をメモ。
VRゴーグルははpi-maxという機器だった。聞いたことが無いメーカーだったけど有名なんだろうか? 結構ボロくて装着部の表面が外れてときどき視界に入ってくるのが辛かった。新品ならもうすこし良いのかもしれない。如何にもPCはゲーミングという感じのゴツいPCでした。ビデオ鑑賞に集中するあまり、CPU等のスペックを記録するのを忘れてた。グラボも刺さっていたので、PC一台でいくらするんだろうか。
視聴を始めての感想。前評判通り、没入感を感じる。思わず個室ビデオのソファに腰掛けてることを忘れて、画面の中のベッドにいるような感じもちょっとだけする。でもやはり、芸人がテレビで過剰なリアクションをするほど「リアル」とは感じなかった。所詮映像は「画面の向こう」という感じがする。10cm程度の至近距離に被写体がいるときにVRの臨場感が最も高いことを発見。こんな場面では「本当に女の子が近くにいる」という緊張感(興奮)を感じた。最近流行りのバイノーラル録音とセットで聴覚と視覚の二つを感じるやばい。
気になった点。
一番致命的だったのは、視聴中に首を動かして画面を追いかけていると視野中心の位置推定がズレてしまうこと。しばらく時間が経つと、首を前に向けても映像は左に30度程度ずれているという状態が発生し、だんだんズレが増加していくというトラブルに見舞われた。多分加速度センサがうまく動いていないからだろう。こうなると視聴を中止して映像を再生しなおすことになるので、集中して視聴できなくて困った。
自分はメガネなしでは生活できないヒトなので、メガネをしてVRゴーグルをつけると若干映像がずれている感じ。特に、VR内で被写体が10センチ程度の至近距離に来たときは映像に違和感を感じた。メガネ対応VRの開発を待つか、VRのためだけにコンタクトにするか検討するぞ。
VRはリアル感が売りなのに致命的で、解像度が低い。なんか他のレビューで見た気もするが、せっかくの没入感が低画質で台無しになっている感じがする。ひょっとして、fullhdくらいの画素数を(全視野角) X (両目)で配分しているのから解像度が低く感じるのだろうか。体感的には800x600ドットくらいのモニタでビデオを見ている感じだった。体感4kぐらいの画質になれば、もう言うこと無いんだけど技術的に難しいよね。
実用面では、VRゴーグルをつけると早送り等のビデオ操作ができないのでスイッチでゴーグルの視野を切り替えるorゴーグルをはずさずにできる操作が欲しかった。ゴーグルを着けたまま自慰するのは正直気持ちいいけど、「出したもの」を受け止められないのでこの対策も必要。個室ビデオではオナホが付いてたけど、家ではオナホの処理がめんどくさいのでもっと簡易な対策がほしい。ダンボールで囲いでも作って、液体を受け止めようかな。
総評としては、コンテンツ次第で購入もありかな。ただVRでAVを見るのは楽しいが金額を考えると、即買いたいというほどではないというのが本音だよ。ただ、次回個室ビデオにいったらやっぱりVRを選ぼうかなとは思う。AVだけに使うよりも、現実逃避癒やし系コンテンツが出てきたら買おうと思う。今回は、実写AVしかなかったんだけど3Dエロゲなんかやったら違った感想になるのかな? 体験できる場所を探している。
最後に建設的な提案を一つ。VRは種々の問題を抱えているけど、「そこにいる感」は本当にすごい。自分の全視野で映像を見せられると、気持ちも外界と隔絶してる気がする。一言でいうと現実逃避だよ。だから、美少女動物園的アニメの世界に入って、透明な第三者としてキャラとストーリーの進行を眺めたいと思った。つまり、VR-きんモザとかVR-けいおんを作れば癒やし度MAXだよね。日常系アニメがVRにならねえかなと強く強く待ち望んでいる。もし既にあったら、教えてください。