はてなキーワード: 市民とは
このニュースを見て
https://news.yahoo.co.jp/articles/803d09cd676d9e3ed2cfb6f06b0a2e6227b57ad0
市民マラソン以外でも、周囲で「あれだけ狂ってやってた趣味がコロナで止まってしまった期間の間に冷静になっちゃって、コロナ落ち着いたけど前みたいに狂えない」
って話をよく聞くんだよ
年に4,5回はイベント参加して本を出していたのに、コロナ期間中、イベントないからと本を出さないでいたら熱がすっかり冷めちゃって、20年くらいで50冊以上は本を
出していたのに今はもう年に1冊しか出してない
コロナで家に籠もっている間、同人誌を作る生活が忙しく捨てていた他の趣味とか家の片付けとかやりたくてやってなかったゲームとかやってたら、なんかもう同人誌も
ほどほどにしよう、ってなっちゃった。
高齢同人野郎ほどそうなんじゃないのかなあ。走り続けていたのが止まっちゃったらダメだったんだと思う
みんなにコロナ期間で中断されたせいで冷静になってしまって、今は前ほどの情熱を持てなくなったものを教えて欲しい
うまくいくわけがない、というのは君個人の特殊な考えにすぎん。ネットにかぶれて捻くれた結果の尖りすぎた悲観論だ。
世の中を広く見てみれば分かる。日本の対外的な諸制度や実社会を。どうせダメだという思想で設計されているか? 逆だろう。うまく混ざり会えるように配慮されている。
日本のみならず世界中の国が、中国をはじめとした思想の異なる他国を受け容れて、共存し、繋がり合うことで草の根から平和を紡いでいることが分かるだろう。
そういうものが制度面から破棄されていく時流になったときにやっと警戒を強めるくらいのほうがいい。
異なるものを理解しようとし、共存をはかっていくことでしか、平和というのは維持できないんだよ。さもなくば同質化を図るために際限なく過激化していくしかないわけで、歴史を見ればその過ちの例が数多とあるだろう。
なので、ロシアとウクライナとか、中国と台湾香港とか、今まさに現実的な対立が存在している国や地域で対立勢力へのネガティブキャンペーンを張るのは理解できるにしろ、そうでないところへ過剰な敵意を向けるのは独りよがりな態度でしかない。
2022/10/26時点
個人的にMVPはこっさんですね。横綱昇進も時間の問題だと思います
- 横綱 ふーみん、
パリコレ、村上隆、赤チャート先生(レヴェルピアノマンなあぷる他)- 大関 国語力、孤独、下方婚、複垢フェミ(、番付の人)
- 関脇
チョコエッグ🍫🥚、パンティー、ハッタショ、クンニ- 小結 ニーターパン、新自由主義、お気持ち長文、陰謀論スパマー、肛門臭、
オットセイ(New!)- 前頭 ファクトチェック、いらすとや、猛虎弁、いないこと、ゲーム日記、特徴、めぐみん、種付けおじさん、集スト、市民ミュージカル、デリヘル、嘘松、
一生食え男、タフ、たし🦀、では100万円、ビール腹、統計 、ブクマカ晒し、増田朝礼、メタセシス、ゴーレム、再投稿警察、アルフォート、という話(New!)、きららアニメオワコン(New!)、サバカレー(New!)、救済(たす)けてくれ(New!)
個人的には3なんだけど、考え方が違うかなぁ。
米軍基地関連の事件・事故があまりにも酷くて多いから、それをどうにかして欲しいってのが心情なんだよな。
アメリカの治安の悪さが沖縄に持ち込まれてるっていえば伝わるのかな。自衛隊になればマシになるだろうって思う。
2の考えの人は少ないんじゃないかな。沖縄県民って「自分たちは日本人で沖縄県民だ」って意識があるから。
だから「同じ日本人なのに沖縄の米軍基地に何も思わない」ってことに絶望するんだな。
旧日本兵が沖縄戦で市民を殺したのは事実だし思うところはあるけど、今もその話を持ち出しても仕方ない。
1はもっと少ない。日本っていう国の良さを知ったら無理だと思う。
米軍基地は沖縄戦後の負の遺産みたいなもんで、終戦から77年経った今でも残ってるから反戦争思想が広まっちゃうんだろうな。
沖縄が地政学的に重要なところなら他所の国に任せず自国で管理しておけば今日のようないざこざは無かったんじゃないかって考えてしまう。
なんてことはさすがにないよな
海外製のだと日本の法律に合わない電波を発してるってのはありがちだけど
知らなかったで済まされないのは「法律」なのであって「売ってるもの一つ一つが法律に適っているか」ではないのだから
てか売ってる時点でそれは合法なものだと思うだろう。わざわざ違法かもしれないという疑いを持って調べなければならないなんてことを市民に義務付けることを前提にしてると考える方が馬鹿げてる
(そもそもledライトが電波を発してるなんて知らない人も多い。全てのものは電波を発してるかもしれないという前提で注意して使用しろってか?注意しなかった奴が悪いってか?馬鹿なの?)
技適マークというのを知ってれば、それがないのは適法じゃないと分かるけども、知らなければそもそも出回ってるものは合法だと考えるだろう
この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。
表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さない範囲で規制が許されるだけ。
これに対して
自由を侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家の自由の行使なのだ。
法治国家原理は、法律の法規創造力の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政が立法してはならない※)、法律の優位の原則(行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律の留保の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由を侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。
※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範が必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則が自由だからこそ、社会における事実上の力関係によって一方的に立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約の自由を制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所の判例法理によって調整が図られることがある。
二番目のツイートは、法治国家を(古代中国の法治国家の伝統もあって)遵法義務の問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務の問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカルな議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法と法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。
ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正であると判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的に判断する他あるまい。上記のツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式の禁止を無視したからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。
現代の違憲審査制は、こういった正義と実定法のジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法に人権という形で示された一般的正義の原則に照らして裁判官が実定法を審査し、不正な法と認定した法規範の適用を拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由な民主的社会の市民であり続けるために必要なことである。・・・自分の頭で考えた結果、おかしな結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである。
悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。
※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか。
参考文献
長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社、2015年
おまけ:
それに反する法律は作れません。
こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。
憲法は政府を縛るものというデマ → anond:20221020172754
増田の説は本質的に『十七条憲法も憲法だ』と変わらん。日本国憲法は『立法権を制限する事で人権を保障』する市民革命思想の流れを汲む近代憲法。共産圏の憲法はその流れと異なるから価値観を共有しないとされる。
『十七条憲法も憲法だ』というのはかなり乱暴な要約だけど、まさしくその通り。しかし、市民革命思想を『立法権を制限する事で人権を保障』と表現するのは意味不明だ。人権のために制限したのは行政権であり、その方法が三権分立ということすら理解していないのだろう。
共産圏国家の憲法との比較は例として出しただけであり、国が違えば国家の統治方法も異なるので憲法が持つ価値観が異なるのも当たり前だ。共産圏国家の例示で的を得ないようなら、コーランを憲法としてるイスラム圏国家でもよい。
直球のアレ来た。この内容について語りたいなら、「外見的立憲主義」という言葉の意味くらいは調べてこよう。今時、中学生でも勉強を真面目にしていたらこのレベルのことは言わないと思う。
先進国の現在の憲法が正しいのであり、そうでない国家の憲法は「外見的立憲主義」だから誤った憲法だと主張したいのはよくわかった。しかし、憲法に絶対的な正しさを求める精神は、盲目的に宗教を信仰する狂信者の思想と同じとしか思えない。「中学生でも勉強を真面目にしていたら…」の文言から、論理的思考力の欠如が垣間見える。
こういう増田って「国民国家」の意味を知らないのだろう。自分は自動的に一丁前の国民だとでも思っているのか。日本は「王政、封建制」を「国民国家」に改造するために憲法を持った。その役目は、政府の権限制限や。
またか。現代の憲法こそが真の憲法であり、その価値観に反するものは憲法ではないという意見だ。大日本帝国憲法のことは、憲法の名がついてるだけで憲法ではないと、頓珍漢な主張をするのだろう。
勉強になるブコメがたくさんついてる、良かったね! 知らないことを知らないと言うときに「デマ」って言葉を使うのはやめようね。
「デマ」という言葉はただの釣り餌。釣れたのは知らないことを訳知り顔で語るブコメばかりで、勉強にはならなかった。
憲法学的に言いたいことはいろいろあるが、国語的な増田式定義によっても、憲法が国の統治方法を定めてるから、国を統治する政府は憲法の定めに従って統治する必要がある、すなわち政府が憲法に縛られてるんじゃない
そこでいう憲法は形式的意味の憲法を指していないのでは/憲法改正の限界を超えた(n月革命を引き起こす)「改憲」はあり得るんじゃないの?
前者のブコメに対しては後者のブコメで完全に反論しているので、私からは特にコメントはなし。『憲法改正の限界』は無限界説のほうが正しいのは歴史的事実として明らかだ。憲法という言葉で権威付けしようとも所詮は人間の作ったルールでしかないことを、後者のブクマカはよく理解できていると思う。
デマだと断じるから何かと思った。すべての憲法の基本書の最初の章に書いてあることなので、それくらいは読んでから主張してほしい。
『すべての憲法』はさすがに主語が大きすぎる。『フランス革命の流れを汲む近代憲法』くらいの主語にとどめるべき。日本や欧米以外の国の憲法を知っているわけではないのに。
意味論的憲法だ。どんな実益があるんだこの説明と感じた思い出があるけど、細かく整理したうえで示しておかないと解像度が低いままトンチキなことを言いだす人が一定数出てきちゃうからなんだろうな。
同意なので反論は無し。論理ではなく世界史や宗教的価値観で憲法を理解している人ばかりでうんざりなのは、この人も感じていることだろう。
笑った。確かにそうだ。
いわゆる左派の主張する大きな政府とか福祉国家というビジョンはフランス革命以後の国民国家を前提にしていて、その限りでナショナリズム自体は左派にも内在している。順序としてはリベラルな価値観である個人の権利を擁護するためにナショナルな団結を要請したわけだ。
ここから個人の権利をラディカルに主張して国民や国家を含めたナショナルなものの解体にまで行くと左翼の極北、アナーキズムに至る(共産主義の最終目的地でもある)。
他方で右翼の場合、一般的にはナショナリズムを前提としてその限界内で個人の権利を認めるという形になる。
つまり左翼にせよ右翼にせよ市民革命以後、国民国家以後の概念なので、前提としているところはそう変わらず、個人の権利とナショナリズムをどう位置づけるかに相違がある。
だからナショナリスティックな左翼もありうるし、リベラルな右翼もありうる。
これが極右や極左になると、どちらも国民国家以後の「近代」という枠組みからの脱却を志向するものになる。大ざっぱに言えば、極右は近代以前に近代の超克を求め、極左は近代以後を想像する。